ブラック・ファック   作:ケツマン=コレット

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青空 3

 

「ずいぶんひどいな」

 田所はタルトの母を仰向けに寝かせ、足を見てつぶやいた。

 症状は重度の外反母趾であった。親指の付け根あたりから横にボッコリと、なにか異物が入っているかのように膨らみ、親指の先が人差し指に重なっている。

 日本でも聞き馴染みのある病気だ。窮屈な靴を履き過ぎた結果、親指の付け根が曲がり、その無理な状態が固定され炎症を起こし、最悪の場合は脱臼する。

 タルトの母はこの脱臼段階にある。

 通常、完全に歩けなくなってしまうことはほぼない。

 痛みが出たときに原因となる靴を履くのをやめてしまえば、早ければひと月も立たずに治ってしまう。

 足に麻酔を効かせている間に、田所は家を見渡す。

 立っているのがやっとの家。ボロ小屋といって差し支えないだろう。

 加えて立地は村外れの林の中。

 旦那と死別してしまい収入源がなくなってしまったこともあるが、何より考えられるのは迫害だろう。

 小さな村だ。必然と仲間意識も強くなる。

 そんな中、自国に植民地支配を行ったレスリング国の子供を身ごもった地位もない女性。

 差別を受けたのは明らかだ。

 そうなると、つける仕事は限られてくる。

 ふと横に目をやると、この場の誰にも適さない、成人男性用のワイシャツとジーンズパンツが壁にかけられているのが見えた。

 この家には似つかわしくない服だ。

 そうなると予想は簡単だ。この母親は夜な夜な男に姿を換え、水商売を行っていたのだろう。

 こんな村でも…いや、こんな小さな村だからこそ、男の楽しみなど酒ぐらいになってしまう。

 そうなると、女ではもの好きの客ぐらいしか集まらない。

 タルトの母は夜な夜な男の格好をして酒の相手をしていた。その際に革靴でも履いていたのだろうか。普段履かない男物の靴を履いて外反母趾になり、痛みが出ても収入のためにそれを続けていたのだろう。

 田所はタルトの母子を思い、少しだけ吐息を落とした。

「治せるの? それ。外反母趾でしょ」

 隣で母親の足をまじまじと見つめていたタルトがそう言うと、田所は目を丸くした。

「何だ、病名がわかるのか」

「本に書いてあったから」

 なるほど、勉強していると言うのは本当のようだ。

「かなり悪化しているが、一部骨を削って形を直せば治るだろう。まあ、栄養状態にもよるが。完治まで3ヶ月ってとこかな。感覚はいかがですか、麻酔は効いてますか?」

 田所は少し強めに足をつかんで問うと母親は「大丈夫です。お願いします」と答える。

 よしと田所はいって、マスクを装着した。

「さあ、手術を始める。しっかり見ておけよ」

 タルトは何も言わず力強く頷いた。

 消毒したメスを足に入れ、肉を割いていく。

 流れは順調だ。特に難しい手術ではない。

 ちらりと横目でタルトを見ると、熱心に、瞬きも忘れてそれを眺めるタルトが見えた。

 手元には小汚い紙があり、鉛筆で何かを書いてある。

 この様子なら、2億なんてあっという間に稼ぎのけてしまいそうだ。

「もう1億ぐらいふっかけておくんだった」

 ポツリとそう呟いたが、タルトは目の前に集中しており聞こえていない様子だ。

 こいつは俺の立場も危うい。

 ニヤリと笑った田所は、そんなことを思いながら手を動かした。

 

 

「なんで行っちゃうんだよ! お医者さん教えてくれるんじゃなかったのかよ!」

 1時間足らずで手術も終わり、さっさと帰ってしまおうと家を出ると、一緒に出てきたタルトが田所の背中に叫んだ。

「俺だって忙しいんだ。ここにはたまたま寄っただけで、用事はすでに済ませた。手術の予約もあるんだ、早く日本に帰らないとな」

「でも!」

「わかってるさ、約束は守る。ここに医術を勉強できる本を送ってやる。それで勉強して、学校にいって、金を貯めろ。そして…」

 そう言って田所は振り返った。「日本にこい。そしたら、みっちり、お医者さんを教えてやる」

 怪訝そうな顔をしていたタルトの顔が、開く花のように明るくなった。

「ほんとに! 約束だよ!」

「ああ、もちろんだ。どうだ、俺は今から村に止めてる車に乗って帰る。少々遠くて話相手がほしい」

「いく! 一緒にいくよ。その代わり、手術の話、教えて!」

「いいだろう。これは俺がまだホモビデオ男優をしていた時の話なんだが―」

 二人並んで話しながら歩く姿を、開きっぱなしになったドア越しに、タルトの母親は眺めていた。

 それはまるで親子の様で、兄弟のような。

 久しぶりに、タルトの全力の笑顔を見た気がした。

 

 

「それで…全身に銀粉を塗ったの? なんで?」

「いや、俺もいくら考えてもわからん。とにかく銀色になって…なんか…マシーンみたいになった俺は何人もの男の手で―」

 過去の施術の話をしながら二人で車まで向かっていると、視線の先で自分の車の前で、見守りを任せた男と別の男が口論をしている。

 その横を見るとサビが幾重にもこびりついたバスが停まっていた。

 どうやらバスの停車予定場所に田所の車が停まっていたから、運転手が文句を言っている様子だ。

「失礼、なにか問題が?」

 田所は小走りにそこによっていくと、二人がこちらを見た。

「この車、あんたのかい」

 運転手らしき男が問いかけてきた。

 好戦的。今にも噛みつきそうな形相だ。

「ああ、そうだ。少しの間だけ停めさせてもらっていた。どうやらここがいつもの停車場所のようだな」

「ああ、そうだ。お前みたいなよそもんが,、こんな村に何のようだ。また俺たちの土地でも狙いに来たのか!」

 ずいぶんな物言いだった。

 その内容から外国人への差別意識がうかがえる。

「いや、たまたま寄っただけだ。すぐに出る。ここは別に誰のものとも示されていなかったのでな。車を出すよ」

「早くしてくれ。よそもの同士が何話してんだ、くだらねぇ」

 吐き捨てるようにそう言うと、運転手はバスに戻っていった。

 田所が車を移動させるとそこにバスを停め、何も言わず運転手は去っていった。

「タルト」

 窓を開けてタルトを呼ぶ。

「なに?」

「さっきの運転手…何かあったのか」

 タルトは首を横にふる。

「わからない…でも、僕を見る目が、すごく怖いんだ。何度か怒鳴られたこともある…他の子にそんな事ないのに、僕だけ。だから…学校も行けなくて」

「そうか」

 田所は鼻から大きく息を吐いた。「…もし、あいつが生きるか死ぬかの病気にかかったとして、お前に助けを求めにきたら…タルト、そのときはどうする?」

 タルトはほんの一瞬の逡巡すると、強い眼差しを返してきた。

「僕のお父さんも、たくさんみんなにいじめられたりしたけど、あの人みたいなひとをいっぱい治した。なんで意地悪するひとを治してあげるのって聞いたら、お父さんは言ってたんだ、空を見ろって。空には国境も、なにもないって。みんな同じ空の下の人間だって。だからレスリング人だろうと、下北人だろうと、病気のひとはみんな治すんだって」

 タルトの父は偉大な医者だったのだろう。

 でなければ、わざわざ差別の強い他国に来てまで、ひとを治そうとは思わない。

「お前さんの父親に、一目会いたかったよ。お前にこいつをやる」

 そう言って、田所はアタッシュケースからメスを一本取り出して、タルトに手渡した。

「メスだ! いいの、これ大事なものでしょ?」

「大事だからやるんだ。そいつを見てたら約束も忘れないだろ。熟練工に研がせたメスだ。なくすなよ」

「当たり前だよ! 絶対なくさない。いつかこれで手術するよ」

 車を発進させると村は遠のいていく。

 サイドミラーを覗くと車の背に手を振るタルトが見える。その手にはメスが握られていた。

 田所は窓の窓の外に腕をだけを出して、それに答えるように手を振った。

 ほんの2時間程度の滞在だったが、その何倍にも感じるような濃厚な2時間だった。

 飛行機の便は遅れてしまったが、そんな事気にならない程に、田所の胸の中は満足感に溢れていた。

 タルトの振るメスが、太陽の光に当てられてきらびやかに光る。

 まるで、彼の未来を示すように。

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