ブラック・ファック   作:ケツマン=コレット

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青空 4

 

 退屈だ。

 そんな感情が溢れ出してきたのか、ポイテーロは昼頃だというのに大きなあくびをした。

 病院内にある医療関係者専用の小さな休憩室で、ポイテーロは患者のカルテ片手に紙コップに入れたコーヒーを飲んでいた。

 睡眠時間は何よりも大切だ。毎日7時間はしっかりと眠っている。それでも、こんな退屈な研修の日々だと眠たくもなってしまう。

 国が決めた研修期間の制度にそって、ありきたりな病気に、ありきたりな患者。それに対してありきたりな対応を行っていく。

 俺が治したいのはこんな身近で、簡単に治ってしまう病気ではなく。難解で自分でしか治せないような病気たちだ。

 そのためにも、同じく研修期間を過ごしている連中のようにしていてはダメだ。

 こんな仕事、手短に、最短距離で、ちゃっちゃと終わらせて、暇な時間はもっと高度な医学の勉強をしなくてはいけない。

 そんなことを思いながら仕事をしていると、ただでさえ退屈な仕事が、更に退屈に感じる。

 カフェインなど意にも介さぬ眠気が、また大きなあくびを生み出すと「おやぁ、ポイテーロさぁん」と同じ研修医が給湯室からコーヒーを持って出てくると、隣に座る。

「あくびなんかしちゃって。やっぱり院長のむすこともなると、こんな作業なんて退屈なんですかぁ?」

「いいや、仕事づめで眠れていないだけさ」

 退屈で死にそうだ、と同調したかったが、ここでそこいらの人間と同じようなことをいう訳にはいかない。

 いずれ上の人間に立つ以上、高尚な精神を演じることも大切だ。

「さすが次期院長だぁ、僕らとは違うなぁ」

「気が早い。まだ僕が院長と決まったわけじゃない」

 と言いつつ、内心は自分以外いるわけがないと思っているのだが。

「でもねぇポイテーロさぁん。僕はね、立派な医者になるために来たんですよ。たしかに、目の前の患者さんたちを治すことは大事ですが。もっとこう、大きいというか、自分にしかできないようなこととか…いっては悪いですが、命のかかったオペとかしてみたいものですよねぇ」

 つい先程、自分も思っていたところだ。

 この男、同じ研修医の中ではひときわ嫌味ったらしいが、考えは結構似通っているのかもしれない。

「まあ、言わんとしないことはわかるが、命がかかるってのはなかなかつらいな。もし死んでしまったらと思うと、手が動かなくなってしまうかもしれない」

 ま、俺ならどんな状況だろうと楽勝だろうけど。と胸の中でぼやきながらポイテーロは言った。

 ある種、そういった本番の舞台を待っている節もある。

「でも、消えかけそうな命を救ったとなると、とっても満足感がありますよぉ」

「そうかもな…なら、いっそ事故でも起きることを祈るか?」

 ポイテーロはそう返すと、フフと研修医は冗談めかして笑ってみせた。

 その笑いの奥、何を考えているのかポイテーロにはわかっていた。

 どこかで事故が起きる。救急で運ばれるが、医者は自分しかいない。

 緊急手術で完璧にやってのけ、患者やその家族からはこれ以上ない感謝と、周りのものからは尊敬の眼差しで見られる。

 研修生活の中でそういうヒロイックな妄想を膨らませたことは、そう少なくない。

 人は皆、生まれながら英雄になりたい生き物なのかもしれない。

 いや、本当にほしいのは声明と、他より優れているという自尊心か。

「さあ、患者が待ってる。休憩もこのぐらいにしておこう」

 ポイテーロはそう言って椅子から立ち上がった瞬間、ぐらりと足元から力が抜け、その場で左手をついた。

 右手に持っていた紙コップが落ちて、中にかすか残っていたコーヒーが小さな水たまりを作った。

「おっと、どうやら疲れてる―」

 顔を上げた瞬間、ポイテーロは研修医の真剣な表情に言葉をつまらせた。

 自分を見ていない。天井? どこかを眺めながら椅子をしっかりと握っている。

 その小さな異変に気がついたのは、床のコーヒーが小さな波を作っていたのが目に入った時だ。

 波…揺れ? …地震。

 刹那、揺れる視界、けたたましい大地の音、誰かの悲鳴。

 眠気は一瞬にして消えた。

 

 

「こいつを頼む」

 田所は都心にある運送屋に来ていた。

 台車に大きなダンボール5つを載せている。

 少々値ははるが、ここいらあたりで一番、信憑性が高い店だった。

「いいですよ。ところで、こいつら中身はなんですか?」

 カウンターの向こうで受付の男が言った。

「3箱は本。残りの2箱は食料だ」

「本ですか、なにか商売でも始めるんですか?」 

「いや、とある男に貸しがあってね」

「貸し? …借りじゃなくて、貸しですかい?」

「ああ、そうだ。ところで、俺はこれから日本に帰るんだが、日本からも本を送りたいんだ。ここに送れば持っていってくれるか? かなりの量になる。小さな図書館ができると思ってくれて構わない」

 受付は目を丸くした。

「と、図書館?」

「何だ、ダメか?」

「ええ、いいですが金額―」

「金はいくらでも払ってやる。気にするな、どうせ帰ってくる金さ」

「はあ…じゃあここに住所を」

 田所はペンを手に取り、タルトの村の住所を入れていると、そういえばあの村には何もないことを思い出した。

 勉強漬けになるとは言え、流石に娯楽がなにもないのはメリハリがつかない。

 国民的大人気漫画のブリーチ全巻もどこかで購入して送ってやろうか?

 子供だって性欲もたまるだろう。ホモビデオも送るべきか。

 いやまて、タルトはまだ子供だ、ホモビデオは少し早いか。

 いやしかし、いずれ年をとってそういったものに興味が―

「―ンナ! ダンナ!」

 受付が切羽詰まった様子で呼びかけていたことに気が付き、ハッと顔を上げる。

「なんだ」

「あの! なんか揺れ、揺れてます」

「揺れ?」

 地震に気がついたのはその時だった。

 ドンっと付き上がるような振動を感じると、揺れは更に強くなり、そこまで古くない配送屋の建物が軋む。

「カウンターの下に潜れ!」

 田所は叫んで受付の男と一緒に下に潜った。

 ものが次々に倒れる音に、頭の抱えた受付のうめき声を上げる。

 そんな中、田所の脳裏によぎったのはタルトの笑顔だった。

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