ブラック・ファック   作:ケツマン=コレット

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青空 5

 

 揺れは収まったのか?

 すでに地震は収まっていた。しかし、揺れていたときのグラグラとした感覚が、ポイテーロの足元には残っていた。

 地震がおきてすぐに研修医と共に机の下に潜り込み、3分ほどの揺れを耐えていた。

 じっとしているのがやっとな、感じたことのない凄まじい揺れだった。

「おわ…たんですか」

 研修医がゆっくりと机から顔を出して立ち上がると、ポイテーロも続く。

「多分、終わった」

 窓に近づき、外を見た二人は言葉を失った。

 倒壊する家々。

 割れたコンクリート。

 各所から立ち上る黒煙。

 目に映るそのさまを信じられなかった。

 まるでこの世の終わりのような光景だ。

 現実離れしたその世界をなんとか飲み込もうとしていたとき「ちょっと!」と看護婦が後ろから二人を呼んだ。

「何してるの! 早く来て!」

 ポイテーロは研修医と向き合うと、すぐに看護婦について1階のエントランスに向かった。

 なんとなく、分かっていた。どうなっているのかは。

 しかし、実際にその様子を目の当たりにした時、ポイテーロは息をのんだ。

 エントランス内を隙間もないほど患者が埋め尽くしていた。

 各所で血を流す人、骨の折れている人、意識のない人。それを賢明に医者や看護婦が対応している。

 明らかに無理な数。対応しきれない。

 そんなことを思っているさなか、患者たちの目が自分に向いているのがわかった。

 早く自分を診てくれと言わんばかりに。

 

 

 そこからはあまり覚えていない。

 患者を診て、応急処置して、患者を診て、別の医者を呼んで、患者を診て…

 人数は10を超えてから数えられていない。それでも、患者の数は一向に減る気配がない。

「すいません、僕にはどうにも」

 肋骨が折れている患者を診ていた。どうやら骨が内蔵に突き刺さっている様子だ。

 ほぼ意識はなくぐったりとしている。

 それの母親だろうか、なんとかしてくれないかとポイテーロの白衣をつかんで懇願してくる。

「すぐに治療できる人を連れてきますから!」

 そう言ってその場を離れ、手術できる医者の場所を看護婦に聞いても、別の手術でいっぱいだそうだ。

 クソ…クソクソ!

 どうしようもない憤りが胸の中であふれる。

 ポイテーロに手術ができないわけではなかった。研修医の中でも、希望して回数を行っている方だ。

 しかし、研修医ができる手術などそこまでハイレベルなものではなく、熟練の執刀医に毎回そばに付いてもらう。

 たった一人で、生死の境をさまよう患者を相手にするには、技術も、自信も足りなかった。

「お前、名前は」

 自分に弱さに打ちひしがれていた時、ふと声をかけられ振り向く。

 そこに立っていたのは黒い衣服を身にまとった、顔がツギハギだらけの色黒の男。

 思わず目を丸くする。

 医療会では伝説。医療免許を持たないがその腕は世界一のスペシャリスト。昏睡レイパー兼、無免許医師。

「あ、あなたは。ブラック・ファック!」

 ブラック・ファックは顔をむっとさせた。

「私の名前は田所だ。今は時間がない早く名前を答えろ」

「ポイテーロです」

「ポイテーロ君、今すぐここの医者と看護婦を会議室に集めろ」

「え、なんで」

「指示を伝える。時間がない、一刻も早く、集めれるだけ集めてくれ。このままでは、救える命も救えない…言いたくは無いが、ブラックファックが呼んでいるといえば、それなりに集まるだろう」

「は、はい!」

 ポイテーロは病院中を駆け回り、人を集める。

 手が離せないものはそのままに、とりあえず手を開けれる人間を集めた。

 大病院だ、かなりの人数が会議室に集まった。

「私の名前はブラックファック。名前は田所だ」

 田所は医者たちの前にたった。

 皆ポイテーロと同じく、伝説の医者を目の当たりにしてどよめくが、田所は無視して続けた。

 「今起きていることは未曾有の大災害。緊急事態だ。皆それぞれ患者を相手しているのだろうが、このまま手当たり次第に治療していては救えるものも救えない。そこでだ…この中で研修医はいるな。それと、患者の状態をだいたい分かる経験の多い看護師。手を上げてくれ」

 数名が手を挙げる。もちろん、その中にポイテーロもいた。

「そのものたちだけは右に外れてくれ」

 外れた人たちに、田所は4本のマーカーを渡していく。

 マーカーの色はピンク、薄めの赤、濃いめの赤、黒。

 それを診た瞬間、ポイテーロはすっと頭から血の気が引く感触がした。

 きっと渡された者は皆おなじ感覚だっただろう。

「研修は受けているはずだ。それでホモアージを頼む」

 ホモアージ。

 それは日本で起きた大人災、下北新宿大乱交が起きた際、にドラゴン田中教授が生み出したものだ。

 あまりにも多い肛門からの多量出血患者に、すべての命は救えないと判断した田中教授は、肛門の色で優先度を判別した。

 ピンクの健康的な肛門の者は治療の必要が無い軽症者。

 薄めの赤の肛門は出血は目立ち治療の必要はあるが、すぐには必要のない待機患者。

 濃いめの赤の肛門はかなりの出血が目立ち、すぐさま治療が必要な患者。

 そして黒の肛門。

 完全に死亡。もしくは治療に時間がかかりすぎるゆえ、治療困難の色。

 確かにホモアージの研修は必修科目だが、被災地や戦地で少数の医者が効率よく治療するための選別がホモアージだ。

 病院という施設も人員も充実した場所にいる場合、使うことはないと思っていた。

 あまりにも唐突な指令に、頭の奥底から冷たいものが湧いてきた。

 俺が…患者の生死を決めるのか?

 田所が他の医者に治療の流れや、各患者の治療前、治療後の場所を取り決めを教えている間、ポイテーロはただ呆然と4本のマーカーを眺めていた。

「説明は以上だ。ここにいないものには各自、出会ったときに伝えてほしい。正直、厳しい状態だ。すべての人間を救うことは無理だろう。だが、我々は医者だ。一人でも多くの命を救うため尽力してほしい。説明は以上だ。解散!」

 小走りで皆が会議室から出ていくとポイテーロもそれに続く。

 まだ診察も受けていない患者たちをエントランスの一部にひとまとめにして集め、ポイテーロ含む数名でホモアージをしていく。

「あなたはピンク色です。外に軽症者エリアがあるので、そこで待機をお願いします」

 えっと頭から血を流している患者が、顔を上げた。

「いや、これ頭ぶつけて血が出てるんです。もしかして何かあったら」

 声を荒らげたい気持ちを、ポイテーロはぐっとこらえた。

「現状を見てください、今は時間が足りません。待機をお願いします」

 患者は渋々と言った様子で戻っていく。

 このような態度を示す患者は彼だけではなかった。

 待機を伝えるとなぜなんだとポイテーロに食って掛かってくる者も一人や二人じゃない。

 こんな状態でも人は自分の命が一番大事なのだと、改めて思い知らさせれながら、ポイテーロは作業を続けた。

 

 い…痛い。

 その感覚を感じてタルトは目を覚ました。

 うめきながら、何が起きたのかを必死で思い出そうとする。

 家で勉強していたら急に地面が揺れて、家が崩れて、頭に凄まじい衝撃が走った。

 動こうとしたときに頭がにズキっと痛みが走った。

 腕も、足も痛いが、頭が一番痛い。

 なんとか立ち上がらろうとした時、隣で石壁の下敷きになっている母親に気がついた。

「お、お母さん!」

 痛みを忘れて母に駆け寄る。「今どけるから」

 なんとか石壁を上げようとするも、力が入らない。

 たとえ力を込められる状態だったとしても、子供が持てる重さではなかった。

「タ…タルト」

 母は今にも消え入りそうな声で言った。

「お母さん! 今助けるよ」

「タルト…逃げなさい」

 震える指で母がタルトの後ろを指差し、振り向くと黒煙がすぐそばで上がっているのが見えた。

 山火事だ。地震によって燃えた民家の火が燃え移ったのだ。

 タルトは黒煙と母の顔を何度も往復してみる。

「でも…でも! お母さんが!」

「私はいい。あなたも怪我しているのよ…早く街の大きな病院に行きなさい」

「でも!」

「みんなを治す、お医者さんに…なるんでしょ」

 その言葉に、タルトは今にも泣き出しそうな目で母を見つめる。

「行って」

 数秒の沈黙の後、タルトはうなずくと、無事だった本を一冊と田所からもらったメスを拾った。

「すぐに助けを呼んでくるから! 絶対だから!」

 母にそう伝え、タルトは涙を流しながら走っていく。

 近くにいた大人に母のことを伝えると、もうすぐ村の患者を集めて乗せたバスが出るから、早く乗るように伝えられた。

 走っていくとすぐにバスが見えた。

「おーい!」

 今にの発進しそうだったので声をだす。「待ってください! 僕も乗ります! お母さんもまだ―」

 その時である。

 ちょうどタルトの目線の先、運転手と目が合った。

 その目は、黒く、濁っていて、嫌いな雰囲気をしていた。

 父に向けられていた目だ。

 それに気がついたとき、バスのドアが閉じられたのが見えた。

 

 

 ピンク、濃い赤、濃い赤、薄い赤、ピンク、ピンク、新しい患者への説明、濃い赤、どうなっているんだと激高する患者の親族をなだめる、勝手に移動する患者を止める、薄い赤、ピンク…

 頭から酸素が足りなくなってきているのを感じる。

 早く次の患者にホモアージしなくてはいけないのに、一呼吸置かないと作業に入れない。

 足取りが思い。

 呼吸がしづらい。

 喉が乾く。

 叫ぶ女。子供の鳴き声。意識のない老人。

 ふと関係の無い昔の話を思い出す。

 今この場所が、夢なのか、現実なのか、分からなくなってきた。

 ああ…このまま…倒れてしまえば―

「何をしている」

 ハッとして前を見ると、いつの間にか田所が立っていた。

「あ…ブラック、じゃなかった、田所先―」

「お前を鼓舞している時間はない」

 田所のポイテーロの返事を遮る。その口調は強かった。「ただ一つだけ聞く。お前は医者か?」

「え、ああの、俺は―」

「何でもいい。医者なら、目の前の患者に全力を尽くせ。そうじゃないなら、今すぐ消えろ。邪魔だ」 

 吐き捨てるようにそう言うと、田所は走ってその場をさっていった。

 医者なら、全力を尽くせ。

 ポイテーロは目を閉じて天を仰いだ。

 俺は…医者だ。人を治すのが、それが仕事だ。

 医療スタッフ用に準備してあった水を飲み、すぐにホモアージに向かう。

 そして、そこから3人目の判別を行おうとした時、それはやってきた。

 倒れている患者の男に、その恋人らしき付添の男。

 容態は腕と足の骨折。それは良い、骨折はあとに治療すればいいからだ、緊急じゃない。

 しかし、腹に刺さった腕ほどの大きさの鉄骨。

 貫通し、すでにかなりの量の出血がある。

 内臓、胃を貫いている。

 すぐに治療しなくてはまずい。

 胸部も骨が折れている。どこかに刺さっているか?

 頭部にも打撲痕。

 意識も、息もない。

 手術しても助かるかは5分といったところ。しかし―

 頭の中で思案を巡らせていたその時、不意に田中教授の顔が浮かんだ。

 あの時、食堂で見合わせたときの。

 トロッコがやってくる。

 マーカーを持つ手が震えた。

 俺は言った、無視したらいいと。

 そうだ無視したらいい。ただの一般人であれば。

 黒のマーカーのキャップを取った。

 だが…俺は…いや俺たちは医者だ。

「申し訳ありませんが、この方は助かる見込みが薄く、手術には時間がかかり過ぎます」

 そうですよね。田中先生。

「治療はできません」

 脳裏の奥で、レバーが切り替わる音が聞こえた。

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