ブラック・ファック   作:ケツマン=コレット

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永久(とわ)に 永久に

寝静まった下北沢の住宅街に、青年達の笑い声が響いた。

 時刻は夜3時。明日のことなど考えもなく、6人組は適当なことを言い合いながら公園でたむろしていた。

 タバコを吸い、笑い声に体を揺らすと、腰につけたアクセサリーが音を鳴らす。

 そろそろ話もなくなってきたとき、不意にその6人組のリーダー格の男が、公園に入ってくる一人の男を見た。

 上下白の服に、金髪。下を向きながら、トボトボとこちらに歩いてきてる。

 見るからに日陰者。この男たちは、そんな人間を見極め、しいたげるのが得意だった。

 リーダー格が立ち上がり、他の全員に向かい、人差し指を上に揺らすと、続いて立ち上がっていく。

 他の5人も、今からやることを理解したようだった。

 へらへらと、薄ら笑いを浮かべながらその男の方へと、全員が歩いていく。

 街頭もなく、薄暗い場所でその男とすれ違おうとした瞬間、

「おっと」

 リーダーはそういって、男に詰め寄り肩をぶつけると、相手はその場でしりもちをついた。

「なにやってんだよ、危ねーだろ」

 見下ろしていうと、後ろで5人がケラケラと笑う。

 何か言い返してくるかと思いきや、怖気づいたのか、男は顔も上げないまま立ち上がろうとしなかった。

「なにシカトしてんだよ」

 胸ぐらをつかみ、強制的に立ち上がらせると、無表情の顔が見えた。

 おびえているのだと思っていた。だが、そこからは一片の恐怖も感じられない。

 そのことに腹が立った。まるで、自分が舐められているような気がした。

「お前気持ちわりーんだよ!」

 罵倒すると、自然と握られた拳が相手の顔に飛んだ。

 男はよろめき後ろに後ずさる。それでも、なにもいわない。

「なんとか言ってみろよ、おい」

 そう吐き捨てたとき、

「いつもそんなことしてるの」

 男がか細い声で言った。

「はあ?」

 そういい、ハンと鼻を鳴らす。「ああ、そうだよ。お前みたいなキモい奴ブン殴ってんだよ。なあ、お前サイフ持ってるか、よこせよ」

「そんなことしてて、楽しい?」

 質問に答えず、逆に質問を投げてきた。

 それに苛立ち、みぞおちに蹴りを入れると、男は呻いて腹を抱えた。

「ああ、本当に楽しいわ。最高に楽しい」

 男は二度、せきをした後「楽しかったんだね……よかった」といった。

 よかった?

「何がよか――」

 よかったんだよ。そう答え、また殴ろうと拳を上げたとき、ニィっと頬を吊り上げて笑う、不気味な男の顔が見え、体が固まった。

 この暗闇だというのに、その顔は自ら発光でもしているかのように、ハッキリと見えた。

 その笑顔のまま、男は言った。

「じゃあ……死のうか」

 

 

 

「お久しぶりです、田所先生」

 下北沢病院に入るや、ロビーで待っていたのか石井はすぐさま田所の元へと歩いてきた。

「ああ、久しぶりだな。ところで話とは」

「それは中に入ってからお話しします」

 石井がそういって病院の中へと歩き出すと、田所も後に続く。

「最近の救命救急はどうだ」

 田所は聞いた。

「大変ですよ」

 石井は笑って答え、エレベーターに乗った。「もう毎日てんやわんやで、いますぐに連絡が来たっておかしくない」

「その割には、楽しそうにも見える」

「やりがいがありますからね」

 目的の階につきドアが開くと、ずいぶんと静かな廊下にでた。

 他の患者の気配はない。普通では出入りしない、特別な場所のようだ。

 そこをさらに奥へと進んでいく。

「そういえば、二月ほど前この辺りで大量殺人事件があったそうだな。患者たちは君の所に来たんじゃないか」

 田所が言うと、石井はぴたりと足を止めて振り返った。

「実は、いまからする話は、それと関係があるんです」

 そう答え、そばにあるドアを開き中に入った。

 小さな部屋だった。中央に長椅子が一つと、その周りに椅子が4つ。そして奥にはホワイトボードが置いてあり、それを見た瞬間、思わず声がでる。

「なんだ、これは」

 ゆっくりとホワイトボードに近づきながら、そこに貼られたいくつかの画像を凝視する。

 左に一つあるのは頭部を横から断面図で見たMRI画像。

 そこに映っている脳は、一般のそれとは大きく違う部分があった。

 脳は大きく三種類に分けられる。

 脳の大部分、8割強を占める大脳。

 うなじあたりにある小脳。

 大脳から脊椎につながる脳幹。

 その大脳と小脳の間に、いままで見たことがない、ピンポン玉ほどの塊が見えた。

 右には頭上から見た脳の断面図、CT画像がいくつか張られていた。

「少し前に起きた大量殺人のことですが」

 石井がいった。

「ああ、確か、ここからそう遠くない公園で、6人の少年たちが無残な姿で発見されたと」

「そうです。このCTとMRIは、その殺害現場にいた犯人と思われる人間の物です。年齢は14歳、下北沢に母親と二人で住んでいました」

「14?そんな子供がやったのか。たった一人で」

「ええ。しかも、その行動は常軌を逸したものです」

 石井は机に置いてあったファイルを手に取り、開いた。「6人の少年を殺害し、その遺体と肛門性交。その後、彼らのペニスを切断し、自らの肛門に挿入し、自慰行為を行っています」

 あまりにも異質な行為に、田所は唖然とし、口に手を当てた。

「信じがたいな、何かの間違いじゃないのか。そもそも、いったいどうやって、たった一人の少年が6人もの人間を殺害したというんだ」

「超能力ですよ」

 田所は一間、口を開けて固まり「ちょ、超能力」と首をかしげた。

「サイキック、PSI、神通力。呼び方は様々ですが、まあその類ですね」

「冗談だろう?」

「僕もそう思っていましたよ、この目で見るまでは」

 田所はじっと石井の顔を見る。

「見たのか」

 問うと、石井は頷いた。

「はい。彼がここに来た時に、様々な物を浮かせてみせました」

「手品かなにかでは?」

 そう聞くと、石井は首を振る。

「彼は八王子留置所から、警察に連れてこられたんです。どうやって種を仕込むんですか」

 確かにその通りだと思い、田所は黙った。

「まあなんにせよ、僕はこの脳にある未知の物体が、彼の奇行と超能力に作用しているものだと考えています」

「超能力に関しては分からないが、少なくとも奇行についてはそうだろうな」

 田所はじっとMRIの画像を見る。

 通常の場合、脳と頭蓋骨の間には微かな隙間があり、そこには脳脊髄液という液体で満たされている。

 だが、目の前にある画像には、その隙間が見当たらない。

 大脳と小脳にある謎の物体が、周りを押し、隙間を埋めてしまっているのだ。

 当然、脳は圧迫され、それに伴って脳機能障害がおこるはずだ。

「症状は」

 田所が問うと、石井は手元にあるファイルのページをめくった。

「体調によって様々です。普通に過ごしているときもあれば、軽いもので頭痛、吐き気。時に重くなると、記憶障害、認知思考情動障害、情緒交流不全症、翻弄性幻覚妄想症候群などが見られました。これは超能力が使えだしてから発病し、日に日に悪化しているようです」

「深刻だな。しかし、どうしてこれを私に。興味深い話だが、わざわざ呼び寄せてまで聞かせる話でもなかったんじゃないか。摘出なら君でもできるだろう」

「おっしゃる通りなんですが、一つ問題がありまして。この患者、名をみのる君というんですが、手術を拒否しているんです。どうも、自分を観察対象と見ている人間には、手術されたくないと」

「観察対象?君は彼の命を救いたいんじゃないのか」

 石井は小さく吐息を吐くと、唇を舐めてファイルを閉じた。

「そうです。でも人間の感情というのは、常に一辺倒というわけではありません。例えば、あなたがこれから昏睡レイプをするとしましょう、対象は二択です、一人はジム通いのガチムチ、もう一人はプール通いの細マッチョ。先生ならきっと、後者を選ぶでしょう」

 田所は頷く。

「その通りだ、異論はない」

「でも、だからといってガチムチが嫌いなわけではない、なんだったら好きでもある。だから、ガチムチもいいけど、やっぱり細マッチョがいい、とおもいながら選択するわけです。つまり、言葉では細マッチョといいつつも、その時のあなたの感情は、すべて細マッチョに向いているわけではない」

「要は、君の中にはみのる君に対する観察対象としての興味が、完全にないとは言い切れない、ということか」

 田所がそういうと、石井はホワイトボードの前に立った。

「目の前にあるのは、人智を超えた存在です。原因であると思われる謎の脳。それを見たいと思ってしまうのは、人間の(さが)というものでしょう。私は、みのる君に対する超能力者としての興味を、完全に消すことはできません。超能力によるものかは分かりませんが、彼はそのことを敏感に感じ取ってきます。きっとこの世界に彼を手術できる医者はいない、ただ一人、あなたを除けば」

「買いかぶりすぎだ。私も人間だよ」

「でも先生なら、彼を助けるためだけに手術ができるはずです。お願いします、先生。みのる君を助けてやってください」

 

 

 留置所とは警察署内にある逮捕された人間が、最初に捕らわれる場所である。

 ここから、取り調べなどの捜査を行い、のち裁判のため拘置所に送られる。

 普通であれば被疑者が罪を認めれば1日程度で拘置所に送られることになるが、みのるは罪を認めているにも関わらず、いまだにこの留置所にいた。

 みのるに対する罪は殺人罪と遺体損壊罪に当たるが、簡単に裁判へはいけない理由があった。

 まず一つに責任能力の有無だ。

 刑法第39条にはこうある。第一項、心神喪失者の行為は罰しない。第二項、心神耗弱者の行為はその罪を減軽する。

 つまり、犯罪を犯した人間の心神に何らかの問題があれば、その罪は無罪になるか大きく減刑されるということである。みのるはそれに該当する可能性があった。

 日本憲法のガバ穴として様々な話や議論の題材にされるこの刑法39条だが、ただおかしな言動だからという理由で、簡単に適用されるほど甘いものでもない。

 精神鑑定医が何か月と時間をかけ、その末に心神の状態を診断するのだ。その間は裁判が行われることはなく、みのるはいまその診察段階にあった。

 次に殺害方法の問題だ。

 みのるは超能力によって6人の人間を殺害したが、日本政府はこのことをおおやけにするべきか悩んでいた。

 あまりにも信じがたい内容である上に、下手にこのような殺人可能である超能力のことを知らせれば、多くの国民に混乱を招く可能性があった。

 そのため、みのるの能力を知っている人間は現在でもごく一部にとどめられており、精神鑑定が終わったとしても、拘置所に送るかどうかの判断はまだなされていなかった。

「こちらとしても、どう対処するか困っていましてね」

 下北沢警察署、ガランとした最上階の長い廊下で、先を歩く下北沢警察署所長は現状を説明しそういった。

「みのる君は留置所にいると聞きましたが」

 田所は周りを見渡す。「どうも、ここはそういう雰囲気ではないですね」

「このことはトップシークレットですから、他の被疑者たちと同じ独房に入れるわけにはいきません。それと」

 所長は口元を隠すように手で覆うと、ホモ特有の小声で付け加える。「あまり被疑者の名前を出さないようにお願いします。どこで誰が聞いているかわからないもので」

「ああ、申し訳ない」

「いえ……ともかくですね、彼の超能力だけは何とかしていただきたい。被疑者は精神障碍者と聞かされています。いつこちらが殺されてもおかしくない」

「すべての精神障碍者が、犯罪を犯すとは限りません。確かに他害性があるものもありますが、同じ精神疾患でも個人差がありますし、それも一握りです」

「ですが、被疑者は」

 またホモ特有の小声で続ける。「殺人をしています、それも6人も」

「おっしゃる通りですが、それは精神疾患とはまた別の理由があった可能性もあります」

「なんであれ、起きた出来事が事実なら、被疑者が人殺しであることは変わりません。では、私はここで」

 そういって所長は足を止め、少し先にあるドアを手で示した。

 そこにはヘルメットに防弾チョッキを着て、手にマシンガンを持った見張りらしき男が二人立っている。

 どうやら所長は、みのるの近くに行くのが怖いようだ。

「どうも」

 所長にそういって、ドアまで歩いていくと、警備の二人に一礼し「失礼」と中に入ると、そこはまるで高級ホテルの一室だった。

 30畳ほどの大きさだろうか、横に長い部屋になっており、奥にみえる壁一面の窓からは下北沢が一望できた。

 左手にダブルベットが一つ、その手前に薄型テレビがある。中央にはガラス製の大きなテーブル。その手前と右側に、革製のソファーが置かれてある。

 その右側のソファーに、白い衣服に身を包み、耳にイヤホンをした、みのるらしき少年がいた。

 田所が入ってきたのは分かっているだろうが、その目線は手にある小説に向いたままだ。

「石井君から話は聞いているかな、田所というものだ。座るよ」

 田所は手前のソファーの端に座った。テーブルの上には開かれたスナック菓子と数冊の本が積まれて置かれている。

 みのるが横目でちらりと田所を見たが、すぐに目線を戻す。

 生意気で礼儀知らずな行動にも見えるが、こちらを品定めしているようにも感じる。

「医者をしているものでね、君の手術をさせてもらいたい」

 そういうも、みのるは反応をよこさない。

 じっとみのるを見ていると、耳のイヤホンから微かに音楽が聞こえてくる。

 相当なボリュームで聞いているようだ、こちらの声は届いているのだろうか。

 そう思ったとき、

「ガガーリン」

 ふと田所がそう口にすると「え?」と、みのるの顔が上がった。

「NONA REEVESのガガーリンだろ」

 田所はみのるを指さした。「いま聞いてるのは。まるで宇宙船にいるかのようで、それでいて宇宙の無限を感じるような、テクノ調の独特なリズムだ。一度聴いたら忘れない」

 みのるは、フっと乾いたような笑いを漏らすとイヤホンを外し、コードの伸びるポケットからアイフォンを取り出すと、テーブルの上に置いた。

「石井先生から聞いたの、僕がNONA REEVESが好きだってこと」

 どうやら、本当に田所がNONAを好きなのか疑っているようだ。

「いや、聞いちゃいない。ただ、私もNONAが好きなだけだ」

「一番好きな曲は」

 突然、みのるが質問を投げ「ふーむ、そうだなぁ」と田所は顎に手を置く。

「I LOVE YOUR SOUL。DJ!DJ!、とどかぬ想い……ブラックベリー・ジャムも捨てがたいが、やっぱり私はHARMONYが一番好きだな、うん」

「渋いね、先生」

 みのるはそういうと、先ほどとは変わり、少年らしいあどけない笑顔を見せる。

「あっいやまて」

 田所はなにかを思い出したかのように目を閉じると、みのるに手のひらを見せる。「やっぱり、休もう、ONCE MOREだ。あれが一番……いや、やっぱりHARMONY……うーん、どっちちらも捨てがたい」

「どっちもすごく好きってことだよね」

「まあ、そういうことだ。こればかりはどちらか選べない」

 田所は腕をくみながら、みのるを指さす。「君が好きな曲を当てようか」

「分かるの、先生に」

「ガガーリンが好き何だろう?なら……Mr Melody Makerだ、違うか」

 みのるはにやけながら、もったいぶるように間を持たせ、

「残念、違う。それは二番目」と首を振った。

「ああ、違うのか。なら、あれだろうStop Meだ。Melody Mekerとどっちか悩んだんだ、きっとそうだ」

 みのるが頷くのを見て「ほらそうだ」と田所は指を二本立てた。

「2択で悩んでいたんだ。本当だぞ、すでに頭の中にはあったんだ。決して間違えたわけじゃない、なんせ一番と二番を当てていたんだから」

「分かった、分かったよ」

 しつこく主張する田所を、みのるは笑ってなだめる。

 不意に、みのるが持っている本に目がいった。

「トム・ソーヤーの冒険か」

 ボソリと田所は本の題名を口にした。「好きなのか」

 聞くと、みのるは答えづらそうに、目線をそらした。

「まあ……ちょっと子供っぽいけどね」

「そんなことはない。私も昔読んだことがある、いい話だ。それに、これは私の持論だがね、現代の若者、というよりも老若男女ふくめ人間たちは本を読まない。だから、心に余裕がないんだ。相手のことを考えず、自分のことだけを考えるから。他人には他人の、いろいろな考え方があると、本は教えてくれる。特に、トム・ソーヤーの冒険のような本はね。だから本を読む人間は……いや、本といっても色々あるが、とにかくトム・ソーヤーの冒険を愛読している人間というのは、みんな優しい……少なくとも」

 田所は肩を落とし、小さく付け加える。「6人の少年をなんの理由もなく、殺すはずはない」

 一瞬の間の後、みのるの表情に陰りが見えた。

「たいした理由なんてないよ、ただウザかっただけ」

 田所は眉を寄せ、首をかしげた。

「本当にそうか。何か嘘をついていないか」

「別に。それに先生は僕の手術をしに来たんでしょ、例え嘘だとしても先生には関係ない」

「確かにそうだが、とても信じられなくてね。君の超能力も含めて」

「手品だとでもいいたいの。大の大人たちが、僕を怖がって近づけないんだよ」

「私はその辺と大人とは少し違っていてね、自分で見たもの以外、信じないんだ」

「ふーん」

 みのるは視線を田所の足元にやると、ゆっくりと顔まで上げる。「なら、先生が履いてるパンツを当てようか」

 田所は自分の股間に目をやり「ああ、いいぞ」と顔を上げて答えると、みのるは口に拳を当て、プっと噴き出して言った。

「灰色のブリーフ」

 その瞬間、田所のうなじあたりを突然、寒波が撫でたかのような冷たさを感じると、じっとりと額に汗をかき、戦慄した。

 なぜ……私のパンツを。

 事実、田所が履いているのは灰色のブリーフだった。助手であり、炊事洗濯を任せる遠野以外には、常にばれないよう努めていた。

 いい年こいてブリーフを履いているなんて知られたら、メチャクチャ恥ずかしいからだ。

 だが、目の前の10ほども年齢が下の少年に、それを見抜かれてしまった。

 もう、みのるが超能力者かどうかは頭になかった。田所はいま、ひたすらにどう弁解すべきかを考えていた。

「いや、これは伸縮性のあるボクサー型の……ちょっとスパ……ッツに近い感じのパンツだ」

 我ながら苦しい言い訳だと思った。

 それに対し、案の定みのるは悪意に満ちた表情で尋ねる。

「なに、いつもブリーフ履いてるの?」

 ――このガキ。

 ググっと歯をく強い張り、田所は右の目じりを下げた。

「いや……うーん、ブリッ、ブリーフもいいんだけど、ふたいたいはボクサー型の――」

 そのとき、不意に視界に入ったスナック菓子を目にし、田所は口を閉ざした。

 それは誰の手にもつかまれておらず、宙に浮いている。

「先生、落ち着いてよ」

 声がして視線を移すと、みのるはにやけたまま首をかしげた。「食べる?」

「いや……いい」

 そう答えると、宙に浮いた菓子は一直線にみのるの元へと向かい、口に入っていった。

「どう、信じてもらえた?」

 みのるが菓子を食べながらそういうと、田所は頷く。

「ああ、まあ信じよう……ブリーフではないが」

 みのるはあきれたように首を振った。

「まあ、そういうことにしとくね」

「ただ、超能力だけだ」

 田所は手を組み、テーブルに肘をついた。「やはり、君が殺したとは思えない」

「先生もしつこいね、せっかく仲良くなれると思ったのに、僕むかついてきた」

 みのるの目がすっと細くなり、敵対心をもった表情で田所を見る。「先生も殺しちゃつよ、あいつらみたいに」

 それを見た田所は、そんなもの屁でもないといわんばかりに鼻を鳴らすと、ゆっくりとソファーに体を預けた。

「トム・ソーヤは」

 田所は立てた人差し指を振りながら言った。「少々反社会的な面もある。だが、やさしく、仲間思いで、正義感の強い少年だ。なんの罪もない医者を殺すことはない」

「なんの話?僕はトムじゃない」

「だが、そんなトム・ソーヤが好きで、憧れているから、その本を読んでるんじゃないのか」

 みのるは視線を横にやると、かすかに唇を噛んだ。 

「何よりもだ」

 田所はテーブルの上にある、みのるのアイフォンの隣を、指でトントンと叩く。「NONA REEVESだ」

 それを冗談だと思ったか、呆れたように首を振る、みのるに「まて、これは冗談じゃないぞ」と田所はいう。

「私は色々と人間を見てきたが、その上で絶対に言い切れる一つのことがある。NONAを好きな人間に、悪い奴はいない、これだけは絶対にいい切れる。本当だ」

「好きな歌手で人の良し悪しがわかるの?」

「ああ、わかるさ……君は絶対に悪い人間なんかじゃない。だから頼む、教えてくれ。どうして少年たちを殺したんだ」

 田所がそう言と、みのるは肩を落とし、そわそわとせわしない様子で両手を組み「僕のいうこと、信じてくれる?」と田所に聞く。

「もちろんだ」

 そう答えると、数秒の間の後、みのるは言った。

「僕の中に……もう一人、僕がいるんだ」

「もう一人の自分?」

 田所は首をかしげる。

「うん……たまに、頭の中で僕に話しかけてくるんだ」

「そのもう一人の自分が、少年たちを殺せと」

 みのるは目を閉じて、首を横に振る。

「ちょっと、違う。最初は、僕があいつらを邪魔だって思ったんだ。毎晩毎晩うるさいし。いろんな噂も聞いた。万引きとか、男を集団でレイプしたりとか……とにかくいろんな。そしたら、あいつが言ってきたんだ。あいつらを殺せって、お前ならやれるって」

「それで、君はなんて返したんだ」

 田所はぐっと体を前に出して聞いた。

「そんなことしちゃダメだって、言い返したよ。でも、あの時は思っちゃったんだ、あいつらなんて死んだ方がいいって、そしたら――」

 そこまで言うと、みのるはぐっと口を閉ざし、肩を落とした。

 その肩に田所は手をそえる。

「殺してしまっていたんだな、いつの間にか」

「いや、いつの間にかってわけじゃないよ。ただ、よく覚えていないんだ。あいつらを殺しに行ったのも、蹴られたのも覚えてる……でも、記憶があいまいなんだ。まるで、夢の中みたいに」

「そうか。君はそのことを後悔してるんじゃないのか」

 眉を下げ、自責の念を見せる、みのるに田所は続ける。

「その頭の中で語りかけてくる声以外にも、たくさん症状があるんだろう。日に日に悪化して、このままじゃ死んでしまう。手術を受けてくれ、みのる君」

 懇願する田所に対し、みのるはなにかを考え込むように下を向き、答えない。

 しんとした静粛が1分ほど流れた後、みのるは口を開いた。

「先生、僕には……殺さなきゃいけない人間がいるんだ」

「殺さなきゃならない?」

 田所は慌てて聞いた。「いったい、誰なんだ」

「そいつらはね」

 みのるはゆっくり立ち上がると、奥に歩き、窓の前に立って下北沢を見下ろした。「僕のお父さんを殺した連中なんだ。もし頭の手術をしたら、きっと超能力は使えなくなって、そいつらを殺せなくなる」

 みのるは窓に手を添えると、視線の先にあるビルを睨みつけた。

「君のお父さんは、誰に」

 田所が隣に立つと、みのるは黙って窓から見えるビルを指さした。

 そこには日本ペイ○トと書かれたビルが立っていた。

「日っぺ?」

 田所はそう呟いて、みのるを見る。「どうして、日っぺに君のお父さんが」

「僕のお父さんはあそこで働いてたんだ、でもあるとき急にやめされられた……お父さんが……ノンケだったから」

 いまにも泣き出しそうな目をしながら、怒りに体を震わせるみのるをみて「そうか」と田所はその心中を察する。

 同性愛者、通称ホモやレズと対照の存在であり、圧倒的性的少数派の異性愛者、通称ノンケは、古来から様々な地域で迫害を受けてきた。

 今でも、男女の淫行を闇の儀式と考え、それを罰する法律が存在する国もあるほどだ。

 日本でも少し前までは、ノンケは恥ずべき存在であり、異性愛者たちは自分がノンケだとばれないように隠れて過ごしていた。

 いまではそういった差別もなくなり、そもそも子供が産めるんだから、本来ノンケの方が多いのが普通なのではないかという話もあるほどだ。

 しかし、それでもノンケは気持ち悪いと思っている人間は、現代にも確かにいる。

「会社を辞めさせられた後も、ノンケを採用してくれるところはどこにもなかった。それから、一月ぐらいたったかな……リビングでお父さんは……」

 みのるは悔しそうに唇を噛んだ。

 父親はリビングで自殺していたのだろう。

「優しいお父さんだった」

 みのるはいった。「最後、家から出かけるときも……僕の頭を撫でて――」

 そこまで言うと、みのるは言葉を詰まらし、下を向いて嗚咽を漏らした。

「みのる君」

「分かってるよ先生」

 田所の言葉を、みのるはすぐに返すと、顔を上げて鼻をすすった。「分かってる、そんなことしちゃダメだ……きっとお父さんも喜ばないしそれに」

 みのるは田所の顔を見て笑った。「トム・ソーヤだって、そんなことは絶対にしない」

 田所はほほ笑みながら、小さくうなづいた。

「ああ、そうだな」

「だから先生、僕は手術を受けるよ……その代わり」

 みのるはまた、あどけない表情でニッと笑った。「絶対に先生が手術をしてね、約束だよ」

 

 

「ふざけるな!」

 所長室に田所の怒号が響くと、その拳が所長の座る机に振り下ろされ、ドンと音が鳴る。「今すぐ手術をできない上に、薬も服用できないだと?貴様らは本気で言っているのか!」

 その音にビクっと体を揺らした所長は、ハンカチで額を拭いた。

「本気も本気です。これはあなた個人や、私ども警察署の問題ではなく、国防にかかわってくるんです。何もするなと防衛省のトップからの命令です。それを無視すれば、下手をすると国家反逆罪になりかねません」

「ならその自らの保身だけしか能のない、マヌケな防衛省のお偉いさんにいってやれ、少しは頭を使えとな。彼は非常に不安定な状態なんだぞ、すぐに手術しなければ命に関わる可能性だってある。精神疾患の薬すら与えられないなら、彼の症状はさらに悪化する。手術で頭は元に戻っても、精神の治療には莫大な時間がかかるか、もう戻らなくなるかもしれないんだぞ」

「ですが、その薬が被疑者に悪影響を与えないとはいいがたい」

「だからと言って、悪くなる症状をただ放置するのか」

「それはまあ、仕方ないと考えてください。それに、明日には手術の許可がでるとの予定ですから」

「貴様らの予定なんぞあてにならん」

 田所は踵を返し、ドアに向かう。「みのる君を連れて行かせてもらう」

「ちょっと待ってください、そんなことすれば、国家反逆罪に――」

「知ったことか!」

田所は肩越しに所長をにらみつけた。「少年の命を救うことの何が反逆だ!なにが罪だ!捕まえたければ勝手にしろ、私は――」

 ――先生。

 突然、みのるの声がして黙った田所は、周囲を見渡す。

 どこにもみのるはいない、だが確かに声が聞こえた。

「みのる君か」

 名を呼ぶと、

 ――そうだよ。

 と頭の中から声が聞えてきた。

 どうやら超能力の一種のようだ。

 ――先生、僕を心配してくれてありがとう。でも捕まっちゃうのは僕も嫌だよ。

「だが君は危険な状態だ」

 ――分かってる。でも僕なら大丈夫だよ、信じて。

 ため息を吐いて「分かった」と田所は答え、踵を返し所長の前に立つ。

「手術の予定が決まり次第、連絡をください。そしてその間、みのる君に余計なことをしないようにお願いします。では、失礼します」

 すぐにその場を去った田所は、携帯を取り出して電話をかけた。

「どうも、田所です。実はある会社の人間たちについて、調べてほしいんですが」

 

 

 夜、真っ暗な部屋の中、ざわざわとした感触が、足元から湧き上がってくる。

 今日も来た、とベッドで目を閉じる、みのるは思った。

 それが全身を覆うと、まるで無重力空間に落とされたかのように、全ての感覚があいまいになる。

 頭が痛み、時間の流れがどんどんと分からなくなってきた。

 この状態になると、決まってあいつの声が聞えてくる。

「みのる!みのる!おい!お前こんなところで何をしてる、窮屈だ、さっさと出よう!」

 頭に響く声を、みのるは無視する。

「こんなの人権侵害だ!殺せ!見張りを殺して外にでよう!お前は神だ、お前ならできる!」

 いつもなら、こいつの言葉に反論するところだが、今日は返さない。

 それを察したのか「なんだぁお前……もしかして医者のいってることを信用してるのか」と声はどこかいつもと違う様子でいった。

「バカ!どいつもこいつも嘘をついてるんだ!あの医者もお前を殺したいだけだ!信用するな!お前の友達は俺だけだ!」

「先生は信用できるよ」

 みのるは自然とそう返した。

 本当に田所が信用できるか、不安だったからじゃない、確信があったからだ。

「バカ!バカ!バカ!」

 声は発狂したかのように声を荒げる。「騙されてるんだ!俺たちは騙されてるんだ!気づけ!気づけ!殺しに行こう、お父さんを殺した奴らを、殺しに行こう」

 さらに無視を続けると「みのる……」と声は弱弱しくなった。

「騙されるな……お前は……殺したいんだ……あいつらを……」

 その言葉を最後に、声はどこかに引きこもってしまったのか、ぱったりと聞こえなくなった。

 今だ、体の感覚は戻らない。この状態だと感情が定まらず、混乱状態に近くなる。

 たとえそれでも、みのるの田所に対する信頼は揺るぐことはなかった。

 何といっても、NONA好きに、悪い人間はいないのだから。

 

 

 

 

 予定は2日も押し、やっと手術が許可された。

 手術当日、みのるは警察署、最上階の部屋で、静かにそのときを待っていた。

 声はあの時を境に、まったく聞こえなくなった。その他の症状もまったくでなくなった。

 あの声が全ての元凶だったのだろうか。なんにせよ、今日でそれは終わる。

 ドアが開き、見張り役だった二人は中に入ってきた。

「手術の時間だ。連行する」

 連行。その冷たい言葉に少し眉をひそめたが、まあいいと、みのるは立ち上がった。

「これを付けさせてもらう」

 右の見張りがそういって、黒く、長細い布を前に出した。

「目隠し?」

 そう問うと、見張りは静かに頷いた。

「上からの命令だ」

 みのるには透視能力があり、そんなものは無意味であったが、さっさと手術を受けたかった、みのるは「分かった」と承諾する。

 ゆっくりと見張りの一人が近づいてきて、目のあたりに布を近づける。

 その手は、見るからに震えていた。

「大丈夫だよ、別に怖がらなくても」

「――うっ」

 安心させようと、みのるが声をかけると、見張りは声を出して布を落とした。

 ちょうど目の前に、見張りの手が見えたその刹那、視界にある光景が広がる。

 家の玄関。そこに立つ黒い影。

 父親だ。

 それがみのるに向かって、手を伸ばしてきている。

 頭を撫でる手の感触。

 すぐ帰ってくる。

 そう言って、出かけた。

 いつもの時間、帰ってこない。

 どこに行ったの?

 探さなきゃ。

「オトゥーサン……オトゥーサン……」

 薄く開いた口から、父を呼ぶと、いつの間にか見張り二人がみのるに向かい、マシンガンを向けていた。

 探しに行かなきゃ。

 見張りの後ろにあるドアに向かい、一歩踏み出すと「止まれ!止まらないと撃つぞ!」と見張りが声を張り上げる。

 だが、その言葉は、みのるの耳には入ってきてはいなかった。

 さらにもう一歩、足を踏み出した瞬間、マシンガンの連続した発砲音が、部屋の中に轟いた。

 銃口から発せられる光が、みのるを照らし、薬きょうが床に落ちていく。

 マガジン内にあるすべての弾丸を打ち尽くした後、見張りの二人は手に持っていたマシンガンを手から離した。

 放たれた弾丸はすべて、みのるの少し前で浮き、止まっていたからだ。

 その弾丸が全て落ちると、見張りの二人は声を上げて部屋から出て行った。

 茫然とみのるは立ち尽くしていた。いま自分が何を考え、なにをすべきかよくわからなかった。

 ふと父親を捜しに行こうとしていたことを思い出し、ドアから外に出ようとしたその時、

 ――待て!待て!待て!

 頭の中から声が聞えてきた。なんだが、懐かしい感じがした。

「何?」

 みのるは声に聞き返す。

 ――そこから行かなくてもいい!窓!窓をぶっ壊せ!そっちの方が早い!

「ああ、そっか……そっか」

 振り返り、窓に開いた手のひらを向けると、すさまじい音を立てて窓が砕けた。

 そこから飛び降り、道路に着地する。

「あれ……どこ、どこ行くんだっけ」

 ――日っぺ!日っぺだ!殺しにいくぞ!殺しにいくぞ!

「そうだ、殺しに行くんだ」

 みのるはふらふらとした足どりで、日っぺの本社ビルへと向かった。

 耳をつんざくような、強烈なクラクションの音。

 それで、みのるはいつの間にか、十字路の中心に立っていることに気が付いた。

「うるさいな」

 そう呟くと、車に乗っている人間の目が、自分を侮蔑しているように思えた。「何?僕のことバカにしてるの」

 ――そうだ!そうだ!バカ!バカ!

「バカ?……なんで、なんで僕はバカなの?」

 ――頭が悪いからだ!間抜けだからだ!みーんなお前をバカにしてるぞ!ギャハハハハ!

「バカじゃない……僕はバカじゃない」

 手を耳に強く当てるも、声が止むことはない。

 ――バーカ!バーーカ!

「僕はバカじゃない。僕はバカじゃない」

 みのるが言葉を連呼すると周囲の塵や木の葉が、ゆっくりと地面から離れていく。

 ――バカが何か言ってるぞ!バカが何か言ってるぞ!

「僕はバカじゃない。僕はバカじゃない」

 さらには、みのるに一番近い車の前輪が浮き出し、次々と運転手たちが車から降りていく。

 何台もの車が宙に浮き、信号機がギチギチと音を立てると、歩いていた人々は恐れるような声を上げ、みのるから遠のいていく。

 周囲の建物の上や、遠く離れた場所にいる人間たちが、みのるの様子をじっと見ていた。

 ――見ろ!見ろ!みんなお前をバカにした目で見てるぞ!人気者だ!バカの人気者だ!ギャハハハハ!

 みのるは息を荒げながら、体を回して周りを見る。

 自分に向いている視線がうっとおしかった。ウザったかった。

 すると、その視線を通じて、その人間たちの声が頭に流れ込んでくる。

 バカ。マヌケ。池沼。クソノンケ。

「僕はバカじゃない……僕は――」

 肺いっぱに空気を吸い込み、そして――「僕はバカじゃない!」

 力いっぱいに叫んだ瞬間、みのるの周囲にあるすべてのガラスが砕け、音を立てて落ちた。

 女性の金切り声と、車の防犯ブザーが共鳴する。

「うわあああああ!」

 さらに叫ぶと、宙に浮いた車が空に放り投げられ、建物や道路の上に落ちる。

 曲がった表札。建物から砕け落ちる瓦礫。ひっくり返った車から渦巻く黒煙。

 まるでその空間だけ、突然全ての生物がいなくなったかのように静まり返り、ただ防犯ブザーの音だけがむなしく響いていた。

 ――いいぞ!いいぞ、みのる!じゃあ行こう!早く行こう!

「行く?……行くってどこに」

 ――日っぺだよ!日っぺ!

「そうだ……日っぺだ……日っぺにいって……オトゥーサンを、オトゥーサンを殺したやつらを」

 みのるは不気味な笑みを浮かべた。「殺しに行くんだ」

 ――そうだ!そうだ!その通りだ!

「オトゥーサン……オトゥーサン……」

 そう口にしながら、みのるは歩を進めた。

 

 

 特殊急襲ゲイ部隊。英名で Special Assault gay Team。通称ゲイは、下北沢のみに存在する、テロ等の重大事件に対する鎮圧などを目的とした部隊だ。

 下北沢警察署から出発した二台のゲイのボックス車両が、法定速度を大きく上回る速度で、みのるの元へと向かっていた。

「いったい国はなにをやっている!」

 車両の一つ、ボックス内の壁一面が通信機で埋め屈され、指令室となっている部屋で、ゲイ司令官の板倉は叫んだ。「この一大事に、なぜ自衛隊が動かない」

 先ほど、国に対し自衛隊の要請を行ったが、相手はまだ許可が取れないの一点張りだった。

 自衛隊は原則として国防以外では活動できない。相手は超能力者といえど、少年一人。それを鎮圧する行為は、国防といえるのか。なにもしない決定権だけを持っている人間たちが、円卓を囲んで、無駄に長い議論を興じているのだろうが、

「相手は6人を一気に殺せるうえに、重火器も無力化できるんだぞ」

 板倉は歯を食いしばる。「それが暴れているんだ、自衛隊が動かなくてどうする」

 吐き捨てるようにそういうと、指令室内は嫌な沈黙に包まれた。

 ヘッドフォンとマイクを取り付け、通信機に座る数名の通信手や、もう一つの車両の中で、すでにスイッチの入っている、マイク越しにきいているであろうゲイ隊員たちも、なにも言葉を発さなかった。

 目標の細かい情報はほとんどなく、どんな行動をしてくるかもわからない。

 隊員の人数は8名。狙撃手が4名と、それに付きそう観測手4名。

 未知の相手と戦うにしては、あまりにも人数が足りない。だが、黙ってみているわけにもいかない。

「相手の能力は未知数だ……常にそのことを留意し、任務に当たれ」

 指揮官として、そんなありきたりな言葉しかかけることができない自分に、板倉は悔しさをにじませた。

 

 

「彼女とか、いらっしゃらないんですか」

 狙撃点である商業ビルの上で寝そべり銃を構えたホリに、観測手である裕がそう聞くと「いるわけないだろ」とそっけなく返し、周りを見渡した。

 下北沢全域に出た避難勧告により、人の気配は一切ない。

「いや、相手は化け物ですよ。ここで死ぬかもしれない。そうなると愛していた人間に一言残しておきたいものじゃないですか」

 そういって、裕は望遠鏡をのぞいた。

「俺たちはいつだって、常に死ぬ覚悟で現場に向かう。そういうのは先に済ませるもんだ」

 まあ、そんな相手もいないのだが。「目標は」

「見えません」

 裕は望遠鏡を下げた。「しかし、本当に目標はここに来るんですかね」

「目標がどこに向かっているかわからないからな。こればかりは運だ」

「運が良かったら来るのか……それとも悪いから来るのか」

 ホリはフっと鼻を鳴らすと「今朝のホモ占いは、最下位。12位だった」とつぶやく。

「あ、僕はじゅう――」

『ゲイ1.目標視認。6時の方角』

 瞬間、別の班からの視認報告が来ると、裕は望遠鏡を覗く。

『ゲイ2.目標視認』『ゲイ3.目標視認』

 その数秒後、裕はマイクのスイッチを入れる。

「ゲイ4.目標視認」

 ホリも目を凝らすと、建物の間から、ゆっくりと歩いていて来ている目標が見え、スコープを覗いた。

「狙えますか」

 裕にそう聞かれると、堀は首を横に振り、マイクを入れる「こちらゲイ4.目標狙撃地点の射線付近に、建物が一つ。目標の補足は可能ですが、建物に当たる可能性があります」

 建物に当たれば、跳弾により仲間や、まだどこかに残っているかもしれない民間人がケガをする事もある。

 避難勧告は出ていても、民間人には常に警戒しなければならない。

『ゲイ4は待機。ほか三部隊で狙撃を行う』

 すぐに板倉の命令がくる。『目標狙撃地点に入り次第、発砲しろ』

 全部隊からの了解を聞くと、裕はほっと胸をなでおろした。

「いやいや、運が悪い」

「気ぃ抜くな」

 冗談めいていう裕に、ホリは目線鋭く言った。「本当に悪いかもしれないぞ」

 

 

 板倉はゲイ1. 2.3の観測手から送られてくる望遠鏡の映像を、モニター越しにじっと見ていた。

 1と2は前にいる目標から500m離れた位置の左右から。3は1の50メートル程後ろからの射撃を行う。

 目標狙撃地点まで、あと数メートル。

 自分が歩けば数秒の距離。目標はそれを、じりじりと進んでいく。

「一メートル前まで来ました」

 通信手の声が響くと、板倉は手にじっとりと汗をかいた。

 目標の足が、一歩……二歩……三歩進んだその瞬間――

 パン――パンパン。

 ボックスの外から聞える、三発の発砲音。

 それと同時にモニタ―から見えたのは、目標の周囲に浮かぶ、3つの弾丸。

 バカな……狙撃の……弾丸を――そう思った次の瞬間、1.2.3のモニターに止まっていた弾丸が真っすぐ飛んでくると、隊員の呻き声のようなものが聞えた。

 板倉は息を詰まらせると、すぐさまマイクに叫ぶ。

「なにがあった、報告を!」

『ゲイ1。向かってきた弾丸にスコープをやられました。負傷なし』

『ゲイ2。同じくスコープを破損。負傷なし』

『ゲイ3。こちらは銃身をやられました。負傷なし』

「そうか……」

 板倉は安堵と共につぶやいた、全身から力を抜き、肩を落とした。「……そうか」

 一呼吸置いた後「予備の銃は」と通信手に聞く。

「2丁あります」

 板倉はうなづいてマイクを入れた。

「全班撤退しろ。ゲイ1.2は予備の銃を持ち、再度狙撃する」

『こちらゲイ4。我々はどうしましょう』

 そういえば、まだゲイ4は発砲していなかったことを思い出した。

 声の相手は狙撃手のホリだ。ゲイ内でも古株で、一番の狙撃手だ。板倉が最も信頼を置く隊員でもある。

『我々は移動して、後ろからの狙撃を狙えます。どうでしょうか』

 ホリの提案に、板倉は息をのむ。

 先ほどの狙撃は、全て前からだ。後ろからなら目標に当たる可能性はあるが、相手を刺激しかねない。

 止めた弾丸で長距離からでも反撃もしてくる相手だ。これ以上の深追いは避けるべきだろう、だが――

「できるか」

 板倉はそう聞いていた。それは、ホリの実力と勘を信じていたからだ。

『分かりませんが、試す価値はあります』

 目を閉じ、板倉は1秒足らず思案した後、言った。

「ゲイ4。後方からの狙撃を頼む」

『了解』

 返答を聞いた板倉は、マイクを切ってつぶやいた。

「頼んだぞ」

 

 

「なんであんなこと提案したんですか」

 商業ビルを下りるさなか、裕がその行為を責めるようにいう。

「オレ達で終わらせることができるんなら、そうした方がいい。その方が、他の奴らも安全だ」

「僕たちは危険じゃないですか」

 そのノンケノンケしい反論に、ホリは鼻を鳴らす。

「恨むんなら、今朝のホモ占いを恨め。お前11位だろ」

「10位ですよ!」

「アナルとマンコだ。大差ない」

 地上に降りると、目標の後ろを取るように移動し、建物から半分顔を出して確認すると、目標の背中が見えた。

「あそこの上からいくぞ」

 ホリは二つ先にある、高いビルに囲まれた低めの建物を指さして、腰を落として移動する。

 それはテナントビルで、全5階あった。

 全力で階段を昇り、屋上につながるドアを開けようとしたが、鍵がかかっていた。

「ダメだ。鍵がかかって――」

 振り向くと、裕がいるはずのそこに、知らない短髪の男が立っており「なんだお前」とホリは思わず民間人に素できいてしまった。

「何だって、こっちのセリフですよ」

 男は困った様子で言った。「これ私のビルですから、でてってくださいよ。せっかく確認が終わって、これから避難しようとしていたのに」

「申し訳ありません、我々はゲイです」

「そりゃそうでしょう、だいたいの人間がゲイですもん」

「いえ、下北沢警察署に所属する、テロ等の鎮圧を目的とした部隊のほうです」

 男の目が一転、見開かれる。

「ああ、あのゲイですか」

「はい。いま、凶悪犯の鎮圧を行っています。そのためには屋上に行かなくてはなりません。ご協力をお願いします」

「いや、そういわれても――」

「ホリさ~ん」

 階段の下から、裕がヘロヘロになって上がってきた。「もうちょっと、ゆっくりいってくださいよ」

「バカやろう!お前ゲイの癖に体力なさすぎなんだよ」

 ホリは裕に激を飛ばすと、すぐに男に迫る。「すいません、こちらも時間がないんです、急いでもらえますか」

「そう言われましてもね」

 男はポケットから鍵束を取り出すと、一つひとつ確認していく。「ちょっと、屋上にはですね――あ、ありました」

「ありがとうございます」

 その、焼いてかない?と書かれた鍵を、ホリは強引に取ると、なにか言いたげな男をしり目に鍵を開け、屋上の端に向かうと、100メートルほど先に目標が見えた。

「目標視認」

 そういって、ホリが銃を構えると、隣で裕が望遠鏡をのぞく。

「距離114メートル。風、右斜め前から5・14――」

「あのー!」

 後ろから男の声がして、裕が確認の声を止める。「ちょっと、そこは!」

 ホリが裕と一緒に後ろを向くと、すぐに向き直り、

「無視しろ、早く風の確認を――」

「ホリさん!上!」

 裕の切羽詰まった声がホリの声を遮り、上を見てみると、ビルの屋上にある巨大甲板に、車が突き刺さっているのが見えた。

 なんで……あんなところに車が。

 そう思った次の瞬間、看板がホリ達の方に傾くと、そのまま車ごと落ちてくる。

 逃げなければ。そう本能的に思うも、体が動かない。

 階段は遠く間に合わない。飛び降りれば助からない。

 死ぬ――それを直感し、ホリは目を強く閉じた。

「ヌッ……ハァ……」

 全身に力が入り、衝撃に備えていたが、なにも来ない。

 横にそれたのかと、ゆっくりと目を開くと、眼前にはあったのは宙にとどまっていた看板だった。

 いったい……何が――

「大丈夫ですか」

 声がし、とっさに目をやると、手を上にして、看板を止めているのであろう目標の姿が見えた。「ケガは?」

 ホリは何も答えられず、ただケガはないと、首を横に振る事しかできなかった。

 横では腰を抜かし、目標を見ながらガタガタとその場で震えている裕がいた。

「ケガなかったんだ……よかった」

 目標はそう言って看板を道路に捨てると、音を立てて看板が砕けた。

 なぜオレ達を助けたんだ。

 そう問いたい衝動に駆られるも、立場上、聞くことははばかれた。

 すると、目標は眠そうな目をして、体を揺らす。

「ケガ……ない……でも僕は……頭が」

 頭痛があるのが、つらそうに眉間にしわが寄り、その場で膝をついたと思うと、下を向き、まるで眠ってしまったかのように、まったく動かなくなった。

 突然の出来事に茫然としていると「ホリさん、ホリさん」と裕の小さな声が聞こえ、目を向けると、裕は何かをホリに伝えようと、目標に対し指をさしていた。

 その表情から意図を察すると、すぐさまホリは腰に付けられた予備の拳銃を手に取り、目標に構えた。

 いまなら、やれるかもしれない――いや、やれる。やるんだ。

 ホリは自分にそう言い聞かせると、標準を目標の頭にさだめ、そして――

 

 

「最後の一言を、もう一度頼む」

 ホリの報告はちゃんと聞こえていた。だが、その内容が信じられず、板倉は再度、確認をとる。

『はい。目標はその後、目覚めたかと思うと、なにもいわずその場を去りました』

「その間、君はなにをしていた」

『なにもしていません』

 当然のように、ホリは答える。

 なにもしない。そんなことあってはならない。

「なぜ発砲しなかった。お前もしかして……目標に情でも湧いたのか」

 妙な間の後、ホリは答えた。

『狙撃銃、予備の拳銃ともに、内部が破損していたようで、発砲ができませんでした』

 あり得ない報告に、板倉はため息を落とす。

「それは、便宜上の建前か」

 なにも返さないホリに、板倉は続ける。「本音を言え」

『私は目標に助けられました……そんな相手を、私は殺せませんでした』

「何をふざけたことを言っている!」

 板倉は激昂する。「いいか、君はゲイだぞ!受けた命令は忠実に――」

『え、そんなの関係ないでしょ』

 素っ気もくそもないホリの声に、板倉は口をつぐむ。『これはゲイの問題である前に、人間としての問題です……ですが』

 ホリは力強い声で付け足す。『カリは返しました。次はやります』

「一度命令を違反した君を、また使うと思っているのか」

『ええ、板倉さんなら』

 ホリは自信をもった声で、そう返した。『やらせてください』

 板倉はマイクを切り、目を閉じて天を仰ぐと「まったく」とつぶやき、マイクを入れる。

「ゲイ4が戻り次第、次の目標移動予定地に向かい、ゲイ3以外の班で、狙撃を行う」

 全班からの了解の後『ありがとうございます』とホリがいった。

「礼はいい。早く戻れ」

 そういって板倉はマイクを切った。

 ホリがゲイ隊員という立場以上に、人情を大切にする人間だということは、板倉はよく知っていた。

 そこが部下から慕われ、板倉が強く信頼する所以でもある。

 しかし、目標の殺害、または制圧は急がねばならない。

 ホリの報告によれば、目標の精神状態は非常に不安定のようだ。超能力によるものなのか、それとも別に要因があるのか。どちらかは分からないが、犠牲者が出るのも時間の問題だ。

 せめてどこに向かっているのかだけでもわかれば。そう思っていた時、ドンドンと外からボックス後部を叩く音が聞えた。

 避難勧告を無視したバカのいたずらかと思ったが、その声を聞いて、違うと悟った。

「私は医者だ。君たちは超能力者の相手をしてるんだろう。私は彼のことをよく知っている、開けてくれ」

 中にいる通信手が、一斉に板倉のほうをむくと「開けてやれ」と命令すると、後部のドアに一番近い通信手が開き、そこからがっしりとした、色黒で黒いコートを着た男が入ってきた。

 その瞬間、汚物のようなにおいが鼻を突き、その場の全員が顔をしかめる。

「すまない」

 医者は第一に謝った。「少々急ぎで汗をかいたんだ」

 汗でこんなことになるものなのかと思ったが、とにかく目標について聞く。

「では、超能力者に対する情報を教えていただけますか」

「だがその前にのんでほしい要求がある。彼に対して何もしないでくれ」

 医者の言葉に、板倉は眉をひそめた。

「いったい何をいっているんですか」

「超能力者の名前はみのるといいます。彼は決して人を傷つけるような人間ではありません。私が話し合いで何とかします、ですから彼に対して何かするのはやめてください」

「申し訳ないが、それはできない」

 板倉は即答する。「すでに街には被害が出ているんだ」

「だが、死人は出ていないはずだ。さっきの発砲音は、君たちゲイによるものだな。それで、みのる君は倒せたのか」

「それはお答えできません」

「きっと倒せなかったんだろう」

 医者はまるで現場を見たかのような、確信を持った様子で言った。「それでも、彼からの反撃はなかったはずだ。それもそうだ、彼は簡単には人を殺さない。分かったらなら私に任せてくれ」

 反撃はあった。だが、確かに銃を無力化されただけで、一切の負傷はなかったし、ホリも命を助けられている。だが、

「もう一度申し上げますが。それはできません」

 板倉はきっぱりと断る。「確かに民間人の被害は出ていませんが、街の被害を見ると、それは偶然とも取れます。何かが少しちがっていたら、死人が出ていました」

 ゲイ部隊にも被害が出ていないことと、助けられたことは伏せた。なんであれ、部外者に情報をもらすわけにはいかない。

 確かに、目標は人を簡単に殺す人間ではないのかもしれない。しかし、現状の精神状態を考えると、この医者に任せて放置するわけにもいかない。

「分かった」

 医者は敵対心のこもった目で、ボックス内の全員を見渡し、頷く。「なら、あんたたちに話すことはなにもない。失礼する」

「あ、ちょっと――」

 医者は板倉の声を無視して、すぐに外へと飛び出した。

 板倉も続いて出ると、医者が乗っているのであろう黒色のセンチュリーが、砂ぼこりを上げて横を過ぎ去っていった。

「クソ!」

 すかさず、ボックス内に戻りながらマイクを入れた。「ゲイ部隊、黒のセンチュリーを追え!その車の行き先に目標がいる!」

 

 ――なんでだ!なんで殺さなかった!

 さっきから、声はその話ばかりをしてきて、みのるは嫌になっていた。

「だから……あの人たちは、おとっ、お父さんを殺してない」

 ――お前を撃ったんだぞ!殺そうとしたんだぞ!

「でもお父さんを――」

 ――キィーー!もういい、それより上!上を見ろ!

「上?」

 見上げると、目の前には巨大な日っぺの本社ビルが建っていた。「ああ、そうだ……日っぺだ」

 よく見ると、中にはまだ社員がいるようで、仕事をしている姿が窓から見えた。

 ――こいつら、逃げてないでやんの!フヒヒ!バカが!間抜けな社長が残しやがったんだ!ここいらの奴らみーんな避難してるのに、自分のところだけ残しやがった!

「うん、よかった……お父さんに会いに行こう」

 ――もう!お前は本当にバカだな!もうジジイは死んだだろう!

「え、でもお父さんは会社に行って」

 ――思い出せ!思い出せ!家に帰ってきたときのことを!ドアを開けたときに嗅いだ、糞尿の臭いを!

「あのとき……あのとき」

 みのるが小さくそう連呼すると、意識は頭に浮かぶ映像へと飲み込まれていった。

 学校から帰り、ドアを開けた瞬間、鼻を突く強烈なにおい。

 玄関の奥。居間から漂うその臭いと、言いようのない圧迫感に気圧され、動けなかった。

 心を決めると一歩ずつ足を進め、居間を覗いたときに見えたのは、天井につられた父の姿。

 一瞬の虚無。

 すぐさま湧き出る、疑問、不安、恐怖。

 そして全てをかき消す、怒り。

 煮えたぎるような体の暑さ、それは後頭部に集まってくると、強烈な頭痛を起こす。

 まるで、未知の生命体が内側を食いちぎり、そこから飛び出そうとしているかのような痛み。

 後頭部を押さえつけ、その場に膝をつく。

 唸り、悶え、頭を床に何度もたたきつける。

 叫んだ。何を叫んだのか、覚えていない。ただすべての力を振り絞り、叫んだ。

 すると、声が聞えてきた。

 ――みのる!みのる!

 その声で、みのるの意識が昔の記憶から現実に引き戻された。

 ――何ボーっとしてる。

「いや……思い出した……殺すんだ」

 みのるの両目から、とめどなく涙が流れてきた。「こいつら全員!」

「みのる君!」

 能力でビルを壊そうとしたそのとき、聞き覚えのある声がして振り向くと、黒塗りのセンチュリーから頭をだす田所が見えた。

「先生」

「しっかりしろ、みのる君」

 田所はセンチュリーから降り、みのるに呼びかける。「自分を見失うな」

「先生……でも、こいつらは――」

「そんなことをしても、お父さんは喜ばない。それに」

 田所は笑った。「トム・ソーヤーはそんなことはしない……違うか?」

 その一言で、みのるの脳裏に、田所と会った時の記憶が舞い戻る。

 ――バカ!いいとこなんだ!そいつなんて無視しろ!臭っさい!臭っさい汚物――。

「私は……君を信じているぞ」

 声を遮った田所の言葉と共に、強めの涼しい風が、みのるの頬を撫でた。

 心の中に渦巻いていた黒い霧がすっと晴れ、声はどこかに消えた。

 涙をぬぐい、田所の目を見てしっかりと頷くと、みのるは一歩前へと踏み出した。

 

「すぐに配置につけ!上からでなくていい、地上から狙撃しろ!」

 医者がみのると接触したとき、ゲイ部隊のボックス車は見えないように、みのるの後方、1000メートルの位置に停車し、各班を展開させた。

 通常、狙撃は上から行う。狙撃手の位置がばれにくく、なおかつ狙いやすいというのもあるが、なにより地上からでは弾丸が外れたとき、どこに行くかわからないからだ。

 板倉はモニター越しに、準備を待つ。

『ゲイ1。距離893メートル、待機』『ゲイ2。距離931メートル、待機』『ゲイ4。距離810メートル、待機』

 全班が周りの建物に隠れながら待機し、後は発射命令を出すだけとなった。

 だが、板倉は迷っていた。

 医者のいっていることが本当なら、ここで殺す意味はない。見たところ、なにかを説得をしているようであり、このまま事が終わる可能性がある。

 もしそれが失敗すれば、医者が死ぬ。しかし、すぐにそれだけではないと、板倉は知る。

『ゲイ2。目標隣の日っぺビルに、従業員多数確認』

「何だと!」

 板倉は声を荒げる。「何人だ!」

『分かりません。見たところ、全員が残っている様子です』

「クソ」

 避難勧告は下北沢全域の携帯電話に発信している。日っぺの社員が全員、携帯を持ってなかったとは考えられない。

 上の人間が帰さなかったのだ、会社の利益を考え。

 こういう脳無どもがのさばっているから、日本は――と今はそんな事を考えている場合ではない。

 一気に増えてしまった、失敗したときのリスクが。

 目標の能力は絶大だ。たとえ不審な動きを確認したときに発砲したとしても、そのころにはビルは大きく破壊され、大量に死人が出る。

 板倉の額から汗が一筋流れると、また報告が入る。

『急な横風。横に19.19ノット』

 こんな時に。

 ギっと板倉は歯を食いしばった。

 地上から打つ以上、弾丸が外れることはあってはならない。

 この状況で、確実に目標に着弾させることは不可能だ。そう思っていた時、

『オレはいけます』

 ホリの声だ。

「風は強いぞ、やれるか」

『やれます』

 自信を持った返答だったが、当然、例えホリだとしても、この風では難しいはずだ。

 板倉の中で、天秤が揺れ動く。

 医者の説得が成功すれば。

 日っぺの人間が死ぬ。

 動いてからじゃ遅い。

 風で狙撃は難しい。

 横棒は水平の状態で微かに揺れ、傾きを示す針はメトロノームのように、中央で右、左にと動く。だが、次の瞬間――

「目標の元主治医から情報が入りました!」

 通信手の声が響く。「歳は14!脳機能障害、精神疾患あり!認知思考――」

 ――天秤は勢いよく傾き、板倉はのどが張り裂けんばかりに叫んだ。

 

 

 ヒュ。

 みのるが一歩踏み出したとき、田所が耳にしたのはそんな風を切る音だった。

 同時に、みのるの体が後ろから何かに軽く押されたかのように、小さく揺れると、パンと銃撃の音が聞えた。

 最初、なにが起きたのかわからなかった。だが、みのるの焦点の合わなくなった目と、口の脇からこぼれだした血を見て、すべてを悟った。

「みのる君!」

 田所は駆け、膝から崩れ落ちようとする、みのるの体を抱き、支える。

 みのるの背中、ちょうど心臓当たりの場所から血があふれ出ていた。

「なぜだ……なぜ撃った!」

 その傷口を手で強く握りながら、田所は周囲を見渡し、どこかにいるのであろう狙撃手へ向かって叫んだ。「彼は……NONA REEVESが好きで、トム・ソーヤーにあこがれる、心優しい少年だ。それを……それを――」

「せん……せい」

 みのるの消え入るような声を聞き、田所は息をのんだ。

「どうした」

 田所は、みのるの顔を肩において、耳を澄ます。

「手……手を」

 みのるの震える右手が上がってくると、田所は傷口をふさいでいた血まみれの手で、それを握る。「先生……僕のこと、信じてくれて……ありが……と」

 そう囁くと、みのるの体は突然、天からつられていた糸が切れたかのように重くなった

 空になった肉体を田所は力いっぱいに抱きしめ、空に吠えた。

 

 

 

 

 夜、空は満天の星空だった。

 その下、山奥の墓場で、ろう台を足元に置いた田所が、静かに墓の前で手を合わせていた。

「こんな時間に、奇遇な」

 声が聞え、ゆっくりと振り向くと、ゲイの板倉がろう台をもって歩いてきていた。

「この時間でしか、ゆっくり墓参りもできないんでな」

 田所は忌々しく、そう答える。「いまじゃ、ここは超能力者の眠る地……ちょっとした観光地だ」

「まったく、節操がない」

 板倉は田所の隣に立ち、みのるの墓を見下ろす。「国防省が病院にあった彼の死体を調べたときには、超能力の元となった脳が見つからなかったそうだ。犯人はあなただね」

「なんのことだか」

 田所がすっとぼけると、板倉は鼻を鳴らした。

「それと、日っぺの上層部が、あらかた捕まったのも……」

「知らんな。そんな会社、初めて聞いた」

「そうか、なら本官の勘違いだ、すべて忘れてくれ」

 板倉はろう台を置き、墓に手を合わせ、目を閉じた。「……私は、自分が間違ったことをしたとは、思っていない」

「だが、殺す意味のなかった少年を、一人殺した」

 板倉はゆっくりと目を開き、手を下げた。

「そうだな。それでも、本官はまた同じ状況になったとして、あの時と同じ選択をする」

 板倉はろう台を持ち、踵を返した。「例え、あなたに恨まれることになっても」

 板倉が三歩ほど歩いたとき「まて」と田所が呼び止め、足を止める。

 田所は板倉の背中に語った。

「別に私は、あんたを恨んじゃいない。ただ一つ、約束しろ。私は決して忘れない。だからあんたも、彼の――みのる君のことを、絶対に忘れるな」

 その背中から、わずかに板倉が頷いたのが見えると「もちろんだ」と答え、闇に消えていった。

 田所は板倉が消えていった闇を数秒、見つめた後、また墓に手を合わせ「また来る」とつぶやいて、ろう台を持ち、その場を離れた。

 ふと、何の気もなしに、空見上げた。

 映ったのは満天の星空。

 そのとき、あるメロディーが鳴った。

 それは、田所の記憶から呼び起こされたものか、それとも、みのるが起こした奇跡か。

 まるで宇宙船にいるかのようで、それでいて宇宙の無限を感じるような、一度聴いたら忘れられない、テクノ調の独特なリズムが。

 


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