うつろふね ―艦隊これくしょん短編集― 作:joyful42
第1話 鎮守府案内
「初めまして、睦月型駆逐艦一番艦、睦月です!」
そう言ってぺこりと頭を下げた少女は、屈託のない笑顔を辺りいっぱいに振りまいていた。希望に満ち溢れた、穢れを知らなき目。その目から視線を背けるように、私は少女の隣に立つ男を見た。
「睦月は新造艦だ。実戦経験は追々養ってもらうとして、鎮守府の仕組みやら何やらわからない事も多いだろうから、みんな気を遣ってやるように。」
やはりか。男、この鎮守府の提督の言葉は、私の予想した通りの物だった。
新造艦……つまり他所からの移動ではない、純粋な新米艦娘。軍内人事でこの鎮守府に着任する事になったこの駆逐艦娘、睦月は、ここから艦娘としてのキャリアをスタートさせる事になる。
「比叡さん!」
私の名前を呼ばれはっと気付くと、目の前にその睦月が立っていた。先ほどと変わりない満面の笑みで私を見ている。
「提督が、鎮守府内の案内を比叡さんがしてくれるって言ってたのです!」
見ると、食堂の出入り口近くで提督がニヤニヤと不敵な笑みを浮かべてこちらを見ていた。先ほどまでこの部屋で行われていた睦月の歓迎会を兼ねた定期報告会も終わり、多くの艦娘が持ち場に移動しようとごった返す中で、唯一こちら側に向いた視線はやたらと目立つ。
「提督!なぜ私なのですか!ここにはもっと地理感覚に優れた艦娘がっ……」
「鎮守府内の案内なのに随分大げさな事を言うなあ、君は。」
普通でいう所の正論を言いながら、提督はにやけ顔を崩さない。この鎮守府がその普通ではない事は、あなたが一番知ってるだろうに。
「睦月、この比叡お姉さんに案内してもらうと楽しいぞ。運が良ければ迷って外国辺りにでも行けるかもしれない。」
行けるか!一度迷って気がついたら隣の鎮守府まで行ってた事があるだけだ。
「睦月ちゃん、あそこに男の人が見えるでしょ?あれが私たちの敵の深海棲艦よ。実習も兼ねて撃ってみましょうか。」
そう言うと、隣の睦月はしばらく困ったように私たちを交互に見た後こくりと頷いて、左手の12c単装砲を提督に向けた。この駆逐艦案外ノリが良い。
「待て睦月、俺は提督だ!俺を撃ったらアレだぞ、上が怖いぞ!」
焦って、現場配置初日の少女に何やらひどくドス黒い大人の闇を見せたこの部隊の最高責任者は、その後睦月が単装砲を下したタイミングを見計らってコホンと小さく咳払いした。
「まあ、あれだ。もしだめだったら後で加賀に改めて案内させる。君もいつまでも鎮守府内を歩くときにビクビクしたくないだろ。」
「なら最初から加賀さんにもついて来てもらいたいんですけど……」
是非そうしてもらいたい。なにせ自信がない。鎮守府の細部まで案内して、もう一度この食堂に帰ってこれる気がしない。厨房からパンを1欠片貰って行って、帰るときの目印になるようにちぎり落としながら歩きたいくらいだ。
「秘書官は色々と忙しいからなー。」
「……提督、絶対楽しんでますよね?」
私の言葉が聞こえなかったのか、提督は優雅に口笛なんか吹きながら踵をかえし、「今日も良い日だ」とか呟きながら食堂を出て行った。聞こえてただろ!今絶対聞こえてただろ!
「とまあ、こんな緩~い鎮守府だから、あまり緊張はしないでね。まあ、出撃時はみんな真面目だけど。」
睦月がわかりましたと言うように頷いた。この時も彼女は笑顔を絶やさなかった。
睦月を連れて鎮守府内を歩く。艦種ごとに分かれた寮、資材倉庫、入渠ドック……
普段よく使う場所を大方案内し、いよいよ細部の案内に入る。もともとこの鎮守府は遠い昔に放棄された軍の小屋だったそうだ。勢いを増す深海棲艦に対処するためにこの場所を新たな鎮守府とする事を軍は決定し、元の小さな小屋に繰り返し増築をする事によって鎮守府として機能させている。そんな経緯があるために、鎮守府内の構造は極めていびつ。未だに必要に応じて増築は行われているし、初めて足を踏み入れれば間違いなく迷う。まるでロールプレイングゲームのダンジョンに住む敵になった気分だった。
以前同じように新規着任の艦娘を私が案内する事になった時、当然のように迷い、やがて見知らぬ地下への扉の前に出た。扉を開けて、かび臭いトンネルをひたすらに進むと、その先にあったのは鎮守府だった。隣の。
どうやらこの建物が軍の小屋だった時代に、ほど近い所にある鎮守府と小屋を地底トンネルで繋げようという計画があったらしく、その時のトンネルを偶然見つけてしまったらしかった。
この発見は軍内部でちょっとした騒ぎになった。道に迷って突然隣の鎮守府に乱入したため、何らかの処罰がある物だと思っていたが、長い間未完のまま放棄されたと思われていたこのトンネルを発見したという功績が一応は認められて、お咎めは無しとなった。もっとも、この件で有名になったのは、「伝説の幸運艦、幻の地下トンネルを発見する!」という触れ込みであっという間に出世し、この鎮守府から本部就きになった駆逐艦の雪風。つまり私が案内していた新着の艦娘であって、そんな雪風の''伝説''が語られる度に、戦艦比叡は自分の所属する鎮守府内で道に迷った。と悪評に近いエピソードが拡散されることになったのはほとんど罰に近かった。
だが実際はこんな造りの鎮守府が特殊なだけであって、私自身の方向感覚は、至極一般的な範囲内だと思う……たぶん……
睦月を連れ、慎重に慎重に鎮守府内を見て周り、やがて地下1階にある薄暗い通路にやってきた。ここにあるのはほとんど使わない物をしまっておく物置に近い倉庫や、重大な規律違反者が居た時に閉じ込めておくための地下牢など。地下特有の空気感もあって、あまり気持ちのいい場所ではない。この通路の奥の奥に、例の扉はある。そこまで見たら、あとは食堂に帰るだけだ。
そして私たちは扉の前にやってきた。他の物とは明らかに時代が違う、鉄で出来た頑丈な扉。全体を覆うように広がる黄土色の錆が、その異様な雰囲気を更に高めていた。
「実はこの扉の先はね、隣の鎮守府に繋がってるんだ。そしてこれを発見したのがこのわた……」
「睦月知ってるよ!雪風さんが見つけたんですよね!」
「そ、そうね……」
もはや苦笑いしか出来なかった。
地下通路を出て、地上に戻る。太陽の光が差し込む窓から外の景色が見えただけで、先ほどまでの鬱屈した空気感から解放されて軽く安心感を覚える。
「Hey!比叡!」
後ろからよく知っている声に呼び止められた。
「金剛お姉さま!」
私の姉、金剛型戦艦一番艦の金剛お姉さまがそこに立っていた。こんな鎮守府の隅の方で何をしていたのだろうか。
「あなたが新着の睦月さんデスネー!私は戦艦金剛デース!」
そういえば先ほどの歓迎会の時も金剛お姉さまは食堂に居なかった、出撃中であったり、持ち場を離れられない艦娘は居なかったので、特に気にしてはいなかったけれど。
睦月はよろしくお願いしますと頭を下げ、それを見た金剛お姉さまは「提督と紅茶が飲みたいネー」等と呟きながらまたどこかへと消えて行った。
「金剛さん、楽しそうな人ですね。睦月も自然と楽しくなってきちゃったのね。」
ここでも睦月は笑顔を絶やさなかった。元からこういう朗らかな性格なのだろう。
「睦月ちゃんはいつも笑顔だよね。」
そう問いかけると、睦月はより一層の笑顔を浮かべた。
「これから戦場に出る事になるわけだけど、怖かったりしない?」
「怖いけど、ワクワクもします。新しい生活が始まるし、提督も比叡さんも金剛さんも、みんな優しいから!」
そう言う頃には、私たちは食堂の前にたどり着いていた。
こうして提督の楽しみを他所に、私は迷う事なく睦月に鎮守府を案内するという任務を全うした。