うつろふね ―艦隊これくしょん短編集― 作:joyful42
その夜は寝苦しい夜だった。消灯後の真っ暗な自室のベッドの上で、私はふと睦月の事を思い出していた。混じり気の無い純粋な瞳で常に笑顔を絶やさない新造艦の艦娘。
「あとどれくらい持つかな?」
ふと呟いた後、隣のベッドの金剛お姉さまを見た。私の声には一切気付かずに、スースーと寝息を立てている。
艦娘になるためには大きく2つの方法がある。1つは自主志願。軍では艦娘になりたい女性を随時募集している。志願者は、志願艦娘用の適性検査を受け、それに通れば見事艦娘として採用される。元々はこの方法のみで艦娘を採用していた。
そしてもう1つは徴兵艦娘だ。定期の健康診断で艦娘の素質ありと診断された者は、健康状態や精神状態に問題が無ければ艦娘として働く事が義務化されている。戦闘の長期化を受けて、国が苦情の判断で下した決定だった。
徴兵制を採用しながら、同時に志願兵制を並立させているのは、やはり徴兵と志願兵ではその士気に大きな差があり、特に幼い少女が多い艦娘ではそれが露骨に戦果に影響するためである。素質はあるが士気が下がりがちな徴兵艦娘と、素質は劣るが士気の高い志願艦娘。艦娘はこういうバランスで成り立っている。
しかし、それは嘘だ。常に高い士気を保っている志願艦娘などほとんど居ない。実際は数ヶ月、はやければ数日で、甘ったれた少女たちは現実を知る。国を守るために、大切な人を守るために、平和を守るために、自分がやらなきゃならない……そんな青臭い妄想など戦地に出ればすぐに吹き飛び、艦娘の予備学校や着任後すぐの鎮守府で同期たちに熱く語っていた理想は、やがて誰も口に出さなくなる。
こうして残るのは、現実を悲観も楽観もしない、達観した艦娘たち。常に士気の高い艦娘から先に消えていく。まあ中には例外という者も居るのだが。
生き残るためには現実を受け入れるしかない。自らが生きるための最善を尽くすしかない。国や仲間や家族を守る前に、自分を守るために戦う。そういう割り切りが出来た時に初めて艦娘は一人前になるのではないかと私は思う。
睦月が笑顔を絶やさない事については、別になんとも思わない。彼女はおそらく志願艦娘だろう。似たような志願艦娘をたくさん見てきたし、彼女は何も特別な存在ではなかった。全てを知り、全てを受け入れ、最前線でこの国を動かす歯車へ身を投じるか、それとも自分の理想を断ち切れずに海の底に沈むか。それを決めるのは彼女自身だ。
数日後、駆逐艦睦月は遠征艦隊に混じって初めて外洋へと出航した。その後は何度か遠征や他鎮守府との合同演習に参加し、経験を積む。そして着任から2ヵ月、初めて実戦へと投入された。帰還した彼女は敵駆逐艦の砲撃を一発受けていた物のほぼ無傷。港で帰港を待っていた重巡洋艦の妙高は、彼女の変わらぬ笑顔を目撃したという。この日の戦闘で、我が鎮守府は駆逐艦磯波を失った。
しばらくして、睦月は二度目の出航。この日の戦闘で彼女は敵空母を雷撃により撃沈。味方艦隊を窮地から救う。この戦闘で我が鎮守府は駆逐艦荒潮と軽巡洋艦多摩を失った。
そしてその一ヶ月後、睦月は戦闘中に壊滅的な損傷を受ける。なんとか轟沈は防ぎ、帰港するも、艦娘としての従軍続行は不可能と判定される。これにより、彼女の籍はこの鎮守府を離れ、一度本部所属となった後に艦娘として解体され、自宅へと身柄が返されることになった。
私はこの時他の艦娘たちを率いて長距離遠征に出ており、最後の睦月の様子がどうだったのかを窺い知る事はできない。一部始終を知っている加賀さんと話す機会があった際にそれとなく聞いてみたが、「手足は全てついていた」との事だった。その時彼女がどんな表情をしていたのかは、聞かない事にした。
こうしてここ数ヶ月の間でまた、数人の艦娘が消えて行った。磯波、荒潮、多摩、そして睦月。悲しい事だが、仕方のない事である。仕方ない仕方ない。私たちは今、戦争をしているのだ。私たちが敵艦を沈めるように、敵艦は私たちを沈める。敵艦が死ぬように、私たちも死ぬ。戦場で戦いに身を置いているのだから当然死人は出るし、それは何も今に始まったことじゃない。艦娘という物に身を置いた瞬間からそれはわかっていた事なのだから、今更特別悲しむ事でもない。
やがてこの鎮守府にも補充の艦娘が届くだろう。そうして何事も無かったのかのようにまた日常が続いていくのだ。
「比叡、なんだか元気がないデスネー!あなたらしくないデスヨ。」
金剛お姉さまがそう言って紅茶の入ったティーカップを渡してきた。時刻はヒトゴマルマル。ちょうど午後の業務もひと段落して、少し休もうかと思っていた所だった。
「クッキーもあるネ、何か悩み事があるときは、甘い物が一番ネー!」
「べ、別に悩んでなんかないですよ。ちょっと疲れてただけです!」
「疲れにも甘い物が一番ネー!」
そんなくだらない話をしながら、金剛お姉さまと一緒にクッキーを食べた。この人はいつも絶妙なタイミングで私に話しかけてくれる。悩んでる時、落ち込んでる時、逆に気分が高揚している時。必ず金剛お姉さまがやってきて、慰めてくれる、話し相手になってくれる、そして美味しい紅茶をいれてくれる。本当にこの人には叶わないなといつも思うし、それだけ尊敬も憧れもある。私がこの鎮守府にやってきた時から、こうしてよくしてくれている。まるで本当の姉妹であるかのように。
私は志願艦娘ではない。つまり徴兵艦娘だ。いつものように国の健康診断に行き、身長や体重を計って、血圧を調べて、そして数日後に突然召集令状が届いた。
その事を知らせると、友達は泣いて悲しんでくれた。近所の人達も顔を合わせる度に「頑張ってね」等とねぎらいの言葉をかけてくれた。艦娘に召集されるという事がどういう事なのかは一般人でもみんな知っていたし、それを名誉と捉えるか悲劇と捉えるかの差はあっても、私が召集されたと知ると一様にみんな接し方を変えた。そんな中唯一私に変わらぬ接し方をしたのは、両親であった。悪い意味でである。
両親は、私が艦娘に召集されたと知っても、いつもの対応を崩すことは無かった。母は悲しむフリをし、父は「お国のために頑張って来なさい」とだけ言って口を閉ざした。そういう家庭だった。私には姉が居たが、私が小さい頃に病気で死んだ。姉の事はほとんど覚えていないが、生前は両親が人並みの親をしていた事だけは鮮明に覚えている。小さい頃は、お父さんとお母さんは、お姉ちゃんが死んじゃって悲しいからこんなに冷たいんだろうな。などと都合よく解釈していたが、大きくなってそれは間違いだったと気付いた。ようするに私はおまけであり、邪魔者だったのだ。
だから艦娘になる事に不安はあったが、悲しみはなかった。今の生活を抜け出せる。まったく新しい生活を始められる。そんな高揚感が身を包んでいた。
艦娘になる事が決まると、艦娘の予備学校で一年間学ぶ事になる。全寮制のこの学校で、艦娘候補生たちは戦術知識や戦闘のイロハを叩きこまれる。すぐに親しい友達もでき、新しい生活に馴染んでいった。
半年ほど経って、自分がどんな軍艦の名を背負う事になるのかが決まる。私が戦艦比叡になる事が決まると、周りの友達は喜んだ。戦艦になれる艦娘候補生はほんの一握りで、大半は駆逐艦や巡洋艦となるからだ。私の友達もほとんどがそうだった。周りに褒められるとなんだか比叡という名前が誇りになって、戦艦比叡について学ぶのが楽しくなった。
それからまた半年経って、私たちは予備学校を卒業した。次に向かったのは軍の研究所。ここで白衣を着た先生に出された暖かいココアを飲んだ後、腕に太い注射を打たれた。気付いた時にはもう私の体は艦娘、戦艦比叡になっていた。
一週間ほど実技講習を受けた後、私の配属地が決まった。特に仲の良かった友達二人も奇跡的に同じ配属地になる事が決まり、皆で手を握り合って喜んだ。
「金剛型戦艦二番艦、比叡です!よろしくお願いします!」
声を張って挨拶した。鎮守府の先輩艦娘さんたちが暖かく迎え入れてくれた。提督が怖い人だったらどうしようなどとちょっぴり心配していたが、実際の提督は冗談とイタズラが好きな優しいおじさんだった。
「君たちには大いなる活躍を期待している。三人ともよろしく頼むよ。」
一ヶ月後、三人は私一人になっていた。
「蜘蛛の糸なんて無い……か。」
地獄の外にあるのは別の地獄。抜け出すことなんてできない。あの家から抜け出せれば、自分の人生はよくなると思っていた。だから召集令状が届いてもまったく動じなかったし、予備学校でも一生懸命勉強した。なのに……
なのにおかしいじゃないか!友達が死んだ。二人とも死んだ。友達以外にも、よくしてくれた先輩たちがどんどん死んでいく。戦争とはそんなもんだと頭では理解していても、現実を目の当たりにしてこんな事を受け入れろなんて無理だ。嫌だ!嫌だ!嫌だ!怖い!怖い!怖い!
戦いたく無い……
死にたく無い……
夕方の海辺で、沈む夕陽を見ていた。オレンジの空、青い海。その綺麗な海の向こうで真っ黒いオイルをまき散らしながら恐ろしい戦いが繰り広げられている。やがて黒光りする弾丸が目標を捉え、黒の青の海にわずかに朱が刺す様子を私は想像した。精神的には限界だった。
「こんな所でなにしてるんデスカ?」
ふいに話しかけられた。
「金剛さん……」
戦艦金剛。私……比叡の姉。
この鎮守府に配属されてから、私は意図的に金剛さんを避けていた。姉という存在が苦手だった。金剛型には他に、榛名と霧島という二人の妹がいる。しかしこの鎮守府には私と金剛さんの二人だけで、なぜよりによって私の家の姉妹関係を再現するのかと軍部の編成を恨んだ。
「仕方ないデース、新しく入ってきた娘はみんなそう悩みマース。」
「慣れろっていうんですか?」
「Yes.」
金剛さんは何もためらわずにそう言った。
「戦える体を持っている限りは、ここから出る事はできマセン。だから慣れるしかないんデス。」
「友達が死んでも、仕方ないで済ませろっていうんですか!そんなの……」
「No,友達死んだら悲しいデース。仲間死んでも悲しいデース。」
「だったら!」
「だから、私は絶対に沈みマセン。」
いつになく真剣な顔で金剛さんがそう言った。
「友達が死んだら私悲しいデース。私死んだら、私の友達悲しいデース。だから私は絶対に沈みまセン。友達悲しみマース。」
「金剛さん……」
「そのためには、まずは慣れなくちゃなりマセン。」
自分が死ななければ、自分の友達が悲しまない。その為には自分が強くなければならない。強くなるためには……この鎮守府に馴染まなきゃ。慣れるっていうのは何も死にゆく艦娘を見捨てる事ではないんだ……
「それに……」
海の向こうを見据えていた金剛さんが急にこちらを振り返った。
「ようやく出来た可愛い妹が居なくなるのは、一番悲しいデース。」
顔が熱くなった。まるで沈みゆく夕陽が真夏の灼熱の太陽に戻ったかのように、私の顔がじんじんと熱かった。しばらくしてようやく、それが涙だと気付いた。
家族と言う物を知らなかった。愛情と言う者を知らなかった。本当の姉は早くに死んでしまったし、両親から人並みの愛情を注がれた事も無かったから。家族、姉妹という物はなんと良い物なのだろうと心から思った事を覚えている。
帰り道、先を歩く金剛さんを呼び止めた。
「あの……金剛お姉さまとお呼びしてよろしいですか?」
すると''金剛お姉さま''は小さく
「Yes.」
と答えて、鎮守府の方に向かって走り出した。
「あっ、待ってくださいよー!金剛お姉さまー!」
その日私の地獄は、日常に変わった。