DRAGON QUEST -ダイの大冒険- 神が投げた小石たち 作:大岡 ひじき
ダイを寝かしつけて、尼僧服に着替えて小屋の外に出ると、クロコダインが立っていたので声をかけた。
「ここ、任せていい?クロコダイン…」
振り返ってわたしの姿を見て、クロコダインは一瞬目を丸くしたが、そこには特に触れずに、要点部分だけに問いを返す。
「構わんが…どうした?」
「…少し気になることがあるから、確かめに行きたいの。
なるべく早く戻るわ」
わたしの言葉に、不得要領な視線を向けつつも、クロコダインは頷く。
「…気をつけろ。
おまえもそろそろ、魔王軍からは目を付けられている筈だ」
「ええ。ありがとう」
心から心配してくれている友達に微笑みながら、わたしは彼を巻き込まぬよう距離を取って、呪文を唱えた。
「……ルーラ!」
☆☆☆
…酷い有様だった。
かつては人々が日々を暮らしていたであろう、小さくとも山の恵み豊かだったその村は、建物は一つ残らず破壊され、畑は踏み荒らされ、燃やし尽くされている。
至る所に人や動物の死体が転がり、それは山の獣に食い散らかされた挙句、そろそろ腐敗を始めている。
恐らくは魔王の瘴気に支配された魔物の襲撃に遭い、滅ぼされたのだろう。
…そう、思いたかったし、そう考えて無理のない状況だと思えた。
……わたしの中で、どうしても引っかかる一点さえなければ。
踏み荒らされた畑に残っている足跡は、つい最近見たものに酷似している。
どう見てもドラゴンの足跡と、尾を引きずった跡だ。
そしてこの山やその付近に、そんな強い魔物は居なかった筈だ。
…
尼僧服を着てきて良かったと思う。
服装など、生存者のいない場所で意味などないだろうが、この方が祈りを捧げるには相応しい。
かつて魔王の恐怖に怯え、そのあまり無力な女性と子供を山の中に追いやって、更にその子供を疎み、貴族に売った村人たち。
彼らは臆病過ぎた。それゆえに過ちを犯した。
けれど、死んでしまえば終わりだ。
死は誰に対しても平等に訪れ、全ての罪を消し去る。
そうでなければいけない。
わたしは祈る。この人たちの安らぎを。
そしてこの地に再び、命の息吹を。未来を。
神よ。
・・・
小屋は、思った以上に昔のまま残っていた。
まるでここだけ、時間が止まっているように。
そこから少し高台にある、村が見える崖の手前まで登る。
墓標などはないが、その人が眠る場所を、わたしは覚えていた。
そこに立ち、また祈りを捧げる。
あなたの最後の願いを、結果的に踏みにじる形になってしまいました。
ごめんなさい。
ともに暮らしたのは3ヶ月足らずの間だけ。
彼女は優しく、けれど弱い人だった。
それでも今のわたしならば、その弱さを受け止めてあげられた。
最後の願いに、頷いてあげられたのに。
手向ける花など持ってはいなかったが、この側の木は一年中花を咲かせている。
彼女はその花が好きだった。
だから二人で、ここに決めたのだ。
彼女が永遠に眠る場所を。
そして二人で誓った。
この場所を、覚えておこうと。
わたしたちが覚えていさえすれば、彼女はいつも、ここで待っていてくれるからと。
…ズシン、と地面が揺れ、生臭い獣の臭いを感じた。
驚いて辺りを見渡す。
わたしが登ってきた道を、何か大きなものが歩いてくる。
それはドラゴンだった。しかも2頭。
ベンガーナに現れたものよりやや身体は小さいが鱗に艶がある。
恐らくはまだ若いのだろう。
それが、まっすぐこちらに向かって歩いてくる。
下の村を滅ぼしたのはこいつらか。
恐らくは山の中を歩き回っていて、わたしの匂いを嗅ぎつけて来たのだろう。
ひとまず身構える。
ルーラで逃げるのは簡単だし、それが一番手っ取り早いのだが、彼女の眠るこの場所を、荒らされるのは我慢ならない。
せめて少し引きつけて、ここを離れてからだ。
奴らを刺激しないようゆっくりと動く。だが、
「イルイル」
奴らより更に後方から聞こえた声とともに、1頭のドラゴンがそこから消えた。
同じように、更にもう1頭も。
消えたドラゴンの向こうに目をやると、フード付きのマントを深く被った背の高い人物が、何やら筒のようなものを手にして立っているのが見えた。
あれは…以前クロコダインに見せてもらった、魔法の筒と同じものだ。
その人物…体格と手を見る限り、男性らしい…が、それを懐にしまいながら、こちらに向かってゆっくりと歩み寄ってくる。
…戦慄が、身体に走った。
男は
背も高いし、彼は魔族だろう。
そしてこの場所で、魔族に出会う意味…偶然であろうはずがない。
「お助けいただいて、ありがとうございます」
だが、気づいていない振りをして、わたしは型通りに礼を述べる。
あれから12年も経っているんだ。
こうしてケープで耳も隠している。
できる限り俯いて顔を見せず、知らない振りをしておけば、恐らくは誤魔化せるだろう。
「…ここで何をしていた?」
だが男はフードの下から、硬い声で問いかける。
「…わたしは、旅の尼僧です。
下に魔物に滅ぼされたと見られる村がありましたので、高い場所から、祈りを捧げておりました」
大丈夫、不自然じゃない。
「何故、わざわざここで祈っていた?」
「たまたまです。
こちらを通りかかったら、木々が開けた場所がありましたので…きゃっ!!」
唐突に男の手が、わたしの頭から尼僧のケープを剥ぎ取った。
耳と髪が男の目に晒されて、男が感極まったように息をついた。
「……やはり、そうか。この場所は母の眠る場所。
おまえは今、そこを一歩も違えず、祈りを捧げていた。
墓標は立てられないから、せめて忘れずに覚えておこうと誓った、オレ達2人だけしか知らない、母を葬った場所で」
男の声が震え、その足がわたしに向かって一歩踏み出す。
わたしの方がそれに合わせて一歩退くと、男はハッとしたように一瞬肩を震わせ、それから被っていたフードを跳ねあげて、その顔を晒した。
「いつか戻ってくるかもしれないと思って、時折訪れていたんだ…会いたかった。
オレだ、ラーハルトだ…グエナヴィア!!」
金色の髪の間から、尖った耳がのぞく。
深い青の瞳がわたしを見つめる。
その目から頬にかけて、魔族の特徴である黒い模様が走っている。
…見なくてもわかっていた。
むしろ、見たくなかった。
目の前に現れた背の高い魔族の青年は、別れた時の少年の面影を未だ残したまま、子供の頃と同じ呼び名でわたしを呼び、だけど大人の顔をして微笑んでいる。
その、優しげな微笑みが、むしろ怖かった。
わたしは伸ばされた手を避けて、更に後ずさる。
「…
「…グエナヴィア!?」
「…下の村。
ドラゴンが2頭も居れば焼き払うのも容易いわね。
あなたはあそこの住民を恨んでいた。
ひいては、人間全部を」
恐怖を隠して、睨みつける。
拒絶される事など思いもよらなかったというように、ラーハルトは少し傷ついたような表情を浮かべた。
それから、一旦わたしから目を逸らし、先ほどのような硬い声で答える。
「…そうだ。オレが滅ぼした。奴らは母の仇だ。
その上オレたちも殺されかけた。
仇を討って、当然だ」
だがその態度は、叱られる事が判っていて、それでも言い訳をする子供のようだ。
「あなたのお母さんは、それを望んでいなかった!
むしろ、あなたがそう思い詰めるのではないかという事を、死の間際まで心配していたのに!
なんて…なんて事を…!!」
その口から聞くまで、信じたくなかったのだと、改めて自分で理解した。
思わず掌で顔を覆う。
彼をここまで追い詰めたのはわたしだ。
あの男が人間を憎んでいる事、あの時のわたしにも判っていた。
その男のところに、彼を置いていった。
結果がこうなる事、なぜ判らなかったんだ。
あの時の自分の幼さと無力さを恨んでみても、今更どうしようもない。
けど、嘆かずにはいられなかった。
「…母は優しすぎたんだ。
だから人間どもの世界では生きていけなかった。
奴らをこの地上にのさばらせておいたら、またどこかで同じ悲劇が起きる。
そしてオレやおまえのような存在は、こそこそ隠れて生きねばならなくなる。
オレ達が一体、奴らに何をした?
ただ、魔族の血を引いているからというだけで、奴らはオレ達を虐げてきたんだ。
ならばオレ達には、奴らが人間だというだけで、復讐する権利がある!」
憎しみに濁った目が悲しい。
それでいながら、わたしの承認を無意識に求めている、幼い日のままの心が、哀しかった。
「だから、魔王軍なんかに忠誠を誓ったの?」
そう言ったわたしの言葉に、ラーハルトは目を見開く。
「…何故、それを?」
「あの時の男…バランというのね。彼に会ったわ。
魔王軍超竜軍団長、竜騎将バラン。
あの男が魔王軍にいるのならば、ひょっとして…と思った。
信じたくはなかったけれど、今の言葉からすると、間違いないようね」
だが、ラーハルトは首を横に振る。
「違う。
オレが忠誠を捧げるのは、あくまでバラン様だ」
…言い訳にしか聞こえない。
この子は変わってしまったんだ。
弟のように思っていた、わたしのラーハルトはもう居ない。
今ここに立っているのは、あのバランという軍団長の、部下。ならば。
「同じ事よ。
あなたも魔王軍の一員である以上、わたしはあなたの敵でしかない」
そう言ったわたしを見る、ラーハルトの目が一瞬、揺れた。
「わたしは、アバンの使徒達の…少なくとも味方だわ。
彼らには、世界の在り方を変える力があると、わたしは信じてる」
ダイは、気負うことなくわたしを受け入れてくれた。
ダイを通してみんなが仲間に、友達になれた。
ダイの目を通して見た世界は、すべての存在に優しかった。
だがラーハルトは、先ほどまでと違い、真っ直ぐにわたしの目を見返して、言った。
「人間どもにそんなことは出来はしない。
いつまで夢を見ているつもりなんだ、グエナヴィア。
…オレと来い。今度こそ守ってみせる」
「ラーハルト!?」
「オレはもう、子供じゃない。
今のオレならばおまえを守れる。
薄汚い人間の手になど、二度と、触れさせはせん」
言って、ラーハルトは再びわたしに手を伸ばした。
その、子供の頃とは違う大きな手に訳もなく恐怖を感じて、それが身体に触れる前に、反射的にリリルーラを発動させる。
瞬間、わたしを見つめた青い瞳が、いつかレオナ姫の裁きを求めたヒュンケルの、全てを諦めた瞳と、重なって見えた。
・・・
「グエン!?」
「…あれ?」
そんな事を思ったからなのだろうか。
クロコダインのところにリリルーラで戻るつもりが、目の前に居たのはヒュンケルだった。
「……何があった」
よく見ればラーハルトのものよりも薄い色の青の瞳が、わたしの顔を覗き込む。
…違う。
さっきは重なって見えたけど、今は違う。
ヒュンケルもダイと出会って救われた。
今はその瞳に、諦めの色なんかない。
何故かはわからないが胸が締め付けられ、わたしはその場にへたり込むと、情けなく嗚咽を漏らした。
一瞬驚いた目をしたヒュンケルだったが、それ以上は何も聞くことがなく、胸だけを貸してくれていた。
☆☆☆
ヒュンケルが居たのはカール王国だった。
統制のとれた軍隊とそこそこの治安、大きな図書館を有していた筈の国は、超竜軍団によって滅ぼされており、生き残った兵士の頼みで、彼の兄を葬っている最中だったらしい。
僧侶であるわたしが居るからには、放っては置けず彼を手伝って、死者に然るべき祈りを捧げて弔った。
その際、バランと堂々と渡り合った末に殺されたというその遺体に、ダイの額に浮かぶ紋章と同じ傷跡が残されていた事から、ヒュンケルは大体の事情を察していた。
「バランとダイは親子よ。
どのような事情で生き別れたのかは知らないけれど、バランはずっとダイを探していた。
わたしは以前バランと会ったことがあるのだけれど、それは時期的に考えると、恐らくはダイと離れ離れになった直後くらいだったのでしょうね」
「やはり、そうか。
血の繋がりのあることは、間違いないと思っていた。
だとすれば、ダイを倒すよりも、味方に引き入れようとするだろう事も」
「ダイは記憶を奪われた。
今バランと会わせたら、仲間との絆も失われた今、紋章という繋がりから、彼はバランを父と認めてしまうでしょうね。
…まあ、それ自体はいいのよ。
でも親子としての和解はもっと、対等な立場で行われるべきだわ。
バランは、自分の子をどう扱おうが親の自由と言った。
それが許されるのならば、生まれてすぐに親に殺されかけたわたしは、今生きていない。
だから、それだけは、認められないのよ。
…わたしの勝手な感情かもしれないけれど」
バランにとって、ダイへの想いは赤ちゃんの頃のまま止まっている。
記憶を奪ったのはまさしく、そこからやり直す為だろう。
だけど、ダイは赤ちゃんじゃない。
彼には彼の時間がちゃんと流れていた。
2人の止まった時間を、正常な形で動かさなければ、親子が対等に向き合う事はできない。
…その為に戦いが避けられないのは、とても悲しい事だけれど。
わたしとラーハルトの時間も、お互いに違うところで止まってしまったのかもしれない。
ラーハルトとの再会シーンは、マトリフとの修行シーンの次くらいに頭に浮かんでいたものです。
当初はもっとアレな展開になる予定でしたが自重しました。
…まあその、自重の理由が『全年齢作品だから』って事実で察してください。