DRAGON QUEST -ダイの大冒険- 神が投げた小石たち 作:大岡 ひじき
う、ぐぬぬ…ぬかったわ……!
…イメージ不足の咄嗟のルーラにより、気がつけばテランの森…かつて愛する人と暮らした地に、バランは息子を抱えて降り立っていた。
木々の間に横たえた息子の、ボロボロになった身体に一瞬、絶句する。
それでも何とか呼吸を整えると、その身体に手を当てて回復呪文を唱え…、
「………クッ。
どうやら、極めて暗黒闘気に近い衝撃波だったようだな……回復呪文が、効かん…!」
思った以上にダメージが大きい上に精神的なショックもあり、このまま回復を受け付けない状態に長く置けば、その間に彼の小さな心臓が、静かに動きを止めてしまうのは確実だ。
彼らを真っ先に逃してくれたグエナヴィアにも、この事態は想定外だっただろう。
「ディーノ……ダイ、死ぬな」
親であるバランの中では息子の唯一の名だが、本人が自分の名と認識していないそれで呼びかけても意味がないと判断して、勇者としての彼の名を呼ぶ。
「こんなところで
おまえは、今世の勇者なのだろう。
…おまえまでもが、私を置いていくのか…!!?
私はまた、失ってしまうというのか……!!」
なぜか、視界がぼやけていくと思いつつ、バランはそれに注意を払う余裕がなかった。
自身の瞳から溢れた涙が頬を濡らしている事にも気付かぬくらい、彼には余裕がなかった。
と、徐々に冷たくなっていく息子の手を握りしめた瞬間、そこに微かな光が見えた。
そこに弱々しく浮かぶ紋章が、明滅する。
それが消えてしまった時、息子の命が消えてしまうという思いに支配されたバランは、自分の紋章の力を少しだけ、解放した。
ふたつの紋章が共鳴し、ダイの身体に、僅かに温もりが戻る。けど、それだけ。
……だが、バランが決意を固めるには、それで充分だった。
バランの心の片隅に一瞬だけ、自分をこの戦いに来させまいとしていた少女の顔が浮かんで……そして消えた。
済まない。
必ず生きて戻ると約束したのに、それはどうやら守れないようだ。
「…………ダイ。
私の命を全て、おまえにやろう」
バランは、そう呟いて、ダイの手をもう一度取ると、その手の甲に浮かんだ紋章に、自身の額のそれを合わせた。
接触面から光が放たれ、それが徐々におさまると共に、ダイの肌に血色が戻っていく。
とくん…とくん…とくん……………
少しずつリズムを取り戻して刻まれる脈拍を指に、額に感じながら、バランはそのまま自身の力を、息子の身体へと移し続けた。
「…生きてくれ。我が子よ。私の代わりに。
この世にただひとつ残った、私にとっての光よ。
ダイ……とてもいい名だ。
だが時々は、私とソアラのつけた名も思い出して欲しい。
私もソアラも…常におまえと共にある…」
彼が呟いた言葉に、生命力と共に、注ぎ込まれる紋章の力すべてに、意識のない筈のダイの頬が、僅かにピクリと反応した…気がした。
☆☆☆
カラミティウォールが到達する直前に、足場を砕いて落とす事で、その影響を脱した勇者一行が、その足場と共に遥か下の海上へと落ちていく光景を見ずに、大魔王バーンはそれを為した男に向かって、抑揚のない声をかけた。
「…驚いたぞ、ハドラー。
生きていたというのもさる事ながら…勇者たちの味方をするとは…な!」
「味方をしたわけではない!
私は自分以外の者に、ダイたちを殺されたくなかっただけだ。
…自分の命が短いこともわかっている。
その前に、自身を魔物と化してまで戦う意味であるダイを、私を捨て石にしたあなたに殺されては、最後の心残りも振り切ってきた今の私の、存在する理由さえなくなってしまう!!」
原因が取り除かれた今、胸の痛みは無くなっている。
だがそれは、彼の生命の残り火が、もはや消える事と同義だった。
その残酷な事実を淡々と告げた、人間の少女の温もりは、抱きしめた腕にも、重ねた唇にも、もう残ってはいない。
…かつて魔王として地上を席巻した自分が、何故人間の小娘などに、こうも執着したものか。
理由など、考えてもわかりはしない。
敢えて挙げるならば、出会ってしまったからとしか言いようがない。
『…どこかへ逃げますか?あたしを連れて。
あたしはそれでも構いませんよ?』
…それは死を前にしたハドラーにとって、抗いがたい誘惑だった。
2人だけの世界で、最後の時を過ごす事ができたなら…一瞬だけ、そう考えた。
だがもし、あの言葉に頷いてしまっていたら、きっと己は、魔獣と化したこの身を、後悔する事になった筈だ。
手に入れてしまえば、欲が出る。
死にたくないと、もっと長く共に居たいと、望んでしまっていただろう。
また、己の死した後の彼女が、他の者に奪われる事すら許容できず、最後には殺してしまっていただろう。
それは、彼の孤独を映して生まれた、フェンブレンの行動を見れば判る。
だから手を離した。彼女もそれを判っていた。
今の自分は所詮、戦う為に生み出された、この世界に同種の存在せぬ魔獣なのだ。
そうなる事を、自ら選んだ。
その選択を、間違いにするわけにはいかない。
戦う相手は、アバンの使徒。そして勇者ダイ。
それが果たされる前に彼らを、大魔王に殺されるわけにはいかない。
それらの思い全てを抱えて、ハドラーは今、大魔王と対峙していた。
「…案ずるな。
おまえの存在理由など、既にない。
自分で判っている通り、おまえはもうすぐ死ぬのだから」
…だが、笑みを浮かべたままの大魔王から返ってきたのは、変わらず冷酷な言葉だった。
否…そこには僅かに、怒りの感情を孕んでいる。
「いかに余が長年、おまえにチャンスを与えてきた寛大な男でも、目の前の獲物をさらわれて笑っているほど、甘くはないぞ!!
おまえは今、余自らの手で処刑される。
存在理由など、考えても無駄なことだ…!!」
言って大魔王は、手にしたままの武器を構え直した。
それとともに先端の、魔力の刃が輝きを増す。と、
「ハドラー様ッ!!!」
自身の名を呼びかける声に、ハドラーが反射的にそちらに目をやると、
「な、なんでバーン様とハドラー様がっ…!!?」
「理由はともかく、まずは加勢です!
私達はハドラー様を最優先に…」
小さな身体の
「……ならん!!闘魔滅砕陣!!!!」
そちらへ瞬時に移動したミストバーンが、その動きを封じた。
「ウオオオオッ!!?」
「…くっ!!」
暗黒闘気の束縛から、アルビナスのみが間一髪、宙空へと逃れる。
だが、それを見越したようにその背後に転移した死神が、次の瞬間には、肩越しに鎌の刃先を、アルビナスにひたりと突きつけていた。
「…動くと急所をグサリ、だよ…!
……キミはなんだか、ボクの一番嫌いなヤツに似ているから、本当は今すぐにそうしたいところだけど」
…死神が誰のことを言っているのか、ハドラーには判っていたが、勿論この場で指摘するつもりはない。
状況が今ひとつ判っていないらしいヒムが、何故だとミストバーンに問い、そのミストバーンは、相変わらず抑揚のない声で答えた。
「ハドラーは勇者の仲間たちをバーン様から救い、逃した…!!
よってこれから処刑されるのだ!!
加勢はならぬ。主の最期…しかと見届けよ…!!!」
有無を言わせぬその口調は、『大魔王様のお言葉は全てに優先する』という、彼が常に口にする言葉と、同じ響きを持っている。
これは大魔王の判断であり、決定事項なのだと。
「……死ね…ハドラー…!!!」
その大魔王が、手にした杖を振りかぶる。
ゆったりとした動きにもかかわらず、その重そうな一撃は、横薙ぎにハドラーの首を落としにかかってきていた。
「ハドラー様…!!!」
彼の名を呼ぶアルビナスの声が、悲鳴のように響く。だが、
「な…なにィッ!!?」
ハドラーはその攻撃を躱さなかった。
躱すかわりにその刃を、両掌で挟んで、受け止めていた。
刃といっても物理的なそれではない、魔力が具現化したもの。
それを受け止めるには、相応の魔力を、瞬間的に掌に、集中させなければならなかった筈だ。
「…あなたに二度殺されるのは御免こうむる!!
どうしてもこの命、奪うというなら…この場であなたを倒すのみだっ!!!
オレをなめるなァッ!!!大魔王ォッ!!!!」
…瞬間、ハドラーの全身から放たれた闘気と魔力が、大魔王の攻撃の威力と、その身体を弾き飛ばす。
それはその瞬間、ハドラーのパワーが大魔王のそれを、上回った事を示していた。
ありえない事態に、さすがの大魔王が驚愕の表情を見せる。
死して蘇るたびにその力を増す、不死身の肉体。
それは大魔王自身がハドラーに与えたもので、その復活自体は、大魔王がその暗黒闘気を与える事のみで、成される筈だった。
その力は、超魔生物と化した時に、失われたものとばかり思っていたが…ハドラーは自力で蘇り、今や大魔王に匹敵する力を手に入れつつあるのではないか。
「まっ…待てっ!!ハドラー!!!
それ以上、大魔王様への無礼は許さん!!!」
「キミの部下たちの
その様子に側近たちも焦りを見せて、ハドラーの精神を揺さぶりにかかるも、
「……かまわん!!好きにするがいい!!
どうせオレが死んだら、そいつらも生きてはおれんのだ!」
…彼はそれを、一言のもとに切り捨てた。
禁呪法で生まれた生命体は、基本的に創造主の魔力を、その生命の源とする。
かつて作ったフレイザードは、途中から大魔王の暗黒闘気を糧にする事で、むしろ大魔王との繋がりの方が強くなったが、ハドラーとだけ繋がっている彼らの生命は、主の生命が終われば、そこで消える。
……唯一、リリィとの繋がりを持っていたフェンブレンだけはハドラー亡き後も、もしかしたら生き残っている可能性がなくもなかったが、彼が今生きてここに在ったとしても、検証は勿論不可能な事だ。
「我らハドラー親衛騎団は一心同体、その目的は、アバンの使徒の打倒だけだっ!!!
目的の為に死を恐れる者など、オレの部下には一人もおらんわぁっ!!!」
ハドラーは言い放ち、右腕から覇者の剣を振り出す。
「バーン!!!死ぬのはあなたの方だ!!!!」
そのまま自身に向けて突進してくるハドラーの覇気に、大魔王は一瞬、確かに圧倒されていた。
「おっ…おのれ、ハドラー!!!
少々力が増した程度で、この大魔王に勝てるとでも思うのか!!?」
覇者の剣の一撃を、光魔の杖でなんとか受け止めたのは、さすが大魔王というべきだった。
だが、それを支える手は震え、もう少しハドラーが力を込めれば、押し負けるのは明らかだ。
それが大魔王バーンには信じられなかった。
「オレの力が増しただけでは勝てまい…!
だが、今のあなたなら話は別だッ!!!」
…その答えには、ハドラーの方が先に気付いていた。
「その杖…恐らく魔法力を吸って、莫大な破壊力を生みだすものと見た…!!!
つまり、握っているだけでも無尽蔵に、魔法力を消費しつづけるということ…!!!」
そうだ。吸収する魔法力の量に上限がないのは、この光魔の杖の長所であり同時に弱点でもある。
それにより打撃力は果てしなく上昇するが、その分魔法力の消費が激しい。
そして大魔王は、先ほどまでの勇者一行との戦いで、かなりの魔法力を消費してしまっている。
ハドラーは決して馬鹿ではない。
むしろ、魔族の中でも狡猾な男だった。
魔軍司令だった頃の彼の失態の数かずは、無駄に頭が回ったからこそと言えるものの方が多い。
その目の前にこれほどに明確な弱点が晒されて、それをついてこぬような男でない事、彼のそういうところを見込んだバーンはよく知っていた。
そういえば、とバーンは思う。
先ほど、オリハルコンでできたダイの剣を、一撃のもとにへし折った時が、この身体で奮い出せる、最大の破壊力を発揮した瞬間だった。
あれから一撃繰り出すごとに魔法力を消費していたのだとすれば、今はその時より、はるかに威力が弱まっている事になる。
その証拠に同じオリハルコンで出来た、この覇者の剣を折ることができずにいる。
同じ材質、しかも剣としての完成度は、ロン・ベルクの作ったダイの剣の方が確実に優っていたのに、だ。
「…ようやく、お気づきのようだな。
力の源である魔法力が尽きつつある今、パワーの激突ならばオレに分があるという事に…!!!」
「…ぬぅっ…!」
その強大な魔力により、魔界最強を自負する大魔王も、単に肉体の耐久力的には、魔族の老人に過ぎない。
魔族としてもまだ男盛り、更に超魔生物に改造されて限界以上のパワーアップを果たして、果ては死期を目前として、燃え尽きる前の生命を最大限に燃やしているハドラーの力に、大魔王バーンは確実に押し負けつつあった。
大魔王の忠臣であるミストバーンは、この事態を黙って見ていたわけではなかった。
むしろ、動いた……動こうとした。
それを留めたのは、ハドラーに加勢させぬために束縛していた、親衛騎団たちだった。
「今この束縛を解いたら、我々は何をするかわかりませんぞ!」
オリハルコンの
「あなたもです、死神さん!
動いた瞬間に、そちらの使い魔ともども黒コゲですから!!
…それで構わなければ、お好きにどうぞ?」
更に、
その態度がまたある人物を連想させ、キルバーンは舌打ちをする。
「…チッ…人形の分際でっ…!!」
こうして、側近たちの助力が得られぬまま、ハドラーとのパワー勝負を続ける事になっていた大魔王バーンだが、押し負けた自らの武器が肩口を傷つける事にはなったものの、何とか受け止めたハドラーの剣から力の方向を、なんとか逸らす事に成功した。
それは奇しくも敵である勇者一行の女僧侶が、このハドラーと戦った時に見せた戦法だった。
そもそも力無いものの戦い方であるそれは、大魔王の戦術の中にはなく、あれほど鮮やかには決まらなかったのだが、一瞬どうにか身体を離せたのを幸い、左掌に魔法力を集中させる。
「カイザーフェニックス!!!!」
炎の化鳥は、ハドラーに向かってまっすぐ飛び…それを受け止めた掌底に握り潰された。
その光景に大魔王だけではなく、側近たちまでもが目を瞠る。
「…本来なら、この1発で黒コゲなのだろうが…やはり魔法力が弱くなってきているようだな…!!
この機は
言うや、ハドラーは全身から魔炎気を放出させ、それを右腕の覇者の剣に伝わらせた。
さらに手首を左手で握る。
それはまさしく、超魔爆炎覇の構えだ。
「覚悟ッ!!!!」
魔獣の脚が地面を蹴り、まだ構えを取れずにいる大魔王へと、剣先が向かった……刹那。
「やめてッ、ハドラー!!!」
…そこに、居るはずのない声が響いた。
全員の動きが止まり、目が反射的にそちらに向く。
長い三つ編みを横に流した黒髪。小さな身体。どこにでもいるような、人間の娘。
「リリィ…何故、ここに……?」
先ほど別れを済ませた筈の、その娘の名を呼ぶと、少女の瞳から一筋、涙が落ちた。
「やめて…もう戦わないで。
これ以上、あなたが傷つくのを見るのは、辛いの……!」
…瞬間、アルビナスの左右の目に赤と青の光が灯った。
それが点滅した後、その声が叫ぶ。
「ハドラー様!そいつは、リリィ様では…!!」
「キヒヒッ…ヒィ〜ッヒッヒッヒッ!!!」
少女の姿をしたものは、奇怪な笑い声をあげた。
「ううっ!!!」
次の瞬間、ハドラーの身体を、魔力の鎖が拘束する。
その源に、少女の掌があった。
そして……少女の姿が、小柄な魔族の老人に変わる。
「ザ…ザボエラ!!!!」
「惚れた女に陥れられた気分はどうじゃ!?
よくもこのワシを、魔牢なんぞに閉じ込めてくれたのォ…!!!」
見事にしてやられた事に、ハドラーは奥歯を噛み締めた。
ヒムを通じてリリィから忠告された言葉が今、現実となって彼を窮地に陥れている。
「あっ……あのダニがあ〜っ!!」
そのヒムの口から叫び声が上がったが、それも負け犬の遠吠えにすぎなかった。
「い、今でェ〜す!!大魔王さまぁ〜っ!!!
このハドラーめに、ご鉄槌をお下しくだされぇ〜っ!!!」
そして、それを為したザボエラはここぞとばかりに、大魔王へとアピールする。
「…よくやったぞ、ザボエラ。
そのまま放すでない…!!」」
大魔王は、言って腕に巻きつけていた光魔の杖の、魔法力を吸い取るパーツを戻す。
そして、それを握り直して振りかぶると、槍のように投擲した。
・
・
・
………それは一瞬の出来事だった。
ミストバーンの技に拘束されていた筈の
その下から現れた細身のオリハルコン戦士が、投擲される光魔の杖がハドラーの心臓に到達するより速く、その切っ先にたどり着く。
それは
「ブロック〜ッ!!!」
上空から聞こえた叫び声に、大魔王と側近たちが、その声の方に視線を上げる。
上空に浮かんだ、恐らくは先ほどの
「…ミンナ…ハドラーサマヲ…タノム…!!」
たどたどしく言って戦士が拳を上げると、球体は更に上空へと急上昇する。
「ブロォ──ック!!!!!」
主の悲痛な呼び声が聞こえなくなり、それを確認して満足げに微笑んだ【
・・・
「
“キャスリング”というやつか…」
キャスリング…
適応するにはさまざまな制限があるが、一手で二つの駒を動かせるのはこれを使う時だけである為、重要な一手になり得る手だ。
「…だが余は、ハドラーにとどめを刺す寸前だった…。
これがチェスの勝負なら、チェックメイト後のキャスリングは……反則だ!!」
獲物を逃した事による苛立ちを隠そうともしない大魔王は、爆発の中心部の地面に刺さった光魔の杖を引き抜くと、まだ形の残っていた
☆☆☆
いつしか包まれていた、白い空間の中で、彼は…漂っていた。
そこは、彼が生まれる前に居た場所なのだと、本能で理解した。
【……あなたの名前は?】
「バラン、と申します…
【…バラン。
私はこれまで、自分が産んだ我が子たちの名前など、ひとりとして知ることがなかったのです。
名を呼ぶのはバラン、あなたが最初で最後…。
今の私には、新たな騎士を生む力はないから】
「それは…どういう」
【ある邪悪な力によって、私の命は尽きようとしているのです。
けれど、潮時だったのでしょう。
仮に新たな騎士を生めたとしても、
今、世界を恐怖に陥れている大魔王バーンの力は、神々のそれを遥かに超えています。
…むしろ悪の力が強くなったのは、
だから、私は
…バラン。私の、最後の子。
私が名を呼んだ、唯一の子。
つらい戦いはお忘れなさい。
あなたの魂と共に、私も天へ還りましょう…】
「…
あの子には、通常の
力が全てを司る世界で、その魂をもって悪を討つ。
あの子は必ずや、成し遂げるはず。
だから……嘆くことはありません。母よ」
【そんな…そんな奇跡が……?
力の限界を迎えた先に、神は救いを残してくれたというの…?
……そうね。
ならば私も、最後の力を残しましょう。
バラン…あなたを、この辛い世界に置いていく母を、許してくださいね?】
「………
【奇跡を、希望を、ありがとう。
……愛しています。我が子よ】
魂で融合していた意識が消え、ひとりになったと気づくと同時に、白い空間も消え去った。
・
・
・
…次にバランが居たのは、どこまでも続く広い花畑の中だった。
1人ではなく目の前には、かつて失った愛しい妻が、少し困り顔をして、彼を見つめている。
「……ひょっとして、私が歳をとってしまったから、あの頃と変わらず美しい君には、私が誰かわからないのか?」
彼がそう問うた瞬間、彼女は驚いたように目を見開いた。
それから少しだけ怒った表情を浮かべて、彼を睨みつけてくる。
『わたしが、そんな薄情な女だと思っているの?
国を捨てる覚悟で愛した、子まで成した夫の顔も、わからないような女だと?』
…その顔が、2人の間に生まれた息子とよく似ていて、睨まれているにもかかわらず、彼は口元を緩ませた。
「済まない。怒らせるつもりはなかった。
……会えて、嬉しい。愛しい人。
ずっと、ずっと君に会いたかったから」
切ない想いが溢れそうになりながら、彼はその頬に手を伸ばす。
だが彼の愛しい女は、その手を避けるようにして、一歩後ろへ下がった。
…そうして、少し悲しげに微笑む。
『わたしは、いつだってそばにいたわ。
あなたがずっと、わたしを思い出してくれなかっただけ』
その意外な言葉に、彼は思わず反論した。
「私は……君を忘れてなど…!」
『いいえ、忘れてしまっていたわ。
あなたとただの夫婦として過ごしたあの日々、わたしがどれだけ幸せだったかを。
悲しみ、人を憎むあまり、あなたの中でわたしの人生は、不幸に塗り替えられてしまっていたもの』
そんなはずはない、と彼は思った。
だが一方で、憎しみに駆られて動いているうちに、彼女が幸せそうに笑っている顔を思い出せなくなっていたのも、純然たる事実だった。
『…わたしを、そして幸せを忘れてしまった罰として、あなたにはわたしのいない世界で生きて、幸せになってもらいます!』
「…そんな罰があるか」
『あるんです!今わたしが作りました!!
……そんな顔しなくても、あなたが幸せな生涯を全うしたその時には、迎えに来てあげるわ。
そしてディーノが同じように、幸せな生を終えた時には、2人で迎えに行きましょう。
だから、その時までさようなら……バラン。
わたしの愛は、いつだってあなたと共にあるわ』
瞬間、強い風が花々を散らし、彼女の姿がそれに紛れて、見えなくなる。
「待ってくれ!行かないでくれ……ソアラ!!」
消えそうになる彼女の手を掴もうとした瞬間、全身がまた、白い光に包まれた。
☆☆☆
「……バラン様!!?
気がつかれたんですね、良かった……!!」
白い光の眩しさに目を閉じて、ようやくそれが開かれた時。
何故か、寝台に横たわっている自身の右手が、傍に立つ少女の小さな両手に、包まれているのに気がついた。
それは、光の中に消えていく妻に向かって、思わず伸ばしてしまった手だった。
それに気がついた時、何故だか己の内側から溢れてくる強い感情に、押し流される自身を感じた。
気がつけば寝台から半身を起こし、目の前の少女に縋り付いて……バランは、慟哭していた。
☆☆☆
「その…大人げなく取り乱したようで、すまなかった。
どうも混乱していたようで…」
ようやく感情の奔流がおさまり、冷静になった頭で、バランは自身が何をしていたかにようやく気がついた。
大人としてあまりに情けない姿を、自身の子と同じくらいの少女の前に晒したことで、知らず頬が熱くなるのを感じる。
だが少女は一欠片の動揺も見せず、穏やかに首を横に振った。
「
気になさることはありませんよ、バラン様」
「……どういう意味だ?」
訝しげに問う彼の目を、まっすぐに見返して、目の前の少女…リリィが、言葉を紡ぐ。
「
今のあなたは、
「……なんだと………!?私が、人間…?」
驚愕のあまり、無意識に額に手をやると、それを覆っていた布の感触に触れた。
思わずむしり取った手の中のそれには、彼が有していた紋章の形に、赤い血の跡がくっきり残っていた。