DRAGON QUEST -ダイの大冒険- 神が投げた小石たち 作:大岡 ひじき
…どれくらいこうしているのか、既にわからない。
手足を枷で拘束されて、どうもその枷から魔力も体力も死なない程度まで吸い取られているらしく、一向に回復する気配がない。
黒い影が、抵抗もできないわたしの身体に重なり、強引に入ってきては、残滓を残して去っていく。
何度繰り返したか、もう忘れた。
わたしを乗っ取ろうとして身体に入ってくるシャドーという魔物は、無念のうちに死んだ魂の思念のみが凝り固まって生まれた生命体だ。
奴らはわたしの中に入った途端、長年僧侶として培った聖なる力によって浄化され消えていくが、その無念の思いだけは消えず、澱のようにわたしの心に積み重なっていく。
まるで強姦でもされているみたいに、身体は穢されていないが心は確実に穢されていく。
悲しい。
辛い。
苦しい。
憎い。
……違う。これはわたしの思いじゃない。
そう思っても、それはわたしの心の奥の泉に、深く、深く、沈んでいく。
かつて流した涙によって生じた、悲しみの泉に。
……魂が、痛い。
いっそこのまま死んでしまえたらいいのに。
…死んでしまったら、会えるのかしら。
わたしの……大切な…………
☆☆☆
「……何故だ?」
人間となったバランに、テラン王との謁見を提案すると、バランは一瞬目を瞠り、徐々に嫌そうな表情に変わった。
まあ、この反応も想定の範囲内だ。
あたしの事は辛うじて信用してくれているようだが、彼の人間への不信感が一朝一夕に拭い去れるものじゃない事くらい、あたしも判ってるつもりだ。
けど、バランは今や、その人間に自分がなってしまった。
だとすれば、生きていく道を模索せねばならない。
できるなら、その生き方に誇りを持てる道を。
……そして、彼は父親だ。
「…テラン王国は、竜の神を奉じ、
以前の戦いで国土を荒らし、国民に多大な迷惑と心労をかけた事への謝罪も必要でしょうし、そこが済めばあなたの身元を保障していただくに、これ以上の存在はないかと」
「この私に、人間に頭を下げろと?
お断りだ。そんな事をするくらいなら…」
「あなたも人間です。それをお忘れですか?」
「………っ!だ、だが、私は」
「…なるほど。
己のプライドの為ならば、自分と同じ苦労を、我が子が味わうこととなってもかまわないと、そう仰るのですね?」
……あたしは今多分、とても卑怯な言い方をしていると思う。
親としての愛情がこれほどに強い男であるなら、この言い方が一番堪えるだろうから。
けど、最終的に『息子の為』という入口から入っていくのが、彼には一番手っ取り早いのだ。
「…どういう意味だ?」
そして当然、バランはあたしの言葉に、疑問と幾ばくかの憤りを視線に込めて、あたしを見返した。
このタイミングで、ふたつめの爆弾を投下する。
「勇者ダイが、パプニカ王女レオナ様と恋仲だという事実は、ご存知ですか?」
「…なん……だと?」
あたしの落とした爆弾に、バランは狙い通り驚愕した。
…実際には2人の関係は、まだ恋と呼ぶには淡すぎるだろう。
レオナ姫の方は既にある程度自覚している筈だが、ダイにとっての今のレオナは『大切な友達』だろうし、その点で言えばポップも同じくらい、ダイの中では重要な位置を占めている。
更にこの世界ではグエンさんの存在もあるし。
けど、ラストでダイの行方不明を回避できれば、その後は間違いなく2人は恋に落ちる。
レオナ姫は『勇者が逃げないようしっかり捕まえておく』為に、彼女の全力をもってダイを落としにかかるだろうから。
けどそうなると、レオナが国を背負って立つ立場である以上、かつてのアルキードの2人の運命を、少なからずなぞる事になる。
「今のままでは、あなたの時と同じ状況です。
そもそもあなたのケースに於いて、あなたがアルキードを追われる一番のきっかけになったのは人間でなかった事ではなく、そこを突けばあっさり追い落とせるほど、あなたが王女の相手となるに相応しい後ろ盾を持たなかった事なのですから。
逆に言えば、ある程度のそれを得る事ができれば、話が簡単に纏まるという事でもあり得たんです」
この世界では、王族の恋愛結婚はむしろ主流だ。
けど、王族以外の、貴族や側近にとってはそうではない。
王族が恋愛結婚をするならば、その恋愛から演出した上で、王女に自分の身内をと考える者もいただろうし、また王女と恋愛関係にあるバランを身内に取り込もうとしていた者もいた筈だ。
バランのケースは恐らくは、後者の動きを制すべく、前者が先手を取った形だったのだと思う。
タイミング的に後者の勢力が先んじてバランの後ろ盾になっていたとすれば、素のバランは見た目は人間そのものなのだし、人間ではないなどという噂は、流れたとしても一笑に付されていただろう。
その点においては、前魔王戦の後、パプニカの相談役に就任した大魔導士マトリフが、結局はその職を辞さねばならなくなったケースも同様だ。
年齢的に彼を取り込むのは、パプニカ貴族には難しかったのだろうが、どこかそういう後ろ盾さえあったのならば、マトリフ様ほどの人物、もう少し王家やら貴族の世界の中を、自分の思うように泳ぎ回れた筈だ。
…あのひとのことだから結局は面白くなくなって、辞めてた可能性も高い気はするが。
「…まあ、常に孤独を宿命づけられ生きてきたあなたにしてみれば、意味のわからない事でしょうけどね」
「…その、君が言いたいのはつまりディー…勇者ダイがパプニカの王女と障害なく結ばれる為の、人間のしきたりに則った下地を作れという事なのだな?
その為に、まずは父親である私が、テラン王に庇護を求めろと」
言いたいことがどうやら通じたようだと判断して、バランの言葉にあたしは頷いた。
……そう、これは、最終的にはダイの為に必要な事だ。
ダイが、父親と同じ道を辿らずに済む為の。
「…あなたは、ダイの父親です。
御自分の為にはできない事でも、御子息の幸せの為ならば、なんとかできるとは思われませんか?
だってあなたは、己が命と引き替えにして、彼を助けたではありませんか」
勿論それは、そうできる力がバランにあったからだけど。
もし、あたしにあのひとを…ハドラーを助ける力があったとして、自身の命を引き換えにしてまで、そうできただろうか?
そう考えるとほんの少し、バランに嫉妬する自分もいる。
……だからなのだろう。
次に続く言葉に、少し意地悪なニュアンスが混じってしまったのは。
「…言わせていただければ奥様を連れてアルキード王国を出られた時にそうしていてくれたなら、それが一番面倒がなかったんですよ。
どうせテランで生活する気であれば。
そもそも他国の王族を連れて勝手にテランで生活してた時点で迷惑かけてるわけですし?
ならば正式にテラン王家に匿われたというのであれば、いかにテランが弱小国とはいえ、アルキード王家でも滅多な事では手が出せませんでしたよ?」
そして、あたしがそう言うとバランは眉を顰めた。
それから、一度ため息をつき、小さく首を横に振る。
「…君が物心ついた時には既にない国ゆえ知らないのだろうが、アルキードは、それなりの軍事力を持った国だったのだぞ?
テランの武力で敵う筈が……」
「あくまでテラン単体ならそうでしょうね。
ですが、アルキードが軍を率いて脅しをかけ、王女を取り戻そうとするなら、それは他国から侵略行為とみなされ、近隣諸国から粛清対象とされます。
テラン自体は滅亡寸前の弱小国ですが、隣国のベンガーナは強国です。
国境を接している分、そんなアルキードの動きを、黙って見ている事はできなかったでしょう。
更に、ベンガーナが動けばカールやリンガイアも、当然動いたでしょうし。
ベンガーナと事を荒立てたくなければ、アルキードは、結局はテランと話し合いをしなければならなかったでしょうし、その間は奥様の体調を口実にすれば、テランで保護する事も不可能ではなかった筈です。
テラン王は、害される事がわかっていて、みすみす
…ねえ、なんでそこに気付かなかったんですか?
駆け落ちラリで頭回らなかったんですか?
二人の世界に酔い痴れて他が見えなくなってたんですか?
少なくともいい年をした大人の行動とは言い難いですよね?
なんて事を13歳の小娘に言われて、今どんな御気分ですか?
あ、今は人間としては生まれたばかりでしたね、失礼いたしました」
「くっ……ぐぬぬ……!!」
あたしにあっさり言い負かされた脳筋は、少し顔を赤らめて呻いた。
「…というのはまあ、冗談にしても」
「冗談だったのか!?
返す言葉もないくらい正論で、羞恥で死ねるとまで思ったというのに!!」
大丈夫だ、
…まあ、これ以上苛めるのはよそう。
そもそもが八つ当たりでしかない。
「…少なくとも、奥様は考えてらっしゃった気がするんですよね。
お話をうかがう限りは、ですけど。
彼女が城であなたに施していたというのは、恐らく王配教育であった筈ですし、少なくともあなたよりは将来のことを、現実的に捉えていたかと。
実行しなかったのはあなたのお気持ちを考えてなのか、テランに迷惑をかける決心がつかなかったのか、ひょっとしたらテランにおける
この世界にはない話だが、トロイア戦争の原因となったのは王子が他国の王妃を奪って逃げた事だったっけ。
バランは王子ではないしソアラも王妃ではないが、テラン王家に匿われれば似たような状況が発生する。
まだ魔王軍との戦いが記憶に新しい中、新たなそれも人間同士の争いで血が流れる事を、そしてその原因に自分たちがなる事を、彼女は厭うたのかもしれない。
……優しい人だったみたいだし。
「……だが現実問題として、それは可能な事なのか?」
「…障害となりうるのは、今のあなたに
「…今、丸め込むって言おうとしたな!」
バランがつっこんできたところで、広場に昼を告げる鐘が鳴った。
☆☆☆
「…ところで、バラン様はどちらのご出身ですか?」
宿屋の奥さんがあたしの分もお昼ご飯を用意してくれたので、バランが使っている部屋でそれを一緒に食べながらあたしが訊ねると、唐突な話題に戸惑ったのか、バランは明らかにわけがわからないという表情をした。
「
あなたにも育ての親はいたのだと解釈しておりましたが、あたしの勘違いでしょうか?」
「…スプーンでひとを指すのはやめなさい」
おっと、失礼失礼。
質問しながら、手にしたスプーンの先を、マイクのようにバランに向けていたのだが、確かにこの動きはこっちの世界の人には通じないだろう。
「……先の質問だが、テランの山奥に、かつて小さな村があった…今はない。
私が16になる年に、知恵ある竜の襲撃にあい、滅ぼされた。
…今思うにどうもあの村は、私の存在ゆえに作られたものであったのだと思う。
村の者全員が、私の育ての親であり、また師でもあった。
その後はずっと戦いの日々で、思い出す事もなかったが」
…そんな事があったんだ。
けどそんな過去を戦いの中で思い出す事もなくなるなんてのは、そこはやはり人間とは思考形態が違うような気がする。
というよりは悲しみに行動が支配されぬよう、本能的にその件に関しての記憶と感情を自らの内に封じたか。
けど、多分そんなものも、これからは徐々に思い出していくだろうし、そうしなければならない。
彼は人間なのだから。
「その方々の事を思い出してみて、今、どう思われますか?」
だから、少し残酷な質問を敢えてしてみる。
バランは少しだけ考えていたが、次に小さく首を横に振った。
「……言葉には、できぬな。
私は戦いに…血に染まりすぎた。今更…」
「罪に逃げないで、言葉を探してください。
人と言葉を交わす事を、諦めないで。
人である今のあなたには、一番大切なことです」
人間への憎しみが消えていないこのひとに、敢えて人間になった事を意識させるのは残酷な事だ。
でも、徐々に自覚して自己矛盾を抱えるより、あたしの言葉があった方が、あたしのせいにできる分、彼の心の負担は軽減すると信じるしかない。
…そろそろ自分でも、何言ってるかわからないけど。
「…バラン様。
悲しむ事も悔やむ事も、弱さじゃないですよ。
苦しくても、それに蓋をして見ないようにするのではなく、それも自分だと認めた上で、抱えて前に進むのが、本当の心の強さです。
苦しいかもしれませんけれど、あなたはそれに向き合うべきです」
なんか似たような事ノヴァにも言ったなと、心の片隅でふと思い出し、苦笑する。
でも結局、自分の弱さを認めないと、人間は強くなれない。
ポップが最終戦までずっと立っていられたのは、自分の弱さを否定せずに努力して強くなったからだ。
……そしてあたしは、そのポップの妹だ。
「…リリィ」
「はい?」
名を呼ばれて、反射的に見上げると、どこか決意を感じる真剣な目と、視線が合った。
「……私に、できると思うか?
…
「できるできないは関係ありません。
生きてください。
この先、あなたが人間として生きるのは、変えようもない現実なのですから」
強い意志を込めて、その目を見つめ返す。
バランは暫しあたしから視線を外さずにいたが、その表情が突然、ふっと緩んだ。
「……まったく、厳しいことだ。
だが、その情け容赦ない言葉が、今の私には心地良い」
…どこかの誰かが別れ際に言ったような台詞だと思う心を、胸の痛みとともに、あたしは呑み込んだ。