ひゅ、と耳のすぐ脇で笛を吹くような音がした。
走りながら、全力で横に跳ぶ。万全ならば、音を置き去りにしたような速さを出せるのに、重い手足はそこまでの速さを持って動かせない。
それでも、後ろから迫って来た刺突は避けられた。
首筋から赤い血が飛ぶ。が、首ごと持って行かれるよりは遥かに良い。
「ほぅ、またも避けるか。上手くなったものよな」
思ったよりも間近で聞こえた、涼やかな女の声。美声ではあるのだが、現在においては怪物の咆哮のほうがマシだった。
振り返りつつ、自分の血で空中にルーンを描く。しかし盾のルーンは、伸びてきた紅い槍に砕かれた。
「小手先よな。さて馬鹿者、一体いつまでそうして逃げる?」
「……あんたさんが、諦めてくれるまでだが」
青空の下、砂塵舞う大地で向かい合う影は二つ。
紅い魔槍を持つ黒衣の女と、無銘の槍を握る青い革鎧の少年だった。
血で濡れた首筋を押さえる小柄で幼さの残る少年を見て、黒衣の女は嬉しくて堪らないという風ににやりと笑った。美しい女の蠱惑的な微笑みに、少年は全く心を動かされた様子はなく、ただ顔をしかめた。
「有り得ぬなぁ。それにしても、何故そこまで避ける。父と戦うのは生前から変わらぬお主の望みだろうに」
「このまま戦ったら生前の二の舞だから、だよ。あんたさんは二回も父親に息子を殺させるつもりか」
しかめ面のままの少年を前に、黒衣の女は槍を肩に担いで頷いた。
「あ奴が弱ければそうなるだろうよ。それよりも、さっさと馬鹿弟子を表に出さぬか」
「断る。あっちは狂った親父さんを見て怒ってる。怒っている今、あんたさんの前に出したら、また煽られて突撃するだけだ。だから落ち着くまで俺が変わる」
項でくくった少年の黒髪が、砂混じりの風に揺れた。
「それがあ奴の願いならば、お主に止める権利は無かろう。そもそもお前は本来、馬鹿弟子の霊基にこびり付いている幻だろう。とく消えよ」
「嫌だ。幻でも、俺は消えるまではここにいる。そもそも、あんたさんはこいつを勝たせる気はない。ただ狂王を試したいだけだろう。それじゃあ、絶対に勝てない。こいつがこいつの手で倒せなきゃ意味がないじゃないか」
今度は黒衣の女は薄く笑った。
「ふむ。まあ、儂の思惑に関して否定はせぬよ。記憶を閲覧しただけとはいえ、なかなかよく分かっているではないか」
「……性悪な女王様だな、あんたさんは」
少年は吐き捨てるように言い切った。
次の瞬間女が踏み込み、彼はたまらずに吹き飛ばされる。
槍を地面に突き立てて、なんとか岩壁に叩きつけられるのを防いだ少年の鼻先に、朱槍が突きつけられる。
女は首をゆっくりと傾げて、一言一言を噛んで含めるように告げた。
「これが最後だ。馬鹿弟子を表に出さぬか、意地を張るのも大概にせよ。でなければ生命を貰うぞ」
女に向けて、そのとき少年は初めてにやりと笑った。
「あんたたちは、そればかり言うんだな。お国柄ってやつか」
「何?」
何でもない、と少年は槍を持つ手に力を込めた。
「何度だって俺の答えは変わらない。……
たちまち女の槍が振り上げられ、少年は横に構えた槍でそれを受け止める。
甲高い音と共に、北米大陸の大地が抉れ跳び砂塵が辺りを覆った。
不吉なほど眩しい光輪を頂いた、蒼穹の下での出来事だった。
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高い空と砂塵舞う大地。場所は北米大陸にして、時は十八世紀。
「時代で言うなら、南北戦争のころ……って話だったよね」
思わずそんな独り言を、わたしは呟いてしまう。砂っぽいテントの中、ぎしぎし軋む簡易寝台の上に腰かけたまま。
目の前でわたしの腕やお腹を見ていてくれていた女の子が、その一言で顔を上げた。
「先輩?もしかしてまだ傷が……」
「あ、ごめん。マシュ。なんでもないよ」
ぱたぱたと両手を振ってアピール。わたしはもう大丈夫なんだって言わないと、この盾の女の子は心配してしまうから。
そうしてみせると、マシュはほっとした顔になってくれた。サーヴァントとしての紫の鎧を纏っているのに、そういう顔をするマシュは勇ましさというより可愛いと思う。
「あんた、傷は治ったのか?」
マシュの笑顔を十分見る前に、ぶっきらぼうな声が入り口から飛んで来た。出入口にもたれるようにして、腕組みをした小柄な男の子が立っていた。
「あ、はい……」
「じゃあ、出てったほうが良い。ここは、婦長の戦場だから追い出される」
そういう男の子は、自分も頭のところに包帯を巻いていた。血が滲んでいるのではなく、砂埃にまみれている。包帯だけでなく、この子は着ている服も、項の辺りで束ねている黒い長めの髪も砂だらけだった。
彼は
自分も負傷しているらしいのに、あちこちを駆け回って彼言うところの『婦長』という人の手伝いをしているらしい。実のところ、わたしの手当てを担当したのはこの子だった。
幼い見た目より大人っぽい振る舞いと物言いをする彼はカルデアにいるサーヴァントの一人、アンデルセンと少し似ていると、内心わたしは思っていた。
―――――それにしてもこの赤い目、どこかで見たような?
「あんたも災難だったな。戦場に巻き込まれて弓で吹っ飛ばされたって?」
「はい……」
男の子はそう言う。そしてそれが真実なのだ。
第五特異点、北米大陸にレイシフトしたわたしたちは、到着早々に戦場に巻き込まれた。そこでわたしは迂闊にも、流れ弾に巻き込まれ吹っ飛ばされて負傷。
そのまま救護キャンプに運び込まれて今に至るという訳だった。
「あそこで弓を引いたサーヴァントに、悪気はなかった。ただ、手加減が上手くないらしくて、勘弁してやってほしい。ともかく、あんたたちが出て行くって言うなら支度の手伝いはする」
うん、とそのまま頷きかけて、わたしは固まった。
今この男の子は、サーヴァントと言った。それは、普通のこの時代の人間だったら知るはずのない言葉だ。
「ま、待って下さい!あなたは、この時代の方では?」
「は?」
男の子は、もたせかけていた背中を離して首を傾げる。
「違うぞ。俺は人間じゃない。あんたを間違って弓の一撃に巻き込んでしまったのと同じサーヴァントだ」
「え、えぇぇぇぇぇっ!?」
驚く声は二重奏。わたしとマシュの二人分だった。男の子はうるさそうに耳を押さえる。
「気づいていなかったのか?」
「……はい」
男の子はそうか、と無表情で頷いただけで、すたすたと天幕から出て行った。
あまりの呆気なさにぽかんとなってしまう。
「あ、ま、待って下さい!」
我に返って、わたしとマシュは追いかけた。
垂れ幕を持ち上げて飛び出たところは天幕の海だ。どこのテントにも負傷者がいて、どこも人の気配が満ちている。彼の気配はその中に紛れ込んでしまっていた。
『あれ、いなくなっちゃったのかい?彼?』
ピピ、という電子音と共にわたしの持つ通信機から響いたのは、耳慣れたドクターの声だった。
彼はドクター・ロマンことロマニ・アーキマン。わたしたちの旅をカルデアからずっとサポートしてくれているお医者さんで、カルデアの今の指揮官でもある。
「はい、どうしましょう。せっかく話をしてくれそうな現地サーヴァントの方だったのに……」
『うーん。どうもそこいらには、サーヴァントが数騎はいるようだね。彼らを探してみるべきじゃないかな?』
はい、とわたしとマシュが答えかけたところで、また別な人影が現れる。
紅い長い髪と白い戦装束、剣と丸い盾を持った綺麗で優し気な女の人、ライダーのブーディカだった。
「マスター、大丈夫?えらい吹っ飛ばされ方していたけど」
「あ、ブーディカ。ごめん、心配かけちゃって……」
「いいっていいって。何ともなかったならそれが一番。ところで状況は分かったかい?」
軽快な声と共に現れた彼女は、今度は真面目な声でそう言った。
広大な特異点を駆け巡ることが予想されたため、チャリオットを持つ彼女が今回カルデアからついて来てくれたサーヴァントの一人に選ばれた。
マシュとブーディカ、それにもう一人の、計三騎でわたしたちはこの特異点に挑むことになる。召喚サークルを設置できれば交代も可能だが、現在拠点を発見できていなかった。
マシュは悩まし気に頬に手を当てて答える。
「それが……事情を説明してくれそうな現地サーヴァントの方がおられたのですが、どこかに行ってしまって」
「おや。それは困った。あたしの方ももう一人サーヴァントを見つけたんだけど、これがさっぱり話が通じなくてさ」
「バーサーカーみたいな感じなの?」
「うーん、どうなんだろうね。でも、それに近いかもね。すっごく手際よく、傷ついた人たちを治していってるんだよ?ただ、全然こっちの話を聞いてくれてない感じがしてさ」
マシュと顔を見合わせる。
人当たりのいい、人を惹き付ける笑顔の持ち主であるブーディカをしてそう言わせるとは、とわたしたちは同じように戦いていた。
三人して頭を抱えた、まさにそのときだ。
離れたところから、叫び声が聞こえた。天幕の海を抜けて聞こえたのは、悲鳴と怒号。
フランスで、ローマで耳にした、恐怖を煽られた人々の声だった。
さっとマシュとブーディカの顔が一変する。多分わたしも、同じだったろう。
「行ってみよう!」
叫んで駆け出す。向かう先は、一際大きな悲鳴の上がった方角だった。
天幕の間を駆け抜けて、野営地と荒野の境目にわたしたちはたどり着く。そこにいたのは、二つの人影だった。
「いやぁ、どうやら敵さんが現れたらしいな。あんなにたくさん押し寄せているよ」
「そのようですね」
一人は緑の髪の青年で、わたしたちには見慣れたサーヴァント、アーチャーのダビデ王だった。でも、もう一人は知らない。
流麗な白い衣を纏った青年で、手にはとても大きな弓を持っていた。色は浅黒く、纏う気配が尋常ではなく濃い。
時代に合わない装備と佇まいからして、彼もまたサーヴァントだった。得物からしたら、恐らくアーチャーだと考える。
……恐らく、だけれど。サーヴァントのクラスを得物で特定しようとすると、手ひどく失敗したりするのだ。
ダビデがわたしたちに気づいたのか、やあやあと爽やかな表情で振り返った。
「マスター、もう傷の具合は良いようだね」
「……うん。ありがとう。それで、一体今はどういうこと?」
「見ての通り。地平線からわらわらと敵兵だよ。どうやらここを攻めるつもりのようだね」
彼が手で指し示した方向には、確かに大勢の人間たちの姿がある。
皆殺気立っていて、けれど装備は古い。近代の北米大陸で絶対に見かけないような、鎧に槍、剣に盾なのだ。その姿には見覚えがあった。
「ケルト兵……!」
『こちらでも確認できた!立香ちゃん、戦闘だよ!』
切羽詰まったドクターの声がする。
そのとき、これまで黙っていた白衣の青年、推定アーチャーが振り向いた。
「……なるほど。貴女が先ほどの……」
わたしの顔を見るなり眉を思い切り寄せて、そのアーチャーは申し訳なさげな表情だった。
その肩をダビデがにこやかに叩いた。
「そう!きみがさっき誤って巻き込んでしまった、僕たちのマスター、藤丸立香だよ」
言われた途端にアーチャーがますます申し訳なさげな表情になり、ダビデはこちらに向けて片目を瞑った。
いまだよ、とでも言うように。
わたしは思い切って、一歩踏み出すと、お腹に力を込めて叫んだ。
「えーと!恐らくはアーチャーのそこのあなた!……詳しい事情はともかく、今は彼らを倒すのを手伝ってください!野営地を襲われる訳にはいきませんから!」
「……分かりました。どうやら貴女は、彼ら全員を従えている稀有なマスターのようだ。此度は貴女の指揮の下で戦いましょう」
よし、と拳を握る。ごり押しでもなんでも、現地サーヴァントの人たちとは協力関係を築いていければ何よりなのだから。
「マシュ、全体のカバー!ブーディカは近づかせないよう戦車で攪乱!ダビデと多分アーチャーさんは、遠距離から削って!」
そう叫べば、全員が動きだしてくれる。
わたしはそれを見ながら、令呪のある手を握りしめる。
北米大陸に降り立って最初の戦闘は、こうして始まったのだった。
夏の入道雲のように地平線から湧き出していたケルト兵は、実際すぐに撤退した。
というか、白衣のアーチャーとダビデが遠距離から大地を抉るような攻撃を放ち、ブーディカとマシュが向こうから放たれる礫や矢をすべて防ぎ切ったのだ。
そうなると不利とみたのか、彼らはあっという間に退却する。
「戦闘、終了……でしょうか?」
「ええ。後ろに迫っていた新手も撃退されたようですしね」
大盾を下ろしたマシュに応えたのは、白衣のアーチャーだった。
後ろに敵兵がいたことに気づいていなかったわたしとマシュは、顔が青ざめる。
「表も裏も両側から挟み撃ちするつもりだったらしい。撃退できたから支障はない」
その空気を破るみたいに、また別の気配がひょっこりと現れた。
天幕の間から出てきたのはあの男の子。さっきと違うのは、頭の包帯がずれてマフラーのように首の周りに落ちていることと、槍を持って青い革鎧を付けていることだ。そういう格好をすれば、確かに彼は紛れもないサーヴァントだった。
さっきは多分、スキルとか特性とかでこちらが悟れなかったのだんだろう。
その隣にいるのは赤い軍服に似た衣装を着て、腰に大きなポーチと拳銃を付けた女の人である。怖い、というより厳しい表情で彼女は男の子を見下ろしていた。
「ええ。殺菌消毒を手助けしてくれ、感謝します。ですが、それとこれとは話が別です。あなたは早急に治療を受けるべきです。大人しくしていなさい」
「不要だ、婦長。傷はもういい。あとは自分でできる」
男の子と女性は、互いに全然譲る様子が無い。
どうしようかと思ったとき、ブーディカがひそひそ声で耳打ちしてくれた。
「マスター、さっきあたしが言った推定バーサーカーがあの女の人だよ」
「そうなんですか!?……それに、あの少年がわたしたちの出会った現地サーヴァントの方です」
同じくマシュが、ひそひそ声で答える。
そのとき、黙ったままだった白衣のアーチャーがすたすたと歩み出して、男の子に近寄った。
「少し冷静になりなさい。そちらの言っていた星読みのマスターがおられるのですよ」
そのまま、猫の子でも扱うようにぐわし、と男の子の襟首を掴んで婦長から引っぺがす。
「……知っているよ。さっき話したんだから」
どこまでも不機嫌そうな男の子は、アーチャーの手を払いのけて、わたしとマシュのほうに近寄って来た。
わたしの前に彼は立って、片手を差し出してくる。
「改めてこんにちは、カルデアのマスターとサーヴァント。俺はアーチャーのサーヴァントだ。一応、あんた方を待ってた者だ」
差し出された手と反対側の手に槍を握ったそのサーヴァントは、そう言ってほんの少し唇の端を吊り上げた。
―――――あ、やっぱり槍持ってるけどランサーじゃないんだ。
そんな感想を抱きつつ、わたしは同じように手を差し出すのだった。
白衣のアーチャーはアルジュナ、赤い軍服のバーサーカーはナイチンゲールと名乗った。そして、青い鎧のアーチャーは誓約があると真名を言わなかった。
じゃあ、アーチャーさんとお呼びしていいですか、とマシュが言うと、アーチャーだけで良いと言われ、わたしたちは彼のことをアーチャーと呼ぶことになる。
ともかく、アーチャー二人は、この大地を攻め滅ぼそうとしているケルト側に抵抗しているサーヴァントで、ナイチンゲールはとにかく患者がいるから召喚された、の一点張りである。
しかし彼らは一様に、人理定礎の破綻を良しとしていない。わたしたちの味方についてくれる可能性があった。
「私たちは、恐らくこの時代を守るために召喚されたということでしょう。それならば貴方がたに与するのもやぶさかではありません」
「じゃあ、きみたちは人理を守るためにぼくらのマスターに手を貸してくれる、ということでいいんだね?」
念押しするように言ったのはダビデ。
アルジュナという名のアーチャーは躊躇いなく頷き、もう一人のアーチャーはやや歯切れが悪かった。
「俺は全面協力って訳でもない。あんたたちが向こうの王を倒すっていうのなら手伝うが、俺の目的はその王個人を倒すことだからな」
「つまり、人理は二の次ということかい?」
そう言ったのはブーディカ。
「王を倒したいんだよ、俺は」
アーチャーは肩をすくめる。
「どちらでも構いません。あなた方が、この地における一番の病巣を取り除けると言うなら私は行きましょう。さあ、早急に!」
婦長ことナイチンゲールはこう言って譲らない。見た感じではナイチンゲールとアルジュナは同じことを言っているが、アーチャーだけは違う、ということでいいのだろうか。
「別に後ろから令呪を刺したり斬ったりしない。王を倒す邪魔をしなかったら」
わたしの視線をどう見てくれたのか、アーチャーは手をひらひら降って言う。
「ちなみにあんた方、敵がどういうのなのかは分かってるのか?」
「いえ……。ケルトということは知っているのですが……」
マシュが目を伏せがちに答え、アルジュナが続けた。
「では補足をいたしましょう。大まかに言えば、相手の首魁はクー・フーリン。その他、コナハトの女王メイヴ、フィン・マックール、ディルムッド・オディナなどが確認されています。これで全員ではなく、まだ英雄は控えていると思われますが」
『ケルト神話出身の英雄が時代を超えて揃い踏みじゃないか、どうなってるんだい!?』
「揃い踏みだろうが、私たちのやるべきことに変わりはありません」
狼狽えた声のドクターにぴしりと言いのけたのはナイチンゲール。でも、ドクターの声とわたしの考えはほぼ同じだった。
アーチャーがぼそりと付け加える。
「それと、スカサハだな。影の国の女王スカサハ。彼女は今回敵方だ」
『えー!?』
ドクターの驚きようからして、その人はきっと凄く強い英雄なのだろう。でもわたしには何とも聞き覚えがなく、首を傾げてしまう。
「先輩、スカサハとは言わばケルトの数多の英雄たちの師匠のようなものです。クー・フーリンや彼の息子コンラに、教えを授けた影の国の女王と言われています」
「要するにとんでもなく強いってことだよ」
マシュとブーディカの言葉に、わたしも絶句である。
「あの人はえらく強い。俺も一度戦ったが、
渋い顔のアーチャーの怪我はそのときのものだったらしい。
スカサハは、それから大地を一人で彷徨っていたアルジュナのところにいきなり現れ、満身創痍のアーチャーをぶん投げて押し付け、自分はケルトの方へ向かう旨を告げたと言う。
神に操られた小僧っ子と名も無き小僧っ子、という言葉を彼らに残して。
押し付けられたとはいえ、放置すれば消滅しかねないというところまでぼろぼろにされたサーヴァントを放置するのも気が引け、そのままアルジュナは怪我人を片っ端から治しているというナイチンゲールのキャンプを訪れたのだという。
「ですからあなたは怪我人なのです。せめて包帯を巻き直させなさい」
「だから、残りは自分で治せるって言ってるだろうが……!あなたのやり方はキツイんだよ。戦いにくいんだ」
患者を治療しなければ収まらない拳銃を携えた婦長と、怪我は治ったと言い張る槍を構える弓兵は、反りが合わないのかさっきから喧嘩腰である。
―――――この人たち、本当に看護師と弓兵なんだよね?
そんなことを考えてしまう。
というより、毛を逆立てたアーチャーがナイチンゲールを避けているというのか。
「……えーと、でもそれだけ相手方が強大なのに、この大地が完全にケルトとなっていないのはどうして?何か理由があるのかしら?」
場を繕うように言ってくれたのはブーディカだった。
「ええ。アメリカの大統王を名乗る機械兵団が存在し、ケルトと合戦を繰り広げています。私たちは、貴女がたが来る前はそちらに合流しようかと考えていました」
「あ、それがさっきの……」
わたしたちが見た戦場を思い出す。
ロンドンのバベッジ教授にも似た、機械鎧を纏った兵士が確かにいた。彼らが、反ケルト勢だったのだ。
そうか、と頷くとアルジュナが何故か頭を下げて来た。
「あのときは、誠に……本当に巻き込んでしまって申し訳ありませんでした」
「あ、いいえ!いきなり戦場に出て来たのはこっちだし……」
「わたしが、先輩をお守りできなかったのが悪かったんです」
マシュと二人でわたわた手を振って弁解すると、アルジュナはようやく顔を上げてくれた。
ドクター曰く、彼もマハーバーラタというインドの大叙事詩の中心人物だそうだ。
……まぁ確かに、物言いから振る舞いから生真面目で、如何にも正統派な英雄っぽい印象の人ではあった。それにさっきも、弓の一撃でミサイルのように大地を抉っていたのだ。
その人を小僧呼ばわりしたスカサハとはどういう人物なのだろう。
そう思っているとアーチャーが頬杖をついて言った。
「あんた、それだけ気にするなら、カルデアマスターと仮契約すればどうなんだ?バ火力持ちのあんたが手を貸せば、丁度いいだろう。見たところ、カルデア方は護りは上手いが火力が少し足りていないようだから」
「馬鹿とは失礼な。……ええ、ですが貴方の言うことにも一理ある。カルデアのマスター、宜しいですか?」
「もちろん、助けてもらえるならお願いします」
仮契約すれば、こちらからサーヴァントへ魔力や何やらのバックアップを行えるようになる。それだけでなく、仮契約はそのサーヴァントがわたしたちカルデアに力を貸してくれるという確かな意思表示でもあるのだ。
アルジュナと仮契約しつつ、ちらりとアーチャーの方を見る。
彼は、どことなく雰囲気や物言いに険しさがある。棘を持つ山嵐みたいに、あまり近寄られたくないという気配を放っている。アルジュナやナイチンゲール相手にはその気配は薄いが、わたしたちに対してはそういう感じを隠していない。
でも、今の言い方はこちらに手を貸してくれていた。
ちょっと掴めないなぁ、と内心呟く。
「契約は済みましたか?ならば早く行きましょう」
ナイチンゲールが待ちかねたように立ち上がった。
「ちょっと待ちなさい、フローレンス。勝手に行かせるわけがないでしょう」
これまた凛とした声が響き渡る。
わたしの視界の端では、アーチャーが頭痛を堪えるように額を押さえていた。
ここで切ります。次から本編へ戻ります。
それから、今後の更新について活動報告を書きました。
ご参照下されば幸いです。