では。
寝床なんて正直ノインにはどこでだって良かったのだが、結局ジークたちホムンクルスが借り切っている大広間に寄せてもらうことになった。
一応の暇を出された彼らは、城塞のあちこちから集めてきた布で寝床を作り休んでいる。広間だけには収まらず、廊下にまで寝床ができていた。
彼らの中には草原の戦いで傷ついた者たちもいる。
ノインも一応治癒の魔術は使えたし、さすがに血塗れの彼らを放置するわけにも行かないため、なし崩し的に彼らの手当ての手伝いをすることになった。
ついでにルーン石でホムンクルスたちを守る簡単な結界も張った。執念深い黒魔術師のことをノインは忘れていなかったからだ。
生き残った数十人のホムンクルスのリーダーは、少女の姿をした戦闘用ホムンクルスになったそうで彼女の指示でジークとノインはあちらこちらを見て回った。
数時間手伝った後、ジークとノインはその彼女に一旦ここを離れて眠って来いと告げられる。
「ここも落ち着いた。それにどうやら私たちの生みの親が手助けしてくれるようだ。だから休んでこい。ひどい顔だぞ」
生みの親、つまりゴルドのことなのだが、彼はどういう風の吹き回しか彼らに適切な処置を施しているという。
理由は分からないが、そういうことなら有り難いとジークとノインは広間の片隅に作った寝床の上に座った。
「そう言えばジーク、さっき何の話をしかけてたんだ?」
ノインが言うと、ジークの動きが止まった。
「……ノインにありがとうを言っていなかったと思ったんだ。……ありがとう、色々……本当に色々助けてもらっている」
「あ、ああ」
うん、とノインはぎこち無く頷いた。返し方がよく分からないのだ。
気にするなと簡単に言っても気にするだろうし、と心無しか申し訳無さそうな風に見えるジークを見ながら、ノインは立てた膝の上に顎を乗せた。
「あんたたちの身の安全が俺で保証されてることなら、気にする必要は無いぞ」
「……でも、それで結局ノインはまだユグドミレニアに縛られている。そんなこと、俺たちは望んでいなかった」
やっぱりそう思っていたのか、とノインは膝を戻すとジークの方を向いた。
暗がりの中で赤い眼がジークを真っ直ぐ見ていた。
「違う。言っただろ、俺はまだここに関わりたい」
マスターがいなくなっても柵の一つが無くなっただけだ。ノインがユグドミレニアの手で生み出されたデミ・サーヴァントという事実には何の変化もない。
デミ・サーヴァントでなくなれば、変わるのかもしれない。けれどデミ・サーヴァントで無くなるということは、ノインには死ぬと同じことだ。英霊が退去すれば、生命を落とすのだから。
だから死にでもしない限り、ユグドミレニアの影はずっとノインの人生の中に在り続ける。ダーニック一人消えても、変わりはしない。
「……それに、ここにはまだあの人たちがいる。今ここであの人たちをこんな騒ぎの中に残すのは嫌だ」
ライダーやルーラー、アーチャー。
当たり前のようにノインをそこにいる人間と同じに扱った彼ら。彼らは事態を解決するために願いを叶えるために戦うだろう。
彼らがいて、自分の中に少しずつ忘れていた何か、暖かい何かが元に戻ってきている。そんな感じがするのだ。
「まぁ、そうは言っても俺はあの人たちより弱いからな。何もできないかもしれない。それでも、無関係でいたくないんだ」
単純に、英雄たちとこれからも戦わなければならないという恐怖よりそういう感情の方が上回った。
ユグドミレニアへの諦観だけではない、自分個人の望みだった。それを叶え続けるために、まだここにいたいのだ。
「そういうことだから、ジークは色々気にするな。というか、俺より十六歳は下だろ?あんたは一人じゃないんだし、気にせずこっちに頼っていたらいいと思う」
ジークたちは、生まれて三ヶ月かそこいらだ。ノインは確実にその歳なら誰かに頼って生きていた。
まして仲間たちの命がかかっているのなら、なりふり構わないくらいのが当たり前でそうすべきなのではないのだろうか。
けれどそこで言い切れないのがジークの性格なのだろう。
「……それでも、はいそうですかとは言えないぞ、俺は」
「だよな。知ってた。……あ、それとあんたが仲間から離れてセイバーの前に出たこと、俺はまだ怒ってるからな。多少俺に申し訳ないと思うなら、あんなこと二度としてくれるな。ライダーやルーラーだってきっと同じことを言うと思うが」
「分かっている。もう二度やらない。ノインの頭突きは痛かったしな。……何でやれたのか、今となっては分からないくらいだ」
ろくに使えもしない剣だけを持って“赤”のセイバーの前に出たあのときを思い出し、ジークは自分で自分の二の腕を掴んだ。
そうしないと震えが止まらなくなりそうだった。
その様子をノインは見ていた。
「本当にそうしてくれ。あんたたちは、お互いきょうだいみたいなものだろう。きょうだいがいなくなったら、悲しい」
最後だけ、ノインの赤い眼が持ち出してきた絵本に落ちた。
「ノイン?」
何でもないさ、とノインは肩を竦めると、ごろりとジークに背を向けて横になった。
「俺は寝る。そっちもさっさと寝ろよ」
淡々と言ってそれきりノインは静かになる。寝た振りなのかもしれないが、もう話すことは無いという意思表示だった。
ジークも毛布を被って眼を瞑る。そうするとあちこちで仲間たちの立てる息遣いが聞こえた。
今日一日だけで、何人も同胞が死んだ。互いの間に緩い繋がりのあるホムンクルスたちは、仲間の死を感じ取れる。何度も何度も手の中から水が零れ落ちていくような喪失の感覚を味わった。
それでも今このときだけは、確かに仲間たちの生命が感じ取れた。
漣のような音に包まれながら、ジークの意識はゆっくり解けて行った。
翌日である。
朝というより昼手前くらいの時間。顔に当たる日差しでジークは目覚めた。
隣の寝床は既に空で、綺麗に畳まれた毛布の上に絵本とルーン文字の刻まれた丸い瓦礫の欠片が乗せられている。
ノインにとっては、その絵本はわざわざルーンで保護魔術をかけるくらい大事なものなのだろう。
表紙には色鮮やかな草花や赤と黒の燕、橙色の灯りを持った女の子の絵が描かれていた。
普通の童話を集めた絵本だ。けれど随分よく読まれたようで、表紙は手ずれしていた。
何というか、ノインはあまりそういうものを読むようには見えないのだがとジークは首を傾げた。
「や、おはよー。ジーク。良く寝たみたいだね、よしよし」
声をかけられて振り返ると、見慣れた“黒”のライダーがいた。手にはガラスと金属でできた器具が入った箱を持っている。呼吸する際の補助のための道具に見えた。
ジークの視線に気付いて、ライダーが箱を持ち上げる。弾みで器具が擦れ合う音が聞こえた。
「あ、これ?ほらボクもちょっとした手伝いさ。でもフィオレちゃんから呼ばれそうなんだけども……」
「俺がやる。ありがとう、ライダー」
「うん!じゃ、これパス。……あ、そうだ。ノインがどこ行ったか知らない?」
ライダーから箱を受け取りながら、ジークは首を振った。
「すまない。分からないな。俺が起きたときはこうだった」
「そっかー」
むむ、とライダーが首を傾げたとき、偶々通り掛かった少女のホムンクルスが立ち止まった。
「彼なら小石を拾うとか何とか言って外へ出たぞ。それとジーク、その器具はこっちで要る。付いてきてくれ」
「あ、そうなのか。ありがと!……えーとキミ、名前は……?」
少女はライダーに向け、胸に手を当てて名乗った。
「私はトゥールだ。ゴルド殿に昨日付けで名前をもらった」
「オッケー、トゥールちゃんだね。覚えたよ!」
ライダーは明るくそう言って走って行った。
フィオレからの指示はさて何なのだろうと思いながら、ジークもトゥールに続いて彼と逆の方向へ歩み出したのだった。
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ノインのルーンの使い方は、銃の弾と似ている。
小石にルーンを刻んで持っておく。魔力を流す。込めた魔術が発動する。それだけだ。
文字を書く時間が存在しないので早く発動できるが、一度きりの使い捨てなので弾が無くなれば使えなくなるのだ。
“赤”のセイバー相手では対魔力に阻まれたが、それでもゴーレムと戦ったときのように込めた術の規模が大きければ、湖をある程度ならば凍らせられる。
が、昨日だけで作っていた石はすべて無くなってしまったので拾い集めて作らなければならなかった。
幸い、石は砕けた城の瓦礫辺りをうろつけば幾らでもあった。ノインが魔力を流しやすい丸い方がいいのだが、魔術を使えば加工も楽なので形はさして問題ではない。
石を拾いながら、ノインは城の周りを巡る。
遠目に見る草原はあちこちが抉れ、焼け焦げていた。恐らく“赤”のランサーと“黒”のランサーの戦いの後だ。
こちらのランサーが最高の状態ですら、“赤”のランサー相手では拮抗するので限界で、庭園では軽くあしらわれていた。
率直に言うと、誰がどうやれば“赤”のランサー、マハーバーラタの大英雄カルナに勝てるのか想像ができない。足止めでも至難の業だ。
彼だけでなく、トロイア戦争の大英雄アキレウスも、最速の女狩人アタランテも、そして庭園の主、最古の毒殺者セミラミスも、皆“黒”のほぼ全員より強い。それに姿の分からないキャスター、ルーラーである天草四郎もいる。
“赤”のライダーに傷をつけられるのは“黒”のアーチャーだけだから、彼の相手は決まっている。
“黒”の残りはライダー、バーサーカー、ノイン。味方は共闘関係のルーラー。“黒”のアサシンは数えられないし、“赤”のセイバーと組めたとしてやっと六対六。
数は同数だが、質で言えば負けている。というより、あちらが反則級に揃い過ぎているのだ。
半端なサーヴァントとは言え、何かできないかと考える。このままでは勝ち目は零に等しい。
すぐに思い付くのは第二宝具だ。単純に威力がある。ただし使うと理性が消える。
力を貸し与えてくれている英雄本人だったなら、あんな無様なことにはならないだろうとは思うのだ。
ノインができないのは偏に『彼』の真名を知らず、本当の意味で向き合えていないから。それができたとして、勝てるのかと言えば全くそんなことはない。ただ選択肢は増える。
「ルーラーが見れば真名は分かるのか……?」
断崖絶壁に住む山羊のように身軽に瓦礫の中を跳びながら、ノインは呟いた。
ルーラーの特権の一つにそういうものがあった気がする。
頼めば視てくれるのだろうか。それとも陣営に肩入れしないルーラーの決まりに抵触するだろうか。
「……聞かないと、分からないな」
大き目の瓦礫の上にひょいと着地して、ノインは城へ至る道を眺めた。
ふと、その道の上にきらきらした何かが見えた。眼を細めるまでもなく、アーチャーの視力はそれが誰かを教えてくれる。
長い金髪の少女、ルーラーが瓦礫の上のノインに小さく手を振っていた。
ルーラーは街で泊めてもらっていた教会を引き払って来たのだという。今後のことを鑑みて、ミレニア城塞に逗留するそうだ。
「ノイン君もジーク君も、ちゃんと休めたようですね。良かったです。ちなみに、ジーク君は?」
「俺が出たときはまだ寝ていたな」
ルーラーと並んで城へと戻りながら、ノインはそう答えた。
「そうですか……。因みに彼に何か変わった所は?」
「魘されている様子はまだ無かったし、呼吸脈拍共に正常だった。……心臓も問題ないと思う」
ほぅ、とルーラーは息を吐いた。
ジークの心臓は“黒”のセイバーのものだった。恐らく本来ならサーヴァントの消滅により消えるはずのものがジークの魔術回路と結び付いて受肉し、生命力を与えているのだろう。
だがそれは、英霊という常人なら潰されかねない魂の欠片を取り込んだことになる。
今の所ジークにその兆候は無いが、下手をすればジークの心が“黒”のセイバーの記憶や感情で塗り潰されるか、身体が耐えられなくなる可能性がある。
英霊の一部が生命体にどれだけ大きな影響を与えるかは、多分世界でノインが一番よく知っている。
そのノインが問題ないと言ったことに、ルーラーは安堵していた。
彼女はふと笑顔になると言った。
「ノイン君、そう言えば貴方はレティシアのことも気にしていましたね」
「レティシア?」
それは誰だ、とノインはきょとんと首を傾げる。
聞き覚えがない名前だったからだ。
「あ……。すみません、ちょっとうっかりしていました。そうでしたね、貴方たちはまだ出会っていませんでした」
ルーラーは一度眼を閉じ、開く。
さっきまでと同じはずの紫水晶のような瞳がノインを見、気恥ずかしそうに少し逸らされる。ルーラーの見せない反応だった。
「きみが……レティシアなのか?」
ジャンヌ・ダルクの依代である少女は、こくんと頷いた。
「は、はい。……ええとこれは、初めまして、になるんでしょうか?
「あ、ああ。……初めまして、レティシア。ノインだ。ノイン・テーター」
はい、とレティシアは頷いた。
「俺の名前、知っていたのか?」
「その、私は聖女様の見ているものはすべて見せて頂いています。だからあなたのことも、ジークさんやライダーさんのことも見ていました」
言うなれば、レティシアは映画館の観客のようなものだ。
ルーラーというスクリーンを通してレティシアは聖杯大戦をずっと見ていた。干渉されず、干渉せず、ただあるがままに。
「そうなのか。じゃあ驚いただろう。突然聖杯戦争に巻き込まれて」
「それは……はい。でも聖女様は私のことも気にかけて下さっていますから、平気でした」
そうは言うが醸し出している雰囲気からして、多分レティシアは神秘を知らなかった人間だ。
普通の日溜まりの中で生きている少女。それは今までのノインの人生の中で、関わったことのない、現れたことのない人だった。
知らずに立ち止まっていたノインは、また歩き出した。レティシアも歩き出すが、微妙にノインと距離が開いていた。
「?」
「あ、す、すみません!つい……。私、男の人に慣れていなくて……」
「……悪い。気付かなかった」
よく考えれば、デミ・サーヴァントの気配は普通の人間なら怯えても仕方ないものだ。
けれど、この少女にそういう反応をされるのは何となく堪えた。珍しくも顔に出ていたのか、レティシアは手をぱたぱたと振った。
「ノインさんが苦手な人って訳じゃありませんよ!そういう意味じゃありませんから!」
「そ、そうなのか?」
「はい!」
大きく肯定して、レティシアは急に黙った。
「あの、少し変な事かもしれないんですが、聞いてもいいですか?」
構わない、とノインが頷くとレティシアは言葉を探すように胸の前で指を絡み合わせた。
「ノインさん……は怖くないんですか?英雄の人たちと戦うこと。……私は見ているだけです。でもノインさんは、ノインさんとして戦っているんでしょう?」
だからその、とレティシアは俯いてしまった。
しばらく黙って、二人は歩き続ける。靴音だけが響いた。
「……怖いよ。怖いさ。俺はここにいる誰より弱いから」
力ではない。一番心が脆いのだ。そして、心が折れたら戦えない。
それなのに何故、とレティシアは言いたげだった。何となく、もう遠くなった薄紫の色合いの
ノインの口が開きかけたとき、陽気な声が響いた。
「あ、いたいた!おーい、ノインにルーラー!フィオレちゃんが呼んでるよー!」
門のところで、ぶんぶんとライダーが手を振っている。大声に驚きながらノインも手を振り返して、レティシアの方を見た。
「ライダー……!全くもう貴女は……!」
呆れ顔で額に手を当てているのは、既にルーラーだった。レティシアは今の一瞬で彼女と入れ替わったのだ。
気を取り直したのか、ルーラーは先を指差した。
「行きましょう、ノイン君。フィオレの用が何なのか気になります」
ルーラーの言葉に頷いて、ノインも城へ向かう。またレティシアと話せる機会があれば良いと、そんなことをちらりと思った。
少女はやや男性恐怖症気味。
act-1の頃より流暢な物言いもできるように。
次なるは霊基問題。けれどその為に向き合わなければならないものがある。
というチャプター3です。