では。
ライダーたちには話を盗み聞きするつもりなど全く無く、単に散歩をしようと歩いていたらレティシアとノインの姿を見かけ、そのまま話しかける時期を外して、岩陰に隠れてしまっていたそうだ。
「別にライダーたちが隠れる必要なんかないだろう?」
「や、それはちょっとほら雰囲気とか……。ねぇ、ジーク?」
「さして隠れなくとも良かっただろう?現にすぐにばれたぞ」
「ああ、うん……。キミたちはそう言うよね」
レティシアだけに向けて、ライダーはちょっとだけ片目を瞑ってみせた。
それから頭をかいて、近くに腰掛ける。その隣にはジークが座った。ノインとレティシアも場所を詰める。
壁の一部だったテーブルのような形の大きな瓦礫は、四人が円を描くように座っても、まだ僅かに余裕があった。
「まあ、バレちゃったのは仕方ないや。で、ノインにレティシアちゃん。キミたちは何を話してたんだい?」
言われて、レティシアとノインは顔を見合わせた。改まったことを話していた訳でもないからだ。
一方、レティシアの名前を聞いてジークは不思議そうな顔になった。彼もレティシアの名前はルーラーから聞いていたが、実際に表に出ている彼女に会うのは初めてだったからだ。
レティシアがジークの様子を見て気付いたように胸に手を当てた。
「あ、初めましてになりますよね、ジークさん。……私がレティシアです」
「初めまして。……ジークだ」
レティシアがルーラーに比べれば気弱げに見える微笑みを浮かべた。
「この面子で会うのは初めてだよねぇ。ちなみにルーラーは起きてるの?」
「起きていらっしゃいます。……ええと、ライダーさんに、こんな時間にどうしてジークさんを外に連れ出したのかお尋ねしたいそうです」
中に居るルーラーの代弁をするレティシアに、ライダーはうへぇと首を縮めた。
「やー、何となくだよ。レティシアちゃんが何で外へ出て行くんだろうなぁってちょろっと覗いたらジークも起きてさ。レティシアちゃんは何で外に?」
「私はその……ノインさんとアーチャーさんが―――――」
スキルを得るための大立ち回りをしているのを見たからだ、とレティシアが言うとライダーとジークは目を丸くした。
「そんなことができたのか」
「さっすがケイローンだねぇ。で、覚えられたのかい?」
ノインが頷く。
「もう?早くない?」
「俺に力を貸してくれている『彼』のお陰だろう。『彼』がいないと俺は何もできないから」
ノインは肩を竦めて何でもないように空っぽの瞳で言った。
む、と眉を八の字にひそめたライダーの手が手刀の形になる。
「そんなこと、ありませんっ!」
けれど手刀がノインの額に炸裂する前に、レティシアの声が響いた。
大声を出した彼女はすぐぱっと口元を覆って、耳元が熟れた林檎のように赤くなる。言われたノインに聞いたジークはぽかんと眼と口を開けた。
「ご、ごめんなさいつい!」
「謝らなくて良いよ、レティシアちゃん。今のはノインが無神経なんだから。……あー、しかもその顔分かってないみたいだし」
ライダーはまだ戸惑い顔のノインの額に手刀を叩き付けながら言った。
「……痛い」
「そりゃそうだよ。あのね、ノイン。自分に何にもできないなんて簡単に言うなっての」
ライダーはジークの方へもちらりと視線を向けながら言った。
「ほら、レティシアちゃんも何か言ってやれよ。キミはノインをどう思ってるんだい?」
ほらほら言ってみなよ、とライダーは足をばたばたさせながらレティシアを促した。
矛先を向けられ、彼女は言いあぐねて手を組んだ。いくつもの言葉が、少女の中で巡って消える。
まだどこか呆気に取られているような顔をしている少年の赤い瞳を、レティシアはしっかりと見た。
「……ノインさん。何にもできないなんて、寂しいことを言わないで欲しいんです。英霊の力があっても無くっても、ノインさんは変わりません。―――――あなたは、あなたです」
「……俺は、俺?」
「はい」
少女は頷いて言葉を切り、静けさが五人の中を漂う。
言われた少年は、それでもどこか言葉の意味を受け取り損なったような、頼りない表情だった。
そこで一度、レティシアが瞬きをする。
もう一度見開かれた紫の瞳は、少し違った種類の光を浮かべていた。
「ノイン君。レティシアは一度戻りました。……でも私からも一言。あの子の言葉をずっと覚えていてあげて下さい」
ルーラーは静かに優しく言った。
「今の言葉の意味が分からなくとも、良いのです。ただ時々思い出して、考えてあげて下さい」
「……分かった」
素直に答えた少年に、ルーラーは微笑みを浮かべる。
「ジーク君もです。今の言葉の意味を考えてみて下さい」
「俺もか?」
「はい。あなたたちはそういう所が似ています。……良いですか?自分を得るために、危険を犯すことは無いのですよ」
あなたたちはここを離れても、庭園に向かわなくても、構わないのです、とルーラーは変わらない口調で続けた。
「あなたたちは確かに、ユグドミレニアの手で造られた生命です。それは最早変えようのないことです。生まれる場所は選べませんから。けれどあなたたちは今、生きる道を選べる所にいるのです」
神の声を聞き旗を持った少女は、真摯に彼らに問い掛けていた。
「今すぐ、答えなくてもよいのです。それでも覚えていて下さい。ジーク君、ノイン君」
ジークはこくりと、ノインはゆっくりと頷いた。
それを見て、ライダーは両手で彼らの背をばんばん叩いた。
「……ライダー、痛いんだが」「同じく」
「ちょっと、キミたち何でそういう変な所で意気投合するのかなぁ!?」
偶々だ、とジークとノインは声を揃えて肩を竦めるところまでそっくり同じ動きで言った。
二人とも、ライダーがさっきほんの瞬きする間だけだが悔しそうな悲しそうな複雑な顔でジークの手の令呪を見たことには気付いていた。
そして二人とも、ライダーにそういう表情が似合わないとも思っていた。
がおう、と吠えたライダーをノインが宥めているのを横目で見ながら、今度はジークがルーラーの方に顔を向けた。
「そう言えばルーラー、聞きたいことがあるのだが良いか?」
「ええ、何ですか?」
「……天草四郎の、願いのことなのだが」
無表情ではあったが、ジークの眼は真っ直ぐだった。ライダーとノインも動きを止める。
「全人類の救済。それはどういうものなんだろうと、考えてみたんだ」
考えてみたが、一体どういうものか、ジークには予想が付かなかった。
付かないまま微睡んでいて、それで眼が冴えてしまったのだという。
「全人類を救う。世界を救う。言葉の意味は分かっても……でも世界が何か俺には分からないんだ」
ルーラーは唇を噛んだ。ライダーは首を曲げ、ノインはジークの顔を見知らぬ誰かを見たように眺めた。
「ルーラー、世界とは何なんだろう?」
彼らの座っている場所からは、トゥリファスの街の灯りが見えていた。人口二万の街は、夜であろうと光が完全に絶えてしまうことはないのだ。
しかしジークの生きてきた時間の中で、彼の出会った人間はこの場の数人と、城の者たちだけだ。
「……難しい、問いですね。世界は確かに明瞭に
取り出してカタチを示すことはできないけれど、それでも確かにそこにある。
六十億が犇めき合って生きているその場所が、世界だ。
―――――世界が何か、か。
ルーラーに曇りのない眼で尋ねているジークを見ながら、ノインは心の中で一人呟いた。
単純に世界の形なんてものをノインは思い描いたことがなかったのだ。そんな上等で、深い問いなんて思い描いてみる余裕など、なかったとも言えた。
きょうだいたちと生きていたときは、まだそんなことを考えたこともあった気がする。
あの頃の世界とは、皆で生きていく大切に思える場所だったからだ。
けれど、彼らは皆去ってしまった。ノインだけを残して。
皆いなくなってその後は、冷たい眼の魔術師たちと、人間からどうしようもないほど外れてしまった体になった自分自身しか、ノインの周りにはいなかった。
―――――ああ、そうか。
ジークとルーラーと、ライダーが話し合う様子を見て唐突にノインは理解した。
自分以外の誰か、同じ場所にいてくれる誰かが側にいるのだと感じなければ、世界なんて無いも同じなのだ。
彼らの顔を見てそんな思いが湧き上がってくる。何だかすうっと辺りの音が遠くなる気がした。
つ、と赤い眼が星空に泳いだ。
星々は冷たく静かに、決して手の届かないところで輝いて、少年を見下ろしているだけだった。視界を、透明な星が一つ横切って落ちていった。
「……ノイン?」
ライダーに声をかけられ、ノインは視線を彼らに戻した。
「ん?」
「ん、じゃない。黙っちゃうから何かと思ったよ」
「別に、何でもないさ。……人類救済の話だったか」
そんなことが本当に可能なのだろうか、とジークは次に問いかけていた。
ノインは腕組みをし、端的に見解を述べた。
「無理だろう」
「またばっさり言うね」
「救済を、人に幸福を与えて満たし争いを根絶させることとしてもな、幸福の感じ方は皆違うだろう。それをすべて満たして安らぐ世界なんてあり得ないと思っている。無理矢理やろうとすれば、それこそ意志を剥奪でもしない限り不可能だろう」
“赤”のバーサーカー、ダーニック、“黒”のランサー、“黒”のキャスター。彼らの顔がノインの脳裏を過ぎる。
彼らは皆違った誇りと道を掲げていた。
「でも天草四郎は確か、七十年以上も探し求めていたんだろう?なら、何か考えつかない方法を見つけているかもしれない。それが正しかったら、ノインはどうする?賛成するのか?」
あ、とジークに問われて虚を突かれたようにノインは口を開けた。人類救済なのだから、ノインもその枠には入っている。
自分自身をも救ってくれるものとして、天草四郎の願いを問うことを忘れていたのだ。
けれどノインは黙ってから首を横に振った。
「……それでもやはり、しないと思うな。どんな方法であっても、聖杯による人類救済とは天草四郎の観点から、俺たち人類を彼の望む方向へ上書きするってことじゃないのか?それは嫌だな」
自分の内側に見知らぬ他人を上書きされ、それでも尚生きている少年にとってみれば、個人の書き換えという行為は本能的に厭わしくて堪らなかった。
押し付けられた運命を歩いて来たのだとしても自分はその道をここまで歩いた。出会いと別れを繰り返して来た。
そうやって生きている中で、もう一度だけ自分と名乗れる何かを掴みかけているのに、またも書き潰されてしまうのは嫌だった。
お前は間違っているから直してやると、断定されたくないのだ。
七十年の探求に比べたらちっぽけな矜持だが、彼のような大局なんて考えたこともない矮小さだが、それでも譲れなかった。
誰かに人生を救済されたいとは、思わない。
自分を救ってほしいと頼んではいないし、これから先頼むつもりもないのだから。
見も知らぬ優しい何か、誰かに縋って生き方を預けてしまったら、本当に惨めになってしまう。己が誰かに救ってもらわなければいけないほどどうしようもない奴なんだと、認めてしまうことになるのだ。
―――――つまりは世界なんてものが見えない俺の、強情だな。
――――
そんなことを考えて、ノインの口元がほんの僅か吊り上がった。
「そうだね、人は救われてばっかりじゃ生きてる意味が無い!それにそんな方法があるなら、誰かがとっくにやってるって話さ」
ぐしゃぐしゃとライダーはジークとノインの髪をかき混ぜた。
少しでも人を知ろうとしている少年と自分自身に立ち戻ろうとしている少年は、似たような無表情でされるがままになっていた。
彼らの様子を見て、ルーラーはこほんと咳払いをする。
「では皆さん。夜明けまで僅かとは言え城に戻って休みましょう。思い掛けなく長く話してしまいましたが」
ルーラーの声を合図に瓦礫から降りて、彼らは城へ戻る。
ライダー、ジーク、ルーラー、ノインの順で見張り台の階段を登っているとき、ノインは前をゆく少女に話しかけた。
「ルーラー、明日、本当にあなたも出るのか?」
「ええ。……私は、知っての通り特殊な憑依サーヴァント。サーヴァントとしての私を抑え込めば、気配を人間のものに擬態することも可能です」
会議の結論として、囮はジークとルーラーになったのだ。
ルーラーの言うように、彼女ならばサーヴァントとしての気配を隠すこともできるから、と。
が、それはサーヴァントであるジャンヌ・ダルクを抑え込むということで人間のレティシアの部分が表に出やすくなる。その状態では、能力値ではただの人間とそう変わらなくなるのだ。
アサシンに襲撃された場合、どれだけ迅速にルーラーへ完全に戻れるか。
それを誤れば危険になる。
「腑に落ちないのですか?この案を提案したのが、レティシア本人だということが」
少年に向け、聖女は振り返って聞いた。
「ああ」
簡潔にノインは答える。
ルーラーは無表情な少年の顔を眺めた。ルーラーの内側では少女の気配が今もある。
「それでも、あなたが腑に落ちなくてもレティシアは譲らずに提案しました。その決断は……変えられません」
「……分かっているさ。あなたもレティシアも、明日は気を付けてな」
「貴方もですよ、ノイン君」
そうだな、とノインは無表情に頷いた。
その頃には彼らは城内に辿り着いていて、ルーラーは自室へ、ライダーたち三人は大広間に向かうため別れる。
じゃあね、とライダーは気楽にルーラーに手を振って、ジークとノインの腕を引っ張っていった。
それを見送って、ルーラーは一人歩き出す。
思い出すのは、ついさっきまでの会話だ。
ジークのこともノインのことも、レティシアは見ていた。いつも彼らのことを気にかけていた。
だから彼らの助けになることを思い付き、提案したのだ。そうしたいと思ったから。
けれどルーラーには、彼らを見ていて気付いたことがある。
ジークもノインも、危ういのだ。自分を考慮していない。だから危険を成すとき、躊躇うことがないのだ。
ジークに関して言えば、ルーラーには彼の考えは分かる気もした。
彼は生まれたときから、生きる時間が自分に限られていると知っている。それ故に人生において迷う時間を持てなかった。英霊の心臓で寿命が伸びた後も、その感覚は残っている。
決断に躊躇う時間がないから、こうと決めたことをやり切ろうとしてしまうのだ。
では、翻ってノインはどうなるのだ。
行動の躊躇いなさと、英霊を当たり前に恐れるちぐはぐさ。
彼にはジークのように何かをやりきるという頑固さは
それなのに、似合わない躊躇いのなさだけがある。
―――――もし、ジークと似たその危うさが、彼と同じ原因によるものだったなら?
―――――残り時間が少ないが故の思い切りの良さだったとしたら?
ルーラーは足を止めた。
無償の奇跡はない。
奇跡とは代償がなければ訪れない。
少年の生命を一つ救うために、英霊が一人生命を差し出した。
対価とはそういうものなのだ。
聖女にして聖杯大戦の裁定者は、それをよく知っていた。
憑依サーヴァントという一つの奇跡も、聖杯という神代の代物にも匹敵するアーティファクトにより可能になっているのだ。
では、デミ・サーヴァントの対価は?
何を対価に英霊という奇跡の力をただの人間が扱えているのか、誰も知らないのだ。
知っているのは恐らく、彼本人と彼のマスターだった魔術師だけ。
ルーラーの奥で、少女が一人息を呑んだ。
五人で会話。
天草とは見ている世界の次元が違うからこうなる。
彼の願いを知った場合は……。