ランキングに載れていたようで嬉しかったです。
では。
翌朝眼の下に隈を作っていたのはカウレスだった。
廊下に出たライダー、ジーク、ノインの三人に出くわしたカウレスは、挨拶のためにか片腕を上げたが眼の下が黒かった。
「あれ?どしたの、その隈?」
気軽に尋ねたライダーに、カウレスは窓のガラスの方を見た。窓に映った自分の顔を見て、ようやく隈ができていることに気付いたらしく彼は眼を擦った。
「まあ、昨晩ちょっとな。バーサーカーと話してたんだよ。ほぼ徹夜になったけどな」
昨日から数えて三日ほどろくに寝ていないから隈ができたが、思考自体に淀みはないぞと彼は肩を竦めた。
「そうなのか。で、バーサーカーは?」
「ウゥ!」
ノインの言葉を待っていたかのように、廊下の陰からひょこりと現れたのはバーサーカー本人。
ライダーは驚いて仰け反り、バーサーカーはそれに少し気を良くしたように鼻を鳴らすと、カウレスの手を引いて歩き去ってしまった。
「びっくりしたぁ……」
そう言いつつも、ライダーはふむふむと頷きながらカウレスとバーサーカーの後姿を眺めて頷いていた。
ジークとノインは首を傾げた。
「どうかしたのか、ライダー?」
「まぁ、ちょっとね。あの子たちはいいコンビだなあと思ってさ。ほら、バーサーカーは願いがあるサーヴァントだから色々あるってことさ」
ともあれ、ボクらは行こうか、とライダーは二人を引っ張り、ホムンクルスたちのための食堂へ向かった。
アサシン討伐のため、ジークとルーラー、離れて見守るノインが街へ向かうのは今日だが、腹が減っては何とやらである。
食堂には既に料理の上手いホムンクルスたちが鍋をかき混ぜ、そこからは美味しそうな匂いが漂っていた。何人かはテーブルに付いていて、ジークたちが入って来ると数人は軽く目を上げた。
「皆さん、おはようございます」
後ろからかけられた声に、ノインは振り返る。
昨日と変わらない様子で、ルーラーはそこに立っていた。レティシアの方じゃないんだな、とノインは何となく思う。
「あ、おはよう、ルーラー!」
そう言うライダーは、もうホムンクルスたちから湯気の立つ煮込み料理の入った器を貰っていた。
「サーヴァントに食事は要らないのでは?」
「それはそうだが、余裕があるなら楽しみたいものだろ」
不思議そうにしているジークにノインは答える。
「なるほど。ルーラーは腹が空くと動けなくなっていたが、あれは憑依サーヴァントだったからか」
ジークに肯定の頷きを返しながらも、それにしても空腹で動けなくなる裁定者とは、とノインはやや胡乱気な視線をルーラーに向ける。
ルーラーは頬がほんのり赤く染まった。
「じ、ジーク君、それは言わなくっても……!」
「ねえ、そこの三人とも早く食べようよ!料理が冷めちゃうよ!」
ずっと料理を前にしていたライダーが堪り兼ねたように言い、ノインはつい苦笑した。
「よく食べるんだな……」
それはそれとして、食卓に付いたルーラーの食べっぷりを見て、ジークが呟いた。つい、本音が出てしまったのだろう。
皿を順調な速さで空にしていたルーラーの動きがぴたりと止まった。
耳が赤くなっていくのを見て、ノインは見かねて口を開く。
「憑依サーヴァントな分、必要とするエネルギーが多いんだろう。……きっと」
「我々の料理が美味いからつい食べてしまう、ということは考えないのか?」
エプロンを付けたホムンクルスが一人、腰に手を当てて四人を見下ろしていた。
「無論、とても美味しいです。ありがとうございます」
「ふむ。それならお代わりはいるか、ルーラー?」
ルーラーの眼が、器とホムンクルスとジークの間を行ったり来たりする。
結局、彼女は俯きながら皿を差し出した。
「い……いただきます」
「うむ。よく食べると良い」
「あ、ボクもお代わり欲しい!」
「お前はさっきも食べただろう。正規サーヴァントは多少控えろ」
むす、とライダーの頬が膨れ、くくく、とジークとノインは笑いを漏らす。
そのノインとジークの器に、ホムンクルスは一杯に料理を入れた。
「あ……ありがとう。でも、俺も良いのか?」
俺だってサーヴァントなのに、とノインが言うとホムンクルスは軽く肩を竦めた。
「何、お前は生身だろう。そこの同胞を守る任務がある者にはちゃんと力をつけてもらわねば」
やや得意げに見えるホムンクルスの横顔を、ノインは見上げる。
そう言えば、こんな風に食事をとるのは何時ぶりだったかと、そう思った。
「……分かった」
呟いて、ノインは匙を手に取って料理を口に運ぶ。
温かさと塩がよく利いた肉と野菜の味が、口に広がった。
「美味いな」
ノインが呟くと、当然だろうとホムンクルスが無表情のまま胸を張った。
それを見たノインはつられたように頷くとまた一口啜る。ジークも同じように食べ始める。
その様子をルーラーは、少し沈んだ紫水晶の瞳で眺めていた。
アサシンの出現は、夕刻か夜が予想された。元々サーヴァントが現れるのはその時間帯であるし、アサシンが悪霊使いなら昼日中悪霊を出す確率は低い。
なので探索なぞ夕刻からと思っていたのだが、意外やルーラーは昼から出ようとジークを誘った。
街の地理に慣れないジークに、少しでも慣れてもらおうと言い、別に構わないと最も近くで護衛することになったノインは了承。戸惑い顔だったジークもなし崩しで出ることになった。
「うぅ……ボクも行きたかった」
膨れたのはライダーである。余程ジークと街で遊びたかったらしい。
この状況だと本当に嫌味でなくライダーの呑気さが救いだなとノインは思った。
そう思うノインの格好は、変装のため髪を茶色に変え眼は黒くなっていた。
普段ぼさぼさの髪を丁寧に撫で付けられて眼鏡をかけ眉間に皺の寄ったノインを見た瞬間、ライダーの機嫌は直った。
愉快だねぇ、とにやにやするライダーに、ノインはさらに皺が深くなる。
「大分印象が変わるな。とても真面目に見える」
ジークの正直すぎる感想についにライダーが爆笑。フィオレやカウレス、アーチャーたちまで苦笑し、今度はノインがやや臍を曲げた。
貴様らそんな腑抜けで大丈夫なのかとゴルドに指摘されて、一同は動き出す。
そうなればなったで、ノインは自然に街中に溶け込んだ。
ルーラーと歩くジークを、ノインは建物の屋上から眺める。見せかけの欠伸をする彼は、気配も見た目もまるきりそこらの暇を持て余した少年でしかない。
『ノイン。ルーラーたちは?』
「普通。極めて。楽しそうに街を見てるぞ。警戒はしているが」
『それなら良いのです。身構えすぎては囮とは言えない』
アーチャーとの念話に答えながら、ノインは眼鏡越しに街を見る。
ジークではないが、トゥリファスの街には人が多い。日差しの下、陽光を浴びて歩いているジークとルーラー、それに彼らの周りにいる男や女、子どもや老人をノインは見ていた。
『悩み事ですか?』
アーチャーの落ち着いた声に、ノインは答えるのが遅れた。
その一瞬の沈黙が彼の言葉を真実と認めてしまっていた。
『言葉にしてみなさい、ノイン。貴方には、言葉によって自分を他人と共有することが必要です。貴方がこの後向き合わなければならないのは、貴方の中にいる英霊ですから』
「……?」
ノインは首を傾げた。
つまり、悩みがあるなら言葉で示せと言うことらしい。
「それは今、必要なことなのか、アーチャー?」
『ええ。勿論、眼下の光景から気を逸らさずに』
難しいことをさり気なく言う人だなと思いながら、ノインは眼を細めた。
かと言って、自分には悩みなど無いように思えた。
『ではやり方を変えましょう。……ノイン、君には何か望みはありますか?』
「望み?」
『聖杯にかけるようなものではありません。何かしたいこと、例えば聖杯大戦が終わったら貴方はどうしたいのですか?』
聖杯大戦が終わった後のことはアーチャーには関係ないだろうに、という思考が一瞬過りノインはその皮肉気な考えを打ち消した。
「望み……。……何だろう。これが終わったその後のことは……特に無い、のかもしれない」
言った途端、そんな情けない答え方があるかとノインは自分で自分を殴りたくなった。
ふとそのとき、レティシアの顔が過ぎった。
そうするとするりと、自然に言葉が口から漏れた。
「学校を見てみたい、な。行きたい訳じゃなくて……見てみたいんだ」
レティシアのいる世界が知りたかった。
多分自分は一生そういう所へ行くことなんてないし、そこから来る誰かと触れ合うこともないと思っていた。だから夢も見なかった。
けれど奇跡みたいに、一人の少女と出会えた。
彼女の言葉と明るい表情の向こう側に透けて見える世界は、優しくて暖かかった。
何より、楽しそうに語る彼女自身がとても綺麗だった。
だから―――――。
―――――レティシアと、もっといたい。
唐突にその感情が湧き出て、ノインは狼狽えた。思ってはいけないことを思ってしまった怖さが、胸に刺さる。
黙る少年に、アーチャーは極めて落ち着いた声で語りかけた。
『この戦いが終わった後、私たちは座へと還ります。しかし、君はそうではない。君の世界が終わる訳ではないのです。……残り時間が、どれほどのものであっても』
そうか、と耳朶に染み込むアーチャーの落ち着いた声を聴いてノインは理解した。
「知っていたのか、あなたは。俺の時間のことを」
『ええ』
ノインは深く息を吐いた。
医術にも精通するケイローンの眼は、やはり誤魔化せなかったのだ。けれどアーチャーはそれを誰にも言っていない。その気遣いにノインは感謝した。
ノインの生命の残りは少ないのだ。元々、魔術回路と魂の質を優先して造られたデミ・サーヴァントの素体たちは体が弱い。
設定された寿命は三十年で、英霊と融合したことは体に重い負担を強いた。
残りは長くて二年。十八歳でノインは死ぬし、戦い続けていればもっと短くなるだろう。
アーチャーの落ち着いた様子からして、最初から見破っていたのだろう。けれど彼はそれを誰にも告げていない。
その気遣いにノインは感謝した。
誰かに告げても、どうにかなるものではないのだ。怪我でも病気でもなく、ただ順番が来たというだけ。運命とか天命とか言うものが、尽きてしまうのだ。
知られたらきっと、ライダーやルーラーたちを心配させるだけだ。
戦うことなんて本当の英霊に任せておくべきだとと止められるだろう。“赤”のことを考えれば、そんな余裕があるはずがないのに。
『けれど君は、聖杯に延命を望んでいなかった。令呪を宿さなかったのが何よりの証ですね』
願いのないものに聖杯は権利を与えない。救いを求めない者は、どうやっても救われない。
生きても死んでもどうせ同じで、世界も人も自分自身も等しく何もかもどうだっていいという人形は、壊れるだけだったのだ。
けれど、聖杯大戦を切っ掛けにして人形は人間に返ってしまった。人形のままでいたくないと、操り手の糸を自分で断ち切ってしまったのだ。
人形から人間になって得たのは、ちっぽけな願いと、脆くて怖がりな元の自分自身。
そうやって自分を取り戻した時には、それから別れを告げなければならないという現実があったのだ。
―――――ああ、それでも。進むことをやめることはできない。
デミ・サーヴァントだから、天草四郎の救済が疑わしいから、そういう理由もあるけれど、一番の理由は結局ここから逃げても何一つ変わらないからだ。
ただの孤独に価値を与えてくれた人たちと、あの少女をここに残して、もしそれで彼らが死んでしまったとしたら、その瞬間に心がもう一度死んで二度と元には戻らないだろう。つまりそれが、怖いのだ。
「なあ、アーチャー。こんな風に思う俺は、こういう生き方しかできない俺は―――――」
―――――どこか、おかしいのかな、と問う声は、寸でで止められた。
街の所々にばら撒いたルーン石の結界に、何かが引っかかったのだ。例えるなら、外から中へ誰かが入って来たような感覚が走った。
ノインの中で思考が切り替わる。
「……何かが来た、気がする」
元の温度を感じさせない声になった少年に、”黒”の弓兵は固い声で応じた。
『敵ですか?』
「分からない。気配が一瞬だけだったから」
何かが侵入した気配を、ノインの感覚は確かに捉えていた。しかしそれは一瞬で、すぐ街の中に紛れてしまったのだ。
千里眼にも匹敵する眼を持つアーチャーにもはっきりとは気配を感じさせないほど、隠密に長けた何か、或いは誰かだった。
『分かりました。その気配には注意を払いつつ、ルーラーたちから眼を離さないように』
「分かった」
どこかへ移動するつもりなのか、ルーラーがジークの腕を引っ張って歩き出していた。
その様子にふと頬を緩ませながら、ノインも目立たないように歩き出した。
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一体、どこに彼は隠れたのだろうか。
レティシアがそう思ってしまうくらい、街の中の誰かに紛れたノインの気配は分からなかった。
木の葉を隠すのは森の中、と言うのではないが、そうやって紛れてしまうと本当に分からなかった。
少女は変わらず、聖女の中で外を見守っていた。
アサシンを倒す、という任務のためなのだけれど、聖女は楽し気にジークを街を回っていた。
けれど時々、聖女の意識はどこかへふわりと浮いてしまう。
―――――残り時間。
その言葉の意味を考えてしまうのだろう。
それはレティシアも同じだった。けれどまさか、ノイン本人に尋ねるわけにはいかない。
あなたはもしかして、それほど長く生きられないのではないのか、などと。
尋ねたとしてもきっと正直に答えてくれないと思う反面、あの無頓着さなら簡単に知りたいことを教えてくれそうな気がした。
けれど仮にそうだと、肯定されてしまったらと思うと、レティシアは全身が竦んでしまう。どうしたらいいのか、分からなくなる。
彼はこの戦いに関わることをやめないだろう。
ルーラーとてそれは分かっている。戦いの場から遠ざけることは、彼の意志を殺すも同じだ。彼女と視点を共有するレティシアも同じくそう思っている。
それで言うならジークもそうだ。彼も戦いを選択してしまった。英霊の生命を継いだ責任があるからと。
ルーラーがジークへ向けている感情にレティシアは何となく気付いている。聖女は決して、その感情を認めないだろうということも。
けれど、違うのだ。
ルーラーからそうしてジークへ向ける眼差しとルーラーがノインへ向ける眼差しは違う。レティシアがジークへ向ける感情と、ノインへ向ける感情の色が異なるのと同じだ。
その感情の色合いはどちらも穏やかなのには違いはない。ただ、異なるのだ。
けれどその違いを、どうやって聖女に言えばいいのだろうか。
貴女の想いは間違いではないのですと、どう告げればよいのだろう。
少女は一人、世界を俯瞰しながら考えあぐねる。
だからさっきから、ルーラーの視点を通してノインの姿をつい探してしまうのだ。自分に無頓着でぶっきらぼうだが、夕焼けみたいに優しい少年の眼差しを。何となく心強くなるから。
そうしていると、一つの言葉が胸に木霊した。
―――――もっと、違う風にあの人と出会えなかったのでしょうか。
もっと穏やかな場所。例えば昼下がりの公園の木陰で。
冷たい生き死に何て関係ない緩やかな時間の中で、ただ偶々出会えなかったのだろうか。それこそ、お互いが学生として。
つい、そんなことを思ってしまう。
けれどその都度、少女はその考えを打ち消す。
この争いが無ければ、この中に飛び込まなければ、隔てられた世界に生きていた自分たちが出会うことはあり得なかった。
どれだけ殺伐とした場所であってもこの形で出会ったのなら、その中で関わり合っていくしかない。
見ているだけの自分にも考えることはできるからと、少女はそうして世界を観測し、俯瞰し続けるのだった。
少年少女の考え事。
メンタルを構築しないと霊基を得られないし、何処かの作家にまとめて殺されるという。