九番目の少年   作:はたけのなすび

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感想、評価下さった方、ありがとうございました。

では。


act-27

 

 

 

 

 

 

 異変は、何の前触れもなく唐突に始まった。

 夕方、カフェにいたジークとルーラーの周りに霧が立ち込めたのだ。

 気付いたときには霧は街を覆い尽くし、喉を焼かれた人々の悲鳴が至るところで上がる。ここまで激烈にアサシンが仕掛けてくるとはジークには思いも寄らなかった。

 ルーラーは席を蹴って立ち上がり、一瞬でサーヴァントに立ち戻る。

 

「すぐに家の中に入りなさい!」

 

 軍団を指揮した彼女には、己の言葉を人々に信じさせるカリスマのスキルが備わっている。

 唐突に現れた鎧姿の少女に驚くこともなく、動ける人々は従う。ジークも動こうとして、近くから聞こえる女性の悲鳴を聞き付けた。

 ルーラーは、とみれば彼女はそこかしこで倒れた人々に駆け寄っている。

 意を決し、踵を返してジークは霧の中に踏み込んだ。

 進んだすぐ近くに、長い髪の女性が倒れ伏している。

 

「しっかりしろ!」

「あ、ああ……あの子、わたしの子どもが……!」

 

 駆け寄ると女性はジークの腕に縋り付いた。鼻や眼、口からは霧に焼かれたせいか血が流れていた。

 

「あなたの子どもは探し出す!だから早く―――――」

 

 逃げろ、と言いかけたジークは、胸に冷たい物が当たるのを感じた。

 視線を下ろす。

 黒光りする小さな銃がジークの胸に押し当てられていた。

 何が起きているのかわからず、ジークは女性の顔を覗き込んだ。そこには穏やかで甘やかな女の微笑みがある。

 

「―――――ええ、信じているわ」

 

 女性の笑顔と炸裂する火薬の光。しかし、ジークは何の衝撃も感じなかった。

 

「え……!?」

 

 驚きの声を上げたのは女性の方。

 光る文字の刻まれた小石を核に展開された障壁がジークを覆い、銃弾から守っていた。

 戸惑う女性の後ろに音も無く降り立った影が一つ。赤い眼が霧の中でも光っていた。

 

「悪いな」

 

 女性が振り向く前にノインの手刀が彼女の首を軽く叩く。意識を失くした女性は呆気なく路上に崩折れた。

 完全に女性の意識が絶たれているのを確認してから、ノインはジークの額を指で小突いた。

 

「急に動くな。びっくりしたじゃないか」

 

 自動展開する障壁が無かったらこれで死んでいたぞ、とノインは女性の握っていた拳銃を拾い上げるとくるりと回した。

 その冷たい金属の光に、今更ながらジークは足元から寒気を感じた。

 

「……普通の人だと思ったんだ」

「それは俺もだ。あんたに銃を向けてなくて、手にこれが無かったら絶対マスターだとは見抜けなかった」

 

 ノインは女性の手の甲を指さす。

 そこには赤い令呪が刻まれていた。

 

「つまりこの女性が……」

「“黒”のアサシンのマスター、六導玲霞って訳だ。俺みたいに変装していたようだな」

 

 意識を失って倒れている彼女は資料の写真と、眼の前の玲霞は髪や眼の色が異なっていた。

 マスター自身がジークをルーラーから引き離して始末し、その間にアサシンがルーラーを襲うという捨て身の計画だったのだろう。

 それを立案して実行した彼らに、ジークは先程とは違う寒気がした。この霧にしたところで、恐らく街のすべてを覆う大掛かりなものだ。

 ただ彼らは、もう一人のサーヴァントもどきに気付かなかった。

 

「後はルーラーが上手くアサシンを倒せれば良いんだが……」

 

 けれど一向に霧の晴れる気配がない。

 それどころか、ふらりふらりとそこ此処に小さな人影が現れた。

 

「子ども……?」

 

 ジークが呟く。

 ばらばらと路上に現れ、ノインたちに近づいて来るのは子どもたちだった。手には包丁やナイフを持ち、眼は虚ろ。背中には黒い霞が取り付いている。

 明らかに正気ではなかった。

 

「悪霊憑き……!」

 

 アサシンだ、とノインは歯軋りした。

 どういう手段を用いたのか、アサシンは悪霊を彼らに取り憑かせて操っている。そしてルーラーならいざ知らず、ノインには悪霊だけを祓い子どもを救うようなことはできない。諸共傷付けてしまう。

 子どもたちの足取りはゆらゆらと覚束なく、数が多いのだ。

 そして三十から四十人もの子どもたちは、ノインとジークを見止めると信じられない速さで襲い掛かってきた。

 

「退くぞ!」

 

 玲霞とジークを抱え、ノインは跳び上がった。一瞬遅く子どもたちが彼らのいた所に群がり、刃物が石畳を叩く。霧の中に火花が飛び散った。

 あまりの光景にジークは身震いする。

 ノインは道の両脇にある建物の上に着地し、しかめ面で下を見下ろしていた。子どもたちは人形のような眼で、手の届かない高さに跳び上がった彼らを見上げていた。

 

「アサシンに気付かれたか」

「そのようだ。この霧の濃さじゃアーチャーからの援護も期待できそうにない。これは、多分アサシンの宝具だ」

 

 ノインの眼が玲霞を見下ろす。

 サーヴァントを倒す―――――つまり殺すには、楔となっているマスターを亡き者にするという方法がある。

 そしてアサシンのマスターはここに居る。

 

「ノイン……?」

 

 ジークが声をかけるとノインは、無表情で振り返った。

 

「このマスターは全くアサシンに魔力を送れていない。だから殺した所でアサシンはすぐ消えないさ。むしろ逆上して滅多やたらに魂喰いをされる方が危ない」

 

 冷たい言い方でノインは肩を竦めた。本気なのか建前なのか、分かりづらかった。

 ともあれノインには玲霞を殺す気はないらしい。ジークは少し妙な安堵を感じた。

 

「ジーク、ライダーは呼べるか?」

「令呪を使えば恐らく。ただ念話は妨害されている」

「令呪は待とう。しかし、俺の方も駄目だ。ルーラーとも繋がらない」

 

 判断するための時間は短い。

 眼下の子どもたちからも悪霊を早く引き剥がさなければ、魂が汚染されて取り返しがつかなくなる。彼らまで悪霊と化してしまうのだ。

 

「―――――よし、ルーラーを探そう」

 

 言って、ノインは立ち上がった。

 

「ジーク、このマスターを抱えてついてきてくれ。屋根の上を走ることになるが」

「それくらいはできる」

 

 よし、とノインは頷いて駆け出した。

 軽量化の魔術をかけた玲霞の体を抱えて、ジークも後に続く。

 何か導でもあるのか単に勘が良いのか、ノインは躊躇いなく一つの方向に進む。その背中をジークは遅れないようについていった。

 しばらくして、先から金属がぶつかる音が聞こえてくる。ルーラーの声も耳に届く。

 一段低くなった建物の屋根から地面へ飛び降りかけた刹那―――――やおらノインが振り返って、ジークの背後に短剣を投擲した。

 

 キィン、と耳障りな音が響いた。

 

 ジークの横をすり抜け、入れ替わるようにノインが出る。

 その装束は既にサーヴァントのもので、手には槍が握られていた。

 

「おかあさんを、はなせぇぇっ!」

 

 狂気を孕んだあどけない声音の絶叫が響いた。

 槍と肉切り包丁がジークの間近でぶつかり合う。

 霧の中から襲い掛かってきたアサシンの一撃を弾き、踏み込みながらノインは叫んだ。

 

「走れ!ルーラーはそこにいるぞ!」

 

 鞭打たれたようにジークが走り出す。

 屋根の縁から遥か下の石畳を見下ろし、ジークは躊躇いなく跳んだ。

 ジークの両脚に衝撃が走る。けれど咄嗟に魔力で強化したせいかすぐに走り出せた。

 

「ジーク君!」

 

 刃物を振りかざして群がる子どもに聖水を振りかけ、浄化し続けていたルーラーは、少年に気付き子どもたちを強引に突破するとジークに駆け寄る。

 

「ルーラー、ノインとアサシンが……!」

 

 そこで戦っている、とジークが指差した瞬間、彼らの背後の石畳が轟音と共に割れる。辺りに、土埃が立ち上がった。

 視界が明瞭になった後、クレーター状に凹んだ石畳の中心に叩き付けられているのはアサシンだった。

 肩と腕から真っ赤な血を流し、獣のように呻いている。

 その横に飛び降りたノインは無表情に槍をアサシンの喉元に突き付けた。その頬には、赤い血が点々と飛んでいる。

 見慣れたはずのノインの顔がそのときだけジークには何故だか恐ろしかった。

 姿を現したアサシンの姿に、ルーラーとジークは驚く。痛みでアイスブルーの瞳に涙を溜めている暗殺者は、銀髪の幼い少女だったのだ。

 少女は憎悪に凍った瞳でノインを見上げる。少年は血色の眼で見返した。

 

「よくもわたしたちの、おかあさんを……!」

「こちらは彼女を殺してはいない。お前とは違う」

 

 無感情に言ったノインが槍を振り上げる。穂先が煌めいたそのとき、不意に進み出たルーラーがノインの腕を掴んだ。

 

「待って。……彼女は私が浄化します。魂をあるべき所に還さなければ」

 

 何故、という風にノインが首を傾げる。浄化しようが霊核を破壊しようが、成すことは結局のところ変わらないのにと言いたげだった。

 ルーラーはノインの腕を掴んでいる手に力を込めた。

 

「お願いします、ノイン君」

「……分かった」

「ありがとうございます」

 

 そう言ってルーラーは屈み込み、アサシンの額に手を当てた。

 少女の顔が歪む。本能的に、これからルーラーの行おうとしていることを察したのだ。

 

「やだ!やだやだやだ!おかあさん!やだよぅ!」

 

 手足から血を流しながら叫ぶ彼女を、ルーラーは痛ましげに見下ろす。

 彼女とアサシンを見ていられなくて、ジークはふと視線を逸らす。

 逸した先で、玲霞の手が輝いているのをジークは見た。

 

「―――――アサシン、逃げて!」

 

 玲霞が叫び刻印の一画が消え去るのと、ジークが彼女に飛びついて腕を掴むのと、アサシンの体が粒子になって消えるのは、ほぼ同時だった。

 玲霞は力尽きたようにまた倒れ込む。けれど彼女の目的は果たされた。

 ルーラーは一瞬呆然と、何も無くなった目の前の光景を眺めた。

 中で見ている少女の眼の前で、ノインに幼い子どもの形をしたものを殺させたくないとルーラーは思わず彼を止めてしまった。

 その判断がこの事態に繋がってしまった。けれど悔いている余裕はない。

 

「ルーラー!」

 

 ルーラーの耳にノインの声が突き刺さった。

 悪霊を憑かされた子どもたちがまた動き出していたのだ。

 ジークの方にも彼らは近寄って来る。一先ず玲霞を抱えてジークが動こうとしたときだ。風切り音が聞こえる。

 咄嗟にジークが玲霞の体を引いて避けた瞬間、彼の方に黒く塗られた矢が掠めた。

 

「ぐ……!」

 

 ジークに気付いたノインとルーラーが走り、放たれたニの矢、三の矢を叩き落とした。

 ノインがルーン石を投石器で投げ、石は空中で砕けて数メートル先の建物の陰に氷の槍を降らせる。そこに隠れていた一人の少女が飛び出た。

 翠の衣に黒塗りの大弓。“赤”のアーチャー、アタランテだった。狩人は矢を番えたまま、厳しい顔でルーラーたちを見た。

 

「解せんな。汝らはアサシンを討伐するのだろう?手を貸してやろうというのに何故阻む?」

「……何度も戦った相手を、すぐ信じろと?」

「信じる必要はない。この件に関してのみ、だ。アサシンは街の子どもたちを巻き込んだ。故に倒さねばならぬ。そこを退け」

 

 意識が戻りかけているのか、玲霞が身じろぎした。ノインはちらりと彼女を見て、眠りの魔術をかけ、アーチャーに向き直った。

 彼女はそうは言うが、相手は矢を番えたままの狩人である。ノインは疑わしげに槍から手を離さない。

 アーチャーはふんと鼻を鳴らす。それからやおら無造作に、ルーラーたちの背後に矢を放った。

 

「っ!」

 

 隠れて玲霞を取り返す隙を伺っていたアサシンが撃ち落とされ、熟した果物のように石畳の上に落ちた。

 

「そら。これで良いだろう。私は帰る」

 

 言って、アーチャーはすぐさま姿を消した。

 ルーラーは背後を振り返る。銀髪の少女は矢で縫い止められ、それでも足掻いていた。玲霞の方へと手を伸ばしていた。

 

「お、おかぁ、さん……」

 

 その胸にルーラーは再び手を当てる。

 今度こそは間違うことはできなかった。どれだけあどけなくても、アサシンの本質は殺人鬼。

 きっと元は弱く儚い、怨霊ですらない“誰か”の集まりだったのだろう。それが寄り集まって人の形を取り、ついに十九世紀のロンドンにおいて、ジャック・ザ・リッパーとして確立してしまった。

 人々を殺めた殺人鬼として世界中に伝説がばら撒かれてしまった。結果、この霊魂たちは無害な子どもの霊としてではなく、人を害する悪霊として世界に記録され反英霊になった。

 アサシンが元々は幼い子ども、それも恐らくは生まれることすらできなかった霊たちの集合体であることを、触れたルーラーは見破ってしまっていた。

 被害者だった幼子たち。それを浄化し、消し去ることをルーラーは歯を食い縛って実行するしかない。

 怨霊となってしまったからこそ、彼らは滅ぼすしかない。最早悪霊となった彼らは子どもとしての安らぎは得られない。存在するだけで、世を蝕んでしまう。

 ルーラーができることは、迅速に痛みなく彼らを送ることだけだった。

 

“主の恵みは深く、慈しみは永久に絶えず”

 

 藻掻いていたアサシンの動きが、ルーラーの洗礼詠唱の一節で弱まる。

 吸血鬼すら浄化した聖女の詠唱は、霧の街に朗々と響いた。

 

「あ、あぁ、ああぁあ……」

 

 声を上げるアサシンの側に、そのときノインが屈み込んだ。彼女の眼を両手で覆い、何か呪文を唱えた。

 獣の仔が鳴くようなアサシンの叫びが止まる。低い、聞き取れない声でノインは呪文を唱え続けた。

 ルーラーの詠唱を阻む訳でもなく、ノインはただ淡々と唄のような言葉を唱える。

 見守るしかできないジークには、その光景は長いもののように思えた。けれど、本当は十数分にも満たないできごとだった。

 最後の一節を、ルーラーは唱える。血が流れる程に唇を噛み締め、聖女は洗礼詠唱を完成させた。

 

“―――――去りゆく魂に、安らぎあれ(パクス・エクセウンティブス)

 

 瞬間、花火のようにアサシンの輪郭が砕け散った。金色の粒子が弾け、空へ上っていく。

 ルーラーとジークは空へと消え去る魔力の残滓煌めくを見上げ、ノインは地面に残っていた血の跡が消え去るのを俯いてじっと見ていた。

 同時に霧が晴れていく。

 気づいたときには、元の黄昏時のトゥリファスの街の中に四人は引き戻されていた。

 

「終わった、のか?」

「……ああ」

 

 サーヴァントの姿を解いたノインは立ち上がる。ジークの見た頬に飛び散っていた血は、もう消えていた。

 ノインの体に一瞬だけ、黒い靄が絡み付いていた気もしたが、ジークが瞬きしたときには何も見えなくなっていた。

 

「ノイン君、最後に何をしていたのですか?」

「幻影を見せただけだ」

 

 ノインの知る優しい世界。それを再現した夢幻を見せたという。

 アサシンが暴れて抵抗し、万が一浄化が失敗しないために幻覚を創ったとノインは淡々と言った。

 感情を感じさせないその言い方は、何処か奇妙で何かを押し殺しているようにルーラーとジークには聞こえた。

 凹んだ石畳を、暗い眼でノインは見ている。

 急に空気を吹き飛ばすような明るい声が響いた。

 

「おーい!マスター!ルーラー!ノイン!……って、怪我してるじゃないか!?大丈夫なのかい!?」

 

 向こうから走って来たのは、“黒”のライダー。

 彼はジークに飛び付きかけ、彼の肩に血が滲んでいるのを見て仰天した。

 

「ああ。“赤”のアーチャーの矢が掠めたんだ。深い傷ではないから大丈夫だ」

「大丈夫に見えないよ!?」

 

 ライダーは心配そうにおろおろとジークの傷の具合を見る。けれど一先ずジークの言うように大した傷でないと分かったのか、肩を撫で下ろした。

 

「良かったぁ……。それでアサシンは?」

「討伐は完了した。マスターはここにいるが。それとライダー、“赤”のアーチャーはどうした?」

「あー、うちのアーチャーがやりあったんだけど、あっちが逃げの一手で仕留め損なったってさ」

 

 そうなのか、と頷きながらノインがまだ意識を失ったままの玲霞を指し示す。

 ライダーは軽い足取りで近付いて、彼女を抱え上げた。

 

「じゃ、この人はボクが連れて帰るね。キミたちは後からゆっくり戻って来なよ。顔色、あんまり良くないからさ」

 

 そう言って、ライダーは屋根を跳び越して去って行った。

 後にはルーラー、ジーク、ノインが残される。

 

「憑依されていた子どもたちが気になります。彼らを一通り見てから帰りましょう」

 

 ルーラーの静かな声に、ジークとノインは頷いた。

 最後にもう一度だけ、ノインはアサシンの消えた場所を振り返る。

 無邪気にセレニケを殺し、母を求めて泣き、純粋な殺意を叩き付けてきた子どもはもうこの世のどこにもいなかった。

 ノインは一度目を瞑る。

 それから眼を開けて、ルーラーたちが歩き出している方へついていったのだった。

 

 

 

 

 

 





霧の都の地獄は展開されなかった。けれど少女は消され、母は生かされ、残滓が微かに残った。

そして空中庭園攻略の難易度が上昇。
冷静なアタランテの狙撃と、アキレウスをまともに相手にしなければならなくなった。

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