九番目の少年   作:はたけのなすび

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では。


act-29

 

 

 

 

 

 

 

 レティシアがノインを見つけたのは、偶然では無かった。

 城に戻った後、誰も気づかないうちにノインはするりと消えたのだ。その消え方は、自分がいなくなることを悟られないよう、敢えてしたのだと思わせた。

 嫌な予感がした。

 頬に血を飛び散らせて、槍をアサシンに突き付けていたノインの姿を、それを見たときに聖女の内側で身を竦ませるしかなかった自分を、レティシアは思い出す。

 見つからなかったら、自分は二度とノインにあんな風に手を伸ばせなくなるのではないか。

 そう思ってルーラーの探知能力で以て探せば、ノインは一人、壊れた部屋の中心で蹲って座っていた。

 寒さを堪える子どものように、座り込んで肩を抱いて、頭を振っている。

 それを見た途端、レティシアは表に出て駆け寄っていた。

 

「ノインさん……?」

 

 始めて触れた少年の肩は、思っていたより硬くて細く、筋張っていて温かかった。ここに生きて、呼吸している人間のあたたかさだった。

 

「……レティ、シア?」

 

 しかし顔を上げたノインの周りには、微かな黒い靄が蟠っていた。禍々しいそれは、アサシンが子どもたちに憑かせた悪霊を、嫌でも思い起こさせた。

 

―――――憑依とまでは行っていませんがこれは……。

 

 アサシンのほんの小さな欠片をいつの間にかノインが取り込んでいる、とルーラーはレティシアの内側で切羽詰まった声で言った。

 ジークが気付いた一瞬の異変。それを追ってここまで来た。ジークの思い過ごしなら良かったのに、とレティシアは唇を噛む。

 

「何で、ここにいるんだ?」

「ノインさんこそ、一人で何をしているんですか」

 

 つい、レティシアは咎めるような口調になり、ノインは自分の頭から手を離して小さく頭を振った。

 

「何も……少し、頭が痛いから」

 

 そんな顔でそんな強がりなど、聞きたくもなかった。

 

「……ノインさん、あなたはアサシンの何を見たのですか?」

 

 悪霊は受け入れてはならない。共感してもいけない。受容は怨念を巣食わせ、共感は怨念を膨れ上がらせ、憑かれた側も憑いた側も共に壊れてしまうのだ。

 だからルーラーは、アサシンを完全に浄化する方法を選んだ。最早、何をしても救えないと判断したからだ。

 見なくとも良いというルーラーの意見を断って、レティシアはアサシンとの戦いも彼らの正体が何であったのかも知っていた。

 子どもたちの慟哭と、それでも彼らを消さなければならないルーラーの苦悩をレティシアは感じた。哀しくて痛くて、胸が潰れそうになった。

 同じものをノインも見ている。けれど彼は感じるだけに留まらずその一部を取り込んでしまい、半ば受け入れている。

 だからレティシアは尋ねた。

 あなたは何を彼らの中に見たのか、と。

 少年の肩に、レティシアは両手を添えた。彼女のあたたかさが伝わったのか、強張っていたノインの肩が下がる。

 ぽつりと彼は口を開いた。

 

「子どもを見たんだ。……たくさん、たくさんいて、でもみんな死んで流れて、生まれてすらいなかった。……ものみたいに、つぎつぎ捨てられてた」

 

 ジャック・ザ・リッパー。

 子どもたちの怨念が人型を取った殺人鬼。母の温もりを求め、人の(はらわた)にしかそれを感じ取れなかった、哀しい霊魂たち。

 それが彼らであったのだ。

 

「何で……何であいつらを殺して、消して……それでどうしてまだ俺は生きてるんだろう」

 

 俺たちとあいつらは同じなのに、どうしてなんだろう、とノインは呟いていた。

 

「同じ……?」

「同じだよ。俺たちもあいつらも。何で、俺たちは……こんな風にしかこの世と関われないんだ……。昔も今も、何にも変わらないのか……」

 

 少年の眼が、哀しみと怒りで濁っていた。

 レティシアはノインが誰のことを言っているのか知らない。彼が、アサシンを通してかつての自分と亡くしたきょうだいたちに囚われているとは、予想し得ない。

 けれど一つのことは分かった。

 この人は誰か、大事な人たちを亡くしている。それが哀しくて、でも哀しみを表せなくて、自分たちをこうした誰かに怒りをぶつけたいのにそれもできなくて、抱え込むしかないのだ。

 自分の哀しみと怒りと、子どもたちの霊魂の感情の区別がつかなくなっている。

 

「同じ、だなんて……」

「同じだよ。あいつらも俺も、人を殺したんだから」

 

 母の温もりを求めて娼婦を殺めた切り裂きジャック。言われるがままに魔術師を殺したノイン。

 何も違わない、とノインは叫んでいた。黒い靄が、その泣きそうな顔の周りを取り囲んでいた。

 レティシアの内側でルーラーが焦っている。悪霊との同調が深まっていく。止めなければならなかった、今すぐに。

 迷っていられなかった。

 

「……え?」

 

 ノインの口から音が漏れた。

 彼の視界一杯に金色の髪が広がる。背中にあたたかい手が回されていた。

 

「な、なにを……?」

 

 ()()()()()()()()()()()()

 そうと気づくまで、ノインには時間がかかった。

 ノインの肩に自分の額を押し付けて、レティシアはくぐもった声で言った。

 

「……ごめんなさい、ごめんなさい、ノインさん。私……私、あなたのことを何にも知りません」

 

 だからノインの怒りや哀しみを癒す言葉なんてかけられない。

 レティシアの知るノインは不器用で自分が強くないと知っていて、それでも諦めない、そういう男の子だった。

 でもその面は、彼のほんの一部だということもレティシアは知っていた。

 深く踏み込めば自分の知らないノインに必ず出会うだろう。もし、それがとても怖い顔だったならと踏み込めなかった。

 レティシアはジャンヌ・ダルクのような聖女でもない。一人では戦いの中にも飛び込めないただの小さな人間で、だから怖くて逃げてしまったのだ。

 

「私はあなたに、何にも尋ねられなかった。……怖かったんです。知らないところを知ってしまったら、あなたがどこかに行ってしまいそうな気がして……」

 

 口に出して、レティシアは何かがすとんと心に落ちて来た。

 自分の知らないノインの顔が怖かった。それは確かだ。

 でもそれを知られたからと、ノインが遠くに行ってしまうことの方がもっとずっと、怖かった。

 

「行かないで下さい……。あなたはまだ、生きているんです。ここに、確かにいるんです。だから……少しでも良いんです。私に教えて下さい。あなたがどうやって生きてきて……何に悲しんで何に怒っているのか」

 

 だから、死したあの子どもたちの霊魂たちと同じだなんて、哀しいことは言わないで、とレティシアの言葉の半分は、涙声に溶けた。

 ノインの両腕はだらりと体の横に落ちたままだった。

 

「なんで、きみがそこまで、してくれるんだ?」

 

 俺はきみに何もしていないのに、きみからあたたかい何かを貰うばかりだったのに、どうして―――――。

 

「きみが、泣いているんだ?」

「だって……あなたが全然、泣かないんですから……!」

 

 無茶苦茶なことを言っていると、レティシアは分かっていた。それでも言葉が止められなかった。

 ノインの肩に押し付けていた顔を上げて、レティシアは彼の乾いた頬を両手で挟み込んだ。

 赤い瞳に紫の瞳が映り込んだ。

 仮面に罅が入るようにゆっくりと、赤い瞳から透明な雫が一粒ずつ零れ、頬を伝って砕けて落ちていった。

 戸惑ったようにノインは自分の頬を触る。指先で震える水晶のような雫を、信じられないもののように見ていた。

 彼の周りで蟠っていた黒い靄が、潮が引いていくように遠ざかる。

 それを見届けてレティシアの全身にぬるま湯のような安堵が広がった。そこで彼女は、自分が、自分たちがどういう体勢かを思い出した。

 白い頬が鬼灯のように、上から順に赤くなった。

 

「きゃっ……!」

 

 咄嗟にノインからぱっと体を離したレティシアの体が、壁に開いた大穴に向けて倒れかかった。

 

「おいっ!?」

 

 手を伸ばしてノインはレティシアの片手を掴んで引き寄せる。

 勢い余って、ノインは彼女諸共仰向けに倒れ込んだ。石ころやガラス片の散らかる床に、受け身も取れずに背中と頭が打ち付けられる。

 

「……ッ」

 

 痛みはなかったが、少女一人のあたたかさと不思議な良い香りを感じた驚きで、ノインは眼を白黒させた。

 その上に乗り掛かる形になったレティシアは、尻尾を踏まれた子猫のように飛び退いた。

 

「す、すみませんっ!」

「……」

 

 床の上に仰向けになったまま、ノインは答えないで腕で目元を覆った。

 

「……だ、大丈夫ですか?」

 

 おずおずと、レティシアは彼の横にかがみ込む。

 ノインの腕の下からは涙が幾粒も零れて、瓦礫の上にぽろぽろと落ちていった。それでも口は弧を描いて、笑っている。低い笑い声が喉の奥で響いていた。

 ノインは身を振り絞るように泣きながら笑っていた。

 

「ノインさん?」

「……うん、俺は平気さ……平気じゃないけど平気なんだ。……ありがとう、レティシア」

 

 目元を隠したまま、少年は言った。

 また変な言い回しの強がりなのかとレティシアは思う。

 けれど身を起こしたノインの体には、黒い霞は何処にも無かった。眼は元の光を取り戻していた。

 頭を振って、ぼさぼさになって頬に張り付いた髪を指で整えて、ノインはレティシアに微笑みかけた。

 あのあやふやで哀しくなる笑いではない。雪解けの春の陽射しように優しい、見る者を安心させる笑顔だった。

 レティシアは少しだけ、その微笑みに見惚れた。心の奥で、何かが響いた。

 

「おい、おーい?もしかして、どこかぶつけたか?」

 

 気づくとノインは立ち上がっている。

 膝を付いたままのレティシアを気遣わしげに見下ろして、彼女の前で手をぱたぱたと振っていた。

 

「な、何でもありませんっ!私は大丈夫ですっ!」

 

 さっき、鼻先が触れ合いそうだった自分たちを思い出して、レティシアは両頬を押さえた。

 耳と頬が燃えるように熱かった。きっと真っ赤になっているのだろう。

 レティシアの表情の変化の意味をあまり分かっていなさそうで、それなのにどこまでも透き通っているノインの心配そうな眼差しを感じて、尚更蹲りそうになる。

 惚けた顔をした彼が恨めしいくらいで、部屋が薄暗いことがひたすら有難かった。

 

「何でもないならそれで良いんだが……」

 

 ノインはほんの一瞬躊躇った素振りを見せてから、レティシアに向けて、ほら、と手を差し出した。

 

「はい……」

 

 その手を俯いたままレティシアは握る。胼胝のできた硬い手だった。

 

「戻りましょうよ。ノインさん。ジークさんたちが心配しているんですよ」

 

 そもそもアサシンの靄を最初に見咎めたのはジークさんだったんですから、とレティシアが言うと、ノインは肩を縮めた。

 

「ああ……もう。何かすべてにおいて情けないなぁ、俺は」

 

 そう言いながらも、ノインの表情はどこか突き放したように明るかった。

 二人は外へ出ようとして、また軋む扉が枠から外れて倒れ苦笑することになる。

 扉をどうにか元の通りに嵌め込んで、二人は廊下に出た。

 

「……レティシア」

 

 歩きながらノインは口を開いた。

 

「さっき、俺の話を聞くと言ってくれたが……俺は話すのはあんまり上手くないし、長くなる」

 

 明日には庭園に飛び立つし、ノインは本来の霊基を得なければならない。ルーラーにも彼女の責務がある。

 時間を取って話すことはできない。

 

「だから、ひとつだけ聞いてほしい」

 

 俺にはきょうだいがいたんだ、とノインは言った。レティシアは頷いた。

 

「アイン、ツヴァイから始まってツェーンまで、兄さんと姉さんが八人。妹が一人」

 

 ノイン(九番目)以外の彼らがどこへ行ったのかをノインは言わなかった。ただそういう子どもたちが、いつかどこかにいたとだけ言った。

 

「……それに、ジークはちょっとだけだが、妹に似てるんだ。ライダーはツヴァイの兄さんに似ているかな」

 

 本人たちには絶対言えないけどな、とノインは苦笑していた。

 

「私は、誰かに似ているんですか?」

 

 小さな声でレティシアが問い掛けるとノインは首を振った。

 

「いや、レティシアはレティシアだ。()()()()()()()()()()()()()。……まぁ、華奢な女の子と似ているなんて、ジークにとっては嫌だろうから言わないでおいてくれ」

 

 冗談めかして言って、ノインは肩を竦めた。

 

「分かりました。誰にも言いません。私たちの秘密ですね」

「そうだな、秘密だ」

 

 また、くすりとノインが笑った。

 それを見届けて、レティシアはそっと自分の胸に手を当てた。

 

「では、ノインさん。私はそろそろ戻ります。空中庭園へ向かうための話し合いに行くのでしょう?」

 

 それは、ルーラーでなければできないことだから。

 

「そうだな。……またな、レティシア」

 

 手を振った少年に最後に一度笑いかけ、レティシアの気配が去る。

 変わって現れた少女は、ほぅ、と大きく息を吐いた。

 

「迷惑かけたみたいだな、ルーラー。悪かった」

「そんなことありませんよ、ノイン君。でも、良いですか?次から体の不調はきっちり言うこと。ジーク君も貴方も痩せ我慢が過ぎます!」

 

 ぴしりと言われて、ノインが後退る。

 そしてルーラーの内側では、先程の記憶をまた呼び起こしたレティシアが真っ赤になって身悶えしていた。

 その気恥ずかしさを感じている彼女を、可愛らしいとルーラーは寿ぎたかった。

 それを言おうとして、ルーラーは何かが心に引っ掛かった。

 眼の前にはノインがいる。ルーラーとレティシアは、同じ視点でノインとジークを見ている。向ける感情もそう違わないはずだと、ルーラーは思い込んでずっとやって来た。

 

「ルーラー?」

 

 きょとんと首を傾げている少年と、彼を間違いなく好いている少女。

 そのとき、何故だがこの城にいる別な少年の姿をルーラーは思い浮かべた。

 

―――――私と彼女では。

 

 持つ感情に、向ける想いの形にはっきりと違う何かがある。

 その想いに気づいて自覚してしまうことは、ルーラーをひどく恐れさせた。自分の中の芯が、揺らいでしまう。

 ノインに見られないよう、ルーラーはきつく手を握りしめた。

 

「いえ、何でも。行きましょう、ノイン君」

 

 素直に頷いてノインはルーラーについてくる。

 いつも軽いはずの彼の靴音が、やけに大きくルーラーの耳に響いた。

 それでも歩けば、目的の場所には辿り着く。

 馴染みの場所になりつつあるユグドミレニアの血族用の会議室の扉を、ルーラーは叩いた。

 

「すみません、遅くなり―――――」

 

 ルーラーが言い終わる前に、扉の内側から大声がした。何かとんでもないものを見て驚いたときのような叫び声に、ルーラーとノインは顔を見合わせてから扉を勢い良く押し開けて中に踏み込む。

 

「どうかしましたか!?」

 

 反射的に武装して入った二人が見たのは、変わりない部屋だった。

 フィオレにアーチャー、カウレスにバーサーカー、ゴルドとロシェ、ジークが席についている。彼らの視線がすべて向いているのはライダーの方だった。

 

「あ、やっほー。ルーラーにノイン」

 

 そんな彼は気楽そうに二人に気づいて片手を振った。

 

「どうしたのですか?」

 

 ルーラーに向けてジークが大きく頷いた。

 

「……どうかしたんだ。ライダー、今の発言をもう一度頼む」

「へ?や、だからあれだよ。ボクの宝具、魔術なら何でも何とかできるかも、って話」

「そのもう少し後。宝具の真名のことだ」

「えーと……だけど真名を忘れちゃって困ってるんだよねぇって……言った、けど?」

 

 段々自分が喋るにつれてルーラーの眼が、他の皆と同じように吊り上がっていくのをライダーは見た。

 彼女の横ではノインが、あちゃあと言う風に額を指で押さえている。

 

「あれ、何か……マズかった?」

 

 首を傾げるライダーに、不味いという次元の話ではないぞ、とノインは呆れ顔で首を振ったのだった。

 

 

 

 





喜怒哀楽が戻った話。
取り戻したそれらで内側の《彼》に会いに行こう。
ヒロイン云々はさて置いて、デミ少年が《きみ》と呼ぶのはレティシアだけ。


申し訳ありませんが諸事情により、今年の更新はこれで終いとなります。

それでは皆様、良いお年を。
来る2018年が、皆様に置かれまして幸多き一年となるように祈っております。

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