では。
ライダーに幸運:Eのアーチャーだと言われたことを、ノインはふと思い出した。
あのときは指摘されたことをそのまま認めるのが引っ掛かったから、反論してしまったのだが、本来英霊コンラのものであるはずの厄介な誓約を背負い込んだり、全く因縁などないはずの敵方の首魁に睨まれていたり、まあ言われてみれば己はそこそこ不運かもしれないと、思わないでもない。
とはいえ、流石にこれは勘弁してほしいと、ノインは無表情の下で沈んでいた。
「あんだよ、てめぇ。辛気臭いことでもあったか?」
その空気を悟ったのか、現在彼の目の前にいる少女は凶悪な目付きで睨んできた。
ノインはゆっくり首を振る。
「何でもない。それより“赤”のセイバー、聞いていいか?」
「何だ。つまらん事を聞いたら斬るぞ」
「往来で刃傷沙汰はやめろ」
一度言葉を切ってから、ノインは一言一言区切るように少女、“赤”のセイバーに告げた。
「どうして、俺が、あんたに、飯を奢っているんだ?」
場所はトゥリファスの市街。
ユグドミレニアの城から離れた、往来に面するレストランの席で、一人の少女と一人の少年が向き合って座っていた。
その片割れ、美しいが目付きの鋭い金髪の少女は、黒い髪の醒めた目付きの少年の問いをふんと鼻で笑い飛ばした。
「オレが歩いてたところにふらふら現れたのはお前のほうだ。民ならば、王に飯の一つくらい奢れ」
「俺はあんたの民じゃないだろ。その理屈に俺まで当て嵌めるな。というか、王が飯を集るってそれはどうなんだ」
「じゃあこう言ってやる。つべこべ言わずに奢れ」
「……そう言われたほうがまだ納得できる」
要は野盗にでも会ったと思えば良いのだ。
当然そんな本心は出さずに、ノインはセイバーの空にした皿を数える。十皿以下なら手持ちで払えるのだ。
既に空になった皿は七つで、料理が載っているのは二つだからぎりぎりで食い逃げと言われることはない。
香ばしい良い匂いのする分厚い焼けた肉を噛み千切りながら、セイバーはじろりとノインを見た。
「そもそもどうして一人でいる?あの小うるさい雌犬と、ホムンクルスはどうした?それにあの本来のルーラーもだ。貴様らいつもつるんでいただろう」
「雌犬?」
誰だそれ、とノインは首を傾げかけて思い当たった。
どうやらこのセイバーも、ルーラーのようにライダーを少女と思っているらしい。面白そうだから訂正はいいか、とノインは勝手に決めた。
「ライダーとジークは街の何処かにいる。ルーラーもだ」
「てめえは迷子にでもなったのか?」
「ここまでは一緒に来たが、逸れた。……だからまあ、迷子と言えばそうだな」
だっせぇ、とセイバーは笑う。
実のところ、念話を使えば合流も簡単にできるのだが、セイバーと彼ら四人が出会うと確実に面倒になりそうなので、ノインはセイバーに絡まれた時点で念話を切っていた。
というか何故こうなったのか、とノインはぼんやり思い出す。
まず街についた途端、楽しそうな音楽を奏でている見世物を見つけたライダーがジークの手を引いて駆け出した。
ルーラーが慌てて止めに走り、ノインも後を追おうとしたのだが、運悪く近くにいた小さな女の子にぶつかり、彼女が持っていた風船を空へ飛ばしてしまう。
たちまち大粒の涙を目に溜めた女の子にノインは慌て、何とか並みの人間の範囲に見える身体能力で風船を追い掛けた。
風船を捕まえて女の子に返すことはできたのだが、その頃にはライダーたちの姿は完全に見えなくなっていたのだ。
それでとりあえず元の場所に戻ろうと歩いていたところに、不審な気配を感じ取った。
気になって様子を見に行けばそれは“赤”のセイバーで、ノインはそのまま彼女に昼飯を奢る羽目になったのである。
つまり、こういう状況になった半分は運で、半分は自分の行いのせいだと分かった。
「お前も庭園に行くのか?」
一頻りげらげら笑った後、セイバーは唐突に真面目な顔で切り出した。
「行く」
一言でノインは答える。
「そうか。ま、精々オレたちの足を引っ張るなよ。一応言っとくが、オレとマスターの獲物はあの毒臭いカメ虫女だ。手出しするんじゃねえぞ」
「カメ、虫……?……ああ、セミラミスか。天草四郎のサーヴァントだって言う」
「“赤”のアサシンだ。いけ好かない女帝は必ず落とす。邪魔をするなよ」
更に言えば彼女は空中庭園の主で、ライダーを完封して空から叩き落としたサーヴァントだ。草原のときは、ノインも散々彼女の砲撃で狙い撃ちされて“赤”のセイバーの元まで誘導されたから、手強さはよく知っていた。
その相手をしてくれると言うなら、阻む理由があるわけ無かった。
「あんたも聖杯に願いがあるんだよな」
「当たり前だ。お前は……」
言いかけてセイバーは、令呪も何も無いノインの手を見て舌打ちした。
「そうか。お前は聖杯に喚ばれたサーヴァントでも、願いのあるマスターでも無かったな。それなのにまだ、この戦いにいるのか」
ぶわりとセイバーの小さな体が急に大きくなったように感じた。
感情一つで自分の気配を操るのは、確かに王者に必要なことだなとノインは妙に他人事のように思いながら答える。
「あんたにそんな風に言われる覚えはない。俺が戦うことに口を出すな」
しかし頭の何処かは冷静なのに、口から出た言葉は完全に逆だった。
剣呑な気配が二人の間を漂うが、セイバーはすぐに鼻を鳴らした。
「言うようになったな。差し詰めお前の願いは、最後まで残ることか?以前より大きな力に手を出して、そうまでして己の強さでも証明したいのか?」
「そんな証明、必要ない。俺は、俺に許された時間の限り、好きな人たちの側にいたいんだ。そして、その場所がここだったと言うだけだ」
ノインの紅い眼とセイバーの碧眼が正面からぶつかる。
感情が先走って言い過ぎた気がしないでもなかったが、この少女に心の底を透かされるような物言いをされるのはあまり気分の良いものではなかった。
セイバーの見立ては見当違いだと思うだけに、よく知りもしない相手に好き勝手なことを言われているようでノインは反発したのだ。
あの馬鹿でかい剣を抜いたりしないよな、と言ってしまってから思う。
しかしセイバーは、逆ににやりと笑った。手に持っていた銀色のナイフを、肉に突き立てる。まだ熱い肉汁がノインの頬にまで飛んだ。
「良いぜ、よく吠えた。いけ好かない野郎だったがその面ならまだマシだ」
「……そうか」
相変わらず勝手なことばかり言う、と思いながらノインは頬を拭ってから、自分の前に置かれた水の入ったグラスを傾ける。
生温い水が喉を通り過ぎて行った。空になったグラスを置き、伝票を掴んでノインは立ち上がる。
「俺はもう行く。ルーラーたちの気配が来てるから」
セイバーと顔を付き合わせて騒ぎにすることもない。
「金は払っておく。じゃあな」
「おう。足掻けよ、デミ・アーチャー」
答える代わりに手だけ振り、店主に金を払ってノインは外に出た。大分財布が軽くなってしまったが、仕方ない。
外は昼下がりの日差しが道を暖めていて、ふわあ、と欠伸が出る。
ライダーやルーラーの気配が何となくある方へ足を向けると、程なく足音が近づいて来た。
「ノインさん!」
店から二つ先の辻を曲がったところで名前を呼ばれて振り返る。
通りを挟んだ向かい側で、長い金髪を三つ編みに編んだ少女が、伸び上がるようにして手を振っていた。
紫の瞳の光の色合いが、朝見たときと違っている。
左右を見てからノインは通りを渡った。駆け寄って来た小柄な少女は、彼を見上げてふわりと笑った。
「レティシアか。おはよう」
「おはようございます、ノインさん。……今はもうお昼ですけどね」
くすりと、聖女でない少女は笑った。
ノインが何か言う前に、ぱしんと軽い衝撃が頭の後ろに走る。振り返れば手刀を掲げたライダーと、その後ろにジークが立っていた。
「ったく、ボクらもいるってのに、全然気づかずにレティシアちゃんのほうへ行くんだから……。大体勝手に居なくなるなよ。心配したんだぞ……レティシアちゃんが」
そもそもライダーが走らなければ逸れなかっただろ、と不満を言いかけて、ノインは最後の一言で黙った。
レティシアのほうを見ると、あわあわと胸の前で手を握ったり開いたりしている。ライダーの言ったのは本当のことだったらしい。
「……うん、その……悪い」
「い、いえ!ちゃんと気配は分かっていましたから……」
「どこにいるかは分かったのに、ノインは念話を切っていただろう?何かに巻き込まれてないかが気になったんだ」
「……」
巻き込まれたと言えば巻き込まれたよな、とノインは薄くなった財布の感触を思った。
「誰かと出会ったのですか?」
「会った。“赤”のセイバーだ」
ノイン以外の三人の眼と口が丸くなる。
「いや、別にやり合ったとかそういうのではないぞ。飯代、払わされただけだ」
「“赤”のセイバーさんに奢ったんですか……」
「ちょっと目を離しただけでセイバーに集られるって大概だよね」
レティシアとライダーが言ったそのとき、唐突にジークとレティシアの腹がそれぞれくぅ、と鳴った。
ジークは腹を無言で押さえ、レティシアは耳まで真っ赤になる。
「んー、それじゃボクらもご飯、行こうよ。さっき、あっちに美味しそうなパイの店があったしね!」
陽気にライダーは笑う。
誰から言うともなく頷いて、四人は街の中心にある広場へ足を向けた。
昼下がりだからか、人の数はそれなり多い。さっきノインがぶつかり、風船を飛ばしてしまった子と同じ年頃の子どもたち数人が、楽しそうに笑いながら四人の横をすり抜けて行った。
彼らの母親なのか、数人の女性が軒先に立ったままその様子を眺めている。
「あ、ほら、あそこだよ!ジーク、お金ちょうだい!」
立ち止まったライダーの手に小銭をジークが乗せた。ライダーにお金を持たせると後が怖いとルーラーが言い、ジークとライダーの財布は纏めてジークが持っていたのだ。
ありがとう、と言ってライダーは店に突撃して行く。
店はそれなり賑わっているようだから、四人では入らない。残りの三人は広場の片隅にあった長椅子に腰掛けた。
そこからは広場の様子がよく見える。
麗らかな日差しを浴びて人が行き来する光景を、ジークとノインは言葉を忘れたように眺めていた。
「二人とも、どうかしたんですか?」
レティシアに声をかけられて、二人は眼を何度か瞬いた。
「ライダーに言われたことを思い出していた」
午前、ジークとライダーはルーラーも一緒にノインを探しがてら街を回っていた。
喧嘩している夫婦の仲裁をライダーが勝って出て大騒ぎになったり、転んだ子どもに駆け寄ったり、またもやどこかのごろつきに絡まれたり。
城の中の人間と、僅かな時間匿ってくれた村の老人以外の人間とはほぼ向き合ったことのないジークには新鮮で、だからこそライダーに尋ねてみたのだという。
どうしてそこまで人と関わろうとするのか、と。
ライダーの答えは、単純だった。
人が好きで、人と関わることが好きだから。自分が関わったことで、ちょっとでも何かが良い方向に転がったら、もうそれだけで十分幸せになれるから、と言ったのだ。
こうして広場を見ていて、今日限りで二度と会うこともないだろう人々が過ぎて行く様を見て、ジークはそれを改めて思い出したと言う。
「そういうこと、考えるのか」
ぽつりとノインが呟き、ジークはそちらを向いた。
「じゃあノインは何を考えたんだ?」
「俺か?」
うーん、とノインは頭をかいた。
「何にも凄いことなんて考えてなかった。ただ穏やかだなぁって。……ああ、ジークの考え事をからかってる訳ではないぞ」
生きる意味とか人類の尊さこととか、そういう大きなことを考えたのではなくて、ただ今見ているこういう光景が良いものだな、とそう思っただけだとノインは言った。
「でもおかしいよな。俺、街って場所には何度も出ているのに、こういう風に思ったことが今までは無かった気がする」
「……今は、楽しいのか?」
「ああ、楽しいな。何にもしないことが楽しいっていう時間は良いものだな」
そこまで言って、昼下がりの広場のざわめきを聞くように耳を傾けながら、ノインはレティシアの方を見て苦笑した。
「……ちょっと今のは、爺さんみたいだったか?」
「そうですよ。ノインさんは、もっと何か……何かたくさんのことをしてからそういうことを言って下さい。せっかく街に来たのに、セイバーさんにご飯を奢って、広場をにこにこ観察するだけなんて、勿体ないじゃあないですか」
思わす熱が入ったレティシアの後ろから、そのとき軽快な声が響いた。
「そうそう!全くその通り!お爺さんみたいな悟りはキミには早いよ」
ひょこりと、長椅子の後ろからライダーが現れる。腕の中には、やや危なっかしげに四つの湯気の立ち上るパイを抱えていた。
「説明は良いから早くパイを取って取って!落っことしちゃう!」
言われて、三人はまだ温かく香ばしい香りのするパイを、慌てて受け取った。
「ありがと!いやぁ、ちょっと焦った焦った!」
とすん、と長椅子の背板を乗り越えたライダーは、ジークとノインの間に収まる。
「みんな、持ったね。それじゃいただきまーす!」
「い、いただきます」
ライダーの音頭につられて、ノインの横に座っているレティシアがさくりとパイを齧る。
美味しい、と言う言葉が彼女からこぼれ落ちる。
「ほらほら、キミたちも食べなよ。美味しいよ」
促されて少年二人もぱくりとパイを齧る。ふわりとノインの顔が綻び、ライダーは満足げに頷いた。
「旨いな、これ」
「だろだろ?ね、ジーク」
「……ああ、そうだな」
栗鼠が大きな木の実を齧るように食べている彼らを、ライダーはにやにや笑いながら眺めていた。
「食べたらどうする?っていうか、次は街の何処に行く?」
「まだ回るのか?」
「そうだよ。だってまだ何にも見てないじゃんか。それにノインとか、あっちのセイバーにご飯奢って午前潰してるんだし。もっとどっかへ行かなきゃ損だよ」
キミは行きたいところとかあるかい、とライダーはノインの方を向いた。
口をもぐもぐと動かしていたノインは中身を飲み込む。しかし、なかなか思い付かないのか首を捻っている。
「レティシアちゃんはどうだい?」
「わ、わたしですか?」
レティシアは少し考える素振りを見せてから、口を開いた。
「じゃあ――――――」
少女の提案に他の三人は頷いた。悪くない、どころか良い案に思えたのだ。
四人並んでパイを食べ終わると、彼らは街を抜けていく。
途中、やはりライダーは何某か通行人のトラブルに関わった。迷って泣いている子どもの親を探し、ジークの懐から財布を掏ろうとした若い男を軽く投げ飛ばす。
露店に貼り付いて動かなくなったり、そうかと思うと突然駆け出して走る子どもらに混ざりたがったりと、他の三人を振り回した。
とはいえ、止めようとは誰も思わなかった。
ライダーだから仕方ないな、などと言いながら、彼と共に動いて街を真っ直ぐに抜けて進む。やがて街を抜けて、辿り着いた先は街と城を眺めることのできる丘の上だった。その頃にはとうに日が傾いていた。
丘の草地に四人は誰から言うともなく腰を下ろした。
「こうして見れば、街も城も小さいな」
「そうだね。あの空間でここ数日ずっと駆け回ってたなんて、変な感じがするかい?」
「……少しな」
丘を吹き渡る風に遊ぶジークの鈍い銀色の髪を、ライダーはくしゃくしゃとかき混ぜた。
その様子をノインはまたぼうっと眺めている。レティシアはその顔を覗き込んだ。
「ノインさん?」
「や、何でも。でも、俺もこんな風にここを眺めたことはなかったな」
レティシアも、あくせくしていた場所から離れてみれば、そこは思っていたよりずっと小さかったと思う。
「きみは、そもそも別の国から来てるんだよな。フランスだったか」
急にそんなことをノインは言った。
レティシアの故郷もルーラーと同じフランスだ。彼女と同じく、故郷に両親や友人を置いてレティシアはルーマニアのこの街を訪れている。
これが終われば、レティシアはそこへ帰る。ルーラーとして訪れた国から、レティシアとして帰るのだ。
そのときには、この場にいる人々とは別れているだろう。
終われば座へ帰還するライダーとルーラーとは、もう二度と会えない。
ジークやノインは、これから先立ち向かわなければならないものが山とある。
そこに、ルーラーもいない自分では関われないとレティシアは誰に言われるまでもなく理解していた。
万能の奇跡というものを端緒に集まり、集められた自分たちがこうやって揃うのは――――最後かもしれない。
レティシアはそっと、隣に座る少年を見た。
黒い髪が少し冷たい秋風に揺れていて、紅い眼に夕日が照り返して輝いていた。
彼も自分もここにいる。その事実が痛い程胸に迫って来た。
ふと見ると、草の上に傷だらけで節くれだった、けれども思っていたほど大きくはない手があった。レティシアはそっと、手を伸ばす。
重なった手は、渇いて固く、けれども温かく脈打っていた。戸惑うように少年が顔を上げる。え、とあどけない声が零れる。
熱いものに触れたように、ノインの手がレティシアの手の下でぴくりと跳ねた。けれど、振り払うような力は込められていなかった。
ごく自然に、そのとき何故かレティシアは微笑むことができた。
帰ろう、とアストルフォが言うまで、レティシアはその手の中の温かさをずっと感じていた。
今はただ、それだけしか少女にできることはなかった。
act-1と比べれば雲泥の差で流暢に喋れるようになったデミ少年。ただしレティシア以外に対して。
すみません、今週もこれだけです。