では。
”黒”のライダーは、一心に空を駆けていた。
厄介な砲台の二つはノインが、一つは彼と”赤”のランサーがぶつかったときの余波で落ちた。ノインが飛び降りてから、ライダーが壊したのは五つ。
残りはあとたった一つだった。”赤”のランサーとアーチャーからの攻撃が無くなった今、脅威は魔術砲撃だけである。
それでも、ライダーは満身創痍だった。槍は先が折れ曲がり、何度も体当たりを繰り返したためにヒポグリフは苦し気に呻いていた。
「ヒポグリフ、まだ頑張れるかい?」
それでも頼もしい声でライダーの愛馬は嘶いた。彼もライダーも額が割れて血が吹き出ていた。眼に垂れてきた赤い滴を乱暴に拭って、ライダーは前を向いた。
思い出すのは、つい先ほどまで背中に乗っていた友人の一人だ。その重さは今は無い。
見たことが無い異常な速さで飛びかかったノインと、それを軽々と炎で打ち払ったランサーとは、ライダーから離れたどこかへ跳んで行った。
ヒポグリフやライダーたちから、ランサーを引き離すために敢えてノインはそうしたのだ。その行為に大いに助けられていた。
どこへ行ったのかと思う間もなく、庭園のちょうど反対側で魔力が炎となって吹きあがっていた。
「あいつ……」
炎の下まで飛び出して行きたいのを堪えて、ライダーはヒポグリフを駆る。紙片の盾と槍を構えて、一直線に向かう先は聳える黒棺だった。
折れるほどに歯を食いしばり、魔術光の中に体当たりで突っ込む。
「あぁぁぁぁっっ!!」
自分が何を叫んでいるのかも分からないまま、ヒポグリフとライダーは黒棺を砕ききった。しかし、力尽きたのかヒポグリフは光の粒子となって消えてしまう。ライダーの体は宙に投げ出された。
「と、と、止まってぇぇぇっ!」
ヒポグリフの勢いそのまま、投石器の石のように吹っ飛ばされ、ライダーは庭園の石畳の上に落下した。手足を踏ん張って、ライダーはなんとか踏みとどまる。
「いったぁ……」
それでも気絶しなかっただけ儲けものだと、ライダーは立ち上がった。
「到着……したはいいけど。ここっていったいどこなんだろう?」
庭園とは聞いていたのだが、ライダーが落下したところはむしろ煉瓦造りの街だった。それも所々破壊されている。ライダーの突撃の衝撃か、”赤”のランサーとノインの戦闘の余波か、どちらにせよ女帝の庭園もそろそろ無傷ではなくなってきていた。
しかしとにかく、ライダーはマスターのジークたちと合流しなければならない。そろそろ彼らの小型飛行機も、庭園に到着しているはずなのだ。
全体どこに行ったのか、とライダーが辺りの気配を探ろうとして、彼の背後で日輪の炎熱の華がまたしても夜空を赤く彩った。
赤々と夜空を染める焔の華を、ライダーは一瞬声もなく見上げるた。
「あいつ……」
飛んで行きたいと思う。
しかし、幻馬で向かっても来るな馬鹿、とノインに怒鳴られるだけだろうし、ジークと合流する必要があった。
自分たちがこうして辿り着けたのだから、あいつも手早く切り上げられるはずだと、ライダーは走り出そうとして、近づいてくる気配に立ち止まった。
建物の暗がりから現れたのは緑の髪の青年。か"赤"のライダーだった。
「おう、お前が"黒"のライダー、でいいんだよな?」
「そうだけど……何の用だよ」
尤も戦場で会ったからには用なんてたった一つしかないだろうけど、とライダーはまだ完全に壊れていない馬上槍を構えた。
「キミがここにいるってことは、こっちのアーチャーは……」
「ああ。俺が倒した。積年の願いを遂げられたってことさ」
やっぱりか、とライダーは唇を噛み締めた。そうだとは思っていたのだ。
"黒"のアーチャーが倒れてしまったなら、残りはいよいよ後がない。"赤"のランサーを相手取れたかもしれない大英雄は、消えてしまったのだ。
とはいえ自分も、こうなるとマスターとの合流どころではない。
槍を構える"黒"のライダーに対し、"赤"のライダーは待て待てと両手を上げた。
「少し待て。俺はお前とやり合うために来た訳じゃない」
そう言うと、彼は虚空から丸い大盾を取り出し、それを"黒"のライダーに向けて投げた。
「うわっ!?……って、これ宝具じゃないか?どうしろってんだよ」
「お前らにくれてやる」
「はぁ?……何で!?」
「何でもだ。先生……"黒"のアーチャーとの約束だ。詳細は省くが、それをお前たちにくれてやると彼と約した。だが、要らないなら返せ」
眉を顰める赤の騎兵に、ライダーは盾を持ったまま後退った。
「要る!要ります!貰っておくよ!ありがとう!」
調子良いやつ、と"赤"のライダーはその様子を見て鼻で笑った。
「じゃあとっとと行け、お前をやるのは気が進まんし、俺にはあっちに相手がいる」
猫でも追い払うように手を振った"赤"のライダーは、やおら槍を取り出すと気合と共に空に向けて投擲する。
槍は一筋の閃光と化し、今しも庭園の中央に突っ込もうとしていた戦闘機を掠める。
凄まじい運転技術で直撃を避けた飛行機は、しかし翼の一部を抉られて中央からやや逸れたところに爆炎と共に落ちて行った。
「えぇ……」
「こっちのセイバーだろ、あれ。俺はあいつを倒す。アサシンはいけすかないが、こちらの要の女帝が落とされちゃマスターの願いが叶わんからな」
「じゃ、キミは天草四郎の願いに納得したのか」
じりじりと後退りながら、"黒"のライダーは尋ねる。
「まぁな。あいつの方法なら、確かに人類は救済されるだろうさ」
「そうかい。じゃあ、一応聞かせておくれよ」
"赤"のライダーは気負った風もなく無造作に頷き、天草四郎の唱える『方法』を口にする。"黒"のライダーは驚きで目を見張った。
「あー、そういう方法なのか……」
「そういうこった。規模が大きいだろ?」
「大きいけどさ……」
多分ボクのマスターや、こっちでできたボクの友人はそのやり方を受け入れないよ、と"黒"のライダーは呟いた。
それに自分も、今聞いた方法には両手を上げて賛成できなかった。
「そうか。不満があるなら止めてみろ、"黒"のライダー」
「もちろんやってやるよ。じゃあね!」
「馬鹿。宝具の真名を聞いていけ」
真名を聞いて覚えたあと、"黒"のライダーは礼の言葉を一応叫んで駆け出す。
抱えた盾はずしりと重い。重いが、不思議とそれが全く気にならなかった。
ぐん、と地面が近づいてくる。
ルーン石で風を起こして強引に体の上下を入れ替え、足に触れた地面を蹴り飛ばして跳躍。そうして伸ばした槍の穂先は、黄金の甲冑に阻まれて火花を散らせた。
「ッ……!」
お返しのようにランサーが槍を突き出す。急所に噛み付く毒蛇のような一撃を、ノインは危うく避けた。それでも頬が切れて血が飛び、伸びかけの髪がざくりと斬られて宙に舞う。
しかし、髪は術者の体の一部だ。斬られた髪に魔力を繋げ、ノインはそれを爆発させた。その爆発に紛れ込むように宙に飛ばしたのは炎のルーン、”アンサズ”が刻まれた小石だった。
ランサーの目の前で爆弾と化した礫が爆散した。
その隙で、ようやくノインは地面に飛び降りる。足裏に硬い地面を感じるノインの数メートル先に、ランサーは変わらない涼しい顔のまま降り立った。
―――――本当に反則だな。この
ノインの槍は当たっていない訳ではない。光の御子、クー・フーリンとも渡り合った幼い英雄の技量と速さは、ランサーにもわずかながら届いていた。
しかし、首や鎧の隙間など、甲冑で守られていない部分を狙ってつけた傷は躱されるか巧みに逸らされるかして、どうしても浅いものになり、それすらもすぐさま治されてしまうのだ。
聖杯からの莫大な魔力を、ランサーは余すことなく使っていた。あしらわれている感が否めない。
―――――神々であろうと破壊不可能な鎧。それに自己治癒能力の促進と、恐らくは傷の軽減の効果も付いてるな。
それこそ”黒”のセイバーのように、攻撃を敢えて受け、高い防御力で身を守りつつ相手を圧倒するようなやり方はコンラの戦う方法ではなかったのだろう。
彼の戦い方は、速さにより攻撃を躱すことで敵を翻弄するものだ。だから彼の霊基を借りたノインと、周囲を一撃で薙ぎ払えるだけの火力を振るうランサーは、その時点で相性が悪いのだ。
―――――まあ、そんなこと知っていたけどさ。
それなのにこうやって立っている辺り、自分もコンラのことを言っていられないなとノインはおかしくなった。
自分の意志ひとつに自分の生命を賭けて戦い、生きる感覚は恐ろしく、同時に少年の心をこれまでにないほど昂らせていた。
彼が冷静に時間を引き延ばす戦い方を続けているのは、先に行かせた聖女と騎兵、そのマスターの存在があるからだ。
ランサーを倒すこと、ましてや彼と技量を競うことは、ノインの求めることではない。この戦場で、大事な人々を先に行かせることが自分の役目で、他のことは考えない。その想いがノインを踏みとどまらせていた。
だが、ランサーはどうしたことか槍を地面に突き立てた。まるで戦いを止めるようなそぶりに、ノインも動揺する。
「少し待て。オレから一つ、頼み事をしたい」
「は?」
切り出されたことが分からず、ノインは素のまま答えてしまう。
「こちらから提案がある。そちらにとっても利益になるかは分からないが、オレにとっては何にも代えがたいコトがあるのだ」
「……それは、あなたが聖杯にかけている望みと関係でもあるのか?」
戦い始める前に数えるほどの言葉を交わしただけだが、このランサーの言動はノインには掴みにくかった。感情表現が率直なライダー、レティシアやルーラーと全く勝手が違う。
敢えて言うならランサーの言い方は、思ったことを率直に話すジークに近いものがあった。
彼は何も嘘を付いていない。本当に頼みごとがあるから、戦いを中断してまで自分に頼んでいる。
そういう感じがした。
ランサーはノインの問いにも首を振った。
「元よりオレに聖杯にかける願いはなかった。オレがここで槍を振るうのは、ひとえにオレを召喚したマスターが聖杯を手に入れることを望んでいたからだ」
「望んで……
「そうだ。だが、我らの本来のマスターは、アサシンの毒によって意識を奪われ捕らえられている。オレは彼らを守りたい。これが個人的なものとは分かっている。それでも、頼みたいのだ」
言われたことがノインの頭に染み込むまで数秒かかった。
つまり彼には自分の願いが無く、純粋にマスターのためだけに戦っていて、彼らが”赤”のアサシンに捕えられている現状を良しとしていない。
あり方も雰囲気も、何もかも違うのにそのときノインは”黒”のライダーの姿を思い浮かべた。
彼にも願いは無く、単に呼ばれたから手助けするために召喚に応じたといつだったか明るく言っていた。
英霊も数が多い。そういう純粋に人助けのために応じてくれた英霊というのが、ライダー以外にいたとしてもおかしくない。
ただそれが、余りに強大で、生前に悲運を背負った英霊の口から出たために、ノインは戸惑ったのだ。
それをどう取ったのか、ランサーは首を傾げた。
「オレが彼らを守りたいと思うのはおかしいか?」
「……何も。俺たちのところにも、そういう英雄はいるから。それで、そちらは俺に何をさせたいんだ?」
「マスターたちの保護を頼みたい。そちらの魔術師たちと連絡はとれるか?」
できなくもない、とノインは答える。
「保護と言っても方法があるのか?ここ、地上から七千五百メートルもあるんだろう」
「この庭園から地上に向けた転送術式がある。それを起動させて彼らを地上に送ったのち、彼らを保護してもらいたいのだ」
そういうことなら確かに、ユグドミレニアの力ならできるだろう。
ノインも槍を片手に持ち、念話を繋げた。
繋ぐ先はカウレスだ。
秒もかからず、カウレスが答えた。
『何だ!?……って、お前かよ!』
「ノインだ。こちらは現在”赤”のランサーの前にいる」
念話の向こうで呆然とするカウレスが復旧する前に、ノインは淡々と状況を説明した。
「……ということだそうだが、ユグドミレニアとして彼らの保護はできるか?」
『戦後の交渉材料として彼らの身柄を確保することならな。俺たちとしてはやっておきたいよ。というか、お前たちのいるところは分かった。数分で着くから、俺たちも行くよ』
交渉材料とはつまり協会相手の人質な訳だが、それでも彼らの生命は保証されることになる。
「……ユグドミレニアは彼らを保護すると言っている。数分でこちらに来るそうだ」
「そうか。それならば待とう」
ランサーは頷き、槍から手を離して腕組みをした。立ち方にはやはり、どこにも隙がない。ノインは念話は続けていた。
『そちら、状況は?』
『俺たちは庭園に無事に着いた。でも……こっちのアーチャーが落ちた。"赤"のライダーも健在らしい』
ノインは片目を瞑った。
深く穏やかな瞳の色が心の底を横切った。
『……分かった』
『バーサーカーとは合流できたけど、ライダーとはまだだ。少なくとも倒されていないけどな。ルーラーは庭園の中心に向かってるらしい』
カウレスの声は淡々としていた。そこにランサーの声が割り込む。
「相談は纏まったのか?」
「纏まっている。……それより、聞いてもいいか?あなたは、何故先に俺と戦ったんだ?」
「戦いを通せば、お前の人となりは分かる。如何せんお前は最初、己の主を斬っていたろう?故にオレの願いを頼んで良いものか、見極めたかったのだ」
「……」
見極めの手段でランサーが命懸けの戦いを選んでいたことに、ノインは何も返せなかった。
コンラなら受け入れて笑うかもしれないが、自分には無理だった。
ランサーは無表情に口を開いた。
「分かったことは、お前は戦士としての名誉も、戦いの誉れも、何も必要としていない。恩義を受けた者や友、守ると決めた者たちのために戦う者だな。そのためなら泥を啜ろうが汚名をかぶろうが、一向気に留めまい」
「……だって、俺は戦士でもないからな」
「お前が、英霊の器を借りただけと己を卑下するのは構わん。だが、守るべき人々のために戦う人間を、オレたちは戦士と呼んできた」
守るべき者と聞いて、レティシアの顔が浮かんだ。
ここにいてと、彼女は子どもたちの魂に飲まれかけたノインに言った。言って、泣いて、引き止めてくれた。
あの一言と水晶みたいな涙で救われて、まだここにいられる。彼女はノインの魂と心を守ってくれた。だから、レティシアが家族のところへ戻るために生命を守ると決めていた。
そう思うのはノインには自然なことだった。そのために、怖いと思う心も飲み込んだ。闇雲に抑えるのではない。それを認めて戦うのだ。恐れも怯えも、自分の一部なのだから。
「……」
「どうした?」
どうしたもこうしたも、自分でも言葉にできていなかった心を言い当てられては、ノインには何も言えない。
むしろ、人の心を推し量る眼力まで規格外とはもう大概にしてほしいと、ここまでランサーが桁違い過ぎることに少しだけ笑いたくなった。
「それだけ他人の心を読めて―――――」
大変じゃないのか、と言いかけてノインは止めた。
わざわざ言うほどのことでもないだろう、とそう思ったからだ。
折良く、カウレスとフィオレが現れたのはまさにその時だった。
モードレッド、相手が強制変更。
バレンタイン記念でfgo北米神話大戦編の導入を書きましたので、一時間後に上げます。
今は続かない、ただの記念と考えて頂ければ…。