九番目の少年   作:はたけのなすび

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では。


act-46

 

 

 

 

 

 何処かで倒れていたほうがましだったのではないかと思わなくもなかった。

 手足も体もぼろぼろで、強化の魔術で補って動かしているだけ。宝具も使えず、魂に寄り添っていてくれた影は消えてしまった。

 自分自身が、デミ・サーヴァントなのか人間なのか。心臓を貫かれて蘇った時点で、普通の人間の範疇からは外れてしまったとは思っていた。

 いやそれどころか、生きているのか死んでいるのかすらわからないほど、体中が一分の隙も無いほど軋んでいた。

 

─────何故、俺は走っているんだろうか?

 

 味方も敵も関係なく、次々斃れてしまった。

 この戦いには後何人残っていて、後何人が消え去るのだろう。

 次は自分かもしれなかった。

 

─────ああ、でも俺には、会いたい人がいるからな。

 

 対して、敵はもう大聖杯を手中に収めていたようだった。

 神々しい輝きを背にした姿を目にすれば、どれほどの愚か者でもわかる。

 かつての主が求め、欲し、魂まで捧げて尚手にすることのなかった奇跡の大釜が、持ち主を決めてしまったという事実は、ノインの心を見事に素通りした。

 魔力の塊も、奇跡の器も、そんなことはどうでも良かったのだ。

 聖杯の前で立つ金髪の少女と、彼女と向かい合うようにして立つ幼い少女を見た瞬間、ノインの中で時が止まったからだ。

 

「ルーラー!」

 

 ジークが叫ばなければ、そのまま凍りついていただろう。

 彼に名前を呼ばれて、こちらに背を向けていた金髪の少女が振り返る。

 その頬が涙に濡れているのを見て、それでようやく我に返る。

 

「誰だ……あの子ども?新しい“赤”のサーヴァントか?」

 

 カウレスが隣で呟くのが聞こえた。

 

「違う。あれは……」

 

 色彩に乏しい小さな少女が、ノインを見上げる。儚く薄い色合いの瞳と、血に似た赤色の瞳が交わった。

 全身の血が沸き立つような感覚が、ぼろぼろの体を駆け抜けた。音も匂いも消えて、気づけば足を勝手に前へと踏み出していた。

 

「おい、ノイン!」

 

 カウレスの静止の声も聞かずに、ノインは床を蹴った。階段の頂上から、ルーラーたちの前にまで一気に跳んで降りる。

 

「……ツェーン?」

 

 幼い────最期のときと変わらない姿の少女は、全身を震わせる。泣き出しそうなその顔と、涙の跡をつけたレティシアの顔を見て、ノインの中で何かが切れた。

 

「……誰だ」

 

 盾を握る手に力が籠もる。痛みも何もかも、頭の中から吹き飛んだ。変わって心を塗り潰したのは、初めて感じるマグマのようにどろどろした何かだった。

 赤い目にどす黒い感情を滲ませて、ノインは聖杯の前の彼らを見た。

 迷うように弓の先がふらついている“赤”のアーチャーと、見た目に反して極端に気配の薄い、白銀の鎧を纏う騎士は、ノインの視線からすり抜ける。

 

「……」

 

 無言のままノインの目が捉えたのは、天草四郎と“赤”のキャスターだった。

 間近で初めて感じた、ノインの全身から溢れている怒りの気配に、魔力で身体を強化して追いついて来たジークの足が僅かに止まる。

 

「待て、止まれ!」

 

 ジークが伸ばした指の隙間から、ノインの袖はすり抜けた。

 放たれた矢のような勢いで、ノインが盾を手にして“赤”のキャスターへ飛び掛かった。

 キャスターの首を狙った一撃は、前に出たアーチャーの弓で防がれる。

 天穹の弓とアキレウスの盾がぶつかり合い、互いに軋んだ音を立てた。

 

「お前、お前かぁっ!」

「こ、の……正気を失ったか!」

 

 得物同士で競り合う距離にあっても、ノインはアーチャーを見ていなかった。狂犬のように暴れる彼は、ただ“赤”のキャスター(シェイクスピア)と天草四郎だけを睨み据えていた。

 キャスターは羽ペンで顎の先をかきながら、肩をすくめる。

 

「おや、こうした形の悲劇は彼には少々効きすぎましたか?」

「……そのようだ。だが、こちらだけを憎悪している今は好都合です」

 

 天草四郎が、聖杯を操るべく手を動かす。既に十騎を超えるサーヴァントたちがくべられた聖杯からは、魔力が溢れていた。

 余った魔力を振るえば、サーヴァントの紛い以下になり下がった少年ひとり、吹き飛ばして無力化するのは容易かった。まして今の天草四郎は、己の宝具を用いて聖杯を完全な制御下に置いたのだから。

 今の彼は、天草四郎にとって進んで殺すべき邪魔者ではない。

 燐光を発する巨人の拳の如き形に魔力が練られる。振り下ろされる先は、完全に我を忘れて怒り狂っているノインだった。

 

「この……馬鹿野郎!」

 

 間一髪で滑り込んだジークが、ノインを体当たりで突き飛ばして共に柱の陰に転がり込む。レティシアとツェーンは、カウレスが庇い物陰に伏せた。

 彼らのいた場所に拳は振り下ろされ、床がずしんと下から突き上げるように揺れて震えた。

 そのまま間髪入れずに、ジークはノインの襟首を掴んで上体を持ち上げると、頬を平手で叩いた。

 

「落ち着け!ノイン!」

 

 あの幼い少女が誰かなど、ジークにはわからない。それでも、彼女とレティシアを見た途端に目の前の仲間が正気でなくなったことは否が応でも理解した。

 彼女はきっと、ジークにとってのトゥールたちなのだ。

 だからこそ、ノインに怒りで我を忘れさせるわけにはいかなかった。

 一度瞬きをしたノインの目に、元の理性の光が灯るのを見てジークは安堵する。

 

「戻ったか」

「あ、ああ。───ッ、避けろ!」

 

 今度は、頷きかけたノインがジークを突き飛ばして前に出た。二人の上に振り下ろされた拳を、頭上に掲げた盾でノインは受け止める。

 鐘を打ち鳴らすような音がして、盾を支える両手が痺れ、脚が石の床にめり込む。

 

「ぐ……っ!」

 

 直後、横合いから伸ばされたもう一本の腕の横薙ぎをまともにくらい、ノインは吹き飛んだ。

 背中から石の柱に叩きつけられ、目の前に星が飛ぶ。

 

「は、なるほどな。……もう大聖杯を手に入れたから、そういうこともできるわけか」

 

 瞼を押し開け、血反吐を吐き出して口元を拭って見れば、天草四郎とキャスターはまだそこにいた。彼らの今の標的は、ノインひとりだけのようだった。

 立ち上がろうとしたとき、ノインは駆け寄って来た誰かに腕を掴まれる。

 

「ノイン!やめて……とまって!」

 

 腕にしがみつくのは、幼い少女。

 それはもう、とうにこの世にいないはずのきょうだいの重みだった。

 

「……」

「吾輩の生んだ幻覚とお考えかな、少年よ。だが違うと言っておきましょう。彼女は紛れもなく、人格を有した者ですと。ま、ある種のサーヴァントですな」

 

 沈黙したノインをどう取ったのか、キャスターは言い続ける。

 

「これがお前の所業なら、差し詰めそこの騎士は、ジル・ド・レェか」

「如何にも!そしてそこの彼女は、そちらの双子の妹に相違ありません!」

 

 そんなことは、ノインにも言われずともわかった。どこの世界に妹を見間違うやつがいるのだ、と内心吐き捨てた。

 盾を杖代わりに、震える足でノインは立った。ルーラーの気配は近くにない。

 ()()()()()()()なのだろうと直感で悟った。

 

「ノイン……やめて。たたかわないで、あの人の願いをきいて」

 

 最期のとき、同じ背丈だったはずなのに、ツェーンの頭は今はノインの肩より下にあった。彼女の時は止まったままだが、ノインの時は否応にも進んでいるのだ。

 ノインは黙って天草四郎を見やる。睨む彼に、天草四郎は聖人のような微笑みを向けた。

 

「我が願い────全人類の救済へ至るための方法を、聞く気になったようですね」

 

 ごく平坦な口調で、天草四郎は願いを口にした。

 

「我が願いは第三魔法たるの全人類への適用。すなわち魂の物質化を行い、遍く人々を朽ちぬ存在へと変えるのです。すでにこの願いは聖杯に組み込まれ、稼働を始めつつあります」

 

 彼の意味するところは、全人類の不老不死であった。

 ひとが死ななくなる世界、永遠に生きられる世界。安寧の中、人々は永久に生き続け、生存を賭けた争いもなくなるだろう。そうなれば、残り少ない生命も生きていけるようになる。

 ツェーンが彼らを庇う理由も理解できた。

 

────俺に、死んでほしくないからか。

 

 彼らの手を取れば、生命は永らえるのだろう。ツェーンがそうしてほしいと思う理由も想いも、理解できた。

 何しろ、半身だったから。彼女の最期まで、感情を分かち合って来たのだから。

 もし些細な何かで生き死にが逆になって、ノインが六年前に死んでいて、今ここに喚び出されたのなら、同じように思ったろう。

 

─────でも。

 

 目の前の彼らの手など、取れなかった。

 取りたくなかったのだ。

 不老不死という天草四郎の夢は、心に何も彩りを齎さなかった。

 答えを待つように、微笑む天草四郎の前でノインは声を張り上げた。

 

「ルーラー!!あなたは戦えるのか?」

 

 願いを蹴り飛ばす答えに、天草四郎は意外そうに片眉を上げた。

 

「何故ですか?ノイン・テーター」

 

 生きたくないのかと問われ、ノインは盾を石の床に叩き付けた。

 

()()()()()()()()()()。でも、それ以上に俺はお前に、お前たちに腹が立っている。……お前の願いで染め上げられた世界なんて、お断りだ」

 

 過去を引き摺り出して、それに喋らせて、引き留めさせる。

 そのやり口に腹が立って仕方なかった。

 勝つために、ひとはあらゆる手段を用いるし、彼らは己のためにそうしただけだと頭では理解できていても、許せないという心に変化はなかった。

 

「俺の過去を書いて、楽しかったか?悲劇と銘打って書き上げれば満足か、劇作家。高みから見て嗤うだけの道化師が。お前たちは、俺にとって許せないことをした」

 

 それがすべてで、それだけのことが理由で、ノインは彼らの手を払い除けた。

 キャスターは大袈裟に肩をすくめ、天草四郎は目を伏せた。

 

「そう、ですか。……できるなら、あなたにはこちらについて欲しかったのですが」

「嘘はやめろ。お前は俺のことが嫌いだろう」

 

 ずっと苛立った目を向けられていれば、感じ取れる。

 紛れもなく尊い願いを、過去に囚われて蹴り捨てる人間は、聖人のような彼からすれば真逆だ。いけ好かなくて当たり前だろう。

 

「なんで……?」

 

 袖を引かれて、ノインはツェーンを見た。

 泣きそうな顔をしていた。そういう顔をさせたのは己だと思うと、胸を裂いて心臓を抉りたくなったが、それでも答えに後悔はなかった。

 

「忘れていてよ!なんで!わたしたちを覚えていてつらいなら、わすれてくれてよかったのに!」

 

 そうしたら、もっと自由に生きられたのに、とツェーンは泣いていて、ノインははっきり首を振った。

 

「忘れるのは嫌だ。俺がきみでも、きみが俺でも同じだよ。きょうだいなんだから」

 

 生者が死者にできることなど、ただ忘れないでいることだけで────それがあったから生きてこられた。

 自分が死んだら、たった九人の子どもたちは、存在してすらいなかったことになってしまう。

 

「俺……()()にとって、過去(きみたち)は重荷なんかじゃなかったし、これからもそうだ」

 

 天草四郎はきっと全人類の安寧という未来のために、過去を捨てたのだろう。

 過去も、普通のひととしての心も捨てて、人類を救うと決めて、彼はここまでの絵図を描いた。

 そうでなければ、遍くすべてを救うなどと、言えるはずがない。そのすべての中には、彼の愛した者たちを無惨に殺し尽くした人々も含まれているのだから。

 それだからこそ。

 過去があるから生きてきて、天草四郎の捨てたものを拾い集めて己を形づくったノインには、どこまでも彼とは相容れない。彼のつくる世界に、そのような人間の居場所はないだろう。

 

「ああ、それに、お前の願いが叶った世界じゃ……俺が最初に願ったことは永劫叶わないだろうし」

「最初に……?」

「最初だよ。ずっと昔、まあ俺がまだ子どもだった頃だ」

 

 悟られないよう、いつでも飛びかかれるよう脚に力を込めながら、ノインは言った。

 

「俺はさ、()()()()()()()()()()()。でも、不老不死の世界だと皆が変わらずあり続ける。無垢なままに漂うからこその平和が、お前の望みなんだろう?」

 

 聖杯戦争の中で、様々な人間に会って、別れた。傷つけたこと、傷つけられたこと、無くしたものも、得たものもあった。

 ああいう日々が、ノインにとっての生きている時間なのだ。

 

「使い道も、使いどころもない永遠の時間なんて、俺にとっては地獄だ。だからお前のことは絶対に認めない」

 

 最初は大人になれば────力があれば、きょうだいを守れると思ったのだ。

 そのための時間が、初めから用意されずに造られた子どもの、淡い望みだった。

 それでも、自分だけ皮肉なことに生き残った。だから、その願いは意味がなくなってしまって、忘れたものだった。

 そんなこともあって、それでも生きてきて、こうして相容れない人間に相対しているのだから、本当に人生はどういう物語になるかわからないものだと、そんなことを思った。

 

「お前たちから見れば、救済されるべきものに見えても、俺はこういう生き方を選んだ。選ばされたりもしたけど、結局こうしたのは俺だよ。だから、お前の語る理想とやらの世界で、俺は生きられない」

「では、あなたは私の敵ですね」

「そうだ。最初から、最期までな」

 

 そういうことだ、とノインは頷いた。

 さりとて、聖杯を抱えた受肉したサーヴァントに、彼の使役するキャスターとアーチャーのサーヴァント、それに一応あちら側らしい騎士ジル・ド・レェまでいては、手の打ちようがない。

 コンラは消えて残滓しかないのだから、アーチャーの狙撃に対応しきれるだけの速さは、今では出せない。できて精々、尋常でないほど取り乱していたルーラーが復帰するまでの盾役だけだ。

 しかしアーチャーはアーチャーで、様子が尋常ではなかった。弓が下りたままなのだ。まるで戦意が消えてしまったように、アーチャー・アタランテは武器を向けてこない。

 

「……?」

 

 何故なのか、ノインにはわからなかった。

 わからないまま、ただ場の雰囲気だけが張り詰める。

 天草四郎がため息をつく。

 重い荷を負うた老人のように、彼は深々と息を吐き出した。息を吐き尽くした後、彼の背後では巨人の拳のような魔力の塊が持ち上がる。

 

─────ああ、あれは駄目だな。

 

 防げないと、直感する。

 少なくともひとりでは、決して凌げそうにない。

 ルーラーの心を、ジークとカウレスが繋ぎ止められるかにかかっているのか、とノインが判断したときだ。

 みしりと、空間全体が不気味に揺れた。

 

「……!?」

 

 天草四郎たちにとっても予想外の揺れだであることは、彼らの表情を見れば明らかだった。

 地震のような揺れは、次第に激しさを増していく。

 ぴしりと、天井に割れ目が走る。ばらばらと瓦礫の欠片が落ちて来る。

 

 ノインが身構え、天草四郎が巨人の腕を頭上に掲げた正にその瞬間。

 

「ごめんちょっとみんな避けてぇぇぇぇえっ!」

 

 天井がごっそりと崩落した。

 雨霰と瓦礫が降り注ぎ、その中から聞き覚えのある声が響く。

 ノインはツェーンの胴を抱えて後方へ飛び退り、ジークたちの上に盾を掲げて防ぐ。

 その瓦礫の中を、桃色の髪を翻して器用に跳ぶ影があった。

 

「とっとと……よっと!」

 

 瓦礫を足場にして地面に着地したのは、“黒”のライダー。どうしたことか、彼は“赤”のセイバーのマスターの襟首を掴んでいた。

 

「やぁ、無事で良かった!ところで、これ今どうなってるの?」

 

 その場でくるりと回った“黒”のライダーは、唖然とするノインたちにいつも通りの笑みを見せたのだった。

 

 

 

 

 

 




死者の理想が、生者に否定されました。
地雷踏んだのと、見ている視点が違うのが原因。

ライダーたちがダイナミック登場かました経緯は次回。

あとは、地味に昔の一人称は違うデミ少年。

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