九番目の少年   作:はたけのなすび

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では。


act-48

 

 

 

 

 

 

 止めていられますか、と問うルーラーの手は、既に腰の剣にかかっていた。

 一度も抜いたことのない細身の剣で、ルーラーが一体何をするつもりなのか、ノインにはわからなかった。

 

「少し……ってどのくらいだ?」

「詠唱……いえ、空への祈りが終わるまで、です。約三十秒ですね」

「キッツ!」

 

 展開した魔導書でアサシンから放たれる魔術攻撃を弾きながら、ライダーが言った。

 

「マスター、ノインに剣投げて!コイツ、武器が無いから!」

「ああ!」

 

 ジークが投げてきた剣を片手で受け、ノインはそのまま鞘から剣を引き抜いて、飛んできた鎖を切り払った。

 剣はばちばちと音を立てて放電している。その紫電はノインの全身にも及んでいた。

 それはかつて、バーサーカーのものだった雷。周辺の魔力を吸い取り、自身を駆動させ続けるための擬似的な永久機関だった。

 鎖はノイン、光弾はライダーが弾き、アサシンの攻撃を寄せ付けない。

 

─────でも押し返せないぞ、これ。

 

 留めるだけで、ライダーもノインも精一杯だった。ここまでに受けた傷と消耗で、全身が悲鳴を上げていて、アサシンのほうにまで攻撃を押し返せない。有体に言って、反撃ができないのだ。

 彼らの背後にルーラーがいるのと同じように、アサシンの背後には天草四郎がいる。

 

「ノイン、避けろ!」

「ッ!?」

 

 天草四郎の方を見た一瞬の隙に、巨人の腕がノインを捉える。

 小柄な体が横に吹き飛ばされ、瓦礫の山に叩きつけられた。直前で察知して後ろに跳んでいたとはいえ、全身の骨に響く衝撃が走り、ノインの意識が途切れる。

 同時に力の抜けた腕から盾が外れて、地面に転がった。

 盾を弾き飛ばすべくアサシンの鎖が伸びるが、一瞬速くツェーンが飛びついて、ライダーに盾を投げた。

 

「ありがとツェーンちゃん!」

 

 盾で腕を弾きながら、ライダーが叫ぶ。

 ツェーンは答えずに、すぐに倒れたノインに駆け寄り、瓦礫の山から彼を引っ張り出した。

 その体を担いで後ろに跳躍し、カウレスの前にノインを放り出した。

 

「魔術師さん、回復させて!」

「あ、ああ……」

 

 カウレスが回復魔術をかける間に、ツェーンはノインの手から剣を取り立ち上がると、ライダーの隣に立った。

 

「小娘、貴様は我らを裏切るか!?」

 

 アサシンの叫びに、ツェーンは怯えたように肩を揺らす。しかし叫びを振り払うようにして、前に出た。

 

「……すこしのあいだでも、あなたたちがわたしに時間をくれたことにはお礼をいいます。でも……やっぱり、わたしたちは、きょうだいのねがいのほうが大切なんです。あの子がああ言うなら、わたしたちはそれを守ります」

 

 死者の少女は細い剣を向け、天草四郎はため息をついた。

 

「そうですか。……ならば、私はそのあなたの想いも彼の想いも含めて、すべてを救済しましょう。……あなた方を、残らず排除してでも」

 

 ライダーとツェーン、ルーラーの周りに、腕が次々振り下ろされる。分断され、逃げ回ることしかできなくなっては、ルーラーの詠唱とやらは行えない。

 さらに新たに巨人の腕の一つが鳴動しながら立ち上がる。ライダーはそこに、極限にまで圧縮された魔力を感知した。あれが解き放たれれば、こちらは全員が消し飛んでしまう。

 さらにはアサシンが手を掲げた。

 

「全員、伏せろぉぉっ!」

 

 後先を考えずに飛び出したライダーと、天草四郎が魔力を開放し、アサシンがライダーたちだけに向けて毒を空間に放つのは同時だった。

 

「あぁ、もう─────『蒼天囲みし小世界(アキレウス・コスモス)』!」

 

 今はもう消滅したアカイアの英雄の盾は、過たず発動した。

 それは、アキレウスという英雄が駆け抜けた世界で以て、発動者を守るためのもの。

 防壁に巨人の腕が叩きつけられ、毒の霧が覆うがライダーの背後で庇われた者たちには、どちらの攻撃も届かなかった。

 護りの内側でノインがそのとき飛び起きた。

 せめぎ合う腕と盾を構えたライダー、半ばだけがサーヴァントの姿になったツェーンが、真っ先に目に飛び込んできた。

 どうも視界が赤いと額を拭い、そこで額が切れて血が流れていることにノインは気づいた。袖で適当に拭い、視界を開く。

 

「……」

 

 それから、剣の刃を両手で握ったルーラーの姿も目に入った。

 彼女の口からこぼれているのは神への祈りだった。

 膝をつき、手からこぼれる血を剣の刃に流しながら、ルーラーはただ目を閉じて祈っていた。

 こんなときだというのに────否、こんなときだからこそ、ノインはその祈りの姿に目を奪われた。

 そんなにも真摯に、心の底から祈りを捧げる人の姿を、見たことがなかった。

 レティシアと似ていて────やはり違うひとりの少女が、神へ捧げる()()の言葉だった。

 

「ジーク君」

 

 それが祈りの一節であるかのように、ごく自然にルーラーは少年の名を呼んだ。

 

「これは私の祈りで……私の、最期の炎です」

 

 ルーラーの剣を中心に、焔の華が開こうとしていた。

 それはジャンヌ・ダルクを灰燼に帰した、処刑台の焔。心象風景を具現化した、たったひとつの宝具だった。

 この焔を引き出し、顕現させた後、ジャンヌは消滅する。自分を焼き尽くした焔を解き放てば、あとには何も残りはしない。

 

────もう、会えないということなのか。

 

 石が落ちるように、ノインは理解した。もう自分とこのルーラーは会うことはないだろう、と。

 

「……会えないのか?」

 

 ジークが寂しそうな声で問いかけた。ノインにはそう聞こえた。

 一度この世を去ったサーヴァントは、喩えこの世に再び召喚されたとしても同じではない。一度目の召喚されたときの記憶は、ただの記録にしかならず、そこに伴っていた感情も想いも引き継がれない。

 

─────普通なら、そうなるんだろうな。それこそ、奇跡でもない限り。

 

 その道理をノインよりもよく知っているはずのルーラーは、それでもジークに向けて笑っていた。

 心細げにも見える彼を、励ますように。

 

「いいえ、私はいつか────いつか、あなたに会いに行きます」

 

 微笑んでいるルーラーを、ノインは見た。

 聖女の慈愛に満ちた微笑みではなく、もっと柔らかな優しい微笑みに見えた。

 それは彼女にとっての真実で、約束なのだとノインにも理解できた。

 その微笑みを見せてから、ルーラーはノインの方を見た。

 

「?」

 

 外では巨人の腕と毒が攻め立てているこの状況で、何で彼女が自分の方を見るのかノインにはわからなかった。

 

 首を微かに横に傾けている少年の顔をルーラーは正面から見た。

 十日と少し前、初めて牢の中で出会ったとき、デミ・サーヴァントだった彼はどんな顔をしていたろう、とルーラーはふと思う。

 

────ごめんなさい。

 

 その一言が零れかけて、ルーラーは唇を噛みしめた。

 シェイクスピアの糾弾は、その正しさは、まだ彼女の心に残っていた。

 だから、謝罪の言葉だけは言ってはならなかった。言ったらきっと、この少年はまた何でもないかのように笑う。口にすることで、彼に許しを求めてしまうことになる。

 気にしなくていい、とそうノインに言わせてはならなかった。

 本当に、心から気にしていないのだから。

 ジークや、レティシアを守るためだから、良いんだと、だって自分は、彼らよりも強く強くあるべき、そう造られたデミ・サーヴァントなのだからとノインは飲み込んでしまうだろう。

 そのどうしようもない鈍さと幼さに、まだ彼は気づけていない。

 それが見通せるだけに、ルーラーには何も言えなかった。

 

「ああ、なんか────すまないな、ルーラー」

 

 代わりのように、唐突に彼がそう言った。

 今度はルーラーが首を傾げる。

 

「何か、俺……あなたのこと、何にも心配してなかった。俺たちの中で間違いなく一番強いって、任せっきりだったな」

 

────でも、あなたでもそういう顔、するんだな。

 

 ()()()()()()()()()()()するんだな、とノインは言った。

 聖女ジャンヌにも少女の顔はあると気づかなくて、それで戦わせて、その結果、彼女は一度膝を折るところにまで追い詰められていた。

 だからそれに気づかなくてすまなかった、とノインは謝罪したのだ。

 

────レティシア。

 

 この子のことを、あなたは見ていられますか?

 

 ルーラーは胸の中で問いかけた。

 これから去る自分には、それだけしかできなかったから。

 

────はい。やっぱり、わたし、放っておけません。この人がわたしを置いて行こうとしても、追いかけます。

 

 そうでしょうね、とルーラーは胸中で今度は聞こえないように呟いた。

 

「……ありがとう、ジーク君、ノイン君」

 

 自分に言う資格がなかったとしても、それでもこの言葉をルーラーは言いたかった。

 この時の中でしか出会えなかった彼ら。これからどういう道を歩いてどこへ行くのだろう。

 

────それを見届けられないのは、残念だけれど。

 

 だからこそその道をつくるために、今ここで、ルーラー・ジャンヌは焔の剣を抜くことを決めたのだ。

 天草四郎の願いは、綺麗だった。美しくて、かけがえのないものだった。

 それでも、彼を認めて肯定して、その救済を世に解き放てば、少年たちから奪われてしまうものがあった。

 意味のない静寂も、長いだけの平穏も、価値はないという答えを彼は出した。

 迷いながらも己で導き出したひとつの答えの価値を信じて、ルーラーはそれを護るのだ。

 ライダーの悲鳴のような声が上がる。

 

「ルーラー!盾が割れるよっ!もうもたないっ!」

「ええ、わかりました!ライダー、タイミングは任せましたよ!」

 

 ガラスにひびが入るように、彼らを守っていた盾の世界が砕け散っていく。

 入れ替わるように、剣を握ったルーラーを核にして火柱が生まれた。

 アサシンの毒をも焼き尽くして蒸発させ、大気を燃やし尽くし、焔は真っ直ぐに大聖杯へと向かって行った。

 それでいて、間近にいるノインは熱さすら感じない。彼だけでなく、ジークもカウレスも、ライダーもツェーンも皆同じだった。

 ルーラーの選んだものだけを灰にする、規格外(EXランク)宝具・紅蓮の聖女(ラ・ピュセル)は、ここに顕現した。

 

「おのれぇっ!」

 

 アサシンが、両手を前に突き出して全力の魔力障壁を展開する。

 彼女のマスターである少年もまた、手を掲げる。天草四郎もルーラーの解き放った剣の何たるかを悟ったのだ。

 焔の柱が直撃すれば、喩えアインツベルンの大聖杯だろうと、破壊されてしまうだろう。

 

「負けるものか、ジャンヌ・ダルク!」

 

 焔の剣の源に立ちながら、安らかな表情で手を組み、祈るのは紛れもない聖女だった。

 この世の人々が幸福であるように、という願いを、ジャンヌ・ダルクが理解できないはずもない。だから天草四郎は本心から、彼女に賛同してもらいたかったのだ。

 その試みはもう砕け散った。彼女は、これから先も傷つけあうことをやめない生命を────人間を、まだ信じると決めていたのだ。

 天草四郎は、彼らを信じられない。()()()()()()()()()()()()()()()()()と決めたから、彼はここまでのことを為したのだ。

 だからもう、微かに感じていた心を捨てて、敵としてルーラーを排除すべきときだった。

 そして、かつて彼女の同士だった元帥もその様子を眺めていた。

 裏切られても、死した後も、どこまでも人々を信じるのだと、美しい焔の剣を振るうことを決めた聖女のことを。

 

「ああ……聖処女よ。貴女は、何があろうとも、どこにいようとも、彼らを信じるのですね……」

 

 伝説の殺人鬼から、救国の英雄の姿へと戻りながら、彼は顔を覆って膝を付いた。

 その傍らで、天草四郎の宝具は回転をさらに早めていた。

 先程よりも強く、先程とは比べ物にならない量の魔力を集めて。

 かつて人々に触れることで奇跡を齎した彼の両腕は、サーヴァントとなった今、二つの宝具へと昇華されていた。

 大聖杯からの魔力を取り込み、圧縮し、触れた者を消滅させる暗黒物質を生み出す。

 ルーラーの焔に護られながら、ノインはそれが生み出されるのをただ見ていた。

 呆けてしまったかのように、何もできなかった。

 聖女の最期の焔と、聖人に最も近い少年の闇。

 ここまで至っても、まだここで生きていても、ノインには、人類をすべて救うという願いの大きさとそれを阻もうとする想いの大きさは、今ひとつ身に迫って来なかった。

 わかるのは、ただ彼らが必死に自分以外のもののために戦っているという事実だけだ。

 自分はただいつも、何かに必死だったっただけ。目の前の大切な誰かに死んでほしくなくて、ずっと足掻いて来ただけだった。

 

────だけど今、俺はルーラーと共にレティシアが戦うのを見てるしかできてない。

 

 ふと見れば、ジークとカウレスもまた、その焔と闇を見ていた。

 目の前の激突を、彼らは皆今はただ見ているしかない。

 そっと、地面に置いた手に何かが触れて、ノインは我に返った。

 片目が髪で隠れた幼い少女の手が、そこに重なっていた。傷だらけになったノインの手よりも薄く小さく、壊れてしまいそうなほどに華奢な手だった。

 ツェーンは、そっとノインの頬に手を振れた。

 

「大きくなったんだね、ノイン」

 

 さするようにその手がゆっくりと動いた。その手から徐々にあたたかさと厚みが失われていた。

 彼女は”赤”のキャスターが呼び出した、一時だけの影法師。本当の妹は、あの日からずっと死んだままなのだ。

 そうと思っていても、ノインには目の前の手を振り払うことなどできなかった。

 

「ごめん……。俺……また、きみたちを置いて行かなきゃならない、みたいだ」

「ううん、謝っちゃだめだよ。だって、ノインはまだ生きてるもの。生きてるなら、わがままでいいんだよ」

 

 あれだけ、あのひと相手にみえ張ったのに情けないよ、とツェーンは笑い、ノインはその通りだと苦笑いした。

 

「あ、でも、なさけないのはわたしもおんなじだ。……さっきね、あの子にひどいこと言っちゃった。ノインに会ってほしくなかったって言っちゃったの」

 

 ツェーンはルーラーを、その中にいるレティシアを見た。

 

「ほんとうはちがうの。会ってくれて、ありがとうって言いたかった。でも……うらやましくなっちゃって。あんなふうに、わたしもなりたかったなって思っちゃった。わたしたちがほしかったもの、あの子はたくさんもってるから」

 

 例えば、おとうさんとおかあさん、とか。普通に学校に通う毎日、とか。青空の下で笑うこと、とか。

 

「だから、ノイン、わたしのかわりにあの子に謝っておいて。わたしには、もうできないから」

 

 ちょっとたいへんかもしれない、あなたは口がうまくないから難しいかもしれない。

 わたしはそのことを、誰よりしっているけれど。

 

「でも、お願いね。わたし、もうそれだけでいいんだ。こころのこりとか、ほんとうはあんまりなかったし。なによりもね、わたしたちのその先をあるいてきたあなたを、知れた。それだけでけっこう幸せだよ、わたし」

 

 それを最後の言葉にして、幻の少女は溶けるように永遠に消え去った。

 ほほ笑みを浮かべていた小さな顔が光となって四散し、あとには何も残らない。あたたかさも、手の感触も、辺りを取り巻く薄暗がりの中へと飛び去っていった。

 彼女の持っていたライダーの剣だけが、瓦礫の上に転がっていた。

 拾い上げて触れても、柄にはあたたかさの欠片も残っていなかった。

 彼女が望んだことは、ほんの僅かなことだった。

 求めたのは、彼女の流した涙と比べたらつり合うはずもない、ほんのひとつまみの幸福だった。

 

────さよなら。でも俺、泣くのは、あとにするよ。

 

 幻の少女が消えれば、ノインは焔と闇のせめぎ合いの場に引き戻される。

 焔は進もうとし、闇はそれを呑み込もうとする。

 衝突し、打ち消しあい、広間の中央で太陽のような光が爆ぜた。

 

 

 

 

 





少し間を開けてしまいました。
最後へ向け、様々な人にさようならをする話です。
十番目ちゃんは良くも悪くも、九番目の意志が一番。他のことは二の次になってる子です。なのでわりとその他の願いは切り捨ても手放しもする。 

それからアポイベシナリオ、とても面白かったです。
アフタールートのようで、胸に来ました。

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