九番目の少年   作:はたけのなすび

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お待たせしました。


act-49

 

 

 

 

 

 

 

 一際強く、激しく光が弾けた。

 眩しさに耐えかねて、ノインは腕で目を庇う。ともあれそれはほんのわずかな時間で、すぐに収まる。

 

「……あ」

 

 見えて来た光景は、未だ輝く聖杯と隻腕になった天草四郎。それから、頽れたルーラーの姿だった。

 

「ルーラー!」

 

 ジークが叫んで駆け寄り、その体を抱き起こす。

 ノインはそちらに行かなかった。剣を握って、彼らの前に立つ。

 死に行く人間は見て来た。退去するサーヴァントも。だからもう、ルーラーが『此処』にいないことが、気配でわかってしまったのだ。

 

「ジーク、下がっていてくれ」

「ノイン……」

 

 残ったのは、ジャンヌ・ダルクという英霊が退去したあとの核。レティシアだけだった。

 アサシンが鎖を飛ばしてくる。彼女も彼女で気配が薄れているのか、勢いに欠けている。

 大気に満ちる魔力を、ノインは束ねて体に行き渡らせる。”黒”のバーサーカーのものだった雷を迸らせ、押し寄せて来た鎖を叩き落した。

 大聖杯はまだ生きていた。ルーラーの焔の剣で破損はしていたが、それでは大聖杯は止まらない。

 これを放っておいたら、多分世界の全員が不老不死とやらになるのだろう。

 

 ノインは痛む肺で息を吸って、吐いた。空気には、灰と血の味が溶けている。

 輝きを目の前にしても、欠片も、不老不死になりたいとは思わなかった。

 生きてはいたい。ツェーンとの約束を果たさなければならない。

 それでもこのまま、あの聖人じみた微笑みを浮かべる少年の思い描いた世界では、自分が思う生き方はできないのだ。

 

「まだ戦いますか?」

 

 言葉で答える代わりに、ノインは剣の切っ先を彼に向けた。

 敵は四人。ひたすらに物陰に隠れてこちらを見ているキャスターは放置、膝を折った白銀の騎士も同じく。

 遠くでは微かに破壊音がしている。”赤”のセイバーとアーチャーはどちらも健在でまだ続けているのだ。

 

「あー、ちょっと!ボクもいるぞ!」

 

 ライダーが槍を構えて飛び込んで来る。それより先に、天草四郎が腕を振った。

 

「令呪を以て命ずる!アサシン、ライダーを足止めしろ!」

 

 たちまち鎖が力を取り戻す。空間の中を鎖が大蛇のようにうねって、アストルフォが吹きとばされる。

 

「ッ!令呪を以て命ず、ライダー!そこから逃れろ!」

 

 ジークが対抗するべく令呪を切った。

 ライダーの手足に力が戻るが、元から彼のスペックでは庭園内のセミラミスに届かない。

 

「このっ!しつこいんだよ、キミ!」

「それはこちらの台詞だ、ライダー!マスター、そ奴は任せたぞ!」

 

 切羽詰まったサーヴァントたちの叫びを、どこか静かにノインは聞いていた。

 まるで自分がふたつに別れてしまったようだった。

 ツェーンの、ルーラーの、彼女たちの二度目の死に、胸が張り裂けそうなほど泣いている自分と、ただ目の前の『敵』を認識して剣を向ける自分。

 少しだけ足を後ろに下げ─────一気に前に飛び出した。

 

「くっ!」

 

 天草四郎は、片腕でノインの突進を止めた。

 剣と刀がぎりぎりとせめぎ合って、火花が散る。

 サーヴァントの身体能力に、ノインの体の方が悲鳴を上げていた。魔術で痛みを誤魔化し、バーサーカーから受け継いだ心臓で体を動かす。

 翻って片腕を失くしたとはいえ、天草四郎はれっきとしたサーヴァントだった。

 それでも馴染んだ動きで、ノインは剣を振るう。サーヴァントの力は失われても、六年も振るった武術の動きの片鱗は体に染みついている。

 

「そこまで、我が救済を拒むのか、お前はっ!」

「……うん。そうだな。あんたの願いは、悪いものじゃない」

 

 自分より、よほど真摯に生きて来て、どうにもならないことをどうにかしようとして、その果てに人類はどうにもならないのだと結論付けた少年。

 その彼は、剣の向こうでノインを睨んでいた。今度は彼のほうが、ノインに怒りを向けていた。

 どうして理解しようとしないのかと、瞳が頑迷さを糾弾していた。

 ノインの中にあった、燃えるような怒りは冷めていた。ツェーンが光になって消えたときに、その炎は鎮められていた。

 あとには、熾火だけが残っている。

 

「でもあんたの結論を、俺は信じないよ。信じたら俺は、きっと生きていられないから」

 

 人間が皆どうしようもなくて、争いをやめられないという、彼の結論。それは肯んじられない。

 だって、そんなのは虚しすぎる。悲しすぎる。

 ひとりになってしまっても、ただ頑張って来た甲斐が、きっと美しい世界がどこかにあるからと明日を信じた意味が、どこにもないじゃないか。

 

「そんな言葉で!」

 

 耳障りな金属音と共に、天草四郎がノインの剣をはね上げた。

 彼も彼とて、諦めるつもりは毛頭なかった。

 目の前にいるのは、デミ・サーヴァントとして生まれた人間。そうあれかしと、犠牲になることを定められた生命。

 救われるべき哀れな生まれ方をして、生きるために手を血に染めて、それでも結局自分が生きるために不要だからと救いを求めない、間違った存在。

 

「我が前に立ちはだかるのか、お前は」

 

 天草四郎の剣戟が速く、鋭くなり、ノインの剣は重く、鈍くなる。

 刀がついに、ノインの剣を弾き飛ばす。

 剣がノインの手から落ちた瞬間、天草四郎は踏み込む。だが、ノインの姿はそこになかった。

 彼は、叩き落された剣には目もくれていない。

 大地を滑る蛇のように迫り、下から拳を天草四郎の胴に打ち込んだ。

 

「ガッ!」

 

 咄嗟に魔力で防御したが、それでも天草四郎は数歩後退する。

 その気を逃さず、ノインは今度は彼の手から刀を蹴り飛ばした。

 先ほどまでとは明らかにまた系統の違う、武術の動きだった。

 

─────コンラの力じゃ、ないもんな、これ。

 

 ”黒”のアーチャー、ケイローンにわずかな時間で習い覚えた、何とか言う名前の武術。

 鍛錬が激しすぎて、一体何という名前の闘術なのかすらろくすっぽ記憶できていないのだが、動きだけは叩き込まれていた。

 この武術は、人体を破壊するためにつくりあげられた動きだ。

 刀を落とされた天草四郎の手から黒鍵が飛び、ノインの左目が上から下に斬り裂かれた。

 視界が片方潰れるが、斬られるのは予想できていた。

 追撃で踏み込み、拳を叩き込む。

 

「貴様ッ!」

 

 突如空中に蜘蛛の巣のように張り巡らせれた鎖が、現れる。足を絡め取り、胴を穿こうとしてくる鎖を、ノインは跳んで避けた。

 ライダーと戦っていたセミラミスが、追い縋る彼を吹き飛ばし、一瞬で転移して来たのだ。手には魔力が収束し、毒が生成される一歩手前の段階だった。

 

「ッ!」

 

 咄嗟に、見様見真似でノインは魔力を束ねて雷撃を放った。

 天草四郎目掛けて放たれたそれを、セミラミスは身を乗り出して我が身で受けた。

 ただでさえ、損傷していた霊体の心臓に、サーヴァントとしての核に、音を立てて雷の槍が突き刺さる。

 

「……え?」

 

 予想していなかった“赤”のアサシンの動きに、天草四郎とノイン、双方の動きが一瞬止まった。

 

「戯け者!我を気遣うな!あれを倒さねば、お主の悲願は潰えるのだぞ!」

 

 消滅しながらも、張り手のようなアサシンの声で、天草四郎の意識は取り戻された。

 

「『天の杯(ヘブンズフィール)』!」

 

 呼びかけに応え、最後の巨人の腕が持ち上がる。“赤”のアサシンは、それと入れ替わるように消え去った。

 ノインが迫り来る拳に対して咄嗟に身構えた刹那、吹き飛ばされていたライダーがその間に滑り込んだ。

 

「ライダー、耐えろ!」

 

 合わせてジークが最後の令呪を使い、三画すべてが消えた。

 馬上槍と拳がぶつかり、ライダーの足元の地面が大きく陥没する。

 ライダーは顔を歪めて槍を支えながら、声を張り上げた。

 

「何してる!早く行けェッ!」

 

 ライダーの稼げる時間は数秒足らず。

 剣を拾い上げる暇もない。

 残る最後の魔力を、ノインは脚と拳に込めた。

 僅かな感覚だけを頼りに、身体が覚えていた戦士の秘技『鮭跳びの術』の模倣で、ノインは魔力の盾を跳び越して天草四郎の前に出た。

 半分になった赤い視界に、呆気にとられたような天草四郎の顔が見える。

 呆けたのはほんの僅かな間で、彼もまた、刹那で取り戻した刀を構えていた。首を狙って伸びる刃の一撃を─────ノインは、避けなかった。

 勢いを殺すことなく、彼はそのまま前へと踏み込む。

 二人の体が交錯し、鮮血が瓦礫の上に滴り落ちた。

 

「ぐっ……!」

 

 胸を押さえ、仰向けに倒れたのは天草四郎。

 正面から、何の小細工もなしに、ただ速さと力だけを乗せて突っ込んだノインの拳は、彼の胸を穿ち、心臓を破壊していた。

 

「……」

 

 同時に、ノインも肩から噴水のように赤い血を流して倒れ込む。

 黒鍵は左肩を深く切り裂き、長い傷を胴に残していた。ノインの体からだくだくと血が流れ、みるみるうちに顔色が白く儚くなっていく。

 

「はは……。相討ち覚悟、か。……そうまで、して、なぜ、お前は俺の願いを拒んだ?」

「……」

 

 ノインは、ただ全身の力を解き放つように、暗い天井を見上げて深い息を吐いた。

 

「……あんたには、わかんないさ」

 

 浅い息の下で一言を絞り出して、ノインは目を軽く瞑った。

 体がどんどん冷たくなっていた。心臓が一うちするたびに血と命が流れていくのを感じる。

 それでも、危なくはあっても、少なくとも今すぐには死にそうにはなかった。存外、バーサーカーの心臓は丈夫らしい。

 それとも自分の悪運が、強いのだろうか、とノインは思い、急に笑いたくなった。

 

「だが、ノイン・テーター。まだこちらには、彼がいる。お前に聖杯を壊す術はない」

 

────お前の負けだよ。

 

 天草四郎という男は、それを最後の言葉にしてこの世から去った。

 自分の手は、また生命をひとつ、この世から消し去ったのだという事実が胸に迫って来る。全身から、さらに速く生命のあたたかさが抜けていくようだった。

 瞼の裏の冷たい闇の向こう側から、こちらに近付いて来る足音が聞こえたのはそのときだ。

 瞼を押し上げてみれば、欠けた視界にこちらを見下ろす騎士の姿が見えた。

 

─────ああ、そう言えば。

 

 ジル・ド・レェという男が、まだ残っていたのだっけ、とノインはどこか冷めた頭で思った。

 騎士鎧を身に着け、厳しい顔をした彼の手には、剣が握られている。銀の刃に反射してきらめく光が、やけに眩しくて見ていられなかった。

 どうして真っ先にこちらのとどめを刺しに来るのだろうと、ふと疑問が湧く。振り上げた刃には、片目が斬られたもう無力な少年の顔が映っていた。

 刃を避けようにも、身体が動かせなかった。血を流し過ぎ、魔力を使い過ぎた。

 それでも僅かばかり全身に力を入れたところで、ノインの視界に金色が翻った。

 張りつめた声が、耳朶を打った。

 

「だめですっ!」

 

 ジャンヌ・ダルクの外殻もない、ただの少女は────レティシアは、躊躇いも見せずに、少年に向けて振り下ろされる刃の前に飛び込んだ。

 

「ッ!?」

 

 敬愛する聖女に似た面ざしが、意志の籠もった強い瞳が、ジル・ド・レェの剣の鋒を鈍らせる。

 

 その戸惑いの瞬間に、彼の体を暗闇から飛来した一本の矢が貫いた。

 

 ジル・ド・レェの体が大きく傾ぎ、間近で人が矢に貫かれるところを見たレティシアの喉が、ひゅ、と鳴った。

 篭手に覆われた手から剣が落ちて、音も立てずに魔力へと分解される。

 ジル・ド・レェは自らの胸に生えた矢を見下してから、驚きで目を丸く大きく見開いた少女と少年に目をやった。

 

「─────これで────」

 

 最期に何か、声にならない一言をこぼして、仮そめの姿で現世に現れた騎士は消え去った。

 

「ノインさんっ!」

 

 呆然としていたのはほんの一瞬で、レティシアは振り返ってノインの体を抱き起こした。

 彼女の服と手が、赤く染まっていく。レティシアの口から、悲鳴のような声が出た。

 

「か、カウレスさん!ジークさん!ち……ちが、血が止まりません!どうしたら……!?」

「そのまま傷口を抑えててくれ!止血する!」

 

 瓦礫を飛び越えて来たカウレスは、そのまま治癒魔術を発動させた。

 淡い光が、瓦礫と血溜まりを照らす。

 

「あんたはこいつを気絶させるな!名前でも何でも呼んで、とにかく寝かすな!」

「は、はい!ノインさん、聞こえてますか!」

 

 レティシアの叫びに、ノインは目を細めた。

 

「いや……そんな、叫ばなくても聞こえて、る、から。俺、は、だいじょう────」

「そんなわけあるかっ」

「そんなわけありませんっ!」

 

 同時に叫ばれ、半身を持ち上げかけていたノインは、はは、と短い笑いをこぼして、諦めたように頭を下ろした。

 

「おいおい、何だぁこのザマは?」

「……」

 

 瓦礫を踏みしめて、奥の闇から姿を現したのは“赤”のセイバー。そして、半身に獣の皮を纏った“赤”のアーチャーだった。

 彼女は、倒れた天草四郎の体と輝きつつも破壊の跡が痛々しい聖杯を見て、足を止める。

 

「遅いよっ!キミたち何やってたのさ!」

 

 ジークに肩を貸されて、ぼろぼろになったライダーが現れた。ともかくも無事な姿に、ノインはほっと息を吐いた。

 

「しゃあねえだろうが」

 

 顔をしかめながら、モードレッドは大聖杯を見上げた。半壊して尚、器は生きていた。

 人類を不老不死へ昇華すべく動き出す手前にある魔術機関である。

 その足元には天草四郎が斃れていた。

 胸には風穴が開けられているが、表情は穏やかだった。

 モードレッドは鼻を鳴らした。

 

「やったのは、お前か?」

 

 物言わぬ神父の骸から、血に染まっている少年へセイバーは目を向ける。

 

「ああ」

「そうかよ。にしてもお前、ひっでぇ有様だな。死に体じゃねぇの」

「……うる、さいな。そっちだって、似たような、もん……だろう」

 

 実際、“赤”のセイバーは鎧もあちこちが砕け、目の上からは血が流れていた。同じくアーチャーも、体のあちらこちらから血が流れている。

 しかし先程の矢は、彼女が放ったものらしかった。

 獣の皮を身に纏ったまま、聖杯の輝きをただ黙って見ていたアーチャーは、急にノインたちの方を振り返った。

 レティシアがノインを庇うように身を乗り出し、アーチャーは少し頬を緩めた。

 

「案ずるな。汝らと戦う気は既にないからな。天草四郎との契約は、切れている。……汝が彼の生命を絶った瞬間に、破棄することができた故な。今の私は、単独行動スキルで生きているだけだ」

「なんでさ、アーチャー?キミは聖杯に願いがあったんじゃないのかい?」

 

 警戒のつもりか、ひしゃげてしまった槍を消さずにライダーは問いかける。

 アーチャーは、ゆるゆると首を振った。

 

「それよりもノイン・テーター。汝の、妹だったか?あの幼子はどこへ行ったのだ?……教えてくれ」

 

 アーチャーの目を見上げ、少し黙ってからノインは応えた。

 

「……消えたよ。最期に……笑ってたけど」

「そうか……そうなのか」

 

 泣き笑いのような顔でアーチャーは、片手で顔を覆う。宝具でもある魔獣の皮と混ざり合った姿のまま、しばしアーチャーは黙していた。

 

「んでお前さんがた、何がどうなったか、聞いても良い雰囲気かい?」

 

 崩壊していく空間に漂う奇妙な静けさの中に、さらにもうひとりが加わる。

 最後に現れた獅子劫は、不味そうに煙草の煙を吐き出したのだった。

 

 

 

 

 

 





様々な人から与えられ、教わり、借りた力をかき集めて戦った話。

そろそろ終わります。

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