九番目の少年   作:はたけのなすび

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では。


act-50

 

 

 

 

 

「よし、壊すか」

 

 端的にジークがここで何があったのかを語ると、セイバーは剣を聖杯に向けて言った。

 

「いいのか?セイバー」

「構わん。どのみちこうなっちまえば、魔術師のサーヴァントでもいない限りどうにもならんだろう。もう聖杯は願いを受けて動き出してるって言うんならな」

「いや、魔術師のサーヴァント……“赤”のキャスターなら消滅していないと思うんだが」

 

 ノインに一通り治癒魔術をかけ終えたカウレスが言う。

 

「吾輩のことですかな?」

 

 柱の陰から現れたのは、キャスター・シェイクスピア。ちゃっかりと生き残っていたらしい。

 

「……」

 

 無言でノインから殺気が放たれるが、レティシアがびくりと肩を震わせるとすぐに収まる。

 それでも、ノインは睨むことはやめなかった。その視線を受けても、キャスターは飄々と、笑う。

 

「いやぁ、そう警戒せずとも、ぶっちゃけ吾輩もう戦力になりませんからな」

「だろうよ。……確かに此奴は宝具を使わせん限り無害だ。それより、本気で壊すのか?」

 

 アーチャーが呆れた表情を浮かべながら、セイバーに問いかけた。

 

「おう。おい、ノイン・テーター。お前、これを使われたくないんだろ?」

「そう、だが」

 

 レティシアに支えられながら、ノインは体を起こす。

 視界は、左目を斬られてから半分欠けたままだった。

 

「不老不死の世に興味はないし、マスターやオレが使えんのなら壊して構わんだろう。なぁ、マスター、それで良いか?」

 

 紫煙を纏い付かせた獅子劫は、煙草の火をもみ消しながら頷いた。

 

「こうなっちまえばな、誰も聖杯を止められんし、動かせないんだろ?霊脈を壊すんなら、ひと思いに壊したほうが協会からしてもマシだろうさ」

 

 神代級のアーティファクトに対して、余りにぞんざいな物言いだったが、獅子劫は本気で言い切り、“黒”の人々とレティシアに目を向けた。

 

「それより、どうやって脱出するんだ、お前さんがた」

「……あ、ヤバ。ヒポグリフ、いないんだった」

「ちなみに転移装置も使えませんなぁ。そこの彼が女帝殿を消してしまったので、庭園も崩壊間近です!『これが最悪だ、などと言えるうちはまだ最悪ではない』と言わんばかりに!」

「キャスターは一体……何をしに出てきたんだ?」

 

 ジークが首を傾げ、ライダーが手の打ちようがないと言わんばかりに肩をすくめた。

 キャスターは彼らのことも一向気にせず、仰々しく礼をする。

 

「それは無論、作家として結末を味わい、物語を記すためですが?……いえね、番狂わせがあったとはいえ、『不幸を治す薬は希望より他に無い』というひとつの答えが出たのに、逃げ遅れての全滅などという無様なオチでは、面白くない!ならば多少の手は貸しますとも!……しかし、じゃあお前に何ができるのかと言われれば特に術は無いんですがね!エンチャントしようにも、道具がないのですから!なので要は、見逃して欲しいという話ですな!」

 

 しかめ面でノインは口を開いた。

 

「……カウレス。こいつは、ほっとこう。本気みたいだから。それより、セイバー、本当にあれを壊せるのか?」

「ああ?疑ってんのか?テメェ」

 

 たじろぐノインに、アーチャーが弓を見せた。

 

「私もやろう。ここでは、私の願いは叶いそうもないからな」

「良いのかい?アーチャー。キミは、ボクと違って願いがあるから彼に手を貸してたんだろ」

「そうなのだがな……これに頼るのは止めたよ、ライダー。……何、これも子どもらが、健やかに大人になるためと考えるならば、強ち私の願いが、全く叶わなかったわけでもないのだ。また私は、何処かで願いを追うさ。諦めたわけではないからな」

 

 アーチャーは言って、薄く、儚く微笑んだ。

 最初に会ったときの、酷薄な狩人の印象を感じさせない微笑みに、ノインは驚く。レティシアも同じように、目を見張っていた。

 アーチャーは軽くノインとレティシアの頭を撫でた。

 

「汝らは驚かずとも、気に病まずとも良い。死なずにただ生きるだけの生命は、前に進む子どもらのための福音でないときもある。それを、わからせてくれたのだから」

 

 アーチャー・アタランテが言い終えたとき、測ったように床が不穏に鳴動した。

 

「時間が無いぜ!いいか、アーチャー。オレの合図で宝具で壊せ。壊したら、こいつらを掴んでここから飛び降りるぞ。お前、空飛べるんだろう?さっきそれで攻撃してきたんだからな」

「できるが抱えて飛べるのは、この状況では三人が限度だ」

「んじゃ、オレがマスターとそこの偽アーチャーを抱えて落ちる。それで良いだろ」

「ちょっと待て、勝手に……」

 

 ジークが言いかけるが、カウレスがそれを手で制した。

 

「“赤”のセイバーのマスター、ノインを連れてけるなら、連れて行ってくれ。こいつは、ユグドミレニアには戻らないほうが良いんだ」

 

 この戦いは最早終わりかけだが、ユグドミレニアにはその後嵐が起こるだろう。

 聖杯は壊れ、ダーニックは死んだ。それまでの柱が根こそぎにされてしまったのだ。

 次の当主と目され、血族の中で最も優秀な魔術師であるフィオレが、既に明らかに魔術の腕に劣るカウレスに、魔術師としての力を譲渡しているのだから。

 ユグドミレニアが生き残れるかの嵐の中、前の当主を間接的とは言え殺めた使い魔がのうのうと生きているとなれば、消そうとする者もいるだろう。

 ダーニックは当主として、見事に一族を率いていた。彼は恨みも買っていたが、彼から恩も利も受けていた相手は大勢いるのだ。

 彼らの暗い感情の矛先は、まだ生きている者に向かう。

 獅子劫には、カウレスが言葉にしなかったことも伝わったようだった。

 

「ああ、そういうことか。だが、俺がこいつに何かするとは考えないのか?カウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニア」

「あんたが、こいつを売り飛ばしたりできるならな。サーヴァントの宝具そのものの心臓を持った、魔術師だぞ」

 

 獅子劫はノインと、そしてセイバーの方をちらりと見た。

 

「やらんさ。俺も刺されたくはないし、ウチのセイバーが許さんだろう」

「わかってるじゃねぇか、マスター」

 

 頭上で交わされる会話の意味を、ノインは飲み込んだ。

 カウレスの考えは、ノインにも理解できた。彼は、一族から魔術に長けていないと知られたまま、当主になるだろう。

 カウレスがノインを庇えば庇うほど、それだけ当主としての彼の立場も悪くなる。そうなるのは嫌だったし、ユグドミレニアに今更戻る気にはなれなかった。

 しかしそうなれば、ジークに会うこともなくなるだろう。彼はユグドミレニアの城に残った仲間のところへ帰るのだから。

 

「じゃ、ここでお別れだな。ジーク、レティシア、ライダー」

 

 何とか立ち上がって、ノインは言った。

 

「え……?」

 

 ライダーは、心得たように寂しげな笑みを浮かべたが、呆けた声が二人から上がる。

 死線をくぐった直後では、二人ともそこまで考えが至っていなかったらしい。

 ライダーやノインができているのは、一種の慣れだった。

 

「俺は、いきさつは何であってもマスターを、当主を手にかけてる。……だから、いないほうが、色々面倒がなくて良いんだよ。そういうことさ」

 

 何か言おうとするレティシアをノインは遮った。

 

「だから、さよなら。二人とも、ちゃんと帰るとこに帰れよ。ジークはトゥールにもよろしく。レティシアは……うん、元気でな」

 

 言いたいことがあった。伝えたいことがあった。

 それでもそれは、言わないことにした。

 彼女には帰るべきところがあるのだから。

 だから早口に、何でもないことのように言って、笑う。

 目が斬られて、多分怖い顔になってしまったが、勘弁してもらうしかなかった。

 

「おい、別れは済んだか?やるぞ」

 

 セイバーの剣と、アーチャーの弓に魔力が蓄えられる。

 空間が軋み、崩落の速さが増していく。

 英霊ニ騎は、臆することなく魔力を集める。セイバーは剣を振り上げ、アーチャーは黒く染まった弓を引き絞った。

 その魔力光を見ながら、ノインはふとあることを思い出した。

 

「レティシア」

「は、はい」

 

 まだ戸惑っているのか、レティシアは胸の前で手を握りしめていた。その服には、血が飛び散り、裾は赤く染まって汚れていた。

 誰のものでもない、ノイン自身の血だった。

 

「ツェーンから伝言だ。……色々ひどいこと言って、ごめんなさいってさ」

「え?」

 

 レティシアが聞き返そうとしたその瞬間、セイバーとアーチャーは宝具を開放した。

 赤い真っ直ぐな光と、白い光の矢が、聖杯に突き刺さり、炸裂する。

 光の中、聖杯が砕け散る瞬間を、確かに彼らは見届けた。

 

「よし!全員走れ!」

「わかってるよっ!」

 

 獅子劫の号令一下、人々は瓦礫が降り注ぐ中を走り出した。ひとり、奈落の底に留まるキャスターの高笑いを背にしながら。

 魔力で身体強化ができない分、足の遅くなるレティシアはライダーが抱えて走る。

 落ちる岩はセイバーとアーチャーが払い除け、必死で前に進んだ。

 地下から間一髪で抜け出し、庭園の端にたどり着く頃には、人間たちの息は上がっていた。

 庭園上部にあった古代の街並みも、主の死に伴ってか、がらがらと音を立てて崩れて行く真っ最中だった。

 

「おし、出るぞ!」

 

 休む間もなく、ノインはセイバーに襟首を摑まれて引っ張り上げられた。

 隣では、アーチャーがカウレスとジーク、レティシアを抱えていた。ライダーは、霊体化してそのまま飛び降りるつもりらしい。

 足場が崩れ、柱が倒れて来る。時間切れだった。

 別れを言う代わりに、とりあえずノインは手を振る。

 レティシアと、視線がぶつかる。何か口を動かしたようだが、崩落の音がひどく、聞き取れなかった。

 

「舌噛むなよ!落ちても回収できねぇからな!」

「おい!」

 

 そしてセイバーは、獅子劫とノインを抱えて、そのまま庭園の縁を容易く踏み越えて、空へ身を踊らせた。

 

「─────ッッ!?」

 

 雲の海に頭から突っ込んだかと思うと、風が頬を叩く。

 天地が引っくり返ったかと思うと全身が揺さぶられ、ノインは目眩がした。

 

「魔力で適当に防御しろよ!何せ、魔力放出で落下しかできんからな、オレは!」

 

 そういうことは先にいえ馬鹿野郎、と普通ならノインは罵っていたろう。

 だが魔力がガス欠になる寸前では、衝撃を和らげ、体を守る術式を発動させるので精一杯だった。

 悪夢のような自由落下の時間は唐突に終わり、ノインは気づけば草地の上に転がっていた。

 どうやら、奇跡的に陸地の、岬のように海へ突き出した小高い丘の上に着地したらしい。

 

「起きたか。お前、英霊が抜けるとほんと弱っちくなるんだなぁ」

「……当たり前だろ」

 

 腕組みをしてノインを見下ろすセイバーは、口の端に煙草をくわえていた。

 しばらく気絶してしまったらしいと気づいたが、立ち上がる気力もわかず、ノインは半身だけを起こして空を見上げた。

 手の下には、朝露に濡れた草の感触がある。目の前には海が広がっていて、血の匂いではなく、草と土と潮の匂いが辺りに満ちていた。

 空の彼方にあるはずの、先程までいた庭園は、雲海の彼方に隠れていて見えなかった。

 獅子劫も空と海を眺めていた。黒塗りのサングラスが彼の表情を隠していた。

 

「セイバー、あんたもいくのか?」

「まぁな。マスターと暴れられたし、女帝にひと泡吹かせられた。願いは叶わなかったが、もういいのさ」

 

 に、とセイバーは碧眼を細めてから、今度は思い出したように眉をひそめた。

 

「だが結局、お前の首は繋がったままだな」

「……さすがにもう、勘弁してくれよ」

 

 その言葉を聞いて、彼女には殺すと言われていたことを思い出した。

 あれは確か、草原の戦いで、セイバーの宝具から、“赤”のバーサーカーによって守られたのがきっかけだ。

 それからルーラーに助けられた。その下にいるただの少女に気づいた。

 それからの記憶が、急にノインの頭の中に浮かび上がって来た。

 主の最後の憤怒の眼、叡智のゴーレム、幼い殺人鬼、ここにいてほしいという少女の声、街から見た夕日、賢者の言葉、心の中に宿っていた英霊の少年、消えて行く太陽の英雄、手を握った妹、真摯に奇跡を求めた少年。

 次から次へ、音と匂いと感情が泡のように胸の奥から吹き上がっては、弾けて消えて行った。

 気づけば、頬が濡れていた。

 右の目から透明か雫が溢れて、頬に飛び散った血を洗い流して落ちて行く。

 左の目からは、何も流れなかった。

 

 悲しいわけでもないのに、片目から涙があふれて止まらなかった。

 

「あれ……なんで、俺……」

「知るか、バーカ」

 

 じゃあな、とセイバーは手を振って、彼女のマスターの元へ駆け戻った。

 

「おいマスター、こりゃあ何だ?クッソ不味いぞこの煙草」

「そういうもんなのさ、セイバー」

 

 紫煙を吐き捨てて、セイバーはくるりと丘の頂上で朝日を背にして回った。

 

「あばよ、マスター。なかなかに楽しかったぜ」

「俺もだ、セイバー」

 

 それきりで、セイバーは朝日の中に消えた。

 ノインは目元を無茶苦茶に拭ってから立ち上がって、獅子劫に近づく。

 

「ノイン・テーター。そういやお前さん、その目はどうしたんだ?」

 

 振り返り、歩きながら、獅子劫は天気を尋ねるように言った。

 ノインは瞼の上から傷に軽く触れる。

 刀で斬られた眼は、痛みこそ薄れていたし血も止まっていたが、何も映さなくなっていた。だが、宝具並みの武器で斬られてこれだと思えば、幸運な話だった。

 前髪を伸ばそうか、とノインは思う。

 けれど、髪が目を覆い隠すまで生命が続くのかも、わからないんだよな、とそっと息を吐いた。

 

「ああ、これか……。天草四郎に刀で斬られた」

「見えてんのか?」

「全く駄目だ。何も見えない。おかげで、あんたみたいに怖い顔になった」

 

 丘を下る獅子劫の少し後ろを、足を引きずって歩きながら、ノインは言った。

 

「で、これからどうするんだ?」

「時計塔に戻るさ。聖杯は壊れちまったが、ユグドミレニアも倒れた。痛み分けってことで、報告に行かにゃならん。……一応聞くが、ついて来るのか?」

「ああ、もうルーマニアにいられない。ここはユグドミレニアの血が濃く根付いてるからな。ロンドンくらいまで離れないと。……というわけで、あんたについてくから、よろしく」

「ほんとに勝手な糞餓鬼になったな」

「そりゃどうも」

「いや、褒めてねぇよ」

 

 ノイン自身、ロンドンの魔窟である時計塔とこのルーマニアどちらがマシなのかはわからなかったのだが、とりあえず笑った。

 

「ちなみに、ノイン。お前さん、パスポートなりなんなりは?……ああ、その顔じゃ、まともなの持ってるわけねぇか」

 

 きょとんと首を傾げたノインを見て、獅子劫は頭を振る。

 ユグドミレニアに造られ、サーヴァントと融合し、さらに別のサーヴァントによって蘇生した少年である。

 生い立ちを鑑みれば、旅券どころか、戸籍があるかすら怪しい。というか、この分ではその類のものはまったく無いのだろう。

 またぞろ面倒な、と息を吐く獅子劫の後ろで、ノインは空を振り返った。

 果てもない蒼穹の向こうを見透かすように目を細めてから、ノインは丘を下る獅子劫のあとについていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 





ユグドミレニアとの別れ。
使い魔が主を殺めたのだからただで済むわけがない。
なら、死んだことにして離したほうが良い。

そして次はエピローグ。忘れ物してます、この少年。

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