九番目の少年   作:はたけのなすび

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感想、評価下さった方、ありがとうございました。

では。


act-51

 

 

 

 

 

 

 

 夢の中で、あの荒れた海を訪れることはもうない。

 あれは、コンラの霊基を借りていたがために、彼の過去が覗けていただけ。

 一度死んで、彼がいなくなったなら、夢を見ることはなくなる。

 そのはずだった。

 

「……」

 

 だが、ノインは気がつけばまたこの荒海を見下ろす崖の上に、ひとり立っていた。夢の中であることは確かなのだが、明晰夢とでも言うべきか、やはり意識がはっきりしていた。

 

「ふむ、その疑問は当然であろうな。彼奴が立ち去ったのだから、お主と我が弟子との縁は一度は切れておる」

 

 気づけば、岩の上にひとりの女性が佇んでいた。体の線を明らかにする黒い装束と、両手に持った朱色の槍二本。

 口元を布で隠しているが、覗いている眼は鮮やかな紅だった。

 目の前の女が誰なのか、ノインは悟る。

 

「影の国の、女王……」

「如何にも。我が名はスカサハ。影の国の主だ。そして、お前を呼んだのは私だ」

 

 覆面の下で、スカサハという女は口を吊り上げて笑った。

 

「我が弟子の一人の依り代になっていたのなら、わかっているだろう?私の国はこの世には存在しておらん。世界から切り離され、死という安らぎも得られなくなった霊が跋扈する、冷えた世界だ」

 

 そう。影の国とはそういうもの、らしい。

 コンラの記憶と、英霊としての知識の断片を覗き見ることのできたノインは知っていた。

 かの国の女王スカサハは、詰まるところ、殺し過ぎ、強くなりすぎて、()()()()()()()のだ。

 安らぎを奪われて、死霊の国を一人治め続けることになった女王。

 とはいえ。

 ノインには、彼女に同情するとか、境遇を哀れに思うとか、そういう感情は微塵もなかった。

 強くなりすぎて死ねなくなったのに、さらに強さを求めて闘争の技術を磨き続けるという頭の方向が、まずもって理解できないのである。

 そも、コンラとクー・フーリンが死闘を展開したのは、スカサハのクー・フーリンへの愛が原因のひとつだ。

 コンラがスカサハを恨んでいなくとも、師として他にやりようがあっただろうに、とノインは思っていた。得てして、当事者より他人のほうが、こういった場合苛立ちを覚えるものだ。

 あれやこれやで、ノインはスカサハの姿を認識した瞬間に、顔を引きつらせていた。

 彼女のほうは気にすることもなく、滔々と語っていた。

 

「だが先日、何処ぞの誰かが我が国へ通じる門を開いて、神殺しの一撃を叩き込みおった。拙い開け方で、一体何をする気なのかと思えば、大陸の神々由来の攻撃と来た。これで驚かないということはあるまい?」

「……」

 

 至極真っ当に考えれば、国土にいきなりそんなものを投下されて、何もせずに済ます王などいるわけがないのだ。

 ノインは、大きく息を吸う。言えることはひとつだった。

 

「申し訳、ありませんでした」

 

 そのまま、深々と頭を下げた。

 スカサハは愉快そうに、覆面を取ってノインを見下ろす。

 

「だがまあ、それはどうでも良いのだ。良い暇つぶしにはなったからな」

「……は?」

 

 間の抜けた声が出た。

 スカサハは一向気にしないのか、反射的に頭を上げたノインの顔をじろりと覗き込む。

 

「多少無茶な造られ方をしたと見えるが……この時代の神秘と、かかった時間の短さを鑑みれば、お前はなかなかに良い戦士だ」

 

 それだけに惜しくなってな、とスカサハは槍を手の中で回した。

 

「捨て置けば、お前の命数は然程経たずに尽きよう。本来はあそこで絶えていた運命を、無理矢理に先に進めたようなものなのだからな」

 

 やはりか、とノインは黙った。

 そんな気はしていたのだ。ただ言葉にされると、胸を打つ何かがあった。

 影の国の女王は、しかし笑みを浮かべる。

 

「しかし、それはつまらん。儂の国にあれだけの楽しみを届けたのだ」

 

 生きるが良い、とスカサハは言うが速いか、ノインの額にルーン文字を指で刻んだ。

 額が燃えるように熱くなり、ノインは草の上に膝をついた。

 

「何、を……?」

「少しばかり、お前の魂と生命をこちらに繋げた。何、私の国は死から切り離されている。死を遠ざけられていると言ってもいい」

 

 生命を延ばすというより、死を遠ざける。

 そのためのルーンを魂に刻んだ、とスカサハはこともなげに言った。

 

「死なずに生きてみせろ。技を磨き、戦士となれ。……あの一撃はなかなかに愉快だった故な、またああ言ったモノに関わるならば、いつか儂に届くだろうさ。……いや、そうでなくてはな」

 

 ノインは答えるどころではなかった。

 額から何かが体の中に流れ込んでくる。

 熱いのに、ぞっとするほど冷たい何かを孕んだ奔流が意識をかき混ぜていた。

 

「ではな。ノイン・テーターとやら。何、また暇になれば、夢の中に呼んで稽古でもつけてやろう。あの弟子が抜けたあとのお前は、ひどく弱いからな」

 

 玲瓏だが嗤うような響きを湛えた声が、遠くなって行く。

 意識が消えて、ノインは夢の中から弾き出された。

 

 

 

 

 

  

 

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─────そんなモノを見てから、どれだけ経ったんだろう。

 

 そんなことを考えた、朝っぱら。

 顔の半分を覆い隠すような黒い眼帯を付け、テーブルに頬杖をついたノインの前には、金髪の少年が目を輝かせながら座っていた。

 どんよりとしたノインの紅い隻眼と逆に、彼の青いふたつの目は輝いていた。

 

「それでさ!考えてみたんだけど、このメイドゴー────」

「フレッシュゴーレムに雷撃を落として動かす話なら却下」

「えぇ〜。君も知ってるだろ、ほら、エルメロイの姫さんが連れてる水銀メイド。成功したら、あの子みたいに凄いのができると思うんだよ!」

 

 試してみようじゃないか、と目を輝かせる、青年と少年の中間にいるような彼は、フラット・エスカルドス。

 現在のノインの同級生とも言える時計塔の学生で、目下のノインの頭痛の原因だった。

 最初の頃は遠慮もあったのだが、なんかカッコ良くなりそうだから、とフラットが勝手に、ノインの潰れた左目に魔眼モドキの宝石を入れようとして以来、遠慮は消し飛んでいた。

 

「やらないと言ったら、やらない。大体、フランケンシュタインの怪物をベースに、メイドゴーレムを造りたいとか、何考えてんだよ!」

 

 ばんばんばん、とノインが平手でテーブルを叩き、上に置かれた書物と書類が跳ねた。

 朝から下宿に押し掛けて来て、何を言うかと思えば完璧なメイドゴーレムを動かしたいから付き合え、とは何を言っているのだろうと、ノインは頭が痛かった。

 

「えー、だってフランケンシュタインの怪物ってのも、フレッシュゴーレムみたいなものじゃないかな?上手く行くと思うんだけどなぁ」

「……あのバーサーカーを、そんじょそこらの生肉ゴーレムと一緒にするなっての」

 

 ぼそりとノインがいうと、フラットは目を輝かせて半身を乗り出した。

 

「それ!やっぱり、君が参加してたって言う聖杯大戦の話だろ!フランケンシュタインの怪物にカバラのゴーレムマイスター、ギリシャ神話の賢者に、あのマハーバーラタの英雄に英国の文豪までがいたってホントなのかい?君も彼らと戦って、それで生き残ったんだろ?」

「……あんた、また教授の通話を盗み聞きしたな」

 

 隻眼を細めてノインが言えば、フラットは開き直ったように胸を張った。

 

「ちょっと弄ったら聞こえただけだから。それよりも教えてくれよ、聖杯大戦のこと。君も参加してたんだろ。デミ・サーヴァントとして!」

「大声で言うなって!それ、他の魔術師にバレたらマズイから喋れないって言ったろ!」

 

 バチ、とノインの前髪から小さな紫電が放たれ、フラットの額に直撃した。

 愉快な悲鳴を上げて椅子ごと後ろにひっくり返ったフラットを放置して、ノインは壁に引っ掛けている黒いジャケットを羽織った。

 

「あれ?どっか行くのかい?」

 

 何事もなかったかのようにフラットは尋ね、復活する。

 

「先生に呼ばれてるんだ。新しい生徒が来るから案内しろってさ」

「じゃあ俺も行く!」

「そっちは先に課題を片付けろと先生から言われてただろ……」

「気にしない気にしなーい。いざとなったら君に手伝ってもらうし」

「少しは気にしろ。それから俺を巻き込むな」

 

 このヤロウ、とノインのこめかみに青筋が立つ。フラットはそのまま、扉を開けた。

 

「ほらほら、早く行かなきゃグレートビッグベン☆ロンドンスターに怒られるよ」

「あんたは、一度こてんぱんに怒られて伸されてしまったほうがいいと思うんだが」

 

 そうして顔をしかめながら、ノインは部屋から外へと出たのだった。

 

 

 

 

 

 

 

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 あれから、どうなったのか。

 時たま、あのときから何年も経ったように感じるが、数ヶ月前の出来事なのだと思い出すたび、ノインは、随分遠くまで来てしまったような心持ちになる。

 結局、ユグドミレニアは解散と相なったそうだ。

 当主になったカウレス・フォルヴェッジは、ユグドミレニアの持つ資産を売り払い、一族を解散した。彼らは元の、ばらばらの弱小魔術師たちになったのだ。

 対外的には、それだけだった。

 聖杯大戦を起こして魔術協会に弓引いた事実は、なかったことにされたのである。

 それで済むのか、と思ったが、協会側にも事情があった。

 “赤”のマスターに選ばれた、獅子劫以外の五人の中に、それなりに偉い魔術師がいたのである。

 その彼が、聖堂教会から派遣された天草四郎の奸計にあっさりかかって、戦うどころかまともな参加もできずに脱落したことは、彼の経歴の汚点となる。

 ならばいっそ()()()()()()()()()()()()()()()と、そういう流れになったらしい。

 ユグドミレニア全員の粛清という手も、なくはなかったが、協会にしてみれば千年樹に参加していた家のすべてを絶やすなど、面倒な話である。

 それならばらけさせ、利権もすべて奪い取ってしまって、元の無力な魔術師の家々にしても構わない、となった。

 “赤”のランサーに持ち掛けられた話に乗ったとき、つまり、彼のマスターを助けることを決めたときには、そういう流れになるとノインには予想できなかったのだから、その話を聞いたときは驚いたものだ。

 

─────ホント、何が幸いになるかわかったもんじゃない。

 

 あのとき、無茶をして影の国への門を開けたことで、彼の国の女王に目をつけられて、ノインは生きている。

 こういう話を、ノインは獅子劫とそれから現在の先生となった、ロード・エルメロイⅡ世から聞かされた。

 というより、獅子劫はエルメロイⅡ世にノインを押し付けたのである。戦後報酬の一環ということで。

 元デミ・サーヴァントで、サーヴァントの宝具を生命の源にしていて、おまけに原初のルーンの知識が残っている人間なんて抱え込めるか、ということだった。

 放っておけば貴重な素体として、一生ホルマリン漬けにされるところだ、と押し付けられたエルメロイⅡ世は額に皺を寄せていた。

 しかもそのまま、獅子劫はまたどこかへ流れて行ったのだ。一度だけ戻って来たが。

 ホルマリン漬けになりたくなければ、魔術師としてまともに研究成果を出せるようになれ、とそんなことを、いつも眉間に皺を寄せているエルメロイⅡ世から言われて、そのままノインは、時計塔の彼の教室に居着いている。

 

─────でも、俺、魔術師というより魔術使い向きなんだよな。

 

 そう思わないでもないが、とにかく今はまともな生活になれるほうが先だった。

 時々誰かに、槍で追いかけ回されるとんでもない悪夢を見て飛び起きたりもするが、戦えと命じられることも、英霊と一対一で向き合うことも、ない。

 だが一方で今の日常には、借りてきた衣のような馴染まなさを感じる自分もいた。

 それとも、こうやって生きていたら、いずれそういう感覚は薄れて消えて行くのだろうか。

 

「新しく来る生徒って、誰なのか知ってるのかい?」

 

 フラットの声に、ノインの意識は引き戻された。

 時計塔の廊下を通って、エルメロイⅡ世の部屋へ向かっていたのだ。

 どこか“黒”のライダーの天真爛漫さを、フラット・エスカルドスは思い出させる。

 尤も、あちらほど根っこからの善人というわけではないのに、それでいて生粋のトラブルメーカーのところがそっくりという、ノインに言わすと何ともはた迷惑な同級生だった。

 今回もフラットは何だかんだで、ここまでついて来てしまっていた。

 

「……まぁ、な」

 

 ノインは肩をすくめて答えた。

 多分、いつか来るのだろうとは思っていたのだ。

 

「じゃあ誰だい?知ってる人なんだろ」

「そうだが、どうしてわかった?」

「顔に出てるからね。友達少ない君がそういう嬉しそうな顔をするってことは、きっとその人間は君の友達なんだろう!じゃあ、僕としては大いに興味がある!」

 

 一言どころか、シェイクスピア並みに二言も三言も多かった。

 けれど友達と言われて、いつものように言い返さずにノインは考え込んだ。

 

「友達……なのだろうか。あちらがそう思ってくれていたら嬉しいんだが……」

「うわぁ、マジで悩んでるじゃないか。いつもの冷静さはどうしたんだ、このケルト脳くんは。しかもわりと面倒な方向に拗らせてない?」

「おい、ケルトを罵り言葉みたいに言うな」

 

 ノインの前髪から、紫電がまた飛ぶ。

 フラットは一歩飛び退った。

 

「ちょっ、タンマタンマ!わかったよ悪かったよ、君は立派なケルト馬鹿だ!あっ、でもどうせならその雷をゴーレムに────!」

「やらないって、言ってるだろうが!」

 

 ノインが叫んだ瞬間。

 

「……廊下で何を騒いでいる、お前たち」

 

 扉の一つが開き、中から長髪の男が顔を出した。彼の顔を見た瞬間、フラットは背筋を正して敬礼の姿勢を取る。

 

「あっ、どうもこんにちは!絶対領域マジシャン先生!ほら、ノインも!」

「俺にどういう挨拶をさせようとしてるんだあんたは!」

「二人揃って喧しい!少しは落ち着くということができないのかお前たちは!」

 

 廊下に、エルメロイⅡ世のカミナリが落ちる。

 その彼の後ろの部屋では、眼鏡にそばかす顔の少年が、呆気にとられたように目を瞬いていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「はー、なるほど。君はこっちのノイン君の元マスターの家の現当主の、カウレス君?」

「家自体はもうないんだが……。まぁ、そんなところかな」

 

 エルメロイⅡ世のカミナリをくらって十数分後、三人の少年は、街中の公園に腰掛けていた。

 周りには、ノインが置いたルーン石で人払いと防音の結界が張られている。

 

「じゃあ、君たちは久しぶりなんだね」

「そうだな。……あれから、何があった?あんたは元気そうだが」

 

 結界を張り終えたノインが尋ねると、カウレスは少し黙った。

 視線がフラットに向いているのに気づいて、ノインは頭を振る。

 

「隠しても、フラットは普通に盗聴してくるから、意味ないんだ」

「信用ないなぁ」

「鏡と普段の行いを見てから言え」

 

 ぴしゃりと切り返すノインを見て、カウレスは少し頬を緩めた。

 

「まぁ、大変だったさ。ああ、でもあんたは、ユグドミレニアの家のことは大して気にしてないだろ。聞きたいのは、あいつらのことなんだろう?」

 

 ノインは頷いた。

 

「ライダーは消えたよ。アーチャーも。二人とも、満足そうだった」

 

 彼らと別れて、カウレスとジークが城に帰れば、先に戻っていたフィオレに涙ながらに出迎えられた。

 それに安堵する間もなく、そこからカウレスたちの戦後の処理が始まったのだ。というか、彼ら魔術師の戦いの本番はそこからと言っても良いくらいだった。

 

「魔術協会の調査からジークのことを隠すのは大変だったけど、あいつはそのままトゥールたちを看取るって、ゴルドのおっさんのとこに行ったよ」

 

 何せ、ジークフリートの心臓を持つホムンクルスだから、発見・回収されないようにするには大変だったそうだ。

 

「おっさんはぶつぶつ言ってたけど、ジークのこともトゥールたちのことも、身元を引き受けてたな」

「……あの人らしいな」

 

 フィオレはあのまま魔術師を辞めて、足を治すために努力している。

 ロシェはまたゴーレムの研究に戻った。アヴィケブロンの側でゴーレムの秘技に触れたことは、大いに糧になったそうだ。

 なにげに、彼が一番聖杯大戦で得をしたのかもしれない。

 

「俺は見ての通り、人質モドキで時計塔留学ってわけさ」

 

 自嘲するように笑ったカウレスの前で、フラットは拳を天に突き上げた。

 

「でもカウレス君、君は幸運だよ!なんと言っても、あのグレートビッグベン☆ロンドンスターに弟子入りできたんだから!」

「ぐ、グレート……なんだって?」

「覚えなくていい。エルメロイⅡ世をそのあだ名で呼ぶのは、フラットくらいだからな」

 

 なんだそれ、とカウレスは呆れた顔になった。

 

「で、そっちは?わりと……普通に生きてるみたいだが」

 

 元々体の寿命がつきかけていたところに、一度殺されて蘇生し、それからあれだけ魔力を馬鹿みたいに使い、体を酷使する戦闘をしたにも関わらず、だ。

 聞かれて、ノインはどう言えばいいのか少し考え込んだ。

 

「影の国から、簡単に死ぬなと軽く呪われたから……か?」

「いやいや、意味がわからないんだが!?」

「すまない。俺もよくわかってない。生きているからいいか、と放置していた」

「そんな適当な……」

 

 カウレスは額を押さえてから、言った。

 

「あの娘……レティシアだけど、家に帰ったよ」

 

 レティシア、とノインはその名前を小さく呟いて、柔らかく微笑んだ。

 

「そっか。……良かった」

 

 一番気にかけていたことだったから。

 頷くノインを見つつ、フラットは首をひねっていた。

 

「え、レティシアって誰のこと?君がそんな顔するってことはひょっとして────」

「フラット・エスカルドス。今すぐその口を閉じて黙るか、アンサズを体験してみるかどちらが良い?一度、原初のルーンに触りたいって、言ってたよな?」

 

 火のルーンを刻んだ石を、ノインは手の中に握り込んだ。

 その様子を見て、カウレスは苦笑する。

 

「それとあんた、城に忘れ物してたろ。あの絵本だよ」

「……ああ」

 

 ただひとつの形見だったが、状況だけにノインも諦めるしかなかったものだ。

 

「あれなんだけど、気づいたらレティシアが持って帰ってたんだ」

「はぁ?」

「だから、今日辺り絵本を渡しにロンドンに来るってさ。大切なものだから、絶対返したいって」

「ちょっ……!?」

 

 弾かれたようにベンチから立ち上がり、金魚のように口をぱくぱくさせるノインを見て、カウレスは肩を震わせて笑った。

 

「なんでそういう────!」

「あのな、巻き込みたくないっていうそっちの言い分もわかるよ。今も封印されるかどうか、結構ギリギリな線にいるんだろ?」

 

 図星を突かれてノインは押し黙る。

 フラットは二人の間できょろきょろと視線を彷徨わせていた。

 

「レティシアも何となく察してたよ。何せ、ジャンヌ・ダルクの依り代になれたんだから、勘は良い」

 

 魔術のことは知らなくても、レティシアはノインが生きなければならない世界の暗さは察していたのだ。

 それでも尚、と彼女の方からカウレスに連絡を取ってきたらしい。

 それこそ、戦場に自ら飛び込んた村娘のように。

 

「放っておくのか?多分、あの子は諦めないぞ。何せ、そっちがろくなこと言わなかったろ。納得がいってないんだってさ」

 

────それで、どうする?どうしたいんだ?会いたくないのか?

 

 カウレスは眼鏡の奥の瞳を細めて尋ねた。

 ノインはベンチに、糸が切れた人形のように、すとんと腰を下ろした。

 そのまま頭を抱えて、動かなくなる。

 十数秒の後に、ノインは立ち上がった。ひとつだけの目に、光が灯っていた。

 

「フラット、俺、今日の授業全部サボるから。先生に言っておいてくれ」

「オッケー!わかんないけどわかった!なんか面白そうだから、行ってこい!」

 

 悪い、と言いおいて、ノインはそこからいなくなった。本当に一瞬で、走って行ってしまったのだ。

 走ったら速いのは相変わらずなのか、とカウレスはベンチに腰掛けたまま上を見た。

 

「えーと、これって一体どういうことなのか、聞いてもいい流れ?」

「駄目かな。少なくとも、あいつが戻ってくるまではさ」

 

 見上げたロンドンの空を、羊のような白い雲がぽつぽつと流れて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 何度も、わたしは自分に尋ねた。

 本当に良いのだろうか、と。

 繰り返し尋ねて、その果てに思った。

 もう一度、会いたい、と。

 放っておけないとか、引き留めたいとか、そういうのではない。わたしにそんなことができると思ったことは、一度だってなかった。

 護っていてくれた『彼女』がいないなら、わたしはただの小娘なのだということは、嫌というほどわかっている。

 それを知っていたから、あの人はあんなにもあっさりと、別れのために手を振れたのだろう。

 来なくていいよ、とあの人は笑うのだろう。

 こっちは暗いから、と言うのだろう。

 その光景を想像してみて、わたしは気づいたらあの城から、あの人が唯一大切にしていた本を持って帰っていた。

 そう思う彼と、そう思わせてしまうわたしの両方に腹が立ったから、こんな馬鹿なことをしたんだって、気づいたときには、何かあるかもしれないからと、カウレスさんにもらった連絡先を辿っていた。

 幸いにして、彼はパソコンが使える魔術師だったのだ。

 ()()()は普通に、毎日何とかしながらも生きてるみたいだと聞いて、そのときには、わたしは海を越える飛行機に乗っていたのだ。

 学校にも親にも、一体どう説明していいかわからなかったから、無断で飛び出てしまった。

 絵本を返さなくては、というちゃんとした理由もあったけれど、それが言い訳というか建前みたいなものだってことは、わたしが知っていた。

 だってまさか、本当はほんの数日会っただけの男の子にただ、もう一度会いたいだけなんだって、そんなこと、言えるわけがない。

 わたしが納得していないことを、他人に納得させるなんて、できっこなかった。

 飛行機の中でも、わたしはこれから、自分がとんでもないことをしようとしているんじゃないか、と何度も思った。

 

─────わたしにとっての彼、彼にとってのわたしは、友達なのだろうか?

─────それとも、違う何かなのだろうか?

 

 そんなことばっかり気になって、きっと直接顔を見たのなら、答えが見つけられることを望んだ。

 わからないままにして、何もかも忘れたように生きるには、彼とあの数日間の出来事は、心の奥に根を張りすぎていたから。

 

 思い返してみれば、最初に見たときは、ちょっと無表情な顔と錆びた赤い瞳が怖かった。

 最後に見たとき、彼は笑顔だったけど、あれは本当に楽しいときに見せた、明るいものではなかった。

 

 そして今、あの人は一体どんな顔で、どうやって、生きているのだろう。

 

 異国の街に降り立って、わたしは荷物を抱えて、空を見た。

 この同じ空の下に彼もいて、此処で生きているのだ。

 簡単なことがとても嬉しくて、つい頬が緩んだ。

 でも、時計塔なるところには一体どう行けばいいのだろう。人に聞いてどうにかなるものでもないことだけは、わかった。

 唯一の繋がりであるところの、魔術師の少年を、わたしが頼ろうとしたそのときだ。

 

「────!」

 

 雑踏の何処かから、名前を呼ばれた。

 少し掠れて低い、でも耳に心地よい声だった。

 街灯の下で、振り返って辺りを見回す。

 交差点を渡って行く人と車の流れは早く、目眩がしそうだった。

 そこを、足早に渡ってくる少年がいた。

 見覚えのない、黒い眼帯が顔の半分ほどを覆っていたけれど、それ以外の目立つ濃い紅い瞳と、癖のあるはね気味の黒い髪は、記憶にあるのと、そっくりそのままだった。

 人の間をすり抜けて、その人はわたしの目の前に立った。

 

「ごめん、レティシア。どこに居るかカウレスにちゃんと聞くの忘れてたから、魔術で─────」

 

 言いかけた彼の手を、わたしは気づいたら握りしめていた。

 あたたかくて乾いていて、わたしより少し大きい手だった。生きているひとの、優しい手だった。

 

────ああ、ちゃんと生きているんだ。ここに、いるんだ。

 

 そう思ったら、目の前が滲んでいた。

 戸惑ったように、彼の言葉が止まる。

 わたしをちょっと上から見下ろす彼は、ぽかんとあどけない表情で、そんな顔をしたら、何だかずっと年下の男の子に見えた。

 わたしに手を掴まれたまま、彼はそこに立っている。

 

「こんにちは、ノインさん」

 

 ちっとも悲しくなんかないはずなのに、なぜだか溢れてくる涙。それをそのままにして、わたしは彼の名を呼んだ。

 

「会いに、来ちゃいました」

 

 ほんとうは笑っていたかったのだけど、涙がぽろぽろ止まらなかった。

 わたしのその顔を見て、彼のひとつになってしまった目が、ふっと緩んだ。

 

「そっか……。会えて良かった……いや、違うな」

 

 そう言って、ちょっと彼は躊躇うように、手に力を込めた。

 

「俺は君に、会いたかったんだ」

「わたしも、です」

 

 どうしてそんなに強く再会を想ったのか、今どうして胸がうるさいくらい鳴るのか、()()その感情に名前はついていないけれど。

 

 こうしてここで出会えたことが、嬉しくて、堪らなかった。

 

 昼下がりの日の光に包まれて、ふわりと笑った彼の手を、わたしはもう一度しっかり握ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 














これにて閉幕です。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。

ここから先、彼らがどうなるのかはご想像にお任せします。
理屈はあれど、柵はあれど、会いたいと思うのは止められないというあれです。
まぁ、少年は時々夢の中でケルト式でしごかれるはめにはなってます。
ヴァサヴィ・シャクティを叩き込んだツケと、生命が続く代償と、あとは女王の暇つぶしです。

続きですが、ちょっと、北米神話大戦書きたいと思ってます。
クー・フーリンがいますし、授かりの英雄を書いてみたい欲もあるしで。
多分、前の単発とは違うことになりますが。

ともあれ、色々諦めきっていた少年が、前を向けるようになるまでの物語は、ここで終わりです。

それでは、ともかくもここまでお付き合い頂き、重ね重ねありがとうございました。

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