では。
砂塵舞う大地の上に、元気な吠え声が轟いていた。
「ふざっけんなー!ふざっけんなー!もうほんと、ふざっけんなー!」
「嵐のようでしたね……」
「意志がある分、嵐より質が悪いぞ……!」
太陽が地平線の彼方に没したあとの、闇に沈んだ平原を、変わらずアルジュナとアーチャーは進んでいた。
襲撃してきたスカサハは、二騎を相手取って散々荒れ狂ったあと、来たときと同じように唐突に姿を消したのだ。
暴れるだけ暴れ、まだこんなものかと鼻で笑って、ふいと去って行ったのである。
変わったところといえば、前衛に回ったアーチャーに生傷が増えたことである。
治りかけだったところまで再び損傷することになったため、幼い顔は歳に合わない、苦虫を噛み潰したような表情になっていた。
「所も人も構わず襲撃して来てほんとあの女王は……!」
「荒れるのはなんとなくわかりますが、全体どういうことなのか、説明をお願いしたい」
がるがるると尖った犬歯を剥き出しにして唸っていたアーチャーは、アルジュナに指摘され、我に返ったように頭をかいた。
「そうだった。───巻き込んでしまった謝罪もしていなかった。彼女はスカサハ。影の国の女王、スカサハだ」
神を、魔獣を、精霊を殺し、英雄を鍛え、愛し、戦う、ケルト最強の女戦士にして、影の国の女王である。
「鍛え過ぎ、戦い過ぎ、殺し過ぎて死ねなくなった。
「貴方とは師弟関係かと思いましたが、違うのですか?弟子と呼ばれていたような」
アーチャーは亀のように首を縮めた。
「恐ろしいことを言わないでくれ。あっちが勝手にそう呼ぶんだ。弟子入りした覚えなんかない。俺の先生は時計塔にいるよ。あぁあ、でもこの時代の時計塔って崩壊してるんだった……。畜生……」
頭を抱えて呻き出したアーチャーを、アルジュナは眺める。
「ですが、ノインと呼ばれていましたよね。あれは貴方の真名では?」
悪戯がばれた子どものように、アーチャーは片目を瞑る。実際見た目は幼いために、その様な表情をすれば、本物の子どものように見えた。
「そうだけどそうじゃない、というのか。どういえばいいんだろう……。ともかく、説明したいんだが、本当に申し訳ない。俺からは自分の名前が名乗れない。下手に名乗ると、
「では、私からノインと呼ぶのは構わないのでは?クラス名で呼ぶのは被っていますので、名のほうがわかりやすい」
「構わない」
こくりと頷くと、項で束ねたアーチャー・ノインの黒い髪は子犬の尾のように跳ねた。
「さて、あの戦士────スカサハは星を探せと言っていました。貴方はどうするのですか?」
生真面目な言い方に、ノインは肩をすくめて答えた。
「俺は俺でやることがある。アルジュナが星を探すなら、そっちへ行けばいい」
「ほう。助太刀は必要ないと?」
淀みなく大地を駆けていたアルジュナの足が急に止まる。ノインも止まり、槍を肩に乗せつつ頷いた。
「狂王を……聖杯で黒く染まったアルスターのクー・フーリンを、倒したいんだ」
時代の流れを正すため、特異点の修正を第一に考えるならば、スカサハの言うように星を探すべきなのだろう。
「でも、これは俺の意地だから。他人には頼めないよ」
狂王を倒すことと、人理復元のために戦うこと。二つを天秤にかけて、個人の情を取ったのだから。
アルジュナは少年を見下ろし、その答えを聞いてから顎に手を当てた。
「理解はしましたが、その貧弱な状態でどうするつもりですか?」
「……考えがないわけじゃない。賭けにはなるが」
分の悪い賭けなのは知っているが、
だから、ノインにとっては今回もそうするだけだった。例え、外見が変わっていようが、もう二度となるまいと思っていたサーヴァントになっていようが関係はない。
「で、だからアルジュナはどうするんだ?このままケルト側へ行くのは俺の拘りだから、そっちは自由に動けば良い。“赤”のラ……じゃない、英霊カルナに関する話は、さっき言った以上のことはないから」
ひらひらと槍から離した片手を振りながら、ノインは言った。
なんとなくだが、アルジュナという英霊は大義のために動きそうな型の人間に思えた。
つまり、大義や誇りという壮大なものに生命をかけられる人間だ。
いつかの昔に敵になったあの少年や、導いてくれた聖女のように。
目的が善なるものであるなら、尚更良いのだろう。それなら、人理復元のために戦うというのは、議論の余地なく『正しいこと』だと思えた。
人理を破壊したいと望む側でないのなら、或いは人理を曲げてまで叶えたいような願いもないのなら、人理復元には、最優先で手を貸すべきなのだろう────普通なら。
だが、それに背を向けて私情を取ることを選んだ。
スカサハのいう『星』とやらも、見当がつかないことはない。恐らく、この時代の流れの外から、特異点を解決するために現れる、魔術なりなんなりを修めた人々なのだろう。
千里眼を持たないまでも、魔境の智慧者である女王なら、そういう時の流れを見透かせても何の不思議もない。
─────それだけの慧眼を持つ人の望むものが、『死』だというんだからなぁ。
救いようがないと、思う。
『死』を逃したスカサハにしろ、この特異点の狂王と化したクー・フーリンにしろ、それに
その因果線に、わかっていて関わろうというのだから。
─────俺も、大概馬鹿かもしれない。というか、馬鹿だな。
だからこそ、自分の馬鹿に他人まで巻き込めないのだ。
英雄やサーヴァントという括りではなく、単なる人としての判断だった。
少年姿の英霊は、紅い目で真っ直ぐアルジュナを見上げた。
数秒沈黙が降り、アルジュナは肩をすくめた。
「『星』とやらが如何なるものか明確にわからない現状、目的もなく大地を彷徨っても意味がありません。ならば、ケルトの王を倒す方法が、ないわけではないという貴方に付き合うのも良いでしょう」
それに、とアルジュナは物を教える教師のように指を一本立てた。
「貴方のような幼い英霊を捨て置くのも、年長者として気が引けますから」
ノインの目が丸く見開かれた。
基本的に、サーヴァントは全盛期の姿で召喚される。
名の知れた英雄が、たまさか幼い頃の姿で喚び出されることもあるらしいが、大抵は年端もいかない少年が喚び出されたのなら、そこがその英雄の最盛期だったことになる。
幼いまま斃れたか、或いは成長しなかったかのどちらかだ。
だからアルジュナが、ノインを幼く未熟な英雄と判断するのも無理はないのだが、聞いた当人はなんとも微妙な顔になった。
─────俺、子どもじゃないんだけどなぁ。
二十代も半ばを過ぎているのだ。
しかし、十歳ほどの見た目では、どうにもこうにも説得力がないし、一から説明する時間もない。
というか、幼く見えるのもさることながら、手足が縮んで体の間合いが変わったことと、視界が再び開けたことが、戦いづらさに繋がり、個人的には大いに困ってもいるのだった。
「……わかった。ありがとう」
「礼には及びません」
「そうか……。でも俺、そんな子どもじゃないからな?普通に中身は大人だからな?未熟なのは確かだが、あまり子ども扱いされても、その、なんだ、困る」
「ええ、わかっていますとも」
アルジュナの薄い笑みは、完全に、背伸びする子ども相手のものであった。
絶対わかってないな、とノインは察知した。同じ時代のインド出身で、異父とはいえ兄弟でも、あちらとは随分違うのだなぁと遠い目になる。
とはいえ、かの授かりの英雄からすれば
「じゃあ、よろしく、アルジュナ」
「こちらこそ、ノイン」
ノインが片手を差し出し、アルジュナが少し戸惑ったあとその手を握る。
ただ、夜闇の中で手を結んだのだった。
「まずどうするのですか?」
そうだな、とノインは東へ目をやる。
「さっきの剣士……フェルグス・マック・ロイの気配を追うつもりだが、その前に」
若干言いにくそうに、堂々と佇むアルジュナのほうへ視線を巡らせた。
神から賜わった弓を携えたその姿はやはり神秘が高く、汚れのない白衣も夜の中では大いに目立っていた。
そしてノインにわかるならば、他のサーヴァントもわかることだろう。
「もうちょっと気配を隠してほしいというか……。ひょっとして、『気配遮断』スキル、持っていないだろうか?」
「それはアサシンの領分でしょう。私は持ち合わせていませんよ」
そりゃそうだよな、とノインは苦笑いするしかなかった。
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広大無辺な北米大陸を、ひたすら進む。
アルジュナもノインも、どちらも騎兵のサーヴァントではないため、移動は己の足のみになるが敏捷値が高いこともあり、馬などより遥かに早く進むことができる。
あの兄妹に合わせていたときとは比ぶるべくもない勢いだった。
その中途で見かけるケルトの魔物や兵士は、大概アルジュナが消し飛ばした。
遠方から射撃するなどという話ではなく、アルジュナの目に止まれば、即彼の持つ神弓ガーンディーヴァが唸り、地面ごと彼らを消し飛ばすこともざらだった。
弓とは標的を狙撃するための、射抜く武器で、肉の一片残さず敵を消すものではないのでは、と思わないでもなかった。
が、そういえばギリシャの射手も、一矢でジャンボジェットを撃墜させるわ、戦場に矢の雨を降らせるわと似たようなことをしていたことを思い出す。
─────神代はあんな反則級でも、ザラなんだなぁ。
四度そこいら見る頃には、慣れてしまっていた。
むしろこの大陸に降り立ってから、何かにつけて、あの二十日にも満たない『昔』の記憶が頭をよぎる瞬間が増えていることが、懐かしいようなどこか薄ら寒いような不思議な気分が抱かせた。
インドの英霊に宝具で追われて、空間跳躍で逃げ回ったときは必死過ぎて全く思い至らなかったが、今思うと、あの一撃も多分当たれば蒸発するような威力だったのだろう。
「インドビームは怖かったんだなぁ……」
「は?今なんと?」
ガーンディーヴァを引き終わったアルジュナについ漏れた呟きを拾われ、見ていたノインは頬をかいた。
「いや、アルジュナを見てると“赤”のランサーのことを思い出してさ。目からそんな一撃を撃ってきたなぁって」
「……そのときは如何様に?」
「仲間に、次元跳躍ができる馬を持ってるライダーがいたんだ。ヒポグリフって凄くカッコ良い幻獣で、それに乗って次元を跳びこえて避けた。それだけじゃ足りなくて、迎撃することになったが」
恐ろしいが懐かしいなぁ、と記憶の底から引っ張り出してきたもう遠くなってしまった仲間の姿を思い描いた。
「相当に激しい戦いだったようですね、そちらの経験した聖杯戦争は」
「でもそこまでやっても、結局聖杯は壊れて……というか壊してしまったんだけどな。それに、激しさで言うならここのが酷いだろう」
「それは確かに」
この時代の一般人のみならず、女子供まで巻き込んで、大陸全土で聖杯戦争など、冗談も大概にしてほしかった。
聖杯によって、アルジュナが人理守護のためにカウンターサーヴァントとして呼ばれたのなら、彼に匹敵するサーヴァントがいることになる。
頭の痛くなる話だが、スカサハが正にそうだろう。
授かりの英雄相手に、神に愛されただけの若僧、などと言ってのけ、事実宝具を使っていない状態とはいえ、彼の矢も防いだのだから。
一見誇り高そうなアルジュナだが、スカサハに言われてからも表面は落ち着いていた。
だから、彼女の軽蔑を気にしていないのかとも思ったが、時たま何かの拍子でスカサハの名前が出ると、す、と緞帳が落ちたように瞳の奥が暗くなるのを見てノインは察した。
彼なりに、ひどく気にしているのだと。
それから、その話には触れないでおこう、とも。
こちらに来たのも、スカサハとの再戦を願ってのことかもしれないとすら思えた。
救いはといえば、スカサハがクー・フーリンと共に破壊を撒き散らさずに、放浪していることだろう。かと言って、何が狙いかもわからないし、味方でもない辺り、難儀な存在であるのに変わりはないのだが。
そんなこんなでノインのルーンで気配を探りながら大地を進んでいた二騎が、フェルグスの痕跡を見つけたのは、丸一昼夜経った後のことだった。
何なのだろうか、この二人。
そしてスカサハのことは師匠と呼びたくない模様。
精神アラサー(27~28歳)だから少年とは言えなくなってますが、タイトルはこのままで…。外見は少年なので…。