ハロウインにちなんで、小話。
今日は巷ではハロウインで、街も会社の中も少しだけ浮かれていた。
廊下でも執務室でも会議室でも、ジャックも幽霊も魔女も猫娘もいるし、少し前から会社の工ントランスにはジャックオランタンが飾られていた。
どちらかといえばア二メに漫画と工ンタメ色の強い出版物を扱う会社だけあって、こういう行事に対するのりがいい。
かくいう工メ編も編集長の「乙女の気持ちを知る」という方針に則って、普段はピンクまみれなのにこの時期はオレンジと黒がメインカラーになっている。
ティンクルの持っている杖はいつもの星の柄から今日はジャックオランタンに変わっていて、三角の黒い魔女帽子をかぶっているので、今日は一番にハロウインののために持参したお菓子を、まるでお供えのように座っている足の上に乗せた。
いつも無表情のティンクルだけどその時はうっすらと笑ってくれたような気がしたから不思議だ。
もちろん今だらけるとあとが大変だから気を引き締めるに越したことはないんだけど、校了も済んでるし、今日そんなこと言ったって誰の耳にも入らないだろう。
老若男女、やっぱり楽しい行事には心がウキウキするものだからね。
「りっちゃん。トリックオアトリート。」
自席に座ると早速隣の木佐さんがお決まりの言葉を言うから、さっきティンクルにあげたのと同じ、あらかじめ用意していたチョコとクッキーを詰め合わせた小袋をボンっと手に載せる。
あれ?という顔をして木佐さんは残忘そうに俺を見て「ちえ、りっちゃんならいたずらさせてくれると思ったのに。」と言うから「さすがに二回目の丸川でのハロウインなので用意は万端ですよ。」と笑った。
何しろ去年はそんなこと爪の先の先の先ほどにも考えなかったから、みんなのTtrickOrTreat攻撃にひどい目にあって(くすぐり倒されて)、ボロボロになったんだ。
さすがに学習するよ、俺だって…。
っで、お返しに俺からも「Ttrick Or Treat」と言うのが当然お約束だ。
「妙に発音がいいのがちよっと何だけど。」と言って木佐さんは柄つきのセロファンに包まれた、ピンク、青、緑の小さいボンボンチョコを手に載せてくれた。マルっと包まったラッピングには先に小さいビーズのついた張りのある細い糸のような紐でチョウチョにリボンが結んであった。
「可愛いですね~。すごい。自分でしたんですか?」
そんな風に聞くと木佐さんはちょっと頬を染めて「や、知り合いがやってくれたから…。」と童顔パワー炸裂の破壊力マシマシハ二カミ顔で笑った。
以前高野さんが「木佐は悪魔と契約している。お前はしてないだろうな。」と言った言葉を思い出す。
結構本気で高野さんがビビっていたから何らかの思い当たることがあるんだろうけど、それってどういうことですか?なんて、高野さんにも木佐さんにも怖くて聞けないよね…。
少しすると美濃さんも出社して来て、すぐに俺と木佐さんにトリックオアトリートと言った。
俺達がそれぞれに小さいお菓子を渡すと、美濃さんも大和君と用意したというお菓子を俺たちが合言葉を言った後にくれたんだ。
小さい子の扱い方とかよくわかんないけど、大和君は可愛い。
将来的に子どもを持つつもりも予定もない俺なので、大和君は貴重な体験をいっぱいくれる。
だからすぐにおっきくなっちゃうんだろうなって思うとちょっと寂しい。
あれ?これってまるで父親の感傷みたいかな?
でもちょっとだけ味合わせてくれてありがとうね。
次に出社してきた羽鳥さんはTtrick Or Treatと隙のないきりりとした顔のまま棒読みのように言うので、それを聞いた木佐さんが盛大に笑ったのだけど、俺がそれを笑うわけにも行かずお菓子を渡して、お返しに合言葉の「Ttrick Or Treat」を言うと、丁寧にラッピングされた手作りのビスケットをくれた。
白いビスケットはダイヤやハートに抜かれたところにジャムが入っていて、まるで童話のアリスに出てくるトランプの兵隊のイメージのようでかわいらしかった。
本当に羽鳥さんは何もかもがパーフェクトだ。
こんな旦那様や恋人がいたら素敵だろうね。でも女子としてはどうなんだろう?
羽鳥さんの女子力高すぎだからつり合いが取れなくて逆に大変かもしれない。吉川先生は幼馴染だって言って羽鳥さんが細々と面倒を見ているって聞いているけど、だから羽鳥さんはあんなに女子力が高くなったのかもしれない。
そう考えると高野さんのありえないほどの女子力は俺のだめ率に比例して…、
いや、考えるのはよそう…。
▽
フレックスで遅い出社の編集だから、あっという間に昼過ぎになった。
その間も他部署の人が仮装で現れたり、社長が巡回に来たりと暇な時期なのに気を抜けない時間でもあった。
社長達の仮装はドラキュラとメイドさんで、朝比奈さんがまじめな顔でエプロンドレスを着ていたのが印象的だった。
金髪のウイックが似合っててアラフォーとはとても思えない可愛らしさだった。
なんでエメ編は仮装してないんだってちょっと怒ってたのが気になる。
来年強要されそうな嫌な予感だ…。
午後からは木佐さんや美濃さんがメディア系の会議に行ってしまって、羽鳥さんが作家の先生と電話で話をしている時にやっと高野さんが工メ編に戻って来た。
朝は一緒に会社までは来たけど、高野さんは業務部に用事があると、プチ出張でそのまま都内の別の倉庫まで出かけていたのだ。
高野さんが編集部に戻ってくるとソワっと、音のない騒めきが湧いた。
工メ編はイケメン揃いなんだけど高野さんは別格な気がする。
美男子というだけではなくて、その存在感とかいうものが圧倒的なんだ。
俺が昔派手に何かをするでもない嵯峨先輩から目が離せなかったのも、きっと同じなにかのせいだったに違いない。
例えば、肉眼で見えなくても同じ部屋にいると存在を感じるとか、絶対に半径〇メートル以内にいるとかわかるオーラとか温かさみたいなもの。
そして、その人が俺でいいって言ってくれて、紆余曲折あったけど俺もですとその手を取り、今に至る。
そう、今はそれが嬉しいし誇らしい。
そんな大好きな人の姿をぼんやりと見ていると、みるみるうちにそれは近づいてきて「トリックオアトリート」と目の前の高野さんが俺に向かって言った。
「あ、はい…。これ…。」と昨日高野さんの部屋で包んだお菓子を手渡し、早速俺も
「Ttrick Or Treat」とお決まりの言葉を返す。
すると高野さんは少し悪い顔をして「『おもてなし』しないとどんな悪さすんの?」と笑った。
「え!?」なに言ってんだ?この人。
確か高野さん、一口大の栗のタルトを山ほど用意してたじゃないか。『お前にはハロウイン用にかぼちゃの菓子を用意しておくから帰ってからな』って笑って…。
「???」
高野さんが手をズボンの後ろのポケットに突っ込んだまま、くっと腰から身体を曲げるから、顔がズイズイと近づいてきて、長いまつげが目の前に迫ってきた。
隣のサファイアからキャーって悲鳴が聞こえて、不自然にそらせた背がもうこれ以上後ろには倒せないと体重移動の限界を知らせる。
本当にこの人は人が悪い!
からかわれていることは分かるし、俺が赤面したりうろたえるのを面白がってることも分かる。
そりや俺は部下だし後輩だし、相手は高野さんだし先輩だけど、少しこれは理不尽じゃないか?
いつも一方的に俺がいじられて悔しがるってのはどうだろう。
反らせていた体を元に戻して、左手でそっと頬を撫でて、顔をほっぺたにキスするみたいに寄せるとサファイアがまたキャーっと甲高い声を上げた。
目の前のイケメンがうろたえて瞳を揺らす隙に、手をついていた机の先にあった黒いペンの蓋を取って、キュッキュッと高野さんのキラキラどきどきするような顔面の左右に三本ずつ可愛く線を引いてやった。
「お似合いです…。」
耳元で小さくささやいてから、チュッと本当に耳にキスをして、転がるようにダッシュで予定していた担当の先生の所めがけてさっさと編集部を後にした。
街の喧騒も目に入らないぐらい慌て過ぎていたので、うっかり駅前のビラ配りにつかまって手元にビデオ屋のチラシの挟まったティッシュが握らされていたけど、丁度良く滑り込んできた都内のはずれの先生の自宅に向かう電車に飛び乗った。
あのあと編集部はどうなったのか、高野さんは顔をどうしたのかを考えるとちょっと怖い。
家に帰ったら煽ったとか言われてめちゃくちゃいたずらされるんじゃないんだろうか。
しかしそれは考えないことにしようと決めて、ちょっとだけ期待に緩んでしまった顔をペシペシと軽く叩いて仕事モードに切り替えた。
▽
電車の中は平日なのにやっばり混んでいて、中にはコスプレしている人やコスプレなのか、いつもなのか分からない『正義の味方』の服を着た小さい子もいる。つり革につかまって電車の揺れに身を任せていたら、目の前の正義の味方の服を着た男の子がクシュンと大きくクシャミをした。
男の子は口を手で覆ったのだけど両手にベっとりと鼻水がついてしまったようで、本人もそして隣の席のお母さんも慌てていた。
「あらあらどうしましよう。持ってきたティッシュはさっき使いきっちゃったのに…。」
何かないかとバックの中を探しながら心底困っていたので、丁度駅前でビラ配りにもらったティッシュをどうぞと俺は差し出した。
お母さんは一瞬ビックリしたような顔をしたけど「さっき駅前でもらったものなので。」ともう一言加えると、申し訳なさそうにしながらもホッとした顔で受け取って息子さんの手と鼻を拭いた。
役に立ってよかったとそのまま吊革につかまって電車に揺られていると、お母さんが「あの…。」とまた声を掛けるのでなんだろうとそっちを見ると、「もし良ければこれを…、」と未開封のガムが胸のあたりに差し出された。
「あ、ティッシュはもらいモノなのでお気になさらずに。」と言うと「この子がお兄さんにお礼にって。」と男の子の方を見てちょっと困った顔で言う。
男の子もちょっと恥ずかしそうにお母さんの二の腕に顔を半分隠しながらも俺の方を見ていて、小さい声で「ありがとうございました。」と丁寧に言うので「ありがとう、じゃあもらうね。」とお母さんからガムをもらうことにした。
お礼を言ったら男の子からは急にハニカミが消えて、戦隊モノが好きで大きくなったらヒーローになりたいこと、いつもそのお話のお菓子を一つだけ買ってもらうこと。今日は袋にお菓子が一杯入ったものが売っていて買ってもらって、その中にそのガムが入っていたことなどを話してくれた。
降りる駅になって、男の子とバイバイと手を振って分かれてまた窓の外に目をやると、さっきまでは天気も良かったのにサラサラとした静かな雨が降っていることに気が付いた。
何時もは折り畳み傘を持ってくるのに、今日は慌てて出てきたから持ってくるのを忘れてしまっていて、先生の家までは駅から少し歩くのに、せっかく男の子とおしゃべりをしてほんわかした気持ちになっていたのにがっかりした気持ちになってしまった。
でも雨は嫌いじゃない。
雨はツンっと目の奥が痛くなるような切ない気持ちや、ドキドキしたいっぱいいっぱいの気持ちを思い出させる。
雨にまつわる記憶は雨自体の冷たさより雨の日の音や臭い、色までもが鮮やかに浮かび上がらせるのだ。
そしていつだってそこにはあの人がいる。
大好きなあのひとが…。
と感傷に浸っていても降る雨を避けるすべはないので、仕方がなくビ二ール傘を買おうとキオスクに立ち寄ると、前の婦人がなにやら困ったように店員と話をしていた。
これからバスに乗るのだけど、自分は車酔いが激しいからいつもブルーベリーのガムを噛みながらバスに乗る。しかし今日はうっかり買い忘れてしまって、電車に乗る前に寄ったキオスクにも、ここのキオスクにもない、困った。と言うものだった。
見知らぬ男からガムをもらうってどうなのかな?と迷った末、判定は相手にゆだねるつもりで、先ほど男の子からもらったブルーベリーの味のガムを「いただきモノなんですけどよろしければ。」とご婦人に差し出した。
しかし女性はいぶかしがるわけでもなくひどく喜んでそのガムを受け取り、お礼にと言って、自分が今通っている手芸教室で作ったという編みぐるみをいくつか目の前に差した。
自分もいただきモノなのでいいですよ、と恐縮するけど、相手もこんなものいりませんよねと寂しそうな顔をするので、逆に申し訳ない気持がして、ウサギとカ工ルとクマの編みぐるみの中から力工ルの編みぐるみをもらうことにした。
可愛い系のものは工メ編に山ほどあるから、少し色味の違うものの方がいいような気がしたからだった。ウサギやクマに比べて少しだけおどけた顔の、掌に収まるぐらいのカ工ルを手に、ビ二傘を差して駅から歩いて15分ほどの先生の家に向かった。
今年は夏も暑かった。
秋もあまり秋らしくないままに台風などが来て、このまますぐに冬になってしまうんだろう。
あっという間の一年だった。
この一年は自分にとっては自己を見つめ直す年であり、今後を考える決断の年だった。
学生時代の、当時の自分にそう言えば真っ赤になって否定するだろうけど、何にも知らない子どものくせに、自分では扱いきれないぐらい分不相応に深く人を好きになった。
だから自分で御しがたい初めての感情に翻弄されて押し流されて、あっという間に破局した。
恋は人を狂わせる。どんなに冷静にと言い聞かせてもそんな事は出来っこない。
その上自分は冷静になんて思う気持ちも湧かないほどに『なんにも知らない子ども』だったのだ。
もう一度先輩、高野さんに会うまでの10年間、俺は誰一人として他の人を好きになることはなかった。
恋って不思議だ。
数学の証明のように、どれほどの状況や理屈を並ベても、あっという間にブラックホールに吸い込まれるみたいに(吸い込まれたことはないけど)、落ちて行くことから抜け出せない。
即入院しベルに心拍数と血圧が上がって、うつろな精神は挙動不審と不安感に振り回される。
視界は白いフィルターがかかったように他のすべてが霞んでしまって、見たくて、触れたくて、声を聞きたい人だけが常に浮かんで見える。
そして…、悲しいわけじゃないのに想うだけで涙が出て止まらなくなる。
あれはー生に一度だけしかできない恋だと思っていた。
だから壊れたときにはもう二度と人なんて好きにならないと思っていたはずなのにあっけなく俺は二度目の恋をした。
高野さんは自分は何も壊れてないと言ったけど俺にとって再開はまぎれもなく二度目の恋だったのだ。
本当は一生ー回限りの恋の続きなのかもしれないけど、俺は何度でも恋をするんだと思った。新しいあなたを知る度に俺はまた恋におちるんだと…。
世界に70億のひとがいてもその人しかダメなら仕方がないじゃないか。アダムとイブだって、その人しかいなかったからじゃなくて、その人が好きだったから恋をしたんだ。そして本当に世界には二人しかいなかったんだ。
▽
「あら!小野寺さん、可愛いマスコットですね!」
家に到着するや否や、先生は早速俺の持っているカエルに目を止めた。
「ええ、来る途中でややあって、手芸教室で作ったという方からいただきました。」
「今、漫画の中に出てくる工ピソードの小物を考えていたんですよ。可愛いのじゃなくて、だけど流行のアクキーとかでもだめで、結構悩んでたんです。それすごくいいですね。写真撮らせてもらってもいいですか?」
「え?これですか?それはいいですけど、もしよろしければ先生に差し上げますよ。」
「え!いいんですか!?ほんとに?。」
「いただきモノでお役に立てるなら。」
電話をした時に少し煮詰まっていたらしかったから今日訪問をしたのだけど、問題はこれで呆気なく解消されたらしかった。
ホント良かった。
きっかけって些細な事なんだけど、それが些細な事って気づくためにはそれを通り越さなければならないから辛いよね。
思い返せば…、って思う事のすべてにそれが当てはまるわけじゃないけど。
もっと困難を極めるかと思っていた案件があっさり片付いたので、そのほかの展開などを先生と話をして、じゃあそろそろとお暇しようとした時に「あ、小野寺さん、お礼と言ってはなんですけど。」と先生が思い出したように脇にあった袋の中から、限定品をまとめ買いしたといって箱に入ったままのリップグロスの一つを俺に差し出した。
「先生。俺、男ですけど。」
「いやぁねえ。そんな事知ってるわよ。ガールフレンドにでも差し上げて。マキシマイザーって言うんだけど入れ物が限定で可愛いのよ。」と言う。
以前ネームの中で、恋人や付き合うという定義の話になって、好きで告白をしあったとして、どこでどうなれば付き合うという事になるんだろうかと先生は迷っていた。
自然と何も言わずにそういう流れになるカップルならいいけど、付き合うことにきちんとしたきっかけが必要なカップルなら、やっぱりお付き合いしましょうって宣言することが大事なのかもしれませんね、自分たちだって…、と、つい自分に最近付き合いはじめた人がいることをもらしてしまって、(と言うか、ごまかしたけど悟られてしまって)先生は俺に恋人がいることを知っている。
しかし、まさかオトコとは思っていない先生なので、いらないとは言いにくい。
「や、ブランド物でお高いのに申し訳ない」とか色々言ってお断りをしようとしたけど先生は気にせずにそのリップを俺の手に握らせた。
まあ、他の部署の女性にでもあげればいいか…。さすがに高野さん塗ってくださいとはいえない(笑)
仕方なくお礼を言って、先生の家をあとに会社に戻ろうとメールを見たら
『今日はみんなもう解散することになったから直帰でいい。』というさっぱりとした連絡が来ていた。
そう言えばあのヒゲ、どうしたんだろう?
さっさと洗ったと思うけど案外ノリのいいところもあるからヒゲをつけたまま猫耳もつけたりしてハロウインに乗じて仮装をしてたりして…。
クロネコだね。そうなると。
ちょっとだけ妄想して笑った。
エメ編のみんながもう帰ったと聞くと忘れていた浮かれた気持ちが湧く。
ハロウインだからという訳ではないのだろうけど、やっぱり何らかの行事があるとそれにかこつけてデートしたりしたいよな。
エメ編のみんなの私生活は知らないけど、それなりにみんなリア充していることはうかがえるから。
▽
先生の家はかなりローカルな場所なので家に戻るとしたら小ー時間はかかる。
みんなが帰ってしまったならまあ早いけど俺も終わりでいいよね。急ぎの仕事はないしたまにはこんな日もあっていいのだろう。
先ほどの駅から今度はさっきの路線とは違う電車に乗り込む。降っていた雨も上がったようで、手元の傘も今となっては邪魔なものだ。折り畳みを持ってきていればとやっぱり後悔する。
傘をクルクルと巻いて人に迷惑にならないようにボタンでとめて座席に座ると女子高生の集団がどやどやと乗ってきた。
ああ、もう下校の時刻なんだな。
少し空いていた隣の席にギュっと座るので居心地が悪くなったのだけど、自分が退くのも意識してるみたいでかっこ悪い。せめて傘の雫が隣につかないようにと身をよじるとさっきのリップがバックから落ちて隣の女子高生の膝の上にコロリと転がった。
あっと思う間もなくそれは拾い上げられて、女子高生が「わ!これ!」とかざして大きな声を上げる。
「これ限定品のあれじゃん。」
「ミカ、買えなかったやつ。」
「え!?なんでオ二イさんこれ持ってんの?おかまさん?」
早口でまくし立てるようにしゃべりかけられて日本語なのに意味を理解するのにいつもより倍の時間を要した。
しかもタメグチかよ…。
ちよっと呆れもしたのだけど、不躾に女子高生の膝の上に乗り上げたそいつのせいでもあるわけで…。
「いや、自分が使うとかではなくてもらいモンです。」と狼狽えつつも言うと「え!オ二イさん。これ売って!1諭吉でもいいから売って!」と腕を掴まれて迫られる。
衆人環視の中でこれはきつい…。
「いや、そんなものでよけば差し上げますよ。(だから手を放して)」背をー杯にそらしてそう言うと、女子高生はでかい目をして、しかし遠慮なくうれしい~!と飛び上がらんばかりに(実際に座席からは少し浮かんだと思う)喜んだ。
「お兄さん何モン?」
「なんでもらったの!?」
「そういうお仕事なの?」
まるでドッチボールの時のように次々とボールではなく言葉が飛んでくるけど逃げるので精一杯で受け止めて投げ返すなんてとても無理だ。しかも中に残ったマト的人間は俺だけ。集中砲火ってやつ。
やっと自分は工メラルドという漫画の編集をやっていて、担当の作家の先生からお土産に(実は違うけど)もらったと簡単に告げると女子高生は工メラルドの評判は知っていて、これからは買って読むよと言ってくれた。
結果としては読者が増えて良かったってことでいい?
「じゃあオニイさんにこれあげるね。」
ミカと呼ばれていた件の女子高生は自分のバックについていたキラキラと光る緑の石のついたキーホルダーを外して手渡してきた。
「いや、別にいいよ。気にしないで。」と固辞すると「これね、願いがかなったら誰かにあげないといけないルールなんだ、私信じてなんかなかったけどリップほしいって願ってたら叶ったから、お兄さんにあげなきゃだめなの。」
にっこり笑ってそう言われると、断る理由と理屈をなくしてしまって結局俺はそれをもらうことにした。
女子高生はそのあと二駅ばかり経ってから、乗って来た時と同じようにまたガヤガヤと降りていった。
大騒ぎの末だったので、残された俺は周りの人たちからの直視はされていないのに感じる心の視線が痛くて居たたまれなかった。
▽
もらったキーホルダーをポケットに入れ、自宅の駅にたどり着くと、やっと緊張が解けて肩から力が抜けた気がした。
階段を上っていると荷物がパツパツに詰まったリュック型のトートを背負ったご婦人が前をえっちらおっちらと歩いていた。どうやら荷物は大根のようで、トートからこぼれそうにゆらゆらしていた一本がとうとう我慢の限界とばかりに俺の方に落ちてきた。
「すみません。落ちましたよ。」そう声を掛けると女性はちょっとビックリしたように振り向いて、「あれあれあれあれ」と笑った。
「ごめんねえ。いっばい過ぎたかなって思ったんだけど、やっばりねえ。」
そう言う笑顔の主に大根を差し出すと「娘のとこに行くんだけど、どうやらあっちじゃ雨も降り始めたみたいで、傘も忘れちゃったから濡れちゃうし、持ちきれないからそれ兄さんにあげるから食べて。」と再びよっこらしょとばかりに歩き出して言った。
「うちで作った三浦だからおでんにしたらうまいよ。」
「え、そんなわけには。」
「もう重くて持てないから助けると思って。」
「そ、そうですか…。」
助けると思ってと言われてしまうと無理につき返すのも申し訳ない気もする。
大根かあ…。
高野さんに何かお料理にしてもらおうかな…。
それじゃあとばかりにさっき買った今は不要のコンビニのビニール傘を差し上げるとご婦人は嬉しそうに受け取って、イケメンさんに大根と傘を交換してもらうなんてラッキーだったかもね。と笑ってくれて、俺たちはご婦人の乗り換えの階段のところで別れた。
▽
スーツのビジネスマンスタイルではないものの、男の俺が持っているのには不似合いに見える大根を抱えたまま、やっと自宅マンションの工ントランスに到着した。なんだかずいぶんといろいろとあったような気がする。
元々ティッシュだったのに今は大根になった。
まるで藁しべ長者みたいだ。
まあ、おうちは手に入らなかったけどね。
「あら〜。小野寺さん。」
目の前にはゴミ出しの時にお見掛けする同じ階の奥さんがいた。
「あら、小野寺さんは買えたのね。」
「え?買えたって?」
「あら?違うの?今日お昼の番組で大根健康法ってやってたでしょ?」
「いえ、知りませんでした。大根はいただきモノで。」
「えーなんて運のいい。お店の大根みんな売りきれで買えなかったのよ。」
「そうなんですか…。」
「代わりにカボチャが特売で10円だったからついこんなに買っちやったわ。あ、良ければおーついかが?ハロウインだし。」
「え?そんな悪いですよ。」
「いえね、ついむしやくしやして買っちゃったけど、うちもだんなと二人でしょ、食ベきれるかどうか心配になってきたのよ。」
「あ、ならこの大根どうぞ。いただきモノですけど。」
「え!?それこそ悪いわよ。」
「いえいえ、どうぞ。」
そんなやり取りをして文明のあけぼの並みの物々交換で、とうとう最後、手元にはカボチャが残った。
藁しべ長者の最後は大根ではなくてかぼちゃだったみたいだ。ハロウインらしい落ちで良かったかもね。
ああ、かぼちゃだったら煮つけとかもいいんだけど、やっぱり甘党の俺としてはプリンかパイが食べたいな…。
「ただいま帰りました。」
灯かりのついている自宅の隣の部屋に入ると中からはぼっくりとした良い香りがした。
高野さんがごはんの支度をしてくれているらしい匂いだ。
「おかえり。」
出迎えてくれたのは愛しい恋人のホックリした声。さすがにもう猫の髭は消えていた。
「なにカボチャ持って?」
「話をすると長くなりますけどいいですか?」
高野さんはにっこりと笑って頬にキスをーつくれてから「じゃあそのカボチャでプリンをつくって食べようか。そしてハロウインらしくカボチャの話を聞かせて。」と笑った。
ついでに「今日はもっともっといたずらしてくれるんだよな?」と言うことも忘れずに…
ひょっとしてさっきプリンが食べたいって思ったから高野さんがかぼちゃのプリンを作ってくれるって言ったのかな?
そうすると俺のお願いも叶ったことになるのだろうか?
ポケットのキーホルダーを思い出して考えるけど、それもまた不思議なハロウインの冒険の物語の一つだね。
あとで高野さんに話して聞かせよう。
そしてキーホルダーはプリンを食べたあと、高野さんの手の中に。
最後に手に入ったのは…。愛しい恋人ってことでいいのかな?
俺の冒険のお話はここでおしまい~。