「いや、そりゃ、助けますけど」
「…は?」
何を馬鹿なこと言ってんだコイツみたいな返しをされて千葉の方は一瞬思考が停止する。
雨でずぶ濡れの中、みっともなく泣きながら頼んでいるのに、こんなあっさりと承諾されればしょうがないかもしれないが。
「あのさあ、千葉さんよぉ」
面倒くさそうに、彰は話し出す。
「アンタが何を考えているか大体想像はつくが、俺はもう気にしてねぇって言ってんでしょーが。過ぎたことに対して今更文句を言うほど暇じゃねぇよ」
「だ、だけどお前は」
本当にそれで良いのかと続けようとした千葉の言葉を彰は制する。
「いいんすよ」
彰は、千葉の声を静かに、だが拒絶の余地なく制した。
「疲れるんですよ。何時迄も過去を抱えていると、気づけば何も持てなくなってる。俺は今いる人達を抱えるのに精一杯でね。過去を持ってる余裕はねーよ。過去は俺の一部になってる」
別に忘れたわけではない。どうでも良くなったわけでもない。それに囚われて生きることを辞めただけだ。
大体なぁと彰は続ける。
「最初に俺にそれを教えてくれたのは、あんたでしょーが」
「私…が?」
そんなことを教えた覚えはない。千葉の困惑を感じ取ったのか、彰は返答を待たずに話を続ける。
「自覚してなかったとしても、言ってくれたよ。わかりやすい言葉じゃなかったけどな。不器用すぎるんだよ、アンタは」
千葉が意図していたかどうかは関係ない。それでも彼女が、彰が前を向くキッカケを作ってくれた事実に違いはないのだ。
千葉凪沙という人間がいたからこそ、彰は「今」という地平に踏み止まっていられた。
「過去がどうであったとしても、それで今を否定する気はねぇ。ま、大将は辞退させてもらうけどね。ガラじゃねぇですし」
じゃあ、そんな訳で。そう言って彰は電話を切った。
だが、千葉はその後も携帯を手に持ち続けた。暫く、その状態で固まっていたが、震えた唇から言葉が溢れた。
「お前ってやつは…本当に…」
千葉の葛藤は何一つとして解決していない。だが、少なくとも彰は「そんなこと」を気にしていないのだろう。
だから、前を向いていられる。そんなアイツに頼ってしまう。そんな自分が格好悪くて嫌だった。
でも、この気持ちだけは本物だった。
「ありがとう…」
陽の光は差し込んでこない。しかし、少なくとも、雨は止んだ気がした。
「似合わないことをやっているな」
「うるせぇよ」
側で電話を聞いていたルルーシュは揶揄うように口を開く。彰自身としても似合わないことは自覚している。
「そういうお前はどうなんだよ?随分と思い詰めた顔してたじゃねぇか」
シャーリーの父親のことを引き摺ってんのか?と彰は暗に告げる。
「…アレはブリタニア側が原因だ。俺のせいじゃない」
「テメェのせいでもあるに決まってんだろ、馬鹿が。戦争なんて始めた段階で、どっちも加害者だ」
彰の発言には容赦がない。
だが、真実だ。その言葉は鋭利な刃となってルルーシュの理屈を切り裂いた。
確かに、直接の引き金を引いたのはブリタニア側のシンだったのかもしれない。だが、そもそもの原因は黒の騎士団が仕掛けた土砂崩れだ。
アレがなければ、シンがどれほど策を弄したところで、あのような惨劇を発生させることは不可能だったはずだ。
ルルーシュとしても、その事実だけは否定できない。
その事実を無視して責任転嫁など、クズ以下の所業だ。
「テメェの業に向き合うことが嫌なら今すぐ戦いの場から降りろ。誰もお前に戦うことを強制してねぇ。お前が選んだんだ。逃げるのもお前の選択だ」
「…わかっている」
絞り出すようなルルーシュの返答に、彰は短く鼻を鳴らした。
「なら良い。ま、メディアへの拡散戦略はミスったな。完全に原因が黒の騎士団だけってことになってる」
「無茶を言うな。情報拡散で体制側に勝てるわけがないだろう」
今後の課題ではあるがな、ともルルーシュは付け加える。
今以上に黒の騎士団の支持を増やしたいのであれば、メディアへの露出を増やすことは必須だろう。
「まあ、真実を言えない側にも辛さはあるけどな」
彰の脳裏にシャーリーの父親の葬儀の際のスザクの姿が蘇る。
シャーリーの父親の葬儀の際、スザクがシャーリーとシャーリーの母親に深々と頭を下げて謝罪していたのは記憶に新しい。
理由は言わなかったが、アレは言わなかったのではなく、言えなかったのだろう。軍人として、当たり前だ。
ブリタニアが起こした土砂崩しが直接の原因だったなどと公式の場で発言できるわけがないのだから。
だが、あの生真面目なスザクが、それをそのまま割り切って受け止められるわけがないのだ。スザクは軍人でいるには優しすぎる。
本来は向いていない。だが、皮肉にもスザクのパイロットとしての非凡な才能が、奴を戦場に繋ぎ止めている。
ギアスよりも遥かに厄介な『才能』という名の呪い。
スザクが一生向き合わなければならない呪い。
神というものがいるのであれば、酷いことをするものだ。彰としても少しばかり同情する。
それにもう一人真実を言えずに苦しんでいる者がいる。
「カレンもかなり凹んでたからな。フォローはしてやれよ」
「お前に言われるまでもない。と言うよりも、カレンが責任を感じる必要はない。責められるべきは命令を下した俺だ」
全ての責任はトップである自分にあると断言するルルーシュ。その姿は紛れもなく「将」のそれだった。
それだけは認めてやっても良いと彰は思ったが、口に出してやる気は毛頭ない。
「じゃあ、俺は学校に行くから」
「何?今からか?」
「ああ。どうしても確かめたいことがある」
重大案件だった。これは確かめないわけにはいかない。彰は覚悟を決めて学校へと向かった。
予想していた通りだった。学校での調査が終わった後、イブは珍しく神妙な顔をしながら電話を手に取った。
相手が出たことを確認した後、開口一番に告げる。
『私、モテ期がきたみたいなんですよー』
「切って良いですか?」
馬鹿から馬鹿みたいな電話がかかってきて速攻で電話を切りたくなったが、レイラは最後の自制心で思い止まる。
『もうレイラさん!真面目に聞いてくださいよ!』
「久しぶりに電話をしてきた女装した夫の馬鹿みたいな話をここまで聞いてあげてる段階で感謝して欲しいのですが!?」
大体ですねぇと言いながら、レイラは頬を引き攣らせる。
「恐らく何らかの理由で女装しているのだとは思いますが、何で女声で話す必要あるんですか?周りに人がいなければ不要ですよね?」
なぜ久しぶりの夫婦の会話が、女装状態で、女声なのか。誰だこんなのと結婚した物好きは。……自分だった。
『やだあ、レイラさん。気分ですよぉ。女の子の格好で女の子の声出さない訳いかないじゃないですかぁ。当たり前のこと言わせないでくださいよぉ』
20歳の男が女子高生の格好をしている段階で当たり前は崩壊している。開始早々、レイラは頭が痛くなってきた。
「変態にこれ以上は無駄ですね……本題に入りましょう。何の用なんです?」
『だから、モテ期がきたんですよ。好かれることをした記憶もないんですけどぉ』
「安心してください。貴方にそんなものは訪れません」
こんな変人と結婚する物好きなど自分くらいだ、と自分で言って泣きたくなる。
『そうなんですよぉ。どうやら、本気らしくてぇ。だから、レイラさんに聞きたいことがあってぇ。ちょっと私の好きなところを300字くらいで発表してください』
「貴方を殺したい理由を30000文字くらいで論文にしましょうか?」
殺す理由しか思いつかない変態の姿を思い浮かべる。奴の良い所を述べるのに比べたら、ブリタニアの治世の良い所を述べる方が遥かに簡単だろう。
そんなことを考えている間に何故か電話が切れた。疑問に首を傾げるが、すぐに判明した。何故なら
『何で分かってくれないんですか……貴方の好きな所を教えちゃったら……貴方を好きな人が増えないか心配だからですよ……馬鹿……』
突然、アンナが通信を奪取し、自分の声を利用して彰と話し始めた音声が隣の部屋から聞こえてきたからだ。
周りではクロエたちが「キャアア! アンナ様ったら大胆!」「愛の告白よ!」と騒ぎ立て、黄色い声が響いている。
レイラの血が、一瞬でマイナスまで冷却された。
そうか。この部屋の室温はこんなに低かったのか。そう判断したレイラは暖かくしてあげようという優しい気持ちで、迷いなくバズーカを放ち、アンナ達が騒いでいる部屋を爆破させる。
先ほどとは打って変わった悲鳴を最後に音が消える。そんな殺戮現場に犯人であるレイラはバズーカを片手にゆっくりと入場する。
痙攣しているアンナ達を完全に無視して、電話を探すが破壊されていることに気がついた。
破壊されたそれを見つめ、レイラは折り返さないことを決めた。阿保みたいな電話を続ける価値はない。
そんなレイラに楽しげな声が聞こえる。
「相変わらず楽しそうだねぇ」
ソフィ・ランドルが煙草の煙を吐き出しながら揶揄う。
「何処がですか…」
頭が痛いだけですと言いながらレイラは頭を抑える。そんなレイラを見ても、ソフィは楽しげだ。
「というか聞いたことなかったけど、何でアンタはアイツと結婚したんだい?」
「……気の迷いですよ。一時の、取り返しのつかない脳のバグです」
レイラは無表情に答えるが、ソフィはニヤニヤと笑い続ける。
「そんなこと言うから、アンナたちにツンデレとか言われてネタにされちゃうんじゃないのかい? 実はあいつのこと、結構気に入ってるんだろ?」
その言葉に、レイラは、物凄く不味い物を誤飲したような顔をして、ポツリと言葉を漏らした。
「……生憎と、本当に好きとか、そういうキラキラした感情じゃないですよ。本当にあの場の勢い…状況がそうさせたのが大半なんですけど…残りは」
レイラは、窓の外に広がる空を見つめた。
「……何となく、一人にしておけなかったから、ですかね」
あの、どこかへふらりと消えてしまいそうな男に結婚という名の「重し」を付けておけば、彼が迷子になっても帰ってくる場所が一つくらいはできるのではないか。
自分が彼にとって「帰っても良い場所」になれるのではないか。
そんな合理的とは言い難い、説明ができない気持ち。
そんな気持ちも確かにあった。
「……今となっては、後悔の気持ちが大半なんですけどね。あんな馬鹿の妻を名乗るのは」
「それだけです」と、照れる様子もなくレイラは話を切り上げた。そして、倒れたアンナを無理やり起こしにかかる。
その様子を眺めていた研究員の一人が、ソフィに聞いた。
「……今の話、どう思います?」
「さあね。そういう、数字や論理で表せない情緒的なものは専門外だよ」
ソフィは最後の一吹きの煙を吐き出すと、少しだけ優しい目をしながら、だけど、と付け足した。
「『一人にさせたくない』って気持ちが愛じゃないんなら、私には何が愛なんて、一生かかってもわからないだろうね」