羞恥に爆発した真由美の悲鳴?が室内に響き渡ったのは、変わらず猫背のまま、変わらず面倒くさそうに、目が淀んだまま、それでもどこか言い切った顔をして、生徒会室を去った比企谷の後ろ姿を見送った後のことだった。
だがその音波攻撃の直撃を受けたのは、まったくそれを予期していなかった服部だけだ。
摩利や鈴音はすかさず指で耳栓していたし、深雪とあずさは手で防御していた。服部と同じく防御していなかった達也は、何故か平気な顔で真由美の七面相を眺めている。
結果、すぐ隣で被爆した服部だけが、驚きと不意打ちに蹲る状況が出来上がったわけである。
それはそれとして、摩利は口元が緩むのを抑えきれなかった。
「まぁ何だ、先日の達也くんと言い、比企谷と言い、真由美はモテ期到来中じゃないか?」
「予想外のところから、予想外の攻撃でしたね」
他人事のようにからかう三年組の感想を聞いて、達也が納得いかないように眉をひそめた。
「別に自分は、会長を口説いた覚えはありませんが?」
「それを言うなら、比企谷だってそうだろう?」
「それはそうですが……」
「彼、全くこれっぽっちも下心を込めずにああいうセリフが言えるんですね。正直、意外でした。意外だからこその破壊力でしょうけれど」
鈴音の意見には摩利も同意見である。だからこそ気になったのは、言われた当人の感想だ。
「ふむ。では、実際に想いを告げられた女の子としての感想はどうだ? 真由美?」
変わらず顔が真っ赤の友人をニヤニヤしながら見やると、
「……………キッ!」
少し涙目になりながら、それでも自分の失態を自覚しているが故に何も言えずに睨むしか出来ない真由美の態度がすべてを物語っていた。鈴音と目があった。頷く。することは決まった。
「ニヤニヤ」
「ニマニマ」
「ちょっと! ふたりとも! 言いたいことあるなら何か言ったら?」
うん? 言っていいのか? あえて擬音を口にして濁したというのに? 摩利は緩む口元を隠す気もなく言葉に出した。
「比企谷のファインプレーだな。心から褒めたたえたい。写真撮ってなかったのが悔やまれる。もったいないことをした」
「ちょっと摩利?」
「そうですね。先ほどの会長の照れた様子を残せなかったのは失敗でした」
「リンちゃんまで!」
真由美の意見は封殺である。
聞く気はない。からかえるのが同学年である自分たちだけなのだから、下級生がいじれない分はいじらないともったいないからだ。
「諦めろ、真由美。お前の負けだ」
「勝ち負けの問題じゃないでしょう!」
「実際、言い負けたじゃないか。これ以上ないくらいに」
「完膚なきまでに、言い負けてましたね」
「負けてないわよ! 負けてないもんね!」
「子供か、お前は……」
「おや、拗ねてしまいましたね……」
ここらが潮時か。摩利と鈴音は目を合わせて、また笑いあった。
友人二人がそうやって意思疎通させてからかいに来ていることを察している真由美は、ふくれっ面で黙って抗議するしかない。口を開けばまたからかう隙を作るだけだと自覚していた。
「すみません。話を少し真面目に戻しますが……」
流石に見ていられなくなったのか、達也が口をはさんだ。真由美へのフォローも兼ねているのだろう。このあたりの気の配り方は比企谷には出来ないだろうな、と失礼な感想を女性陣は抱いた。
「実際問題、比企谷が提示したのはもっとも被害が少なくて済む案ですよ」
「懸念があるとすれば、会長が危惧されたように、彼一人に負荷がかかりすぎる点ですね」
達也の意見も、鈴音の懸念も、言われずとも真由美はわかっているだろう。だがそれを「なるほど、じゃあよろしくね!」と簡単に割り切って任せたくないのだ。
だがその感情とは逆に、今回に限って言えばとても有用な手段だということも、比企谷の魔法――というよりもはや超能力の実態を知るメンバー全員の一致した意見である。
「本当に、比企谷くん一人で、テロリストに対抗するつもりなんでしょうか?」
「対抗と言っても、危険はないと思いますよ。比企谷の魔法があれば、テロリスト程度は全く相手になりません。無敵と言っても過言ではないと思います」
あずさの少しずれた心配は、達也が優しく訂正する。
「お兄様、その魔法のことですが……」
「ん?」
「本当に、比企谷くんはお兄様のステータス? を閲覧出来ているのでしょうか?」
「出来ると思うよ。ただ、比企谷が俺のステータスを見たか、というと、たぶんそれはないだろうね」
「どうしてだい?」
これは意地の悪い質問だとわかっていながら摩利は口にした。つまり達也は、自分のプライベート情報を比企谷が見れば、必ず反応を示すほどの何かを隠していると言っているも同義だからだ。
「……それはノーコメントで」
「そうか」
摩利はそれ以上追及しなかった。無論、興味がないわけではなかったが、こちらが知る必要があるなら達也は口にするだろうし、現時点では無理に聞き出す必要性もない。
「さて話を進める前に、服部に頼みがある」
「はい?」
いきなり水を向けられた服部が、頭を押さえながら呻いた。
「教師側に連絡を取り、放課後の討論会は十文字の選抜した防衛チームと風紀委員会以外は全員参加するよう、生徒全員に周知徹底してほしい」
「…………ふぅ」
服部は軽く頭を振った。しかしそれは、摩利の依頼を拒絶したものではなかった。
「俺に聞かれたくない話なんですね? それは比企谷のことですか?」
「想像に任せるよ」
「その反応で十分です。聞かせてほしいのは確かですが……ごねても仕方ありませんね。わかりました。手続きはお任せください。十文字会頭のほうにも伝えておきます」
「悪いね」
いいえ、と服部は少し寂しそうに笑みながら生徒会室を退室した。その気配りを二科生相手にもできるようになれば、おそらくは彼の意中の相手も見直すだろうとは思ったが、口にはしなかった。
その相手は、つい先ほど後輩に不意打ちを食らって赤くなっている生徒会長である。
その彼女に、摩利は問いかけた。
「さて真由美、お前は比企谷をどう思う? 言っておくが真面目な話だ。
数秒、軽く逡巡してから真由美は答えた。
「…………普通の子」
それがどういう意味での『普通』なのか、問いただすことはしなかった。
「魔法については?」
「
「その最大規模はまだ不明瞭ですが、俺の予測では戦略級に匹敵すると考えています」
摩利も同意見だ。真由美も鈴音も異論をはさまないところを見ると、同じ結論に至っていたらしい。最低でも戦術級であることは間違いない。それは比企谷本人の口から証明されている。
あずさが息をのんだ。彼女もようやく、そこで比企谷の魔法がもたらす危険性がどの程度か把握したようだった。
「比企谷の魔法は、その仕組みからして疑問が尽きません。発動にCADを必要としないと本人が言っていましたから、魔法というよりは、魔法の起源である超能力に近いものだと思います」
本来ならば思念だけで事象改変する超能力は、現代魔法に比べてその多様性、正確性、安定性に欠ける面があるとされる。唯一速度面でのみ、現代魔法のように起動式を必要としない分だけ優位に立っているくらいか。それを加味しても精神状態に大きく左右されるから、安定性を求めてCADを愛用する超能力者も少なくない。
対して比企谷のそれはどうだろう。超能力に分類したとしても、あらゆる方面で極めて高レベルだというのが素直な感想だ。
「その仕組みがどうあれ、比企谷がその気になれば世界全てを自分の思うが侭に出来るでしょう。彼の能力に秘められた可能性は想像できないほどにとても高い――と同時に、そこには世界を一変させてしまいかねない危険性も孕んでいると思います」
「そうね。私も同意見よ」
「なら真由美、その危険な魔法に対して、七草家はどう動くつもりだ?」
またしばしの逡巡の後、答えた真由美の言葉に、その場にいた全員が自分の耳を疑った。
「…………報告してないの」
「……本当か?」
「ええ、家には言ってないわ。事象否定の魔法だけでも、比企谷くんは間違いなくマークされる。いいえ、マークされるだけならまだいいわね。最悪の場合は――」
言い淀んだ言葉の先を想像できなかったのはあずさだけだった。
「え? ……え? どうなるんですか?」
真由美の言葉の続きを摩利はあえて引き継いだ。十師族の真由美に言わせたくなかった。
「危険視した十師族、十八家、または百家の連中の誰かが比企谷を利用しようとして、何らかの強制手段を使うかもしれない。もっと悪い予測をするなら、秘密裏に処理しようと動く連中だっているかもな」
あずさが言葉もなく黙り込んだ。彼女の善性は好ましく思う。誰もが彼女のように人の善意を信じられるのであればどんなに平和だったことだろう。だが悲しいかな。魔法師を取り巻く現実は、今も昔も、穏やかな波と言うには程遠い。
そしてそういう最悪の予測が出来ていしまうくらいには、比企谷の魔法は危険性を孕んでいる。それは真由美や鈴音、司波兄妹も同意見の様だった。
「家に言うつもりは?」
「ないわ」
真由美は、今度は即答だった。
「今日のことで確信したもの。比企谷くんはあまりにも普通の子よ。普通の感性を持った子だわ。あ、ごめんなさい。別に私たちが普通じゃないって言いたいんじゃないのよ?」
「……あいつの感性は普通か?」
「捻くれているとか素直じゃないとか、そういうのじゃなくて。魔法師のそれとは違うってこと」
わかっているよ、と摩利は苦笑を返した。
「彼の場合、まるで魔法のことを知らない、魔法師のことを分かっていない子が、いきなり魔法を遣えるようになったみたいな感じがしているな、とは思ってたの。
前からそんな予感はあったのだけど、今日、改めて納得したわ。
比企谷くんの魔法は、私たちが遣える魔法とはまったく別のものね。でもその魔法を、彼は自分のためには遣わない。いいえ、遣えないって言ったほうがいいかしら。
だから――」
一度、真由美は言葉を切った。
言葉にしたことが自分の本意なのか、もう一度確かめる様に、逡巡するように息を吐く。軽く目を伏せ、意識を鎮め、再び顔を上げた彼女の瞳には、もう迷いはなかった。
「だから、十師族の一員としては失格かもしれないけど、私は家には知らせたくないって思っちゃったのよ」
「……迷って
真由美は首を縦に振った。
「そうね、生徒会に引き入れた直後は確かに迷って――いいえ、本音を言えば、ついさっきまで迷ってたわ。どうすればいいのか。どうするべきなのか。私は、どうしたいのか、って……」
では今は? 言葉にせずともみんなが抱いた疑問に、真由美はもう一度首を横に振った。
「今はそのつもりはないの。生徒会の仕事を手伝ってもらったり、生徒から来る相談事や悩み事なんかの解決案を一緒に考えてたりする比企谷くんを思い出したら、不思議とね、びっくりするくらい、きれいになくなっちゃったわ。
それに魔法の危険性とかを抜きにして、ちょっと想像してみたのよね……」
「何を?」
真由美の顔に、仕方ないなぁと言わんばかりの苦笑が浮かんだ。
「比企谷くん当人の進路希望がどうあれ、彼が魔法師の枠内に収まって仕事する未来を想像してみて」
真由美の言葉に、全員が少し黙考した。そしてほぼ同時に、揃って首をかしげる。
「……否定的、とまでは言わないけれど、難しい? いや、どちらかと言うと似合っていない、とは思うかな」
うんうん、とあずさと深雪が頷いていた。鈴音は答えを保留したようである。
「しかし――」
摩利の意見に同意しながらも、不足を指摘したのは達也だった。
「力には義務が伴うと、自分は思います。それを制御する義務と、行使して貢献する義務です。後者は百歩譲って見送るとしても、前者がもし出来ていないとするなら、それは見逃すわけにはいかないと思いますが」
「それはそうね、その通りだわ」
「その辺は、生徒会で更生させるついでに真由美にやらせればいいさ」
軽い口調で摩利は言ったが、その言葉には続きがあった。眉間に自然としわが寄った。
「これからも、比企谷があたしらと一緒にいる気があるなら、だが……」
真由美は答えなかった。代わりに達也が口を開いた。
「同意見です。おそらくは、ここがターニングポイントでしょう。
「お兄様、どういうことですか?」
そう言葉にしつつも、おおよその答えは深雪もわかっているのだろう。声がいつもより低かった。その分、達也が声を和らげた。
「今回のブランシュの襲撃を比企谷の魔法で防ぐ。誰も被害にあわず、物損もない。比企谷一人に負担がかかることに目を瞑ればおそらくは最善で最高の手だろうね。しかし間違いなく、この一件で比企谷の魔法は明るみに出る。
そしてそうなれば、どれだけ俺たちが秘密にしたくても出来なくなる。違いますか?」
この質問に、答えられるのは真由美だけだった。
「ええ、少なくとも今回の事件については最低限、報告義務が発生します。私が虚偽報告をしたところで、七草家と十文字くんのところに知られるのは間違いないと思うわ。他はちょっとわからないけど、例外なく情報収集はするはずだから、精神干渉系に強い四葉も乗り出してくるかもしれないわね」
深雪の瞳に暗い影が落ちた。
「……そのことに、比企谷くんも気づいているのでしょうか?」
「気づいていると思うよ」
達也の声は重かった。
「だから、比企谷は俺たちとは一線を引くはずだ。それは物理的なという意味じゃない。情報としての線だ。このままあいつにすべてを任せていれば、間違いなく俺たちの記憶を否定するだろうね」
「そしてそれは、私たちだけにとどまらず、今回の事件にかかわった全員に言えることね」
「でも会長は、それでいいんですか?」
「そんなわけ――っっ!」
恐る恐る、と言った感じで問いかけたあずさに、真由美は一瞬声を荒げかけて、だがすぐに落ち着きを取り戻した。あずさにあたっても仕方ない。
二、三度、深く深く、深呼吸してから応え直す。顔色まで戻せた自信はなかったが。
「いいえ。少なくとも私は、比企谷くんとここで、こんな形で、関係を終わらせたいとは思ってないわ」
みんなは? と視線を向けると、誰もが頷いた。
「うん、ありがとう」
真由美の口をついて出たのは感謝の気持ちだった。少しだけ気が楽になったと思うのは、摩利の気のせいだろうか。
「ではどうするか、少なくともスタンスを決めておきたい。ああ、けれど強制じゃないからな。
比企谷の魔法を十師族に管理させるべきだというのも一意見だ。比企谷が受け入れるかは別としても、それ自体は間違っていないとあたしは思っている」
「否定はしませんし、出来ませんね」
鈴音の同意に対して、摩利は問い返した。
「では市原はそうすべきだと?」
「理屈ではそれが一番だと考えています」
「感情では?」
「…………」
鈴音は応えなかったが、それがすでに答えでもあった。
「さて、真由美は最後に聞くとして、中条?」
「反対です。比企谷くんは何も悪いことしてません。それがすべてだと思います」
「別に十師族に任せたからと言って、あいつに害があると決まったわけじゃないんだがな……」
最初の脅しがまずかったのかもしれないが、あずさは断固たる意志で首を横に振った。十師族の真由美が困った顔になったのはご愛敬か。
「司波?」
「お兄様の意見も気になりますが、個人的には七草会長と同じく、十師族には知らせるべきではないと思っています。推測ですが、十師族に知られてしまえば、私たちが比企谷くんに関与できる隙も自由もなくなるのではないでしょうか?」
普段の彼女らしくない、小さな震えが言葉に含まれていた。その理由は真由美や摩利には図れなかったが、比企谷に対して、彼女もまた何か思うところがあったのかもしれない。
「今日のことで、比企谷くんが私たちの記憶を消そうとされるのなら――おそらくそれは、自分のことで私たちに傷ついてほしくないからではないかと、私は感じました」
自分と関わったら傷つける。自分と関わることで傷つける。それを恐れて、だから独りになろうとする。
得心するものがあった。真由美が比企谷を生徒会に引き込んだ時に彼を評した言葉はおよそ勢い任せのものだったが、的を得たものもあったということだ。
「まだ友達とは呼んでもらえないかもしれません。それでも私は、七草会長や私たちに傷ついてほしくないと言ってくれた彼を信じたいと思います」
お兄様は? 妹から視線で水を向けられた達也は、しかし抑揚のない声で、真由美に告げた。
「俺は比企谷の考えには賛同できません」
おや? と三年生組が驚いた顔をした。普段は妹が兄に追従することが多い兄妹だからこその驚きだった。別に盲目的に従っているわけでもないので、考えてみれば当たり前なのだが。
「比企谷の考えは甘すぎます。俺には、比企谷の言葉が本当に世の中を何も知らない子供が、ただ現実を理解できず、目の前の事実を認めたくなくて喚いているようにしか聞こえませんでした。
それを自覚して、間違いだと理解しながら、考えを変えようとしない比企谷の生き方は、奴自身が言った通り、人として間違っていると思います。俺が言えた義理ではないかもしれませんが……」
「お兄様……」
「ですが――」
ですが? とても厳しい物言いで比企谷を批判しているはずの達也の顔には、けれど言葉ほどに彼に対して失望した様子はなかった。
「比企谷が会長や自分たちに傷ついてほしくないと言った言葉は、紛れもなく本心なのだろうと思います。
それを間違いとは言えません。言いたくありません。
その感情から生まれた覚悟が、今日の比企谷の行動起源なのであれば、たとえそれが、人として大事なものが欠落した間違った行動なのだとしても、俺はそれを否定できません」
真由美が「そうね」と小さくうなずいた。達也の言葉はまだ終わっていなかった。再度、否定が入る。
「比企谷の魔法のことは、比企谷の問題です。比企谷自身で考え、どうするか決めるべきでしょう。
その結果、俺たちの記憶を否定し、周囲の認識を否定し、自分と言う痕跡を否定する、なんて結論に至ったというのなら、それも否定できません」
「達也くんは、比企谷くんが私たちの記憶を消して、お別れすることに賛成なの?」
「いいえ。ですから、賛同できないと言いました」
ああ、そう言えば。とみんなが思い直した。
「俺たちの記憶を否定することで、比企谷は安寧を得るでしょう。俺たちも危険な魔法のことを忘れて、平穏な日々が戻ってくる。なるほど、お互いに平和になれるのなら、考え方によっては正しい選択なのかもしれません。
ですがそれは切り捨てたことによって得られた平和です。
お互いが、お互いを切り捨てて、ただ静かになったことを平和と言う言葉で包み込んだだけでしょう」
それを自己犠牲とは呼ばない。打算でもなければ、優しさでもない。
問題が目の前にあって、それを解決しないといけないのに、先送りどころか問題自体を消してしまおうとしている。それが比企谷の行動スタンスだ。そこには結果はない。問題がないのだから、どうしたって答えもない。
だから正解も、間違いも語れない。諦念ではなく、保留ではなく、もちろん解消でもない。
それが解決策で、それが最善だと信じているのなら、比企谷のそれは傲慢以外の何者でもないだろう。
達也が言う間違いとはそのことだ。
自分の行動が周囲に影響を与える、と思ってしまうのは自意識過剰であるが、比企谷の場合、それが逆ベクトルを向いている。自分を取り巻く世界は、いつだって自分を敵としている、なんて考えてしまうタイプの人間である。
そしてだからこそ、比企谷が危険因子になる可能性を想像できないのだと達也は言った。
「人に拒絶されることに慣れ、優しくされても疑うくせに、自分は優しさを失っていない……そんな男が、私利私欲に溺れ、魔法を悪用して世界を混沌に堕とす姿が、正直なところ想像できません」
他者の悪意に利用され悪用される可能性はあるが、それは論じても意味がない。
「そういう意味では、中条先輩の仰る通り『何も悪いことをしていない』が、正解だと思います」
ため息交じりの達也の感想に、全員がうんうんと頷いた。
「比企谷の魔法は危険な代物です。それは揺るがない事実です。戦略級という表現が誇張ではないという意見も変わりません。しかし――」
と達也は三度断りを入れてから続けた。
「会長が仰ったとおり、その魔法を遣う比企谷本人がまるで魔法師らしくありませんからね。
極めて小心者というか、卑屈で自虐的で面倒くさがりっぽい上に、働くのを嫌がりながらも、自分のせいで迷惑をかけるのがもっと嫌だから働くという、捻くれた性格と捻じ曲がった根性の持ち主です。そのくせ、他人を見捨てられないお人好しです。
放っておいても害があるとは思えません」
普通なら信じがたいことなんですが……と、達也の言葉はどこか脱力したものになっていた。
「当人の反応もとてもわかりやすいので、さほど気にする必要はないんじゃないかという気がしてきています」
「そうなのよねー、わかりやすいわよねー、八ちゃんて」
真由美の相槌で、空気が一気に弛緩した。深雪と鈴音がしみじみとうなずく。
「ああ、それはわかります。わたしたちへの態度とかは特に……」
「こちらの言葉を曲解して斜め上に棚上げした上で、見上げるような――というより、自分を見下げるような発言してますからね」
摩利と真由美も嘆息するしかない。
「自虐思考が染みついてるなぁ」
「更生の道は遠そうね……」
「あ、でも、頼んだ仕事はきちんと片付けてくれますよ?」
唯一、あずさがフォローに回ったのは、前出の意見に同意しながらも比企谷のいいところを見ようとする彼女の性格だが、言われずともそれは他のメンバーもわかっていた。
「それはまぁ確かに。存外に真面目だよな」
「必ず文句を言いながら、ですけどね」
「ありがとうって言うと、すごく照れますよね?」
「そうそう。で、そっぽ向いて『仕事っすから』とか『社畜根性に溢れてるので』とか言うの」
「目をキョロキョロさせながらね」
「実に捻くれている」
「褒められ慣れてないんでしょうね」
「可愛いじゃないですか? わたし、あれで摩利さんが言った母性本能っていうの、ちょっとわかっちゃいましたよ」
「男の目から見ると、挙動不審にしか見えないんですが……」
「いえ、それは私たちもお兄様に同意見です」
達也を除く全員が頷いた。つまり総意と言うことだ。
「生徒会は女子ばかりですけど、残念ながら女子に慣れた様子はありませんしね」
「しかもたまーに会長や深雪さんのことをちらちら見ていますよね? 特にその……胸のあたり」
「ふふ、男の子よねー」
「深雪?」
「大丈夫ですよ、お兄様。直ぐにご自分で気づいて、全力で理性を振り絞って視線を逸らしていますから。
ただその……態度があまりにわかりやすいので、こちらとしても気づいてないふりをしていると言いますか……不思議と嫌な感じではないのでスルーしていると言いますか」
「女の子って意識してるのがすごい分かっちゃうのよねー」
「そうなんだよなぁ。普通なら嫌な気になるところなんだが、あいつのほうが異性に慣れていなさ過ぎて、思春期に入ったばかりの子供かと思う時がある。その点、達也くんは紳士すぎて逆につまらん」
「いや、そんなところで文句を言われても困るんですが……」
「…………なんか、話ずれてない?」
ふと、話題が違う方向に進んでいたことに気づいて真由美がストップをかけた。
みんなが目を合わせておもわず含み笑いが起こる。比企谷八幡に関して話題が尽きないことが面白かった。
こほんと、摩利はひとつ咳払いをして空気を切った。
「まとめようか。結局みんな、比企谷のことは受け入れるってことでいいんだな?」
みんなの顔に「だってねぇ」と言わんばかりの苦笑が浮かんだ。反論はなかった。
達也が「あれの根っこはとことん善人でしょう。偽悪は装えても、悪にはなれませんね」と口火を切ると、
深雪が「理性がとても強い方だと思いますから」と追従した。
「いろいろ素直じゃありませんよねぇ?」というのはあずさの言葉で、
「意外に真面目ですから、仕事の手がなくなるのは痛いですね」との評価は鈴音のものだ。
「真由美?」
「うん、やっぱり捻くれていて、優しくて、臆病で、寂しがり屋で……そして、とても心の芯が強い子」
「そうだな」
同じく苦笑を返しながら、摩利は自分の考えを口にした。
「あたしの意見はシンプルだ。
比企谷の魔法を明るみにだすのは反対だ。
そして記憶を消されるのも御免だ」
考えてみれば、摩利だけでなく、ここにいるメンバーと比企谷の繋がりは、さして大したものではない。
高校生活のわずかな期間。しかも上級生組は学年が違うから、放課後のわずかな時間を共有しているだけの関係でしかないのも事実だ。達也も二科であることから、普段の接点はない。
薄い繋がりだ。卒業してしまったら切れてしまうかもしれないほどには。
例えば今回の件で、比企谷がこちらを見捨てて保身に走ったりしていれば、見限るという意味ではすぐにでも関係は切れたかもしれない。わずかな信頼も、信用も、水泡に帰しただろう。
けれど違った。そうではなかった。なのに何故、その繋がりをあえて切らなくてはならないのか。
「人間関係でどういう結末を迎えるのであれ、それはあたしの意思で決めたい。周りの、それもテロリストなんて阿呆な連中のせいで、付き合い方を見直さなきゃならんとか納得がいかない」
比企谷が生徒会室に赴くようになってから、少しだけ、普段は堅苦しいこの部屋に、ふとしたことで笑いが生まれることが多くなった。その時、決まってそのきっかけを作っているのはあの男だ。
別段、比企谷がボケているとかではない。言葉巧みに話術で他者を楽しませるようなことは決してない。そんな器用なことが出来る男なら、もっとうまく人生を立ち回っていただろう。
いや、違うか。真由美への対応と言い、なんだかんだであの男の振る舞いは天然かと思う時がある。
今日のことは、その典型例だった。
前に出てテロリストの行動を防ぐ。比企谷はその自分の行動を我侭だと言った。傲慢で、現実を視ようとしない甘い戯言から生まれた、独りよがりな押しつけなのだと。
それを否定はしない。甘いだと断じた達也の意見にも賛成だ。けれど、それだけのはずがないだろうと、声に出してあの時反論するべきだった――今になって摩利は後悔している。
それは他人を思い遣った末での我侭じゃないか。とても不器用で、とても分かりにくい、彼らしく、捻くれた優しさから生まれたものだ。それはここにいるみんなが気づいている。
だから摩利は、おそらく真由美も鈴音も、自分たちに傷ついてほしくないと口にした年下の少年の想いを踏みにじるようなことはしたくなかった。
「テロリストのことがなかったとしても、比企谷の魔法のことをどうするかは、比企谷と話して決めるべきだ。あたしらが勝手に決めることじゃない。それは裏切りだと思う」
「摩利……」
真由美の言葉に出せない困ったような表情が、彼女の感情の全てだと摩利は思った。彼女が自分と同じことを考えていることくらいはわかっている。伊達に親友をやっていない。だが十師族という枷がある彼女では言いにくいことだってある。比企谷を生徒会に引き込んだ責任も感じている親友は、おそらく自分たち以上に比企谷の魔法の対処について迷っただろう。
真由美の背中を押して考えを決めさせたのが、比企谷本人の言葉だというのは、何ともおかしな因果だった。
「しかし達也くんが言った通り、このままだと比企谷は間違いなくあたしらの記憶を消して、関係をリセットしようとするはずだ。
だからそうさせないための、あたしの考えを言うぞ。
討論会開始と同時にあたしと中条が表に出る。中条には悪いが、テロリストの矢面に立つ。講堂のほうは服部と市原で何とかしてほしい」
「どうされるおつもりですか?」
比企谷の魔法によって行動阻害されるのはテロリストだけではないという鈴音の言外の質問に、摩利はあっけらかんと答えた。
「それにはまず第一条件としてあたしらが自由に動けないと駄目だ。ということで、これから比企谷を探してあたしらもパーティに入れてもらう」
「あ、なるほど。いいですね、それ」
意外にもあっさりとあずさが納得した。
「あーちゃん、怖くないの?」
「テロリストは怖いですけど、でも比企谷くんの魔法が守ってくれますし」
彼女の中では、プロフィールやステータスを見られることは恐怖ではないらしかった。
一方、講堂を任された鈴音は深く溜息を吐いた。
「分の悪い賭けですね。お二人がテロリストの前に出ることで、比企谷くんの魔法によって得られる効果すべてが、自分たちの仕業のように振る舞う、と言うことでしょう?」
「有体に言えばそうだな」
「魔法に関して詳細を隠匿できたとしても、それを十文字会頭が信じると思いますか?」
「もちろん、そのままじゃ無理だ」
あっさりと摩利は鈴音の言い分を認めた。
実際問題、その程度でごまかされるような男ではないことは百も承知だ。
十師族の中で、四葉、七草と次いで実力と実績を持つ十文字家。その跡取りにして当主代理を務めるほどの男だ。魔法師としての実力もさることながら、指揮統率力に優れ、人望もあり、人格者でもある。
一高では三巨頭などと並列に呼ばれはしているが、魔法師としての立場は摩利では比較にならない。同じ十師族であっても、真由美でさえ届かない立場を持つ男に対して、不必要なごまかしは逆に不信を生む。
十文字をその程度の稚拙な工夫でごまかせるとは考えていない。
「というわけで、何かいい案ないか?」
「そこで丸投げしますか……」
「仕方ないだろう、今すぐそんな効果的で具体的な対策が思いつくはずないじゃないか。ついさっきのことなんだから」
こほんと咳払いするも、全員の視線が摩利を射抜く。さすがにいたたまれなくなって彼女は目をそらした。その彼女の態度に、達也がクスリと笑みをこぼす。
「比企谷の魔法を隠蔽するにあたって、最大の障害は十文字会頭でしょう。そして彼をごまかせる可能性があるとすれば、それは同じ十師族である会長以外にはいないと思います」
「あたしや中条では不服か?」
わかっていながら唇とがらせると、同じく名前を挙げられたあずさが「わたしは不服なんてありませんからね!」と冗談を真に受けて慌てて真由美に弁明していた。
「いや、すまん。冗談だ、中条」
達也の意見は正鵠を得ている。真由美であれば文句は出ない。それは十文字家だけでなく、七草家やその他十師族に対して偽りを見せるのであればなおさらだ。
「ですが、お兄様、会長がテロリストと対峙されるのは、比企谷くんの好意を無碍にしてしまうのではないですか?」
言外に、比企谷が一番気にかけているのが真由美だというニュアンスを含めると、言われた当人の顔が赤らんだ。
「そ、そんなことないわよ。八ちゃんはみんなに言ったんだと思うわ。きっと、たぶん……って、摩利? 何で笑ってるのよ!」
ニヤニヤと緩む唇を抑える気もなく、摩利は達也に向き直った。
「いや別にぃ? ――で、達也くん? そう言うからには、何か案があるんだろう?」
「ええ。ただそのためには、ここにいる全員が少しオーバーワークになるかもしれませんが……」
「なに、その程度は構わないさ。なぁ?」
誰からも反論は起きなかった。真由美は別の意味でふくれっ面をしていたが無視した。
「では――……」
達也の講じた案に、一同が静まり返る。淡々と告げる彼の表情は変わらず、だからこそ不可能ではないことを物語っている。
「しかし司波くんの案を採用するには、比企谷くんが課した条件をクリアして、自由行動できる必要があります」
達也のように、パーティ登録してブルーになればそれも可能だろう。しかし、それを比企谷が受け入れるかどうかという問題もある。だが鈴音の指摘に、達也はふと笑みを浮かべて、決定的なことを口にした。
「いえ、その必要はありません。
何故ならここにいる全員が、既に
お読みいただきありがとうございました。
誤字脱字報告ありがとうございます。随時適用させていただいております。
「主人公が去った後、その時彼らは……」的な場面。Interlude。魔法科キャラの思うことあれこれの回です。
魔法科って一部除き人を見る目のあるキャラばかりなので、八幡のいいところもわかってくれるといいなぁ、とか希望的観測をもとに書いてしまった話です。
原作よりもちょっと人情的にしてしまったかもしれないとは思っています。
ごめんなさい。
次回はついにテロ、襲来!
八幡無双なるか?
よければ次回も読んでやってください。よろしくお願いします。