やはり俺の魔法はどこまでもチートである。   作:高槻克樹

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エピローグ1

 

 

 夢から覚める瞬間を感覚として俯瞰しながら目を開けると、信じられないことに周囲は既に暗かった。夜はすっかり更けていて、空には星と月が見える。

 周囲は静かだった。音がないわけではない。夜間特有の冷ややかな静けさだ。時折風に揺られた木々のざわめきが妙に耳に残る。吹いた風が頬を撫でる。ぶるりと身体が震えた。

 渡辺先輩と別れてから、俺が向かったのは読書用に見つけたベストプレイスだ。そこで魔法を遣い続け、いつの間にか気を失っていたらしい。どれくらいそうしていたのかわからないが少しだけ身体が冷えていた。これで風邪ひいたらまた小町に怒られるかもしれない。

 あれから襲撃はどうなったのか――生徒会のみんなは? と考えるより前に、ふと、頭の下にある柔らかいものに気づいた。

 ふにっとした柔らかい、()()()、何か。

 

「あ、気づいた?」

 

 ぼやけていた視界が戻った先。目の前には大きな丘が二つ見えた。声はその丘の向こうから聞こえてきた。

 え? なにこれ?

 

「……………」

 

 あ。これはあれだ。絶対に触れてはいけない奴だ。ラッキーで触れても許されるのはラノベの主人公だけという点から見た場合、俺が触れたら即刻死刑直行すること間違いない。

 それを下から見上げている俺がどんな体勢でいるのか。そのことに理解が追いついた途端、脳が身体に速攻で逃げの一手を命令した。

 

「うおぉあっ!」

「あ、こら! ちょっと、急に起きたら!」

 

 混乱した勢いで力づくで上半身を起こすと、ふらりとすぐに視界がぶれた。体内の血が急速に抜けていく感覚。体温が下がる。頭が重い。あぁこれは貧血だなと、思考の片隅で冷静に分析しながらも、重力に逆らえずにすぐに身体はダウンする。

 身体は脳の命令を無視して、俺の精神状態なぞ気にすることなく元いた位置にポテリと戻ってしまった。この時には、既に起きる前に見ていた夢のことはスコーンとどこかに飛んで行ってしまっていた。

 

「駄目よ、急に起きたら。危ないでしょう?」

 

 再び柔らかい枕の上に頭を倒してしまった俺のおでこを、人差し指でピンっとはじいたのは七草真由美――魔法科第一高校生徒会長その人である。

 

「……あ、あ、あの、えええっと……?」

「うん?」

「な、なな何をして?」

「膝枕?」

 

 事も無げに口にする七草会長が、ひょこっと丘から顔を出す。なるほど、俺から顔が見えにくいということは、会長からものぞきこむ必要があるということだ。そしてお互いの視界を遮っているものが何なのか、彼女がわかっていないはずがない。

 ちょっと、それわざとですかそうですかそうですねそうに違いないわかっていていやっているだろうこの小悪魔め!

 だが狼狽えるな。冷静沈着に思考しろ。膝枕くらいなんてことはないように、普段の寡黙な俺のまま対処すべし。慌てふためけば、それだけで小悪魔の思うつぼなのだ。

 もう手遅れとか言うことなかれ。惜しむ心をガリガリ削りながらも、なけなしの根性で膝の上から移動しようとまだふらつく身体に力を入れる。

 しかし俺の意思を遮るように、七草会長の手が俺の額に添えられた。

 その手が震えていた。

 

「動いちゃダメって言ったでしょう?」

 

 再び、顔が見えなくなる。会長が顔を上げたからだ。鼻をすする音。彼女の涙目が視界に映って、自然と身体から力が抜けた。

 

「心配したのよ」

「…………」

 

 顔が見えなくなった分、声に注意できた。少しだけ、甲高い音が混じった声だった。

 何と答えていいものか、しばし迷う。ごめんなさい。もうしません。ご迷惑をおかけしました。以後気を付けます。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。労災おります? いやいや、いくらなんでも最後のはない。

 

「……すんません」

 

 ぼそりと、それだけが口をついて出た。言い分はある。理由も、考えれば思いつく。だが何を言っても言い訳にしかならないことを、何より俺自身が自覚していた。

 

「私が見つけたとき、比企谷くんは意識を失って倒れてたの」

「…………そうっすか」

「サイオン切れ。体力も激減してて、衰弱一歩手前だったそうよ」

 

 それで気絶したらしい。何と言うか、間抜けな結末だ。締まらない。俺らしいと言えばそれまでだが。

 

「普通はね、サイオンが切れたと言っても、どこかでセーブがかかるものなのよ。でも比企谷くんは意識を失うくらい限界まで使い切ったようなの」

 

 七草会長は俺の返事を期待しているわけではなかったらしい。どこか鼻が詰まったような声色で、続けた。

 

「顔を青くして倒れている比企谷くんを見たとき、目の前が真っ暗になったわよ」

 

 ペシペシッっと軽く額が叩かれる。そのままひんやりとした手が額に置かれて、俺の反応を待たず、小さく彼女は息を吐いた。

 

「気絶して、倒れて、体温もすごく低くて、息も細くて……ひょっとしたらって最悪のことまで考えて……達也くんが疲れて寝ているだけだから、回復には寝かせておいたほうがいいって教えてくれてなければ、今頃病院行き確定で大騒ぎね」

「…………」

 

 司波に借りが出来たかもしれない。

 だが解せない。なぜ俺は、校舎裏のベストプレイスで膝枕なんてことをされているのだろうか。

 

「保健室に運ぼうって思ったんだけど……」

 

 俺の疑問に気付いたのか、七草会長は少しだけ拗ねた音が混じった声でぽつぽつと語った。

 

「こうしたほうが、起きたときに比企谷くんは絶対に慌てふためくだろうからって、達也くんが……」

 

 やはり借りなんてないな。むしろ何してくれてるんだ、あの野郎。グッジョブとか絶対に言ってやらん。

 

「心配させた罰よ。甘んじて受けなさい」

 

 それを言われるとぐうの音も出ません。けれど司波の悪巧みをそのまま受け入れてしまっている七草会長は、俺に膝枕していることを気にしていないのだろうか。

 

「気分はどう? 吐き気とか眩暈はしない?」

「……大丈夫っす」

「寒くない?」

「……風が少し冷たいですが、風邪ひくほどではないですね。今日は暖かいほうだし」

 

 今はもう身体が火照っているのか、心地いいくらいだ。

 

「体力は?」

「全快には遠いですけど、まぁ家に帰って寝れば問題ないかと……」

「そう、よかった」

 

 ほっと一息ついた会長がこちらを向く。

 

「じゃ、これからお説教の時間ね」

 

 …………ホワイ? なぜに?

 

「何で無茶したの?」

「……いや、別に無茶したわけじゃ」

 

 無茶などしていない。本当に、言われるまでそんなつもりは欠片もなかった。俺が、俺自身に課したことを為した。その結果、限界を超えたから意識を失っただけだ。

 

「気絶するまで魔法を遣ったのに?」

「……いや、気が付いたら、気を失っていたって言うか……」

 

 矛盾している物言いだが、あながち間違っていないところが面倒くさい。

 

「MPが数値で見えているから? サイオンが切れても体力が切れても回復できるから? 限界まで絞りつくしても大丈夫のつもりだったの?」

「あー、いや、それは……その……なんですかね。実のところ、考え事をしてたらいつの間にか、って感じだったので……」

 

 数値なんて気にしていなかった。

 限界とか、回復のことなんて意識すらしていなかった。

 ただただレッドカーソルの活動が途絶えるまで『雪乃』と『結衣』を維持することが俺の目的だった。

 だから、言うなれば「いつの間にか」が正しい表現だと思う。

 自分のためと思っていた自己満足な行為に、不意に出来てしまった別の行動理由。魔法を遣っている間、考えていたのはずっとそのことだった。守ってくれと言われた。代わりに守るからと。渡辺先輩の言葉が脳裏から離れない理由をずっと考えて、考えて――

 考えていたら気絶して、気が付いたら膝枕である。俺が動揺するのも無理はない。と言うか動揺した俺は悪くない。司波が悪い。

 

「考え事って?」

「…………」

 

 聞かれても答えるのは憚られた。

 考え事の中心人物に聞かれてもなかなか答えにくいものがある。

 

「言いたくないのなら言わなくてもいいわ……それで、その答えは出たの?」

「…………どうですかね?」

 

 本当にどうなんだろう。気絶する前のことを考えてもしっくりこない。今の俺の気持ちもまだすっきりしない。

 だから答えは出ていない……と思う。

 七草会長らの言動が、欲望や保身などの醜い感情に基づいているなら理解は早かったはずだ。けれど、おそらくはそうでないから答えに行き詰っているのだ。

 俺を守りたいと言ってくれた言葉の裏を理解できていない。損得勘定を抜きにした好意とか友情とか、そんな綺麗な感情は勘違いによる誤解だと知っているからこそ、そうでない可能性を洗い出せずにいる。その原因――答えが出せていない最大の障害。つまり何が難敵かと言えば、彼女らの行動が醜悪な感情に裏付けられたものだと思いたくない、俺自身の感情だ。

 それが一番厄介だった。

 これまでずっと、比企谷八幡の行動に選択肢はなかった。

 ずっと一つの行動しかとれなかった。一人だったから。独りだったから。

 一人だと他人のことを考えなくていいから自由に選べる、なんて都合のいいこと言う奴もいるがそれは違う。答えが一つしかないものを、選んだ気になっているだけだ。

 答えが複数あって、その中のどれが正解か不正解かも分からないものから選ぶなんてことを、俺は経験したことがない。正解があるかもわからない、不正解しかないかもしれない。そんな不安を抱いたこともない。

 不安は恐怖に変わる。

 俺は、彼女らを心から怖いと思ってしまった。俺が手に入れられないものだから。手にしようとしても離れてしまうものだから。永遠はなく、変わらないものはない。失われてしまうから、手を伸ばせない。

 このまま傍にいれば、答えのない選択肢を選んだことのない俺が、きっと間違えた答えを出すに違いないという確信があった。それはきっと彼女らを傷つける。それでも――そうとわかっていても手を繋ぎたいと思うほどに眩しいものだと、気づいてしまった。

 だから――

 

「離れるの?」

 

 その言葉はひどく冷たかった。思わず背筋に寒気が走るほど冷徹に、痛みを伴って俺の全身を走り抜けた。

 

「私の記憶を否定して、みんなの記憶を否定して、今まで関わったことをなかったことにして、比企谷くんは私たちのもとから離れていくつもり?」

「…………」

 

 やはり気づかれていた、とは思わなかった。気づかれていることには、気づいていた。だから俺が意外だったのは、その行為を七草会長が責めるような口調で声に出したことだ。

 

「比企谷くんの魔法が表沙汰になればきっと世界に波紋を投げかけるわね。だから?」

「………まぁ、そうですね」

 

 そういう一面もなくはないのだが、正直そんなのは副次的な面倒くささでしかない。だがなるほど、確かに表立って理由を告げるならそう言うことなのだろう。そう言うことにしておいたほうがいいと思った、俺の逃げの姿勢は、七草会長の次の言葉であっさりと砕け散った。

 

「っていうより、そのことで私たちに迷惑をかけたり、傷つけたりして、嫌われるって思った?」

「…………」

 

 応えに詰まった。彼女の言い分が核心ではないとは分かっていたが、それでも浮かんでいた言葉が思考の底に沈むくらいの威力があった。それはつまり、俺自身が気づいていなかった、俺の感情の裏側でもあるということだ。

 

「甘えるのが怖い?」

 

 ぺち。と額が軽く叩かれた。痛みはない。触れるか触れないかぎりぎりのところで、冷たく、柔らかな七草会長の手のひらが額をかすめる。

 痛くはない。だからこそ余計に心が締め付けられた。苦しくなるくらい痛んだ。

 

「理解できないのが怖い?」

 

 ぺち。

 

「理屈や理論を抜きにして、計算できない感情は怖い?」

 

 ぺち。

 

「優しくされるのが怖い?」

 

 ぺち。

 

「信じるのは怖い?」

 

 ぺち。

 

「間違えるのは怖い?」

 

 ぺち。

 

「でも大丈夫よ」

 

 ぺち。

 

「私も怖いから」

 

 ぺち。

 

「私も、間違えてばかりだもの」

 

 最後は、叩かれなかった。代わりに優しく手のひらが額に置かれる。叩いたところを撫でられる感覚は、言っては悪いが幼いころ母親にされたときのことを思い出した。

 

「間違えたら、ダメなんじゃないですかね……?」

「どうして?」

「いや、だって、ほら……」

 

 高校生の世界は狭い。俺の世界は――俺たちの世界は、驚くほどに、笑ってしまうくらいちっぽけな世界で出来ている。だから一度の間違いが、致命的な損失に繋がることも俺は知っている。間違えてきた俺だから、知っている。

 誰も彼も、大事なものを失いたくないと思う。当たり前のことだ。損なわれるとわかっているから間違えなくないのだ。失うまでいかなくとも、何かが壊れる。誰かが傷つく。

 壊れたものは戻せない。

 手の上には空虚だけが残り、後悔だけが積み重なっていく。

 だから間違えてはいけないという俺の考えを、七草会長はやんわりと否定した。

 

「でも私は、間違えてもいいから本音が聞きたいと思うわ」

「…………え?」

「比企谷くんに出会ってから、考えさせられたことよ。

 私がこの高校生活でどうしたいのか。残り一年も満たない間で何がしたいのか。七草家の長女としての立場は捨てられないし、任期を終えるまでは生徒会長をやめる気もないけれど、そういう立場を抜きにして、私にとって唯一無二のものは何なのか。

 討論会で言ったことはもちろん本当のことよ? 一科と二科の垣根を取り払いたい気持ちも本当。

 進路希望も変わったわけじゃないわ。

 だけど、私が、私の高校生活に求めているものとは違う気がしてるの。

 だからもう一度、ちゃんと向き直ってみようかと思って」

 

 気がしている、と七草会長は言った。まだ彼女自身の中で言葉にできるほど形になっていないのかもしれなかった。

 

「でもいざ考えてみると中々これと言うものが浮かばなくて、解らないことだらけだって気づかされた。自分のことですらこうだもの。周りの人のことをきちんと理解できているだなんて、とても言えないわね。

 だけど――ううん、だからこそ、私は、まずはみんなのことをもっと知りたいと思ったの。

 摩利のこと、リンちゃんのこと、あーちゃんのこと。はんぞーくん、達也くん、深雪さん。

 そして……比企谷くんのことも。

 馴れ合いとかじゃなくて、ちゃんと、みんなの本質を知りたいと思ったの。

 言葉に出してしまえば戻れないことがあることは知ってるつもり。間違えてしまえば壊れてしまうこともあるわね。それで後悔したこともある。でもその言葉が間違いだったとしても、伝わらなかったとしても、本心を知りたい。

 どれだけの言葉を紡いでも、理解には足りないかもしれない。計算しても計算しつくせないかもしれない。感情は割り切れないものだから。

 でもそれでも、みんなのことを知って、解りたいと思った」

 

 小さく、息を吸う音が耳に残った。

 

「私は、比企谷八幡のことが知りたいのよ」

「……俺は……」

 

 何と答えるのが正しいのかわからない。同時に、何が正しいのかと考えている俺の思考が既に間違いでなのかという気すらしてくる。

 これはあれだ。勉強しているときに袋小路に陥った時の感覚だ。どこが解らないのかわからない。解っているのかどうかもわからない。解っている気になっているだけかもしれないし、解っていないと思っているだけかもしれない。

 けれどもし彼女の言うような感情が許されるなら。

 

「他人を理解したいって思うのは、傲慢な自己満足だって思う?」

 

 しばし逡巡して、ごまかしは必要ないと思った。

 

「……思います」

「うん。私も思う。でもそうやって理解が深められるなら、その傲慢さは許せる気がするの。間違えても、悲しくても、苦しくても、それでも手を伸ばして、手を繋ぎ続けられたなら、その関係は素敵なことだと思わない?」

 

 そうなのだろうか。確かにそういう傲慢さを押し付けても許容できるのなら、その関係性がどうあれ、それはとても深い繋がりではないかと思う。しかし。

 

「……いや、でも、どこまでも自己満足ですよね」

「可愛くないわねー」

 

 ぺちぺちと、再び額が叩かれた。

 

「で? 八ちゃんは(・・・・・)私たちと一緒にいるのは嫌?」

「…………」

 

 渡辺先輩の時にも思ったが、その聞き方は卑怯だと思う。

 

「知ってから、理解してから、それでも私たちと相いれないと思ったのなら、容赦なく記憶を否定してくれていいわよ?」

 

 それも卑怯だ。

 

「ごめんなさい、ちょっと狡い言い方だったわね。

 でも、これが私の本音。

 まだ私は――私たちは、八ちゃんがどんなことで喜んで、笑って、楽しんで、悲しんで、傷ついて、怒るのか知らないわ。だから知っていきたいし、逆に私たちのことも知ってほしいって思うの」

「先輩なのに、知らないことだらけですね」

「そうね」

「……俺も知りません」

「うん」

「知りたいと思って観察してわかった気になっているだけだし、仮に言葉で聞いて知れたとしても、きっと俺は信じ切れないと思います」

「捻くれてるわねー」

「物事の裏を読むのがぼっちの習性ですから」

 

 だから言葉が欲しいわけじゃない。

 言葉で言っても信じない俺に、言葉でどれだけ飾ったところで疑心暗鬼しか生まない。厄介なことに、そういう面倒くさいのが比企谷八幡という人間だ。

 

「でも、それが八ちゃんなのよね」

「……うす」

「じゃ、その捻くれた頭でいいから、ちゃんと考えてね。私たちがどう考えているかよりも、八ちゃんがどうしたいのかが大事よ?」

「……わかってます」

「本当に?」

「……いや、はい、まぁ……」

「八ちゃんって、自分より他人の感情を優先しそうなところがあるから……」

「いや、それはいくらなんでも……」

「そのくせ、理論武装して行動理由を他人に求めてはいないとか言うのよねー、まったくもう」

「……あの?」

 

 ぷんすかと愚痴る会長の後ろに、なんだかまた黒々とした感情の渦を見た気がした。

 

「まぁ、何が言いたいのかというと。ちゃんと八ちゃんのしたいことをしてほしいってことよ」

 

 少し意外だと思ったが、口にはしなかった。俺が記憶を否定しても、それはそれで受け入れると彼女は言っている。それは逆に、俺がそうしなかったとしても同じなのだろう。

 意思は聞けた。望みも知った。その冷たい掌から伝わる温もりを知った。

 だから、俺の答えは至ってシンプルだった。

 今の今まで膝枕してもらっていた恥ずかしさを押し殺して、身体を起こす。もう立ち眩みはしなかった。と言うか俺が気絶してからずっと膝枕してくれていたのなら、相当な長時間のはずだ。なのに七草会長は一つもそのことに文句を言うでもなく、愚痴をこぼすでもなく、疲れた様子も見せなかった。

 ありがたさ以上に恥ずかしさがこみあげてきて、彼女の顔を直視できなかった。今が夜でよかったと心から思う。校舎の明かりがわずかに届く程度の薄暗い中では、俺の表情もわかりにくいだろうから。

 

「もう起きられる?」

「……はい、ありがとうございます。もう大丈夫です」

「よかった」

 

 七草会長も腰を上げた。俺の頭を膝にのせて座り込んでいたから、痺れもあったかもしれない。少し窮屈そうにした彼女を助けようと自然と手が出た。不意の行動に少しだけ笑んだ後、俺の手を取って彼女も立ち上がる。

 

「ありがとう」

 

 紳士を装ったつもりはなかった。妹にいつもしていたからこそオートで発動したお兄ちゃんスキルとでも言おうか。けれど会長は年上なのに発動するもんなんだな。

 会長も立ち上がったのでもういいだろうと手を放そうとしたが、きゅっと握り返されたことに驚いて思わず彼女に向き直った。

 

「ちゃんと考えてね」

「……うす」

「どんな答えを出すにしても、自分に嘘はつかないでね」

「……うす」

「よし。それじゃあ、もうお開きにしましょうか」

「……そうっすね、時間も遅いし、俺はもう帰ります。会長は?」

「私は生徒会室に寄ってから帰るわ。家の車を呼ぶつもりだから大丈夫。もう日も暮れてるから気を付けて帰って。比企谷くんも乗る?」

「……いえ、大丈夫です。歩いて帰ります。まだ交通が止まる時間じゃないですし……」

「そうね。お家のほうには学校から連絡しているけど、あまり遅くなりすぎないようにね」

「……はい……その……お疲れ様でした」

「はい、お疲れ様」

「また……明日」

「うん、また、明日ね」

 

 歩き出す気配のなかった会長に一礼して、俺は先に踵を返した。

 手の温もりはまだ残っている。身体の火照りは夜風では冷めそうにない。思わずこぶしを握り締めながら、校門へ向かって歩を進める。会長が動く気配はなく、けれど俺は、後ろを振り返ることはしなかった。

 

 

 

 

 

 




お読みいただきありがとうございました。
誤字脱字報告ありがとうございます。随時適用させていただいております。

そしてついにエピローグですが、題名に番号振っている通り、実はもう一話だけあります。最後までお付き合いよろしくお願いいたします。
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