やはり俺の魔法はどこまでもチートである。   作:高槻克樹

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入学編#2  意外にも七草真由美は知られていないことに気づいていない。

 その異変は、司波深雪の一言から始まった。

 

「おはようございます、比企谷くん。いきなりのことで申し訳ないのですが、今日のお昼休みに少しお時間いただきたいのです。よろしいですか?」

「………え?」

 

 なにそれ。何の罰ゲーム?

 思わず口にでかけた言葉を飲み込むのには、思いの他、力がいった。それで口元が引きつったせいか、誘ってきた司波が軽く後退る。気味が悪かったらしい。怖がらせてごめんよ。

 数日前の接点以降、彼らとは特に関わりを持ってこなかったはずだ。帰り路での司波兄の問いかけには適当に答えておいたし、それで向こうも取り合えず好奇の矛先は収めてくれたようだった。

 あれからも特に一緒に行動する、なんてリア充的なことにはならなかったし、彼らから一緒に帰ろうと声をかけてくるということもなかった。通学路や校舎で会えば挨拶する程度である。やはり俺の予想は正しかった。

 彼らは友達同士、互いを下の名で呼び合う。だが俺に対しては名字で呼ぶ。つまり俺とは友達ではない。見事な三段論法で証明終了(Q.E.D.)だ。

 一方、あの時に和解した光井と北山はちゃっかり司波グループに入り込んだようで、それを遠目に羨ましがる1-Aの男女の多いこと多いこと。二科生が中心の彼らの輪の中に入れないのは一科としての自尊心が邪魔しているからだろう。

 授業だけでもと、どうにか司波と接点を持ちたがる連中もいるが、それらは完全に光井と北山に――というより、ほぼ光井によってガードされ、それもままならぬ状況だった。完全に自業自得である。

 俺に対してはそういうガードらしきものが設けられているわけではないらしく、机の周りが落ち着けるようになったのはうれしい誤算だった。がんばれ光井。俺の平和はお前にかかっている。

 とは言っても俺が積極的に司波のような美少女と接点を持つわけもない。目立つとか、ぼっちだからとか以前に、話題がない。話しかける理由がない。だから司波とは朝と夕に挨拶をするくらいであり、普段の会話などほぼ皆無と言っていい状況だ。そもそも挨拶にしたって俺から発するわけがない。中学までと同様に、誰とも目を合わせずひっそりと教室に入り、ひっそりと帰宅する。これがルーチンであるはずだったのだ。

 しかし司波はそんな俺のステルスモードなど意に介さず、毎朝、毎夕、きちんと挨拶をしてくる。それすら俺からすれば信じられないという思いだったのだが、どうも彼女は礼儀正しく清廉な性格をしているようで、目が腐っていて挙動不審で女子からすると気持ち悪いだろう俺に対しても接し方を変えたりしない稀有な女子らしかった。

 そして、今朝。

 そういうわけだから、司波が何かしらの罰ゲームで俺に話しかけたということはないはずだ。むしろそういう悪ふざけに嫌悪しそうな空気すらある。

 ではなぜ俺に話しかけたのかと言えば、原因を推測するのはさして難しくない。必要性があるからこその行動であり、それはおそらく彼女には由来しない。

 生徒会だ。

 これまた別の意味で危険だった。

 あんなリア充の巣窟どころか文字通り学校全体のトップカーストが君臨するところに足を踏み入れるなんて冗談ではない。

 

「あー、えー、えっと、何? あれがアレだから……」

 

 だが悲しいかな、誘いを受けた経験がほとんどないぼっちの俺は、だから誘いを断る経験もなく、どう言えばいいのかわからないのでどもるしかないのである。

 そしてそんな口下手な俺のお断りが通じるはずもなく、司波はきょとんと可愛げに首をかしげて見せた。

 

「あれがアレ???」

 

 本当に他意はないことくらいはわかる。わかるが、純真過ぎる問い返しは、逆の意味で刃なのだと、今日初めて知った。

 

「えっと、よくわかりませんが、生徒会長が比企谷くんとぜひお話したいことがあると」

 

 予想的中。敵が来た。しかし話したい事とは何だ?

 比企谷八幡をおびき出す際に用いられる何かの符丁だろうか。

 

「お昼ご飯もご用意できますので、ご一緒にいかがですか? 兄もまた話が聞きたいと申していましたから」

 

 お兄ちゃん大好きな妹としては、むしろそっちがメインの理由なんじゃないですかね。いや、怖くて聞けんけども。

 しかし周囲から浴びせられる嫉妬の視線が痛い。これ以上目立つくらいなら、おとなしく付いていったほうが身のためじゃなかろうか。

 しかし、アレだ。どうしてこうも俺は意志が弱いのか。つくづく思う。ノーと言える日本人になりたいと。

 

「?? ……何か仰いました?」

「いいえ、何も」

 

 お、やったぞ。ノーと言えた。あれ? でもおかしいな? 何も状況変わってない気がするぞ。

 

「ではお昼休み、よろしくお願いしてもいいですか?」

「……お、おう……」

 

 かくして、俺が学内で心休まる大切なひと時は、敢え無く消失したのである。

 

 

   ***

 

 

「突然お呼びたてしてすみません、比企谷くん。どうぞ座ってください」

 

 司波深雪の後に着いて入室した生徒会室。その中には、見知った人物三人と、見知らぬ人物二人がいた。

 向かって右側、手前から書記の中条あずさ。奥に生徒会会計の市原鈴音と、どちらも一科の先輩で初対面だ。

 市原先輩の隣に風紀委員長の渡辺摩利。

 左側に司波達也。つい先日風紀委員に入ったと噂で聞いたから、生徒会入りした妹の深雪共々、ここで昼食をとっていても不思議ではない。

 

「…………」

 

 最後に一番奥の席に座る、俺を迎えたゆるふわロングヘアの、先日の中二病患者が校門で騒ぎを起こした際に、渡辺先輩と共に静止に来た先輩だ。生徒会の人だったのか。

 名前は知らない。だがこの配置に座っていて無関係ではないはずだ。というか、高い確率で組織のトップが位置する場所じゃないか。まさかこの場でお誕生日席というわけもあるまい。

 なのに彼女だけが自己紹介しなかった。さすがに知らないままというのも気が引けると思い、隣に座った司波に問いかけることにする。

 

「……なぁ司波」

「何だ?」

「何でしょう?」

 

 兄に話しかけたつもりだったが、返事は兄妹そろってやってきた。

 

「いや、悪い。兄のほうだ」

「……何だ?」

 

 かすかに声色に剣呑さが含まれたのは、妹をないがしろにされたせいかもしれない。

 あ、こいつもシスコンだと察した瞬間だった。

 

「あの人はどこのどなた?」

 

 唯一自己紹介しなかった先輩のことだと、軽く視線をそちらに向けて問いかける。

 名前を言わないのは自明のことだからかもしれない。もしくは俺なんかに名乗る名前なんてないという暗黙のプレッシャーなのだろうか、とも思ったが、まさかわざわざ呼び出しておいて無意味なことをするほど暇でもないと思う。思いたい。

 失礼にあたるというのは自覚していたから小声で聞いたはずなのだが、俺が司波に問いかける様子をうかがっていたのか先輩たちの会話も途切れたちょうど隙間に俺の声が響いてしまった。

 司波から感じた微かな怒気は瞬時に霧散した。

 司波が絶句しただけにとどまらず、別の意味で室内が凍り付いた。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「……あれ?」

 

 俺、そんなにまずいこと聞いた?

 だがそんな俺の戸惑いを吹き飛ばすように、渡辺先輩が我慢しきれなかった様子で声をあげて笑った。

 

「プッ――ククク、アハハハハハ! まさか、真由美のことを知らない奴がこの学校にいるなんてな! ちょっと自意識過剰すぎるんじゃないかね? 七草生徒会長?」

 

 ああ、やはり生徒会長だったか。しかしさえぐさ? やはり聞き覚えはない。

 

「摩利、笑いすぎ! えっと、比企谷くん? 私のこと、知らないってどういうことですか? 初対面ではありませんよね?」

 

 ご立腹の先輩であるが、ここは断じて言わねばなるまい。

 

「い、いや。はい、お顔は知ってます。生徒会の人だったんですね」

 

 今度は司波兄が顔を逸らした。声は出してないが、その態度でばれてますよ?

 

「え、っと、でも、あれ? 名前、聞いたことなかったような気が……」

「おーい、自己紹介してないのか? 真由美」

「そんなはずありません。ええ、ありませんとも! 第一、入学式で挨拶したじゃない!」

 

 渡辺先輩はまだ笑い続けている。声を殺しているようだが、肩が震えているのでまるっきり隠せていない。隠す気もないのかもしれないが。

 司波兄はもう平常通りに戻っていた。ポーカーフェイス上手いな、こいつ。

 しかし入学式のことを思い出す。挨拶? 司波深雪のことは覚えているが、それ以外になにかあったかしら?

 

「……そうでしたっけ?」

 

 やはり記憶にない。聞いていなかっただけという可能性は高い、というかむしろそれしかない。

 びきっっと先輩の綺麗な額に青筋が浮かんだように見えた。

 あ、これはいかん。ダメだ。パターンレッドだ。謝っておこう。悪くなくても謝っておこう。

 壇上で名乗っただけの上級生の名前を憶えてないことを責められている状況に何で? とか思う気持ちはあるが、何にしても謝れ。きっとそれが正しい選択肢だ。ソースは小町。俺の妹。マイ、エンジェル。

 

「……す、すみません」

「何を謝っているんですか?」

「覚えていませんでした」

「何を覚えていなかったんですか?」

 

 覚えていないものを答えろとか、なんという無茶なことをおっしゃる。理不尽だ。しかしまぁ、普通に考えれば入学式で、おそらく生徒会長と思しき先輩の出番とくれば、答えはおのずと導き出された。

 

「……祝辞、ですかね?」

「そうです。祝辞です。私、名乗りましたよね?」

「多分?」

「なんで不思議そうなんですか。ちゃんと生徒会長として名乗りました。名乗りましたとも。入学式で」

「そうですね」

「だから悪いのは比企谷くんです」

「そうですね」

「……なんか面倒くせぇな、この女。とりあえず謝っておけばいいや、とか思ってませんか?」

「そうですね」

「…………」

「…………エスパー?」

「ちょっとは悪びれてください!」

「こら比企谷、あまり真由美をいじめるな。真由美もちょっと落ち着け」

 

 肩で息をしながら声を荒げる生徒会長殿をなだめる様に、渡辺先輩が笑顔のままに口をはさんだ。

 

「確かにあまり褒められたことではないが、祝辞を聞いていなかったからと言って怒るのは度量が狭いぞ、生徒会長」

 

 そうだ、そうだ! もっと言ってやってください。

 

「うぅ……だってぇ……」

「初対面できちんと名乗らなかった真由美が悪い。だがまぁ、比企谷も、もう少し手加減してやれ。真由美はお嬢様だから、あまりいじられるのは慣れてないんだ」

「摩利は比企谷くんの味方なのね?」

 

 唇を尖らせて友人に抗議する生徒会長殿だが、棘を向けられた渡辺先輩のほうはどこ吹く風だった。明らかに楽しんでいる顔で、お茶目に笑顔を続けている。

 

「面白いものが見れたからな」

「そんな理由!?」

「そうだな。いやぁ久しぶりに本気で笑ったよ。おなかが痛い。ありがとう。だがもういい加減、話を先に進めよう。ほら、自己紹介するなら今だぞ?」

「…………もう」

 

 ぶつぶつと、何やら文句がありそうな表情のまま、生徒会長がこちらを向く。渡辺先輩はニヤニヤと笑ったまま、他の先輩方や司波兄妹は空気を読んで静観していた。

 小さく息を吸って吐き、もう一度大きく深呼吸してからこちらに向き直った生徒会長の顔色は、怒張で赤くなっていた先ほどとは比べて随分と落ち着いたように見えた。

 

「祝辞、聞いてなかったのね……」

「はぁ、すみません」

「結構頑張って考えて会心の出来だと思ったのに」

 

 ……司波妹の答辞に上書きされていた気がするが、とは口が裂けても言えない。

 だが彼女の話をまるっきり聞いていなかったこと自体は、俺の落ち度だ。実をいうと司波妹の話も聞いていなかったのだが、これはもう絶対に秘密にしておこう。そうしよう。

 

「それは、本当にすみません」

「はぁ、まぁ聞いていなかったのなら仕方ありません。仕方がないからもう一度言います」

 

 そんなに前置きしてまで名乗らんでもいいと思うが、それもまた余計な一言だということは自覚していた。

 

「生徒会長の、七草真由美です」

「どうも、比企谷八幡です」

「知ってます!」

「そうですか」

「そうです。いいですか? ななくさと書いて七草(さえぐさ)、です。七草真由美。覚えましたか? 覚えましたね? ではリピートです」

「さえぐさまゆみ。ななくさとかいてさえぐさまゆみ」

「覚えましたか?」

「イエスマム」

「よろしい」

「何を漫才しているんだお前たちは」

「…………」

「…………」

 

 渡辺先輩のツッコミには黙して伏すしかない。今のは俺が説教されていただけですよ? 断じて遊んでなぞいない。いないったらいない。

 七草生徒会長が黙った理由までは図りかねたが、彼女は小さな沈黙を破るように軽く咳払いして、ようやく落ち着いたと言わんばかりの表情で椅子に座り直した。

 

「オホン、さて、では気を取り直して本題に入りましょう。比企谷くんを呼んだ理由についてです」

 

 説明を引き継いだのは、渡辺先輩だった。

 

「単刀直入に言えば、風紀委員の取り締まりを手伝ってほしいからだ」

「え? いやですよ?」

「断るの早いよ!?」

 

 生徒会長のツッコミも素早い。だがその程度では俺の鋼鉄の意思は揺るぎはしない。言ってみたかっただけだ。

 理由が気になるところではあるが、聞けば引き返せない予感しかしない。むしろ「聞いたな、聞いたね、聞いたからには手伝ってもらう」という女王様しか言わないような三段論法で押し切られかねないまである。

 聞きたくはない。だが聞かないことには話を進められないっぽい。そして話を進めない限りは帰れないのだ。え? なにそれ? もう詰んでなくね?

 だから俺にできたのは、諦観をたっぷり言葉に乗せて、聞き返すことだけだった。

 

「あの、なんで俺が……?」

「まぁ答えを急ぎすぎるな。とりあえずこちらの話を最後まで聞いてくれ」

「なるほど。それもそうですね。お断りします」

「文脈おかしいよね!?」

 

 生徒会長はそう言うが、俺の中の論法では何もおかしくない。むしろ理路整然としすぎていて恐ろしくすらある。ここは決して引くことなく、断固として戦う時なのだ。

 

「比企谷」

 

 その俺を冷ややかな目線で見つめながら、渡辺先輩はもはや冷めてしまったはずの紅茶のカップをカチャリと置いた。その仕草一つで、彼女は場の空気を自分もとへと手繰り寄せてしまった。貫禄具合で言えば、七草会長よりも彼女のほうが生徒会長っぽいと思ったのは秘密である。

 

「いいから聞け」

「は、はひ」

 

 やっぱり怖いよこのお姉さん。

 そしてティッシュよりも柔く燃えやすく灰になりやすい俺の意思は、彼女の一言でくしゃりとまるまったのだった。

 

 

 

 


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