やはり俺の魔法はどこまでもチートである。   作:高槻克樹

8 / 17
入学編#5  思った以上に魔法科高校のエリートたちの心は折れやすい。

 

 

 光井、北山、明智のなんちゃって探偵少女チーム(ストーカー風味)に釘を刺した翌日。彼女らがどうしたのかはわからないが、とりあえず教室の空気は凍って()いなかった。

 荒んでいた。

 教室に足を踏み入れた瞬間、自分が猫背だということを改めて思い知るくらいには荒んでいた。それくらいの緊張感に煽られて、反射的に身体が伸びたのだ。身体がつりそう。このままだと胃痛がやってくる(というのも妙な表現だが、他に言いようがない)のも時間の問題だ。体調不良で帰っていいですか?

 教室が荒れているといっても、物理的には何一つ変わらない。いつものように、いつものごとく整理された机と端末が並ぶ教室だ。だがその中を漂う空気が痛い。寒さで感じる痛みではない。湿度がなくなり、触れたものを砂塵に帰すような乾いた痛みだ。

 その空気を発している根源は、言わずと知れた超絶ブラコン娘の今年度主席様である。

 もうこれからは司波深雪改め、司波タツヤスキーと名乗ったほうがいいのではないだろうか。

 どうしたものかと迷っていると、ふとそのタツヤスキーの近くにいた、北山と光井が気配を察してこちらを見た。

 あ。って顔した。

 なるほど。やはり原因はお前らか。了解。よし帰ろう。

 

「おはようございます、比企谷くん。教室に来られたばかりでどちらへ?」

「…………」

 

 踵を返そうとした瞬間、背中から声がかかる。いつものように静かで、凛とした、涼やかな声。だが抑揚がない。感情のこもらないマシンボイスのような響きだ。けれどその小さな呟きが、異様な凄みをもって教室内を包み込んだ。

 北山らが残念そうに首を振っている。いや、でも、え? 俺、アレの隣の席よ? あんなのに近づきたくない。今なら誰でもいいから替わってあげる。だから名乗りを上げてください。今すぐに。

 しかし悲しいかな。そんな猛者は誰一人現れる様子がない。

 見上げても天辺見えないほど高いプライドはどこに行った。今こそ発揮するべきだろう。え? まさか折れたのか? 普段、あれだけ「司波さん、司波さん」言ってるくせに。いざ自分に火の粉が降りかかりそうになったら逃げるとか、どんだけお前ら自分本位なのよ。

 いや、俺も人のことは言えんけども。

 そういう意味では、怖れ慄きながらも友人をなだめようと傍に踏みとどまっている北山と光井の根性は、喝采ものだろう。えらい。すごい。格好いい。その友情にしびれるあこがれる。だからそこのスキーさんを可及的速やかに何とかしてください、お願いします。

 

「雫、ほのか?」

「なんでもない、なんでもない」

「うん、私たちよりも比企谷くんのほうが詳しいかも」

 

 かっこいいと思っていた二人が、未来永劫裏切り者として許さない奴リストと恨み辛みノートへの記載が決まった瞬間だった。

 

「そう。では比企谷くん?」

「に、にゃんの、こと、でしゅ、か?」

 

 かみかみだった。だがそんな俺を笑う奴は一人もいなかった。当たり前だ、今声を出せば間違いなくタゲが出来る。タゲとはターゲットの略である。ネットスラングだが、主にゲームなどで使われることが多い。敵が攻撃するための標的にされるという意味だ。念のため。いやいや、そんな豆知識は今はどうでもいい。

 

「…………昨日、二人から事の次第を窺いました」

「あ、ああ、そう。それで?」

「それで? 具体的な情報を知りたいのですが?」

「…………?」

 

 おや? とそこで俺は一瞬冷静になった。

 

「兄貴のほうには言わなかったのか?」

 

 議題は司波達也が襲撃されたことなのは間違いない。だが昨日、カフェで北山らと話し終えた際の印象では、襲われた当人に相談しに行ったのだと思っていた。していないのだろうか。

 俺の問いは北山らに向けたものだったが、答えたのはスキーさんだった。

 

「二人が相談したのはお兄様ですが、その隣で私も聞きました」

「ん? ならもう知ってるんじゃないのか?」

「……いいえ。聞き始めて間もなく残念ながら生徒会の仕事が入り、途中から退席しました。ほのかと雫の三人でお話になられたので、私のほうでは全てを把握していません。お兄様はもう少し情報を整理したら共有するから、とお話しくださいませんでした」

「…………あ。そう」

 

 兄が襲われている事実だけは知り、けれどその事実を知った兄は至極冷静に情報収集と状況整理をすることに決め、それを待ちきれずにイライラうずうずしていたわけですね。このタツヤスキーめ。

 まぁ、お兄ちゃん大好きの妹からすれば、兄が襲われるかもしれない状況下で「そうですか」と流せるはずもない。気持ちはわからないでもないけど、ちょっとは兄を習って落ち着いてほしいものである。

 というちょっとした腹立たしさが口調に載ってしまった。

 

「ならいいんじゃないの? 別に」

「何が別にですか!」

「はひゃぁいいっ!」

 

 びっくりした。いきなり大声出さないでください。俺もつられて奇声あげっちゃったじゃないですか。

 

「す、すみません」

 

 だがさすがに今のはやりすぎたと思ったらしく、頬を赤らめながら頭を下げたスキーさんに、俺も言葉を選ぶべきだったと謝罪した。

 

「いや、俺もなんかすまん」

 

 そして付け加える。

 

「別に、司波がどうなってもいい、という意味で言ったんじゃないぞ?」

「え、ええ。それはわかってますが……」

「じゃ、どういう意味?」

 

 問いかけたのは北山だが、俺が少し無言で視線をやると、汗を垂らしながらそっと視線を逸らした。悪いことしたとは思っているらしい。

 

「教室で具体的な話の明言は避けるけど、昨日、お前らと明智のスト――三人組と話したことなんだろう?」

「それで合ってるけど、いま、何を言いかけたの?」

 

 気のせいだ。

 

「で、だ。その話を北山らから聞いた司波兄本人が、情報収集と状況整理する、って言うだけで済ませたんだろう?」

「そうですね」

 

 三人ともが頷くのを待ってから、俺は結論を告げた。

 

「なら、奴にとってはその程度ってことだ。助けを求めてきてるんならともかく、そうでないなら俺たちがあーだこーだいう必要はないってことなんじゃないの? 知らんけど」

「そ、それはそうなのかもしれないけど……」

「え? それで済む話なの?」

「確かにお兄様にとっては、些事かもしれませんが」

 

 反魔法士団体に狙われるという事態と、そのことへの対処に困惑する二人と違い、実妹のスキーさんは方向性が違う困り方をしていた。兄の力を信頼しているだけではこういう反応にはならない。

 断言するが、反魔法士団体に狙われることが些事などと言うことは絶対にない。

 つまり司波達也は、テロリスト――またはそれに近い反社会的な連中に狙われても対処できるだけの能力があるのか。それとも狙われても対処できるだけのバックがいるのか。または両方? まさか何も考えてない、なんてことはないはずだ。楽観視するとか奴のキャラに合ってないし。

 これが俺ならそうはいかない。みっともなく背を向けて、ゆきのん発動による逃げの一手だったに違いない。

 だが司波当人が言った通り、状況整理したいという気持ちもわからなくもない。

 風紀委員として行く先々で騒動に巻き込まれた上に、わざとかどうかもわからない混戦具合で魔法が撃たれていたという話だ。それをすべてエガリテ構成員の仕業と言い切れるほど、残念ながらこの学校は穏やかではない。司波達也という二科生が権力を行使できることへの反感は根強い。司波に攻撃を仕掛けた中には、おそらくエガリテと関係ない連中も相当数いたはずだ。

 部活勧誘期間中は気も休まらなかっただろう。可哀相にと思う反面、なんだかんだと文句を垂れながらも涼しい顔で躱し切った奴のスペックの高さには脱帽である。俺には真似できん。

 

「雫とほのかに聞いてもお兄様から口止めされているらしいので……」

「だから俺?」

「はい」

「……司波は共有すると言ってたんじゃないの?」

「ええ、お兄様は私に心配をかけまいと『大丈夫だ』と仰ってくださっているのですが……」

「深雪は達也さんが心配なだけなんだよね」

 

 神妙に頷くスキーさんの顔色が陰る。スキーさんのどんな表情でも美人で絵になる容貌は流石と言うべきかもしれないが、発する気配が棘だらけなことが多いので俺的には近寄りたくない人物トップスリーに入る相手なのだ。

 なのに席が隣とか、どんなハードモードだよ。

 

「お兄様の実力があれば、大抵のことは成し遂げてしまわれるでしょう。でもだからと言って、お兄様に負担がないわけではありません。謂れのない中傷や子供じみた悪意でどれほどの心労をため込まれているかと思うと……」

 

 当の本人はスキーさんが言うほどには気にしちゃいないと思うけどね。

 

「何か仰いました?」

「ひえ? にゃにも?」

 

 俺の声帯はどうしてこうも裏返る仕様なのだろうか。鋼の心臓が欲しい。

 

「風紀委員としてのお兄様のご活躍はとてもうれしいのですが、その名声を利用しようとする愚か者が現れたのではないかと心配なのです。そういった煩わしい害意に晒されて、お兄様が自棄を起こしにならなければいいのですが」

「いや、それは大丈夫だろ……」

「……そのこころは?」

 

 聞いてきたのは北山だったが、俺はスキーさんに向けて答えた。

 

「妹が心配してくれていることを知ってるのに、その妹の心配を蹴って無茶な真似はしないと思うぞ」

 

 無茶ではない範囲で行動は起こすかもしれんが。そこは無茶という線引きがどの程度かによる。司波達也のそれがどこにあるかなど俺が知る由もないので言及はしなかった。

 

「そうでしょうか?」

「随分と断言するんだね? 比企谷くんって達也さんと仲良かったっけ?」

「いや。仲は良くない」

 

 悪くもない。仲の良し悪しを語れるほど付き合いがないからな。

 

「けれど、シスコン同志だからわかることだってある」

「え? ……お兄様は、シスコンですか?」

 

 瞬間、スキーさんの表情から怒気が消えた。きょとんとこちらを見やる。そこで何故、妹が驚いた顔をするのか。いやいや奴はシスコンですよ。それもかなり重度の。

 

「間違いなくシスコンだ。シスコンはシスコンを察知する。間違いない」

「限定的なレーダーみたいですね」

「……そう言えば比企谷くんにも妹さんがいるんだっけ?」

 

 そう。小町を愛する俺にはわかる。司波は妹を溺愛している。

 

「愛して?」

「ああ、間違いない」

「そ、そうですか? お兄様が……私のことを? 愛して……周りの人に気づかれてしまうくらい、気持ちを向けていただいているなんて! そんな、お兄様ったら、私たち兄妹なのに! フフフフフ……」

 

 あれ? 荒野のごとく枯れ果てていた教室内の空気が、一気に保湿成分豊かなフローラルな香りに包まれましたよ?

 魔法は確かに物理法則を越える現象を生み出しはするが……どんな事象改変をすればこんな珍妙な事態になるんだ。事象干渉力が高いとかいう次元じゃない気がする。

 まぁあえて突っ込むまい。突っ込んだら負ける気がする。

 

「ナイス!」

「グッジョブ!」

 

 小声で賛辞を送り、親指立てている二人とは真逆に、俺から漏れ出たのは疲労のため息だけだ。

 

「はぁぁぁーー……もうホント、朝から疲れた。これでしばらくはスキーさんもおとなしくなるかね」

「スキーさん? 深雪のこと?」

 

 耳聡く俺の小さなボヤキを聞き取った北山が、きょとんと首をかしげる。

 

「…………俺が勝手に脳内で呼んでいるだけだ。兄貴の方と呼び分け面倒だから?」

「スキー?」

「ああ、深『雪』だから? あれ? でもそれだと『スノー』が正しいんじゃ……」

「いや、司波タツヤスキーの略」

「「ぶふぅっ!!」」

 

 おーい、そこの仲良し二人組。噴き出しているところ悪いけど、本人には言わないでね。

 まぁいらぬ心配か。

 いまだトリップしたまま自分の身体を抱きしめ「いやんいやん」しているブラコン娘が聞いているとも思えない。その隣で笑いをこらえて声を押し殺している友人二人という奇妙な空間を背に、俺は持ち前のステルスモードを発揮してこっそりと教室を出た。

 もうすぐ授業が始まる。だが今、大事なのは俺の心の安寧だ。このままだと授業を受けてもきっと集中できないに違いない。集中力を回復させるためにも、今は休息が必要だ。効率を求めるため、より俺の学習能力を上げるために、今は羽根を休める時なのだ。

 保健室――は、先生がいるからカフェに行くかな。

 甘いものが飲みたい。

 ならば俺が求めるものは一つだけだった。

 

 

   ***

 

 

 チャイムの音で意識を取り戻す。

 時計を見ると……おや? いつの間にか放課後に突入してましたよ?

 時間が経つのは早いね。うん。まぁ、過ぎてしまったものは仕方がない。この学校は単位制だから、一度や二度のさぼりでどうにかなったりはしない。だが癖になるとやばいので、そこだけは気を付ける様にしよう。

 さて過ぎ去ったことは記憶の彼方へと放り投げ、俺は眠る前にしていた試行を再開することにした。

 朝、教室を去った俺が求めたのは、俺が至福に浸ることが出来る至高の飲料水――その名もMAXコーヒーだ。

 缶コーヒーであるが故に、略してマッ缶と呼ばれる俺のソウルドリンク。生まれ故郷である千葉ではよく見かけたのだが、魔法科高校進学にあたって東京に住むことになった結果、全く手に入らなくなった。

 余談だが、MAXコーヒーをペットボトルで飲むのは俺の中では邪道である。

 これまで日常的に手に入った嗜好品(例えばおやつとかでもいい)が、急に手に入れられなくなることへの寂寥感とでもいうのか。口が寂しいとでもいうのか。これも一種の依存症かもしれない。

 飲みたいけれど飲めないことへのもどかしさを募らせていた上に、急に生徒会に入れと言われたのが数日前。入学したてで慣れない学業に加えて、慣れない仕事をさせられる毎日は、地味にストレスになっていたらしい。そして今朝の司波深雪の圧力でちょっと我慢が出来なくなった――というのは、コーヒーに角砂糖を十個ほど投入してミルクと混ぜて飲んだ、すでに液体ですらなくなりかけているそれを口にした瞬間にわかったことだ。

 味はマッ缶とは程遠い。当然だ。元となるコーヒーがまず違う。コーヒーに入れるミルクだって全く別物だ。もとよりマッ缶の甘みは練乳によるものだ。ここのカフェのオリジナルブレンドだっておいしくないわけではないのだろうが、比較にならない。

 どちらが上か下かではない。この場合、分野が違うのだ。

 だから俺の手にあるカップの中には、ただ甘いことだけが共通する飲み物が、俺の息に当てられて波紋を立てている。

 もう一口。匂いを嗅ぐだけでもむせ返るような甘みは、もうコーヒーのものではなくただ砂糖のものだ。けれど何故か、それが妙に心を波打つ。ちょっと舌に砂利感は残るが、まぁ我慢だ。

 思った以上に深い溜息がついて出た。それは決して味が異なることの残念感ではなく、確かな安心感からきたものだ。

 脳髄を殴りつけるような痛みを伴う甘さが身体を駆け抜ける。そうしてようやくほっと一息つくことが出来たことが何よりの証拠ではないだろうか。

 うむ。落ち着けたのはラッキーだったかもしれないが、これはやばい。家ではやっちゃ駄目なやばさだ。何がやばいって、糖分過多で健康に悪いことこの上ない飲み方だ。小町に知られたら絶対に怒られる。

 しかし、マッ缶の代用品がない現状、この甘味を果たして見逃していいものだろうか。

 一高のカフェのオリジナルブレンドコーヒーに角砂糖十個とミルクを少々。それが今回の配合だ。今度、自前の練乳持ち込んでみるかな。砂糖も別メーカーのものを試してみる必要がある。

 ベストではないまでもベターバランスを模索するのに努力を惜しんではいけない。俺の心を少しだけ故郷の地に戻してくれる清涼飲料水になるに違いないのだから。とは言え、ばれたら間違いなく怒られるので、こっそりと、端っこで、ステルスモード状態で実験するとしよう。

 うむ。学校に一つ、癒しの時が生まれた瞬間だった。

 俺は確かに甘い物が好きで、マッ缶を至高としているが、別段、市販のコーヒーが嫌いなわけではないのだ。

 ただこってりしたとんこつラーメンが食べたいと一度でも思った瞬間、口がそれしか受け付けなくなるように。

 マッ缶を飲みたいと思ったら飲みたくなる、それが飲めないとイライラする。そういう不思議な魔力を持った飲み物なのである。

 それをわずかにごまかすための一時しのぎ。自分をだましていると分かってはいるが、代替策が見つからない現時点では我慢するしかない。

 衝動的に生まれた欲求に従って自販機でマッ缶を買い、忙殺される日々の隙間にわずかな憩いを得る。それがまた甘さを引き立てくれる。だからあえて自販機で買いたいという妙なこだわりがあった。

 それが出来ないまでもコンビニや喫茶店などにないか方々を捜してみたのだが、結果として全滅している現状である。

 ……あまり好きではないのだけれど通販でもするかな、そのほうがいい気がしてきた。

 

 閑話休題。

 

 さてそんな改造コーヒーを試行錯誤していた俺に気づかず、カフェに入ってきたのは司波達也だった。その隣に女生徒がいる。見知らぬ人だった。妹ではない。

 二人に気づかれないよう、二人の会話に耳を傾ける。だって聞こえるんだもの。俺は悪くない。

 会話は風紀委員として庇ってくれた司波へのお礼から始まり。

 次に風紀委員への皮肉につながり。

 何故か司波を剣道部に勧誘する話へと流れ。

 最後は一科生を優遇し二科生を冷遇する学校側の批判になった。要約すると

 

「魔法上手く使えないからと、冷遇されるのも、侮られるのも、否定されるのもいやだ」

 

 ってことらしい。非魔法競技系クラブで連帯を取り、同士を集めて学校側に直訴する――と。

 つまり魔法科高校に入学した一科生が優越感に浸り二科生を見下し蔑み、否定された二科生が劣等感に溺れ不平不満を口にする――呆れるくらいにあり触れた淀みが日常と化している、その中の一幕と言うことだ。

 結局そこにまた巻き込まれているあたり、司波のトラブル吸引力も関心を通り越して恐ろしくすらある。

 司波がすげなく断りを入れたせいで会話はさらっと終わったようだったが、残された女子の言動が気になった。

 他者を侮り、蔑み、馬鹿にしたり、罵ったり、ないがしろにする。

 それは確かに、この学校のそこかしこに存在する。

 優遇されていないことと、冷遇されていることは同義ではないが、それを冷静に分別できるほどに生徒が大人であるなら、この学校の空気はここまで淀まなかったはずだ。

 魔法科高校に入学を許されたエリートであり、その教育を受け期待をかけられている一科生。だからこそ己が上位者であるという驕りを抱き、対してその驕りから生まれる侮辱を受け入れ納得し諦めつつある二科の風潮。

 見下し、見下されるという異常が正常であるかのような空気の流れ。

 それを嫌だ、変えたい、どうにかしたい、と考える彼女の言い分は、至極まっとうな感情から生まれたものなんだろうが、俺からすれば面と向かっていじめになっていないだけ、侮蔑なんてものはあってないようなものだ。

 だって、実質被害なんてないんだもの。

 そこは腐ってもエリート。渡辺先輩に聞いても、直接的な暴力やら粘着質ないじめを行うほど頭が悪い奴はいないらしい。部活勧誘期間中の司波への攻撃は、魔法使用許可が下りていたからこその無法だったというわけだ。

 となればやはり、昨日北山らに聞いた司波への攻撃行為は、一科と二科の諍いとは別の問題を孕んでいそうであるのだが、そうとなればそれこそ取れる手段は限られる。

 いじめはないのだ。だから妬み嫉み陰口程度はただのBGMでしかない。初日の――実はクラスメイトだということが最近発覚した――森……なんとかという中二病患者のように絡んできたところで、それが学業に影響するか、と言えば、まったくもってそんなことはないのだった。

 繰り返すが、表立っていじめはない。この場合、表とは実体的な話であり、隠れてやっているとかそういう意味ではない。いや、俺が知らんだけで実はいるのかもしれないが、とりあえずそれは脇に置くとする。

 実体がないからこそ根深い問題なのだろう。七草会長が気に病むのも無理はない。明確な敵が、具体的に行動を起こしてくれていれば対処はしやすいが、そうでないから手を出すのをこまねいているのだ。

 俺が一高を取り巻く現状を再認識している間に、司波と話していた女生徒――見たところ二科生の先輩――には、司波から問いかけがあったようだった。

 

 曰く「学校側に不満を伝えてどうするのか?」――と。

 

 まぁその疑問は当然のものだとは思う。

 あまり司波を擁護する気も味方する気もないが、学校側に不満を訴えたいから協力してくれ、と言われたら、じゃあその訴えた後はどうするのか? という疑問に至るのは自然な流れだ。

 疑問だけ残して、彼女の答えを待たずに司波は席を立った。それきり戻ることもなかった。司波を見送り、席に座ったまま俯く先輩の後ろ姿が妙に寂しさを感じさせる。

 可哀そうとは思わなかったが、司波の取った態度を少し冷たいと思ったのも事実だ。

 会話を知らない者が見れば、司波が彼女を振った、様にも見える光景に違いない。明日噂になってるといいな。そして妹に嫉妬されるがいい。ククク……。

 渡辺先輩にちくっとこう。

 

「ほい。メール送信」

 

 奴の取った対応が冷淡なのか淡泊なのかはさておくとして、司波に振られた彼女の行動を気づかれないようにトレースする。別にストーカーしたいわけではない。本当に。

 彼女が望んでいるものに興味が――というよりは、彼女にそういう思考を抱かせた魔法科高校の現状に、俺自身が居心地の悪さを感じているからだ。

 彼女はどうしたいのだろうか。

 言葉から察するに、彼女は蔑まれたくないのだ。見下されたくないのだ。無視されたくないのだ。それはつまり、ちゃんと自分を見てほしいという他者への訴えに他ならない。

 だからどうしたいのか? と聞かれたら不満を訴えたい、というのが先に出てしまう。「〇〇〇してほしい」「〇〇〇してほしくない」ばかりが意識にあって、自分がどうしたいのかが実体としてないような印象だ。

 それを瞬間で見抜いて、世辞でごまかしながら――それでごまかせるのは司波がイケメンだからだが――彼女自身の願望に水を向けた司波の手腕は大したものだった。

 結局、本題に対して司波は自身の意見を保留にしている。

 それは彼女が司波の問いかけに答えを返したときに口にするのかもしれないが、それ以前に、彼女は答えを返せるのだろうか。

 きれいに飾っただけの見せかけだけでなく、当たり障りのない建前でもない。

 彼女の本音、願望、その先に結ばれるはずの自身の理想像。そこへたどり着くために必要なもの。それが学校側へ抱く不満と関わりがないことに、気づくのだろうか。

 

 無理かもしれない、という予感があった。

 

 彼女の周りにある空気は、一高内を漂うものと同じ。そしてそれは、かつての俺が通った道だ。周囲に拒絶され、独りぼっちを強要された俺が味わった空気だ。

 魔法科高校に入学し、二科生になるまでは『エリート』だった彼女らは、高校生になってようやく挫折した。

 だから耐性がなく、だから折れやすいのかもしれない。

 それがこの高校を歪ませているのか、という結論を得るには、けれどなんだか様子がおかしい気がした。

 折れ方が、みんな同じように見えるというのはあまりに気持ち悪い現象だ。

 

結衣(ゆい)?」

 

 CADは必要ない。名を呼び発動する『雪乃』とは別の魔法。

 彼女――壬生紗耶香という名の先輩の、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、その所属がエガリテとなっていた。エガリテ? しかし彼女はリストバンドをしていない。ブラフだろうか? 

 いやそれより彼女の精神状態の項目が「催眠」と「混乱」になっているほうが重要だ。

 

 …………汚染されている?

 

 気づけば、一高には、同じステータスの人間がごろごろしていた。連中も例外なく所属がエガリテになっている。

 精神が汚染――それはつまり()()()()()()()()()ということだ。

 思った以上に、状況はひっ迫しているのかもしれない。

 

 ここはいったい、どこの魔界村ですか?

 

 

 




お読みいただきありがとうございます。
進みは遅いですが、ようやく魔法科高校入学編後編へ合流。
八幡主体なので、八幡いないところで活躍する魔法科メンバー側の様相が書けないのが一人称の難しさだと痛感しております。
次回は「やはり比企谷八幡の魔法はどこまでもチートである(そのに)」
をお送りします。
次回もよろしくお願いします。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。