タイトルは適当だけれど、つまりは『陰 陽』
時事ネタについてだったり、ただの創作だったり。徒然なるままに。
物事には何事にも陰と陽――光の部分と影の部分が存在する。
ああ、陽の部分はそれはもう楽しげに語られる。如何に其れが良いものか。如何に素敵であったか。如何に楽しかったか。光を受け取る立場の者はさも嬉しそうに語る。
――影を無視して。
人間というのは一度欲に目が眩むと其の物の光にしか目が行かず、影に気付くことはない。いや、正確に言うならば――気付いて尚、無視をするのである。目先の利、目先の楽しみを取るために。刹那的に、衝動的に。影を見て見ぬふりしてただ光だけを受け取る。
「こんな仮装してみた! ほら、見てみてー!!」
「おお、めっちゃ似合ってんじゃん(笑)」
「お前ら滅茶苦茶気合入ってんな(笑)。 それじゃあ今日は楽しむぞー!」
「「「おー!!!」」」
光は踊る。光は歌う。光は酔う。
自らを光であると認識しているナニカタチは、その夜を確かに充実させるのである。
そうして光タチは踊り疲れて散っていき。そして影が残る。
「ああ、また紙くずが……」
「細かい布切れだらけで拾うのが大変だよ」
「今年もきったねぇな」
未来ある子、子を見守る者。大小の影は光の後始末に走る。走る。
ある所では光が酔っ払って吐いた嘔吐物の処理を。
光の残滓として残った紙コップを。
闇を気取るために消費した資源を。
ひたすらに影は動く。光が過ぎ去った後を埋めるため。暴走した陽によるマイナスをゼロにするため。
動く。働く。
そうして影で働く者を、光タチはいつも馬鹿にする。
『そんな真面目ぶっちゃって』『そんなにいい子ぶっちゃって』
『『楽しんだもん勝ちなのに』』
『『馬鹿みたい』』
自分は今を生きている。
自分たちは今楽しむべきなのである。
光タチは笑う。鏡を見ずに笑う。光モドキなのに、自らを光と認識して笑う。
勘違いした光モドキは鏡を見ぬから気づかない。
鏡を見ても気付かない。
光モドキは前しか見えぬ。よってひたすらひたすら、周りに釣られて前に進むのみ。
何も考えず。何も躊躇せず。何も理解せず。
愚かな草食動物のように、本能のままただただ前へと進む。
横は見えない。考えないためである。
後ろも見ない。面倒だからである。
ああ、未来は明るい明るい。こんなに自らを光だと思えるのだ。こんなにも自らを正しいと思えるのだ。嘸かしそれは有望なのだろう。刹那の快楽を求め影を苦しめるソレは、光モドキタチからすれば間違いなく正義なのであるからして。
ああ、未来は明るい明るい。例え本当の光が光モドキに汚染されてしまっても。光を見守るものが絶望しても。だーれもだーれも気付かない。何故なら影は光に隠れてしまうから。影を見られるのは同じ影だけ。だけれど愚かな光モドキはそれを勝手に隠してしまう。なんと自己を護ることに長けた生き物なのだろう。
ああ、ああ。若者たちの街は、まさにヒカリ輝いていた。
金メッキの塗料が、水晶を。原石を。塗りつぶす。
偽物の金塊は一体となって金メッキをぶつけてはしゃぐ。
『一緒に金塊になろうよ』
『そっちのほうがもっと楽しいよ』
『さあ、みんなで」
『トリック・オア・トリート!』
10月31日。ハロウィン。
便乗を嫌う者は言う。
『元々は古代ケルトの儀式だろ? もう完全にただのイベントになっているじゃないか。価値を感じない』
とある日陰者は言う。
『ああいうのって所詮リア充のお遊び。頭悪い奴らがキャイキャイ騒いでいるだけだよ』
またもう一人、気取った者は言う。
『古代ケルトでは動物たちを犠牲にして死者の霊を祀っていたのだ。今ではその伝統は消え、ただ都合のいいように解釈された「トリック・オア・トリート」が残るだけ。資本家に騙され消費が増える、犠牲のないありがたーい行事さ。彼らにとってはね』
人の考えは十人十色。よってモノの考え方も十人十色。
しかし。ただ一つ。
ハロウィーンを祝う光モドキ達。彼らは確かに儀式を行っている。そう、ナニカを祀っているのだ。
影という犠牲を、後払いにして。
いやあ、息をするように道を汚すモンスターの仮装をしたヒトがが至る所にいるいる。最近の仮装のクオリティは凄いね!