そこにあるのはいつでもそれだけだ。
だからこそ、今、君はその場に立っているんだろう?
まさか首が切断されたとは思わなくて、気づくには少し時間がかかった。
痛みがなかったわけではないけれど、それよりも視界がぶれて自分の体を下から見る事態になったことに驚き、頭が回らなかった。物理的にはもちろん回ったけど。
死なないとはいえ、首を切断されたら流石に不味いと焦ったが、肉体の大部分の方から自然回復するようなので問題はないようだ。
「それにしても、急に酷いな。まだ何もしてないのに切りかかるなんて」
頭はまだ直っている途中なので、体で視覚を使うイメージを思い浮かべながら辺りをもう一度見まわす。
ピンク掛かっただだっ広く何もない空間。
そのほぼ中心に、骨で作られた牢屋がある。
蔦のように複雑に絡み合った大小様々な骨の隙間から、虚ろな目で虚空を眺める青葉の姿が見えた。外から見た時と変わらぬ見た目だったからすぐにわかったけれど、体に付着している血液がなかったら判別できなかったかもしれない。
その横にいたのは黄土色の短髪に紅い瞳をした、薄汚い服を着ている青年。
骨を所有していた者の意識に入り込んだおかげで、今の自分は全てを理解していた。
紅目をした青年の名前は紅葉。
閉じ込められている少女・・・青葉の兄だ。
「まだ一言も自己紹介をしていないのに、俺や青葉の名前や境遇を知っている怪しい人物である以上、先手必勝だとは思わないか」
「それもそうだ。変な質問を投げかけて悪い」
紅葉は、自分が再生している様子もそうだが、こうも敵意無しで会話していること自体がおかしいことだと思っているのか、明らかに困惑している様子だった。
確かに、『干渉』は記憶や能力の『鑑賞』も兼ねることが出来るとは一言も言ってないから、困惑するのも無理はないとは思うけれど。
「お前は・・・なんだ?」
そういえば、自分が呪木だとすら言ってなかった。
それだったら能力も知らないから驚くのは当たり前だったか。
「『絶望の木』・・・って言ったらいいのか・・・。それとも、お前をその姿にした奴の複製物と言えばいいか・・・?」
「・・・なるほど、納得した」
頭がいい人物で良かったと、ほっと息をなでおろす。
幾度となく説明するのは面倒だから、みんなこれぐらい察しが良ければいいんだけれど・・・。
「お前は、俺に渡した力を取り返しに来たんだな!」
「いや、ちが・・・! ―――いや、合ってる」
そう言われるとそうだとしか言えない。
与えたのが本体だとしたら、自分は取り返しに来たというより奪いに来たと言った方が正しいだろうけれど、血走った眼をしている紅葉は聞き入れてくれそうにない。
でも、無益な争いはしたくない。
死にはしないけれど、怪我したら痛いし、戦い方なんて未だよくわからない。
説得出来たらいいんだけど・・・。
「紅葉、お前が扱っているその力は多くの人を傷つける絶望そのものだ。その力を使うことを止めろ」
「止めろ? ハッ、笑わせるな! この力が無かったら、今頃青葉はこの世にいるかどうかすら分からなかった。自分が死んだことでようやく完璧に青葉を守れる力とこの『揺り籠』を手に入れたんだ。止める必要なんてどこにもない!」
「『揺り籠』か。自分には自由を奪う監獄のようにしか見えないけれど」
「戯言だな」
そういって、紅葉は骨で出来た檻に手を触れた。
きっとそれは、青葉を誰からも触らせず、傷つけられないように作ったもので、彼女を守り抜くために大切に閉じ込めたのだろう。
紅葉の言葉を流用して言うなら、それは『揺り籠』と呼ぶべきなのかもしれない。でもそれは、どこからどう見ても囚人を閉じ込める檻のようにしか見えない。
「見た目が歪でそうにしか見えないところは難点だけど、『揺り籠』は俺の本体と言っても過言ではない。何があろうと絶対に安全だ。俺が誰にも手を出させない」
「なるほど。それ程までにその牢獄は安全だ。と」
それは悪意や殺意など意図的なものが向けられた時の場合だけじゃないのか?
「過信しすぎだ。自分が撃った弾丸が逸れなかったら、青葉は即死している」
「敵意を向けずに攻撃してくる存在なら、見た目で把握できる! だが、お前は何だ!? 見た目はどこからどう見ても人間の癖に、中身は化け物か!?」
「化け物・・・なんて、そんな枠にはまるような存在じゃない。自分のことを何かに例えるとするなら『人でなし』か『樹木』だろう」
結局二度も同じことを言う羽目になった。
皆一様に化け物呼ばわりするけれど、自分が化け物呼ばわりされるのは、化け物に対して申し訳なく思う。
そもそも、生態系の頂点のコピーみたいなものだから、獣などの化け物とは比べ物にならないのだから。
「どうしても、力を手放す気にならない?」
「誰が何を言おうとも、俺は青葉を守ることを止めない。お前が呪いの木であったとしても」
「じゃあ、青葉がもういいって言ってもか?」
「・・・そんなこと」
少し考えて頭を振った紅葉の顔は一向に変わる気配が無い。
「何と言われても、陰から守り続けるに決まっている!」
「だったら、それはただのエゴイズムじゃないのか」
拘束して、自由を奪ったら幸せだと言えるのか?
幸せを得るためになら、あらゆるものを犠牲にすべきなのか?
―――自分は嫌だ。
幸せを語ることができない自分でも、何が嫌なのかは言える。
こんな不自由な骨の蔦に閉じ込められ、外を眺めるだけしか出来ないなんて・・・。
守っている側が守るものを蝕んでいるのと大差ない。
苦しみも傷つくことも、そして絶望するだってきっとあるだろう。
自分は物だけど、人は物ではないのだから。
「俺が何と言われようがどうだっていい。青葉の幸せを邪魔する者は皆排除する。ただそれだけだ。」
「交渉決裂か・・・仕方がない」
紅葉を先頭不能にさせるまで、戦うしかないだろう。
目の前にいる紅葉は精神体だろうから、攻撃は当たらないかもしれないけど、それでも弱点はあるはず。
「お前、どこから剣を・・・!」
「いや、ここに来るまでに邪魔してきた人がいたから、そいつから貰った」
「そんな事を聞いたんじゃない!」
正確に言ったら奪ったということになるんだろうけど、それはどうてもいいか。
それより、自分が紅葉が聞きたかったこととは見当違いの答えを返してしまったことが少し嫌だった。
呪木と同じようなところが自分にもあるんだと暗に認めているようで、無性に腹立たしくなってくる。
「どこから剣を取り出したか、だろ。
「ッ!?」
威嚇するように言ったのが効果的だったのか、紅葉は少しひるんだ。
体内に収納したらあまり邪魔にはならないのだけれど、とにかく痛い。入っている部分に焼き鏝を当て続けられているような感覚で気持ち悪かった。
そのまま戦意喪失してくれたらよかったのだけれど、大きく深呼吸した紅葉は手のひらから鋭く尖った骨を生やす。
仕方がない、戦おう。
シャランと小気味のいい音を立てる剣は、突っかかることなく鞘から抜ける。
軽く装飾が施された白銀の剣。曇り一つないその輝きは、業物であるかと思わせる。
放り投げて岩に突き刺さる程度に切れ味があるのだから、おそらく業物だろうけど。
「どうした、仕掛けに来ないのか?」
「戦う気はない」
「よく言うな。それなら、こちらから行くぞ!」
いきなり、回復したばかりの首を狙われた。
そのまま、もう片方の骨は足元を狙ってくる。
「う・・・っ!」
咢の記憶にある師の動きを見よう見まねで行い、どうにか弾く。
そのまま、五版の記憶にある一等の速走術を再現させるように走り、追撃をどうにか凌いでいく。
「逃げるな! 逃げるぐらいなら出ていけ!」
「出ていくときはその絶望を奪ってからだ!」
一向に攻撃が当たらなくなったことに焦りが出てきたのか、紅葉の攻撃にばらつきが出てきた。
―――今だ!
隙が生まれたタイミングで紅葉へと剣を投げる。
「くっ・・・!?」
咄嗟に避けようと動いた紅葉は、それを思いとどまって自ら飛んでくる剣に向かう。
だが、その体を無視するかのように
賭けではあったけれど、狙い通り『揺り籠』へ『飛翔』させて当てられたおかげで、剣で切れる程度にはあの骨が脆いとわかった。
・・・まあ、武器が無くなった自分に反撃を避けるすべはないのだが。
剣を投げ、体制を整えようとしたところで、左肩から先を切り落とされた。
ずっと切り裂かれ続けたらひとたまりもないと感じて右足を後ろに下げ・・・。
「うわっ・・・!」
右足はそのまま空を切り、後ろに倒れこむ。
胴体狙って突いたであろう骨が、頭上を通り過ぎた。さすがにここで串刺しはよろしくない。
そして、右足もいつの間にか切断されていたようだ。今になってズキズキと痛みが回ってくる。
「どうした、俺に向かって剣を投げて、それで終わりか? 終わりならそのまま分解してやるよ」
「そういえば、自分の力のことを言ってないなと思っていた」
「・・・?」
なに言ってんだこいつと言いたそうな顔で紅葉は自分を見つめている。どうにか時間を稼げるか・・・?
「自分は、そうだな・・・人で例えるならものまね師みたいなものかな」
「何が言いたい?」
「ここに来る前に邪魔してきた人がいた。そのうちの一人が『ブーメラン』って力を持っていた」
ブーメランとは、投げたら手元に戻ってくる投擲武器である。
そして『ブーメラン』の力はそこから派生した、『一度触れたものは、どのような場所にあったとしても、絶対に手元に戻ってくる』力だ。
「だから、こういった使い方もできる!」
右手に握りしめていた鞘を適当に投げ飛ばす。
『飛翔』させた鞘はそのまま訳が分からない動きをしながら、紅葉へと迫る。
「うっ・・・」
とっさに体を庇い、バランスを崩したその隙に、投げていた剣と鞘を『ブーメラン』で回収し、『再生』で辛うじて形になっている左手と右手で即座に剣を鞘に収納する。
そのタイミングと同時に『居合』の力が発動し、青葉に纏わりついていた骨が全て切り払われた。
「なっ・・・!!」
これで、紅葉の本体と思われる『揺り籠』は無くなった。
咢の『居合』、五版の『飛翔』、そして『ブーメラン』。
この三つの力が無かったら、青葉を閉じ込める『揺り籠』を壊すことは決してできなかっただろう。
「よくも・・・! 大切な『揺り籠』を壊してくれたな!!」
「・・・?」
あれ・・・?
おかしい、どうして紅葉は平然と怒っていられるんだ・・・?
混乱した頭を一度整理しようと、瞳を閉じ・・・。
ている場合では―――
「う、ぐ・・・!」
察した時にはもう遅かった。
外にいた時と同じように、四肢と胴体を貫かれ、紅葉のもとへと引きずられる。
「急に動きを止めた理由は何だ? ふざけているのか?」
手を伸ばせば届きそうな位置に吊りあげられた状態で止められた自分へと、紅葉は悪態をつく。
いやいや、ふざけているつもりは全くないんだけど・・・。
「本体はその檻じゃないのか・・・」
「そういうことか。わざわざ狙うなんておかしな奴だと思ったよ」
自分の事を馬鹿にしているみたいだけれど、紅葉の顔は一切笑ってない。
馬鹿にしてきた人たちはいつも笑っていたのに、珍しいこともあるものだ。
「全部知っているんだろ? それならわかるはずだ。俺に
・・・ちょっと待て。今、紅葉は何と言った?
紅葉の魂は青葉と共にあるのではなく、体に宿っているとするなら。
それは―――
「青葉が死んだとしても、紅葉は取り残されるのか・・・?」
「青葉が死ぬ時は天寿を全うした時だけだ。俺はそれまで彼女の幸せを守る。命尽きたとしたなら、その体を狙う者を始末する。それで十分だ」
なんだ、それは・・・。
そんなの・・・。
「そんなの・・・。決して救われることのない望みじゃないか・・・!」
この時、自分は今までに味わったことが無い感覚を受けた。
紅葉はこれからもずっと青葉を守り続けるだろう。
だが、それは青葉の意志に関係なく、そもそも認知していない可能性すらある。
誰にも知られないまま、ただ一人を守る。
自ら滅びることはできず、その場所に居座り続ける。
紅葉はこれからも青葉を守り続けることだろう。
たとえ青葉が死に、その肉体が朽ち果てようとも、青葉であった『モノ』を。
―――永遠に。
そうか、これが絶望なのか。
やり場のない、苦しみの濁流。
それが体の奥底から溢れ出し、体を一瞬にして飲み込むような感覚。
体は水に浸かっているかのように重くなり、思考は微睡に呑まれたかと勘違いしてしまうほど愚鈍になる。
やはり無理だ。
自分には二人を救うすべがない。
青葉を救うことが出来ても、紅葉を殺すことになる。
紅葉を救うのなら、何もせずにここから出ていくしかない。
でも、どちらを選ぶにしろ、残された方はどう生きていくのだろうか。
・・・少なくとも、幸せな道を歩むことはできないだろう。
自分なら何の問題もないのだ。
どちらの選択肢を選んでもかまわない。
―――でも、二人はそういうわけにはいかない。
恨みを買われるのは慣れていた。
怒りをぶつけられることもなんてことはない。
だけど、絶望されてしまったらどうしようもなかった。
絶望に溺れた者を掬い上げる事なんて、自分にはできない。
絶望から生み出された存在に、そんな器用な真似をどうやれというのか・・・。
だから、どちらかだ。
自分が救えるのはたった一人だけ。
残された一人は永遠に、絶望の底へと落とされたままとなってしまう。
それなら・・・自分は・・・・。
(「―――お願い、助けて」)
青葉・・・?
少女の助けを求める声が聞こえた。
そうか、苦しみを知らずに生きてきたのなら、今のこの状態はとても大変な・・・。
(「お兄ちゃんを助けて・・・!」)
「・・・ッ!!」
・・・なんて、安直な考えだったんだろう。
この世界に生まれて苦しみを知らずに生きていくなんて、どう考えても不可能なことは、呪木にさんざん教えられただろう!
そうだ。こんな事、自分が知らないだけで三百年前もきっと起こっていた。
でも、今は違う。どれほど善悪が二極化されていても、この世界では、結局どちらも最終的には絶望に行きつく。そういう風に作られてしまった。
どちらを救ったとしても、どちらを見捨てたとしても、自分は何も気にすることはない。前世も今も絶望に苛まれないといけないとしても、別に構わない。
自分は壊れているから、人間じゃなくなったから、それは全く問題ない。
だけど幸せだった人が絶望に叩き落され、死ぬまで永遠に苦しみ続けるのは、ダメだと思う。
誰かが幸せを得るには、誰かが苦しまなければならないなら。
大勢を幸せにするには犠牲者がいるというならば。
自分がその犠牲者になろう。
絶望を知らない自分でも、希望を持つ人たちの幸せを願うことぐらいしてもいいだろう?
ああ、そうだ。
自分は
二人が幸せに生きていける世界を見たい。
出来る事なら二人とも無事に救いたい。
―――でも、自分にそんな力はない。
呪木という、この世界の頂点に立つ存在の複製であったとしても。
万能とも呼べる超常的な力を持ってさえも。
その力の殆どが、絶望を作り出すことしかできないのだから。
・・・青葉の言葉を聞いて、どちらを救うか決めた。
自分がやりたいことができない世界なら、絶望に道を塞がれ希望が途絶えてしまったら、出来ることなんて限られている。
自分は絶望に負けない。
だから、
「紅葉、自分はどうするか決めた」
「・・・なんだ? 出ていく気になったか?」
「いいや、違う。
「なに・・・?」
「お前を絶望から救うって決めた」
「は・・・?」
「青葉には・・・、悪いけれどこの世界で生きて、
「ふざけるな! そんなことはさせないって言ってるだろうが!」
「それは、紅葉じゃないといけないのか?」
「な、に・・・?」
「代わりに紅葉には悪いけれど、青葉は自分が守る」
「はぁ!!? お前のような化け物に・・・!」
お前を預けられるか! と続くはずであろう言葉は途中で止まった。
続きを言おうとしていた紅葉の顔は悲愴なものに変わっていた。
「いや、人のことは言えないか。俺だってもう十分に化け物だ。・・・だが、断る!」
それでも、歯を食いしばって紅葉はそう答える。
自分が死者であるということ。青葉の自我を拘束していること。そして、幸せを永遠に与えることができないと知っていてもなお、紅葉は決して諦めることをしようとしなかった。
「俺のことはどうだっていいんだ! 青葉をこの世界に残すわけにはいかない! 彼女を絶望させたくない!!」
「何と言われようとこれが自分にできる最善だ」
「そんな最善なんて、認められるか!」
絶望を与えないために停滞を選んだ紅葉の絶望は、自分のようなものでは決して計り知りえることは無い。
それでも、永遠に苦しむ必要なんてあっていいはずがない。
「―――その苦痛は、消しようがない絶望は自分が戴く。だから・・・どうかもう休んで欲しい」
四肢を貫かれていようがもう関係ない。『大噛み』の高速移動を使った。
全身を引き裂かれるような感覚に意識が遠のきそうになるけれど、反応できていない紅葉に近づき、ギュッとその体を抱きしめた。
「おま・・・! 何をする!」
「さっき、言った、通りだ。お前の、絶望を、戴く!」
荒くなった息を吐き出しながら、紅葉の問いに答える。
紅葉の魂がそのまま人の形で表れているのなら、その人型を吸収してしまえば、紅葉はこの世から消滅する。
だから、こうやって自分の体の殆どを根のようにして、ヒトデが餌を呑むように紅葉を取り込んでいるのだ。
「は、ははっ! そんなのって、無しだろ・・・」
骨を使って自分の体を引き裂き、脱出を試みようとしていた紅葉は、段々と自分に力が移動して力を出せなくなっていた。
せめて最後に、別れの挨拶をして欲しい。
目を閉じる。
そのまま頭の中で、祈るように両手を合わせた。
崩れていく・・・。
壊れていく・・・。
青葉のために作った『揺り籠』も、あっけなく壊されてしまった・・・。
これでは、青葉を助けられない。
青葉を守ってあげられない。
―――結局、幸せになるまで守ってやれなかった。
「そんなことないよ、お兄ちゃん」
「青葉・・・?」
気づいたらいつもの帰り道、青葉の手を握って歩いていた。
いつの間に、この手はこんなに大きくなっていたのか。
声が聞こえてくる距離は、こんなに近かったのか。
もう、全てが曖昧に感じてしまう。
「ごめんな、俺がずっと守ってやるって約束、どうにも果たせそうにない」
なんて罵られてもおかしくはない。
寧ろ罵って欲しい。こんな不甲斐ない兄だから、青葉は幸せを掴めなかったのだから。
「そんなことない!」
「青葉・・・」
「ずっとわたしの傍に居てくれた。わたしの事をいつも守ってくれた。それだけでわたしは救われたんだよ」
そんなこと・・・。
俺は一生を賭けて懸命に青葉を守ろうと・・・。
「ありがとう、お兄ちゃん。私はもう十分幸せだから・・・っ!」
ああ、ここまで言われてしまったら、俺はもう手を引くしかないな。
ここでまだ守ろうと思ってしまったら、きっと怒られてしまう。
未練がましい男は嫌いっ! って。
「そのうちそっちに行くよ。もちろん、思いっきり幸せになってからね!」
「俺がいなくても、大丈夫か?」
「・・・ちょっと不安はあるよ。でも、私はきっと独りぼっちじゃないから」
「そうか・・・、それなら少し安心できるかな」
些細な事だけれど、俺が青葉の隣にいたということ。
それが彼女の幸せであり続けられたなら、それ以上の喜びは他にないから。
だから、俺はここで足を止めよう。
「じゃあ、その時まで・・・またね・・・っ!」
「ああ、その時までな」
繋いでいた手がゆっくりと離れた。
紅葉、お前がいなくなることは決して無駄なんかじゃない。
青葉はこれからの人生を謳歌できるし、自分も今までの全てを思い出せた。
だから、安心して眠ってほしい。
お前の絶望は自分がゆっくりと消化するから。
「御馳走様」
戻ってきた自分は、青葉の体から剥がれ落ちた骨にそう呟いた。
―――ああ、大変だった。
疲れを感じないはずの体だけど、けだるさに襲われ、その場にしりもちをつく。
「どう、なったの?」
「大丈夫。青葉はもう攻撃してこない。中にいたものもどうにかした」
「よかった・・・」
失血によって意識が朦朧としている五版に、心配をかけないようにそう言った。
中であったことは今は言わなくても・・・いや、自分の口から言うようなことではない。
「これから、どうしようか・・・」
「それは、怪我を治してからだろう」
「でも、青葉ちゃんは・・・」
「それは青葉が決めることだ、自分たちが決める事じゃない」
いつまでも青葉の代わりに誰かが彼女の道筋を作っていたら、それは紅葉の二の舞になりかねない。
それだけは防がないといけない。青葉のために・・・そして、紅葉のためにも。
「そうだね。それが、一番・・・」
「? どうし―――」
「しーっ。静かにね・・・」
五版が声を抑えるようにそう言って、自分もようやく気付いた。
「もう、夜も遅くなって、きたからね・・・」
「疲れていたんだな」
すうすうと寝息を立てて、青葉は眠っていた。
彼女にとっても今日は、大切な兄を失った大変な日だったのだから、疲れているのは当たり前か。
・・・せめて、夢の中だけでもいいから幸せでいてほしい、紅葉と共に。
こうして、自分がこの世界に生を受けた長かった一日が、ようやく終わりを告げようとしていた。
―――だが、それは唐突に聞こえてきた。
「ふうん。何やってんかと思ったら、少女に巣食ってた絶望を食らってたんか」
「・・・!」
誰だ・・・!?
声だけ聞こえてくるけれど、肝心の姿はどこにも見当たらない。
どこかで聞いたことがある声だ。
いったいどこで・・・。
「
「久しぶりやんな、五版。だいぶやられてるみたいだけど・・・、まあ見た感じ死にゃせんか」
そうか、この声の主が・・・。
気まぐれでひねくれ屋、そして『能力者殺し』の二つ名がつけられた、ベーゴマという面倒な人物か。
「いやー、それにしてもあんた、相当なバケモンだなぁ」
「・・・自分でも自覚している」
「まさかそんな力を持ってるとは思わんかったわ。これじゃあ、
「・・・殺す、って!」
五版は理解できないと言っているけれど、その声に戸惑いを感じなかった。
薄々そうなると理解していたのかもしれない。
そして予想通り、ベーゴマの目的は自分を殺すことだった。
こんなタイミングで語り掛けてくるあたり、消耗する機会を虎視眈々と狙っていたんだろう。
体力は無尽蔵だけれど、これ以上戦うのは精神的に辛い。
ひとまず会話で穏便に済ませたいけれど・・・。
「どうして自分の命を狙う。自分はお前に何もしてない」
「ああ、そうかもしれんな。でも、キサマはワシ以外に危害を加えているんじゃないのか」
「それは、どういう・・・」
「どうもこうもない! 五版と少女を連れてきたんは
空気が震えるほど力強い怒鳴り声が返ってきた。
でも、やはりというべきか、ベーゴマという人物は相当の変人のようだ。
声は怒っているようにも聞こえなくはないけれど、この声の震え方は怒りではなく、必死にかみ殺している笑いだ。
それだけでもわかる。男に絡まれた呪木が笑っていたように、同じ理由でベーゴマも笑っていた。
こいつは、自分よりも『呪木』に似ている人間だ。
怒鳴った言葉も五版や青葉のことを考えて言ったんじゃない。ただ自分を殺すための理由を正当化しているだけだ。
「自分だけど、自分じゃない」
「わけわからんこと言うな。そんなに早く死にたいんか?」
「・・・っ!」
嘘はついていない。
二人を運んだのはおそらく呪木だ。わざわざ姿を見せた状態でなりふり構わずここまで二人を連れてきた。
でも、ベーゴマはそれを信じようとはしない。信じられないのは無理もないとはおもうけれど。
だからと言って、ここまで本気で自分を殺そうとしていると思うってしまうのは仕方がないと思う。
前触れもなく重くのしかかるような重圧とともに、殺気が辺りに立ち込め、どこからか刺されているような視線を感じた。
これが、ベーゴマの力だっていうのか・・・?
「待って・・・! 彼女は・・・」
「『名無し』のバケモンを庇うなんて、君も随分と酔狂な人になったもんだなぁ、五版。・・・それともあれなんかな? 昔の自分の境遇と
「そんなこと・・・!」
五版は言葉を続けようとしたが、傷が痛むのか苦しそうな表情をして口を噤んだ。
「まぁ、何言ってもアレを殺す事は変わんないんだけどさ。あまり邪魔するならどうなっても知らんよ?」
もう、考えている暇もないようだ。
このままだとこの建物ごと独楽で吹き飛ばされかねない。
そうなったら、紅葉との約束を果たせない。
「・・・どうすればいい」
「ダメ・・・!」
「外へ出るんだな。ここで争うと五版や少女に危害が及ぶだろうし、身代わりやおとり、人質にされてしまったら堪ったもんじゃないかんな」
「わかった」
「ちょっと! 待ってよ!」
五版の言葉を無視し、引き戸へと歩きながら対策を練る。
確かベーゴマの能力は手の独楽を射出するものだったはず・・・。
それだけしかわからないけれど、それだけなら至近距離に近づいたら無力化できるか・・・?
でも、その前に・・・。
「
いつの間に起きたのだろう、青葉が扉の前を塞いでいた。
幼児化しているとのことだったけれど、ある程度戻ってきたのだろうか、両手を広げて半開きの目で自分をじっと見つめていた。
「行っちゃ嫌だよ」
「誰かと勘違いしていないか」
「どこにも行かないで・・・!」
「自分は紅葉じゃないんだ」
やはりまだ調子が戻っていないようだ。
自分が身長、見た目、性別の全てが違う紅葉に見えているなんて、視界がよくないにも程がある。
仕方がないから、回り込んで扉を通ることにしよう。
「ダメだってば・・・!」
「五版まで・・・」
回り込もうとした自分の足を五版が掴んだ。
怪我しているからか、弱々しく殆ど力が入っていない右手を精神力だけで支えているように見えた。
「―――どうして」
やろうと思ったら青葉をその場からどかして通ることも、五版の手を振り払って進むこともできた。
でも、どうしてもそれはできなかった。
もしかしたら、五版が自分の心情を読んで、何かを心に飛ばしたのかもしれない。
それでも、この心を捨てたくない。放り捨てたくない。
―――だったら、自分がすべきことなんて・・・。
「悪い、今は戦えない」
「はぁ? キサマの事情なんて知らねぇんだよ!」
「自分がどうなろうがどうだっていい。でも、ここにいる二人がそれを許さないのなら、自分はそれを優先する」
その答えを聞いたベーゴマは、長い沈黙の後、大きくため息を吐いた。
「はぁ・・・馬鹿馬鹿しいんだけど」
立ち込めていた殺気と刺すような視線が
「二人に免じて今回は見逃してやんよ。けど、次に本性を出した時は容赦せんから」
その言葉が聞こえた後に、ベーゴマの気配も煙のように霞んで消えた。
今度こそ、長かった一日がやっと終わりを告げた。