再生した自分は、絶望を摂取して生きていく。   作:影斗朔

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これ以上の惨状は、そうそうないと思いたい。
この世界では、いつ何時でもそう思ってしまうのだ。


二章 其一 嗚呼、なんて惨たらしい景色なのでしょうか。

「え・・・茶髪って女だったのか」

「茶髪って言うな。俺には(アギト)っていうちゃんとした名前がある」

 

二人の住処に案内された自分は、まず最初に風呂場へと連れていかれた。

それはそうだろう。ベタベタした紅い液体が体に付着した状態で地面を転がったのだから、今の自分の体は茶髪・・・じゃなくて、咢の枯葉服よりも酷い見た目になっていたのだから。

・・・それにしても、風呂で体を洗うのは大変だった。

何せ、前世を含めて一度たりとも使ったことが無い。勝手もわからないまま、ゴバンに洗ってもらうような形となったが、どうにか体の汚れを落とすことができた。

風呂から上がったら当然服を着る必要があったが、勿論、服を着ることも初めてである。

二人の服はどれも着にくく、肌に合いそうになかったが、無難な無地のシャツと短パンがあったのでそれを着させてもらうことになった。

そうして服を着終わると、自分たちと入れ替わる形でで風呂に入っていた茶・・・咢が風呂から上がり、すぐそばまで来ていた。

―――それも全裸で。

その姿を見て、漸く咢が女だと気づくことになった。

 

「歩き回るのならせめて下着ぐらいつけたらいいのに・・・」

「下着を取りに来たんだから仕方がないだろ」

「むぅ・・・」

「それにしても、名前を聞いて男だと勘違いする奴は度々いたが、どうやらお前は見た目の時点で男だと思っていたようだな」

 

ゴバンを軽くあしらった咢は自分へと得意げな表情を向け、不敵に笑う。

あんな体格を隠しているかのような服や、顔に影を作っていた帽子が悪い。

いや、単に男だと思っていた人物が女だったことに驚いただけなので、正直男だろうが女だろうがどうでもいいのだけれど・・・。

 

「女だといろいろと不憫だったりする時があるからな、普段から男性だとみられるように男らしい名前を名乗っているだけだ」

「そうか」

 

何も言っていないのに律儀に説明してくれた。

男らしいかはさておき、ゴバン然り、咢とはまたおかしな名前だ。

・・・咢の思惑通り男だと勘違いしていた事が少々癪に触るが、この時代ではこのような・・・女性が男性のような名前を名乗ることが当たり前なのだろうか。

 

「そういえば自己紹介を一切やってなかったな。こいつはゴバン。数字の五に版画の版で五版と書く」

「『五版(ごばん)』・・・?」

「そう、五版。それがあたしの名前」

 

前言撤回、決して当たり前といえるような名前ではない。

五版の字面で漸く確信できた。

人の名前に数値を当てはめるなんて、普通の思考で名付けるとは到底思えない。

―――当たり前の感覚でそう名付けたと思いたくない。

 

「変な名前でしょ?」

 

自分がなぜ硬直しているかわかってないだろうが、五版は先ほどよりも優しい声色で語りかけてくる。

 

「私がいた施設では名前が無い人に、名前としていろいろな番号をあてがうの。だから私は五版。他にも二十冊さんとか四百話さんとかいるよ」

「そ、れは・・・」

 

ああ、そういうことだったか。

頭を抱えたくなった。

他の人から見て変な名前であることは変わりないらしいが、施設の主は名もない人たちの名前を数値の名で名づけていた。それも当たり前の感覚で。

そして、目の前で微笑みを崩さない女性もそれが当たり前だと感じている。

 

「何を言い淀んでいるのかわからないが、言いたいことはすぐに言え。そうでもないと、こちらとしても何もわからないだろうが」

 

先ほどとあまり変わりようのない服を着ながら、咢はと怒気を孕んだ声を放つ。

そう言われても、自分も、自分が今抱え込んでいる感情がよく理解できない。

『自分』が言っていた絶望とは違うけれど、心が軋み、膨張するような感覚が襲う。

 

「―――嫌じゃないのか、その名前は」

 

そうか、自分は忌諱(きい)しているのか。

まるで製造された物品のような、物言わぬ家畜のような、心が込められていない名前を人に名付けていることを。

自分のような名無しが、こんなことを考えるなんておこがましいにも程がある。

前世で自分につけられていた名前はもっと凄惨なものかもしれないのに、その名前とは思えないものに憤りを感じてしまう。

・・・何より、五版という名で今まで暮らしてきた女性はなぜこうも平然としていられるのか、どうしても疑問に思ってしまうのだ。

 

「んー、欲を言えば普通の名前が欲しかったかな・・・」

「それなら・・・」

「―――でも、嫌いじゃないよ。名前があるだけで十分幸せだから」

 

そう言って恥ずかしげに笑う五版の顔を、なぜか直視することができなかった。

 

「そういえば君の名前は? いつまでも君呼びじゃ嫌だろうし」

「ええと・・・」

 

そうか、今度は自分の番か。

だけど自分には名前なんてない。

さて、どうしようか・・・。

 

「自分の名前は―――」

 

適当に名乗ろうかと思って、止めた。嘘を吐いたとしても碌な事が無いだろう。

それに・・・、この時代では名前に意味を持つことはない。

名前のない者が不幸せな者だとしても、別にそれで構わなかった。

 

「名前は、ない」

「「・・・ない?」」

「覚えていないと言ったほうが正しい。だが好きなように言えばいい。君呼びで全然構わない」

 

ない、という返事を聞いた二人はやけに驚いて見えたが、咢は先ほどとは打って変わり、自分に対して訝しげな表情を向けていた。

それはまるであの時と・・・初めて会った時と同じような表情だった。

 

「本当に名前を覚えていないのか?」

「? 質問の意図がわからない」

「名前が無いのはすごく珍しいんだよ。さっき言ったけれど、生まれた時に名前が無かったら、獣かどうか判断された後で私のように版号とかを付けられるから」

 

なるほど、数値の名前をした人は名無しと変わりないということか。

それが、この時代では当たり前なのだと―――。

・・・確かに、そういった意味では名前があるだけ幸せなのかもしれない。

名無しであるということは、人間と認められていない者、つまり先程『大噛み』と呼ばれていた獣と同類だとみなされるのだから。

 

「それに名前を覚えていないなど、誰からも名前で呼ばれないような状況以外で考えられない」

「それも覚えていない。自分が何者なのか、ここがどのような場所なのか、すべて記憶にない」

「それはどうだろうな? 人の姿に化けた獣が俺たちを騙そうとしているのかもしれない」

「ちょっと、咢・・・!」

 

咢は一向に追及の手を緩めてくれそうにない。

この家に向かう途中で信頼するとは言ってくれていたが、やはり疑念を晴らしていたわけではなかったようだ。

・・・でも、それは仕方がないことだと思う。

あんな獣が人々の暮らしを脅かしているのだから、疑いを向けられない訳がない。

慌てる五版と何も言わない自分の態度に苛立ったのか、舌打ちした咢は背を向ける。

 

「お前は俺たちから見たら得体のしれない存在だ。今は様子を見て何もしないのかもしれないが、タイミングを見計らって襲い掛かる気なのかもしれない」

「・・・」

「―――それでも、お前が嘘をついてないことや、俺たちを襲う気がないことは分かる。その気でいたら()()()()()()()()()()()

 

・・・? 何を言っているのだろう。

敵対心をむき出しにしている咢に殺されるのならわかるが、明らかに自愛の目で自分のことを見ている五版が自分を殺す、と?

どう考えたらその発想になるのかよくわからなかった。

 

「それはどういう意味?」

「《心が読める》」

「・・・?」

「五版は読心術を扱える。つまり、お前の思っていることは大体把握できる訳だ」

「だから敵に回ったら大体考えがばれていると思っていいよ。・・・できれば敵じゃないといいんだけどね」

「―――そうか」

 

なるほど、だから敵ではないと言っていたのか。

五版が自分を一向に殺そうとしないから、咢は自分には敵意がないと判断したのだろう。

だが、そもそも自分は彼女らに敵意を持つ必要がない。

むしろ、敵対されると困ってしまうのは自分の方だ。

その場で殺されるか、逃げるうちに路頭に迷い、あっけなく死ぬかのどちらかでしかない。

警戒を解くことができないのなら、こんな名無し草を助ける必要性なんてないと思うのだけど・・・。

 

「そんなに疑心暗鬼にならなくていいよ! 君が私たちに危害を加えるつもりは無いってわかっているし、君がピンチだってことも『カイシャイン』から聞いたんだから」

「・・・? わかった」

 

先ほどから疑問ばかり浮かんでいた自分の心を見透かしたように、五版は的確に心情を読み取っていた。

・・・だがまあ、表情が豊かな分、こちらとしても五版の心が読めそうではある。

それにしても、またもや聞きなれない言葉が聞こえてきた。

会社員・・・ではないだろう。イントネーションが違っていた。

 

「・・・おい、言い過ぎだ五版」

「で、でも、そんなこ」

「ん? 五版?」

 

五版の声がいきなり途切れ、聞こえなくなる。

それだけではなく、視界も急に暗転した。

何が起きて―――

 

「―――! うっっっ・・・!」

 

突然、何者かに覆いかぶさられた・・・!

必死にもがき離れようとするが、生温い液体に飲み込まれたかのような感覚がして、反射的に手足を縮めてしまう。

 

「・・・大丈夫、大丈夫だから。ゆっくりと深呼吸して」

 

途切れていた五版の声が再び聞こえた。

その優しげな声へ縋りつくように大きく息を吸い、閉じかけていた瞼をこじ開ける。

不快な感覚はなかなか抜けきれず、ガクガクと体の震えが止まらない。

それを押さえつけるように、五版が強く自分を抱きしめてくれていた。

今の感覚は一体・・・。

 

「・・・噂をすれば、だね。『カイシャイン』が来たみたい」

 

その言葉を合図にしたかのようにひたひたと、まるで液体をまとった何かの足音がだんだんと近づいてきて、住処の入り口付近で止まった。

 

「ちっ、またか。今度はなんだ?」

 

ノックの音も聞こえないまま、扉はひとりでに開く。

その先にいたのは、見たことのない異形だった。

 

男とも女とも言えそうにない謎の人物・・・もしくは、人間ですらないのか見当もつかない。

布を全身に纏っていて、かろうじて足が見える程度だった。

その布はまるで黒い液体に浸されていたかのように、どす黒く炭のような雫を垂らしている。

布は濡れているのだから肌に吸着するだろうと思いきや、ひらひらとその場を漂い、中にいる人型のシルエットすら移さない。

 

「ちょっとごめんね」

 

そう言って五版は、ようやく震えが収まった自分から離れ、『カイシャイン』の傍まで近寄っていく。

咢もいつの間にか服を着終わっていて、『カイシャイン』の真横の位置まで移動していた。

 

「今回はどんな要件?」

 

揺らめいていた布の一部が盛り上がり、五版の頭に触れた。

 

「・・・場所は何処だ?」

 

続けざまに質問した咢の頭にも、黒い液体に濡れた布が触れる。

布を濡らす黒い液体は染み出すことはないのか、二人の頭に滴ることなく、二人の頭が濡れている様子もなかった。

『カイシャイン』の理屈も仕組みも、存在すらも把握できそうにない。

 

「ちょっと遠いね・・・」

 

傍から見ると、謎の布に触れられている状態で独り言を言っているようにしか見えない。

けれど、問いに答えるかのように二人へと布を伸ばしたことから、おそらくこの行為が『カイシャイン』にとって意思疎通の行動なのだろう。

 

「―――ちっ、承った」

 

その言葉が咢の口から発せられた途端、『カイシャイン』はフッと姿を一瞬にして眩ませた。

布から滴っていた黒い液体も、まるで初めから存在しなかったかのように、後も残さず地面からなくなっている。

それと同時に自分に纏わりついていた生温い液体のような感覚も消えた。

 

『今まで苦しんだ以上に、君はもっと苦しむことになる』

「う、ぐっ・・・!」

 

その代わりに頭を殴られたかのような衝撃を受け、また懐かしいような聞き覚えのある声が聞こえた。

『カイシャイン』が居なくなった後に聞こえたから、さっきの現象とは関係ないだろう。

酷い頭痛がする程度の問題しかないから、『声』の方はこの際無視しておくことにして・・・。

 

「・・・結局、さっきのは何?」

「お前には関係ない」

「・・・そう」

 

相変わらず自分のことを敵視しているのか、咢は一向に自分の言葉を聞いてくれそうにない。

五版が心を読んで、敵じゃない事がわかっているのにも関わらず、である。

咢は相当な頑固者のようだ。

 

「『カイシャイン』に慣れてない人は、毒気に当てられちゃうもんね」

「あれは、『カイシャイン』が原因?」

 

ここは素直に五版に助けを求めるほうがよさそうだ。

とりあえず、咢のように突っぱねることはないだろう。

 

「ごめんね。説明したいのは山々なんだけど、ちょっと急いで出かけないといけなくなっちゃった」

 

五版はそう言って申し訳なさそうに頭を下げる。

『カイシャイン』から、急いで向かえとでも言われているのだろうか?

 

「そこで待ってろ」

「すぐ戻るからね!」

 

そう言い残した二人は、さも慌てた様子で住処から出て行った。

 

「待ってろ。って言われても・・・」

 

まさか、取り残されるとは思わなかった。

今までずっと二人のうるさい声をきいていたからか、二人がいなくなった住処はやけに静かに感じる。

 

・・・それでも、この家にいるのは()()()()()()()()

 

「―――どうだァ? この世界は。お前が知っている以上に狂っているだろォ?」

「それはどうだろうか? 自分が知らないだけで、三百年前もこんな感じだったのかもしれない」

 

後ろから聞こえた声に返事をする。

二人が出て行ってから、自分のことを誰かがじっと見つめている気配がしていたけれど、どうやら『自分』だったようだ。

 

「そうだなァ・・・じャあ、今からこの世界についてもっと教えてやるよォ」

「それはありがたい。聞きたいことが山ほどあった」

 

どういった気まぐれかはわからないけれど、教えてくれるのならこれ以上助かることはない。

わざわざ自分をこの時代に蘇らせたのだから、きっと世界がどうなっているのか、詳しく知っているはずだ。

 

「とりあえず、オレについて来い。町案内からいッてみようじャねェか」

「いや、それは・・・」

 

これは・・・どうするべきだろう。

二人からここで待つよう言われているし、すれ違いになってしまったら、それこそ情報源が一切合切なくなってしまう。

・・・目の前に移動してきた、信用するにはあまりにも怪しい『自分』以外には、だが。

 

「知りたくないのかァ? この世界のことを」

「・・・知りたい」

「だったら一緒に来いよォ。悩む必要ねェだろォ?」

 

確かに『自分』が言っていることにも一利ある。

少なくともここに居座り続けたところで、二人が帰ってくるまで何もできないことに変わりはない。

・・・二人が帰ってこない可能性もある。

それならば『自分』の言うとおり、自分の目で世界を見て回ったほうが得られる情報も多いだろうか。

・・・よし。

 

「わかった。行こう」

「ィよし! んじャあ、オレから離れるなよォ!」

 

ご機嫌になった『自分』は、滑稽な足取りで外へと出ていく。

ほんの少し不安はあるものの、『自分』の後に続いて、自分は町内へと足を踏み出した。

 

 

 

 

その頃、目的地に向かう二人の表情は曇っていた。

『名無し』を住処に置いてきたことによる不安心から・・・ではなく、これから向かう目的地が二人にとって危険な場所だからである。

 

「よりにもよって他組織の領域内へ向かわせるとは、あの野郎死にたいらしいな」

「そもそも『|壊捨印()()()()()()』って生き物じゃないでしょ。切っても切れないんじゃない?」

「やってみなきゃわかんねぇからな」

「どうせ無駄だと思うけど・・・」

 

五版の言う通り、『壊捨印』は生物ではない。

人間の形を模した一種の思念体で、後悔しながら死を迎えた・・・もしくは、何者かによって殺された人間が変異した姿だといわれている。

二人は『壊捨印』からの願いを叶えることで生計を立てていた。

正確に言うと、『壊捨印』の願いを成就させ、消滅させる仕事を所属組織から直々に承っていた。

見た目の気味悪さや、悪寒を感じるほどの気配を醸し出している点を除けば、ただ人々に自身の願いを語るだけの存在。

多くの人からはそのようにしか見られていない。

だが、その状態で長時間放置すると、願いを聞き入れてくれない腹いせか、あらゆるものを壊し始める。

暴走し始めた『壊捨印』を止めるすべはない。

気が済むまで暴れさせる以外には。

それを未然に防ぐため、二人は『壊捨印』の願いを叶えるよう命じられ、報酬として安定した生活を約束されていた。

 

「・・・くそ、やはり遠い! 五版、俺を目的地まで飛ばせ!」

「またそう言って・・・。この前大怪我したの忘れてるでしょ!?」

「―――あぁ、そうだったな」

 

忌々し気な顔で咢はポツリと呟く。

対する五版はその様子を呆れた顔で見ていた。

 

そう、『名無し』は知らないであろうが、この時代に生きる人々の殆どが、三百年前には存在しなかった特殊能力を身に着けている。

いつから、と言われても殆どの人が答えられないだろう。

だが、それこそ人々の間で、特殊能力を持っていることが違和感ないまでに浸透しているほど昔から存在していた。

 

五版の能力はシンプルだが非常に便利だった。

それは、あらゆるものをどのような場所にでも飛ばせる『飛翔』といったもの。

その制約になるものは殆どない。

弾丸みたいな物理的なものだけじゃなく、意識などといったものでさえ、好き勝手に飛ばすことができるのだ。

しかし使う本人が未熟なのか、それとも意図的なのか、ものをうまく飛ばすことができない。

成功率が飛躍的に向上するときはいつも、()()()()()()()だけだった。

咢の能力はそれに比べると明らかに貧弱なもので、刀が届く範囲にあるものを好きなように切断できる『居合』といったもの。

聞くだけでは強そうに思えるが、刀が抜き身でないと力を使えず、抜いた刀を納刀しないと対象を切断できないという制約が掛かっている。

さらに、切断するものによっては、両断できなかったり、弾かれたりする場合もあった。

それでも役に立たないことはない。特に障害物の撤去には一役買っている。

飛び越えることができない巨大な根が道を横切っていたとしても、咢に掛かれば木端微塵の木片と化す。

 

「それにしても・・・」

 

建物を貫いている大きな根をくぐり抜けて五版は呟く。

彼女は頭の中で『壊捨印』よりも、違うことばかりを考えていた。

それは勿論、あの『名無し』のことだった。

 

「あの子、どうしてあんなところで裸でいたのかな・・・」

「さあな」

 

『名無し』の少女がいたのは、禁則地の深域だ。

一般人は到底入り込めないだろうし、入ろうとする気にもならないだろう。

そしてあの果実。

『名無し』の少女の近くに転がっていた見たことない大きさの果実も、五版は気になっていた。

『あの木』から落ちてきたものだとして、全身果汁まみれになっていた『名無し』の少女は、もしかして果実を食べていたのだろうか?

その様子を想像してしまい、五版は思わず身震いした。

 

「そんなことよりも、奴の心中はどうだった?」

「『奴』って・・・」

 

その言い方どうにかならないの? と文句を言いたげな五版をよそ眼に、咢は走る速度を緩めない。

道を塞いでいた根はまた微塵切りにされていた。

 

「・・・関心、疑問、驚き。そればっかり。敵対心とか嫉妬心、復讐心は一切感じられなかったよ」

「そうか」

 

実はその他に・・・ほぼ咢に対してだが、不信感や呆れ、戸惑いの心情も垣間見えていた。

・・・が、そのことを五版は咢に語るつもりはない。

大体、初対面の人物であったら誰に対してもああいう態度をとってしまう咢が悪いのだ。人によっては初対面じゃなくてもこのような態度をとる時点で、人に好かれようと思っていない。

そこさえ直したら結構いい人なのになぁ・・・。と五版はよく思っていた。

 

「それに、あの子、何もわからないみたいだった」

「・・・そういう環境で育ったんじゃないか?」

「でも、お風呂の入り方や服の着替え方すら分からなかったんだよ・・・?」

 

五版の顔が悲痛に歪み始める。

人に干渉しすぎるのは彼女の悪い癖だった。

・・・だが、その癖のおかげで救われた人が、少なからずいるということも確かである。

 

「あの子が人間でいて欲しいって思いは変わってないけど、もし人間だったなら、人間の生活を送ってないことになるよね・・・!?」

「会話が通じる程度には人並みの生活をしてそうだがな」

 

皮肉気に咢は答える。

どうしてそこまで少女のことを否定したがるの? とでも言いそうな顔で五版は見つめるが、当の本人はそんな彼女を無視して別のことを考えていた。

 

(どうも、教養が無い人物だとは思えない。だが実際にこの世界のことを殆ど理解できていないどころか、自分のことすらろくにできていない。純粋無垢だが、達観しているような、矛盾の塊みたいなやつだ・・・)

 

自分で言った言葉を反芻するかのように、咢は思考をめぐらせるが、相変わらず『名無し』の正体が人間か獣か判別がつきそうになかった。

 

「それより、今は『壊捨印』の方! 今ならまだ間に合うかもしれないんだから!」

「まあ、今はそっちの方を優先すべきだな」

 

自分から話を振るのは間違いだったと、五版は『壊捨印』に話を戻す。

幸いにも咢はすぐにそちらの方へと思考を切り替えたようだ。

今回『壊捨印』から押し付けられた願いは、『家族で唯一生き残った娘・・・青葉を助けてほしい』とのことだった。

これで助けられなかったことにでもなったらひと時も持たずに『壊捨印』は暴走することになるだろう。

そうなってしまったら町に甚大な被害が及ぶ・・・のは管轄外だから別に二人に問題は無い。

問題があるとすれば、『壊捨印』を消滅させられなかったことによって、組織から二人が見捨てられる可能性があることだろう。

そうなってしまったら、二人に今後生活していく手段がなくなる。

それだけは避けるべき案件だった。

 

口を閉じ、代わりに走る速度を上げ、二人は目的地へと向かう。

その様子を離れた位置で、『名無し』の少女がニヤニヤとした笑みを浮かべながら眺めていた。

 

 

 

 

「さて、歩き回るのも疲れただろォ? ここらで休憩しようじャねェか」

「・・・これが、今の世界?」

「そうだぜェ、今の世界はどこもこんな感じになってるぞォ!」

 

歩いて回ることでわかることも多いだろうと思っていたけれど、それは大きな勘違いだった。

絶望の感覚を知らない自分でも察することができるほどに、町は完全に絶望で埋め尽くされていた。

ここは統率者も法律も、秩序もお金すらも存在しない。

荒廃した建造物とそれを蹂躙する木の根、それとカイシャイン。

人間は流石に存在しないことはなかったが、廃退的且つ排他的で、猖狂(しょうきょう)する狂酔な者ばかりだった。

理由もなくただ争い、殺し合う。それどころか、人によっては食料すらないのか、原型を無くした何かの死体を貪り食らう者までいた。

狂気と破滅の様相だけが町を覆い尽くしているその様子は、まさに終末を迎えつつある光景と例えても過言ではなかった。

 

今更になって思うけれど、二人は自分に結構な配慮をしてくれていたようだ。

あの木の付近から二人の住処に向かうまで、このような光景を目にすることはなく、ただ永遠に根に蹂躙された廃墟を目の当たりにするだけだったのだから。

 

「ここは人が少ないからわかんねェだろうがァ、多いところではもっと凄いぜェ」

「・・・」

「伝染病の蔓延に国家間の大戦、奴隷の人身売買や大量殺戮兵器の製造、おまけに人権なんて一切存在しねェからなァ! ・・・ッて、おい。聞いてるかァ?」

 

ずっと黙り込んでいたからか、『自分』が顔を覗き込んでくる。

だが、その顔は話を聞いてくれなくて怒っているのではなく、面白おかしそうに笑みを浮かべていた。

それはそうだろう。こいつは自分を絶望させるために世界の全容を教えたのだから、今まで黙っていた自分は、この世界に絶望したのだと勘違いしてもおかしくはない。

 

「この世界が惨憺たるものだってことは十分わかった。・・・だけど、肝心なことは教えてもらえてない」

「なんだァ、絶望したわけじャねェのかァ。つまんねェなァ」

 

不貞腐れたような口調で溜息を吐かれた。

そもそも、自分を蘇らせた理由が『絶望させるため』ということがよくわからない。

ただ、誰かを絶望させたいのならば、別に自分じゃなくてもよかったはずだ。

それなのに、『自分』は自分を蘇らせる対象に選んだ。

それは何故なのか。

『自分』は自分に何をさせたいのか。

 

「この世界で―――」

「お、よさそうな奴いるじゃねえか」

 

自分の言葉を遮るようなタイミングで前から男の声が聞こえた。

空気が読めないやつの顔を一目見ようと『自分』の方へ向けていた顔を前へと戻す。

だが、前には誰の姿も見えなかった。

隣にいる『自分』が落ち着いているから、自分も落ち着いていた方がいいだろう。

自分だけ慌てていたら、何というか・・・腑に落ちない。

 

「こいつは得物だな。しかも姉妹とは、今日はツイてるな」

 

先ほどの男とは別の声が聞こえた。

その後ろからいくつか小さく笑い声が聞こえる。

六人・・・いや、十人はいるだろうか。

誰もかれも透明なせいではっきりとしない。

 

「今日からお前らは俺たちの奴隷な」

「しっかり慰めてやるから覚悟しとけよ」

 

男たちはゲラゲラと下品な笑い声をあげる。

そういえば、『大噛み』とかの獣や、こういった話が通じそうにない奴らに対して自分は打つ手がないことを咄嗟に思い出した。

逃げようと思っても体が全く動かせない。

男たちに何かされたのだろうか?

そして、よろしくない状況に陥っている割に、『自分』は男たちへ微笑んだままの表情でいるが、何かこの状況を打開できる策でも持っているのだろうか?

 

「―――いやァ、お前らのような貧弱な奴らに用なんてねェし」

「・・・は?」

 

唐突に『自分』は姿が見えない男たちに挑発するかのように語り掛けた。

怒っているのかと横を向いて、思わずぞっとする。

軽く下を向いているその顔は、新しい遊びにはしゃぐ子供みたいに、心の底から楽しんでいるかのように見えた。

 

「だからァ、『透明化』とか『蛇睨み』とかのザコ能力で調子乗ッてるバカ共に興味は無ェッて言ッてんだよォ!」

「て、てめぇ! 調子乗ってんじゃねえぞ!」

「お、おい!」

 

男の一人が激昂し、姿を現して『自分』の肩を掴む。

焦った仲間が近づいてくる音も聞こえた。

『自分』は何を考えているんだ・・・?

 

―――その時だった。

 

「うっ!?」

 

まるで火傷を負ったかのように、男は反射的に『自分』から掴んだ手を放そうともがく。

だが、その手はまるで吸着されたかのように『自分』の肩から外れなくなっているようだった。

 

「おい、お前! 一体何をしやが、がふっ・・・!?」

 

言葉を言い終わる前に男は苦しみだす。

その体には見たことがある模様が浮き出していた。

 

()()・・・!」

 

生まれてから死ぬまで自分の体を蝕んだ呪いがなぜ、男の体を蝕んでいるんだ?

『自分』に掴みかかりに行くまで、男の体に呪印の痣はなかったはず・・・。

そんな事を考えている間にも、男の体に現れた呪印はその範囲を拡大していく。

 

「た、助け・・・っ!」

「じャあなァ、愚か者ォ」

 

その言葉と共に、男の上半身がパックリと縦に裂けた。

 

「ぎっ、ああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

まるでシャワーのように絶えず噴き出す血飛沫と叫び声は、その場にいる全員に降りかかり、その姿を赤く染め上げる。

男たちが青ざめている中、『自分』は男の血をもろに浴びてもなお、その表情は一切変わることなく、微笑みを絶やしていなかった。

 

「ん? なんだ、『蛇睨み』の方だッたかァ。まあ、『透明化』してた奴らもこれで見えるし、何の問題もねェなァ」

「や、やめろ!」

「く、来るな! 化け物め・・・!」

「自分よりも強いやつを見たら化け物扱いかァ。本当に貧弱な奴らだなァ」

 

来るなと言っているくせに男たちは一向に逃げようとしない。

まるで、『()()()()()()()()()かのように、体がその場に固定されているように見えた。

 

「さァて、お前たちがザコじャないッていうなら、その力をオレに見せてくれよォ!!」

 

『自分』のその言葉を口火に、男たちの断末魔が十数分に渡って、辺り一帯に響く。

もはやそれは、一方的な殺戮に過ぎなかった。

 

「―――いやァ、弱い弱い! やッぱ虐殺ッてのはつまんねェなァ」

 

男たちだったものを足蹴にして、『自分』がこちらへと近づいてくる。

全身から血を滴らせるその姿は、この世のものとは思えない、まるで悪魔のように見えた。

だが、なぜだろう。眼前の景色は異常な光景であるのにもかかわらず、自分は恐怖心が全くと言っていいほど湧かなかった。

 

「―――さて、話が聞きたいんだッたよなァ。じャあ、オレについて来い。話はそれからだぜェ」

 

そう言って何事もなかったかのように『自分』は歩き出した。

 

「・・・っ、待て」

 

目の前で起こった出来事につい絶句していたが、置いて行かれるわけにはいかず、急いで『自分』の後を追いかける。

『自分』の力は絶大で、自分を殺すなど他愛もないことだろう。

だが、その力を目にしても、自分に躊躇している暇はない。

確実に自分のことを知っているのは、この『自分』しかいないのだから。

それにしても―――。

 

「・・・見たことある景色だ」

 

『自分』を追いかけていて気づいたが、さっきから目にしたことがある風景ばかり見かける気がする。

もしかして、最初にいたあの巨木へと向かっているのか?

 

「さっき言いたがっていたのは、この世界に生まれた意味だろォ?」

「・・・! そうだ」

 

『自分』はこちらを振り向くことなく進み続けている。

にもかかわらず、正面から話しかけられているかのように声が聞こえた。

 

「どうして人間は生まれた意味を持ちたがるのかねェ。どうせ、いずれは死ぬんだから、意味なんて持たずに好きかってやればいいのによォ」

 

・・・どういうことだろう。

『自分』が言っている言葉がよくわからない。

理屈ではなく、その単語が引っかかる。

『人間は』と、定義するなんて、まるで自分は人間ではないと言っているようなものではないか。

 

「オレには関係ないけどなァ。ただまァ、目的地に向かうだけじャ暇だし、特別にヒントをあげてやるよォ」

 

ただし、お前の喋る暇は与えねェけどな。と言わんばかりに、『自分』は進むペースを速める。

歩いているようにしか見えないのに、自分が走ってもその差は縮まらなかった。

 

「お前らが言っていた呪いッてのの原因は、とある植物の種なんだぜェ」

 

首のない烏の死骸を踏み潰す。

歩みは止まらない。

 

「小さな小さなその種はァ、知的生命体の体内で成長するのさァ」

 

ミイラのような物乞いの手を払いのける。

歩みはまだ止まらない。

 

「その種は絶望が大好物でなァ。与えれば与えるほどすくすく成長してェ、やがて花を咲かせるのよォ」

 

飛んできた斧のようなものを、視界に入れることなくキャッチする。

歩みは少しも止まらない。

 

「体に影響を及ぼしているその過程でェ、皮膚に模様のようなものが出るんだがァ、お前らはそれを呪印と言っていたなァ」

 

さっきの一団とはまた違う男たちに道を塞がれる。

歩みは一向に止まらない。

 

「そうそう、種が花開く時にはァ、宿主は激痛で死に至ッちまうのよォ。貧弱だと思わねェかァ?」

 

手に持った斧で男たちを引き裂いていく。

歩みはそのまま止まらない。

 

「まァそのぶん、種が開花するまでそう簡単に死ねない体になるんだけどなァ」

 

逃げようとした無関係な女性に斧を放り投げる。

斧は頭に直撃し、周囲に脳みそを散らばせた。

それでも歩みは止まらない。

 

「宿主が死んだらァ、花も死期を悟ッて周囲に種をまき散らすんだぜェ」

 

自分の視界に建物も人間らしきものもなくなった。

歩みはずっと止まらない。

 

「それを吸ッた生き物が、また新たな宿主となるッて寸法なわけさァ」

 

禁足地域と書かれた看板を素通りし、金網の穴をくぐり抜ける。

歩みは全く止まらない。

 

「あァ、死んで埋葬された人間? ()()()()()()()()()()()()()

 

その言葉を聞いて、自分は足を止めてしまった。

つまり、目の前にいる『自分』は・・・。

 

「これでわかっただろォ? オレはお前達ような貧弱な人間じゃねェッてことがァ」

 

歩みを止めて、振り返った『自分』の姿は、まるで枯れた植物のように見えた。

 

「そうか・・・、お前は()()()()

「大正解ィ! オレはお前達が不老樹と言って崇めたあの木だぜェ!」

 

そう、自分は人間に蘇らせられたのではない。

人々に絶望を振りまいた元凶。

希望の象徴から絶望の権化と変貌した存在。

『自分』の姿を模倣し、世界の全てを飲み込んだ樹木。

 

 

不老樹こそが、自分を蘇らせたものだった。

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