勃発
「――あなたの実力、見せてもらうわよ」
「承知しました、我が主よ」
雲名島は田舎といえど、何も江戸時代の農村のような暮らしを営んでいるわけではない。
夜の帳の落ちた午後十一時。あと六十分で日付の変わるこの時間、島民の大半が眠りに落ちている中でも、居酒屋は営業しているし、カラオケ店は客を呼び込もうと看板のネオンを煌めかせ、コンビニは勿論二十四時間営業だ。都会に比べれば微々たるものでも、闇を照らす光が失われることはない。
しかし、それはあくまでも人の集まる繁華街に限定されるものだ。商業の中心たる
そんな暗黒の空間をヘッドライトで切り裂きながら、おんぼろの軽トラックが一台、凪羽へ向けて進行中であった。左右を背の高い木々に囲まれ、異様に曲がりくねった山道を、昼間と変わらない速度で突き進む。
運転席でハンドルを握るのは、どこか不安そうな表情をしている王貴。その原因が暗い夜道を走ることへの恐怖ではないのは、スピードを緩めない手慣れた運転から明白である。
ならば、その憂慮は何に起因するものなのか。答えは彼の隣――先程からちらちらと視線を送っている、助手席に座る人物にある。
「なあ……お前、本当に大丈夫なのか?」
「それを証明するために、こうして戦いに赴くんじゃねえか」
「それは、そうなんだけどさ」
仏頂面で腕を組む尊大な態度の相手に、王貴は疑念を捨てきれずそわそわと落ち着かない様子を見せる。
王貴の隣にいるのは、召喚された英霊――サーヴァントだ。
待ち焦がれていた非現実的展開の当事者となり、聖杯戦争の幕開けを自覚したのが今日の正午過ぎ。召喚の儀式は何かしらの負担をマスターに与えていたのか、召喚直後は疲労困憊で思考がおぼつかず、王貴は半日も眠り続けていたのだ。
しかし――召喚したサーヴァントを一目見た時から、王貴は自分が勝利者となれるのか危惧する羽目になってしまった。
王貴は漫画やゲームを愛好している。
故に、古今東西の英雄たちについてもそれなりの知識を有していた。実在が証明されている英雄であれば、ナポレオンやチンギス・ハン、織田信長。神話の英雄ならば、ヘラクレスやジークフリート、アーサー王。
筋骨隆々でいかにも『戦士』といった偉丈夫であれば、王貴も安心して聖杯戦争に臨めただろう。
だが、王貴が従えることになったサーヴァントの姿は――
「そりゃ、俺の何倍も強いんだろうけど……でも、他のサーヴァントだって名の知れた英雄たちなんだろ? やっぱ不安だよ。お前――どう見たって、
そう。
王貴のサーヴァントは、子供の姿で現界していたのだ。
身長は僅か百三十センチ程。肉体は鍛え上げられたしなやかな筋肉に覆われているものの、まだまだか細く頼りなさを感じる。その容貌は何処か中性的なことも相まって幼さを隠しきれず、触れれば傷付いてしまいそうな危うさに満ちていた。
「子供だろうと大人だろうと、戦って勝ちゃ問題にならねえだろ」
「だったらせめて名前を教えてくれよ。お前の生前の逸話とかさ」
「……断る」
「なんでだよ」
「別に……必要ねえよ。力量なんて、己が身で証明すりゃ済むこった」
何故か不貞腐れた風に視線を逸らす少年に、王貴は心の中で大きなため息を付いた。
聖杯戦争に参加するマスターには、令呪の他にも特権が与えられる。
それは『サーヴァントを視認すると、その
事実、少年を見た王貴の脳内には、テレビゲームのようにいくつかのウインドウが表示され、そのサーヴァントの情報を閲覧することが可能となっている。
例えば、筋力や敏捷などの基礎能力値。この少年の場合、敏捷が高く、逆に幸運が異様に低い。
他にも、スキルというものがある。サーヴァントはそれぞれ、生前に所持していた技術等の特殊能力をスキルとして保有しており、何かしらの恩恵として具現化される。それ以外にも各クラスごとに与えられるスキルも存在し、この少年にも付与されているようだ。
しかし――
(名前が……見えないんだよな)
ステータス欄に表示されている
そして、そのことと関係しているのか、宝具――サーヴァントの持つ生前の武装や秘技、逸話の具現化など、いわゆる必殺技である――もまた、秘匿されていた。
クラススキルは表示されているもの、王貴の受け取った知識の中にはクラススキルの知識はあっても、どのクラスにどんなスキルが与えられるのかという知識が欠けている。
無論、王貴はそのことを直接サーヴァント本人に伝え、その正体についての開示を求めた。
それに対する返答は、
(まさか、拒否られるとはなぁ)
理由がわからない。
マスターとサーヴァントは一心同体として、共に戦場を駆けるパートナーのはずだ。秘密にする必要性が感じられない。
(信用されてないのか……まぁ、そりゃそうだろうけど)
相手に真名や弱点をぺらぺらしゃべったり、土壇場で裏切るような奴だと思われているのかもしれない。
自分だって、この少年の実力を疑っているのだ。彼だって、自分に対して懐疑心を抱くのは当然と言えよう。
しかし、名前はともかく、クラスまで隠すのは甚だ疑問ではあったのが。
(とにかく、一度戦う姿を見てからだな。後のことは、それから考えよう)
戦い。
王貴は殺し合いは勿論、喧嘩の一つもしたことがない。そのせいか、これから命のやり取りをする真剣勝負の場に向かっているという事実が、いまいち実感として沸かなかった。
ひょっとしたら、そんな王貴の無意識の態度が、少年には不真面目なように見えたのかもしれない。
「――マスター」
「うわっ、な、なんだ!?」
突如声をかけられ、王貴は思わず必要以上に肩を震わせる。
それを意に介した様子もなく、少年は前方を見据えて低い声で――声変わりもしていないのだが――囁いた。
「そろそろ、車を停止してくれ」
「え? でも、まだ街には」
「サーヴァントの気配がする。どうやら、俺らを待ち構えてるみてぇだ」
「――!」
王貴は慌ててブレーキを踏み、道路脇へと軽トラックを停止させた。
ドアを開き、外に出る。黒く染まった夜の世界は、生理的な恐怖を否応なく掻き立てた。生暖かい夏の夜風が周囲の梢を揺らし、虫と蛙のさざめきが途切れることなく響いている。
「マスターはここにいろ。巻き込まれねえようにな」
「わ……わかった」
ごくりと唾を飲み込み、王貴は軽トラックの荷台から、空撮用のドローンを取り出した。
聖杯戦争のために貯金を下ろして購入した一品で、安全な場所からリアルタイムで状況を把握するための代物だ。赤外線による暗視機能も備わっている。
自衛の手段を一切持たない王貴が、熟慮した末に採用したものだ。音声の伝達は不可能だが、贅沢は言っていられない。
「お前のほうは……準備は出来てるのか?」
「問題ねえ」
不敵に笑い、少年は腰のベルトから提げた鞘から、一本の剣を引き抜いた。
特に装飾の施されていない、実用的な剣だ。しかし無論、王貴は本物の剣を見るのは初めてである。
磨き抜かれて汚れ一つ付いていないが、一体どれ程の血を啜ってきたのか……想像するだに恐ろしく、王貴は背筋にひんやりとしたものを感じるのだった。
(剣……ってことは、やっぱりこいつのクラスはセイバー? いや、ライダーの可能性もあるか……普通に喋れてるし、バーサーカーはないかな……)
ひとまずセイバーかなと当たりをつけ、リモコンを操作してドローンを空中に飛ばす。
リアルタイム受信される映像を確認しながら、偵察のために先行させる。
果たして数百メートルの先、電信柱にひっついた数少ない照明灯の下にいたのは――
「これが敵の……サーヴァント」
それは、年若い青年だった。
百八十を越す背丈と、野性味を感じさせる短く乱雑な髪。それでいてその顔と瞳は知的さと優しさに溢れている。
全身を
騎士。
現代では創作の世界でしかお目にかかれない過去の遺物が、確かな存在感と共に、雄々しく屹立していた。
「マジかよ、コスプレとかじゃねえ……間違いなく、本物だ!」
「へ! 当然だろ、これは聖杯戦争なんだぜ?」
王貴の脇からひょいと首を伸ばし、画面に映る英霊の姿を目撃した少年は、にやりと獰猛な笑みを浮かべた。
それを見た瞬間、王貴は反射的に身を縮こませる。
今の一瞬、確かに感じた。少年から迸る、真剣勝負への鮮烈な気迫、燃え上がるような意気込み――即ち、覇気を。
「じ、じゃあ、任せたぞ!」
「応!」
僅かに怯えた王貴の声に勢い込んで返しながら、少年は地を蹴って跳躍した。
衝撃。
アスファルトがひび割れ、突風が王貴の全身を吹き抜ける。
空を見上げた王貴は、少年が星空に吸い込まれるように、高々と林を一直線に飛び越える瞬間を目撃した。
「すげぇ」
放心した呟き。
あれが、サーヴァント。
ヒトの届かぬ力を備えた、この世に在らざる英雄の姿――
――聖杯戦争はもう、始まっている。