(――――勝てる!)
セイバーを名乗る槍使いと打ち合うこと十数合。未だ己のクラスを名乗らぬサーヴァントの少年は、早くも彼我の力量差を確信するに至った。
これは決して慢心などではない。数多くの戦闘経験に裏打ちされた分析と考察の結果だ。
セイバーは七つのクラスの中でも、一定水準の能力値を保証された優秀なクラス。それ故、先刻のライダー以上の苦戦を覚悟していたのだが……
「どうした、自称セイバーさんよ! セイバーだから槍は使い慣れていません、なんて言い訳は聞けねぇぜ!」
「くっ……」
少年の猛攻に、セイバーは一歩、後退る。
誰が見ても、優勢なのは少年。セイバーは後手に回っていた。
マスターと違い、サーヴァントである少年には相手のステータスを正確に数値化する技能はない。それでも、手数の多さに単純な筋力、技量に至るまで少年のほうが数段上であった。
素早さを活かして四方八方から連撃を放つ少年の怒涛の攻勢に、歯を食いしばって必死に対応しようとするセイバーの姿は、油断を誘うための演技にも見えない。無論、何かしらのスキルや宝具を隠している可能性は十分に考えられるので、楽観は出来ないのだが。
(このまま……押し切るッ!)
防御の動作を追い付かせる間も与えず、少年の剣は度々少女の肌やドレス、長い髪を薄く切り裂いた。
逆にセイバーの攻撃は少年に掠りもせず、追い払うので手一杯といった有様だ。
セイバーとて、仮にも超常の力を与えられたサーヴァント。直撃こそ回避してどうにかギリギリのところで渡り合ってはいるものの、この状態が続けば少年の勝利は揺るがないだろう。
状況が変化するのならば、その理由はただひとつ。
「セイバー!」
離れた場所で状況を見守っていたヘルメット姿の男――セイバーのマスターが、ついに動いた。
「
「……いい、の?」
マスターに視線だけ向けるセイバー。
宝具の開帳は即ち真名の暴露。聖杯戦争はまだ始まったばかりだというのに、いきなり弱点を自ら晒すようなものだ。
何処で他のマスターやサーヴァントたちがこの戦いを覗き見しているかも分からない。ここで一時の勝利を得たとしても、次は完全に対策を練ってきた相手と戦わなければならないかもしれない。
そうした疑問や心配の混じった瞳を、しかし、マスターは真っ直ぐに見つめ返し、頷いて了承してみせる。
「構わないさ。派手にやろう!」
「……わかった……マスターがそれを望むなら」
「余所見たぁ、余裕だなッ!」
「! ……くぅ……ッ!」
少年の連撃が速度を増した。
より疾く、より苛烈に。もはや人間には視認不可能なほどのスピードで、荒れ狂う颱風となりながら、白刃を何度も何度も打ち据える。
「そらそら、どうした! 出してみろよ、お前の宝具をよ!」
――槍を使っているとはいえ、彼女は
片手剣か、両手剣か。どちらにせよ、剣として扱うならば当然、手を空けなければならないだろう。しかし、今の彼女の武器は槍。柄を両手で握り締めている関係上、どちらも塞がってしまっている。
無論、槍を手放せば解決する問題だ。だが、そんなことは少年が許さない。実物を持っていないということは魔力を編み込んで産み出すタイプの宝具であろうが、その場合、宝具の顕現は一瞬というわけにはいかない。一秒に満たない時間であろうと、必ずタイムラグが生じる。
そしてその間、セイバーは槍を手放すか、あるいは片手で持たなければならず。その隙を、少年がみすみす逃す理由もない。
少年には確たる自信がある。その一瞬で、セイバーの霊核――サーヴァントが持つ、人間でいうところの心臓等に値する重要器官――を破壊することなど苦もなく行えると。
(だが、何事にも例外ってヤツは存在しやがるからな……!)
仮に、セイバーの召喚する剣が手を触れずに操れるような代物だったら?
あるいは、手甲と一体化して槍を手放さずに使えるタイプならば?
もしくは、不運にも、何らかの手違いでセイバーが防御に成功してしまったら?
(やっぱり、手を緩めるわけにはいかねぇ! 地味だろうがなんだろうが、この状態が続けば俺の勝利は間違いないんだ!)
致命的な一撃は与えられずとも、小さなダメージが延々と積み重なれば、いずれ訪れるのは変わらぬ『死』だ。
故に、少年は決着を急ぐ。最悪の可能性に備え、成し得る限り相手の集中力を削って宝具開帳を引き伸ばし、少しでも多くのダメージを積み重ねようとする。
常に気を配れ。セイバーの周囲に魔力の変動がないか見逃すな。
絶対に宝具を使わせない。先刻のライダーとの戦いを経て、そう決めたのだ。
「ッ!」
セイバーが後方へ大きく跳躍する。
「逃がすか!」
間髪入れずに少年も同じ方向へ飛ぶ。少しでも距離を離すわけにはいかない。魔力を編み込む時間を与えてはならない。
剣を振り上げる。月明かりに煌めく刃。そのまま一気に振り下ろそうと――
――――
「――『
呟きは一瞬のこと。
その言葉の意味を少年の脳が咀嚼するよりも早く、ふっ、と影が差した。
見上げれば、頭上に、黒。
一面の黒。
否、黒い、大きな、大きな、大きな――大きすぎる何かが――
「お……おおおぉぉぉぉぉッ!!?」
反射的に少年は身を捩り、自身の肉体を天地逆転させた。
足を突き出し、全身全霊の蹴りを頭上の――現在の位置関係においては足元の――黒い物体に放つ。反動で反対方向に弾かれた己の肉体を、瞬時に霊体化。実体では及ばぬ高速移動を以て、全力を挙げて『逃走』する――!
ズゥゥゥゥン、と重い音が響き渡った。
あちこち砕けた路面。
半壊したガードレール。
周囲の群生林。
一瞬前まで、そこにあったもの。
その全てが、消えた。
失われた。
雑草、小石、虫に至るまでの全てが――踏み潰された。
下敷きとなった。
突如、天より飛来した、途轍もなく巨大な物質に。
「ハ――――」
地面に尻餅を付いた無様な格好のまま実体へと戻った少年が、突風じみた砂埃を浴びながら乾いた笑い声を上げる。
「ハ、ハ……ハハ。なんだ……これ」
視界の大半が、黒一色に塗り潰されていた。
目測で、およそ幅6メートル、奥行き5メートル。高さは10メートルに届くだろうか。夜闇と一体化するような漆黒の六面体が、圧倒的な質量で眼前に立ちはだかっている。
離脱が一瞬でも遅れていたら、間違いなくこの黒塊の下で真っ平らな骸と成り果てていただろう。
何故なら、六面体は金属製だった。当然、重量が一トンや二トンでは収まるはずもない。
「とんだ質量兵器だな、おい……これが、
――聖杯に招かれしサーヴァントは、聖杯によって様々な知識を与えられる。
主にその聖杯戦争が行われる時代や地域の常識や言語能力などだが、それとは別に、英霊たちは彼らの本体の住まう『座』において、古今東西の英霊たちの逸話や伝承を学ぶことが出来た。
『
北欧神話において、時には敵、時には味方と次々立場を入れ替えるトリックスター、最終的には神々の陣営を裏切り、世界を滅ぼす巨人たちを率いた邪神ロキ――そのロキが自らルーン魔術を用いて鍛え上げた魔剣を収める匣の名前だ。
そしてロキは、理由こそ明かされていないが、その匣を自らの下から手放し、魔剣共々ある人物へと預けている。
匣を預かりし者の名は――シンモラ。
だが、シンモラに剣士としての逸話はない。
彼女は、あくまで匣を管理していただけだ。その剣を振るった伝承なんてものは存在せず、そもそも戦場に赴いたかどうかさえ、神話には記されていない。
英霊とは、誰もがなれるものではない。英霊を英霊たらしめるのは、人々の想念。確かな知名度と信仰心だ。シンモラという少女が英霊に至るだけの『格』があること自体、不自然といえる。
否――その疑問は無意味なものだ。宝具の真名開放を誤魔化すことなど不可能。ならば、この眼前にある黒い塊こそは『
しかし、それならば疑問は振り出しに戻る。即ち、シンモラは剣を用いた業績を語られていない。
剣士としての逸話というのならば、むしろ彼女よりも、彼女の――
「――――神よ」
朗々たる声が耳朶を打った。
どうやら少年が呆然としている間に、黒い巨大な物質――装飾性皆無な匣の上部に、セイバーが移動していたらしい。
少年は舌打ちすると身を起こし、前方に聳える匣を見上げた。十メートル以上離れた匣の上部、その端に、セイバーは静かに立っている。
「神よ。我が創造主よ。今こそ汝に与えられし武威を此処に示し、汝に与えられし使命を果たさん――」
風に揺れるドレスの裾をはためかせて唄うように諳んじるセイバーは、神託を下す巫女のようでもあった。白く艶めかしい太腿がちらりと覗き、少年は頬を赤らめて視線を強引に彼女の顔面へと固定する。
そんな純情な少年の様子に気付いた風もなく、少女はその手に握った槍を匣に突き刺した――見るからに重厚で堅牢な金属製の匣に、その刃が吸い込まれるように突き刺さったのである。
瞠目する少年の前で、更なる異変が起こる。セイバーの身体もまた、足元からずぶずぶと匣の中に沈み込んでいくではないか。底無し沼に足を踏み入れたがごとく垂直に匣へと飲み込まれていく様は、まるで怪物の口内へと捧げられる供物のよう。しかしながらセイバーの表情に怯えの様子は見られない。むしろ一見して無表情でありながら、ほんの僅かに陶然と瞳を潤ませてすらいる。
何が起こるのか。
緊張した面持ちで警戒する少年の前で、匣は突如、虚空より燃え盛る炎を吹き上げた。
「うぅ!?」
慌てて飛び退く少年の眼前で、紅蓮の炎は匣を中心に渦を巻く。
夜闇を遠ざける鮮やかな緋色に照らされて、匣はその全身に光の筋を纏わせた。複雑な直線と曲線の絡み合いが織りなす幾何学模様に彩られた黒鉄の四角柱は突如――その筋に添ってバラバラに分解された。
「…………は!?」
いや違う。分解されたのではない。
その
他を寄せ付けぬ猛炎の結界の内側で、見覚えのある部位が――胴体が、脚が、肩が、腕が、頭が、次々と形成されていく様を、少年は唖然と眺めていた。
――匣の管理者、シンモラにはもう一つの顔がある。
それは、北欧神話に名高きとある巨人の『妻』という点だ。
その巨人こそは、灼熱の国ムスペルヘイムの門番。神々と九つの世界に終焉を齎す
彼の
仮に。
仮にその巨人とシンモラが
神話において同時に登場することのない二人。神々を相手取って戦う夫と、一切の消息が不明の妻――その二人が、もしも
ああ、ならばシンモラが
彼女は、シンモラとして召喚されたのではない。
その夫である、
「――
果たして、完全なる人型となったその漆黒の巨体は。
まさしく神話に語られし、世界を灼き尽くす者の姿だった――