御神王貴
「田んぼしかねぇ」
幾度、同じ言葉を口にしただろうか。
ひたすら長く続く農道を走る軽トラックが一台。まったく変化のない景色を延々と置き去りに、運転席でハンドルを掴んだ
「……田んぼしかねぇ」
繰り返し。
何日、何週間、何ヶ月と反復した台詞。
子供の頃は、特に疑問に思わなかった光景。
大人になり、都会の喧騒に呑まれた今となっては、苛立ちを通り越して羞恥心すら湧き上がってくる景観。
日本海にぽつんと浮かぶ、閑静な島の名前だ。
歴史の教科書に掲載されるような文化財など存在せず、テレビやニュースで大きく報じられるような特産品があるわけでもない。いたって普通の、ひっそりとした田舎の寒村である。
人口はおよそ三万人。ただし、その三分の一が定年を迎えた老人であり、過疎化の波は一向に衰えず、潰れた小学校は数知れず。いずれ滅びを迎えることが確実視されている、時間の流れが止まったかのような閉じた世界。
御神王貴は、そんな雲名島の出身だった。
王貴。
なんて格好良い名前なんだ、という自負が幼いころから彼の中にあった。名字も素晴らしい。なんていったって御神だ。神で、王で、貴族。そりゃあもう、そんな特別感のある名字を持って、名付けをしてくれた両親に感謝した。いつか、その名に相応しい尊敬される偉大な存在になるのだと、信じて疑いもしなかった。
――そして現在、三十五歳の王貴は職業安定所に通う日々を送っている。
都会での暮らしに困窮し、実家に戻ってきたのが五年前。以来、就職しては半年も続かずに辞めてしまい、ずっと親の脛をかじる生活が続いていた。最初は情け容赦なく尻を叩くように叱責していた両親も、今ではすっかり諦めムードであり、碌に話しかけてくることも無くなってしまっていた。
違う。
こんなのは、違う。
自分はもっと、特別な人間のはずだ。今は運が向いていないだけ。機会さえあれば、すぐに大成して、都会に逆戻りして、日本中にその名を轟かせるような人間に――
「…………はぁ」
溜息をついた。
流石に、三十五歳にもなれば自覚している。自分は特別な人間でもなんでもなかった。むしろ、人より劣る才覚しか持っていない。だから、こんな人生の負け犬みたいな生活に甘んじてしまっている。
これまでの年月を振り返ってみても、後悔しかない。何故、もっと努力をしなかったのか。楽な道ばかり歩んでしまったのか。
無駄に
それ以上に、そんな自分の短所を認識していながら、直すことの出来ない怠惰と腐敗に満ちた己の性根を、どうしようもなく嫌悪していた。
沈鬱な表情を浮かべた青年は軽トラック――父親からお下がりで貰った中古車――のルームミラーで、自分の顔をちらと覗き見る。
脂っぽく、膨らんだ容貌。
五年前までは痩せぎすで、それなりに見れる顔だったはずなのに――その面影は微かに残る程度。まったく外に出ず、こうして職業安定所に通う以外は部屋に引きこもって趣味のゲームやパソコンに没頭していた結果がこれだ。
気付いた時には愕然としたが、今では既に見慣れてしまい、何も感じなくなってしまっている自分が恐ろしい。
なんだか、額も徐々に広くなってきている気さえする。
こうして何も成し得ないまま自分は老いていき、世の中にいてもいなくても関係ない、不必要な人間として生涯を終えるのだろうか。
「………」
暗い気持ちになるのはいけないことだ。
わかっている。わかってはいるのだが――それでも、心の内に言い知れぬ恐怖という名の感情が忍び寄り、精神を蝕んでいくのを止められない。
ただ、絶望。
どうしようもない焦燥感。
このままでは終わりたくないという気持ちは、当然ある。
だが――今更、どうすればいいのだろう?
ここからの人生一発逆転劇なんて、それこそ、
「――――痛っ!?」
突如、王貴の右手に焼串を押し付けられたかのような、猛烈な痛みが走った。
慌ててブレーキペダルを踏み込み、軽トラックに急制動をかける。アスファルトに黒いタイヤ痕を残して軽トラックは停止し、慣性から来る衝撃で王貴の身体が前後にガクンと揺れた。
「なん……だ!?」
顔を顰めながら、王貴は右手の甲を擦る。
痛みは一瞬ものであり、既に右手は何事もなかったかのように正常な機能を取り戻していた。
ずっとハンドルを握っていたのだから、どこかにぶつけたわけではない。では、一体何が起きたのか。筋肉が攣った、というような感覚でもなかった。急に蜂か何かが開けっ放しの窓から入り込み、猛スピードで針を突き刺しでもしたのか――
「………………あ?」
左手を離し、己の右手に視線を向けて――王貴は硬直した。
右手は、予想に反して、怪我一つない。
ただ、不思議な赤色の紋様が、まるで入れ墨のように浮かんでいた――