期末テストの日程が全て終了と相成った七月上旬ともなれば、下校の時刻となろうとも太陽は落ちる気配を見せない。
未だ熱気が街中を漂い、時に視界の中の風景が陽炎のように揺らめく場面を目撃することもある。
炎天下を歩む人々は、例えば半袖を着て、例えば第二ボタンまで開き、例えば日傘を差すなど、思い思いの方向性で熱を締め出そうと努力していた。
ところが、そんな清涼さに反するような格好の少年が一人、友人たちと連れ立って歩いていた。
学校指定の夏服であるワイシャツが、長袖なのはさして珍しいわけではない。
うなじが隠れる日除けのタオル帽子を被っているのも、決して変ではないだろう。
しかしながら、更にその上から顎ほどまで覆うサンバイザーを被り、手袋まで嵌めているのは、少々異様な風貌と言えた。
遠目からは、彼の肌が一切視認出来ないほどの重装備。
まるで、太陽の光を嫌う
そう――少年のその姿は、ありふれた雲名島の日常の一部でしかないのだから。
「後は夏休みの到来を待つだけだなぁ」
「
「いんや、一切なし」
「同じく。ミコトはどうなのさ?」
「僕も、特にはないよ」
ミコトと呼ばれた件の重装備の少年は、そう言って肩を竦める。
何の変哲もない、学生らしい仕草と口調だった。
「まあでも、毎年やることは変わらないかな」
「うへえ。帰宅部の俺にはスポーツの良さはわからんわ」
「同じく。テキトーにダラダラして過ごすしかない俺らには、理解の及ばない世界だな」
「やってみれば、案外楽しいもんなんだけどな」
「無理無理、ぜってぇ無理。汗だくだくで素振りするくらいなら、エアコンの効いた部屋でゲームするもんよ」
「同じく。努力とか根性とかは全てミコトに任せた。俺らは遠くから応援してるよ。漫画読みながら」
「別に、僕だってゲームしたり漫画読んだりもしてるんだよ?」
日光を完全遮断する黒いサンバイザーの下で、苦笑するミコト。
よくよく見れば彼の肉体は外目には細身のようでいて、その実、友人たちと比較して非常に引き締まった体躯をしていた。筋骨隆々といった様相ではないものの、余計な脂肪分を削ぎ落とした無駄のない筋肉は、アスリートやボクサーに近しいものをを感じさせる。
無論、その道のプロと比べればまだまだ未成熟ではある。しかし、日頃から鍛錬を積み重ねてきた成果が、確かなものとしてミコトの身体に刻まれている。
「あんまりだらだらした生活送ってると、
「ちょっ、やめてくれよ! 委員長、マジで家まで押しかけてきたこと思い出しちゃうじゃん!?」
「怠惰な生活を改めろー、とか言ってな。親が感謝するからタチが悪い」
「知ってる? 咲耶ちゃんの将来の夢、警察官だってさ」
「うげげ。ちょっと駐車違反しただけで、一時間くらい説教されそうだ」
「委員長、真面目だからなぁ。見逃してくれないんだろうな」
「いや、そりゃ悪いことしたほうが悪いでしょ」
「ミコトも真面目だなぁ。やっぱスポーツやってるヤツは違うわ」
「極めて常識的なこと言ったつもりなんだけど」
他愛のない雑談に興じているうちに、ミコトはやがて大きな木造の塀が取り囲む門扉の前で立ち止まった。
古めかしい意匠に対して比較的新しい建築物だが、その重厚さは威圧感を放ち、見る者を圧倒する。
「じゃあ、また来週」
「おう、じゃあな」
「またね、ミコト」
友人たちと別れ、ミコトは門扉をくぐった。
すぐに真正面に現れたのは、同じく巨大な木造の建物。『刀鋼館』という看板の掲げられた、剣術道場だ。
ミコトは道場へは赴かず、その隣にある母屋の裏口へと回る。
財布にチェーンで結んだ鍵を取り出し、ドアノブの鍵穴に挿して捻る。
ガチャリ、という音を共に解錠された扉を開き、ミコトは屋敷内に響く声を張り上げた。
「ただいま!」
返事はない。さして気にした様子もなく、ミコトは二階にある自分の部屋へと向かう。
カバンを机に放り投げ、身に付けていた手袋を床へと脱ぎ散らかした。
雪のように真白い肌が現れた。
続いて、サンバイザーとタオル帽子を、同じように脱ぎ捨てる。
リモコンを操作してエアコンを起動させると、ベッドに勢い良く倒れ込んだ。
象牙色の髪が揺れて、その瞳の色は
生まれつき肉体のメラニンが欠乏し、色素が欠落した突然変異的に生じる遺伝子疾患。
そのため紫外線を防御出来ず、外出する際は
神秘的で美しく、そして儚く脆い――だが、それ以外は何一つ、健常な人間と変わらない存在。
輝瀬ミコトは、そんなアルビノの少年だった。
「夏休みの前に……ちゃんと終業式を迎えられるかどうか、分からないな」
エアコンから送られる冷風を浴びながら、ミコトは右手を持ち上げてじっと眺める。
血のように赤い令呪は、ミコトの白い肌によく映えた。
非常に目立つが、ミコトは普段から手袋をしていてるので、隠す分には問題ない。
「聖杯戦争……ね。仮に負けたら、やっぱり殺されちゃうのかな。それは……嫌だな」
ミコトはまだ十七歳だ。まだまだ、やりたいことはたくさんある。
ワケのわからない事態に巻き込まれて、五十年以上は生きる予定の人生を終えてしまうなんて真っ平御免だ。
一番賢い選択は、すぐにサーヴァントを自害させ、聖杯戦争から脱落してしまうことだろう。
だが――
「そういうわけにも……いかないよな」
聖杯。
あらゆる願望を叶える器。
ミコトは、それがどうしても欲しかった。
例え――この先に待つのが、血みどろの修羅道しかなかったとしても。
「いや……違うか。きっと、マスターに選ばれるのは、そういった願望の持ち主だけなんだろう」
疑念は尽きない。
何故、雲名島なのか。
どうして、聖杯戦争なんてものをしなければならないのか。
本当に、あらゆる願いが叶うのか。
そもそも、聖杯とはなんなのか。
令呪――正確には、令呪を通した聖杯――から与えられる知識は、それを当然のものと『納得』を強要させる。
物体が重力に従い、上から下へと落ちるように。
聖杯戦争は絶対に執り行われ、自分はそれに参加しなければならないという、強制力が働いているかのようだ。
「顔見知りが、他のマスターじゃなければいいけど」
自分がそうであるように、他の参加者たちも、譲れない願いの持ち主なのだろう。
聖杯を得るためには、即ち他の六人の願望を断ち切らなければならないということ。
それだけでも暗澹とした気分となるのに、それが友人の――特に、
「……考えても仕方ない、か」
始まる前から悲観的ではいけない。
かといって、楽観的に挑むのも良くはない。
例え何が起ころうと、曇りなき眼で全てを見通し、最善の行動を取る。
祖父から学んだ輝瀬一刀流の教えを反芻しながら、ミコトはしばし冷房の心地良さに身を委ねるのだった。