「ねぇちーちゃん」
「なに」
「ちゅーしよ」
突然の一言に、チトはケッテンクラートのブレーキを踏んでしまい、急停車してしまう。その勢いでユーリが荷台で転がり「あでっ」と声が上がる。
「……何のつもりだ」
「え。ちーちゃんを食べたくなったから」
と、ユーリはさも当たり前のように言った。ちゅー、つまるところキス。または接吻、口づけと呼ばれる行為である。チトの中では、そういう行為は愛し合った男女二人が行うものと、昔読んだ本にそう書かれていた。だからユーリが唐突に「接吻しましょう」と、さもお腹が空いたと呟くのと同じ乗りで言うことは、チトが蓄えていた接吻に対する知識全てをひっくり返してしまうには十分すぎた。
「だめ?」
と、ユーリはまっすぐな目でチトを見つめた。長い付き合いだからわかる、この目は本気だ。本気でユーリはチトとキスをしたいと、そう思っているのだ。
「……ダメだ」
「えーなんで?」
「ダメなものは、ダメだ」
そう言ってチトはケッテンクラートを発進させる。ユーリはまだ不服そうだったが、構わずギアを上げて速度を上げる。
「あー、ちーちゃんを食べたい」
「ダメだって言ってるだろ。あとその言い方やめろ」
ユーリがやたらとチトのことを「食べる」と表現する理由は、ほかならぬチトが原因である。何を隠そう、以前ワインという飲み物を飲んだ際、チトの抱えていた不安がダダ漏れし、ユーリに対してチトが「食べたい」という表現を使って熱い夜を過ごしたのが原因である。
ワインを飲んでから記憶を完全に失ったチトからしたら、にわかに信じがたいことではある。しかし、目が覚めた際に見たキスマークだらけのお互いの裸、そして不意打ちでユーリにされたキス。その感触、そして彼女の「味」を、体はしっかり覚えていたのだ。
(信じたくないけど……私とユーリは肉体的関係を持った、ってことになる)
それが嫌かと問われれば、チトはノーと答える。では、大変喜ばしいことか、と言われればイエスともノーとも言えなかった。複雑、というやつである。
「ねぇちーちゃん」
「なんだ」
「私のこと嫌い?」
「…………別に」
最近、こういう質問が多くなった。あの一件以来、自分がユーリと少し距離を置こうとしているからだ。自分たちの関係が変わりつつあることを予感して、チトは一歩引いて自分の気持ちの整理をしたかったのだ。
「でもちーちゃん最近冷たいよ」
「そんなに変わらないだろ」
「変わってるよ」
チトは返事をしなかった。実をいうところ、ユーリにもばれているんだろうなという気はしていた。自分たちのしたことの大きさに、頭が受け止め切れていないのだ。
故に、今ユーリにあの時と同じようなことをされたら自分がどうなってしまうか全く予想できなかった。
そしてだ。チトがユーリから距離を置きたくなる最大の理由がある。
「……いいか、ユーリ。私たちがしたことは、私が無自覚だったとはいえ、今までの関係が大きく変わるかもしれないことなんだ」
「ほうほう」
「だから、私はもっと慎重に考えたいんだ。ユーリのことを嫌いになったわけじゃないから。しばらく待ってて」
「……わかった」
それからユーリはおとなしくなり、寝息が聞こえてきた。一先ずは逃げ切ることができたと安堵し、チトは運転しながら考える。人なんてもう自分たち以外いないであろう場所だ、飛び出しに注意する必要もない。
『私のこと嫌い?』
ユーリの言葉が脳裏を巡る。後ろにいる相棒の表情は見て無かったが、たぶんいつも通りの何も考えていなさそうな顔をしていたと思う。だが、こんな質問をしてきたことは一度もない。
ユーリは頭が空っぽで、チトより楽観的で、言うなればチトよりも知恵が足りない面がある。が、ユーリは足りない知恵を補う分、些細な変化を感じ取れる敏感な感覚を持っているのだ。
だからチトの心境の変化に本能的に気付き、ユーリも少なからず不安を抱いているのだ。
ではユーリの問いにチトは何と答えるのか。そんなものは決まっている。
(……嫌いなわけないだろ)
むしろ、好きなくらいだ。それも恋愛感情的なものも含めてだ。ただこの気持ちは実のところ自分が息絶えるその日まで心にしまっておこうと思っていた。言ったら、自分たちの関係が決して戻れないところに進んでしまうからだ。それが良い結果でも、悪い結果でも。
それなのに、「ワイン」を飲んだせいで記憶をなくし、自分の気持ちを体でユーリにぶつけてしまったのだ。結果、ユーリは自分の気持ちを受け入れてくれて、以前よりも近づこうとしてくれている。それは喜ばしい。
しかし、見せたくなかった自分の弱みも晒したことになるのだから、それがたまらなくむず痒くて、ユーリの顔を直視できなかったのだ。この感覚をなんというか。そう、羞恥だ。
だが。チトがユーリから距離を置きたくなる最大の理由はこれらではない。
(ユーリが私のことを今以上に受け入れてくれたのはうれしい。けど、私もそれに甘えて、ユーリのことをもっと好きになってしまったら……)
ぎゅう、とチトはハンドルを強く握る。恐怖がじわじわと頭を満たしていく。落ち着こうとするがなかなか上手くいかない。
(失ったときが、怖すぎる……)
それがユーリから距離を置きたくなる最大の理由だった。
*
廃墟連なる道を走っていると、ケッテンクラートを収納できそうな場所を見付けた。まだ夕方前だが、今日はどうしても気が進まない。一人で考えていたくて仕方ない。もう終わりだとチトは転回し、バックで建物に入るとエンジンを止めた。
「ユー、起きろ」
「んにゅぅ……ちーちゃんの味が……チーズ味……」
「馬鹿なこと言ってないで起きろ」
チトはユーリの体を揺さぶり、起こそうと試みるが少し眠りが深いようで、起きる気配がなかった。むにゅむにゅといいながら、寝言が続く。s
「むぅ……ちーちゃんとちゅーしたい……」
「…………ふんっ!」
ごん、とチトは渾身の一撃を額に叩きつけた。さすがにこれは目覚めの一撃となり、ユーリが悲鳴を上げながらのけ反った。
「あうぅ……な、なにが」
「アホなこと言ってないで起きろ。今日はここで寝るぞ」
「あれ、でもまだ暗くないよ」
「いいんだよ、これ以上は進む気にならない。この辺りを探索して終わりだ」
リュックを背負い、建物の上の階を目指してみる。これは欠かさない行為だ。燃料、食料、細かい資材、そう言ったものは毎日毎日消費されていく。少しでも油断すれば、あっという間に自分たちの命の危機につながる。
だからすべてとはいかないが、目についた建物に入って探索をしていくのが彼女たちのいわば仕事だ。
「んー、ここどこ?」
「適当に入った建物だから知らん。けど、雪や風は凌げる。上に行くよ」
「へーい」
まだ眠そうな目をこすりながら、ユーリはライフルとリュックを背負うとチトの後に続く。
ちらり、とチトはユーリの姿を見る。また大きな欠伸をして涙を浮かべながら付いてきている。一件いつも通りに見えるのだが、逆にそれが不思議というか不安というか、よく分からない気持ちになる。ワインのせいとは言え、あんなことをされたら普通よそよそしくなったりするのではないだろうか。事実、今のチトがそれである。
だというのに、ユーリは変化なしその物である。先ほどの接吻発言を除いては。
「んー、見事に何もないね」
「電気は生きてるみたいだけど、ここには発電施設みたいなものはなさそうだな」
あちこちに首を回してみるが、あるのは壊れた歯車やよく分からない機械、その他もろもろ。食べ物が見つかれば御の字だったが、ここまで何もない時は大抵収穫なしの事が多い。
一つ一つフロアを見てみるが、驚くほど何もなかった。もぬけの殻、という言葉を聞いたことがあるチトだったが、こういうことなのだろうと納得がいく。まぁ、こんな光景は幾度となく見てきたから今更だ。
日が暮れる直前まで探索をした結果、食料や資材などは残念ながらなかった。その代りというか、燃やせそうな廃材や布はいくつか見つかったので、燃料の節約はできそうなのはありがたかった。
ケッテンクラートを置いているところまで戻り、天候を確認。とはいっても階層都市だから一度上ってしまえばほとんど関係ない。少なくともここは隅の方ではないから、猛吹雪に襲われるなんてことはない。
着火のために布きれに少しばかり燃料をかけて点火。すぐさま集めた廃材を放り込んで炎の勢いを大きくした。
「ふぃー。これで今日のお仕事はおしまいっと」
「歩いてるだけだったけどな」
「まーまー、歩きも生きるための労働ということだよ」
よっこいしょと、ユーリは地べたに座りこんで手袋を外し、暖を取るために手を近づけた。チトもリュックを下してユーリの隣に座りこみ、水筒を取りだして大切に飲む。ユーリはポケットからレーションを取りだすと美味しそうに頬張っていた。日も暮れてきたから私も食べよう。チトも自分のジャケットからレーションを取りだした。
「ところでちーちゃん」
「ん?」
「なんかいつもより遠いね」
もぐもぐとしながらユーリがそういう。チトはいつもと大差ないのではと思う。実際、知らない人間が見ると大差ないように見える。
「……大差ないだろ」
「手のひら一個分遠い」
といいながらユーリはレーションの最後の一口を食べきった。ユーリの一言でチトは手元に目をやると、確かにそれくらいはありそうな距離感だった。
この時チトは気づいて無かったが、本能的にユーリよりも離れて座るようにしていた。そしてユーリもまた本能的に察知したのだ。それもチト以上に、まるで犬並みの察知能力でだ。
「そんなに難しいことだったのかな」
ライフルを取りだし、銃下部のクリーニングロッドを引き抜いてバレル内部の掃除を始めながら言う。チトはぎくりと体が硬直してしまう。できればあのまま忘れてくれたらありがたかったが、やはり事はそう上手くいかなさそうだった。
「……そうだよ。難しいことだ」
「ああいうことしちゃったらさ。私たちってどうなっちゃうの?」
手際よくライフルを分解しながらユーリは聞いてくる。ながら作業ではあるが、これは聞き逃さない姿勢だとチトは悟る。たぶん、ユーリが納得するか、理解を諦めるところまで行かないと終わらないと判断する。チトは自分の心の整理も兼ねて徹底的に教えていこうと腹を括る。
「どうなるって……ああいうこととか、その、キスっていうのは……普通、男の人と女の人がするものなんだよ」
「じゃあ、女の子同士ではしちゃいけないことなの?」
「いや、そういうわけじゃないけど……少なくとも、そういうのは好きな人同士でやるんだよ」
「私、ちーちゃんのこと好きだよ?」
チャンバーとストックを分離させながら返答するユーリ。割と手ごわそうな雰囲気にチトは長期戦を覚悟する。
「そういう好きとはちょっと違って……こう、ある人のことを好きになると胸がどきどきして、ずっと一緒にいたいって思ったりするんだよ。それが恋、恋愛っていう奴なんだ。恋をしてお互いの好きが伝わったりしたら、互いが恋人って関係になるんだ」
「ほうほう、コイビトか。それなら聞いたことあるよ。でもコイビトになったらなにするの?」
外したチャンバーを丁寧に掃除し、ふぅ、とユーリは息を吹きかける。チトは廃材を炎に投げ込み、少し考える。自分だって経験があるわけじゃないのだから一概に言えない。本で見た知識を言うしかないのだ。記憶の奥からゆっくりと引っ張り出し、自分の知り得る限りの知識を語る。
「恋人っていうのは、あれだ。まずお互いが好きだから会いたくなって、会って一緒に遊びに行ったり、ご飯を食べたり、一緒に住んだり、それで……」
「それで?」
手を止めたユーリがチトの顔を覗き込むように問いかける。その青い瞳が自分の緊張をすべて見抜いているようですこしドキリとした。
「……それで、お互いの好きって感情を体で表現するんだよ」
「それがちゅーだったりするんだ」
「そういうことだ」
「なるほどねー」
納得した様子でユーリは銃の組み立てに入る。日課となった手入れの速さは見惚れるほどで、まるでビデオの巻き戻しのようにバラバラになっていたライフルが組み立てられていく。
「でもさ、ちーちゃん」
ストックとチャンバーをはめ込んだところでユーリが問いかける。チトは廃材を再び放り込み、「なに」と答える。
「さっき言ってたコイビトってやつが、ちーちゃんの言ったとおりのことをするんだったらさ」
「うん」
「私たちって、もう『コイビト』ってことなんじゃないの?」
「…………え」
チトは一瞬ユーリが何を言っているのがわからなかった。こいつは私の話を聞いていたのか? 恋人っていうのはそういうのじゃない、もっと複雑で特別なものなんだぞ。そう言おうとして、それよりも先にユーリが言葉を重ねた。
「ちーちゃん言ったよね。『コイビト』って相手のことが好きで、相手のことを考えると胸がどきどきして、ずっと一緒にいたいって思うこと。それで恋人がすることは好きだから会いたくなって、会って一緒に遊びに行ったり、ご飯を食べたり、一緒に住んだり」
ガチャン、とボルトをコッキングし、ユーリが再びチトの目を捉えた。まるで、獲物を見付けたハンターのような目で。
「それって、いつも私たちがしてることだよね」
チトの中で時が止まった。そんなバカなと思いたかった。だが、確かに今彼女が言ったことすべては自分たちが日常的にやっていることだった。それを思い知らされた瞬間、チトの中で組み立てていた何かに大きな亀裂が入った。
「いや、だから……恋人っていうのは……相手のことを好きじゃないと行けないんだ」
「私はちーちゃんと一緒にいると楽しいし、ドキドキだってするし、ずっと一緒にいたいって思うし……ちーちゃんのこと、大好きだよ?」
まっすぐな目がチトの瞳の奥に届く。目を反らしたくても反らせない。ユーリの野性的な本能がチトを絶対に逃がさないようにしていた。そう、さっき目が合った瞬間からチトは逃げられなくなっていたのだ。ユーリは、自覚こそないにしろ、ここで、この場でチトの気持ちを知りたいと思っていた。
「そ、れ……は……」
「それじゃあ、ダメなの?」
チトは考える。そう、確かに言う通りかもしれない。自分だってユーリのことは嫌いじゃない。大好きか、と聞かれればそうだと答える。しかしチトの心の中で何かがそれを認めてはいけないと警鐘を鳴らす。沈黙が続き、ぱちりと焚火の音が鼓膜を突く。
「ちーちゃんはさ、あの時私に抱きつきながら『居なくならないで』って言ってたんだよ。だからさ、そうならないためにも私とちーちゃんはコイビトになったほうがいいと思うんだよね。いま私たちが一緒にいることがコイビトと同じならさ。それに」
ユーリの手がそっとチトの頬に触れ、思わず体が跳ねる。温かくて、思わず惚れ惚れしてしまいそうな柔らかさだ。
「ちゅーしてるときのちーちゃん、すっごく幸せそうな顔してた」
こいつ、自分じゃ理解していないが私のことを口説いている。なんて奴だ、このまま聞き続けたら私はどうにかなってしまいそうだ。チトの脳内はパニック寸前だった。
「だからさ。もう一度ちゅーしてみない?」
ユーリのもう片方の手が空いていた頬に触れ、チトはユーリに両方の頬を支配されていた。彼女がそのまま顔を近づければ、あっという間に唇を奪われるだろう。それを受け入れてもいいかもしれないという思いがほんの少しだけ現れる。
だが、その瞬間にチトの奥底に眠っていた負の感情が漏れ出す。そうだ、今ここでユーリを受け入れたらきっと自分の世界が大きく変わるだろう。毎日毎日、失うものが出てくるこの終末の日常が、ユーリとの関係が進むことで彩られるに違いない。
それで。失う毎日の中で、ユーリを失ったら?
「だっ、だめ!!」
チトは添えられていた手を振り払い、後ずさりしながら立ち上がる。気づけば自分の息がとんでもなく荒くなっていて、肩で呼吸しないと酸素が回らないくらいになっていた。
「ちー、ちゃん……?」
「ダメなんだ……ユーリを、ユーリをもっと好きになったらダメなんだ!」
そうだ。ユーリのことは好きだ。かけがえのない大切な、唯一無二の人だ。そしてその人が自分ともっと親密になりたいと言ってくれている。そうしたら自分の抱えている不安がずっと軽くなるに違いない。
それはつまり。失うものがより大きくなることを意味しているのだ。
「ユーリのことは、ユーリのことは好きだし、大事だと思ってる。今以上に大切な、恋人になるのも全然いいと思う! ユーリとそんな風になれたら、今よりもっと毎日が楽しくなると思う! けど、毎日毎日、色々なものを少しずつ失っているんだ。それで、それでいつかユーリを失ったときが怖いんだ! 怖いんだよ!」
気づけば目元が熱くなって、頬に何かが流れ落ちていた。チトは自分が涙を流していることに気付く。ユーリもそれに気づいた表情をしている。だが、昂った感情に押し潰されてそんなものすぐに気にしなくなった。
「だからダメなんだ! これ以上ユーリを好きになったら、恋人になったりしたら……」
「…………ちーちゃん」
ユーリが優しく呼びかける。しかしチトの頭の中はいろいろなものが噴きだして制御が全く効かなくなりつつあった。ユーリの声ですら頭に入ってこない。チトはそのまま癇癪を起し、子供のように泣き喚く。
「だから来るな、来ないで! これ以上私に大事なものを増やさないで!」
「ちーちゃん」
「うるさいうるさい、何も言うな! 食べ物も全部やる、だからこっちに来るな!」
「ちーちゃん」
それでもユーリは優しく呼びかける。それが嬉しくて、でも怖くて、申し訳なくて、色々なものが混じり合って訳がわからなくなる。こんな自分を見てほしくなくない。ユーリがどんな顔をしてるのか怖くて見れない。来ないで、来ないで、構わないで。
「大丈夫だよ」
そんな声が聞こえた気がして、そしてチトははっとした。いつの間にかユーリが目の前にいて、チトのことを優しく抱きしめていた。それを実感した瞬間、チトの頭の中が急速に冷えていく。
「ぁ……わ、わたし……」
「よしよし、大丈夫大丈夫。深呼吸してね」
ユーリに言われ、チトは目を閉じて大きく息を吸い込み、そしてゆっくりと吐きだす。そして今度は鼻から思い切り空気を吸い込んで吐きだす。ユーリの優しい香りがして心がほっとしていく。それと同時に、癇癪を起した自分が恥ずかしくてたまらなくなった。
「……ごめん」
恥ずかしさのあまり、ちとはユーリの顔を見ることができなかった。どうしたらいいかわからず、ただやり場のない羞恥を誤魔化すためにユーリに手を回して自分も抱き着き、密着する。柔らかいユーリの胸のおかげで、一層頭を冷やすことができた。
「一回すわろっか」
チトは頷き、無言で二人はそのまま座りこむ。ユーリは何も言わず、ただ優しくチトの頭を撫でていた。
(……あったかい)
ユーリの長い髪の毛にそっと指を絡めてみる。きれいな金髪で、光に当てると反射してとても美しかった。自分にはない魅力が羨ましい。そして、そんな彼女が愛おしい。
(ああ……ユーリって、こんなに大きかったんだ)
ふと、自分の相棒の心の広さを知り、チトは安心する。自分をこんなに受け止めてくれる人なんて世界でもうユーリしかいないだろう。そして、ユーリが自分を受け止めてくれる人で良かったと心から思う。
「……もう大丈夫、ありがとう」
少し名残惜しい気がしたが、これ以上していると 一生戻れなくなりそうだったから我慢する。ユーリも何も言わずにチトに回していた腕を離して彼女を開放する。チトはようやくそこでユーリの顔を見たが、彼女の顔は今まで見たことないくらいに穏やかな笑みを浮かべていた。
「そっか。よかった」
「……その、ごめん、大きな声出して」
「気にしてないよー。ちーちゃんが怖がっているのはあの時から知ってたからさ」
「私他に何を言っていたんだか……」
「かわいかったよ。私に甘えてきてた」
「……うっさい。余計なことだけ覚えやがって」
「余計なことじゃ無いよ。私ちーちゃんのことは何でも覚えてるから」
さも当たり前のように言うユーリではあるが、それを聞かされるとむず痒くなるのがチトである。また少し顔を赤くしながらチトは少しそっぽを向く。
「でも、私がいなくなったときがとても怖くて不安っていうのは、それまで知らなかったんだよね。だからあの時ちーちゃんが怖いって言ったときはすごくびっくりしたよ。それと、ごめんねって思った」
「なんでユーが謝るんだ?」
「気づいてあげられなくてごめんってね。私あんまり頭よくないからさ、もしちーちゃんがいなくなったら、っていうの考えたことなかったんだよね。でもちーちゃんはずっと前から私がいなくなったら怖いっていうのを考えていたから、絶対辛いし疲れると思う」
チトは驚いた。あの時自分がユーリに何を言ったのかはわからないが、それでもここまで理解してくれているとは思っていなかった。それと同時に、だからユーリはあの時、自分が癇癪を起しても冷静にいられたのかと納得する。
「で、ちゅーしているときのちーちゃんはすっごい幸せそうだったんだよね。だからまたしたら治るのかなって思ったけど、勘違いだったみたい」
これでチトはユーリがやたらとキスをせがんだ理由を理解することができた。ユーリは自分の欲求を満たすためではなく、不安に押しつぶされそうだったチトを安心させるために言っていたのだ。
「……にしても、直球すぎだろ。逆に天才に見えてくる」
「これからは天才ユーリと呼んでくれたまえ」
「呼ばない。でも……ありがと」
ユーリは何も答えない。代わりに、チトの手をそっと握りしめる。ずるい奴だ。いつもならからかってくるくせに、黙って手を握りしめてくるなんて。
こんなの、好きになっていくのが止まらないに決まっているじゃないか。
「にしてもさ、私がいなくなるのが不安だから辛くて、じゃあもっと一緒になろうとすると、もっと辛くなる。これ正直どうしようもない感じするよね」
「……まぁ、そうだな」
「それならどうやっても結果は変わらないんじゃない? どうせいつか終わるなら、今をたくさん楽しんだ方がいいよ」
「お前に正論を言われるとは思わなかった」
しかし、もっと冷静に考えれば当たり前のことだ。物心ついた時からずっと一緒なのだ。恋人がどうのこうのいう前に、失ったときの結果を考えたらそこまで大きく変わるもののようには思えなくなってきた。チトは馬鹿なことを考えていたなとつくづく思う。今まで抱えていたものは何だったのかと思って仕方ない。
「きっと、抱え込んでいたから考えが狭くなってたんだよ」
「……そうかも」
チトはユーリの方に頭を乗せる。彼女は何も言わずに肩に手を回して寄せてくる。愛おしい恋人を抱くように。チトは自分の脈拍が上昇しているのに気がつく。そうか、これが恋か。ずっと前からユーリのこと、すきだったのかと自覚する。
「……だったら、今を徹底的に大事にした方が、いいよね」
「うん」
ちらり、とユーリを見てみる。すると全く同じタイミングでユーリがチトを見ていた。たぶん、お互い考えていることは同じだと思う。けど、気遣ってくれたのか、ユーリが「承諾」を求めた。
「ちーちゃん、いいかな」
「…………いいよ」
そこからは簡単だった。今度は素面で、チトはユーリに顔を近づける。あえてユーリは動かない。チトの意思を尊重するためだ。彼女の気遣い二チトは感謝する。けど、もう大丈夫。
もっと素直になって、今を精一杯生きていこう。いつか終わりはやってくる。だが、それは今じゃない。終わるまで終わらないのだ。なら、今を大事にしよう。今を欲しがろう。未来は焦らなくても今になる。もしも、滅びという「今」が訪れたら自分も一緒に滅びればいいのだから。
「ユー」
「なーに?」
「……すき」
終わった世界に少女が二人。二人から伸びる影はほんの一瞬だけ、「一つ」になる。それを見たものは、この終末を迎えた世界には誰もいなかった。
了