深い闇が眼前に広がっていた。ここはどこだろう、と周囲を見回すも、周囲には何もなかった。地面すら不可視。例えば、今自分が実は重力に逆らって上下反転していても不思議ではない。そう思えるくらい、そこには無が有った。
しばらく、とりあえず真っ直ぐに歩いてみる。残念ながら状況は何も変わらない。そもそも自分は歩いているのかどうか、そんなことすら分からないくらいに、何も変わらない。
本当にここはどこだろうか。色々と可能性は浮かんで行く。闇に飲み込まれるように、嫌な可能性ばかり。
例えば、ここが死後の世界なら?
ああ、なんて嫌な可能性だろうか。楽園も桃源郷も天国も地獄も何もない。こんな場所が、一生を終えた後の最終地点だとしたら、生き物は一体何のために生まれ死ぬのだろうか。
例えば、ここが宇宙の果てなら?
それも嫌な可能性だ。数多くの天文学者は宇宙の果てには無があるという。今のこの場は確かに無だ。だが、そもそもこの仮説は有り得ない可能性なのだ。例えばここに自分が一人いるだけで無の空間は崩壊する。やはり、無は無いのだ。観測された時点で、無の空間は「無の空間」として存在する。
やはり、どれも嫌な可能性だ。考えてみれば当たり前なのだろう。嫌なことと言うのは、失い、消え、欠けるものだ。何も無いこの場所は、嫌なことの全てなのだろう。
はて、ならば良いことと言うのは何だろうか。その逆ということだろうか。獲得し、生まれ、補完される。そういうことだろうか。
そんな場所は何かあるだろうか。例えば、コポコポとまるで増殖するように増えていく溶岩? いやアレは物を溶かす程の高温だ、あれもまた嫌なものだろう。
ならば生殖行為は? あれは、子供を獲得する。子供が生まれる。それに確か、最初の生殖は男神と女神がお互いの余分なものと足りない部分を補完し合ったのが最初の筈だ。いや、あれも、人々は高らかに汚いもの穢らわしいものと叫ぶのだから嫌なことなのだろう。
他に何が思い浮かぶだろうか。
考えて考えて、すると次第に頭がぼぅっとしてきた。何だかしんどい。疲れた。歩き疲れたからだろうか。何かを考えることも億劫になってきた。思考がままならず、退行していく。
まるで産まれたての赤子のように。
暖かい。心も体もまるで誰かに包まれているようだ。
そういえば赤子は、大人よりも敏感に周囲の物事を感じるらしい。まだ世界に慣れていないから、どの情報をシャットダウンすればいいのか分からないのだ。
ああ、そうか、と理解する。嬉しくて嬉しくて泣きそうだ。だからまずは泣いてしまおう。何もかもが分からなくなる前にそう決めた。
さてここはどこだろう。死後の世界でもなければ無の世界でもない。誰もが知っていて誰もが一度は必ず居たことのあるとても綺麗な世界だ。
果たして、ここは?
実は何でもいいのです。こんなくだらないことに付き合える、そういう余裕が大事なのです。