センの広めてしまった誤解から早一週間が過ぎようとしていた。はじめは唆されたり囃し立てたりする団員たちの言葉を怪訝な表情で聞いていたグランだったが、事の理由を知るや否、血相を変えてあちこちに走り回っていた。
「一緒に寝ているというのは意味が違う」。その言葉に半信半疑な視線を見つめる団員もいれば、素直に信じて胸をなでおろす団員もいる。各々が様々な反応を返しつつも浸透してしまった誤解を正しながら――グランは今もなお、彼と顔を合わせようとしないセンの行方を追っていた。
しかし。逃げ回るセンの姿を見た者はおらず、一向に見つからない彼女の姿にグランは困り果てていた。メーテラに指摘されてから事の重大さに気づいた彼女だったが、まさかあんな反応をするとは思わなかったらしく、グラン自身も感情の整理がつかないままでセンを探していた。
彼女の行きそうなところを虱潰しに見て回っても、そこに居るのは事情を知らない別の団員たちで、訪ねてもここにはいないと返される。本当にどこに行ったんだろう、と心配になりつつも、同時に内なる感情のモヤが無意識に生まれ始めてきて、グランもいつしか焦りを覚えていた。
「セン、どこ行っちゃったんだろう」
最初のうちはなんとか見つけて声をかけていたのに、自分の顔を見るたびにセンは顔を真っ赤にして「ごめんなさい!」とだけ謝って逃げ去っていく。
それを何度か繰り返しているうちに、とうとうセンは全く姿を見せなくなっていた。おそらくどこかで隠れているんだろうとは思うけど、そんな彼女の行動が――少しだけ、グランは面白くなかった。
恥ずかしいのは分かる。誤解とはいえ、自分の行いが周囲にあらぬ事実として広まってしまったこともあり、今は後悔と羞恥でいっぱいの気持ちなんだろう。
けれども。ここまで言葉を交わされずに逃げ回られていると、何だか避けられているような気分になって、悔しい反面、寂しい気持ちも少しずつ生まれ始めていた。
ついこないだまでにこやかに笑って、自分の傍にいたはずの彼女が。
今では悲しそうな顔をして自分から去っていこうとする。どうしようもない事態だったとはいえ、そんな彼女の姿は見たくなかった。あるはずがないのに、嫌われているような錯覚も抱き始めて……ざわざわと穏やかではない心情と共に、自分の胸へ棘のような痛みだけが刺さっていく。
何なんだろう、この気持ちは。
自分の傍にあった笑顔が、温もりが感じられなくなって。
ひどく落ち着かない気分になってしまう。首元を撫でれば気持ちよさそうにごろごろと猫の真似をするセンの姿がこれから見られなくなるんじゃないのかと、前のような関係に戻られなくなるじゃないのかと――とてつもない不安に駆られていく。
そうして意気消沈し始めたグランが肩を落としながらも向かった先は、ダーントの部屋だった。
猫つながりでもしくは、と思ったのだが、おそらくここも居ないだろう。
そう考えつつも、グランは部屋のドアをノックする。数回扉を叩いてから、中からダーントの声が聞こえてきた。それを耳にしてグランは失礼します、とだけ言って中に入る。ちょうど彼はリベラたちの餌付けをしていた最中らしく、グランの姿を見るやリベラたちは寄り添うように彼にしがみついてきた。それらを抱きかかえながら、グランはダーントへ訊ねる。
「わっとと……ダーント。失礼するよ。……センは、ここに来てない?」
「セン殿? いや……彼女は見ていないが。如何様した?」
あっという間に猫まみれになったグランにダーントは憮然な顔をする。その訳を簡潔に語ると、なるほどと彼は頷いた。
「しかし……その様子では探しているだけとは思えないが。団長、探しているものはセン殿だけか? どうも汝には、心ここに有らずといった様子が見受けられるが」
鋭い指摘を受けて、図星を突かれたグランが口角をぐっと下げて押し黙る。居心地悪そうに自分の手を猫の頭に乗せて撫でてはいるが、その動作が不自然なのは誰が見ても分かる。それに気付かないのは撫でられてゴロゴロと喉を鳴らす猫たちだけで、目の前の人物には自分の内面をしっかりと見透かしていたようだ。
やがて観念したグランはダーントからそっと視線を外すと、独り言をつぶやくように自らの思いを吐露していった。
「……最近さ。少し、おかしいんだ。こうやってセンを探しているのはいつものことなのに、それが今では凄く不安で仕方ないんだ。いつも僕とセンは一緒に居てさ、何をする時も一緒だった」
「確かに。汝とセン殿はいつも一緒に居たな。仲睦まじく寝ているところも良く見受けられた」
「うん。それが習慣になっちゃってるのかもしれないんだけど……改めて、センに距離を置かれるようになってから、急に一人が寂しくなったんだ。おかしいよね、同じ騎空艇に乗っているはずなのに、ちょっと離れただけでこんなに寂しい気持ちになるなんてさ……今までこんなことなかったのに」
きっかけはどこにでもある、ただの勘違い。
けれども、その勘違いから派生したすれ違いはいつしか孤独を生み。
孤独は傍にいたという事実を、傍にあった温もりを思い出して焦燥を生み出していく。
彼女に拒絶をされているわけでもない。嫌われたわけでもない。
それは彼自身も理解しているはずなのに――自分の内面が、隠れていた感情がやけに納得してくれなくて、ふつふつと行く当てもなく燻っていた。
「なるほどな……」
迷いのある言葉を聞き、ダーントはふむと思考を逡巡させる。傷心する彼の姿はいつも溌剌としていた団長とは到底思えない。
そうだ。どれだけ強かろうと、この目先にいる人物はまだ大人になり切れない子供であり、未だ精神は発達の最中だ。ある意味では未だに純粋というべきだが――それもいずれ時が過ぎれば終わりを迎え、非情にも唐突に訪れては心の安寧を乱しては歪みを生んでいく。
けれどもそれはすべてが間違っているわけではなく、子供の心が大人へと変貌していく過程を描いているにすぎない。故にダーントは少しだけ迷いを生んだ。ごくありふれた感情の発生であるが為に、無碍に上っ面の言葉で諭すことも失礼なのでは、と思ったからだ。
そしてダーントはしばらくの沈黙の後、こうグランに語る。
片手に読み耽っていた「ねこのきもち」という書物をパタンと閉じながら、憮然とした態度で言い放った。
「……団長。迷い、困難に遭遇した時にこそ、自由なる精神のままに行動すればいい。複雑に絡み合った思考に従ったところで、紐解けぬ荒縄のように心が強く締め付けられる。汝が抱く思いとは何か、それを偽らず素直に表現したまま、ひたすらに突き進むがいい。これまでがそうだったように、我が道を晴天のような明るさで示した団長であれば――自ずと汝の胸中の真理に近づくだろう」
「僕が抱く……思い?」
「ああ。大切なのは自分が抱くその心模様だ。理論的に整理したところで、繕っただけの中身なき語りはいずれ“騙り”へと変貌する。己が感情を、そして心を裏切りさえしなければいい。……含蓄のごとく語ったが、今はその感情を優先してみてはどうだろうか。団長は今、目指すべき場所へ確かに歩みを進ませている。その気持ちが誠のものならば、セン殿にも伝わるだろう」
きっと、団長自身もその気持ちに気付けていない。長く傍にいた分だけ、近くにいることが当たり前であると錯覚してしまったから。
急に訪れてしまった関係の乖離に身体と思考が追い付いていけずにやきもきしているだけなのだろう。それも当然のことだ。執務中でも休憩中でも、団長を気遣いながらも優しい笑みを浮かべて傍に寄りそうセンの姿があったから。喪失感も比類して大きくなり、孤独が彼の胸の内を蝕んでいったんだろう。
きっと彼の中で、その感情は団員という一括りの関係で終わらせられない物に変化していて。
だからこそ躍起になってセンの姿を追い求めてしまう。失ったかたわらの幸せを取り戻さんがために半ば自棄になりつつも、素直に動き続けようとする心の在り方は否定するには惜しいものを感じさせていた。だからこそダーントはその想いを真摯に受け止め、グランを鼓舞した。団長は賢い。ただ経験が浅いだけで、己の心の変貌がもどかしくてたまらないだけだ。故に、その感情の赴くままに突き進めばいずれはその感情の正体に辿り着くだろうと――定かではないそんな思いをダーントは感じていた。
その思いが通じたのか、グランは彼に言われた言葉をゆっくり頭の中で噛みしめながら――うん、と呟いた。泳いでいた瞳も真っ直ぐ決意を示したそれに変わり、安寧に辿り着いたとは言えずとも多少なりの落ち着きを見せ始めている。良い瞳の色だ、とダーントは黙して語った。かつて自分がこの団に加入した時に見せたものと変わらないそれには、曲がることのない信念と諦めを知らない若さゆえの情熱がしかと現れている。
「……そっか。ありがとう、ダーント。話せて、少し気分がすっきりしたよ」
「なに、礼を言われるまでもない。自由なる精神を得るためなら、我はいつでも汝に助力を尽くそう。
……みぅちゃん殿も、団長の行く先を期待しておられるようだ」
そう言われて、ふっと視線を猫たちに向ける。そこにはグランによじ登っていた――みぅちゃんと呼ばれた子猫が、ガラス細工のようなキラキラとした眼で彼をじっと見つめていた。穢れを知らない澄み切った視線が一体グランにどんな期待をしているのかはわからないが、それでも機敏に人間の感情を察してか「みゃあ」と甘えるように鳴いてグランに頬を摺り寄せた。そんな愛くるしい様子がセンの姿と重なって、少しだけ胸にちくりとした痛みが走ったけれど、この暖かさを自分は求めているんだということを改めて強く実感する。
「それじゃ、またセンを探してみることにするよ」とだけ伝えてグランは部屋を後にした。グランの姿がなくなって少しつまらなさそうに居心地を悪くする猫たちだったが、そんな中でダーントは――
「――若者たちの蒼き旅路に、脅かされぬ自由と祝福を」
彼なりの答えを見つけることを切に願いながら、そう一人呟くのであった。
◇
「うううぅうう……わたし、どんな顔して団長さんと喋ればいいんでしょう……」
時は流れて夕刻。晴れ晴れと広がっていた空はいつしか小麦色の色彩を見せ始め、夕餉の時間に差し掛かっている。快晴だったということもあり太陽を隠す曇天は見られないものの、甲板で見つめるセンの心は暗く淀んでしょげかえっていた。
穏やかな一日だったというのに、自分の失言のせいで内面は一向に晴れやしない。
気づかなかった事実に肩を落として溜息を一つ、センは空を仰ぎながら「にゃ~……」と悲哀に満ちた声を上げた。
あれからグランの顔をまともに見られるはずがなく、彼から声をかけられても真っ赤な顔で謝罪を述べて逃げ回っていた。
その度に嫌でも見えるグランの悲しそうな表情にセンの胸がズキリと痛んだが、それでも現状、グランとどうやって喋ったらいいか、どういう話題にすればいいのか彼女には分からなくて。
申し訳ない気持ちのまま逃げ回り、自分の気持ちが落ち着くまで一人で静かにしているつもりだった。
けれども。メーテラに耳打ちされた内容が内容だけに、それを想起する度に全身が燃え上がるように熱くなって、平静に保とうとしていた理性がアンバランスに傾き始める。
こんなに乱れたのは初めてだった。こんなにも心がかき乱されたことは今までの人生で一度もなかった。
そしてふっと気づく。これまでの自分の行いを。過去にやらかしたセンの行動を。
「……もしかしてわたし、今まで団長さんにかなり大胆なことしてたんじゃ……」
たとえばそう。ついこの間は冬の訪れを到来させるかのような冷気が駆け巡る、寒い一日だった。
その日のセンは凍るような冷たさに身震いして、枕を片手にグランの部屋に忍び込み、彼で暖を取りながら眠りに耽った。その時は別段何も起こることなく、彼が起きる前に目を覚ましたセンは何喰わぬ顔で自室に戻って平然を装っていたのだが――これもよくよく考えれば年頃の男女がしていい行動の範疇を超えている。
その他にも平然と抱き着いたり、膝枕をしてもらったり、喉元をくすぐってもらったり、頭を撫でてもらったり、彼の頬に自分の頬を擦りつけたり――等々。
その事実を一つ一つ思い出していくたび、彼女は叫びだしたくなる衝動に駆られた。
これでは、まるで――
「こ、これではわたし、まるで団長さんのこ、恋人みたいじゃないですか……!」
頭を押さえてあわわわと口を震わせる。焦点の定まらない瞳は沈んでいく太陽ではなく漆黒に彩られる闇夜に向かう。底知れない黒色が広がるその情景を眺めて更にパニックになりかけ、危うく昇天の勢いに達しかねないほどの理性の蒸発をセンは感じた。
傍から見れば、それは確かに付き合っていてもおかしくはないスキンシップだったと思う。
くわえて今回の騒動だ。まるで拳銃の引き金を引くかのように、前から募らせていた団員たちの疑惑は確信に変わっただろう。
自覚のない行動だったと猛省する。団長の優しさに甘えてしまうが故に、他人から見ても軽率な行動だったと思う。
これからは身を引き締めて、ほかの人に誤解されないような振る舞いをしなくちゃ、と無理やり前向きな思考に戻そうと躍起になるセンだったが――
「……あれ?」
そんな折、彼女は見つけてしまった。グランサイファーの廊下と甲板部を繋ぐ階段から覗く姿を。聞き覚えのある声たちは少しだけ弾んでいて、けれども内容自体は至って真面目一貫としている。
誰だろうと考える間もなくセンは気づいた。
それは何やら神妙な顔で議論を交わす団長と副団長――グランとジータだった。
「わ、わわっ!」
何やら熱心にしゃべりこんでいる故、幸いなことに二人ともまだ彼女には気づいていない。
突然の来訪に慌てながら、センは近くにあった木樽に身を隠した。ガタゴトと音はしていたものの、特に不審に思われることはなく。蓋の部分を少しだけ開けて、センはうっすらと覗き込む。
「(わ、わたし、どうして隠れてしまったんでしょう……)」
自分でも思いもしなかった行動に面食らいつつ、センは静かに息を殺してその光景に眼を向けるのであった。
◇
蓋をそっと開けて二人の様子を見るセン。別に隠れる必要などなかったのだが、今回の一件がまだ尾ひれをつけて回っていると少し面倒くさい事態になるかもしれない。
ここで三者気まずい雰囲気になるのもよくないだろう、とセンは自分に納得させながら彼らの話に耳をそばだてた。
内容自体は別に普段と何ら変わらない雑談と、これからのことについてだった。浮いた浮かないなどの話題ではなく、今後の方針や団内の決め事を確認しあう事務的な会話であり、特に面白みを感じられるようなものではなかった。
――それなのに。その様子を陰で眺めていたセンは、何故だか落ち着かない素振りで二人を見つめていた。
ジータと交わすグランの喋り方が、グランと話すジータの言葉の抑揚が。まるで自分と接するそれと全く違うように思えて。
彼の笑顔は何度も見たはずだったのに、幼馴染であるジータの前で見せるグランの表情は、本当の彼の姿を現しているようにも見えて――
「……あれ?」
唐突に心が、ズキリと痛んだ。
どうして胸が痛くなったのか、センは分からなかった。
分からないけれど、なぜだか悲しい。苦しい。そんな気持ちが襲い掛かってくる。
無性に切なくて、辛くて。またしても襲い来る理解の出来ない感情が、センを混乱に導いていく。
どうして、わたしはグランさんとジータさんが楽しそうに喋っているのが気に入らないんだろう。
どうして、二人の様子を眺めているのが、こんなにもつらいんだろう。
わたし――こんな嫌な人、だったのかな。
団長さんたちはただ、仲良く喋ってるだけなのに。
巡り巡っていく感情に到達する場所などなく、ただ延々と虚空を彷徨うだけ。
ふいに見せた彼の横顔が自分の鼓動を高鳴らせ、そしてその顔が自分に向いていないことをセンは知る。
ふわふわと揺れる想いは固まらずに液体のまま、そうして一筋の雫となって流れていく。自分が泣いていることに気付いて、センは驚いた。
無意識の内に瞳からこぼれた涙が服の上に落ちていくのを見て、慌てて目尻を指で拭い、ぶんぶんと頭を振る。
きっと自分は今、情緒が不安定なだけ。一時の感情に左右されているだけなんだ。
――そう言い聞かせたかったけれど。
楽し気に笑う二人の顔を見て、お似合いの二人だなって少しでも思ってしまったから。
何故だか余計に泣きたくなって仕方なかった。
やがてセンは樽の蓋を閉め、彼らの様子を見るのを止めた。
光の差し込まない木樽の中、声を殺してセンは身を屈めて小さく蹲った。
狭いところを好む猫のように、暗闇の中で誰にも知られることなく――感情を押し殺しながら嗚咽を漏らした。
少しずつ、けれども確実に。心が変容していく。
続きます。