陽だまり色センチメンタル   作:征人

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そうして見つけた笑顔の答え

 

 

 

 遠く、遠く。彼方に映える空の色鮮やかな情景は、薄く目を細めないと見えないくらいの距離にまで遠ざかって、ゆっくりと流れていく雲は鈍色の兆しを見せながら寂しそうに夜の暗がりへと滲んでいく。地平線に埋もれていく茜空が流れる時をやけに短く感じさせて、今日という日が終わっていくという事実が心へじんわりと染み渡っていった。

 

 そんな物悲しい気持ちを胸に抱きながら、グランは遠くを見据えながら「はぁ」と息を吐き出す。

 

 その様子を見てか、隣で会話を楽しんでいたジータが怪訝そうにこう尋ねてきた。

 

「どうしたの、そんな黄昏ちゃってさ」

 

「ああ、いや。別に……ちょっと、寒くなったきたかな。って」

 

 誤魔化すように気温の変化を理由にしてみたが、それが上っ面の返事だということを幼馴染はしっかり見抜いていたらしく。

 

 変に勿体ぶらず、ジータはグランが心残りにしている事実を突きつけてきた。

 

「……センちゃんのこと?」

 

 その名を耳にして、グランは「うっ」とうめくように声を詰まらせる。明らかに挙動が変化したその様子を見てジータは「図星か」とほんの少しだけ口角をあげ、彼の肩をぽんぽんと優しくたたいた。

 

「もう、そんな顔しなくてもいいじゃん。誤解だってこと、みんなは分かってるからさ。分かってて面白がってるだけだよ。ほら、元気出しなって」

 

 そうは言っても、グランは未だ憂いを断ててない顔で空を眺めている。そんな顔をまじまじと見つめるジータには彼の顔がどう映っていたのだろうか。団長職に就いて的確に指示をする彼とはまた違う、幼い頃から見てきたもう一つの姿ではあるが――それにしては今まで見せたことのない表情だ。

 

 自分が見たことのない顔を見せているグランにジータは一瞬だけ戸惑いを見せた。もしかして事態はもっと深刻なのかも、と悪い方向に思考が転換し始めるが、ぽつりぽつりと語り始めた彼の言葉を聞いて、その思考は雲散していった。

 

 

 

 センと離れてから思ったこと。ダーントに言われたこと。今自分が抱えている漠然とした感情。燻っていた思いすべてを、ありのままの言葉でグランは独り言のように綴っていった。それらを一言一句聞き逃さず耳にしていたジータは「……なるほどね」と納得のいった様子で言葉を放った。

 

 

 

 やがてジータは彼の言葉を遮るように人差し指をグランの口元に添えると、流れる手つきでその頬に手をあてた。優しい指の感触は柔らかく、ジータの体温でほんのりと温かい。けれど唐突に頬に手を当てられたグランは戸惑い気味に「じ、ジータ……?」と疑問を露にした。そんな彼を見つめながら、ジータは優しい微笑みを浮かべながらこう言う。

 

 

 

「うん。ダーントさんの言う通り、グランはそのままセンちゃんを追いかけた方がいいよ。そのほうが二人のためになると思うしさ」

 

 

 

「二人……って、僕と、センのこと?」

 

 

 

 呆けた顔でグランは訊ねる。しかしジータはその問いには返事をせず、まるで独り言のように言葉を続けていった。当てていた手のひらを彼の頬からそっと離せば、冷たい風がその温もりを奪うかのように吹き付けてくる。ジータは彼からふいっと視線を逸らし、うーんと伸びをしながら空を仰いだ。

 

 すでに空は暗く、星たちが活発に瞬きを見せようとしていた。

 

 

 

「センちゃんは幸せ者だなぁ。こんなに想ってもらえる人がいるなんてさ」

 

 

 

 それは本当に羨ましそうに、けれどどこか楽しそうな。

 

 姉弟、或いは兄妹のように育ってきたグランの新たな一面を見られたことへの喜びと――ほんの少しの寂しさを含ませた言葉だった。そしてジータは人当たりのいいふわりとした笑顔を見せながら、決定的なステップを踏み出そうとしている彼の背中を後押しするように言う。人によっては意地悪にも聞こえる、そんな質問をグランに問いかけながら。

 

 

 

「ねえ、グラン。……グランは、さ。私のこと、好き?」

 

 

 

「好きって……そんなの、好きに決まってるだろ。そんなの今更、聞くことでもないし、そうじゃないとこうやって一緒に旅してないよ」

 

 

 

「じゃあ、センちゃんは?」

 

 

 

「センのことだって、もちろん――」

 

 

 

 そう言いかけて。グランはふっとセンの顔を思い出し――はっ、と気づいた。

 

 

 

 初めて出会った時はまるで活発な猫そのものだと思いながら、空を見てみたいと願う彼女の想いに応えるよう団に迎えた。

 

 内気ながらも色んな人と交流をして徐々に団にも馴染んでいき、真面目だけれど自由奔放な性格にダーントと馬が合い、まるで年の離れた友達のように触れ合っていたのを微笑ましく眺めていたあの頃。

 

 

 

 団長室のドアからおずおずと顔を覗かせてこっちを物欲しそうに見つめてくる彼女を手招いて一緒に遊んだり、一緒に寝たり、一緒に戦ったり――そうしたこれまでの大切な思い出が、まるで走馬灯のようにグランの頭の中を駆け巡っていく。

 

 

 

 猫の真似をするようにお願いされても、困ったように照れながらやってくれるセンの姿に愛らしく思った時もあれば、力強く颯爽と駆け抜けていく彼女の度胸と器量のよさに感心した時もあった。

 

 

 

 自分の関心をひこうとわざと猫っぽく振舞って甘えてくることもあったし、優しく撫でてあげれば耳をぴんと立てて寄り添い、そのまま離れようとしないこともあった。そんな行動がグランの支えにもなっていて、日々張りつめていた心を癒してくれていた。

 

 

 

 無垢に優しく笑うその顔が。

 

 彼女から発せられる言葉の一つ一つが。

 

 センと共に過ごしていた、あの幸せに満ちた陽だまりが。

 

 

 

 たまらなく懐かしく感じて、どうしようもなく欲している。

 

 

 

 ……そうか。そう、だったんだ。

 

 こんなにも追いかけていたのは。

 

 こんなにも我を忘れるくらい彼女を求めていたのは。

 

 

 

「……へへっ。ようやく気付いたみたいだね。この鈍感」

 

 

 

「そっか、うん……そう、だな。僕はこんなにも――」

 

 

 

 ――センのことが、好きだったんだ。

 

 

 

 それは団員としてではなく、ジータに向けられる親愛でもなく。

 

 一人の女の子として、異性として――初めてグランが自覚した瞬間だった。

 

 物憂げに揺らいでいた仄暗い感情が音なく静かに溶けていき、代わりに優しさに包まれた陽だまりのような想いがとくとくと心の中に満ちていった。どこか遠目で自分の感情を客観視していたグランは、回り道をしながらもその感情の終着点に辿り着いたのだ。

 

 

 

 彼女が愛しいというこの気持ちは、誰かに言われたわけでもなくグランが生み出した大切な感情で。

 

 ひたむきなほど真っ直ぐ、純真な気持ちが胸の奥で輝きを見せ始めている。これが恋なんだ。誰かを本気で好きになることなんだと――ようやくグランは気づくことができた。

 

 

 

 そんな彼は気恥ずかしそうにふいっとジータから視線を外すと、控えめに拳を彼女に差し出す。それが何を意味しているのか直ぐに気付いた彼女は――へへへ、と無邪気に笑って、彼と同じように拳を差し出して――コツン、と重ねた。

 

 

 

「――ありがとう、ジータ」

 

 

 

「――どういたしまして、相棒」

 

 

 

 その言葉を耳にして、グランは自分の気持ちにけじめがつけたんだとジータは悟る。それは嬉しくもあり寂しくもあるけれど――それは彼が望んで選んだ道であり、彼が望んで選んだ人だから。だからこそ、その想いを大切にしてほしい。有耶無耶にしてほしくない。そんなおせっかいともいえる感情が横行したにすぎないが、幸せそうに笑うグランの横顔が眩しくて、これで良かったんだと納得する。

 

 

 

 「それじゃ、早速センを探してくるよ」とだけ言って駆け足でグランは踵を返した。そんな彼の背中を眺めながら、ジータは二人のこれからを祈る様に――そして報われるように、その背に言葉を投げかけたのだった。

 

 

 

「逃げてたのは、きっとセンちゃんだけじゃないよ。だから、今度はしっかり捕まえてあげてね。彼女と……自分の想いを」

 

 

 

 

 

「……んっ」

 

 光の差し込まない木樽の中、センは微睡みの中にあった意識を少しずつ覚醒させていく。うっすらと眼を開けてもそこには瞳を閉じていた景色と同じ暗闇が広がっていて、いつの間にか自分はこの中で寝ていたのだと気づく。

 目元にはくっきりと涙の跡が残っていて、少しだけかさついた頬に悲哀の名残が留まっている。木樽の蓋を開けて軽快な動作で飛び出ると、外は既に日没を迎えていた。日中にあった和やかな空気はとうの昔に消え失せ、生物の息吹を感じさせない寂寞な情景に変わっている。少しだけ肌寒くなった夜間の気温にセンは身震いを一つすると、同じ体勢で居続けて鈍った身体を慣らすために伸びをし、大爪を外して掌を解放させた。

 

 空高くには満月が映えていて、さして暗いという印象はない。むしろ月光が太陽の代わりといわんばかりに輝いていて、傷心気味な彼女の心を癒すよう、陽炎のように小さく揺らめいていた。

 

「月が……綺麗ですね」

 

 空を見上げ、誰に当てるわけでもなくそう言う。何処かの世界では、この言葉が遠回しの告白になっているなんてセンは知りもしない。知らないけれど、その言葉の意味を裏付けるかのように彼女の心境は切なさと物寂しさに浸っており、甘えたい、縋りたい、そんな心の拠り所を求めて浮かび上がってくるのは――いつも団長の、グランの姿だった。

 

「……グラン、さん」

 

 抑揚なく、彼の名を呟く。自分が何をしても笑顔で接してくれて、でも危険な行いをすれば本気で怒ってくれて、本当に自分を、仲間として大切に扱ってくれた。育ってきた村の人たちとは違う、年下だけども面倒見のよいお兄さんのような姿に自然と甘えていた。初めての、気兼ねなく触れ合えることのできる異性だった。

 

 だからこそ。逃げ回っていて、そのあたたかな居場所から離れたことで気づいた。

 温かみの感じられない世界はこんなにも寂しくって、切なくって。

 自分に語り掛けてくる優し気な声が、落ち着いた声色が聴けないというだけで。

 こんなにも胸を締め付けられるものだとは思ってなかった。

 

「グラン、さんっ……」

 

 絞りだすような声で、再び彼の名前を呼ぶ。

 愛しい。グランのことが、誰よりも愛おしくて仕方ない。

 どうしてこんなに彼のことばかり想ってしまうんだろう。そんな疑問よりも早くに到達する答えが、彼女の中では確固たる物に変わっていた。枯れ果てたはずの瞳から涙が再び溢れそうになる。ジータに嫉妬していた自分に嫌悪して、グランの知らない一面を覗き見ることで気づいた。

 

 わたしは、きっと。グランさんのことが――

 

「――セン?」

 

 唐突に背後から届いた、聞き覚えのある声。

 疑問を孕んだその声は落ち着き払っていて、けれども暗がりにいるのがセンかどうかわからなかったのか、少しだけ不安な声色だった。突然の想い人からの声にセンはびくりと肩を跳ね上げる。慌てて振り返ると、そこには確かに団長――グランの姿がそこにあった。

 

「グ、グラン、さん……!?」

 

「良かった。甲板に居たのか。どこ探しても見つからないからみんな大騒ぎだったんだよ」

 

 そう言って彼はほっと一息をつくと、センの方に向けて歩み寄ってくる。泣いていたことに気付かれてはまずい。そう思ってぐしぐしと腕で目元をぬぐうと「ご、ごめんなさい」としおらしく謝った。

 

「でも、甲板もくまなく探したはずだったんだけど、その時はいなかったよね。セン、甲板のどこに居たんだ?」

 

「あ、え、えっと……実は木樽の中に隠れてて……そしたらいつの間にか眠っちゃってて……」

 

「あー……そういうことか。それなら見つからないわけだ。全く、あんまり心配かけさせないでくれよ」

 

 ほんの少しだけ咎める口調で言われて、センはしゅんと小さく肩を落とした。確かに心配をかけてしまったのは事実だし、自分が撒いた種に暴走してみんなを心配かけてしまった。それらすべてが彼女にのしかかってきて、再びセンは罪悪感に苛まれてしまった。垂れ気味な耳を見てグランは反省して凹んでいることに気付いてか、少しだけ強張っていた表情をふっと緩めると、俯いていたセンの頭にぽふ、っと手を当てた。

 

「……? グラン、さん……?」

 

「でも、狭い木樽の中に入ってそのまま寝ちゃうなんて。本当にセンは猫みたいだね」

 

 事情を話せば、きっとみんなも怒りはしないだろうし、むしろ猫みたいで可愛いって言ってくれるんじゃないのかな。とグランは大きく笑った。わしわしと力強く頭を撫でてくれているのは、きっと落ち込んでいる自分を慰めてくれているんだと気づいた。そんな優しさに触れて、つい――ぽつりと本音が漏れた。

 

「……可愛いだけじゃ、ダメ……です」

 

「えっ?」

 

「皆さん、わたしのことを猫さんみたいだから可愛いって言ってくれるんです。通りすがるたびに頭を撫でてくれたり、一緒に遊んでくれたり……いつも気にかけてくれて、凄く嬉しいんです」

 

 けど、だけれど。

 他の人はそれでもいい。

 それでもいいけれど――。

 

「でも……でも、可愛いだけじゃ、ダメなんです。

 

 あなたには――グランさんには可愛いだけで、終わってほしくないんです」

 

 そうセンから告げられ、グランの顔に当惑が走った。急にどうしたんだろう。本来ならここで顔を赤く染めて照れるはずなのに。予想外のセンの反応に戸惑いを隠せないグランだったが、それにさしたる気にも留めず、センは自分の心の中で燻っていた感情たちを少しずつ吐き出していった。

 

「……食堂でわたしが誤解を招く発言をしてから、ちょっとの時間が過ぎましたね。メーテラさんに指摘されて、それに気づいた時には恥ずかしくって……こうやって逃げ続けていました。グランさんの顔を見ちゃうと、顔が真っ赤になって、何も話せなくなっちゃって」

 

「ま、まあそれは……確かに分かると言えば、分かるんだけど。でも、僕はそんなこと気にしてないよ。僕だって言われてから気づいたんだ。だからセンもそんなに気にする必要は――」

 

「いいえ。そうじゃないんです。誤解を生んで、恥ずかしさのあまりに木樽の中に隠れて、そして――見ちゃったんです。グランさんと、ジータさんがお話してるところを。それは別に何のおかしくもないことのはずなのに――楽しそうにしゃべっているお二人を見て、わたし――ジータさんに嫉妬、しちゃったんです」

 

 それは、自分の感情を認めるにはあまりにも真っ直ぐな答えで。

 誰かと仲睦まじそうに話しているだけで嫉妬してしまうくらい、センは意識せずともグランのことを想っていた。その事実を鑑みるたび、振り返るたびに想いが強くなって、ほのかな慕情がより一層大きくなる。

 

「――最初は、怖かったです。村の人たちに抱いたことのない感情が生まれて、苦しくって、ぎゅうぎゅう胸が締め付けられて。どうすることも出来なくて辛くて、悲しくって。身体を動かしていればこんな気持ちもなくなるのかな、余計なことを考えないくらい戦闘に、鍛錬に集中していれば、こんな気持ちもなくなるんじゃないのかなって、考えました……」

 

 混乱していたのは、根底に隠れていた「その想い」を押し殺していたから。

 無意識的に抱いていた気持ちを蔑ろにしようとしていたから、反抗が生まれて、傷ついた。苦しんだ。

 けれど。自分の奥底にある「感情」に素直になったら、変わっていた。

 親愛。信頼。それらで塗り固められたものであると感じ続けていたから、齟齬が生まれた。

 ずれていた心の欠片を上手くはめ込むことによって――ようやく最後のピースが、音を上げてしっかりとはまった。

 

「でも、でもっ……なくなるどころか、その気持ちはずっと大きくなっていてっ……グランさんの、グランさんの顔を思い出すたびにその想いが、強くなっていました。……わたし、ずっと自分に、嘘をついていました。素直であろうと思ってたのに、意気地なしなだけでした。

 

 逃げ回っていて、そして一人になって気づいたんです。

 あなたのそばにいることの心地よさを。あなたと共にいられることの幸せな気持ちを。

 

 ……ごめんなさい、こんなこと、突然言って、本当にごめんなさい。わたしは、わたし、は……っ」

 

 静かにセンの言葉に耳を傾けるグランの顔は真摯なそれに変わっていて。

 茶化そうとしていないその表情が、センの気持ちを本気で受け止めようとしているのが見て取れる。

 

 そして、センは伝えた。

 不透明で漠然としていたその想いを。

 これまで抱いていた感情の集大成を――はっきりと告げた。

 

 

「グランさんのこと、好きです。大好きです。グランさんがそばにいてくれると、あったかい気持ちになって、幸せになれるんです。陽だまりのような、お日様のような、優しいあなたが大好きなんです」

 

 

 それはあまりにも真っ直ぐにグランの胸に届く好意で。

 着飾った言葉で彩ることを知らないセンだからこそ言える、無垢で素直な告白だった。

 

「……わたし、何の取柄もないですし、お料理もそんなに出来るわけでもないですし、グランさんを振り回してばっかりの団員かもしれませんが、それでも……頑張ります、あなたのお役に立てるように、あなたの背中を支えられるように、努力します。空の世界をろくにしらない田舎娘と思われちゃうかもしれませんが……それでも、あなたのそばにいたいんです。大好きな人の、隣にいたいんです」

 

 心細くなって、物悲しくなって。

 そんな時は、いつもあなたが傍にいてくれた。

 包み込むような微笑みを見せて、優しくなでてくれるグランのことが、センは好きだった。

 

 饒舌に放った言葉たちは一端の区切りをつけ、今度はグランからの言葉を待っている。

 その言葉を待つセンは――顔を俯かせて震えていた。外気の寒さではなく、断られ、拒絶されることへの恐怖や、溜め込んでいた想いのすべてが彼女の中でぐるぐると渦巻いているが故に。

 けれども、グランからの返事はなかった。

 やっぱり断られちゃうのかな、迷惑なのかなと、マイナスの思いが胸中に巡りかけようとしたところで――

 

「ひゃっ――?」

 

 不意に、彼女の身体を覆うようにグランが抱きしめてきたのだ。

 力強く。けれど痛くないようにどこか優しく。突発的に行われたグランの抱擁にセンがあたふたと困惑していたら、彼は否定をしながらもこう言ってくる。

 

「……セン。努力なんて、しなくていい。頑張らなくたっていい。

 

 センは、センのままでいてくれ。そのままの君の姿で、僕の隣にいてほしい」

 

 それは無理にでも背伸びをして、グランと対等な立場でありたいとするセンに対しての否定の言葉であり、ありのままの彼女を求める彼の素直な気持ちだった。

 

「センは、僕の背中を預けられるくらい強いよ。だから、これ以上頑張ろうとか、無理しようとかは思わないで。無理に変わろうとすると自分に疲れちゃうし、それは僕も痛いくらい分かってるからさ。もし自分にダメなところがあるのなら、少しずつでいい。ゆっくりでいい。時間をかけていっしょに直していこう」

 

 グランも団長であるが故に、これまで幾度となく苦難に見舞われた。

 ジータと共にやっているとはいえ、大所帯を纏める騎空団の団長であり、その重圧はとてつもないほどだった。初めの頃は失敗続きで自己嫌悪の毎日であったし、自分よりも優れた人間なんて山ほどいると自虐していたこともあった。けれども、それでも背伸びすることなく真面目に続けてきたから今のグランが居るわけで、だから彼女――センにも似たような過ちをおかしてほしくなかった。

 

 頼れる仲間たちがいたから、今の自分がいる。

 一人で解決を臨むわけではない、確かな信頼を築けていたから――これまでがあり、今がある。

 しかし。それとは別に。グランもまた、抱いていた想いを口々に綴る。

 募った感情に背中を押されるように、彼も――センに向けて告白した。

 

「良かった。本当に、良かったよ。嫌われてないってわかって、センの気持ちを知ることが出来て。

 僕と……同じ気持ちだったって、分かることが出来て」

 

「……え? グラン、さん? それ、って……」

 

「日向ぼっこしながら、ひょっとして意識されてないんじゃないのかなって不安になってた。もしかしてこの感情も、独りよがりの空回りな想いだったのかなって思い始めてたからさ。これまで色々あったけど、センの本心を聞けて良かった。

 

 ――僕も、センが好きだ。きっとあの時、山道ではじめて出会ったときから、センに惹かれてた。そばにいて、こんなにも温かな気持ちになるのは初めてだった。だからセンに避けられていたのを知った時、怖かった。いつもそばで感じていたぬくもりが、無くなってしまうんじゃないのかって思って。

 

 離れて分かったんだ。一人がこんなにも心細く感じるなんて」

 

 それは、ほかの人に言わせれば短いくらいの離れた時間だったけれど。

 お互いの気持ちを理解しあえるには十分な時間だったらしく、それだけグランとセンが一緒にいた今までの時間は、長くて尊い物だった。いつもと違う相手の一面を見て、困惑して、戸惑って。そうして気が付けた。好きだという気持ちを。心の海底に沈ませていた宝物を。

 

 ぎゅ、っと抱きしめる力が強くなる。触れ合う身体から伝わる体温が直に伝わって、鼓動が逸る。

 しかし、それを恥ずかしいとは思わない。こんなにもドキドキするくらい好きなことは間違いではないから。否定も、拒絶もない。そこにあるのは一途に伝わってくる慕情だけだ。

 

「――聞こえますか、わたしの鼓動。グランさんに抱きしめられているだけで、こんなにも早くなるんです」

 

「――ああ、聞こえるよ。センの心の音。僕と同じくらい早い。

 

 最初から、こうすれば良かったんだ。こうやってしっかり抱きしめておけば、すれ違うことなんてなかった。不安になることなんてなかった。センを知ることが出来てたんだ」

 

 それは後悔にも似た言葉ではあったが、語るグランの声色に暗さを彩る雰囲気は感じられない。

 こうやって分かり合えたから、それでいい。今、お互いの本音を知ることが出来たから――それでいいんだと、納得した様子であった。そんなグランに、センは少しだけ顔をあげると

 

「あの、グランさん。……三つ目の、最後のお願い、訊いてもらってもいいですか?」

 

 少し遠慮がちに、こう言ってきた。

 

「お願い? ……ああ、ユグドラシルのか。いいよ、何をしたらいいかな」

 

「はい。えっと、ですね……グランさん。えと、その、わ、わたし、に……」

 

 そう言いかけてぐっと口を噤む。「?」と首を傾げたグランに対して、センはまだ心の準備が出来なかったのか、ちょっとだけ苦い顔をして目を瞑り、そして――

 

「き、キス、して、ください……」

 

 真っ赤な顔で震えながら、くいと顎を上げた。そんな積極的なセンの行動にグランは一瞬だけ面食らうも、覚悟した彼女の行為を蔑ろにするのはよくない。そう思い、意を決してグランはセンの肩を抱き、ゆっくりと顔を近づける。グランの吐息がセンの頬に当たり、ぴくりと彼女が反応する。触れ合う距離に、彼はいる。ドクドクと鼓動が激しくなって、全身が熱く燃えるように熱を帯びている。

 

「グラン、さん……」

 

 切なく名を呼ぶセンにグランの心臓もまた激しさを増していた。

 誰かが見ている、なんてそんな余裕も考えられず。緊張で頭が真っ白になりそうな状況でグランは――

 

「……んっ」

 

 ちょっとだけ突き出してるセンの唇ではなく、彼女のおでこに、そっと唇を当てた。予想外の場所にキスされたことにセンは一瞬だけぽかんとした表情を浮かべたが、すぐに

 

「……むぅ……グランさぁん」

 

 口元をとがらせて、少し拗ねた調子で言ってくる。確かに場所は指定していなかったけれど、これはあんまりではないだろうか。そんな思いを秘めた瞳(ジト目)でグランをじーっと睨むも、彼は話題をすり替えようと、次にセンから発せられるであろう言葉を前もって遮った。

 

「……さ、さあ。も、もう夜も遅いし寝ようか。問題も解決したし、明日からはいつも通りの僕らでいよう。ほ、他の人たちに心配されるからね」

 

「……はぁい」

 

 上ずった声のグランに対して、センの声はどことなく落胆が見えている。肩を落としてとぼとぼ歩く彼女は明らかに納得のいっていない様子だったが、これで良かったんだとグランは思った。

 

 ――いつも驚くようなことばかりして。突拍子もないことをやってのけて。

 その度にこちらはハラハラして心配してきたから。今度はこちらから驚かせてやろう。

 

 グランはそんな子供っぽい意地悪な思考を胸に宿しつつ。

 手を繋いで甲板から廊下へと降り立つ前の場所で、ぴたりと足を止めた。

 

「――セン」

 

「はい? グランさん、なんでしょう、か――」

 

 しっかりと握っていたはずの指を絡めて。何だろうとこちらに振り向く彼女に向けて、グランは小さな笑みを浮かべると――流れる前髪を少しだけはらって、センの唇を唐突に塞いだ。

 

 それは、先程とは違い意を決した――感情のこもったものだった。

 

 会話を続けようとした彼女の眼が大きく見開かれる。戸惑い、焦燥、驚愕、それらすべてが入り混じった何ともいえない顔で間近に映るグランの顔を見つめていたが、暴力的ではない優しい唇の感触に蕩けるような夢心地を感じて、センは頬を紅潮させながらもゆっくりと瞳を閉じた。

 

 唐突ではあれども、触れ合うそれからグランの想いが確かに伝わってきて、不満に色めいていたはずの心が、いつの間にか感じたことのない幸せに浸っていく。

 

 きゅっ、と絡めた手に力が込められる。離したくない。もっと触れ合っていたい。心の奥底から溢れ出す愛しい気持ちに気付き、その感情の赴くままに自分の身体を預けようとしたが――そんな彼女の想いとは裏腹に、グランは自分の唇を静かに離した。

 

 風が触れる自分の口元がやけに寂しさを訴えていて、それが彼女をハッと我に返らせてしまう。

 一体、自分は何をしようとしていたのか。衝動に身を任せて何をしようとしていたのか。 

 

 朱色に紅潮していたはずの頬は見る見るうちに顔全体へ広がって真っ赤に染まり、ぴんっと立っていた耳はへなへなと折れて沈んでいく。グランの手を離し、センはきゅっと自分の垂れた耳を押さえながら不満を零した。

 

「……ふぁ……あ、あうぅ……そういう不意打ち、ずるい、です……心の準備できてないのに、ずるい、です……」

 

 垂れた耳で自分の顔を隠して恥ずかしそうに俯く。

 その耳すらも赤く彩られていたので、頭隠して何とやらの状態ではあるが。

 

「あはは、ごめんごめん。でも、今まで振り回された分の仕返しだよ。これくらいは許してよ」

 

 月夜に照らされ、銀色に煌くセンの髪をぽふぽふと撫でながら、グランが闊達に笑う。

 してやられた。と、ほんのちょっぴり悔しい気持ちになりながらも、心のうちは彼に対する想いで溢れかえっていて、純真な微笑みを見せるグランにつられて、センも小さく笑った。

 

 しばらくの間微笑ましい雰囲気が二人の間で流れていたが、

 

「――じゃあ」

 

 その代わりに。と付け足してセンが言葉を続ける。

 垂れていたはずの耳が意思を持つようにぴんと大きく立った。

 

「許してあげますから……もう一度、見せてください。あなたの気持ち。今度は逃げずに、受け止めますから」

 

 ――ん。と少しだけ顎を上げてもう一度センは瞳を閉じる。それが何を意味しているのか、分からないはずもないグランは――彼女の肩を抱いて、もう一度センと口付けを交わした。グランの抱擁が温かくて、心地よくて、優しくて。身体を寄せてセンはグランの背中に手を回した。

 

 大きい背中にしっかりと自分の腕を回して、ぎゅっと抱きしめる。温かい。こんな温かな気持ちをセンは感じたことがなかった。心も、身体も、すべてを包み込んでくれるような温かさは初めてだった。こんな気持ちを教えてくれたグランが――センは大好きだった。

 

 唇を離すと、グランの眼にセンの顔が映る。上目づかいで見つめてくる彼女が愛しくて、その頬にそっと手をあてがうと「……にゃぁ」と猫のように小さく鳴いた。

 

 

 その感情は、まるで猫のように自由気ままに動き続けていたけれど。

 それでも、ようやく捕まえることができた。逃げ惑い、行き場を失った否定は肯定に変わり、ありのままの想いを大切なものに変えた。心の変容に怖れ、怯え続けていたあの頃の自分はもういない。 

 誰かに言われるわけでもない自分の本音を包み隠さず伝えて、ようやく変わることができたのだ。

 

 弱気に移ろい、駆けていたはずの身体と反して、立ち止まり続けていた心はようやく動き始めて。

 

 培っていた憧れが、恋色に染まる。

 誤魔化しを捨てた素直な性格が陽だまりを見つけるように――幸せを、ようやく見つけた。

 

 

 灰色の空が終わりを告げて。

 

 茜色に色がついた、奥ゆかしくも綺麗な世界で彼女は――

 

「……えへへ、好きです。大好きです、グランさん」

 

 つらくて悲しい時間に別れを告げ、あどけない瞳を煌かせながら。

 

 ちょっとだけ首をかしげて、天使のような笑顔を見せたのだった。

 

 

 

 

 




次回、最終回。
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