「ヒッキー!起きてー!」
「うるせぇ......」
本来ならここで聞こえるはずのない元気な声で目が覚めた。しかもめっちゃうるさい。
布団もひったくられ、窓から差し込む朝日が俺を照らす。
「おはようヒッキー!」
「なんでお前ここにいんの?」
その朝日にも負けないくらい明るい笑顔の由比ヶ浜結衣がそこにいた。いや、ここ男子のバンガローだよね?君女子だよね?てか葉山と戸部は?
「ヒッキーが起きてくるの遅いから、様子見に来たの!」
携帯の時間を見ると、起床予定とされていた時間はとうに過ぎている。どうやらアラームちゃんがストライキを起こしたらしい。
「みんなもう起きて来てるから、ほらヒッキーも早く準備して」
「......由比ヶ浜は優しいな」
つい、口にした言葉はそんななんでもないものだった。
でも今の俺はもう知っている。
由比ヶ浜結衣の優しさは、彼女が言うところの卑怯でズルい考えに裏打ちされたものだと言うことを。
だが、それでも由比ヶ浜は優しい女の子だ。
よし、大丈夫だ。全部覚えてる。俺がこれからやるべき事。やらなければならない事。全部把握出来ている。
「......あたし、そんなに優しくないよ?」
「由比ヶ浜?」
呟いた言葉は、何度か聞いた事のある声色だった。あの水族園の時にも、確か似たような会話をしたのだったか。
「なんでもない。ほら、早く着替えてね!朝ごはんの準備出来てるから!」
「お、おう」
パタパタと走ってバンガローを出ていった。
先程の言葉に、千葉村へ来る前のあの時の表情。まさか、由比ヶ浜も?
いや、しかし、だとしてもいつからだ?少なくとも夏休み前まではそんな様子を微塵も見せていなかった。
......今考えても仕方がないか。そもそも、雪ノ下にしたって、俺が全部思い出したことを正確に把握してくれているのかイマイチ微妙な所だし。昨日のあの会話で分かってくれたと思いたいが、ここで疑ってしまうのは俺と言う人間のどうしようもない部分だ。
さっさと着替えて食堂に向かうとしよう。
さて、昨夜の雪ノ下との会話で俺は全部思い出したわけだが、俺の脳内は荒れに荒れている。
だって時間が巻き戻ってるんだぞ?そんな現実離れした出来事が起きているなんて普通なら信じられないのだが、俺は確かに未来に起こるであろう出来事を記憶している。
修学旅行での決定的な別離、生徒会選挙後のあの空虚な部室、クリスマスで願った本物、入試の日に水族園で聞いた彼女の依頼。
そのどれもが鮮明に思い出せる。思い出せるんだけどこれあれだな、どれもこれも中々に恥ずかしい事してるな俺。高校生活でも順調に黒歴史を積み上げるあたり流石俺としか言いようがない。
とまぁ、色々と思い出して覚えてるわけだが、現状俺を最も悩ませているのはそのどれでもなく、この二度目の世界における雪ノ下のあの発言だった。
『少なくとも、私は彼のことを好いていたわ』
雪ノ下と由比ヶ浜のシュシュの話になった時、確かに彼女はそんなことを言っていた。
さて、ここで問題です!雪ノ下と由比ヶ浜にあのシュシュをあげたのは誰でしょう?答えは俺!正解者には八万ポイントプレゼント!
......はぁ、現実逃避してもどうにもならんもんなぁ。マジで雪ノ下とどんな顔して会えば良いんだよ。
いや、記憶が戻ったからって雪ノ下の事が好きなのは変わらないんだけどさ。寧ろ色々と思い出したお陰で更に想いが強くなってるまである。でも、でもなぁ......。
どうやらこんな風にヘタレながら歩いていたら食堂に着いてしまったみたいで。もう覚悟を決めるしか無くなったわけなんだが。
「あ、おはようお兄ちゃん」
「おはようございます先輩」
「おう、おはようさん」
食堂に入ってすぐ、飯の配膳をしている小町と一色と目があったので軽く挨拶。
座ってる由比ヶ浜はこちらに小さく手を振っている。それに手を上げて返してから、もう一人、由比ヶ浜の向かい側に座ってる奴に目を向けた。
「おはよう比企谷くん」
「お、おう。おはよう雪ノ下」
さてどこに座ろうかと考えていると、配膳を終えた小町と一色が揃って由比ヶ浜側に座りやがった。いや君達そこに三人で座るのは窮屈じゃないですか?ほら、雪ノ下の隣空いてるんだからそっち座れよ。
「何やってるんですか先輩。早く座って下さいよ」
しかし配膳は既に終わっているわけで。雪ノ下の隣に置いてあるのは恐らく俺用であろう山盛りの白飯。これ以上一色からお小言を貰われるのも癪なので、素直に雪ノ下の隣の椅子に腰掛ける。
はぁ、前回は戸塚がいたのになぁ......。なんで戸塚いないんだろ......。しかも戸塚の代わりにいるのが一色ってどう言う事なの。
朝食のメニューは前回と変わらない。まぁそりゃそうか。一々こんな所が変化していても仕方ないしな。
つまり、俺の食べるペースも変わらないという事で。
「比企谷くん、ご飯のおかわりよそって上げましょうか?」
「ん?悪いな、頼む」
お言葉に甘えて、雪ノ下に茶碗を渡す。確か前は由比ヶ浜がよそってくれたんだったっけ。
ダメだな、タイムリープしている事を自覚してからと言うもの、一度目との相違点を嫌でも探してしまう。それが果たしていい事なのか悪い事なのかは分からないが、少なくとも必要な事ではあると思う。
その辺りも、雪ノ下と話してみないとダメだな。思い返してみれば、今までの依頼だって一度目と違った点は割とあった。
由比ヶ浜の依頼の時は、雪ノ下から事故のことを切り出してくれたし、戸塚の時も最初から雪ノ下が試合に出た。チェーンメールの時は大した変化はなかったものの、一度目の時よりも早期に対応する事が出来たし、川崎の件に至っては、エンジェルラダーに由比ヶ浜は付いてこなかったと言う違いがある。
そして何よりも違う点と言えば、一色いろはの存在だろう。
俺たち奉仕部が一色の存在を正確に認識したのは修学旅行よりも後、生徒会選挙の時だ。だが二度目の今回、一色は生徒会長になるための地盤作りとして奉仕部に来た。そこから考えられるものとしては、彼女が実は全部覚えているのか、もしくは昨日までの俺のように、断片的に思い出しかけているのか。
なんにせよ、一色の存在はかなりのイレギュラーだと言う事は頭の片隅にでも置いておこう。
「比企谷くん」
どうやら随分と長いこと思考の海に沈んでいたらしい。
雪ノ下の声で我に帰り、目の前には既に白飯を山盛りにされた茶碗が置いてあった。
「前も確かこれくらいの量だったかしら?」
なんでもない一言。実際、他の三人には特に意味のある言葉には聞こえなかった筈だ。
しかし、俺にとっては違った。
まるで確認するかのように。雪ノ下はその澄んだ瞳で俺を見据えて言った。
「そんな前のこと覚えてねぇよ」
だから、俺は肩を竦めてそう返した。
ちゃんと覚えていると。もう忘れたりはしないと。そう伝えるように。
そう、と呟いた雪ノ下の声色には喜色が隠しきれていない。
かく言う俺もどうやらニヤニヤが抑えきれそうにないらしい。
「え、どうしたんですか先輩。いきなりニヤニヤしだすとかちょっとキモいですよ?」
「おい一色、言うに事欠いてキモいとはなんだ」
「いやいやお兄ちゃん。食事中に目の前の人がいきなりニヤけだしたらそりゃキモいと思うよ」
何故だろうか。唐突に死にたくなった。
上げて落とすとか流石世の中は甘くない。
その後も他愛のない会話を交え、俺の精神に定期的にダメージを与えながらも朝食は無事に終了。それを見計らったかのように平塚先生が食堂に入って来た。
「おはよう。全員朝食は済ませたようだな。では今日の予定を説明する。
小学生は昼間は自由行動。夜に肝試しとキャンプファイヤーをやる予定だ。君たちにはその準備を頼みたい」
「おお、キャンプファイヤー!みんなでフォークダンスするやつですね、ベントラーベントラーって!」
「オクラホマミキサーと言いたいのかしら。最後の長音しか合っていない......」
呆れたように言う雪ノ下。確かこのやり取りもあの時と同じだったか。ならば俺もその流れに乗らせてもらおう。
「別に間違ってねぇだろ。宇宙人相手にしてるようなもんだし」
「あなたの場合はエアオクラホマミキサーだったのでしょう?」
「やめろ、俺のトラウマをほじくり返すな」
「ほ、本当にそうだったんだ......」
由比ヶ浜が若干哀れみの目で見てくる。
あぁ、戸塚がいないから癒しがない......。
「兎に角、この後はキャンプファイヤーの準備だ。その後は夕方の肝試しの準備まで各自自由に過ごしてもらっていい。では早速行こうか」
各々が食器を片付け、平塚先生に着いて行く。
戸塚に会いたいよぉ......。
道中、葉山達を回収してから山道を進み、暫く歩いていると広場に出た。どうやらここでキャンプファイヤーをするらしい。
男子三人は平塚先生のレクチャーを受けて薪を割ったり木を積み立てたり。女子はフォークダンス用に白線で円を描いている。
「こうやって一人で木を積み立ててると、ジェンガしてるみたいだな」
「え?ジェンガって一人で出来るのか?」
独り言のつもりで呟いた言葉を、近くにいた葉山に拾われた。
あぁ、そう言えばこのやり取りも前にやったな。
でもジェンガは一人でやるものだと思います。
その後も只管木を積み立てていく。余りの暑さに途中何度か休憩しながらだったが、どうにかこうにか完成させることが出来た。
「ほら、やっぱり一人で出来るじゃねぇかよ、ジェンガ」
違うか?とばかりに振り返ってみると、前回と違ってそこには既に誰もおらず。俺だけが一人取り残されていた。
「違う、のか......?」
俺の言葉は誰に届くわけでもなく虚空へと消えていく。
前回は平塚先生と葉山がいたはずなのに、何故に今回は誰もいないんだ......。
いや誰かいようがいまいがこれから向かう場所に変わりは無いんですけどね。
どうせ部屋に戻っても葉山と戸部と鉢合わせてなんだか居づらくなるのは目に見えてるし。汗もだいぶ掻いてしまったから顔を洗いに川へ向かおうそうしよう。その結果として美少女達の水着姿を偶々目にしてしまっても仕方ないよね!俺は顔を洗いにいくだけだからね!
「お、あったあった」
記憶を頼りに山の中を歩き、無事に川へと出る。確かもう少し上流の方に行けば彼女らが居たはずだ。
川のせせらぎに耳を傾けながらボーッと歩いていると、聞き覚えのあるはしゃぎ声が。
小町と由比ヶ浜と一色が水を掛け合って遊んで居た。
「あ、お兄ちゃんだ!お兄ちゃーん!」
「うわ、先輩だ!」
「え、ヒッキー⁉︎」
こちらに気がついた小町が大きく手を振ってくる。由比ヶ浜は恥ずかしいのか、小町の後ろに身を隠した。あと一色、うわってなんだ流石の俺も傷つくぞ。
ったく、呼ばれてしまっては行くしかないな!いや本来の目的は顔を洗う事なんだけど可愛い妹に誘われてしまっているのだから仕方ない!
「お前らこんなところでなにやってんの?」
「川遊びに決まってるじゃん!それよりどうお兄ちゃん?小町の新しい水着は?」
小町は黄色いビキニで決めポーズしてこちらを見てくる。正直妹の水着姿なんて見てもなんとも思わない。家でも似たような格好してるし、
「はいはい、世界一可愛いよ」
「うっわ適当だなー」
「せんぱーい。わたしはどうですか?わたしも水着新しいの買ってきたんですよ〜」
一色の水着はピンクのなんかフリフリが付いてるやつ。なんて言うのかは知らんが、そのフリフリが彼女の幼さを演出していて非常に可愛らしいと思う。
「あー、まぁ似合ってんじゃねぇの?」
「え、なんですか口説いてるんですか。ちょっと素肌を見せただけでコロッと落ちるような軽い人は無理ですごめんなさい」
「えぇ......」
久しぶりに一色のそれ聞いた気がするんだけどなんで俺は今振られたの?なんて答えれば正解だったの?
「じゃあじゃあ!結衣先輩はどうですか?」
「そうだよお兄ちゃん!結衣さんはどうなのよ!」
「ちょ!いろはちゃん⁉︎小町ちゃん⁉︎」
一色と小町のあざとシスターズに押されて前に出てくる由比ヶ浜は、青いビキニを着ていた。
先ほどまでの水遊びのせいで濡れている体には水が滴り、首筋から胸元へと雫が落ちる。
目を逸らそうと思っても本能に逆らえずなんか凄い目が泳いでしまう。
これが万乳引力の法則か......。流石は乳トン先生だな......。
「うん、まぁ、なんだ。よく似合ってるんじゃないか?」
「そ、そう......?」
由比ヶ浜は照れ臭そうに頭のお団子をクシクシと掻いている。
よし、なんでもなさそうに無難な言葉でなんとか逃れる事が出来たぞ。取り敢えず頭の中煩悩を一旦洗い出す為に顔を洗おうそうしよう。
四つん這いになって川の水を掬い、バシャバシャと顔を洗っていると、背後から聞き慣れた声が聞こえて来た。
「あら、川に向かって土下座?」
「んなわけねーだろ。向こうに聖地があって一日五回の礼拝をだな......」
振り返った瞬間、時が止まった。呼吸する事すらも忘れてしまう程に、目を奪われてしまう。
雪のように白い肌は滑らかな脚線美を描き、腰は恐ろしいほどに細くくびれている。そのまま視線を上に持って行くと、控えめながらもしっかりと主張している胸がパレオで隠されていた。
その姿を見るのは二度目だと言うのに、それでも俺は彼女の美しい立ち姿から目を離せない。
「......あまり見られると流石に恥ずかしいのだけれど」
「あ、ああ。そうだよな、すまん......」
頬を赤らめて本当に恥ずかしそうに言う雪ノ下の言葉に時間は動き出した。
いや、しかしヤバイな雪ノ下の水着姿。前回はそこまで意識してなかったけど、今現在こうして恋心を自覚してしまったからか、どうにもその姿を直視できない。
「それで、その、どうかしら?」
「どうって......?」
「だから、水着よ。似合ってる......?」
察しの悪い俺に一瞬ムッとした様子だったが、言葉の最後は自信なさげな蚊の鳴くような声だった。
「あぁ、水着な!似合ってる似合ってる。もう似合いすぎて思わず見惚れてしまったまであるから!」
......って何を口走ってんだ俺は⁉︎ほら雪ノ下さん顔真っ赤になってんじゃないですか!
と思ったらちょっと嬉しそうにはにかんでるし。やめろよ勘違いしちゃうだろ。
問題はそれが勘違いじゃない可能性が示唆されてる事なんだよなぁ......。他の誰でもない雪ノ下自身の言葉で。
「お、なんだ比企谷も来てたのか」
テンパる俺に声をかけたのは平塚先生だった。黒のビキニでその豊満な体を惜しみなく演出している。
後ろには三浦と海老名さんも侍らしていた。
「先生、なんだやればできるじゃないですか!それならまだアラサーって言っても通じますよ!」
「私はまだ立派なアラサーだ。歯を食いしばれ。はらわたを ぶちまけろ!」
ゴスッと鈍い音と共に平塚先生の拳が俺の腹に突き刺さった。歯を食いしばった意味ねぇし......。
「どうして前回と同じ過ちを繰り返すのかしら......」
俺の傍では雪ノ下がコメカミを抑えて頭イターのポーズ。そう言えばこれも前回と同じやり取りだったか。
本当、なんで同じ過ちを二度繰り返すんですかね。でも思ったことを正直に口にしただけだしね。
一方でこの雪ノ下雪乃は俺と違って同じ過ちを繰り返さないやつだ。
ほら、今回は三浦に笑われないようにそっと木陰の方に移動したし。
俺も別に水着を着用しているわけでもないので、立ち上がって雪ノ下の方に移動する。
「お前、折角水着着てるのにあっちであいつらと遊ばないのか?」
木陰で腰を下ろしている雪ノ下の隣に座り、ワイワイキャアキャアとウォーターバトルに興じてる面々を指差して聞いてみた。
前は由比ヶ浜とか三浦の攻撃にムキになって反撃してたと思うんだが。
しかし、こう言う時、いの一番に雪ノ下を連れ出しそうな由比ヶ浜がなんのアクションも起こしていないと言うのも不思議だ。
「あそこに混じるには流石に体力が足りないわよ」
苦笑交じりに言う雪ノ下。
俺にはその姿が若干衝撃的だった。彼女はいつも弱さを見せない。多分彼女にとっての弱さとは弱点と同義なのだろうから。
しかし、雪ノ下は今、自分は体力が無いと認めた。それを俺が指摘しようものなら意固地になって中々認めようとしない彼女が、だ。
いや、体力が無いことに関しては前から認めていたっけか。だがそれを理由にして、最初から何かをしないと言うのは今まで無かったのではないだろうか。
テニスの時も一試合続けられないほどでありながらも試合に臨み、マラソン大会も途中で棄権させられたと言っていたことから、途中までは真剣に走っていたっぽいし。
それは、雪ノ下が確かに変わっている証拠なのだろうか。一度目の世界のあの日々を経て。あるいは二度目の世界の今の日々を経て。
「なにか?」
「いや、なんでもない。つか、だったらなんで水着なんて着てきたんだよ」
怪訝そうな目で見られたので思考を中断する。その代わりに別の質問を投げかけた。
最初から川に入るつもりがないのであれば別に水着を着てくる必要も無かっただろうに。
「..................ょ」
「え?なんだって?」
言っておくが、俺は別に難聴系主人公ではない。なんなら別に主人公って器でもない。
今のはただ普通に聞き取れなかっただけだ。だって雪ノ下さん本当に声ちっちゃかったし。マジで口の中で呟いたとかそんなレベル。
「あなたに、見て欲しかったのよ......」
「え?なんだって?」
繰り返すようだが、俺は難聴系主人公ではない。つまり今のは聞こえてた。わざとである。
雪ノ下はそれに腹が立ったのか、こちらをキッと睨め付ける。怖いです。でも顔が真っ赤になってるからその怖さも半減。ただ可愛いだけだ。
「だから、あなたに見て欲しかったのよ」
ハッキリと、ちゃんと俺に届く声でそう口にした。
その言葉が耳に届き、その意味をしっかりと咀嚼してから、頬に熱が集まるのを自覚する。
......これはいよいよ勘違いなんて言ってられないな。マジで。
ちゃんと、向き合わなければならない。彼女とも、彼女達とも。
「それで、どうなのかしら?」
「え?」
今度はその言葉の意味を理解するのに少し時間を要した。いや、文脈的に考えて水着の事を言ってるに決まってるのだが......。でも水着の感想はさっき言ったし。あぁダメだ。さっきの自分の言葉を思い出して恥ずか死にそう。
「だから、その......。あなたは、私にそう言われて、なにか思うところはないの......?」
......ほーん、そんなこと聞いちゃいます?そんなこと聞いちゃいますか雪ノ下さん。
て言うか耳まで真っ赤になってますよ?恥ずかしいなら聞かなきゃいいのに。
かく言う俺も似たようなもんだけど。
ここではぐらかしてしまうのは簡単な事だ。一般論に逃げて、彼女の気持ちからも、自分の気持ちからも逃げて。それで波風立たずに終わらせることができる。
でも、それではダメだ。向き合わなければならないとつい今しがた決めたばかりではないか。いい加減、自意識の化け物は卒業しなければ。理性に振り回されるのは辞めにしなければ。
それよりも何よりも、比企谷八幡は雪ノ下雪乃の事が好きなのだ。
その気持ちだけは偽物ではない。偽物にしたくない。
だから、しっかりと答えなければ。
「......ないわけないだろ。その、そう言ってくれてるんだったら、素直に嬉しいよ......」
「......っ!そう......。なら、私も嬉しいわ」
だから、そうも幸せそうにはにかむなって可愛いでしょうが。
でも、それすらも嬉しいと感じる。こうして彼女の笑顔を見る事が出来るのが。いつも超然としている雪ノ下雪乃の、ただの年相応の少女である一面を見せてくれる事がこの上なく嬉しいと。
そんななんとも言えない雰囲気に包まれている中、背後の草むらがガサガサと揺れた。
そこからピョコリと顔を出したのは鶴見留美。
ある意味では、俺の記憶が戻ってくれたきっかけの少女。
「よお、一人か?」
分かりきった質問だ。そもそも俺は彼女が一人でここに来ている事を知っているし。
うん、と頷いた留美は俺の隣に腰を下ろす。
右側には超絶美少女で想い人の同級生、左側には小学生のくせに大人びた可愛さを持つ幼女。
ふむ、両手に花とはこの事か。今の俺なら葉山に勝てる。何にかは知らんが。
「今日、私たちは自由行動なんだって。それで朝ご飯食べて部屋に戻ったら誰もいなかった」
「相変わらずえげつねぇ......」
小学生本当怖い。あいつら容赦なくアリを虫眼鏡で焼いたり、丸まったダンゴムシをビー玉がわりにして遊んだりするからな。本当怖い。
「二人こそ、何してんの?あそこら辺の人と遊ばないの?」
未だ川で遊んでる由比ヶ浜達を見て言う留美。気がつけば葉山と戸部も来ていた。
「昨日お前が言ったんだろうが。俺たち二人はあそこら辺と違うって」
「うん。でもさ、今日の八幡と雪乃さん、昨日と違う感じがする」
「私も?」
まさか自分に飛び火するとは思わなかったのだろう。雪ノ下は少し驚いた様子で留美を見ている。
て言うか相変わらず俺は呼び捨てなのね。
うん、と一つ頷いて留美は言葉を続けた。
「あそこら辺とは違うんだけど、私とかとも違う感じ。よくわかんないけど、なんかそう思うの」
多分、それは俺が色々と思い出したお陰で、色々と変わったからだろうか。いや、まだ何も変わってなんかいない。ただ思い出しただけ。その結果、世界がガラリと変わっていただけだ。
「でも、あの人が一番違う感じがする」
そう言った留美の視線の先には、由比ヶ浜と一色がいた。
二人はキャッキャと楽しそうに遊んでいたが、やがて由比ヶ浜が一色になにか言ってからこちらに歩いてくる。
留美が差しているのは多分一色の事だろう。由比ヶ浜とは昨日対面してるし、その時にハッキリと葉山達リア充側に分けていた。
だが何故一色?確かにあいつは俺や雪ノ下みたいなぼっちではないし、由比ヶ浜や葉山のように場の空気を読めるリア充というわけでもない。
鶴見留美は一体一色いろはに何を見たのか。
今それを気にしても仕方ないか。
川から上がった二人は、すぐそばに敷いてあるビニールシートの上のタオルで軽く体を拭くと、トテトテとこちらに駆け寄って来た。
「ねえ、留美ちゃんも一緒に遊ばない?」
座っている留美に目線を合わせるようにしてしゃがんだ由比ヶ浜だったが、留美は首を横に振る。
「そ、そっか......」
「だから言ったじゃないですか結衣先輩。多分無駄だと思いますよーって」
ガックリと肩を落とした由比ヶ浜に容赦ない言葉をかける一色。
「ねえ、八幡はさ、小学校の頃の友達って何人いる?」
「んなもん一人もいねぇよ。あいつら卒業したら一度も会わないぞ」
なんなら現在進行形で一人も友達いないけどね!
「それはヒッキーだけじゃん」
「私も彼と同じだけれど」
「あ、わたしもですよー」
俺に賛同するように雪ノ下、一色が続く。
雪ノ下は分かってたけど、一色もそうなのね......。いや、まぁなんとなく察しはつくけどさ。
「る、留美ちゃん。この人たちが特殊なだけだからね!」
「特殊で何が悪い。英語で言えばSpecialだ。なんか優れてるっぽいだろ」
「日本語の妙よね......」
前回と同じく雪ノ下に感心された。
実際、俺と雪ノ下の現在置かれている状況がマジでSpecialだからね。
しかし留美はイマイチ納得いかないようで。となれば今回も理論武装しかありませんな。
「なあ由比ヶ浜、お前小学校の頃の友達で今でも会う奴って何人くらいいる?」
「え?目的にもよるけど、単純に遊ぶってだけなら一人か二人くらいかな」
「一クラス何人だった?」
「三十人三クラスだったけど」
「なら一学年九十人。八方美人の由比ヶ浜ですらこの人数だ」
「え、美人?」
「結衣先輩、別に褒められてないですよ」
ふへへ、と変な笑顔を浮かべていた由比ヶ浜を一色が現実に戻す。
「普通の人は大体二方美人くらいだから、単純に四で割って、まぁ大体1%くらいだ。こんなもん切り捨てていい。四捨五入と言う偉大な言葉を知らないのかよ。五と四なんて一つしか違わないのに四は何時も捨てられちゃうんだぜ?四ちゃんのこと考えたら一なんて切り捨てられて当然だ」
「相変わらず滅茶苦茶な理論だわ......」
はい、雪ノ下さんの頭イターのポーズ頂きました。まぁ自分でもこの理論はおかしいとは思うよ、うん。
「小学生の私でもそれは違うって分かる」
「ようは考え方の問題だよ。別に全員と仲良くなんてしなくていいんだ」
「でも、お母さんはそれで納得しない......」
留美は首から下げているデジカメを両腕で抱えて、俯いたまま話す。
「今日も、友達とたくさん写真撮って来なさいって言って、デジカメ渡してくれたの」
「どうしてあなたはそれを受け取ったのかしら?」
そんな留美相手に、雪ノ下は相変わらず容赦のない言葉を並べる。
「そもそも、あなたは自分の事を嘘偽りなく母親に話しているの?肉親だからと言って何も話さなくても伝わると言うのは大きな間違い。それではすれ違うばかりよ」
「ゆきのん......」
その強い眼差しは小学生には少々厳しすぎるだろう。実際、留美は怯えたように喉を詰まらせて言葉を紡げない。
由比ヶ浜が制止したからなんとか止まったものの、あのままだったら留美のこと泣かしてたんじゃないだろうな。
「留美ちゃんはどうしたい?」
問いを投げかけたのは一色だ。常の彼女からは想像できないような真剣な表情で、更に続ける。
「今の状況のままでいいの?それとも、もう一度あの子達と仲良くなりたい?もしくは、あの子達を排除したい?」
「......もうどうしようもないの。私も他の子の事見捨てちゃったし、ああ言うのがまだ続くんなら、もういいかなって」
でも、と嗚咽をかみ殺すかのような声で呟き、留美はその本心を吐露する。
「今のままは嫌だな......。惨めっぽいし、見下されてる感じがして、自分が一番下なんだって思う」
「惨めなのは嫌か?」
「うん」
「肝試し、楽しめるといいな」
そう言い残して立ち上がり、その場を去る。
人はそう簡単には変わらない。だが、世界を変える事は出来る。
きっと前回の俺たちは間違えたんだろう。留美の世界は、留美自身が変えるべきだった。あの偽物の関係を終わらせるのは、彼女の手によって行われるべきだ。
しかし、偽物だと分かっていても、そこに手を差し伸べた留美を俺は知っている。
そんな彼女の背をほんの少しだけ後押しする為に、俺はこの記憶を全力で振りかざしてやろう。