「どうぞ」
「サンキュ」
雪ノ下が淹れた紅茶にふーふーと息を吹きかけて少し啜る。
うん、昨日と変わらず美味いな。
「おいしい?」
「ああ」
「そう、良かった」
ニコッと笑顔を見せる雪ノ下に、何故かそれを見て照れ臭くなってしまい目を逸らす俺。
それが可笑しかったのか、雪ノ下は尚もクスクスと笑う。
「......なんだよ」
「いえ、なにも。それより比企谷くん。明日からはお茶請けを持ってこようと思うのだけれど、何がいいかしら?」
「お茶請けねぇ......。別になんでもいいぞ」
「なんでもいいが一番困るのよ」
「お前が勝手に決めてくれ。トマト以外は基本嫌いなもんはねぇから」
「そう?ならトマトのエキスをふんだんに使ったものにしようかしら」
「ねぇ俺の話聞いてた?」
「冗談よ」
こんななんでもない会話が心地いい。
俺は元来口数が多い方でもないし、雪ノ下もそうなのだろう。実際、昨日とか殆ど会話なく本読んでばっかだったし。
それでも、雪ノ下との会話は耳触りのいいものだった。
だと言うのに。
まるで何か足りないような気がする。
一つだけピースが欠けているような。
そんな風に考えながらなんとなしに雪ノ下の方を見てみると、昨日までと違う点を発見した。
いや、昨日一昨日も別に雪ノ下のことをじっくり見ていたわけではないから俺が気がつかなかっただけかもしれないが。
しかし、雪ノ下が右手の手首に巻いているピンクのシュシュがやけに目に付いた。
「なぁ雪ノ下、そのシュシュ」
それについて尋ねようとした時、コンコンとノックが鳴り、雪ノ下のどうぞ、と言う声が響く。
因みに二回鳴らすのはトイレであってこの場合三回鳴らすのが正しい。
果たして我らが奉仕部の部室をトイレと間違ってやって来たのは誰かと来訪者を見てみると、また、妙な感覚が俺を襲う。
一昨日初めてこの部室を訪れた時と同じ、あの感覚。
「し、失礼します......」
恐る恐る扉を潜ってきたのは、ピンクっぽい茶髪をお団子に纏め、制服もイマドキJK(笑)といった感じに着崩している見るからに俺の天敵でありそうな女子。その左手首には、青いシュシュが巻かれていた。
「って、なんでヒッキーがここにいんの⁉︎」
初対面の女子に引き篭もり呼ばわりされたでござる。
本来ならば怒る所なのだろうが、何故だかそのあだ名に不快感は感じない。
「初対面の相手をいきなり引き篭もり呼ばわりかよ」
「あら、そのあだ名は似合っているじゃない、引き篭もり谷くん」
「おい、俺は断じて引き篭もりでもニートでもないぞ」
「私もこれからヒッキーと呼ぼうかしら」
「やめて下さい」
俺と雪ノ下のやり取りにほえーとアホヅラを晒しているお団子頭に気がついたのか、雪ノ下が咳払いを一つして仕切り直した。
「二年F組由比ヶ浜結衣さんね」
「あ、雪ノ下さん、私のこと知ってたんだ」
「つかなんで知ってんだよ。俺の時もだったけど、全校生徒の名前覚えてんじゃねぇの?」
「たまたま知る機会があっただけよ。流石に全校生徒は覚えられないわ」
雪ノ下に名前を覚えられていたからか、由比ヶ浜は嬉しそうにしている。
と言うか思い出したぞ。こいつ、クラスのトップカーストに所属しているやつだ。
恐らくこう言う奴にとって雪ノ下雪乃と言う有名人に名前を知られているのはステイタスになるのだろう。
「なんか、ヒッキー、クラスにいる時と全然違うね」
「あ?」
「いや、だってここだとよく喋ってるけどクラスじゃ全然喋らないし、キョドり方とかぶっちゃけキモいし」
おいおい、ヒッキー呼ばわりに続いてキモいとか流石に温厚な俺でも激おこですよ?
「......ビッチめ」
「はぁ⁉︎ビッチじゃないし!キモい!最低!そもそも私はまだ処.........ってなに言わせんのよこの馬鹿!」
今の俺悪くないよね?こいつが勝手に自爆しただけだよね?
「別に私達のこの歳でバージ」
「わー!わー!ちょ、雪ノ下さん何言ってんの!女子力低いよ!」
「くだらない価値観ね」
うん。実にくだらない価値観だ。
高2で処女とか別に恥ずかしいことでもないだろう。寧ろ自分は経験豊富ですと声高く言う奴ほど、痛い目を見るのだ。
「由比ヶ浜さんの下半身事情はもう良いとして、依頼があって来たのでは?」
下半身事情ってお前はオヤジか。電車内の広告にもそんな表現乗ってねぇぞ。
「う、うん。平塚先生に相談事ならここに来ればいいって言われたんだけど......」
ビッチ、もとい由比ヶ浜がこちらをチラチラと見てくる。
俺は邪魔ってことですかね。
ま、女子同士でないと話せないこともあるだろう。
「俺ちょっとマッカン買ってくるわ」
比企谷八幡はクールに去るぜ、とばかりにその場の空気を察して立ち上がると、背中に声が掛かった。やっぱり紅茶があるのにマッカン買うのはダメでしたかな。
「待ちなさい比企谷くん」
「あ?どしたよ」
たったっとこちらに駆け寄ってくる雪ノ下の手には携帯が握られていた。
「依頼内容によっては移動している場合があるかもしれないから、その、出来れば連絡先を教えておいて貰えないかしら......」
「お、おう」
そんな恥ずかしそうに上目遣いで言ってくんなよ断れないでしょうが。
ポケットから携帯を取り出して雪ノ下に手渡す。
ちょっと嬉しそうにアドレスを入力するな勘違いしちゃうぞ。
「はい、ありがとう」
「ん。そんじゃ行ってくるわ」
「私は野菜生活100でいいわ」
ナチャラルに人をパシらせる雪ノ下さんマジパネェ。
奉仕部の部室を出て自販機の前まで辿り着いた俺は、早速黄色と黒のシマシマ模様をこの腐った目でロックオン。
100円玉と10円玉を投入し、チャリン、と音が鳴る。
続いて雪ノ下の野菜生活100を購入し、折角だからと由比ヶ浜用に適当なカフェオレを買っておいた。
「しっかし、なんだかなぁ......」
独り言(特技)を漏らし、二人の少女、雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣の事を頭に浮かべた。
どうも、初めて会った気がしない。
ストーカーとかそんなのでは無く、冗談抜きでだ。
思い返せば、見ればいつも妙な懐かしさに囚われていたお団子頭は由比ヶ浜のものだっただろうし、雪ノ下と初めて会った時や、今までもその感覚に陥ったシチュエーションはあった。
それと、二人がそれぞれ違う方の手首につけてあるシュシュ。
雪ノ下がピンクで、由比ヶ浜が青。
知り合って間もない俺が言うのもなんだが、普通は逆のイメージがある。由比ヶ浜とかいかにもピンクっぽいぽわぽわした頭悪そうなの好きそうだし。
しかし、それ自体に違和感は感じなかった。
寧ろ今ここにそのシュシュがある事自体に違和感を感じたほどだ。
「考えても仕方ないんだろうが......」
ぼっちは周りに人がいないため、頭の中で様々な事を考えるのが得意だ。その結果悟りの境地に達してしまうとも言われている。言われてないか。
なんにせよ、考えまいとしようとしてもどうしても考えてしまう。
「ま、今は初依頼があるしな」
切り替えて部室へと戻ろうとした時、ポケットの携帯が震えた。振動の長さからメールの着信だろう。
『雪ノ下です。詳細は後ほど説明しますが、家庭科室に移動するのでそちらに来るように。
それと、それなりの覚悟はしておきなさい』
覚悟ってなんだよ怖いな。
家庭科室の扉を開き、そこで待っていたのはエプロンを装着した雪ノ下と由比ヶ浜だった。
因みに、雪ノ下は手首に巻いてあったシュシュで髪の毛をポニーテールに纏めている。
うなじが見えて非常に良いと思います。
「で、なんで家庭科室?」
「クッキーを渡したい人がいるから作るのを手伝って欲しいそうよ」
「それって俺の出る幕無くね?」
自慢ではないが俺の料理スキルは小学六年生で止まっている。
将来専業主夫を目指すものとしてそれではいけないと思っているのだが、うちの台所は妹任せているのでもう暫くはこのままでも良いかなって。
「あなたは毒......味見して感想をくれればいいわ」
「ねぇ今毒味って言いかけなかった?」
「私の料理スキルそこまで酷くないから!て言うかやる前から決めないでよ!」
そうだ、作る前から由比ヶ浜の作るクッキーが不味いと決めつけるのは流石に失礼というものだろう。
さしもの雪ノ下も申し訳ないと思ったのか謝ってるし。
「ごめんなさい由比ヶ浜さん。そうよね、毒は毒になる前は毒ではないものね」
「フォローになってないよ⁉︎」
謝ってる、のか?
「兎に角始めましょうか。まずは私がお手本を見せるから、その通りに作ってみて」
「うん、わかった!」
どうやら気合いは充分のようだ。
女の子の手作りクッキーなんてそうそう食べれるもんでもないし、ちょっとくらいは期待して待ってますかね。
かくして、出来上がったクッキーは二種類。
片方は雪ノ下の作ったどこからどう見ても美味そうにしか見えないクッキー。もうね、キラキラとか聞こえてきそうなくらい。
そして、恐らくではあるが、雪ノ下のクッキーがメチャクチャ美味そうに見える原因でもあろうもう片方のクッキー。
由比ヶ浜の作ったそれは、最早クッキーとは言えない何かだった。
あれだ、ジョイフル本田で売ってる木炭みたいだ。
まずこいつ、由比ヶ浜は雪ノ下のお手本を全く参考にしていなかった。
そして次に、雪ノ下は教えるのがど下手くそだった。
完璧超人の雪ノ下雪乃は、なんでも出来るが故に出来ないものが何故出来ないのかが理解できないのだろう。
て言うか桃缶はどっから出したんだ由比ヶ浜。それは隠し味にはならないぞ。
雪ノ下の覚悟しておけ、と言うメールはこれのことだったのか......。
「やっぱりこうなるのね......」
「やっぱり?」
「......いえ、こちらの話よ。では比企谷くんは毒味をしてくれないかしら」
「もう毒味で定着しちゃったんだ⁉︎」
「いや、だってこれどっからどう見ても......」
「そ、そんな事ないし!......やっぱ毒かなぁ」
自分の作ったクッキーと雪ノ下の作ったクッキーとを見比べて徐々に自信がなくなる由比ヶ浜。
「さぁ比企谷くん。私も一緒に食べてあげるから」
「いいのかお前。だってこれあれだぞ。......あれだぞ?」
「指示語ばかり使ってないでハッキリと言いない。まぁ、言わんとしてる事は分かるけれど......」
うん、伝わってくれて八幡嬉しいです。
だって、毒やらなんやら言ってはいるが、不味いだろ、なんて直接的な言い方は流石に憚れる。
しかし、食べて見ないと分からない事だってある。ほら、例えばちょっと甘さが足りないんじゃないか、とか。いやそれ以前のレベルだろとは言わないでくれ俺も分かってるんだ。
と言うわけで、いざ覚悟を決めて、男八幡行きます!
「......うっ」
無理。
何が無理って、漫画とかによくある食べたら不味すぎて気絶しちゃいました☆みたいな可愛いもんじゃない。リアルな不味さ。
ほら、隣で同時に食った雪ノ下なんて余りの不味さに俺のマッカンを手に取って飲んでるしって俺のマッカンンンンンンンンン!!
「んっ、んっ......ふぅ...。さて、ではどうしたら由比ヶ浜さんの料理が上達するのか考えましょうか」
「おいちょっと待て、なに人のマッカン飲んでそのまま話を進めようとしてるんだ」
「あら、ちゃんと残しておいてあげたじゃない?」
「それが問題だっつってんの!」
こいつはあれか。間接キスとか気にしない奴か。いや、俺だって別に気にしてないし?ただ雪ノ下がそう言うの嫌がるかなぁって言う優しさだし?
「別にあなたは口をつけていなかったのだからいいでしょう。なんならこのまま私が全部飲むわよ」
「ああうん、もうそれでいいわ。で、なんの話だった?」
「ちょっと忘れないでよね!私の料理がどうやったら上手くなるか!」
そう言えばそんな話だったか。
と言っても解決法なんて一つしかないだろう。
「由比ヶ浜が二度と料理しない」
「それは最終手段よ」
「それで解決しちゃうんだ⁉︎」
まぁそれでは解決とは言えないだろう。
あくまでも問題をなかったことにする。
解消しているに過ぎない。ならば他にいい手はないかと思索していると、由比ヶ浜の弱々しい声が聞こえてきた。
「やっぱり、私向いてないのかな。いや、なんてーの?才能がないと言うか......」
「由比ヶ浜さん、まずはその認識を改めなさい。最低限の努力もしない人間が才能ある人を羨む資格はないわ」
「でも、こう言うの今時流行んないって言うかさ......」
「その周囲に合わせようとするのやめてくれないかしら、酷く不愉快だわ。自分の不器用さ、無様さ、愚かさの遠因を他人に求めるなんて恥ずかしくないの?」
うわぁ......
流石の俺でも今のは引いた。うわぁって声に出ちゃってたかもしれないくらい引いた。
雪ノ下の言い分は正しい。だが正しすぎる。
今の発言も、彼女のその愚直なまでの正しさと、依頼人を思う優しさがあっての発言だったのだろうが、それがそのまま言われた側に伝わる訳ではない。
故に彼女は誤解され、敵とみなされ、それでも尚、その正しさと優しさを損なうことなく生きてきたのだろう。
「か......」
帰る、とでも言うのだろうか。
当たり前か。あそこまで辛辣な物言いされたら誰だってそうする。俺だってそうする。
「かっこいい......」
「は?」
思わず素っ頓狂な声が漏れた。
かっこいいってこいつ、マジで言ってんのか。もしかしてアホの子?
「建前とかそう言うの全然言わないんだ。なんかそう言うの、かっこいい」
建前とか全然言わなかった張本人である雪ノ下はと言うと、目を瞑って由比ヶ浜の言葉をしっかりと聞いていた。
「お前、こいつの話聞いてた?かなり酷いこと言われてんの気付いてる?」
「確かに言葉は酷かったと思う。正直引いた。......でも、本音って感じがするの。ごめん、次からはちゃんとやる!」
「そう、ならもう少し頑張ってみましょうか」
由比ヶ浜のその言葉を聞いて、雪ノ下はフッと微笑んだ。
ああ、やっぱり、こいつは優しい奴だ。言い方は突き放すようではあったが、自分を頼ってきた奴を蔑ろにはしない。
そして再開されるクッキー作り。
ボウルで二人仲良くダマを溶かしている最中に、ふと由比ヶ浜が呟いた。
「なんだか、雪ノ下さんとこうやって一緒に料理してると懐かしい気分になるなぁ」
「なつ、かしい......?」
「うん!なんか、昔にも同じことしてたー、みたいな!」
「......っ。きっと気のせいよ。ただのデジャビュでは無いの?」
「そうかなー」
一瞬、雪ノ下がとても苦しそうな顔になったのを、俺は見逃さなかった。
ぼっちとして磨かれた観察眼がなければ見逃しそうになるほんの一瞬。
一体今の由比ヶ浜の発言の何が彼女をそんな表情にさせたのだろうか。
「そう言えば雪ノ下さん、私と同じシュシュ使ってるよね!私のは青だけど。なんか雪ノ下さんがピンクって意外だなぁ」
「あー、それは俺も思った。どっちかってーと由比ヶ浜の方がピンクっぽいもんな」
「むー、なんか今のバカにしてない?」
「してないしてない」
いや断じてバカになんてしてませんよ?
ちょっと頭の悪そうな色とか似合うだろうなーなんて思ったりしただけです。
これ完全にバカにしてるな。
「さっきまでも大事そうに手首に巻いてたけど、誰かからの贈り物とか?」
「ええ。大切な人から貰った、大切なものよ」
「もしかして彼氏とか⁉︎」
なんでリア充は直ぐにそっち方面に話を持っていくかな。
別に大切な人=彼氏ってわけでも無かろうに。例えば家族とか、妹とか、友達とか。
その原理で行くと、この前チラッと話していた友達だった人物から貰ったものか?
「別にそう言った関係ではなかったわ。寧ろ、彼との関係は明確な名前を定義されたものでは無かったもの。そう言った上辺だけの関係は、私も彼も嫌っていたから」
「友達でもないの?」
「そうよ。でも、少なくとも、私は彼のことを好いていたわ」
また、苦しそうな顔をする。
昨日一昨日見せた寂しげとも物憂げとも違った彼女のその表情。
一体何をその瞳に映しているのだろうか。
「そっかー、雪ノ下さんにもそう言う人がいたんだ」
「そう言う貴女は、あの青いシュシュをどこで?」
由比ヶ浜は偶然にも、雪ノ下と色違いの同じシュシュを持っていた。
自分の持ち物と同じものを持っていたことに単純な疑問でも感じたのだろうか。
「それがあんまり覚えてないんだよね。誰に貰ったか、とか。いつ貰ったのか、とか。でも、大切なものだってのはなんとなく分かるからいつも手首につけてるの!」
「いつか、思い出せるといいわね」
「うん!」
そんな二人のやり取りを見て、俺は何か大事なことを忘れているんじゃないかと、なぜかそう思った。