カワルミライ   作:れーるがん

27 / 52
ゆきのんのターン


彼女のやるべき事、やりたい事とは。

「比企谷くんっ!しっかりして、比企谷くん!」

「起きてください先輩!」

 

 会議室で比企谷くんが倒れた。

 一色さんとスローガンについて話し合っていた時に会議室に現れた彼は足取りも覚束ないもので、私達がどれだけ今日は帰れと言っても大丈夫だからの一点張り。

 少しでも危ない様子を見せたら保健室まで強制連行しようと言う事で一色さんと決めたその直後の出来事だった。

 突然の事に、会議室にいた文実メンバーは皆何が起こっているのか把握できていない様子だ。

 斯く言う私も混乱していると言う他ない。突然物音がしたと思ったら彼が倒れていたのだ。一瞬、その状況を脳が把握出来なかった。

 

「ゆき、の、した......?」

「比企谷くん⁉︎」

 

 こちらに少しだけ顔を上げて、手を伸ばして来る。その手を包むように両手で掴むと、彼は力なく笑って言った。

 

「悪い、今日はちょっと仕事出来そうに無いわ......」

「そんな事どうでもいいから!早く保健室に......!」

 

 彼を担ぎ上げようとするも、非力で体力のない私では立たせることすらままならなかった。

 堪えていた涙が止まらなくなる。彼を保健室に運ぶ。そんな事すら出来ないのか、私は。

 もしも、もしもこのまま比企谷くんが衰弱する一方になってしまったらどうなる?

 ああ、ダメだ。この思考パターンはいけない。分かっているのに、止まらない。もし彼がこのまま臥してしまって、目を覚まさなかったら、私は......。

 

「何かあったのか?」

「葉山先輩!」

「っ!比企谷⁉︎」

 

 どうやら葉山君が会議室にやって来たらしい。彼は有志の取りまとめを手伝ってくれていたから、今日もそれで会議室へ来てくれたのだろう。

 こんな事ばかり冷静に理解出来るのに、この状況をどうしたら良いのかは全く分からない。

 

「比企谷、しっかりしろ!」

「葉山君、お願い。比企谷くんを助けて......!お願いだから......比企谷くんを......」

 

 気が付けば私は葉山君に泣きながら縋っていた。こんなみっともない姿、目の前で倒れてる彼と今も教室にいるであろう彼女にしか見せることはないと思っていたのに。

 でも、私には彼を助ける事が出来ないから、葉山君なら

 

「雪ノ下さん!!」

「っ⁉︎」

 

 彼からぬ大きな声が会議室に響いた。それで我を取り戻してハッとする。

 会議室の扉の周りには騒ぎを聞きつけたのか、多くの生徒がいた。室内の文実メンバーは仕事も放り出して心配そうに、しかし遠巻きにこちらを見ている。

 私の隣には一色さんが。平塚先生に連絡しているのか、携帯を耳に当てていた。

 葉山君は比企谷くんの肩を担ぎ、そして責めるような瞳で私を見据えている。

 

「落ち着いたかい?」

「......えぇ」

「比企谷は俺に任せてくれ。一先ず保健室へ連れて行く」

「私も......!」

「ダメだ」

 

 一緒に行く、と言う前に葉山君に遮られた。普段の彼からは想像も出来ない、苛烈さすらも思わせる声色と瞳にたじろいでしまう。

 

「もう一度言う。比企谷は俺に任せてくれ。君には、君にしか出来ない事があるだろう」

 

 その言葉で、今度こそ脳みそが瞬間的に冷却されていく。

 不幸にもこの場には城廻先輩と平塚先生がいない。平塚先生は保健室へと直行するだろうし、現時点でこの場の最高責任者は一色さんだ。流石の彼女もこのような場面に直面するのは初めてであるのか、動揺を隠せていないし冷静に判断を下せるような状態ではなさそうだ。

 それは私も同じなのだけれど、でもそうも言ってられない。

 

「ありがとう、葉山君」

「気にしないでくれ」

「......彼を頼むわ」

「あぁ、頼まれた」

 

 この男に助けられる日が来るなんてまさか思ってもいなかった。それに対して今はとやかく言う暇は無い。

 葉山君が比企谷くんを保健室へ運ぶのを見送ってから、それと入れ違いになるように城廻先輩が生徒会の方々を引き連れてやって来た。その様子は少し焦っているようにも見える。

 

「雪ノ下さん!比企谷くんが倒れたって本当⁉︎」

 

 どうやら事情を把握しているらしい。恐らくは平塚先生か。比企谷くんの名前もその時に顔と一致したのだろう。

 

「はい。先ほど葉山君に保健室まで運んでもらった所です。平塚先生もそちらに向かっているかと。それで、このような状況ですし今日の委員会は中止という事で宜しいでしょうか?どの道碌に仕事も出来なさそうですし」

「勿論大丈夫だよ!ちょっと余裕は無いけど......」

「その点は心配いりません。副委員長、号令を」

「え、あ、はい!皆さん、今日は解散です、解散!」

 

 生徒会長の判断もあってか、文実メンバーは一色さんの号令に素直に従って会議室を出ていく。

 元よりその人数は少なかったので、室内に残るのが私と一色さん、それから城廻先輩含める生徒会の方々だけになるのはそう時間が掛からなかった。

 

「二人も、早く比企谷くんのところに行ってあげて!後のことは私達に任せてもらっていいから!」

「お気遣いありがとうございます。でも、そう言う訳にはいきません」

「え、先輩の所行かないんですか⁉︎」

 

 一色さんが驚きの声をあげる。それも当然か。この子は彼のことをとても慕っているから。

 

「ええ。想像してごらんなさい一色さん。私達が彼のところに行ったところで、どうせあの男の事だから『こんな事してる暇があるなら俺の分まで働いてくれ』なんて言うに決まってるわ」

「あー、なんか想像できちゃいました......」

 

 寧ろこれを良い機会と捉えて今後サボり倒すまであるかもしれないわね。

 まぁ、そんなことはさせないのだけれど。

 

「城廻会長、明日文実を全員召集するように呼び掛けて貰っても良いでしょうか?スローガンの事でミーティングを開きたいと一色さんと話していた所なので」

「うん、分かった!みんな、お願い」

 

 城廻先輩の号令の下、生徒会の方々が動き出す。いつだったか比企谷くんがこの方達を指して忍者みたいだと言っていたけれど、強ち間違った比喩でもないかもしれない。

 

「一色さん、この後時間はあるかしら」

「はい、大丈夫ですけど......」

「なら私の家に寄って貰っても構わないかしら。少し人を集めて話したい事があるの」

「......分かりました」

 

 一色さんが頷いてくれたのを見て、私はポケットから携帯を取り出す。

 そのアドレス帳に登録されている番号の数は、彼に負けず劣らず少ない私だけれど。

 今問題なのは量よりも質。

 ここに登録されてある名前は、その誰もが今の私が信頼出来る数少ない人達。

 一つ深呼吸をしてから、まずはその中でも最も頼りになる親友へと電話を掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゆきのん!ヒッキーが倒れたって本当⁉︎」

「由比ヶ浜さん、まずは落ち着いて」

 

 私の部屋に上がってすぐ、彼女、由比ヶ浜さんは私にそう言って詰め寄ってきた。電話でも同じようなやり取りをしたと思うのだけれど、それも仕方のない事だと思う。

 

「雪ノ下先輩がそれを言いますか......」

「一色さん?何かあったかしら?」

「ひっ!ななな何も言ってないですはい!」

「て言うか!二人ともなんでそんなに落ち着いていられるし!兎に角早くヒッキーのところに行かないと!」

 

 あわあわと慌てる由比ヶ浜さんを見てると、逆に冷静になってしまう。取り敢えず由比ヶ浜さんにはしっかりと説明しなければならない。

 

「結衣先輩、取り敢えず深呼吸ですよ。ほら、ヒッヒッフーって」

「ヒッヒッフー......、ヒッヒッフー......」

「落ち着きましたか?」

「う、うん......。それで、ヒッキーは?」

「先ほど病院に運ばれたそうよ。40度の高熱が出ていたみたい。葉山君と平塚先生が付き添いで向かってくれてるわ。ご家族の方も向かっているみたいだから、取り敢えずは安心してくれて大丈夫よ」

 

 平塚先生に連絡を取った時に説明された事をそのまま由比ヶ浜さんに伝える。

 きっと彼は小町さんに大激怒される事だろう。もしかしたら、私も小町さんに怒られるかもしれない。彼女には比企谷くんを見ててくれと頼まれていたのにこのザマだ。

 

「あたし、ヒッキーが体調悪いの朝から気付いてたのに、止めてあげられなかった......」

「結衣先輩......」

 

 まるで自分を責めるように彼女は言う。由比ヶ浜さんは比企谷くんと同じクラスだし、彼女の事だから彼の体調が良くないことなんて一目見て気がついただろう。

 

「由比ヶ浜さん、それは私も同じよ。私も小町さんから頼まれていたのに、結局なにも出来なかったもの......」

「それならわたしもですよ!会議室に先輩が来た時、無理矢理にでも保健室に連れて言ってたら......!」

 

 誰も彼もが自分のせいだと自分を責め立てる。

 本当は私も、きっと二人も分かっている筈だ。悪いのはこの場にいる誰でもない。だからと言って一人で全部背負った比企谷くんが悪いわけでもないし、あんな無責任な事を口走った相模さんでもない。

 これはきっと起こるべくして起こってしまったことだ。

 どれだけ助け合いだ、支え合いだと言ったところで必ず誰かが貧乏くじを引く。彼自身の言葉だけれど、それが今回比企谷くんだっただけ。

 そう分かっていても、頭で理解していても、心はそう簡単にはいかない。

 

「雪乃ちゃーん。そろそろいいかなー?」

 

 お通夜のような雰囲気に包まれた部屋に場違いなほど明るい声が届く。

 私が連絡した私の頼れる人。私の姉、雪ノ下陽乃。

 姉さんはキッチンから顔を覗かせてこちらに声を掛けていた。

 

「は、陽乃さんいたんですか⁉︎」

「勿論ずっといたよ。雪乃ちゃんが私にお願いがあるって言うから急いで来たら雪乃ちゃん達よりも早く着いちゃったくらいなんだから」

 

 しかも夕飯の用意までして待っていてくれたわね......。こちらに声を掛けたと言うことはその用意が出来たと言うことだろうか。

 

「ご飯の準備は出来たけど、もうちょっと待ってね。雪乃ちゃんはもう一人呼んでるみたいだから」

「もう一人?」

「ええ。だから本題に入るのはもう少し待ってくれないかしら」

「本題って?」

「その会話の中心となる項目の事ですよ、結衣先輩」

「それくらい分かるから⁉︎」

 

 いつもの様なやり取りをしていると、チャイムの音が鳴った。チャイムを鳴らした人物がその待ち人であるのを確認し、一言二言交わしてから一階エントランスの扉を開く。

 それから数分と経たないうちに今度は玄関からチャイム。こう言う時はしっかりとノックなりチャイムを鳴らすなりしてくれることに何処か安堵して、その人を部屋に通した。

 

「すまない、少し遅れたかな」

「平塚先生?なんで?」

 

 私が信頼を置いている最後の人、平塚先生。

 由比ヶ浜さんは先生がここに来た事に困惑を隠せない様だけれど、実際このメンバーを集めた理由はここの誰にも話していない。

 そもそも、今から話すことを実行しようと決意したのはつい先程、比企谷くんと葉山君を見送った時だ。

 

「雪乃ちゃん、お話はご飯食べながらでもいいかな?あんまり遅くなるといろはちゃんとガハマちゃんのご両親も心配するだろうし」

「陽乃の言う通りだな。帰りは私が送っていくが、遅くならないに越したことはない」

「ええ、構わないわ」

 

 あまりお行儀がいいとは言えないけれど、二人の言うことはごもっともだ。私の都合で時間を取らせてしまっているのだから。

 姉さんの運んで来た料理はどれもこれもが見ただけでお腹の空く様な品ばかりだった。

 別に私もこれくらいなら作れるけれど、流石としかいいようがない。

 

「お、美味しそう......」

「ねえねえゆきのん、あたしもこんなの作れる様になるかな?」

「え、ええ。努力すればいつかは作れる様に......なるんじゃ......ない、かしら......」

「そこまで自信なさげに言うなら無理って言ってくれた方がいいよ⁉︎」

 

 いえ、でも可能性としては0%ではない筈。流石の由比ヶ浜さんでも努力さえすればなんとか......。

 

「結衣先輩、料理は真心ですよ。相手を思いやる気持ちが大切なんです」

「お、いろはちゃん良いこと言うなぁ!」

「それ前にも聞いたんだけど⁉︎」

 

 賑やかな食卓だ。こんな風にして自宅で夕食を取るのは初めてかもしれない。

 先日母さんと姉さんが訪ねて来た時は比企谷くんがガチガチに緊張していたし、実家ではお行儀が悪いからと食事中のお喋りは母さんに禁止されていた。

 こんな食事風景も、悪くはないのね。

 

「賑やかなのは良いことだが、早く頂こうではないか。雪ノ下からの話もあることだし」

「そうだね。それじゃ、いただきます」

『いただきます』

 

 揃って食事の挨拶。

 近くにあった品を一つ口に運ぶと、絶句してしまう程に美味しかった。

 悔しいけれど、やはり姉さんの方が料理も上手いみたいね......。

 皆が銘々に姉さんの料理を頬張って絶賛した後、平塚先生が徐に口を開いた。

 

「では雪ノ下、話というのを聞かせてもらおうか」

 

 全員の視線が私に集中する。

 大丈夫、自分のやりたい事を口にするだけ。今までそれが出来なかった私だけれど、今はそれが出来る。やるんだ。

 

「このメンバーでバンドを組みます」

「へぇ......」

「バンド?」

「ゆきのん、それって......」

「なんだか最近のアニメの冒頭にありそうなセリフだな」

 

 私の言葉に各々違った反応を見せる。

 姉さんはとても楽しそうに。一色さんは本当に何故か分からなさそうに。由比ヶ浜さんは前回の事を思い出しているのかワクワクと。残念ながら平塚先生は何を言ってるのかよく分からなかったけれど。

 まぁバンドをすると言うのは結果的にそうなってしまうだけであって、それ自体が私の目的ではない。

 

「で?雪乃ちゃんはどうしていきなりバンドを組みたいなんて言い出したのかな?」

 

 試す様な視線を姉さんから向けられる。そこから目を逸らす事なく、私は言葉を続ける。

 

「伝えたい想いがあるから」

 

 言葉にすればすれ違って、食い違って。

 それを分かっているから。だから普段は無駄に饒舌な彼も私も、本当に大切な気持ちを伝えるときに躊躇して言葉が出なくなる。

 もう二度ほど彼に私の想いを打ち明けたけれど、それでも伝えきれない程に大きなこの気持ち。

 学年主席、国語一位が聞いて呆れる。自分の気持ち一つ言語化できないなんて。

 それでも、伝えたい。彼に届けたい。

 彼と出会ってから感じたモノ、得られたモノ、貰ったモノ。その全てを。

 きっとこれは酷く傲慢で浅ましい願いだ。それでも、それでも伝えることが出来るのなら。届けることが出来るのなら。

 それは私にとっての”本物”だから。

 

「だから、私に力を貸してください」

 

 頭を下げる。この人たちにプライドがどうとか今更言っても仕方がない。

 こんな自分勝手なお願いを果たして聞いてくれるのだろうか。一人でやれと見放されるかもしれないし、本番まで二週間しかないこの時期に無理だと呆れられるかもしれない。

 でも、この人たちなら。こんなどうしようもない私をいつも見てくれていた彼女たちなら。

 

「ゆきのん」

 

 由比ヶ浜さんの優しい声が耳に届く。顔を上げて彼女の方を伺うと、その表情はとても晴れやかな笑顔で。

 

「そう言ってくれるの、今回も待ってた」

 

 どうやら私は、本当に素敵な親友と巡り会えたらしい。嬉しくて涙が溢れそうだ。

 でもこのタイミングで泣いてしまえばからかわれるのは火を見るよりも明らか。

 

「雪ノ下先輩に頼られるなんてそうそう無いですしねー。わたしも頑張ってお手伝いしますよ」

「それが雪乃ちゃんの本当にやりたいことだって言うなら、お姉ちゃんとして手伝わない訳にはいかないね」

「他でもない君の願いだ。無論私も力を貸そう」

 

 見回してみると他の三人も同じ様な表情で笑っていて。

 

「......ありがとう」

 

 いつかこの人たちにも恩を返さないといけない。何を要求されるのか怖いけれど、それでもそれはある意味楽しみな未来だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、私は小町さんからあるものを受け取る為に比企谷くんのお家を経由してから学校へ向かった。

 昨日はあの後演奏する楽器の振り分けと曲を決めてから解散となった。由比ヶ浜さんと一色さんは平塚先生に送られて帰ったけれど、何故か姉さんはうちに泊まると言って聞かなかったのでもう好きにさせた。

 ......まぁ、それが間違いだったのだけれど。まさかこの歳になって姉さんと一緒にお風呂に入ることになるなんて思いもしなかったわ。実際に何があったのかは決して口外しないけれど、酷い目にあったとだけ言っておこうかしら。

 

 そして迎える本日の文化祭実行委員会。

 生徒会からお知らせが行った為か今日は久しぶりに文実メンバーが全員揃っている。

 勿論比企谷くんはお休みだ。今日一日検査入院して明日退院らしい。と言っても、小町さん曰く今週は家で絶対安静にさせると言っていたので、今週は比企谷くんには学校で会えなさそうだ。それは少し、いやかなり寂しいけれど。補填と称して土曜日か日曜日は彼のお見舞いにでも行こうかしら。流石に土日になれば回復してるだろうと小町さんも言っていたし。らしくもなく目一杯甘えてみるのも良いかもしれない。

 

 閑話休題

 会議室内には比企谷くんを除く文実メンバーがもう揃っていると言うのに、委員会が始まる様子はない。まだヒソヒソと話し声は聞こえるし、委員長である相模さんも補佐についてる友人と話している。

 その内容は昨日倒れた比企谷くんの事だろう。噂として広まった昨日の一部始終。誰が倒れたのかまでは広まっていない辺り、比企谷くんの存在感の無さを痛感する。

 昼休みに由比ヶ浜さんから聞いた話では海老名さんがちょっと興奮で危なかったらしい。

 

「あの、相模さん。みんな揃ったけど......」

「ああ、ごめんなさい」

 

 痺れを切らした城廻先輩に声を掛けられるも、相模さんは悪びれた様子もなく委員会を開始した。

 

「それでは、文化祭実行委員会を始めます。じゃあ一色ちゃん」

「はい。今日の議題は文化祭のスローガンについてです」

 

 開始の号令だけしてあとは一色さんに丸投げするその様を見て腹立たしく思いながらも、私はその進行を遮るように堂々と挙手した。

 

「少しよろしいでしょうか」

 

 初日に委員長を勧められて以降沈黙を続けてきた私が突然発言したせいか、周りにざわめきが起こる。事前に話を通してあった一色さんは特に何かを言ってくることもなく、私の発言を促してくれた。

 

「相模さん、あなたは昨日文実で起きた事を把握しているかしら」

「え?えっと、誰か倒れたんだよね。いやーごめんね雪ノ下さん。うち委員長なのにその場にいれなくてさ」

 

 余りにも軽い発言にふつふつと怒りが湧き上がってくるのを自覚する。

 ここで感情に任せて相模さんを言い負かし、委員長の座から引きずり下ろすのは容易な事だ。でも、それをしてしまえば今まで比企谷くんがやって来た事を否定するだけでなく、その全てを無駄にしてしまう事になる。

 彼が新しく見つけた、彼らしいやり方。

 ならば私も私らしく。奉仕部の、私の理念を貫かせてもらおう。

 途上国にはODAを、ホームレスには炊き出しを、責任感のない委員長には、それが芽生えるように促す。

 

「誰が、何故倒れたのか、それは知っているかしら?」

「ごめんねー、それも知らないんだ」

「そう。なら教えてあげる。倒れたのは二年F組比企谷八幡。あなたと同じクラスの実行委員よ。その理由はこれ」

 

 カバンから取り出した数十枚に及ぶ書類を相模さんの前に、叩きつけるようにして置く。

 いけない、感情的になっている。抑えなければ。

 

「これは?」

「中身を見れば自ずと分かるわ」

 

 ペラペラとその書類の束をめくっていく毎に、相模さんの顔は青ざめていく。どうやら肩書きだけの委員長でもそれの意味くらいは理解出来たらしい。

 

「まさか、これをあいつが一人でやってたの?」

「そうよ」

 

 今朝、小町さんから受け取ったこの書類。これは今まで比企谷くんが一人でこなして来た仕事の数々だ。その量を見たときには流石の私も驚いた。私や一色さんの倍どころではない。三倍以上の仕事を一人で、ここ数日は家で一睡もせずにやっていたと言う。

 

「彼が倒れたことの責任を追及しようと言うわけではないの。そんな事今更したところで無意味だもの。ただ、あなたは今まで一体何をやっていたのか。それだけは考えて頂戴」

 

 相模さんは書類を見つめたまま動かない。果たして彼女がそれを見て何を思ったのかは分からないが、良いように転ぶ事を祈ろう。相模さんにとっても、文実にとっても。

 

「お時間を取らせていただきありがとうございました。私からは以上です」

 

 もう話すことはないとばかりに着席する。

 一色さんに委員会を続けるように目で促すと、彼女は少し怯えるようにして頷いた。

 はて、今の私のどこに怯える要素があったのかしら。

 

「で、では委員会を再開します!新しいスローガンを考えていくので、皆さん是非案を出してください!」

 

 再開される会議。私にやれる事はやった。

 果たしてこれが正しい事なのかは分からないけれど、それでも私がやりたいようにやった結果だから。それがどのようになったとしても後悔はない。

 

 

 

 

 

 

 結局スローガンは決まる事なく、前回と同じく翌日に持ち越しとなってしまった。

 相模さんはあの後も心ここに在らずといった様子だったし、私があんな事をしてしまった後なのだから話し合いが円滑に進む訳もない。

 

「やっはろー!」

「こんにちは」

「こんにちはですー」

 

 会議が終わった後私と一色さんは部室へ向かい、たった今由比ヶ浜さんがクラスの仕事を終えてやってきた。

 いつも通り四人分の紅茶を用意しようとして、気づく。そう言えば今日から暫く彼はいないのだった。

 

「そう言えば、ゆきのん文実どうだった?」

「やれる事はやったわ。後は彼女次第ね」

 

 昨日有志でバンドをすると決めたばかりなのに、こうして三人で部室へと来たのはしっかりと理由がある。

 恐らくは来るかもしれない依頼人を待つため。

 

「あの時の雪ノ下先輩かっこ良かったですよー!......ちょっと怖かったけど」

「一色さん?」

「じょ、冗談ですよぉ」

 

 そんなに怖がれるのは心外なのだけれど。

 集団を短期間で纏め上げるには確かに恐怖統治は有効的だけど、この二人とは対等でいたいと思うから統治だなんてする訳もないし。

 

「さがみん、来るかな......?」

「来なければそれまでじゃないですか?もう私達だけでやるしかないですし」

 

 由比ヶ浜さんの不安も分かるし、一色さんの言うことも事実だ。

 一度目の世界の文化祭、体育祭であそこまでやらかした相模さんがそう簡単に変わるとは思えない。

 それでも、比企谷くんは僅かな可能性に賭けた。ならば私達もそれを信じるしかない。

 

 暫く無言の時間が流れる。

 いつものように文庫本を読んだり、携帯を弄ったり、手鏡を覗いたり。しかしその静寂はいつもの心地のいいものではなく、どこか緊張が張り詰めたもの。

 そんな緊張の糸を切ったのは扉をノックする音だった。

 

「どうぞ」

「し、失礼します......」

「さがみん!」

 

 扉を潜ったのは文化祭実行委員長相模南さん。

 どうやら、私達は賭けに勝ったらしい。

 

「それで、何か御用かしら?」

 

 心持ち落ち着いた声音で話しかける。この場で無駄に喧嘩腰になる事はないし、そんな事をしてしまえば全て無駄になる。

 先ずは対話からだ。

 だから由比ヶ浜さんに一色さん、私の声を聞いただけでそんなに怯える必要はないのよ?ええ、今の私はとても穏やかな心で相模さんに話しかけているのだもの。

 

「ご、ごめんなさい!!」

 

 長机の依頼者側に立っていた相模さんは、勢いよく深々と頭を下げて謝罪した。背中は曲げずにピンと伸ばしながらも直角90度。謝罪の際のお辞儀は45度〜60度が基本なのだけれど、今はそれを指摘するような時でもない。

 

「雪ノ下さんに言われて、色々考えたんだけど......。うち、本当最低な事してた。ただチヤホヤされたいだけに委員長になって、その自覚も足らずに下らない見栄を張るために一色ちゃんに迷惑掛けて、そんなうちのせいで比企谷が倒れちゃって......。本当にごめんなさい」

 

 正直とても驚いた。これがあの相模さんと言うのが信じられないほどに。

 前回の記憶や夏休みに見た時の彼女の姿。そこからは凡そ想像もつかない。だとしたら、彼女の中で何かが変わったと言う事だろうか。その変革が果たしてどの様なものであるのかは彼女自身にしか分からないことではあるけど、これは今まで比企谷くんがやって来たことの証明の一つだ。

 そこに少なからず自分が携われている事がこの上なく嬉しい。

 

「あなたの謝罪の意味は理解したわ。それで、あなたはこれからどうしたいのかしら?」

 

 頭を上げ、こちらを見据えてくる。まさかこんな風に相模さんと視線を交わす事があるだなんて。

 

「うちは、文化祭を成功させたい。誰もが楽しめる最高の文化祭にしたい。そのために、あなた達に、奉仕部にもう一度依頼をさせて欲しい」

「依頼、と言うのはあなたが前回持ち込んできたものと同じと捉えてもいいのかしら?」

「うん。うちの成長を助けて欲しいんだ」

「そう。そう言う事なら構わないわ」

「え?」

 

 私が即答したのが意外だったのか、相模さんは目を丸くして驚いている。

 確かに彼女からすれば随分と拍子抜けする事かもしれないけど、私たちからするとこれは既に決まっていた事だし。

 そんな相模さんに、今まで会話に加わっていなかった由比ヶ浜さんが声をかける。

 

「大丈夫だよさがみん、ゆきのんは頼って来た人を見捨てたりはしないから!」

「でも、うち前に来た時に一回......」

「確かに帰るようには言ってましたけど、依頼を受けないなんてことは言ってなかったと思いますよ?」

「......あ、確かに」

 

 元より私達は相模さんを間接的に補佐しようと言うことで動いていたのだから、ある意味では依頼を勝手に受理していたと言う事になる。

 

「一色さん」

「はい、あれですねー」

 

 一色さんはポケットの中からあるものを取り出す。それを相模さんに差し出した。

 

「うちの判子......」

「明日からお願いしますよ、相模委員長」

「クラスの方はあたしと優美子達に任せてくれたらいいからさ!」

 

 手に取ることを躊躇っていた相模さんだが、決意したように頷きを返してそれを受け取った。

 

「仕事の遅れは充分取り戻せる範囲内。明日からは私や一色さんも全力で補佐するわ。だから、必ず文化祭を成功させましょう」

「うん。よろしく!」

 

 比企谷くん、残念ながらあなたの出番はもう無さそうよ。だからゆっくりと休んでなさい。その代わり、回復した時を楽しみに待っていることね。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。