続きの嫁度対決は番外編という事で投稿するかもですが。
ライブシーンは「変わる空の下」を弾いてると思ってください。
「雪乃ちゃーん。だいじょうぶー?」
姉さんの声が聞こえる。その声色は心配していると言うよりも玩具を弄ってる時のそれに近い。この場合は玩具と書いて比企谷くんと読むのだけれど。
だが残念なことに、今の私にはその声に返事をするだけの余力が無い。今私達がいる場所、体育館のステージの舞台袖まで全力疾走で駆けて来たからだ。到着するなり置いてある椅子に座り込んで、もう何分経っただろうか。
いやはや、しかし。自分の想像の埒外にある出来事に対して弱すぎないかしら、私。今回は時間を忘れて楽しんでしまった自分が完全に悪いのだけれど。
「ゆきのん、本当に大丈夫?」
「これ飲んでください、雪ノ下先輩」
今度は気遣わしげな声が聞こえてくる。
顔を上げると、本当に心配した様子でこちらを覗き込んでくる由比ヶ浜さんと一色さんが視界に映る。一色さんから差し出された『いろはす』を素直に頂く。
そう言えば、比企谷くんに買ってもらった紅茶はあそこに置いて来てしまった。
比企谷くんの事だから間接キスがどうのこうのと言い訳して処分に困っているのではないかしら。そうして言い訳を繰り返した後に結局飲む姿がありありと眼に浮かぶわね。
「ありがとう、二人とも」
心配してくれている友人と後輩の二人に薄く微笑みかける。
少しは回復してきたようだ。
「ちょっとー、私の時と反応違うくなぁい〜?」
「おちょくるような声で話しかけるからだろうが。雪ノ下、もし本当に辛いようならば由比ヶ浜にボーカルを全て任せてしまうのも手だぞ」
「いえ、本当に大丈夫ですので」
ここまで付き合ってもらったのに私一人の都合で迷惑を掛けるわけにはいかない。
確かに一曲弾きながら歌い切る自信はないのだけれど、弱音は吐いていられない。私が、私の声で届けたいから。
よし、もう大丈夫。体力は一応回復したし、やる気も十分。緊張は、少し。普段人前に立つ事なんてあまり無いからかしら。
「一色さん、練習はしっかり出来たかしら?」
「はい!まだちょっと自信ないかもですけど、大丈夫です!」
「由比ヶ浜さん、最後にもう一度歌詞を確認しておきなさい。もう私のパートで歌い始めたらダメよ?」
「うっ、流石にもうしないよ⁉︎」
練習中特にミスの目立っていた二人に確認を取るが、この様子だと心配いらなさそうね。
特に一色さんはキーボードは疎かピアノも弾いたことがないと言うのに、この二週間と言う短い期間でよく頑張ってくれていた。副委員長としての仕事もあると言うのにも関わらず。
平塚先生と姉さんは心配いらないだろう。曲は違うと言っても、前回演奏した曲と同じ歌手の曲だ。曲調も全く違うなんて事はなかったので、この二人は私達の中でも早期に演奏をマスターしていた。
事前に持ち込んで立てかけていたギターを手に取る。今回の件で一番驚いたのは、母さんが協力を申し出てくれたこと。
どうやら姉さんから話を聞いたらしく、実家の完全防音の部屋を練習場所として貸してくれた上に、楽器まで新調してくれた。
協力してくれたのは母さんだけではない。相模さんには無理を言って順番を調整してもらったし、城廻先輩は一色さんのキーボードの練習を手伝ってくれていた。
色んな人の協力があってステージの上に立てるのだ。
「む、どうやらそろそろ出番のようだな」
平塚先生の言葉を聞いて、少しだけみんなの雰囲気が変わる。
私達の一つ前、葉山くん達のグループの演奏が終わったらしい。ここまで聞こえてくるくらいの大きな歓声を受けながら退場してきた。あそこまで盛り上がると無駄にプレッシャーが増してしまうわね。
「ひゃっはろー隼人。お疲れ様」
「陽乃さん?......あぁ、大トリか」
舞台袖へとはけて来た葉山くんに姉さんが絡みに行く。何故いるのか分かっていない様子だったが、どうやら私達の登録されたグループ名を思い出したらしい。
あれは本当にどうにかならなかったのかしら......。
「てっきり大学の友人達と出るものだと」
「流石に校外からの有志を大トリには出来ないでしょ」
一緒に演奏していた三浦さんが心なしか睨みながら二人のやり取りを見ている。
そう言えば姉さんと三浦さんの間に面識はなかったか。本番前に無駄な衝突が無ければ良いのだけれど。
「それに、今回は雪乃ちゃんからのお願いだからね」
「雪ノ下さんの?」
「そ。可愛い妹の頼みとあらば力になってあげるのがお姉ちゃんってものでしょ?」
葉山くんは少し驚いたような顔をしている。彼の気持ちは分からないこともない。何せあの姉さんが、どこにでもいる普通の姉に見えるのだから。
それは私が今まで見たことのなかった、いや、見ようとしてこなかった雪ノ下陽乃と言う女性の一面。実の妹だと言うのに姉のそんな顔を知らないなんて、なんだか今まで損をしていた気分にすらなる。
「陽乃、そろそろ時間だ」
「あらま、もう少し隼人と話してたかったんだけど仕方ないか。隼人もちゃんと見てなさいよ〜?」
「分かってるって」
やや苦笑気味に返しながらグループの人達と退出しようとする葉山くん。
今回は彼にも助けられた。きっとあの時葉山くんが来てくれていなかったら、私はまた間違った答えを出してしまっていただろう。
であるならば。
「葉山くん」
扉に手を掛けていた所を呼び止める。三浦さんが睨んで来ている気がする。たった一言声を掛けるだけなのだから、そう喧嘩腰にならないで欲しい。
「あの時は助けてくれてありがとう」
であるならば。
ここで全て清算しておくべきだろう。過去に起きた出来事も。それに伴う私と彼の間に存在する蟠りも。
もう互いに気にする必要はない。
過去を無かったことにしたい訳ではない。
ただ、それよりも大事な今があるから。
私も、葉山くんも。
「............。あぁ、どういたしまして、雪ノ下さん」
葉山くんは一瞬驚きに目を丸めていたが、そのすぐ後にいつもの爽やかな笑顔と穏やかな声でそう言って来た。
「それじゃ、そろそろ戻るよ。頑張ってな」
「結衣ー、頑張んなよー」
今度こそ本当にこの場から退出していった。
さて、そろそろ舞台の準備も完了する頃か。振り返った先には、今日まで文句の一つも言わずに私の我儘に付き合ってくれた人達。未だ彼女達の力を借りなければ自分の気持ちも満足に伝えられない私ではあるけれど。
それでも、今の私の持つ全てをもってして
「行きましょうか」
彼に届けに行こう。
葉山グループの演奏による興奮は未だ冷めやまず、相変わらず会場は喧騒に包まれている。
ザワザワと蠢く理由は、しかしそれだけが原因ではないだろう。
ステージの上に立った見た目麗しい彼女達もその一端を担っている。
何故、と言う疑問は確かにある。何も聞かされていなかったし、そんな素振りを見たことも無かった。
しかし、それでも。俺は彼女の立ち姿にただただ目を奪われていた。
背筋を伸ばし整った姿勢で佇むその姿は既に見慣れている。彼女の姿を目にする度に見惚れているのかと問われると、まあYESと答えるわけなのだが。
敢えてこの場に限って理由を挙げるのであれば、彼女の瞳か。いつも強い意志を伴っていた、俺のものとは正反対の凛とした瞳。
何よりも美しいそれは、俺が見て来た中のどれよりも強く美しく、輝いてすら見えた。
そんな彼女の、雪ノ下雪乃の瞳と目が合った。
この会場内には多くの人がいて、もしかしたら俺の勘違いかもしれないけれど、雪ノ下は確かに俺を捉えていた。
『二年J組の雪ノ下雪乃です』
演奏前の挨拶だろうか。スタンドマイクのスイッチを入れて雪ノ下は自己紹介を始める。
校内で有名人な彼女の事は改めて自己紹介されなくとも、会場にいる殆どの人が知っているだろう。自己紹介しなければならないのは寧ろ陽乃さんじゃないだろうか。いや、今の三年生は陽乃さんをギリギリ知ってるんだっけか。
『大トリを務めさせて頂く訳ですが、皆さんには一つ謝らなければなりません』
硬い! 話し方が硬いよゆきのん!
流石は氷の女王。折角葉山達がいい感じに前座で盛り上げてくれてたのに会場のテンションも下がっちゃう。
そして雪ノ下の言葉に動揺が広がる。殆どの人間が何を言ってるのか分かっていない様子だった。かく言う俺もである。
『これだけ人が集まってくれていますが、私がこの演奏を届けたいのはたった一人に向けてだけです』
更に大きくなる騒めき。その中には「まさか噂の......」とか「あれって本当だったんだ」とか、まあ色々と俺の耳にも届いてくる。
しかし、俺は目を逸らさない。視線を外さない。それは恐らく雪ノ下も。
『その人はとても捻くれていて、目が腐っていて、控えめに言って気持ち悪い。そんな男です』
それ控えめに言えてねぇよ。寧ろ160km/hストレートど真ん中だよ。あとお前も人のこと言えないくらいには捻くれてるって自覚した方がいい。
『でも誰よりも優しくて、強いのに弱くて、色んな人を救ってしまう。自分が傷つくことを厭わず、それで私達が傷つくことも知らないようなバカな男』
そんな事はない。優しさなんて微塵も無かった。常に状況に追われて、その場に最も適した手段で依頼をこなして来ただけだ。
『そんなあなたの事が分からなかった。どうしてそんなに人に優しくなれるのか。どうして自分の事を蔑ろにするのか。何も知らないのに知った気になって』
俺も同じだった。お前達のことを知った気になって勝手な理想を押し付けてしまった。
俺が中学時代に何度も繰り返し、だからこそ辟易していた事を、あろうことかお前達に向けて行ってしまった。
『でも、今は違う。私の思い上がりかもしれない。あなたに幻想を押し付けているだけなのかもしれない。それでも、例えそうなのだとしても』
一拍置いて深く息を吸った後、雪ノ下はスポットライトの下で薄く微笑んだ。
会場中の人間全てがその姿に見惚れる中、ただ一人のしがない男子生徒に向けて、言葉を発した。
『---今はあなたを知っている』
それはあの時と同じ言葉。
いつの日かの焼き直し。
『もっとあなたを知りたいし、私を知って欲しい。私があなたと、あなた達と出会って得たものを、感じたものを、その全てをあなたに伝えたい。私が私だけの本物を得るために。だから、その腐った目と耳と脳みそを総動員してしっかりと見届けなさい』
最後に勝気な笑みを浮かべた次の瞬間。
音が、爆ぜた。
会場はとてつもない熱狂の渦に包まれている。一つ前の葉山達の演奏なんぞ比にならない。
観客達は飛び跳ねたり、どこからか持ってきたペンライトを振り回したりヘドバンしたり。もうやりたい放題だ。
その渦の中心。ステージの上から音を響き渡らせるのは五人の女性。
ドラムがマイペースに叩かれれば、キーボードがそれに追従するように自由気ままに音を鳴らす。それをベースが叱りつけるように響かせられ、遅れないようにとボーカルは時折声が跳ねっ返りながらも一生懸命喉を震わせる。
その全ての音が、たった一人が奏でる音を後押ししていた。
正確無比なピッキングは一つのミスも許さず、冷たい氷を思わせるような高いソプラノはしかしそこに情熱を潜ませ。
体育館の一番奥へと形にならない言葉を届ける。
演奏されているのは俺でも知っているくらい有名な曲だ。確か一度目の時に彼女達が弾いた曲と同じ歌手だったと思う。
あの時は即興で演奏していたが、今回はしっかりと練習を積み重ねたのが感じ取れる。
今この時だけは、彼女達の曲だ。
間奏に入ると一歩前に進み出たギターが激しくメロディを奏でる。
それに呼応するかの様に更に盛り上がる観客達。打ち鳴らす手や踏みしめる足は一つのリズムを作り、会場にいる全てが一体となっていた。
それら全てが、これでもかと言うほどに伝えてくる。
俺の心の奥底に、届けて来る。
言葉に出来なくて、それでも抱えきれない想いが溢れてしまって、戸惑いながら、不器用 ながら。必死に。
ドラムが挑発的に加速すると、キーボードが貪欲にそこへ食らいつき、スラップベースがそれを抑えつける。
ボーカル二人は寄り添うように立って声を上げていた。
スポットライトが二人を照らし、天井から吊るされたミラーボールは辺りに光を散りばめる。
それがまるで星のように輝き、彼女達の演奏を視覚的にも存分な程演出させる。
今なら確信を持って言えるだろう。
俺の求めたものはここにあったのだと。
けれど、俺と言う風景には余りにも眩し過ぎるから。
だから俺は求め続ける。
これからも、ずっと。
大トリである雪ノ下達の演奏が終了すると、宴もたけなわ。そのままエンディングセレモニーへと移行した。
相模委員長から有志の地域賞や最優秀賞などが発表され、講評と締めの言葉を舞台袖で聞きつつ、文化祭は恙無く幕を閉じた。
いやはや全く。本当に恙無く、である。
委員長は逃げ出さなかったし俺の悪評は広まらなかったし。
ただ一つ問題点があるとするならば。
「お前さぁ、一曲歌い切る体力すら無いって流石にどうなの?」
「う、うるさいわね......」
今俺の目の前で糸が切れたように椅子に座り込み、らしくなくダラけた格好になっている我が恋人であろうか。
演奏が終わると同時に観客からは惜しみない拍手が送られた『はるのんと愉快な仲間たち』だが、ギター兼ボーカルの氷の女王様はその場で倒れ伏してしまったのだった。
突然の出来事に驚く観客。思わず体育館の一番後ろから猛ダッシュで舞台に駆け上がった俺。更に巻き起こる突然のラブコメイベントに沸く観客。ステージ後方から聞こえる魔王と小悪魔とクラスメイトと顧問からの冷やかしの声。
思い出しただけでも顔から火が出そうだ。
お陰で俺は、雪ノ下雪乃の想い人である謎の男子生徒から、雪ノ下雪乃の想い人である二年F組のヒキタニ君へとランクアップエクシーズ。
結局名前間違って広まってるし。
「それで?」
「あ?」
「私の演奏に対して何か感想は無いのかしら?こんなになるまで必死に頑張ったと言うのに、あなたと言えば労いの言葉すら無いのだから」
ただ単に声をかけるタイミングを見失ってただけである。
しかし、どう声を掛けたものか。正直分からない。
雪ノ下が自分の気持ちを言葉に出来ないからこそ音と言う手段を用いて伝えてくれたように、今の俺も自分の気持ちをどう言葉にすればいいのか分からない。
きっとそれは、形を得た瞬間に酷く安っぽいものになってしまいそうな気がして怖いからだ。
ならば俺はどの様な手段を用いるか。幸いにして今俺たちがいるのは舞台袖。雪ノ下が動けないので俺も動いてない。
他の委員の奴らは表の片付けに追われている。
少し恥ずかしい上に古典的かつ俺の嫌うリア充っぽいやり方だが、これしか頭に思いつかなかったので仕方がない。
「雪ノ下」
名前を呼ぶと、先程よりも幾分かマシになった顔色がこちらを見上げる。
驚く隙も与えない様迅速に、その唇を奪った。
「あっ、なた......! いきなり何をっ......!」
「労いが欲しいって言ったのはお前だろ?」
「私は労いの言葉と言ったはずだけれど」
「言葉に出来ない程だった。だからお前と同じで行動に移した。ダメだったか?」
顔を真っ赤にしながらあたふたする雪ノ下に問いかけると、俯いてしまった。
あれ、もしかして失敗? まーた調子乗っちゃた感じ?
「............ダメね。ダメダメよ」
マジか。やっぱり場所か。学校の中はダメだったか。でもこの前部室でハピネスチャージした前科あるし。
「一度ではダメ。全然伝わらないわ。だから、もう一度しなさい」
真っ赤な顔のまま肩をわなわなと震わせつつもキッとこちらを睨む様に見上げてくる。
控えめに言って超絶可愛い。その可愛さと言ったら世界遺産に登録された後全世界の人が癒され全ての争いが無くなるレベル。その後にこの可愛さを求めて再び争いが起きるまである。やはり歴史は繰り返すと言うのか。
て言うか。
「もう一回したいなら素直にそう言えよ」
「べ、別にそう言うわけでは......」
また言い訳をつらつらと並べようとする前にその口を塞ごうと再び顔を近づけた所で、ガシャッと、心地よいほどにハッキリと音が聞こえた。
二人して錆びた機械の様にギギギと振り返ると、そこにはスマホを構えた文化祭実行委員長の姿が!
「あ、うちに気にせず続けていいよー」
「おい」
「相模さん?」
ごめんごめんと笑いながら近づいてくる実行委員長こと相模南。こっちは笑い事じゃ無いんですけどね。まさか一回目もそのシャッターに収めてたとか言わないよね?
「二人とも中々出てこないから様子を見に来たんだけど、まさかあんなシーンを見せられるとは思わなかったなー」
「相模さん、忘れて。お願いだから。忘れてください」
どうしよっかなーなんて言ってるが、まあ拡散の恐れは無いだろう。だからと言って許せるわけでも無いが。
雪ノ下が必死に懇願してる中、相模は唐突に真剣な顔をした。雪ノ下も何か察するものがあったのか黙ってその顔を見る。
「二人とも、今回はありがとう。お陰で凄く良い文化祭に出来た」
数刻前にも礼を言われたが、その時よりもその言葉には実感が籠っていた。
今回の文化祭が終わり、相模なりに思うところがあったのだろう。
「別に俺たちは」
「何もしてないだなんて言わせないよ。特に比企谷にはね。あんたが倒れるまで仕事してくれなかったら、多分うちはあのまま文実を潰してたと思う」
それは間違いなくそうなっていたであろう。
俺たちはその結果を、この目で見ている。
「本番の前日にさ、夢で見たんだ。うちが文実を滅茶苦茶にして、屋上に逃げ込む夢を。その時の比企谷どうしてたと思う? うちに罵詈雑言を浴びせた挙句泣かせたんだよ?」
笑いながら冗談交じりに話す相模だが、俺たちからすると強ち冗談では済まない。事実として一度そうしてしまってる上に、今回の場合はもっと手酷いことをしていた可能性だってあるのだから。
「多分、その夢の中のうちと今のうちとは本質的にまだ何も変わってないんだと思う。こうして文化祭を成功させて、委員長としての賞賛だとか栄誉だとか貰ってすごい嬉しいもん。きっと雪ノ下さん達と話した後も、それが一番の目的だった。でもさ、成長は出来たかなって、実感できるんだよね」
いや、相模は確かに変わった。こうして俺たちに自分の気持ちを語ってくれている事こそがその証左だろう。文化祭を通して、あるいは俺たちとの交流を通して。
しかし奉仕部的に考えるとするならば
「なら、無事に依頼達成という事ね」
「そうだな」
変わった変わらなかったはどうでもいい。
相模南の成長を手助けする。それが、俺たちが問い直すべき依頼だったから。
ニッと三人笑い合う。
途中色々と面倒な事が起きたものの、相模の依頼は無事に達成。
未来は確かに、着々と変わりつつあった。
周囲からの視線を一身に浴びながらも部室へと向かう。その視線が意味するのは好奇心か嫉妬心か。多分その両方だろう。
文化祭を無事に終えた総武高生はその最後の最後に最高の肴を手にしたと言える。
何せあの雪ノ下雪乃のゴシップだ。興味のない者などいないのではなかろうか。
しかしあれだな。嫌悪から来る視線には慣れてるんだが、嫉妬の視線を向けられる側に来る日がまさか来ようとは。いやはや、これはかなり居心地が悪い。
教室内でも同じ感じだったし。それを見て笑いを堪えていた実行委員長様もいやがったし。
まさか一度目の時と極端なまでに違う立ち位置になってしまうなんて思いもしなかった。
特別棟に入ると生徒の数も減り、必然的に視線も少なくなって幾らか気が楽になる。
その中でも更に人の少ない四階の奥。最早周囲には誰もいないその場所にようやく辿り着いた。
何も書かれていないプレートには、これまでの道程を思わせる夥しい数のシールが貼られている。
どうやらあのお団子頭は一度目のやつも含めてシールを貼っているらしい。
特に意味がある訳でもないが一つ深呼吸をしてから扉に手を掛けた。
部室の中は相変わらずものが少ない。
中心に長机と、その周りに椅子が四つ。窓際の机に置かれた紅茶セットくらいのものだ。
しかしそこが異様に思えたのは一人の少女がいたから。
少女は斜陽の中でペンを走らせていた。
世界が終わった後も、きっと彼女はここでこうしているのではないかと、そう錯覚させる程に、この光景は絵画じみていた。それを見た時、俺は身体も精神も止まっていた。
でもそれを、不覚にも、だなんて思わない。
それは俺がこの少女を知ったからだろうか。
何度も間違い続け、求め続けたものに確信を持てたからだろうか。
だとするならば、俺はきっと生涯この少女に目を奪われ続ける事だろう。
扉の前で未だ立ち尽くしてる俺に気づいたのか、雪ノ下はペンを置いてこちらを見た。
「ようこそ、校内一の妬まれ者さん」
「誰のせいだと思ってるんですかね」
その声に俺の時間がようやく動き出す。
クスクスと笑う雪ノ下を横目に定位置へと腰を下ろした。
「どう? 自分の忌み嫌っていたリア充とやらの仲間になった感想は」
「思ったよりも悪くないな。お陰様で漸く周囲に存在を認知してもらった」
ハッと笑いながらカバンから書類を取り出す。実行委員としての最後の仕事は引き継ぎの書類を作ること。仕事が終わってもまだ仕事が残ってると言うこの矛盾。こうして世の中は社畜色に染められていくのである。
「そもそも、お前が倒れなかったらこんなことにはならなかったんだけどな」
「その事はもう忘れなさいと言ったはずだけれど?原因を質すのであれば私をあんな時間まで連れ回していたあなたが悪い訳であって私には一切の過失は無かったわ」
「そう言う事にしといてやるよ。......で?今何書いてんの?」
「知っていてそんな質問をするのは意地が悪いわね」
そう、俺は今雪ノ下が書いている紙の正体を知っている。
進路希望調査表だ。
二年のこの時期に第一希望を決めるなんてのは流石に時期尚早だろうから、あくまでも意識調査程度。三年からの文理選択を本格的に決定するのはマラソン大会前後のあれだ。
しかし、雪ノ下雪乃に限って言えばそれは大きな意味を持つ。
実家が俺たち一般市民と違って少し特殊な家庭なのだ。葉山の家なんかとも繋がりがある上に、かつての彼女の言葉を借りるならば雪ノ下家は葉山家と繋がりを断とうとは思っていないとも言っていた。
陽乃さんと言う長女がいるとしても、次女である彼女の進路はどうなるのであろうか。
「......まだ、確定して決めてある訳ではないわ。取り敢えずは適当に志望校を書くと言った所かしら」
そんな俺の不安が伝わったのか、雪ノ下は苦笑しながら口にした。
一度目のマラソン大会後にて彼女は文系を選択していたはずだ。国際教養科である彼女に文理選択はあまり意味をなさないものであったが、それでも俺にはそう伝えてくれた。
「将来のことなんて具体的にはまだ考えられない。文系の大学に進むかもしれないし、理系の大学に進むかもしれない」
かつて雪ノ下陽乃は己の妹の持つものを、信頼よりも酷い別の何かだと評した。
ならば今の彼女はどうだろうか。
きっと、あの頃の彼女ならば迷わず私立文系なんて巫山戯た選択肢を取っていただろう。俺の自惚れで無ければ、の話だが。
しかし、今の雪ノ下はどうなるか分からないと答えた。それは間違いなく、彼女が彼女自身の意思で答えを出そうと四苦八苦している証拠だ。
「でも、その先であなたが隣にいてくれるのなら。私はそれで十分よ」
薄く微笑みながらそう言われてしまっては、照れ臭くて目を逸らしてしまう。
数刻前にあんな大胆な行動をしておいてこんな事で照れてしまうなんてどうかと思うが、こう言う何気ない仕草が一番グッと来るのだ。
「そうかよ......」
「ええ。そうよ」
逸らした目をそのまま、取り出して放ったらかしにしていた机の上の書類へと移動させる。
今はこれを片付ける事に専念しよう。
「やっはろー!」
「やっはろーでーす!」
仕事をしようと思った瞬間にこれだよ。
扉を元気良く開いて入って来たのは由比ヶ浜と一色だ。二人とも何故か凄いニコニコ笑顔を見せながらの入室。
「いやー、文化祭凄い疲れたけどお陰でいいもの見せて貰ったよー。ねーいろはちゃん!」
「そうですねー!まさか最後の最後にあんなサプライズが見れるなんて思ってなかったですよー!」
あぁ、お前らそれくらいにしとけよ......。じゃないと向こうに座ってる氷の女王が......。
「二人とも、一体何を見たと言うのかしら?」
「ひっ......!」
「あっ、えっと、その、ゆきのんの凄いカッコいい姿が見れたなーって!」
ほら、言わんこっちゃない。
目が笑ってないんだよ、目が。あれ未だに俺も怖いんだから辞めてくれよ本当に。
「あ、そうだ雪ノ下先輩!今から後夜祭に行くんですけどどうですか⁉︎」
一色が雪ノ下に詰め寄りながら問いかける。
ナイス判断だ一色。ゆきのんは身体的接触に弱いからな。そうやって攻めていればいずれ陥落するぞ。
着実に雪ノ下攻略ヒキペディアが完成しつつある。
「っ......。その、今日は流石に疲れてしまったから」
「えー、ゆきのん来ないのー?」
「あ、えっと......」
おい、こっちを見るな。そんな助けを乞うような目で見られても俺は行かないぞ!
「あ、小町ちゃんに連絡はしといたので先輩は絶対参加でーす」
ちょっとー?俺の人権はー?行方不明になったまま帰って来ないんだけどー?
小町に本格的に嫌われてしまった可能性が微粒子レベルで存在してる件について。そうなったら俺生きていけないんだけど。
「はぁ......。分かったよ。行けばいいんだろ?」
「ヒッキーは行くみたいだけど、ゆきのんは?」
「彼が行くのなら、仕方ないわね......」
「て言うか二人とも何してるんですか?」
「進路希望調査表」
「仕事。て言うか一色お前引き継ぎの仕事とか無いのかよ?」
「あー、全部記録雑務の方に任せちゃいました」
キャピッ☆と横ピースでもしそうな勢いで堂々と宣う一色。ちょっとイラッ☆としちゃったぞ☆
「お前も手伝いやがれ」
「なんでですかー!わたしはちゃんと自分の仕事終わらせて来たんですよー⁉︎」
「うるせぇお前のせいで俺の仕事が増えてるんだから文句言わずに手伝えやこら」
「それはちゃんと最初から雑務の仕事だったって相模先輩から聞いてますー!先輩の仕事は増えてないですー!」
わいわいきゃあきゃあと騒ぎ立てる俺と一色を、微笑ましく見守る雪ノ下と由比ヶ浜。
問い直した答えは果たして正しかったのか間違っていたのか。それを断ずるには第三者の意見が欲しい所ではあるが、当事者である俺たちしかその意味が分からない以上第三者なんぞいるはずもない。
だから、問い続け、求め続ける。
今日確信を得た答えを、ずっと永遠に。