明日は待ちに待った修学旅行だ。
八時に東京駅集合との事なので、いつもよりかなり早目に家を出なければならない。従って寝るのも常より早くなければならない為、現在夜の七時ながらも既に晩飯を食い終えて、明日の準備をしていた。
と言っても、持って行くものなんて着替えくらいしかないので、準備にも然程時間は掛からない。
荷物を詰め込んだ旅行バッグをリビングに持って行くと、小町がソファに寝そべってテレビを見ていた。
「あ、お兄ちゃん準備終わったの? 忘れ物とか無い? ちゃんと確認した?」
「お前は俺の母ちゃんか。ちゃんと確認したし、忘れ物は無いよ」
「やだなーお兄ちゃん。小町はお兄ちゃんのたった一人の可愛い妹でしょ? ふふん、今の小町的にポイント高い〜♪」
「自分で可愛いとか言ってるあたりポイント低いな」
まあ可愛いのは事実なんですけどねええ。
こうやって兄の心配をしてくれてるのもポイント高い。
「それに、小町がお母さんだったらこんな息子に育てないし。てかこんな息子いらないし」
「お、おう......」
まあそうだよね。こんな息子いらないよね。ごめんねママン、こんな息子になっちゃって。でも今は可愛い彼女いるし捨てたもんじゃないと思うよ!
「そう言えばこれ、持っていきなよ」
「ん? なに、カメラ?」
小町から差し出されたのはデジカメ。わりかし古い型のやつで、我が家で使っているカメラは確かこれよりも新しいやつだったはずだ。
「そ、カメラ。折角だから雪乃さんとの思い出撮ってきて小町に見せてよ」
「お前に見せるかどうかは置いとくとして、取り敢えず持って行くわ」
受け取って、旅行バッグの中に詰め込む。元からすっからかんのバッグなので特に難なく入った。
「えー、頼むよお兄ちゃん。小町が一番楽しみにしてるお土産なんだから」
「そんなもん楽しみにせんでいい。てか八つ橋とかはいいのかよ」
「八つ橋なんてそこら辺のデパ地下とかで買えるでしょ」
「身も蓋もない事言うなよ。京都の老舗に怒られるぞ」
「あ、でもあぶらとり紙は宜しくね。ママンの分も」
まあ小町に頼まれてしまっては仕方がない。俺は妹の言うことなら大抵のことは聞いちゃう兄の鑑だからな。
妹のためなら火の中だろうと水の中だろうとあの子のスカートの中だろうと余裕で行けちゃう。いや最後は行ったらダメだろ。マサラタウンどころかこの世からサヨナラバイバイしちゃうわ。
「でも、お兄ちゃんが楽しんで来たなら、小町はなんでもいいよ」
にっこにっこにーと可愛らしく笑う小町。
そういや、結局前の世界では小町の受験がどうなったのか分からんままなんだよな。
......学業の神様のとこ行っとくか。
修学旅行当日となった。
この歳になって、まさか前日に楽しみで中々寝付けないなんてことがあるとは思わなかったけれど、楽しみなのは事実だし。そこは嘘をついても仕方がない。
だから比企谷くんとの待ち合わせの時間よりも早く来てしまったとしても、それも仕方ない事だ。三十分くらいは誤差よ。
いや、一度目の時も出発前はそれなりに楽しみにしていたのだ。過去、小学校と中学校の二度とは違い、親しい友人もいたし、想い人だっていた。
最終日のあれさえなければ、実に充実した修学旅行であったのは間違いない。
さて、こうして無意味に過去を振り返るのはやめにしておくとして。振り返るならば別のものにしよう。
今回と前回の相違点だ。
奉仕部にやって来た依頼、一度目の時は二つの依頼が重なった。
戸部君の告白のサポートと言う依頼。
海老名さんの男子同士の仲を良くさせると言う依頼。
本来なら切り離して考えるべきこの二つの依頼は、明確に一つへと繋がっていた。
ならば二度目である今回。
やって来た依頼は一つのみ。
三浦さんからの依頼。葉山君の様子がおかしいので、その原因の究明。
そして奉仕部とは別に、比企谷くんが個人的に受けた葉山君からの依頼。
戸部君と海老名さんの仲を少しでも進展させる。
三浦さんからの依頼については当たりがついている。
恐らく、ではあるが。文化祭の二日目、ステージ裏での私とのやり取りで、一度目の記憶を取り戻したのだろう。この場合は取り戻したと言う表現で良いのかは分からないけれど。
そしてその葉山君が比企谷くんに依頼した件についても、さして大きな問題にはならないと思う。何も確証が無くて言っているわけではない。
一番の理由としては、今回海老名さんが奉仕部を訪れなかった事だ。
あの人はあの眼鏡の奥に何か仄暗いものを隠している。比企谷くんや姉さんには劣るけれど、私だって人を観察する事は出来なくもない。千葉村でもその片鱗を見せていたし、彼女の行動原理を考えるとわかる事だ。
その海老名さんがグループ存続のために依頼に来なかったと言うのは、一度目からの大きな変化であると思う。
問題が全く無いと言えば嘘になるけれど、一度目の時に比べれば随分と可愛いものだ。
ただ、クラスが違うと言うだけで出来る事が少なくなってしまうのがどうしても歯痒い。
「また、あなたに頼ってしまわないといけないのね......」
俯いて独り言を漏らす。
ここは海浜幕張駅の改札前なので、人通りも多いのだけれど、私の独り言に反応する人なんていない。
ただ一人を除いては。
「誰に何を頼るって?」
「っ......⁉︎」
突然声を掛けられて思わず跳ねるように後ずさってしまった。
顔を上げると、今の私の奇行に対して怪訝な目を向けた比企谷くんがいた。
「突然声を掛けないでくれるかしら?」
「悪い悪い」
ククッ、と喉を鳴らし声を殺して笑っている。そ、そんなに今の行動おかしかったかしら?
いえ、確かにいきなり話しかけられたからと言って、まるで猫のように跳ねて後ずさるのは人から見るとおかしいわよね......。
「時間はまだ余裕だけど、もう行くか。早いに越した事は無いしな」
「そうね」
彼の言葉に首肯してから地面におろしてあった荷物を取ろうと思うと、それをヒョイと横から掻っ攫われた。
「ちょっと。自分の荷物くらい自分で持つわよ」
「いい。お前体力無いんだから今のうちにちょっとでも温存しとけ。東京駅は魔窟だぞ。つか重いなこれ。なに入れたらこんなに重くなるんだよ」
「女性の荷物の中身を詮索するだなんてとんだ変態ね。逆にあなたの荷物が軽すぎるだけなのではないかしら。どうせ着替えしか持って来ていないのでしょう?」
女性には色々とあるのだ。色々と。
それを詮索するのは男性としてあるまじき事だと思うけれど。まあ言ったところで無駄か。
しかも虚を衝かれた顔をしているあたり、本当に着替え程度しか持って来ていないらしい。
「......どうしてあなたが私のカバンの中身を知っているのかしら。もしかしてストーカー? 迷惑防止条例って知っている?」
「あなた、まだその程度の低いモノマネを続けていたの?」
「ごめんなさい」
気持ち鋭く睨んだら直ぐに謝罪の言葉が返って来た。謝るくらいならやらなければいいのに。
と言うか、最近私までも少し似ていると感じてしまうから尚更腹立たしいのよね。
海浜幕張駅から京葉線で東京駅へと向かう。道中、車内では殆ど会話が無かった。
そもそも電車の中で会話をするのはあまり褒められた行為では無いのだから、当たり前なのだけれど。
そして到着した東京駅は、着いた瞬間から私の気力を根こそぎ奪うだけの混雑を見せていた。
「大丈夫かお前。まだ着いただけだぞ」
「え、ええ。問題ないわ」
まだ集合時間である八時には少し早い時間ではあるが、疎らに総武高の生徒も見られる。
その誰も彼もが、これから向かう京都の地に想いを馳せているようで、随分と騒いでいるのが見て取れる。
一度目の時は都築に送ってもらえたので、直接新幹線口まで向かうことが出来たのだが、ここから歩くとなると結構な距離があるらしいし、比企谷くんと逸れてしまったらそのまま迷子になってしまう自身がある。
そうね......。ここはさっき驚かされた仕返しも兼ねて......。
「あの、雪ノ下さん?」
「何かしら?」
「何をしてらっしゃるので?」
「手を繋いでいるのだけれど。何か文句でもあるのかしら?」
「いや、別に文句とかは無いけどよ......」
彼はこう言う不意打ちに弱いと知ったのは、つい最近のこと。周りからの視線や揶揄いには慣れたと言っていたけれど、私が直接接触するのにはまだ慣れていないらしい。
全く、何度も口付けを交わしておいて今更この程度で恥ずかしがってもらっても困るのだけけれどね。
ほら、今だって頬を赤く染めてしまって、目だってとても泳いでいる。控えめに言ってかなり挙動不審なのだけれど、何故だかこんな姿がとても可愛らしく見えてしまうのだから、私自身も始末に負えない。
「ほら、早く行きましょう。あまり立ち止まっていると周りの迷惑だわ」
「へいへい。......っておい。そっちじゃねぇぞ」
「わ、分かってるわよ......」
比企谷くんの手に引かれて、今私が進もうとしていた道とは真逆の方向を歩いていく。
道中、総武高の生徒と何人かすれ違ったりしていたが、その度に不躾な視線が向けられる。
ただそこにマイナスの感情は無く、殆どが好奇心などの類であったと思う。比企谷くんに嫉妬などの敵意を込めた視線が送られていないことにどこか安堵しつつも歩き続ける。
こう言う時に周りにアピールしておかないと、どんな輩が彼に近づくか分かったものではない。
と言うことで、もう少し近くに寄ってみましょうか。衆人環視の中で腕を抱いたりするのは恥ずかしいので、あともう半歩、彼との距離を詰める。
「お前今日どうしたの?」
比企谷くんが困惑した様子で尋ねてきた。
ふふ、良いわねその表情。ちょっと顔が赤くなってるのも雪乃的にポイント高いわ。
「別になんともないわ。気分なのよ」
「そうですか......」
私は思いの外、修学旅行というイベントに浮かれているらしい。まあ、昨日中々寝付けなかったり、今日待ち合わせよりも早く来てしまっている時点でそれは明白なのだが。
それから暫く互いに無言で歩いていると、やがて新幹線口に到着した。
集合時刻まではまだ時間があるが、生徒達は既にそれなりの数が集まっている。
クラスによって集合場所も違うので、彼とはここで一旦お別れだ。
「そんじゃ、俺のクラスあっちだから」
「え? ......あぁ、そうね」
スルリと離れていく彼の手。
先程まで感じていた温もりが冷めていくように錯覚して、つい彼の手を後ろ髪引かれる思いで見てしまう。
「そんな顔すんなって」
微笑み混じりの声が聞こえてきたかと思うと、視線を注いでいた手が持ち上げられる。
一体何処へ行くのかと思ったら、それはなんと私の頭の上に着地した。そのまま横にスライド。
つまり、今、私は比企谷くんに撫でられている?
その事実を確認した途端、頬が急速に熱を持ち始める。
「な、何をしてるのかしら......?」
「ん? 頭撫でてるだけだけど」
「だ、だからどうして......」
「.........」
「あ、あの、比企谷くん?」
「.........」
「ん、はうぅ......。あなた、良い加減に......」
「.........」
「しにゃしゃ......いぃ......」
何これ。
何なのかしらこれは。
比企谷くんが私の頭を撫で続けていることはこの際無視しよう。いや、決して無視できる案件ではないのだけれど。
問題は、どうして頭を撫でられてるだけなのにこんなに気持ちよくて満たされた気分になってしまうのかだ。
別に嫌と言うわけではないのだけれど、それでもこの行動の意図を問いかける意味で、彼に視線を投げる。
「そんな寂しそうにしなくても、新幹線乗るだけだ。向こう着いたらまた会える」
「ぁ......」
返ってきたのは、優しい声と優しい微笑。
そうか、私は寂しかったのか。
たった数時間会えないだけでこれとは、いやはや、我ながら情けない。
確かに、いつもの下校時とは違い、直ぐ近くにいるのに彼と接する事が出来ないと言うのはなんだかもどかしいけれど。
まさか寂しいだなんて。
と言うか、こんなことをされれば余計に寂しさが募ってしまうのだけれど。彼はそれを理解しているのかしら?
自分の心情を察せられていることに対する照れ隠し故か、ついいつもの様に口の悪い言葉が飛び出てしまう。
「べ、別に寂しいだなんて思ってないわよ。自意識過剰が過ぎるのではなくて?」
「まあ俺は自意識高い系男子だから。寧ろ自意識以外のあらゆる物が最底辺なまである」
「それより、あなたの方こそ大丈夫かしら? 私に会えなくて寂しくて泣きべそかいても知らないわよ?」
「ふっ、その心配は要らないぜ。なにせ俺には戸塚が」
「次に余計なことを言おうとしたらその口を縫い合わすわよ」
「ごめんなさい」
全く、恋人と会えなくて寂しいどころか、別の人の名前を口にするだなんて。しかもその相手が女子ではなく男子だと言うのだから手に負えない。
さて、そろそろクラスの集合場所へと向かわなければならない。
その前に一つだけ、爆弾、と言うほどでもないけれど、小さな意地悪をして行きましょうか。
さっきから生温かい視線を向けられているからこちらとしてはこそばゆいばかりなのだ。
ここは一色さんから伝授したあの技を使う時だろう。少し恥じらったようにモジモジとして、胸元から彼の目を覗き込むように上目遣いで、若干頬を赤らめて。
いざ、
「その、本当の事を言うと......、少し寂しいわ」
「え」
「で、ではまた後で」
呟いた後、逃げる様にその場を去った。
去る前に見た彼の顔はこれでもかと言うほど紅潮していたので、どうやら仕返しは成功みたいね。ありがとう一色さん。あなたの教えはしっかりと活かされました。
ふふ、これで車内でも戸塚くんにうつつを抜かす事も無いでしょう。
こう見えて私、独占欲は強いのよ?
予定の時刻となり、クラスの点呼を取った後新幹線へと乗り込んだ。
新幹線自体は初めてでは無い。過去に何度か乗った事がある。けれど、こうして学友と共に乗ると言うのは初めてだった。
車内の席は通路を挟んで二人用と三人用とに分かれており、私は特に迷う事もなく空いている席へと腰掛ける。
周りでは誰が誰と何処へ座ろうかと言う会話が繰り広げられているのだろう。さしたる興味も無いので、私は目を瞑って、先程の事を思い返していた。
私の頭を撫でる、比企谷くんの手。
男の人らしく、少しゴツゴツした掌から伝わる熱。それがとても温かくて。
その熱は、今も尚私の頭に残っている。
それだけじゃない。
彼の優しげな眼差しは今も網膜にこびり着いて離れはしないし、彼の穏やかな声音は何度もリフレインして私の耳に響く。
あの時、あの瞬間は、私の長くない人生の中でも指折りに満たされた時間だった。
頭を撫でられただけで大袈裟に思われるかもしれないが、これが困ったことに大袈裟でもなんでもないのよ。
だって、とても気持ち良かったもの。まさか呂律が回らなくなるほど心地よく、満たされてしまうだなんて。あれは癖になってしまう。
お願いしたら、もう一度してくれるだろうか。
優しい彼のことだから、少し不思議がった後に、なんだかんだと言いつつもしてくれるかもしれない。
良く考えてみると、ああして誰かに頭を撫でてもらったことなんて、今まで何度あったことだろう。
幼少の頃はもしかしたら父や母にされたことはあったかもしれない。けれど、今の私の記憶には残らないほど昔のこと。
姉さんがふざけた様に撫でようとして来ることならあったが、それも私が冷たくあしらっていた。
もし。もしも今。あの人たちにお願いしたら、撫でてくれるだろうか。
自分の中だけで思考を巡らせても答えは出ない。それも当たり前か。考えて分かるほど、私はあの人たちと向き合ってこなかったのだから。
けれど、最近は少しだけ、未だぎこちないながらも、普通の親子や姉妹のようになれている気がする。
それもこれも、彼のお陰、なのだろう。
修学旅行が終わったら、あの人たちにも少し甘えてみよう。
「雪ノ下さん、お隣いいですか?」
声を掛けられて、瞑っていた目を開く。
クラスメイトが控えめながらも相席の許可を求めてきた。私が座っているのは二人掛けの席なので、これから二時間は彼女と隣り合わせとなる。
まあ、別に誰でも良いのだけれど。
これが男子ならば遠慮していたところだが、相手は女子である上に、見た感じ大人しそうな子だ。
断る理由は特にないし、私だってクラスメイトとはある程度仲良くしていたい。
「ええ、構わないわ」
「あ、ありがとうございます!」
ふと、彼女の後ろを見てみると。そこには悔しそうに己の握り拳を見つめるクラスメイト達が。はて、一体何があったのかしら?
その後十分もしないうちに新幹線は東京駅を出発。一路京都へ向けて走り出した。
一応暇つぶしように本を持ってきてはいるけれど、早々に本の世界へ落ちると言うのも相席してくれた彼女に些か失礼だろう。
だからと言って、彼女との話題なんて無いに等しい。勉強やテストなどの類の話くらいでは無いかしら。それにしたって、私は今後学年末までの全テストの内容を覚えてしまっているし、あまり盛り上がりはしないだろう。
「あ、あの......」
そんな風に少し困っていたら、向こうから話しかけて来てくれた。
さて、どんな話題になるかしら。
「何かしら?」
「その、雪ノ下さんって、今お付き合いしてる男性がいらっしゃるんですよね?」
......ええ、この質問が来るのはある程度予想していたわ。けれど、余りにも直球過ぎないかしら?
取り敢えず、ここでシラを切っても仕方ないので肯定しておくとしよう。そもそも文化祭のステージを全校生徒に見られていたのだから、否定しても意味のないことだ。
「ええ、そうね。確かに私には恋人がいるけれど、それが何か?」
「えっと、その人って、どんな方ですか?」
ふむ、中々難しい質問ね。
彼の魅力を列挙しろ、と言われたら簡単に出来るのだけれど、それを相手に伝えろと言われると途端に難易度が跳ね上がる。
何せ、彼の魅力は悉くが分かりにくいものだ。
彼の優しさも、強さも、愚直さも。
それを全て知っている人なんて片手で数えて足りるのではないかしら。
「あ、ごめんなさい。いきなりこんな不躾な質問しちゃって......」
「いえ、大丈夫よ。少し驚いただけだから。それより、彼がどんな人か、だったかしら」
「はい。私も文化祭のステージを見てたので、少し気になりまして」
「そうね......。改まって説明するとなると少し難しいのだけれど......。一言で言うとすれば、彼は私のヒーローなの」
「ヒーロー、ですか......?」
「ええ。何度も彼に助けられたわ」
どうやら要領を得なかったようで、首を傾げている。まあ、私の言葉も分かりにくいものだったのは否めない。
「ふふ、ごめんなさい。少し分かりにくかったわよね」
「い、いえいえ! 雪ノ下さんからそんなお話を聞けただけでも光栄です!」
光栄、とは言い過ぎではないかしら。けれど、そういった話を今までクラスメイトにして来なかったのも事実ではあるし、そもそも進んでするような話でもない。
「やっぱり、雪ノ下さんの彼氏さんって素敵な方なんですね!」
「......やっぱり?」
「はい! さっきも言いましたけど、文化祭の時とか一目散にステージの上に走って来てましたし、さっきも、別れる寸前に雪ノ下さんの頭を撫でてましたし!」
み、見られてた⁉︎
いえ、確かにあんな場所だったのだし、勿論周りからの視線も感じ取ってはいたのだけれど、まさかクラスメイトに見られているなんて......!
「あの時の雪ノ下さん、とても幸せそうな顔をしてましたから。きっと彼氏さんは雪ノ下さんに似合うだけの素敵な方なんだろうなって!」
向けられる純粋な眼差しが、なんだかチクチクと私の胸を刺す。ごめんなさい、彼はあなたが思っているよりもよっぽどクズでダメ人間なの。恐らく、あなたの言うところの、私に似合うだけの男、と言う意味ならあれほど外れた男も中々いないわ。
「あ、あの、良ければ馴れ初めなんかも教えて頂けませんか⁉︎」
「え、ええ。別に構わないけれど......」
思っていた以上にグイグイ来るわね。大人しそうな感じだと思ったのだけれど、まさかこんなに質問してくるなんて。
果たしてどこまで問い詰められるのだろうかと一抹の不安を抱えながら、私達を乗せた新幹線は京都へと走る。
ふと、目を覚ました。
何か妙な夢を見ていたような気がする。具体的には雪ノ下がドMになる夢。うん、あり得ないな。
それよりも俺の隣で戸塚が寝ていることの方が問題である。一瞬朝チュンしちゃったのかと思っちゃった。
「寝すぎよ」
「どわぁっ⁉︎」
突然隣から声を掛けられ、驚いて変な声を出してしまった。三人掛けの通路側の席には、何故か雪ノ下が座っていた。
俺が大きな声を出してしまったからか、隣に座って寝ていた戸塚が「うぅん......」と言って目を覚ましてしまった。
「驚き過ぎではないかしら?」
「いや、そりゃ驚くだろ。なんでいるんだよ......」
「あれ、雪ノ下さん......?」
「おはよう戸塚くん。彼に何もされなかったかしら?」
「おい」
「うん、大丈夫だよ。それどころか八幡に肩も貸してもらっちゃって」
「......そう」
「ちょっと? なんかお前対抗意識燃やしてない?」
「別にそんな事はないわ」
いやそんな事あるだろ。今も背後にメラメラと炎が揺らめいてますよ。戸塚は男だから。男に嫉妬するなよ。
つーか俺の質問に答えてもらってないんだが。そう言った意図を含めた視線を投げ掛けると、雪ノ下はどこか疲れたようにため息を吐いて、こめかみに手を当てた。
「クラスメイトからの追求が少し激しくてね......」
「それで逃げて来たと」
「逃げて来た訳ではないわ。戦略的撤退よ」
「それを逃げて来たって言うんじゃないっすかね」
相変わらずの負けず嫌いさんめ。
しかし、あの雪ノ下雪乃が敵前逃亡するほどとは、一体何を追求されたのだろうか。気にはなるが、それを問おうとは思わない。返答いかんによっては俺にトバッチリが来るかもしれない。俺のサイドエフェクトがそう言ってる。
「あ、二人とも、そろそろ富士山が見えて来るよ!」
戸塚の元気で可愛い声に促され、窓を覗き込む。ちょっと見えにくそうにしていると、戸塚が横にズレてくれたので、それに甘えて距離を詰める。すると新幹線の外には見事な富士の山。
一度目にも見ている景色だが、やはり何度見ても心を打たれるのは日本人としては当たり前だろう。
「凄い大きいねー」
耳元でそんな声が聞こえて来たかと思うと、戸塚の男子とは思えないほどにきめ細かい肌を持った顔が直ぐ隣にあった。清涼剤を使っているのだろうか、爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。
お、落ち着け、落ち着くんだ比企谷八幡。こんな所で俺のフジヤマをヴォルケイノさせるわけには行かない! まず何より戸塚は男だぞ! ......男だよね?
「私にも見せてくれるかしら」
ふわりと、戸塚と反対の方からサボンの匂いが香る。続け様に、制服越しでも分かるほど柔らかい感触が肩に置かれ、垂れ下がった長い髪が俺の首筋を撫でるように触れた。
そちらに振り返ると、美の女神すら嫉妬する程に美しい雪ノ下の顔が。
ヤバイ。窓側には戸塚、通路側には雪ノ下とかなにこれ。なにこのサンドイッチ。ここって天国だったっけ? 前回のガハマさんと比べて圧迫感が無いだけ精神的に大分楽である。
とか思ったのも束の間。俺の肩に置かれた雪ノ下の手がどんどんと力を込めていき、次第にメキメキとかあり得ないな音まで聞こえ出した。
「痛い痛い痛い!」
「あら、ごめんなさい。こんなところに掴みやすそうな肩があったものだから、つい力を入れてしまったわ。それより、今何か妙な事を考えなかったかしら?」
「べべべ別にそんな事ねぇし」
うそん。なんで僕の思考筒抜けなんです?
「あはは! 二人ともやっぱり仲良いんだね」
「別にそんな事ないわ」
「否定すんなよ哀しくなるだろ」
富士山の辺りを新幹線が通り過ぎてしまったので、三人揃って元の姿勢で座り直す。
って、いや雪ノ下は自分のクラスのとこ戻れよ。
「お前いつまでここいんだよ」
「あなたが気にする事ではないわ。肩、少し借りるわね」
「ちょっ......」
俺の質問ははぐらかして答えながら、肩に頭を預けて来る。雪ノ下お気に入りの体勢だ。
幾ら周囲からの視線にはある程度慣れたからと言って、そこに羞恥心が全くない訳でもなく、しかも隣に座ってる戸塚からガン見されてる。流石に恥ずかしいですよ。
「ふふ、顔真っ赤よ?」
「うっせ。てか何、まさかこのまま寝るの?」
「三十分ほど経ったら起こしてくれるかしら」
「おい」
その言葉を最後に雪ノ下は目を閉じて、完全に寝る姿勢に入ってしまった。まあ、今朝は何時もより早い時間だったし、東京駅でもかなり疲弊してたし。休める時に休ませておくのは当たり前だけども。
「雪ノ下さん本当に寝ちゃったね。ちょっと静かにしてようか」
「ん、おう。すまんな」
「ううん、別にいいよ。雪ノ下さんも疲れてたみたいだし」
戸塚は優しいなぁ。全世界の優しさと言う概念がここに全て詰まっているのではと錯覚するくらい優しい。
さて、京都まではまだ時間がかかる。その間、こいつが安らかに寝ていられるように。そう思いを込めて、艶のある黒髪をそっと撫でた。