カワルミライ   作:れーるがん

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変わったものを、彼と噛み締めるようにして。

 ふと、目が覚めた。

 首元の枕がいつもと何処か違う感触で、今が修学旅行中なのだと気がつく。

 と言うことは、ここは旅館?

 はて、いつの間に旅館へ着いて、更にいつの間に私は眠ってしまっていたのか......。

 

「あ、おはよう雪ノ下さん」

 

 声のする方に首を向けてみると、そこにはクラスメイトで同じグループの女子が。

 どうやらトランプに興じていたらしい。それぞれが手札として何枚かのカードを持ち、畳の上にもカードが雑に捨てられている。

 

「ええ、おはよう」

「ご飯食べ終わったら直ぐに布団に入ってたけど、大丈夫? もし気分が優れないなら先生に言いに行くけど」

「いえ、大丈夫よ。少し疲れただけだから」

 

 言いながら、記憶を掘り返す。

 あぁ、そうだ。一日目のクラス単位での移動で余りにも歩かされたから、体力のない私は夕飯を終えて直ぐに横になったのだった。

 まず始めにバスで清水寺に移動した。私たちJ組より少し早く移動していたF組を見つけて、比企谷くんが戸塚君や由比ヶ浜さん相手に鼻の下を伸ばしていたのを覚えている。

 非常にヤキモキさせられた。確かに戸塚君は中性的な容姿でとても綺麗な顔立ちをしているし、由比ヶ浜さんも魅力的な女性といえど、彼女がいると言うのにあの反応は少しどうかと思うのだ。

 あと印象に残っているのは、恋愛関係の場所全てで平塚先生の姿をお見受けしたくらいか。

 清水寺の滝で4リットルペットボトルを用意していたのには流石の私も苦笑いしか浮かべられなかった。

 その後も色々と歩き回り、旅館に着いた頃には私の体力も殆ど尽き、夕飯とお風呂を終えた後に脇目も振らず布団へダイブしたのだった。

 いやはや、情けないことこの上ない。

 恐らく、修学旅行と言うことでいつもより早起きだったのも原因の一つだろう。

 本格的に体力のなさを克服しなければならないかもしれない。

 

「雪ノ下さんも大富豪する?」

「いえ、私は遠慮しておくわ」

 

 大富豪にはあまり良い思い出がない。まさか二度目もあの地獄のような大富豪をやらされる羽目になってしまうとは思わなかったし。けれど、比企谷くんの裸を見れたと思ったら......。

 いえ、この思考はいけないわ。これでは変態じゃない。

 

「そう言えば雪ノ下さん、新幹線の中で途中いなくなってたけど、どこ行ってたの?」

「あー、確かに。一時間くらいずっといなかったよね」

「そう言えば清水寺とか回ってる時も、偶に凄い形相でどこかを見てたし」

「もしかして、これは噂の彼氏さんかな?」

 

 マズイ。話題の矛先がこちらに向いてきた。

 高校生というのは、何故かこう言った話題が大好物だ。そこにはかつてのように悪意が潜んでいるわけでも無く、ただ単に彼女らの好奇心なのかもしれない。

 けれど、それを向けられる側としてはたまったものじゃない。

 

「誰だっけ? 確かF組の......」

「ヒキタニくん、だった?」

「そうそう、確かそんな名前」

「まさか私達の雪ノ下さんの彼氏になるなんてねー」

 

 別にあなたたちのものになった覚えはないのだけれど......。それも、私に対して好意的な感情を向けてくれている、と解釈しておこう。

 しかし、流石は比企谷くんね。この私の恋人として噂の渦中に放り込まれながらも、名前を正しく認識されていないだなんて。

 確かに読みにくい名前ではあるけれど。

 しかし、しっかりと訂正しておかなければなるまい。私の恋人が間違えたまま名前が広まると言うのも、癪ですもの。

 

「ヒキタニ、では無く比企谷よ。2年F組の比企谷八幡」

「あれ、そうだっけ?」

「あー、あれヒキガヤって読むんだ」

「なんかゴメンね、雪ノ下さん」

 

 よし。これで正しく覚えてくれた筈。私ほどでは無いにしても、J組の子達はみな優秀だから、記憶力も十分な筈。これで覚えていなかったのだったら、逆に彼が凄いと言うことにしましょう。

 いや、学力がどうこうと言ってしまえば、彼の苗字は地名にも使われているのだから、それを読めないのは些かどうかとおもうのだが。

 

「それでそれで、雪ノ下さんはヒキガヤ君のどこが好きなの?」

「あ、それ気になるかも! 今日もずっとヒキガヤ君の方見てたんでしょ⁉︎」

「新幹線の時もヒキガヤ君のところに行ってたとか!」

 

 ど、どうしましょう。追求の手が止むどころか、悉く事実を言い当てられてしまっているのだけれど......。

 それは違うと言うこと自体は簡単だが、嘘は吐きたくない。だからと言ってここで肯定してしまえば、クラスメイトからの冷やかしは増すばかりだろう。

 ......ここは戦略的撤退しか無いようね。

 

「ごめんなさい、少しお土産を見てくるわね」

「あ、逃げた!」

「これから愛しのヒキガヤ君と秘密の逢瀬ですか⁉︎」

「と言うか雪ノ下さんにそこまで惚れられてるとか、一度私たちもヒキガヤ君からお話を聞かなければならないのでは?」

「むしろヒキガヤ君が雪ノ下さんに見合うだけの相手かどうか見定めなければならないのでは⁉︎」

 

 そんなクラスメイト達の声を背中に受けながら、私は部屋を出る。

 さて、部屋を出たのはいいがどこに行こうかしら。宣言通り土産物を見に行くか、それとも彼に連絡して少し出て来て貰うか。

 いや、確か一度目の時は彼もあそこにいた筈。連絡するまでも無いかもしれない。

 取り敢えず向かってみよう。居なかったら居なかったで、メールなり電話なりしてみたらいいことだし。

 と言うことで、旅館の一階へ。

 前に会った自販機の付近を見渡してみるが、彼の姿は見当たらない。

 ならメールをして降りてきて貰おうかしら、と。そう思った時、それが目に入った。

 

「まぁ......!」

 

 お土産コーナーの一角に陣取った、白と黒のヌイグルミ。凶悪な目つきに凶暴な爪は見慣れたものだが、ご当地限定、京都限定の新撰組の服を着たそれ。

 そう、パンダのパンさんがそこにいた。

 私としたことが不覚だった。確かに、一度目の時もこのパンさんを見かけ、これを買おうとしたところで彼の視線に気づいてしまったのだった。なんとか二日目に別の旅館で同じものを買うことは出来たけれど。

 どうしましょう。あぁ、本当にどうしましょうか。

 ポケットの中を確認してみるも、そこに財布はない。残念ながら部屋に置いて来てしまったようだ。

 今すぐ部屋に取りに戻る?

 ええ、そうした方がいいわ。寧ろその選択肢以外はあり得ないわ。

 そうと決まれば善は急げ。早速部屋に戻りましょう。

 そう決めて踵を返したところで。

 

「あら」

「ん?」

「お?」

 

 二人の男子生徒と目が合った。

 これまた随分と珍しい組み合わせだ。

 一人は比企谷くん。先の部屋での話題の中心人物であり、ある意味私の目的の人物。まぁ、会って何をしようとか何を話そうとか、特に決めていたわけではないのだけれど。

 もう一人。もう一人は、戸部君だった。

 

「あ、なに? もしかしてヒキタニ君、そう言う感じ? っべー、言ってくれたら俺も直ぐ部屋に戻ったっしょー」

「いや、別にそう言うんじゃねぇから」

 

 どうやら戸部君は何か勘違いしているらしい。確かに私が呼び出したり、彼に呼び出されたりしたわけではないけれど、彼もそこまで否定することは無いのではなくて?

 

「あー、戸部。さっきの話、一応雪ノ下にもしといていいか?」

「ん? 別に全然大丈夫だべ。寧ろ雪ノ下さんにもお願い出来るとか、マジ百人力ってーの?」

「なんのことかしら?」

 

 イマイチ話が見えてこない。戸部君と葉山君が、彼に依頼した件だろうか。しかし、そうなると戸部君が単独で比企谷くんと話していると言うのも腑に落ちない。

 

「いやー、隼人くんのことなんだけどさ」

「葉山君の?」

「だべ。隼人くん、最近なんか様子がおかしいって言うか、なんか変なんだよね」

 

 隣の比企谷くんを見ると、コクリと頷いた。

 どうやら、三浦さんと似たような話らしい。

 

「俺も最近気づいたっつーか、隼人くんを見て気づいたわけじゃ無いんよ。ちょっと前から優美子がえらい隼人くんのこと気にかけてたからさ。それでちょっち注意して見てみたら、なーんか変だなーって」

「変、とは、具体的にどう言った感じに?」

「悩みがあるってーの? ふとした拍子に、暗い顔すんのよね。でも、俺じゃそれを聞いても、多分はぐらかされて終わりっぽいからさ。だから、ヒキタニくんにお願いしてたあれ、海老名さんとのやつはもういいからさ、隼人くんのこと見といて欲しいわけよ」

 

 驚いた。

 私はかつて、戸部君の事を騒ぐだけしか能の無いお調子者だとか評価を下した事があったけれど、この男がそこまで他人を見ることの出来る人物だったとは。

 いえ、恐らくは、葉山君をいつも近くで見てきたからこそ、だろう。

 きっと、三浦さんとはまた違った角度から。

 

「それは、戸部君自身では無理なのかしら? 側から見ていると、あなた達は十分親しい仲のように見えるのだけれど」

「んー、俺じゃ無理だべ。俺はさ、こんなチャラチャラした奴だから、隼人くんの悩みとか、言われても理解出来ないと思うわけよ」

「ならどうして私達に?」

「そりゃー、ヒキタニ君と雪ノ下さんの部活はあれなんしょ? 隼人くんの一押し的な」

 

 これまた随分と無責任なことだ。

 けれど、戸部君は戸部君なりに、葉山君の事を案じていると言うことか。

 この様子だと、比企谷くんもこの事を承諾したようだし。

 

「......分かったわ。似たような依頼を三浦さんからも受けているわけだし」

「おー! マジ感謝だわー。あんがとね! そんじゃ、俺は部屋に戻るわ。じゃねヒキタニくん、雪ノ下さん」

 

 手を合わせて謝意を伝えた後、戸部君は部屋へと戻っていった。

 

 

 残されたのは私と比企谷くんの二人のみ。

 さて、どうしましょうか。部屋に戻って財布を取りに行くタイミングを完全に逃してしまった。

 二日目に行く旅館にも同じものがある事は分かっているものの、目の前に目的のものがあると言うのに手に入らないのももどかしい。

 

「何ソワソワしてんの、お前」

「えっ? いえ、別に何も無いわよ」

 

 突然声を掛けられたせいか、少し上擦った声で返答してしまった。これでは何かあったと言っているようなものじゃない。

 そんな私を訝しげな目で見て、何か合点が行ったのか、比企谷くんはお土産売り場へと歩いて行った。

 

「ちょいそこ座って待ってろ」

「え、ええ」

 

 言われた通りに自販機の横のソファに腰掛ける。

 やがてお土産売り場から出てきた比企谷くんは、片手にパンさんの人形を抱えていた。

 どうやらそれを買いに行っていたようだが、どうして?

 

「ほれ」

「え?」

「だから、やる」

「......どうして?」

 

 これまた余りに突然過ぎて、どう言う事なのかイマイチ理解が及ばない。

 そもそも、彼からこれを受け取る謂れがないのだが。

 

「どうしてって、これ欲しかったんだろ? 前の時も随分熱心に見てたみたいだし」

「で、でも......」

「あー......。あれだ。折角の修学旅行なんだし、その、彼氏が彼女に、プレゼント的な、そう言うのをしても、おかしくはないと思うんだが......」

 

 若干吃りながらも言葉を紡ぐ比企谷くん。その顔は少し紅潮していて、目も泳いでいる。

 確かに彼の言う事は間違いではないのだが、彼のその口からそんな言葉が出てきたのがどこか可笑しくて、つい笑みが溢れてしまった。

 

「ふふ......」

「何笑ってんだよ......」

「いえ、似合わないセリフだと思って、ね」

「安心しろ、自覚はある」

 

 自覚はあったのね。

 まあ、でも、折角彼が私のために買ってくれたのだから、素直に受け取っておこうかしら。

 

「ありがとう。大事にするわ」

「ん」

 

 彼からパンさんを受け取って、ギュッと抱き締める。

 旅館の中は確かにしっかりと暖房が効いていて、京都の寒さを和らげてくれているのだが、このパンさんからはまた違った暖かさを感じる。

 彼からの贈り物というだけで、とても嬉しい。

 そんな私の様子を、どこか恥ずかしそうに見ていた比企谷くんは隣の自販機へと移動した。

 

「やっぱマッカンねぇよなぁ......」

「丁度いい機会じゃないかしら? あなたも少しはあの味覚破壊兵器から遠ざかりなさい」

「それは俺に死ねと言ってるのか? お前、なんか飲む?」

「いえ、そこまで気を使ってもらわなくても結構よ」

「さいで」

 

 そんな返事をしつつも、比企谷くんは自分の缶コーヒーと、温かい紅茶を買う。

 

「別にいいと言ったじゃない」

「並んで座るのに俺だけ飲んでたらなんか変な感じだろ。取り敢えず受け取っとけ」

 

 どこか釈然としないが、折角買ったのだからありがたく受け取ることにした。

 こういう所は本当にあざとい。一色さんよりもあざとい。

 彼が私の隣に腰掛けたのを見て、本題、と言うよりも、気になっていたことを聞いた。

 

「依頼の方はどうかしら?」

「サッパリだ」

「ごめんなさいね。私が別のクラスだから、あまり役に立てなくて」

「気にすんな。俺だって同じクラスなのに対して分かったことなんてねぇしな」

「それは少し気にしなさい......」

 

 視線はパンさんに固定されている。

 部屋に戻ってからでは、またクラスメイト達に揶揄われるかもしれないので、今のうちに存分に堪能しておきたい。

 パンさんのあちこちをニギニギしていたら、比企谷くんが重々しく口を開いた。

 

「分かったことは何もないが、明日にでも葉山と話す」

「それは、どうして?」

 

 随分と唐突で、彼らしくもない。

 彼はいつもある程度の解を導き出してから動いていた筈だ。それが、何もわからないうちから動き出すなんて。

 

「昔の俺を見てるみたいでイライラする、ってところだな」

「昔のあなた?」

「選択肢が与えられていると言うのに、あまつさえそれを見て見ぬフリをし、自分にはそれしかないと傲慢にも思い上がっている、って事だよ」

 

 それは、確かに。昔の、と言うより、一度目の時の比企谷くんのようだ。

 例えば、比企谷くんには私や由比ヶ浜さん、戸塚君や材木座君がいたように。

 彼にも、葉山君にも三浦さんや戸部君達がいる。

 葉山君が比企谷くんよりもタチが悪いのは、彼は何も選ばない事を選んでいると言うことか。

 何も選ばない。何も選べない。

 既にその選択肢以外が与えられていることに気づいていないのか、気づいていて見ないフリをしているのか。

 

「まあ、何を話すとかはまだ決めてないんだけどな。そこはノリと勢いでどうにかなるだろ」

「随分と行き当たりばったりな考えなのね」

「今までだって大体そうだったろ」

 

 言われてみれば確かに。

 文化祭も、修学旅行も。その後の生徒会選挙やクリスマス合同イベントも。

 何一つとして思い描いていた通りになっとことなんて無い。

 けれど、それまでと違う事もある。

 

「私も行くわよ」

「は? 行くって、葉山と話に?」

「ええ。元はと言えば、彼が思い出しているのは私との会話のせいかもしれないのだから。私だって無関係ではないわ。それに、あなた一人だと何をしでかすか、分かったものではないもの」

 

 今の彼には、私がいる。

 今の私には、彼がいる。

 些細なようで、大きな違いだ。

 

「はぁ......。どうせ拒否っても無駄なんだろ?」

「よく分かってるじゃない」

「なら勝手にどうぞ」

 

 ふふ、と少ししたり顔で微笑む。

 となれば、由比ヶ浜さんにも一応事情を話しておかなければならないわね。彼女も連れて行くかどうかは、明日決めましょうか。

 そんな感じで話がひと段落つき、互いの間に沈黙が流れる。

 私の好きな、心地いい沈黙が。

 奉仕部の部室で感じているそれと同様のものだ。

 暫くその空間に身を預けていると、カツカツとヒールを鳴らす音が聞こえてきた。

 各部屋に繋がる階段やエレベーターの方から歩いてきたのは、サングラスを掛けてコートを身に纏った、嫌でも見覚えのある女性。

 その女性は私達に気がついたのか、こちらに振り返った。

 目が合うこと数秒。今度は居心地の悪い沈黙が流れる。

 その沈黙を断ち切るように、隣の彼が口を開いた。

 

「ひ、平塚先生......?」

「ど、どうして君たちがここに......!」

「それはこちらのセリフなのですが......」

「つか、何してんすかこんな時間に......」

 

 いえ、このタイミングで先生が来ることは分かっていた事なのだけれど。前回の事もあるのだし。

 私達が呆れて何も言えないでいると、平塚先生は少し恥じらったように頬を染めて、言葉を発した。

 

「その、だな......。誰にもいうなよ? 絶対秘密だぞ? その、これから、ラーメンを食べに行こうかと......」

 

 分かりきった答えだったのだが、思わずため息をついてしまった。

 そんな、乙女の秘密を話すかのように言われても、内容が酷く残念過ぎて、最早目も当てられない。

 そもそも、こんな時間にラーメンなんて、それこそ乙女の天敵だと思うのだけれど。

 

「......ふむ。君たち二人なら丁度いいか」

「まさか、俺たちもついて来いとか言うんじゃないでしょうね?」

「なんだ、よく分かってるじゃないか。雪ノ下は兎も角、比企谷は信用ならんからな。どこで誰に言いふらしすものやら」

「そこは心配する必要ないかと。比企谷くんには言いふらすような相手がいませんので」

「いや確かにそうだけどよ......」

 

 どんよりと目を腐らせる比企谷くん。ここで否定の言葉が出ないあたり、悲しいやらなにやら。

 しかし困った。別に私としては平塚先生についていくのは構わないのだけれど、前回と同じく割と薄着であるし、先ほど比企谷くんからプレゼントして貰ったパンさんもいる。

 今回は辞退させてもらおうかしら......。

 

「ふむ、少々待っていたまえ」

 

 私達に一声掛けて、平塚先生はお土産売り場へと入って行った。

 その行動に二人して首を傾げていたら、暫くもしないうちに手に袋を持って戻ってくる。

 

「そのパンさんはこれに入れてくといい。それから、その格好では寒いだろうからコートを貸そう」

 

 どうやらパンさんを入れるための袋をもらって来てくれたらしい。

 差し出された袋を素直に受け取り、そこにパンさんをしまうと、続いてコートを肩に掛けてくれた。

 その対応が余りに紳士的過ぎて、隣にいる恋人よりも男らしく感じてしまう。

 彼にも少しはこういったところを見習ってほしいものだ。

 

「ありがとうございます」

「なに、気にするな。表にタクシーを待たせてある。早速行こうではないか」

「あの、俺まだ行くとか一言も言ってないんですけど......」

「君に拒否権があるわけなかろう。雪ノ下が来るのだから、恋人としてしっかりついて来たまえ」

 

 苦言を漏らす比企谷くんにそう答えながら、平塚先生は颯爽と歩き出す。

 先生の言う通り、旅館の前にはタクシーが止まっており、こちらが近づくと扉が開かれた。

 

「雪ノ下、先に乗りたまえ」

「では......」

 

 お言葉に甘えて先にタクシーに乗り込むと、タクシー特有のなんとも言えない香りが漂って来た。これ、あまり好きでは無いのよね。

 

「さあ比企谷も」

「いや、先生が先にどうぞ」

「おや、レディファーストとは、成長したじゃないか」

「そ、そんな! 幾つになってもレディですよ! もっと自信持ってイダダダダ!」

「後部座席の真ん中は一番死亡率が高いからだ」

 

 平塚先生の手が比企谷くんの頭蓋を砕かんばかりの勢いで握り締めていた。

 あの、そんなのでも一応恋人なので、その辺りにして欲しいのですが。

 完全に悪いのは比企谷くんだけれど。

 

「一乗寺まで」

 

 乗り込んだ平塚先生が運転手に行き先を告げる。どうやら前回と同じ場所に行くらしい。

 それにしても、再びあのラーメンを食べることになる日が来ようとは。

 比企谷くんとのデートの際に何度かラーメン屋に連れていってもらった事があるとは言え、ここのラーメンを上回るほど凶暴なものは何処にも無かった。

 いえ、一つだけあるとしたら、先日の嫁度対決なる時に一色さんが作っていたラーメンかしら。確か、なりたけ、と言うお店のラーメンを真似たと聞いていたが。

 今回こそはリベンジの意味も含めて、しっかり食べてみせよう。前回と比べると少しは食べられるようになっているはずだし。

 心の中で少しだけ気合を入れ、私達を乗せたタクシーは夜の街を走って行く。

 

 

 

 

 

 

 

「相変わらず凶暴な旨味だったわね......」

 

 結論から言うと、惨敗した。

 一口目でKO判定を受けてしまった。

 一度目の時と同じように、平塚先生に少しよそってもらったのだけれど、その僅かな量ですら食べきれなかった。

 いや、しかし、あれは女子が食べるものではないと思うのよ。寧ろあれを食べられる平塚先生がどうかしているんだわ。

 確かに美味であるのは間違いないのかもしれないが、それ以上に人を選ぶものでもあると思う。

 

「凶暴な旨味ってのは的確だな。ありゃこの時間に食うもんじゃねぇよ。まあ美味かったけど」

 

 隣を歩く比企谷くんがどこかゲンナリした様子で返してきた。

 今は帰りのタクシーも降り、彼と二人で旅館へと戻っている最中だ。平塚先生は酒盛り用のお酒を買うといって、近くのコンビニへと入っていった。

 少し視線を下にズラすと、そこには繋がれた手と手がある。

 どうしても一度目の時と比べてしまって、思わず笑みが漏れてしまった。

 

「どうした?」

「いえ、あの時とは随分と違うなと思って」

 

 明確な距離が開いていたあの時とは違い、今はこうして隣に立つことが出来ている。

 それは、存外に幸せな事なのかもしれない。

 そう思うと、自然と彼の手を握る力が少し強くなってしまう。

 

「まあ、あの時とは色々と違うからな」

「ええ。色々と、変わったものね」

 

 それは、私個人の事であったり、彼個人の事であったり、私たちの関係性であったり。

 本当に、色々なものが変わった。

 この世界に一人で放り出されたと思った時は、辛くて、悲しくて。失ったと思っていた。

 けれど、本当はそんな事はなくて。

 今もこうして、彼は私の隣にいてくれる。

 それきり互いの間に言葉なく、ただ寄り添って旅館までの道のりを歩く。

 タクシーを降りた場所は旅館までそう遠くない位置だったためか、あっという間に目的地が見えてきた。

 

「三日目は、どこに行きましょうか」

 

 別れの時間が近づいて来たのが少し寂しくて口を開く。

 本当はもっと一緒にいたいけれど、あそこに到着してしまえばタイムリミットだから。

 

「どっか行きたい場所でもあるか?」

「そうね......。あなたとなら、何処でもいいわ」

「そうか。なら、適当にぶらつくか」

「ええ。偶にはそう言うのも、悪くないわね」

 

 会話が終わるのとほぼ同時。旅館の扉の前へと到着した。

 そこで急に比企谷くんが足を止めたので、不思議に思って彼の顔を見上げる。

 

「どうかした?」

「いや、お前先に入っててくれ。流石にこの時間に二人で外に出てたのがバレると色々問題だろ」

「......それもそうね」

 

 もしクラスメイトなんかに見られていたら、また質問責めに合うだろうし、教師の誰かに見られたら指導があるかもしれない。

 ......本来生徒指導であるはずの先生のことは考えないでおきましょう。

 しかし、このままお別れと言うのもなんだか味気ない気がする。

 何より、この寂しさを抱えたまま夜を越すのは、嫌だ。

 だから、

 

「比企谷くん」

「ん? ......んっ⁉︎」

「ふぅ......」

 

 だから、その寂しさを埋めるために、彼にキスをした。

 こんな所でなんて、自分でも大胆な真似だと自覚はしているけれど。でも、色々と我慢できなかったのだから仕方ない。

 

「お前なぁ......」

「仕方ないじゃない......。どうやら今日一日、由比ヶ浜さんや戸塚君相手にデレデレしていたようだし」

「いや別にそんなことねぇし」

 

 せめてこちらを向いて反論して欲しかった。

 だから、新幹線に乗る前と同じように、ここは一つ意地悪をしてから帰ろう。

 私は比企谷くんに抱きついて、その胸に顔を沈める。

 

「あなたは私の恋人なのだから。他の人にデレデレしてたら嫌よ」

「......悪かったよ」

「分かればいいの。......ん。では、また明日」

 

 最後にもう一度唇を重ねて、私は逃げるようにして旅館の中へと入って行った。

 後ろから聞こえてくる卑怯だろ、なんて言葉にどこか機嫌を良くしながら。

 

 

 

 


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