修学旅行二日目はグループ行動となる。
旅館で朝食を済ませ、荷物を次の旅館に持って行ってもらうよう手配すれば、後はグループで事前に決めていたルートを回るだけ。
俺のグループは一度目の時と変わりなく、更に三浦グループも一緒に行動するので、前回との違いは殆どないと言っても良い。
だが、今回も仕事はあるのだ。
思い出を作る修学旅行でも仕事の呪縛からは逃れられない。寧ろ仕事が思い出。この思い出を胸に三十年は社畜として頑張れるのではないだろうか。
いや、俺が社畜になる前提で話進めちゃダメだろ。もしかしたら運良くホワイト企業に就職出来るかもしれないし。専業主夫の可能性だってまだ捨てきれない。夢くらい見たって良いよね。
閑話休題
さて、前回と同じと言うことは、俺たちはまず太秦映画村へと向かう訳なのだが。案の定、そこへ向かうバスは通勤ラッシュかよってくらい混んでいた。
座る場所なんてあるはずもなく、俺たちと同じ修学旅行生や観光客でギッシギシ。
女子連中は大丈夫なのかと目をやるも、三浦と川崎がめっちゃガン飛ばしてて由比ヶ浜と海老名さんは超守られてる。
そして勿論戸塚は俺の腕の中。足を踏まれたり肘を入れられたりするも、戸塚を守るためならば痛くも痒くも、あっ、待って、今変なところにエルボー喰らった。脇腹めっちゃ痛い。
そんなこんなで映画村へ到着し、殺陣を見て、池から出てくるネッシーもどきを見て、お化け屋敷で川崎がガチビビリしてて、と。ここまでは驚くほど一度目と同じような流れだった。
なんなら川崎がビビって走り去っていったタイミングも同じだったかもしれない。
今は映画村を既に出て、龍安寺に到着したところだ。
うん、まあ正直に申しますとここに来るのはそれなりに楽しみって言うか二日目はここに来る以外に価値はないって言うか。理由は聞くな。
境内に入り、各々が色々と見ながらゆっくり歩いていくと、そこに到着した。
龍安寺の名物とも呼べる、「虎の子渡しの庭」 そこが一望出来る場所に腰を下ろしている、長い黒髪の持ち主を発見した。
自分でも少し頬が緩むのが分かる。我ながら気持ち悪い顔をしている事だろう。
顔を引き締め、俺もその彼女の隣に腰掛ける。
「あら奇遇ね」
なんとも白々しい言葉が隣から聞こえてきた。顔をそちらに向けると、ジッと庭を凝視している綺麗な横顔が目に入る。
やはり、雪ノ下雪乃はここに来ていた。
「お前もここに来てたんだな」
「ええ。やっぱり、どの辺りが虎なのか気になってしまって」
えぇ......。それまだ気にしてたの? 因みに、俺はちょっと気になって虎の子渡しという言葉を調べてたりする。別にこの庭は虎関係なかったりもする。
なんでも、中国の故事に由来するそうな。詳しくはググってくれると助かるな。
俺も暫く庭を眺めていると、ふと、視線を感じた。どこから見られているのかと辺りを見回してみると、その視線の正体は雪ノ下の向こう側から。つまり、彼女のクラスメイトであり同じグループの女子からめっちゃ見られていた。
それ自体はいい。前回だって随分と訝しげな視線を頂いてしまったものだ。
しかし、今回は違う。あの目は、好奇心を抑えきれずに輝かせているような、そんな目だ。
「あの、もしかしてあなたがヒキガヤ君⁉︎」
「え、あ、お、おう......」
雪ノ下の隣に座っていた女子生徒が食い気味に質問して来た。あまりの押しの強さにしどろもどろになりながらも答える。
え、なに? 俺なんかしたの? てか雪ノ下なんか喋ったの?
俺が狼狽えていると、質問した女子が立ち上がって俺の隣に移動して来る。そして残りの二人の女子も、雪ノ下への距離を詰めた。
しまった、囲まれた......!
「ねえねえ、ヒキガヤ君は雪ノ下さんと付き合ってるんだよね?」
「馴れ初めは? 一体どこで出会ったの?」
「て言うか、どうやってこの雪ノ下さんを落としたの⁉︎」
めっちゃグイグイ来るな......。
あと雪ノ下さん? あなたコメカミに手を当てて「この子達は全くもう......」みたいな感じでいますけど、これ俺が答えたらあなたも恥ずかしいやつですよ?
「まずは雪ノ下さんの好きなところを言ってみようか!」
「雪ノ下さんも、ヒキガヤ君の好きなところ言ってみよう!」
「どうして私まで......。ちょっと、近いわよ......」
「ほらほら〜。素直に吐いちゃえよ〜」
「親御さんは泣いてるぞー」
「やっぱり大学は同じところに行くんですよね⁉︎」
「あ、ゆきのーん! って、何この状況⁉︎」
「ん? F組の由比ヶ浜さん?」
「てことはまさか......」
「さ、三角関係⁉︎」
カオス過ぎるでしょこれ......。
「そう。葉山君におかしな様子はない、と」
「うん。昨日今日見てたけど、いつもの隼人君だったよ」
「まあ、あいつがそう簡単に尻尾を見せるとも思ってないし。そんなもんだろ」
J組女子の追求からなんとか逃れ、乱入してきた由比ヶ浜も伴って、先程の場所から少し離れた位置で由比ヶ浜の報告を聞いていた。
が、それも収穫なしと言うもの。
まあ仮にここで収穫があったとしてもやることは余り変わりない。
「由比ヶ浜、お前葉山の連絡先知ってるよな?」
「え? うん。勿論知ってるけど、なんで?」
「今日の夜、あいつを呼び出して欲しい。場所はホテル近くのコンビニだ」
「分かった」
「三浦さんの方はどうするのかしら?」
どうする、とは。俺たちの話し合いの場に三浦を呼び出すかどうかと言う意味だろう。
その質問には首を横に振らざるをえない。
100%確証がある訳ではないが、話はこの『やり直し』の事になるだろう。そんな場に無関係なやつを連れてきた所で、馬鹿な話をしていると思われるのがオチだ。
「三浦は呼ばなくていい。聞かせられる話でもないしな」
「それもそうね」
話がひと段落つくと、雪ノ下は待たせているグループの面々の方へと戻っていった。
その時、他のメンバーにしつこく迫られているのを遠目から見てしまい、由比ヶ浜と一緒に吹き出してしまう。
「大変だな、あいつも」
「他人事みたいに言ってるけど、ヒッキーも無関係じゃないじゃん」
「そうなんだよなぁ......」
結局、彼女たちに振られた質問には何一つとして答えずに出てきたので、その分雪ノ下が質問責めに会う事だろう。もしかしたら昨日の夜には既に被害があったのかもしれないが。
「あたし達もいこっか」
「おう」
雪ノ下の背中を見送って、俺と由比ヶ浜も葉山達の元へと戻る。
その時に見えた葉山の顔は、やはりいつもの、「みんなの葉山隼人」だった。
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龍安寺を出た後も一度目と同じく、金閣やらなんやらと回ってたのだが、交通の便の都合で案の定ホテルに着くのは遅くなってしまった。
夕飯の時間には間に合ったのだが、風呂の時間には間に合わなかったらしい。お陰で二日連続内風呂。いつになったら戸塚と風呂に入れるんだ......。
そして現在、俺は待ち合わせ場所のコンビニでサンデーを読んでいた。前回、三浦と偶然出会った場所だ。
暫くぬぼーっとマギを読んでいると、ちょんちょんと肩を叩かれた。
「待たせたわね」
「お待たせ、ヒッキー」
雪ノ下と由比ヶ浜だ。
それぞれの手には缶コーヒーと紅茶が一つずつ握られており、どうやら俺が集中して誌面を追っている間に飲み物を買ったらしい。
そして二人の後ろに、金髪ドリルが見えた。
「おい、なんで三浦もいるんだよ......」
呼ばないと決めていたはずの三浦優美子がそこにいた。
どこか不機嫌そうにしており、俺の言葉が聞こえたのか、ギロリとこちらを睨んでくる。怖い。
「なに、あーしがいたらダメなわけ?」
「あ、いや、別にそういう訳じゃないがな......」
萎縮しながらもなんとか言葉を返し、説明を求める為に由比ヶ浜に視線で促す。
「ご、ごめんねヒッキー。隼人君にメールしてたら優美子にもバレちゃって......」
「まあ、彼女は依頼人なのだし、同席しても問題ないでしょう」
雪ノ下の声色にはどこか諦めの色が見えた。
まあ、確かに雪ノ下の言う通り、三浦は今回の依頼人であり、同席する権利も持ち合わせている。バレてしまったのだったら、俺たちにとやかく言うことは出来ない。
小さくため息を零してから、サンデーを棚に戻す。それを合図とするかのように、女子三人はコンビニから出た。勿論俺もその後ろに続く。
「三浦さん。申し訳ないのだけれど、話が終わるまではあそこの草むらに隠れていてくれないかしら?」
コンビニを出てから直ぐ、雪ノ下がそう提案した。同席しても問題ないとか言ってなかった?
「は? なにそれ、あーしに聞かれてマズイことでもあんの?」
「何も話を聞くな、と言っているわけではないわ。聞いていても構わないから、少し身を伏せていて欲しいのよ。あなたがいる事で、葉山君も全て話せなくなるかもしれないから」
「......。分かった。結衣、ついて来て」
「あ、うん! はいヒッキー、これ隼人君の分ね」
意外にも、三浦は雪ノ下に食ってかかることもなく、近くの草むらへと歩いて行った。由比ヶ浜も、持っていたカフェオレを俺に手渡しついて行く。
確かにあそこの草むらなら姿は見えないだろうし、話し声もしっかり聞こえるだろう。
「この方があなたも気兼ねなく話せるでしょう?」
「よくご存知で」
「はい、これ。マックスコーヒーでもなければ私の紅茶でもないけれど」
「別にその二つしか飲めないって訳じゃねぇよ」
言いつつも、差し出されたカフェオレを受け取る。なんとか片手でプルタブを開け、ひとくち喉に流し込む。
マッカン程ではないが、甘ったるい味が口の中に広がる。
その甘味を楽しんでいると、暗がりから人影が歩いて来た。
遠目からでも、その金髪はよく見える。
「結衣に呼ばれて来たんだけど、やっぱり、君たちだったか」
葉山隼人は、あいも変わらず爽やかな笑みを浮かべて現れた。
「俺たちで悪かったな」
「何もそこまで言っていないさ。結衣自身がいないのは少し驚いたけどね」
「あいつから連絡を取ってもらう他無かったんだよ。ほれ」
由比ヶ浜から受け取っていたカフェオレを放り投げると、葉山は難なくそれを片手でキャッチした。特に礼を言うわけでもなく、葉山はプルタブを開ける。
こいつ、俺に対しては徹底的に嫌な奴だな。まあ分かってたことではあるから良いんだけどさ。
「単刀直入に言うわ。葉山君、あなたに関する事で、私たち奉仕部は一つ依頼を受けているの」
「俺に関する?」
「ええ。依頼人の名前を明かすことは出来ないけれど、あなたならどのような依頼か、察しがつくのではなくて?」
雪ノ下にそう問われ、葉山は考えるでもなく小さくため息を吐いた。依頼内容だけでなく、依頼人まである程度察しているのかもしれない。
「そうか......。それは、迷惑を掛けてるな」
「ええ、全くよ。私としては、折角の二度目の修学旅行なのだから、何も考えず楽しみたかったのだけどね。それで」
そこで一拍置き、雪ノ下は本題に入る。
「あなた、いつまでそうやっているつもり?」
「......そうやって、とは?」
「惚けても無駄よ。私の先ほどの言葉に対して何も言わないというのであれば、あなたも『繰り返して』いるのでしょう?」
「......」
葉山は何も言わない。
雪ノ下は先ほど、確かに『二度目の』と口にした。そこにツッコミを入れないと言うことは、葉山隼人は記憶を保持していると考えて間違いない。葉山自身、雪ノ下の言葉に否定もしていない。
尚も葉山は口を開かない。
ただ、スチール缶を傾け、俺たち二人を見ているだけ。
恐らく雪ノ下の正攻法では、こいつは口を破らないだろう。いや、そもそも口を破ると言う表現自体が正しい訳ではないのだが。
ならば、やはり俺が話すしかあるまい。
「なあ葉山。前から一つ聞きたかったんだけどよ」
「......なんだい?」
「戸部の気持ちを踏み躙った感想はどうだった?」
それを聞いて、一瞬目を丸くしたかと思うと、あの苛烈な眼差しで俺を睨んでくる。
隣からは呆れたようなため息が聞こえた。
これは後で怒られるな、と思いながらも、葉山からの言葉を待つ。
「......君たちは、変わったな」
「あ?」
呟き、その顔に浮かべるのは寂しげな表情。
俺の質問に対する答えとはなんら関係のないその言葉に、思わず聞き返してしまった。
「いろはも結衣も、君たち二人も、確かに変わった。多分それは、この世界故に強制されての事だろうけど、それでも変化があったのは事実。変われていないのは、俺だけだ」
自嘲気味に吐き出されたその言葉には、どこか違和感があった。
果たして、かつての葉山隼人ならば今のような言葉を漏らしただろうか。常に変わらず『みんなの葉山隼人』であり続けようとした彼が、変化を望むような言葉を。
「なあ比企谷。いつだったか、君に言ったよな。俺は君が思っているほど、良いやつじゃないって」
「......ああ」
「今の君に、俺は良いやつに見えるか?」
「これっぽっちも見えねぇな」
「だろうな。人の気持ちを簡単に踏み躙れるようなやつが、良いやつな筈がない」
心底おかしそうに、葉山は笑う。
その様子を見て何かに気づいたのか、雪ノ下が口を開いた。
「葉山君、あなた本当は......」
「......多分、雪ノ下さんが察した通りだよ。俺だって気づいているさ。今はもう、なにも選ばないと言う選択肢以外にも存在することに。でも、怖いんだ。それを選んだ途端、全てが無くなってしまいそうで。その選択が間違いなんじゃないかって」
葉山の言い分はとても理解できる。
俺も一度ならず何度だってそう思った。
リセットされたこの世界で、果たして別の道を選ぶことが正しいのか否か。その答えが今の俺を取り巻く環境となっているわけだが、それでも、それが正解だったとは限らない。
なら、葉山と俺の違いはなんなのか。
そんなもの、考えずとも答えは出ている。
「なあ葉山。お前、自分の周りをちゃんと見たことあるか?」
「グループのみんなのことか?」
「違う。厳密には、お前を見てくれている奴の事を、ちゃんと見た事があるか、って話だ」
「俺を、見てくれている奴......」
「ああ。お前のことは心底嫌いだが、今回ばかりは依頼があるからな。助言くらいくれてやる。お前は自分で思っている以上に、お前のことを大切に思ってくれているやつがいるんだよ。何かを選ぶとかそれ以前に、そいつらのことくらい大切にしたらどうだ」
チラリと後ろを見る。
そこには、心配そうに葉山を見つめる少女いる。ホテルには今も、彼のことを心配する少年がいる。その二人はきっと、葉山がどんな選択をしてもそれを受け止め、時には賛同し、時には叱咤するだろう。
俺にとっての、彼女達のように。
告げることは全て告げたとばかりに、俺はスチール缶の残りを全て飲み干し、ゴミ箱へと捨てる。
「行くぞ雪ノ下」
「もう良いの?」
「これ以上言うことはないからな。あとはまあ、なんとかなるだろ」
「......随分と他人事のように言ってくれるんだな」
「実際他人事だからな」
これは彼ら彼女らの問題であり、俺たち奉仕部は本来部外者だ。
ならば奉仕部の活動理念らしく、魚の取り方を教えたあとは、本人達に任せるしかない。
「比企谷」
「あん?」
「すまない。それと、ありがとう」
「やめろ、お前が俺に礼を言うとか寒気しかせん」
「そいつは良かった」
いつものようの爽やかな笑みで嫌味を言う葉山を背に、俺と雪ノ下はその場から去った。
葉山に駆け寄る足音が聞こえてきたが、もう俺たちには関係のないことだ。