カワルミライ   作:れーるがん

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一夜明け、訪れるのは穏やかな日々。

 傍に人の気配。それと、カーテンの開いた窓から注ぐ日差しで目が覚めた。瞼を開いて隣を見ると、生まれたままの姿の雪乃が幸せそうな微笑みを見せていた。

 

「おはよう、八幡」

「ん、おはよう雪乃」

 

 お互い裸なのに羞恥心が湧いてこないのは、昨夜の行為故か。

 心なしか、随分と胸の奥が軽く感じる。大きなつっかえが取れたような、なんだか、晴れやかな気分だ。

 シングルベッドで二人寝ていると手狭になってしまい、雪乃は俺の腕に抱きついて横になっている。羞恥心が湧いてこないと言っても朝から直接腕に当てられる胸の感触は刺激が強くて、八幡のハチマンもやっはろーしてしまいそうだ。て言うかしてる。

 それをチラリと視界に入れてしまったのか、ちょっと顔を赤くする雪乃。なにその表情可愛いなおい誘ってんのかよ。

 とまあ、朝からちょっとあれなので自重するとして。

 

「あー、体の調子とかどうだ? 大丈夫か?」

「え、ええ。少し違和感はあるけれど、特に問題ないわ」

「そ、そうか......」

 

 あ、あれー? なにこの雰囲気? 羞恥心はないんじゃなかったの? ちょっと雪乃さん、なんでそんなに目泳いじゃってるの。俺も似たようなもんだとは思うけど。

 いや、これはあれだ。別に恥ずかしい訳じゃなくて、なんか面映ゆいと言うかなんと言うか......。

 ま、まあ、兎に角、あれだ、あれ。この後どうしたらいいのか分からないって感じ☆

 パチっ、とお互い泳ぎまくってた視線が合うと、自然と笑みが漏れた。それは雪乃も同じで、穏やかな微笑みを浮かべている。

 

「取り敢えず、朝食にしましょうか」

「そうだな」

 

 二人して布団から降りて、取り敢えず服を着る。今は冬と呼んでも差し支えない季節であり、やはり朝は相当冷える。

 ブルリと体を震わせながらも下着とスウェットを着用して、同じく寝巻きを着終えた雪乃とリビングへ。

 

「直ぐに作るから、少し待っていて頂戴」

「手伝うぞ?」

「いえ、いいわ。一人でやった方が早く出来るもの」

「ん、分かった」

 

 そこは流石の元ぼっち。料理だけでなく勉強などもそうだが、そう言った、元来一人ですることを前提とした作業は、やはり自分一人で行った方が効率がいい。

 その辺り、やっぱ俺とこいつは似てるんだな、と思い苦笑してしまう。

 キッチンは彼女にとって聖域である、みたいな理由も付け加えられるかもしれないが。

 やる事もないのでソファに座ってテレビをつける。別に興味の惹かれる番組がやっていたわけでもないのだが、適当なチャンネルの適当な情報番組を流し見ていると、暫くしてから声がかかった。

 

「八幡、出来上がったからテーブルへ運んでもらってもいいかしら?」

「おー、今行く」

 

 テレビを消して立ち上がり、キッチンの方へ足を向ける。

 言われた通り皿をテーブルまで運び、全て運び終えてから席について、二人揃って頂きます。

 朝食のメニューは実に簡素。スクランブルエッグにトースト、あとは紅茶だ。その紅茶を淹れているカップなのだが、いや、そもそもカップでは無かった。

 

「なあ雪乃、これって......」

「ええ、先程キッチンにあったのを見つけたのよ。どうせだから使おうと思って」

「待て、その言い方だと昨日まで無かったって事か?」

「あったら昨日使っているわよ」

「それもそうか」

 

 俺の前に置かれた、紅茶を淹れてある容器。

 それは、パンさんの柄が入った湯呑みだった。見たことがあるどころではない。一度目のクリスマスの時、由比ヶ浜と雪乃から貰った、俺の大切なものの一つなのだから。

 それがどうして今、それも唐突に現れたのか。

 

「メガネと言い、シュシュと言い、どうして突然現れたのかしら......」

 

 朝食を食べ進めながらも話を続ける。こんな簡単な料理でも、雪乃の作ったものはとても美味い。

 

「ああ、そう言えばそんな話してたな」

 

 雪乃が今髪を纏めているピンクのシュシュと、部室でパソコンを見る時に使っているブルーライトカットのメガネ。

 パソコンが部室に導入された文化祭後に聞いた話だが、どうやらその二つも突然現れたらしい。メガネは文化祭の準備期間、俺が倒れた時に。シュシュは二度目の世界で初めて俺が部室に来た日に。

 なんだかゲームのトロフィー機能みたいだな、と思うも、それは強ち的外れと言うわけではないと思う。

 けれど、これはゲームではなく現実だ。今更その程度の不思議現象で戸惑っていたら、そもそも二度目の世界自体の原因まで遡らなくてはならないだろう。だから、ただ単に、俺と雪乃の間で起きた、確かな変化の報酬のようなとのだと思っておこう。

 

「まあその話は置いとこうぜ」

「それもそうね」

「ところで、今日どっか行きたいところあるか?」

「駅前のモールで買い物がしたいのだけれど、いいかしら?」

「了解、モールな」

 

 駅前のモールと言うと、一度目の時にクリスマスパーティのプレゼントをみんなで買いに行ったところか。なにを買いたいのかは知らんが、まああそこならある程度のものは揃っているだろう。

 と、そこまで考えて気がついた。

 

「そういや俺、着替えないんだけど......」

「確かに......。流石に外出用の男性服は無いし......」

 

 これは一回家寄らないとダメなやつかな? 休日に制服で外彷徨くってのも中々目立つし、家帰って着替えた方が得策かもしれない。

 しかし、そうなれば勿論雪乃と一緒に家に行くことになるし、その際小町に揶揄われる&両親からの追求から逃れることは出来ないだろう。雪乃は文化祭の準備期間中にちゃっかり挨拶済ませてるみたいだけど。

 さてどうしたもんかね。俺一人で家に向かうのは時間の無駄になるし。

 

「いえ、制服のままで構わないわ」

「は? 嫌だよ目立つし」

「なにもずっと着ていろとはいわないわよ。まず最初に服屋さんに寄って、そこであなたの服を見繕いましょう。折角だからコーディネートしてあげる」

「えぇ......。マジで?」

「ええ、マジよ」

 

 ふふん、とドヤ顔の雪乃だが、俺は忘れていない。由比ヶ浜の誕生日プレゼントに工具セットを選ぼうとしただけでなく、服は軒並み耐久性で選んでいたこいつの姿を。

 しかし逆に、雪乃自身の服装はとてもセンスに溢れていると思う。これまで何度か見た私服姿は、どれも雪乃の魅力を最大限に引き出していたのだから。まあ俺の予想だと、あの服は殆ど陽乃さんのお下がりか、陽乃さんが買ってきてくれたのか、そのどちらかだろう。もしくは由比ヶ浜の影響か。

 そんな俺の心情を読み取ったのか、目の前の雪乃はムッとした顔をしている。

 

「あら、私のセンスを疑っているのかしら?」

「いや、だってお前、一般的な女子高生のセンスはない、みたいな事昔言ってただろ」

「あの頃の私と一緒だと思わないで欲しいわね。一年も経てば少しはマシになっている筈よ」

「うん、確かに一年は経ってるけども......」

 

 まあ、ここは雪乃のセンスを信じてみますかね。母親が買って来るようなクソダサTシャツを出されたりしたら俺が拒否すればいいだけだし。

 

「ふふっ、どう料理してあげようかしら」

 

 ......これ、大丈夫だよね? 料理ってただの比喩だよね?

 一抹の不安を抱えながらも、なんだかんだでこの後のデートを楽しみにしながら、朝食を食べ進める。

 

 

 

 

************

 

 

 

 

 眼前には渋面を作って顎に手を当てる雪乃が。その高度な頭脳で一体何を考えているのだろうか。高尚な哲学か、はたまた難解な計算式か。

 しかし実態はそのどちらでも無く、皆無に等しいセンスをなんとか振り絞って、男性服をコーディネートしているだけである。

 いやはや、あの完璧超人雪ノ下雪乃が、まさかそんな俗っぽい事に思考を割くとは。総武高校の生徒達からするとあり得ない光景ではあるだろう。

 だけど雪乃さん、由比ヶ浜の影響でなんだかんだ俗世間に染まりつつはあるよね。俺の影響に関しては考えないようにする。

 

「......ダメね。これも似合っていないわ」

「なあ、まだ続けんのか? もうユニクロとかで適当に買ったやつでもいいんだが」

「服を着ていると言うより、服に着られている感じがどうしても強いのよね......。やはりその目が原因かしら?」

「聞いちゃいねぇ......」

 

 さて、現在の状況を再確認してみよう。

 駅前のモールにやってきた俺たちは、雪乃の宣言通りまず服屋へ。そこであれこれと服を見繕う雪乃と、着せ替え人形にされている俺。

 

「ねえ八幡。その目、どうにか出来ないかしら?」

「どうにか出来るならとっくにしてるんだよなぁ......」

「それもそうね......。よし、次はこれとこれを着てみて頂戴」

 

 差し出された服を受け取って試着室へ戻っていく。

 雪乃のセンスも、言うほど無くはないのだ。ただ、問題は俺の方にあるみたいでして。どうも変にカッコつけた服を着ようとすると、明らかにこの腐った目が浮いてしまうらしい。なんだか申し訳なくなってしまう。でも昔に比べたら目の腐りもマシになってると思うの。

 雪乃に渡されたのはシンプルな黒のジーンズに、これまたシンプルなチェックのワイシャツと白いセーター。さっきまで渡され続けていたものよりも大分落ち着いた組み合わせだ。

 ズボンを履き変え、ワイシャツの上からセーターを着る。俺自身もオシャレにそこまで明るい訳ではないので、トップスのこの組み合わせに何の意味があるのかはよく知らないし、多分そんな大層な意味もないと思う。

 着替え終えて試着室を出ると、先程まで一歩も動かずに待っていた雪乃の姿が無い。もしかして見捨てられたのかと思ったが、そんな筈もなく。ちょっと店内を見渡したら直ぐに発見した。

 

「雪乃」

「着替え終わった?」

「おう。こんな感じでいいのか?」

「襟元、もう少し整えなさいな」

 

 手を伸ばして来て、中のワイシャツの襟をセーターの上に出される。あ、これそういう風に着るのね。

 襟を整えた雪乃は一歩下がり俺の全身を眺め、しかしどこか納得いってなさそうな表情をする。

 

「さっきまでより全然マシね」

「そう言う割には納得いってなさそうなんだが」

「当たり前よ。ここまで来たらあなたを完璧にコーディネートしたいもの。という事で、次はこれを着て頂戴」

「へいへい......」

 

 どうせ拒否権は無いので、素直に受け取って再び試着室へ戻る。一体これがあとどれだけ続くのか。彼女の負けず嫌いを考えると、相当続くと思われるが、俺のために考えて悩んでくれていると思うと、不思議と悪い気はしない。

 しかしあんまり長引いて昼飯が遅くなると言うのもゴメンなので、さっさと終わらせるかと次の服に手をかけた時、外から話し声が聞こえて来た。

 

『どうですか? 良い服はみつかりました?』

『いえ、中々彼に似合う服はなくて』

『そうですか。どうぞごゆっくりご覧になってくださいね』

 

 どうやら雪乃と店員の会話らしい。

 こう言う店だと、何故か店員が馴れ馴れしく話しかけてくる。だから俺は苦手なのだが、雪乃はそうでもないらしく、適当に店員の話を受け流して適当に相槌を打っているらしい。

 

『妹さんが選んだ服なら、お兄さんも喜ぶと思いますよ』

 

 おっとこの店員は何か勘違いしてるようですね。俺と雪乃が兄妹って、どう見たらそう見えるんだよ。全然似てないだろ。

 雪乃も同じ風に思ったのか、少し笑い声が聞こえた後に、否定の言葉を発した。

 

『私達、兄妹じゃないんです。彼は私の恋人です』

『あ、そうだったんですか⁉︎ それは失礼しました......。お二人を見てるとまるで家族のような距離感だったので。最初は夫婦かなと思ったんですけど、でもお兄さんは制服を着てたから兄妹なのかなーと』

『そ、そうですか......』

 

 さては雪乃、顔真っ赤になってるな? 俺は詳しいんだ。なんたって、俺も今顔真っ赤だからな!

 ......この店員やばいな。なんで俺と雪乃が夫婦に見えちゃうんだよ。いや、別に嫌と言うわけではないしむしろ嬉しいくらいなのだが、どう見てもそう言う歳には見えないだろ、俺たち。

 いや、まあ思い返してみれば思い当たる節はあると言うか何というか。例えばさっき、俺が着た服の襟元を整えるなんて、昨日までの俺ならば急接近された時点で顔面赤面待った無しだっただろう。そうならなかった理由を問い詰めて行くと、結局顔真っ赤になっちゃうのでやめておく。

 そう、先程雪乃が俺に対して行った行為は、まるで仕事に出かける前の夫の、曲がったネクタイを直す妻のような......。

 うん、そろそろこの思考はやめておこう。考えただけで顔がにやけてしまう。て言うか、試着室の中なら誰にも見られてないしにやけ放題じゃね? やったぜひゃっほい!

 となる訳もなく。いや、一瞬なったけど鏡に映った自分の顔が気持ち悪過ぎてやめた。まあ、そんなこんなで服を着替え、店員が去っていった気配を感じたので試着室から出る。

 そこには想像していたような顔真っ赤ゆきのんではなく、ニコニコと花のような笑顔を浮かべる雪乃だった。え、なんで?

 

「着替えたけど......。なに、お前どうしたの?」

「なにが?」

「いや、なにが? じゃなくてだな......」

 

 あれか、夫婦みたいって言われたのが嬉しかったのか。やだなにそれ俺の嫁じゃなかった彼女超可愛いんですけど!

 

「ふふっ、さっき店員さんがね、私とあなたを見て夫婦みたいだって」

「まあ、俺にも聞こえてたけど」

「あら、そうだったの?」

 

 カーテン一枚しか仕切りがないんだから、そりゃ聞こえるでしょうよ。

 しかし、こいつと夫婦ねぇ......。考えたことが無いなんて言ったら嘘になるどころか、何度考えたか分からない。これから先もこいつずっと一緒にいて、恋人から夫婦へと関係が変わって。それでも、きっと、俺たち二人の在り方は変わらないんだろう。

 そんな未来を、こいつも思ってくれている。それがなんだか嬉しくて、つい笑みが溢れてしまった。

 

「突然笑って、どうかしたの?」

「多分お前と同じ理由だよ」

「そう?」

「そう」

 

 周りからどう見られ、どのような印象を抱かれようが、対してその事に興味はなかったが。けれど、『まるで家族のようだ』なんて言われたら、嬉しいに決まっている。

 

 

 

 

************

 

 

 

 

 服屋で買い物を済ませ、雪乃に全身コーディネートされた後は、いい時間になっていたので昼食を摂ることに。

 適当に選んだパスタ屋だったが、これがまた随分と美味しかった。まあ雪乃の料理とは天と地ほどの差があるのだが。勿論雪乃が天。

 

「なあ、本当に良かったのか?」

「あなたも口説いわね。別に気にすることではないと言っているでしょう」

「つってもなぁ......」

 

 俺が今着ている服だが、購入するに当たって全額雪乃が出してくれた。彼女的には元からそのつもりだったらしいのだが、俺はどうも納得いかない。ほら、こう、男のプライド的に。

 

「そもそもあなた、払えるだけのお金はあったの?」

「うっ......」

 

 それを言われると弱る。どうもあの服屋、俺が想像していたよりも遥かに高価な品揃えだったらしく。とてもじゃないが払えるほどの額では無かったのだ。

 それをさらりとレジに通す雪乃の金銭感覚に突っ込むべきなのか、店に入った時点で気づかない俺の間抜けさを罵るべきなのか。

 

「いいじゃない。妻から夫へのプレゼントだと思えば」

「まだ結婚してないんですけど。て言うか学生なんですけど、あの」

 

 どうやら夫婦扱いされたのがいたく気に入ったようで。さっきから雪乃のニコニコ笑顔は収まる様子を見せない。

 

「はあ......。んじゃまあ、ありがたくプレゼントされときますよ」

「ええ、されておきなさい」

「んで、これどこに向かってんの?」

 

 パスタ屋を出た後は雪乃に手を引かれるまま歩いているのだが、目的地を未だ聞かされていない。買いたいものがある、みたいな事を家で言っていた気がするが、そもそもなにを買うのかも聞かされていないし。

 

「雑貨屋を探しているのだけれど......。このモールにはないのかしら?」

「いや、前のクリスマスで来た時普通にあっただろうが。なに、迷ったの?」

「......違うわよ」

「おい。目を見ろ、目を」

 

 流石は方向音痴ノ下さん。一度来た場所でも迷ってしまうとは。逆に前の時は何故迷わなかったのかを聞きたいくらいである。

 

「雑貨屋はこっちだ。ほれ、ついて来い」

「納得いかないわ......」

 

 今度は俺が雪乃の手を引いて、記憶にある雑貨屋までの道を歩く。

 いくら広いとは言っても、一つの建物の中だ。十分も歩かないうちに雑貨屋には到着した。

 

「結局何買うんだ?」

「一色さん用のティーカップよ」

「一色の?」

「ええ。彼女だけ無いというのも可哀想でしょう?」

「まあ、そうだな」

 

 一色用のティーカップ、ね。恐らく生徒会長に当選するであろうあいつは、これまでに比べると確実に部室へ顔を出す頻度は減るだろう。それだと言うのに、一色のためにティーカップを用意してやるとは。

 

「お前もなんだかんだ言って、ちゃんと先輩してるんだな」

「先輩云々は関係ないわ。これは私の友達が生徒会長に当選した時のお祝いの品なのだから」

 

 これ、一色が聞いたら泣いて喜びそうだな。雪ノ下先輩に友達って呼ばれるなんて感激ですぅ、みたいな。

 店の中に入り、目的の品がある辺りで立ち止まる。雑貨の定義はかなり曖昧だが、ティーカップの品揃えは悪くないらしい。並べられた商品を見て、雪乃は顎に手を当てて小首を傾げる。

 

「どれがいいかしら?」

「お前が思った一色らしいやつでいいんじゃねぇの? て言うか、どれでも喜ぶと思うけどな、あいつは」

「そう?」

「そう」

 

 ふむ、と考えること暫し。雪乃が手に取ったのは、大きく赤いハートマークが描かれたコップ。形状的には雪乃が使っているものよりも、由比ヶ浜が使っているものに近い、普通のコップだ。

 

「これにしましょう」

「一応聞いとくけど、なんでそれ?」

「いかにも一色さんらしいと思ったからだけれど?」

 

 うーん、確かにそのあざとさ全開ハートマークは一色っぽいけども。それを受け取った一色本人がどう思うのか。ハートマークをラブと受け取ってしまったらどうするんですかね。流石にそれはないか。ないよね?

 

「ま、お前がそう思ったんならそれでいいだろ」

「ええ。ではレジに通してくるわ」

「おう」

 

 待っている間なにをしていようかと悩んでいると、視界の端にあるものを捉えた。前に来た時にも見かけ、結局交換用のプレゼントとして買うことになったアレ。そう、人をダメにするソファである。

 もう見た目からして『絶対にダメにしてやる!』と言う気概を感じられる。

 しかし、改めて見るとヤバイなこのソファ。これにカマクラ乗せたら絶対ズブズブと沈んでいくやつだわ。なんなら俺が乗っても沈んでいっちゃう。それでそのまま再び浮き上がってくることはないのだろう。やだ、人をダメにするソファにダメにされてみたい!

 ......これに雪乃を乗っけるとどうなるのだろうか。常日頃はキリッとして、人前ではダメなところ、と言うかポンコツなところをあまり見せない彼女ではあるが、流石の雪ノ下雪乃と言えど、このソファには勝てないだろう。

 この上に座ってズブズブ沈んでいき、安らかな顔で眠ってしまう雪乃。うん、実にいい。想像しただけでもご飯三杯はいけちゃうね。

 ほら、彼女本人も言っていたじゃないか。猫が寝転んだらその猫可愛い、って。別に雪乃は猫ではないけど、猫みたいなやつだし、結局可愛いことには変わりないし。

 どうしようかな、買おうかな......。でも結構高いんだよな......。

 割と本気で購入を検討していると、誰かが隣に並ぶ気配が。そちらを向くと、会計を終えた雪乃が立っていた。

 

「これは......。確か前のクリスマスの時にあなたが購入していたものね」

「ああ、お前が激寒親父ギャグを披露したあれだ」

「なんのことかしら?」

 

 ニッコリ笑顔で凄まれた上にすっとぼけやがった。本人的には忘れて欲しいようだ。

 

「これ、欲しいの?」

「欲しいっちゃ欲しいけど、今はいい」

「どうして?」

「これにお前を乗せるのが目的だからな。その楽しみは将来に取っとく」

「乗らないわよ」

「さて、どうかね」

 

 今買ったところで、別に同棲しているわけでもないのだから、このソファに座ってダメになる雪乃を好きなタイミングで見られるという事はないのだ。ならば今購入してもそこまで意味はないだろう。

 

「それにしてもあなた」

「ん?」

「将来は一緒に住んでいる事を、当たり前のように言うのね」

「悪いか?」

「いえ、悪くないわ。寧ろ好ましいわね」

「そうか」

「ええ、そうよ」

 

 らしくもなく、そうなる未来が来ることは確信している。

 未来だなんてそんなあやふやなもの、信じるたちではなかったと言うのに。それでも、こいつとの未来であれば、なんの根拠が無くとも確信出来る。出来てしまう。

 それはきっと、雪乃も同じなのだろう。じゃなきゃ、こんな穏やかな笑みは浮かべていまい。

 

 

 

 

************

 

 

 

 

 モールを出た後、特に寄り道をすることも無く雪乃の家へと戻ることとなった。

 初デートだと言うのに随分と味気なく思えるが、俺たち二人にはこれで十分だ。だって、これからもデートと称されるようなことは何度だってするのだから。初デートだからと言って、特別なことをする必要なんてなにもない。ただ、こいつと一緒にいれると言うだけで、俺は満たされてしまうのだし。

 

「今日の晩御飯はなにが食べたい?」

「じゃあ唐揚げで。白飯は多めにな」

「分かっているわ」

 

 特に二人で話し合うでもなく、今晩も泊まっていくことは決まっていた。個人的にはそろそろ小町に会いたいのだが、なんか今帰っても追い出されそうな気がするので、小町にはさっき連絡を入れておいた。

 

「スーパー寄るか?」

「いえ、材料なら一通り揃っているから、問題ないわ。それより、今日はお風呂の掃除を任せてもいい?」

「おう、任せとけ。ここらで俺の家事スキル、延いては専業主夫としてのスキルを見せておいてやるよ」

「呆れた。あなた、まだそんな事を言っているの? 寝言は寝て言うものよ?」

「夢くらいは起きてても見させてもらっていいんじゃないですかね」

 

 なんでもない会話を交わしながら、雪乃の家へと歩く。この時期は既に日が落ちるのが早くなっており、18時現在でも外は真っ暗、月と星が空に輝いている。

 かの夏目漱石は、I Love you を「月が綺麗ですね」と訳したらしい。けれど、今の俺の隣には、月よりも綺麗な女の子がいる。

 それは果たして、どれほど幸せなことなのだろうか。

 そんな事を考えていると、つい目は雪乃の方を向いてしまって、それに気づいた彼女がどうかしたのかと視線で問うて来る。

 それに被りを振って前を向くと、マンションが見えて来た。

 

「なんか今日はめっちゃ歩いた気がするな」

「それは普段家から出ないからよ。けれど、私も同感ね。少し疲れたわ」

 

 繁盛期ではないとは言え、なんだかんだでモールの中は人が多かった。体力がない上に人混みが苦手な雪乃は、俺よりも疲労が溜まっているだろう。

 マンションのエントランスを通り抜け、エレベーターで15階まで上がる。

 家の前について雪乃が鍵を差し込み、その途中で何故か手を止めた。

 

「私が先に中に入るから、あなたは2分ほどここで待っていてくれるかしら?」

「またなんで」

「なんでもよ」

 

 理由は言わず、鍵を開けて扉の向こうへと消えていく。

 ここまで来てまさかの置いてけぼりですか......。まあ、ぼっちたるもの置いてけぼりには慣れている。修学旅行では班員達に置いていかれ、クラスメイトの流行にも置いていかれ......。思い出したら涙が出てきた。

 2分経ったのを携帯で確認してから、扉を開く。玄関に入って真っ先に視界へ飛び込んで来たのは、エプロン姿の雪乃で。

 

「おかえりなさい、あなた。ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ、私......?」

 

 頬を薄く染めながら、そんな事を言ってきた。控えめにいって超可愛い。

 て言うか、こいつ夫婦扱いされたからってこれは......。

 

「あの、何か言ってくれないと、困るのだけれど......」

 

 見る見るうちに顔が真っ赤に染まっていく雪乃。恥ずかしいならなんでやっちゃったかなぁ......。まあそんなところも可愛くて好きなんですけどね!

 

「それ、お前って答えたらどうすんの?」

「......夕飯とお風呂が終わるまで待ってくれる?」

「それじゃあ質問した意味ないんだよなぁ......」

 

 つか飯と風呂が終わったらいいのね。ちょっと雪乃さん、昨日一線超えちゃったからってタガが外れてません?

 とまあ、そんなことは置いておくとして、取り敢えず。

 

「ただいま、雪乃」

 

 おかえりと言われたのだから、そう返すのが常識だろう。一緒に帰ってきたとかそんなのは関係ない。ただのごっこ遊びだとも分かっている。けれど、だからこそ、ちゃんと「ただいま」の一言を言いたくなった。

 それを聞いてキョトンとしていた雪乃だったが、すぐにその口は弧を描き、俺の言葉に応えてくれた。

 

「ええ、おかえりなさい、八幡」

 

 これから先、変わっていく未来の中で。

 この笑顔を、毎日玄関で見れる日がいち早く来るように、願わずにはいられなかった。

 

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