昼休み。
心地良い潮風が吹くベストプレイスにて、俺は昼食を取って居た。
目の前にはテニスコートがあり、女子のテニス部が健気に昼練に勤しんでいる。
俺は持ち前のステルス能力で自身の存在感を消しつつ、微笑ましくその練習風景を見守りながらパンを食べると言うのが高校に入ってからの昼休み恒例行事だった。
まぁ、最近はたまに部室に誘われてそっちで食うこともあるけど。
あれはあれで雪ノ下の紅茶が飲めたりするからいいのだが、やはり往来の気質なのか一人でいる方が気楽でいい。
「比企谷くん?」
「あん?」
唐突に名前を呼ばれたので振り返ってみると、そこには雪ノ下雪乃が立って居た。
あれ、こいつ今日も部室で飯食ってるんじゃないのん?
「雪ノ下か。どうしたこんな所で」
「それはこちらのセリフよ。......あぁ、教室に居場所がなくてこんな辺境の地まで追いやられてしまったのね、ごめんなさい」
「いや、あながち間違ってもないからいいんだけどよ......」
本当、購買にパン買いに行った隙に俺の席を占領する女子はマジで許さんからな。
「こんな所で食べないで、部室にくればいいのに」
「お前らだって女子二人だけで話したい時とかあるだろ?これはあれだ。俺なりの紳士的な配慮という奴だ。で、お前は何してんの」
「......由比ヶ浜さんにじゃんけんで負けたのよ」
うわぁスッゲェ悔しそう。
曰く、じゃんけんで負けたから罰ゲームとしてジュースを買いに行かされてるそうな。
由比ヶ浜発案らしいが、あいつ、いつもじゃんけんとかしないで自分からみんなの分買いに行くとか言ってたんだろうなぁ。
「なんだよ、罰ゲームって俺と話すことが罰ゲームかと思っちまったじゃねぇか」
「そんな訳ないじゃない......」
頭でも痛いのか、コメカミの辺りを指で抑える雪ノ下。
どうでもいいけど雪ノ下って部室にいる時とそれ以外の時で結構雰囲気変えてる感じがするんだよな。部室では凄い柔らかい雰囲気なんだが、外にいると冷たい雰囲気というか、周囲に常に気を張ってるというか、何かを警戒しているというか。もう少し肩の力を抜いて適当に生きていこうとは思わないのかね。
「あれ、比企谷くんと、雪ノ下さん?」
と、そんな俺たちに話しかける声が。
テニスラケットを持ったジャージ姿の女子。
雪ノ下や由比ヶ浜にも負けないほど可愛らしい顔をしている。
「あら、戸塚くん。こんにちは」
「うん、こんにちは。僕のこと知ってたんだ」
「えぇまぁ」
雪ノ下にしては煮え切らない返答だが、そんな事よりも気になる言葉があった。
「戸塚、くん......?」
「彼は二年F組の戸塚彩加くんよ。どうせあなたのことだからクラスメイトの名前も顔も覚えて居ないのでしょう」
「いや待て雪ノ下。そんな事より、お前今なんて言った?彼?くん?おいおい、雪ノ下雪乃は虚言だけは吐きたくないんじゃなかったのかよ」
「あの、僕一応男なんだけどな......」
照れ臭そうにはにかみながら、上目遣いで俺を覗き込んでくる。
「嘘だろ......こんな可愛い子が男、だと......?」
あぁ、神はなんて残酷なんだ......!
俺の青春ラブコメを彩るであろうヒロインがようやく登場したと思ったらヒロインじゃありませんでした!ってか。
ギャルゲーのヒロインの親友ポジのキャラが好みのドストライクだったのに攻略できないと知った時の絶望感に似たものを感じる。違うか。違うな。
「そこの男は放っておいていいわ。戸塚くんは昼練かしら」
「うん。うちのテニス部、人数少ないし弱いからさ。僕が頑張って上手くなれば、みんなもやる気が出るかなって」
総武高校の運動部は元々そこまで活発ではない。葉山の所属するサッカー部だって、葉山隼人と言うネームバリューがあるからこそ校内でそれなりに有名なのであり、実績的にはイマイチだ。
剣道部がなんかの大会で優勝したやらなんやらと話を聞いたような気もするが、だからと言って部活動に精力的な生徒が多いわけでもない。
そんな中で、所属するテニス部のために頑張っている戸塚は健気と言うほかないだろう。
なんとかして力になってやれないものか。
「そう言えば比企谷くん、テニス上手だよね」
「そうなの?」
「うん!フォームとか凄く綺麗なんだ」
「まぁ、壁打ちはマスターしたと言っても過言ではないな。寧ろ壁打ちしかできないまである」
だって、体育のテニスの時間は材木座がいないからペア組む奴もいないし、自然と俺の相手は壁になってしまう。
あぁ別に壁と言っても雪ノ下さんのその胸部装甲を揶揄したわけではないですよ?
「あの、さ。比企谷くんさえ良ければ、テニス部入ってみない、かな?」
「俺が?」
戸塚が言っているのは、ポッと出の俺が入部して活躍してくれれば部にとってカンフル剤的な役割を果たしてくれるだろう、と言うことか。いや、そこまで考えずに単純に上手い人にチームに入って貢献して欲しい、と考えてるかもしれないが。
しかし、それは出来ない相談だった。
「あー、悪いな戸塚。それは」
「それは無理ね。比企谷くんに集団行動が出来るわけないもの」
......なんでお前が答えるんですかねぇ。いや、事実だけども。俺は強制的な集団行動の中でも孤立出来る天才的な才能を持ってはいるけども。天才でもなんでもないなこれ。ただのボッチじゃん。
「それに、彼は奉仕部の大切な部員なの。残念だけれど、テニス部に入部することはできないわ」
「そうなんだ......。ごめんね無理言って」
大切な、と言う部分に幾ばくかの照れ臭さを感じてしまう。
大切、大切かぁ......。今まで面と向かってそんなの言われたこと無かったからなんかむず痒い感じだ。
「けれど、それをお手伝いする事なら出来る」
「お手伝い?」
「ええ。詳しい話を聞きたいのなら放課後、特別棟の部室まで来てくれるといいわ」
丁度タイミングよく、昼休み終了のチャイムが鳴る。どうやら話はここまでの様だ。雪ノ下の言う通り、続きは放課後だな。
「部室は由比ヶ浜さんに案内してもらったらいいわ。では私は戻るわね」
うん、妥当な采配だ。俺が案内するとなってしまうと、部室まで二人で歩かなければならなくなる。そうなると話の間が持たなくなり戸塚に気を遣わせてしまうだろうからな。
ふと、雪ノ下の言葉を聞いて思い出したことが一つあった。
「おい雪ノ下。お前、罰ゲームのパシリは?」
「あ」
このうっかりさんめ。由比ヶ浜泣くぞ。
「んで、どうするんだ?」
「どうするとは、何がかしら?」
「戸塚の件だよ。正式に依頼として受理するのかって話」
放課後、戸塚の方は由比ヶ浜に任せて俺はそそくさと部室へとやって来た。
べ、別に雪ノ下の紅茶が早く飲みたかったとかそんなんじゃないんだからね!キモいか。
「戸塚くんが助けを求めるならね。それにしても、随分とやる気じゃない。あぁ、今までの人生で人に頼られることが無かったからなのね。配慮が足りなくてごめんなさい」
「配慮するなら最後まで配慮しろよ。実際マジでどうするんだよ。俺がテニス部に入るわけにもいかないんだろ?」
「そうね......。彼の練習を手伝うのを前提とするなら、死ぬまで走って死ぬまで筋トレ、死ぬまで素振りとか、そんな感じかしら」
そんな事をいつもの優しい笑顔で言うなよ逆に怖いだろうが。このドSめ。
「いやそれはやり過ぎじゃね?」
「そう?『獅子は我が子を千尋の谷に落として殺す』と言うじゃない」
「そんな恐ろしい諺は存在しない」
正しくは『獅子は我が子を狩るのにも全力を尽くす』だ。
「詳しい所は戸塚くんが来てから決めましょう」
「それもそうだな」
そもそも戸塚が来るとまだ決まったわけではないし。
しかも俺たちは昼休みの時点でほぼ初対面だったわけだし。そんな奴らの話を真に受けると言うのも馬鹿かよっぽど切羽詰まっているかのどちらかだろう。
戸塚の場合は後者だと思う。現在五月だが、夏の大会というのは種目によっては六月の頭から始まるものもあると聞いたことがある。
テニスがどうなのかは知らないが、三年の引退試合が近いのは事実だろう。個人戦だけならまだしも、団体戦もあるテニスは二年である戸塚も出なければなるまい。人数が少ないみたいな事も言ってたし。
「やっはろー!」
最早ノックもなしに唐突に扉が開かれる。
この部室に来るのにノックをしないやつなんて平塚先生か由比ヶ浜くらいのものだ。
「由比ヶ浜さん、あまり勢い良く扉を開かないでくれるかしら」
「あ、ごめんごめん!確かにあんまり乱暴に扱っちゃ壊れちゃうよね!」
僕は雪ノ下が肩を震わせてビックリしてたの見逃してないけどね!
「それと、さいちゃん連れて来たよ!」
「し、失礼します......」
恐る恐る、小動物を思わせるような動きで入室して来たのは昼休みに会った戸塚だ。
雪ノ下に言われた通り依頼するために部室へやって来たのだろう。
「こんにちは戸塚くん」
「うん、こんにちは」
「ゆきのん、昼休みにさいちゃんとヒッキーと会ってたんだって⁉︎私のジュース忘れて!」
「べ、別に忘れていたわけではないのよ。あのタイミングであそこにいた比企谷くんが悪いの」
ぷりぷりと怒る由比ヶ浜にそれを宥めようとオロオロする雪ノ下。
そんな様子を見た戸塚が、俺の方に顔を寄せてコッソリ耳打ちして来た。
ってなんでこんなにいい匂いするんですか。
「なんだか雪ノ下さん、昼休みに会った時と雰囲気違うね」
「ん、あ、ああ。確かにそうだな」
戸塚にも分かるくらいあからさまに違うのか。
それはそれでどうなの雪ノ下。
由比ヶ浜とは違った意味で疲れる生き方してるよなこいつも。そんな常に周囲に気を張る必要もなかろうに。
一方でプロのぼっちである俺は周囲の事など全く気に掛けず、俺の世界は全てが俺一人で完結しているのだ。争いが起きるような相手も存在しないので、世界の全ての人間がぼっちになったら戦争は無くなるのではないだろうか。ノーベル平和賞受賞の日も近いかもしれない。
.........まぁ、放課後にこうやって美少女三人じゃなかった美少女二人と美少年一人と過ごしてる時点で、昔の俺は今の俺を見て何がぼっちだ、と鼻で笑うだろうが。
「さて、では戸塚くん。ここに来たということは、依頼をしに来たと言うことでいいのかしら?」
「うん。由比ヶ浜さんから奉仕部の話は聞いたんだけど、テニスを強くしてくれるん、だよね?」
由比ヶ浜をなんとか落ち着かせた雪ノ下が戸塚に向き直り、早速依頼の話に入るが、雪ノ下は戸塚のその言葉に首を横に振った。
「残念ながらそれは少し違うの。由比ヶ浜さんの所為でいらぬ誤解を与えてしまったみたいね」
「え?違うの?」
当の由比ヶ浜本人もよく分かってないらしい。こいつ部員の癖に活動内容ちゃんと把握してなかったのか。流石はアホの子。
「奉仕部はあくまでも手助けをするだけ。
飢えた人に魚を与えるのでは無く、魚の採り方を教えるの」
「なんだか、凄い部活だね」
「そんな事は無いわ。今までちゃんと解決できた依頼なんて殆ど無いもの」
戸塚の純粋な気持ちのこもった眼差しに、雪ノ下は自嘲気味に返す。
俺が経験した依頼は由比ヶ浜と材木座の二つだけだが、それ以前にも依頼はあったと言う事だろうか。
そしてあの完璧超人雪ノ下ですら解決できなかった依頼があったなんて、何それ気になる。
「それと由比ヶ浜さん。貴女、入部届がまだ提出されていないわよ。だから今は正式な部員と言うわけではないのだけれど」
「え?か、書くよ!書く書く!そんなのいくらでも書くから!」
カクカク煩い由比ヶ浜がカバンからさっと取り出したルーズリーフに『にゅうぶとどけ』と平仮名で書き始める。それくらい漢字で書けよ。
「それでは、依頼の話をしましょうか」
「戸塚は昼休みに練習してるんだろ?それの手伝いとかでいいんじゃねぇの?」
いきなり部外者の俺たちが放課後のテニス部に顔を出しても歓迎されるとは思えない。
ならば、戸塚の個人的な練習にだけ付き合ってやればいいだろう。
「そうね。ただ、昼休みとなると......」
なにか懸案すべき事であるのか、雪ノ下は考える素ぶりを見せる。
僅か数秒だけ、雪ノ下の回答を待つための沈黙が訪れる。
「では、比企谷くんの言う通り昼休みの練習に付き合うとしましょう。練習メニューは私が考えてくるわ」
考えが纏まったのか、うんと一つ頷いて雪ノ下は俺の提案に乗って来た。
ま、それが妥当だろうしな。
テニスコートも許可取ってたら問題なく俺たちも使えるだろう。
「ありがとう、雪ノ下さん!」
パアッと喜びの笑顔を見せる戸塚。
俺はそれを心の画像フォルダにタグ付けして保存した。勿論誤って消さないようにお気に入り登録も忘れない。
「ではそう言う事で。練習メニュー、楽しみにしていてね」
ふふ、と笑う雪ノ下の笑顔が若干怖かった。
本当に死ぬまで走らせたりしないだろうな......。