何も忘れていた訳ではない、とだけ先んじて言い訳しておく。
一色が部室へ来た時点でその可能性は疑っていたし、なんなら玉縄対策よりも、こっちをどうしようかと頭を悩ませていた程なのだ。
先月の別れ際があんな事になってしまい、しかも前回とはかなり違う状況でもあった。故に、彼女が彼女らに対してどのように思っているのか、不安ではあったのだ。
勿論それが分かったからといって、俺が何かを出来る訳でもない。当事者は彼女達であって俺は部外者、って事もないけど、まあ、こう言うことは往々にして、俺のようなポジションのやつは何もしないのが吉なのだから。
けれど、だからと言って、流石にこれはないだろう。
「あっ......」
「げっ」
「あら」
奉仕部一行でやって来たお馴染みのコミュニティセンター。その入り口。菓子やら飲み物やらを買いに行ってる一色と由比ヶ浜を待っていると、そこに折本かおりが現れた。
折本は俺たちを見て驚いた顔をしており、俺の隣の雪乃はあくまでも無表情。そして俺は咄嗟の声にも出た通り、とても嫌そうな顔をしていることだろう。
なにこの最初からクライマックス感......。ダンジョンに入って中ボスを取り敢えず倒そうと思ったら、いきなりラスボスが出てきたみたいな感じなんだけど......。
俺も折本もなにも言えずただ立ち竦んでいたのだが、その沈黙を破るように隣から凛とした声が聞こえる。
「こんにちは。折本さん、だったかしら?」
「うん、こんにちは。雪ノ下さん、だっけ?」
「ええ、改めて初めまして。雪ノ下雪乃よ。今日からイベントの手伝いに来たの。よろしくお願いするわ」
「私も単なる手伝いなんだけどね。よろしく」
ちょっと雪乃さん? なんか声が怖いんですけど? なんでそんな冷えた声出してるの? 縄張り意識の高い猫かよ。
一方で折本はと言うと、そんな雪乃の雰囲気にも物怖じせず、いつもの快活な、それでいてどこかこちらを揶揄うような笑みを向けてくる。
「それにしても比企谷がこんな美人さんを彼女にしてるなんてねー」
「お、おう......」
「中学の時の比企谷からは考えられないよね。あの時の比企谷、正直つまんない奴だなーって思ってたし」
「うん、まあそうだけどさ......。そんな改まって言わんでも良いだろ......」
こいつ、この前雪乃が乱入して来たのがなんでか覚えてないの? お前が俺のことバカにしたからって言ってたでしょ? いや、個人的にはそこまで気にしてないんだけど。言ってることは全部事実だし。
隣の雪乃がなにを言うか怖いなーと思っていたのだが、しかしそんな俺の心配も杞憂だったようで。
「あら、八幡がつまらないのは今も同じよ? 常日頃から専業主夫になりたいだの、働きたくないだの、そんな巫山戯たことばかり口にしているのだから」
「ちょっと? それ今言う必要ある? いやそれも事実だけどさ」
「あはは! なにそれウケる!」
「ウケねえから......」
想像していたような険悪な雰囲気にはならず、それどこらか何故か謎のコンビネーションで俺に攻撃してくる始末。まあ、仲良くしてくれるなら一向に構わないんだけどさ。それにしてももうちょっと別の方法あるでしょ?
俺がどんよりと目を腐らせていると、折本がフッと笑う。こちらをバカにしたようなものではない。かと言っていつもの快活な、距離感を感じさせない笑みでもなく。
この前の別れ際に見せた、似つかわしくない酷く穏やかなものだ。
「比企谷、やっぱり変わったね」
それを見て、思わず面食らってしまった。それは恐らく、俺の隣に立っている雪乃も同然なのだろう。その言葉自体は一度目にも言われたことがあると言うのに。あの時と同じ言葉でも、そこに感じ取れるものは全くと言っていい程に違う。
「今の比企谷の周りには、雪ノ下さんとか葉山君とか、色んな人がいてさ。比企谷もそれを受け入れて。なんか、そー言うの、いいね」
その言葉で、いやでも分かってしまう事実が一つ。
あの時傷を負ったのは、なにも俺一人ではなかったのだ。俺が告白した翌日にあんな事があって、当然のように俺は一人被害者ヅラして。けれど俺だけでなく、今目の前で微笑んでいる彼女もまた同様に。
考えてみれば、それも当たり前の事なのだ。
折本かおりは普通の女の子だ。俺や葉山のように、誰かの想いを平然と踏み潰せるようなやつじゃない。だからこそ、自分がそうしてしまった事に、それにより招いてしまった事に、罪悪感を抱いてしまう。なにも折本のせいで俺が晒されたわけでもないのに。
俺はそれを、バカな事だとか偉そうだとか、そんな風に思わない。だって、それが人として当然の感情なのだろうから。
「だから、比企谷と雪ノ下さん、この前はごめん」
一転して真面目な表情で頭を下げられた。思わず雪乃と顔を合わせ、どちらからともなく頬を緩ませる。
「そうね、本来なら八幡をバカにした罪は万死に値するのだけれど」
怖い。怖いよ雪乃さん。なんで今微笑んでたのに直ぐにそんな冷たい声出せるの? 折本さんビクってなったよ?
「まあ、許してあげるわ。彼は気にしていないようだし」
しかし次に響いた声音はとても柔らかいもので。雪乃は顔を上げた折本に優しく微笑みかける。そんな雪乃の笑顔をボーッと見つめる折本。
まあ、雪乃のその笑顔は破壊力抜群だからな。めっちゃ可愛いからな。見惚れちゃうのも無理はない。
「どうかした?」
「あ、いや、別になんもない!」
そして本人はこの無自覚っぷり。いい加減、自分がどんだけ可愛いのか自覚してもらいたい。じゃなければ被害者が増えるばかりだ。
「つーか、俺折本に謝られるの、これで二回目だな」
「いや、ここで自虐ネタとか、流石にウケないよ」
「お、おう......」
なんか百合百合しい雰囲気が漂ってきたのでそれを霧散させようと思ったらこの反応。世知辛いのじゃ......。
「そうだ。雪ノ下さん、携帯の番号教えてよ」
「どうして?」
「んー、強いて言うなら、お近づきの印に? こんな美人さんと友達なんて、私的に結構ありかなーって!」
「え、ええ、別に構わないけれど......。友達......?」
「やったー! これで友達だね!」
困惑しながらも携帯を取り出す雪乃。由比ヶ浜で慣れたものだと思っていたのだが、距離を一気に詰めてくるような相手には弱いらしい。出会った当時の由比ヶ浜はまだ周りの空気を読んで動いていたのだが、折本にはそのような事が一切ない。故に折本と由比ヶ浜ではその距離感の詰め方にも若干の差異があるのも、雪乃が困惑している一因かもしれないが。
「よし! それじゃあ今度遊びに行こうね!」
「え、ええ......」
「勿論比企谷も!」
「えぇ......」
「じゃ、先に入ってるから。うちの会長さんも待ってるだろうし。また後でね」
折本は最後に笑顔でそう言って、コミセンの中へと入っていった。いやはや、実に嵐のようなやつだった。しかし、こうして雪乃の交友関係が広がるのも悪いことではないはずだ。折本自身、いい奴であるのに違いはないし、雪乃や、延いては由比ヶ浜や一色とも仲良く出来るだろう。
「これ、どうしたらいいのかしら......?」
「別に、普通に仲良くやったらいいんじゃねぇの?」
「まあ、それもそうね」
諦めたかのようにため息を吐き、追加されたばかりのアドレス帳の名前をしげしげと見詰める雪乃。
なんか、どんどん雪ノ下雪乃ハーレムが築かれていってる気がするけど、気のせいだと思いたい。
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あれから暫く待つと、コンビニから由比ヶ浜と一色が戻ってきた。案の定俺に荷物を押し付ける一色からコンビニの袋を受け取り、いざ四人でコミセンの会議室へ。
「では、準備はいいですか?」
一色のその言葉に三人揃って頷き、ついに会議室への扉が開かれる。
「こんにちはー」
「やあ、いろはちゃん」
一色の挨拶に真っ先に返してきたのは、皆さんお待ちかね、海浜総合高校生徒会長の玉縄だ。ざっと会議室を見渡してみると、なんか見覚えのある面々がぞろぞろと。あー、あのプロデューサー巻きとかめっちゃ見覚えある。見てるだけで腹立ってくる。
一方で総武高側はと言うと、それなりに精力的に仕事をしているようだった。副会長と書記ちゃん、それと会計のやつの三人は、書類になにごとか書き込んでいる。
そして視線を目の前に戻すと、向こうはにこやかな笑顔で俺たちを視認したようだ。
「おや、そちらは新しくみるニューフェイスだね。僕は玉縄。海浜総合生徒会長の玉縄だ。よろしく」
どうやら出会い頭のジャブの威力は全く衰えていないらしい。それもそうか。一応はこれが初対面だし。
そしてその強烈なジャブにカウンターを食らわせるのは、我らが部長殿。
「総武高校奉仕部の雪ノ下です。生徒会からの依頼を受けて、このイベントのお手伝いに来ました。どうやら随分と活発に会議をしているみたいなので、楽しみにさせて貰うわ」
冷ややかな笑みと共に皮肉を言い放つ雪乃。それを玉縄はどう受け取ったのか、その笑みを崩さないままに会話を続ける。
「そうなんだよ。今回のイベントは総武高校とのパートナーシップをより綿密にしていきたいと思っていてさ。これまでのブレインストーミングは実に有意義なものだったんだ。この調子だと、結果にコミット出来る素晴らしいイベントになると思うんだ」
うーん、これ皮肉が通用してないな? どうやら本当に活発な会議をしていたと思っているらしい。
まあ、そこは予想の範囲内だ。問題は、これからどのようにして軌道修正していくか、だが。
「具体的にどのような会議をしていたか確認したいから、議事録を見せてもらってもいいかしら」
「ああ、勿論構わないよ」
机の上に置いてあるファイルから印刷済みの議事録を取り出し、それを雪乃に手渡す玉縄。その顔はどこまでも得意気だが、果たしてそれがいつまで持つのか。
雪乃が受け取った議事録を、俺も彼女の後ろから覗き込むが、これまた予想通りの内容だ。
以前と同じく、反対意見は一つも出てこず、全ての意見を中途半端に取り入れる。こりゃ一色が俺たちのとこに来るわけだ。
「どうかな?」
「そうね。所感でいいのなら述べさせて貰うと......」
そこで言葉を切り、その目を更に鋭く冷たくさせた雪乃は、情け容赦なく玉縄へ告げる。
「これはなに? 議論の真似事がしたいだけのお仕事ごっこのつもり? 全ての意見を中途半端に取り入れ、否定も対立もなく、そんなものが会議であるはずがないでしょう。あなたたちは現状を理解しているのかしら? 時間も予算も足りず、それでもなお己の自尊心に固執する。自分がどれだけ愚かな事をしているのか理解していて? そもそも、部外者である私達がこうして手伝いに来ていると言うこの状況をおかしくは思わないのかしら?」
会議室内に響いた雪乃の冷めた声は、その場にいる全員の注目を集めるのに十分であった。俺の隣では由比ヶ浜が心配そうにオロオロしてる。海浜総合側では、唯一折本が笑いを堪えていた。
しかし、目の前の玉縄は雪乃のその言葉を聞いて完全に呆気に取られている。それもそうだろう。これまで絶対的に正しいと思い、それが誰にも否定されずにここまで来ているやり方を、この期に及んで初めて否定されたのだから。
「この議事録が正しいのであれば、これ以上の会議は時間の無駄と言わざるを得ないわ。どうやら今日からは小学生や幼稚園の子も来るようだけれど、どうせこの様子だとそちらの対応も考えてはいないのでしょう」
「そ、それは、状況によってケースバイケースで判断しようと」
「それではダメだと言っているの。こちらが依頼した側である限り、相手には最大限の誠意を見せていないといけないわ。相手が子供であってもそれは変わらない。意味もなく小学校や幼稚園を巻き込んだと言うのであれば、愚策と言うほかないわね」
ふっ、と嘲笑を漏らす雪乃。
八幡知ってる。今の、相手を完全に下に見たときのゆきのんの笑顔だ! ソースは雪乃と初対面の時の俺。
会議室内はそれきり沈黙が降りる。玉縄は雪乃に返す言葉を持たずになにも言えないでいる。当たり前だ。どう考えても雪乃の方が正論を言っているのだから。これが俺なら適当な屁理屈をこねくり回して言い逃れした挙句に結局雪乃からトドメを刺されるのだが、玉縄がこねくり回せるのはその黄金の左腕のみ。いや、結局俺もダメなのかよ。
そしてその沈黙を破ったのは、海浜総合側から聞こえて来た笑い声だった。
「ふっ、ははっ! も、もう無理! ははははっ! 雪ノ下さん本当ウケるんだけど!」
バシバシと自分の膝を叩きながら大爆笑してるのは、他の誰でもない折本かおり。そんな彼女の様子に、近くにいた海浜総合の生徒も困惑している。
そして玉縄の方へと歩み寄る折本。
「ねえ会長さん。私も雪ノ下さんに同意なんだけどさ、最初にあっちの会長さんが言ってたみたいに、別々でやるしかないんじゃない?」
「それは」
「会長さんがもし反対意見は認めないって言うんなら、総武とはもう仲良くやっていけなさそうだけど?」
ニヤリと笑ってこちらを見る。どうやら、折本はこっちに加勢してくれているらしい。
そして玉縄にトドメを刺すのも、雪乃ではなく折本の言葉となった。
「一応今までは会長の顔を立ててたけどさ、こうなっちゃったら、私は友達の味方になるよ。これ以上あんなの続けても、ウケないしね」
折本にそう言われてしまって、目に見えて肩を落とす玉縄。どうやら、会議そのものが始まる前に、勝負がついてしまったらしい。
「じゃ、そう言うことだから。この様子だと私が総武との橋渡し役になるしかなさそうだし、改めてよろしくね、雪ノ下さん」
「ええ、よろしくお願いするわ、折本さん」
ウインクして去っていく折本に笑顔を返し、雪乃は総武の生徒会メンバーの元へと歩いて行った。その後ろに続く俺と由比ヶ浜の表情は、多分戦慄に塗り固められていただろう。雪ノ下雪乃は敵に回してはいけない。それをこんな所で改めて思い知らされるとは。
玉縄くんは本当御愁傷様ですとしか。